巨大虫の居る町

黄金稚魚

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虫継の町

一話 中虫壁診療所

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 籠は揺れていた。

 身体をぎゅうと縮こませて、幼児は籠に押し込まれていた。

 格子状に編まれた竹の隙間からわずかに外の景色が見える。
 カラフルな提灯の群れが暗闇に星のように浮かんでいる。

 愉しげな声や足音、美味しそうな食べ物の匂いが漂って伝わる。そこへ行きたくて幼児は籠を叩いた。
 ぺしぺしと小さな音が祭り騒がしさに消える。


 幼児は籠の中で揺れていた。

 籠を背負った男が大股で歩くからだ。

 楽しげな話し声も甘い香りも遠のいていく。それでも色とりどりの提灯はどこまでも続いていた。

 幼児は提灯達を叩いたり撫でたりする自分を想像した。
 すっかり静かになってしまったが、そんな事は気にせずに笑っていた。

 籠の蓋が開く。しわくちゃの老人の顔が少女をのぞいていた。初めて見る顔だが、優しい目をしていた。
 老人は手を伸ばし幼児を抱き上げた。

 小さな手が皺だらけの顔に触れると老人は口元を緩ませた。

 籠を背負った男が幼児を撫でようと手を伸ばす。


 ちりぃん。

 澄んだ鈴の音が聞こえ、男の首が落ちた。

 それが最初で最後に見る父親の顔だった。


 








 荒い息に引き摺られてラウラは目を覚ました。寝汗のせいかパジャマがずっしりと重かった。

 この頃、目覚めがひどく悪い。覚えていないがひどい悪夢を見ている気がする。


「その内呼吸止まりそうだね」
 

 その声につられ、ラウラは身体を起こした。差し込んだ日の光が朝を感じさせる。

 眩しい光の先でナース服の女が言う。

「薬の作用なら意識は完全に落ちる。もしかして普段からそんな寝つき悪いのかしら? 悩みあるなら相談にのるわよ?」


 ラウラは大きくため息をついた。

 悩みが無いと言えば真っ赤な嘘だが……。


 白い壁に囲まれた寂しげな部屋。窓は頭も通らないほど小さく鉄格子に覆われていた。
 まるで牢屋だとラウラは思った。

 狭い部屋にあるのはベットだけ言っても過言では無い。
 豆電球しかつかないスタンドライトは頼りなく夜には本を読む事さえ出来なくなる。もっともラウラには夜に本を読めない事を嘆く必要は無かった。

「環境のせいです」

「ならお手上げね。ベットから落ちないように柵でもつけてあげましょうか?」

「私の寝相そんなに悪いですか? というか、見てたなら起こしてくださいよ」


 積み重ねられた本の束に読みかけの冊子が一つ加わる。

「いま来たところよ」

 上村美和子みわこが大きく欠伸した。染めて傷んだ茶髪を掻き上げてナース帽を被った。
 パイプ椅子に座り壁に背をつけて気怠げにしている。彼女はラウラが目を覚ます度、いつもそこにいた。


「おはよう」

「おはよう」


 差し込む光に影が刺す。大きなモノが窓を通り過ぎた。

 ラウラは窓の外を見て目を細めた。

「勤勉でしょ。お陰様でアタシらの仕事がある」

 影の正体、巨大なカナブンが病院の外を飛び回っていた。
 甲皮をエメラルドグリーンに輝かせ、モーターのような猛々しい羽音を立てながら飛んでいる。しばらく窓の近くを行ったり来たりしていたがやがてどこかに去っていった。

「中には入って来ないから安心しな」

「だといいですけど」


 ここは慶香町。巨大虫、虫神が存在する町。ここでは虫が人と交わり、虫の子を産む。
 あの悍ましい体験から既に一週間が経った。その殆どの時間をラウラは病室のベットの中で過ごした。


 藍一郎が言っていた通り副作用は重く、結果っとしてこの一週間。外を歩くことすらできなかった。
 まずラウラを苦しめたのは四十度近い発熱だ。解熱剤は緊急避妊薬アフターピルの効能を邪魔する恐れがあり使えない。

 身体を動かせなくなるほどの倦怠感。食事を口にする度、吐き気に見舞われた。

 だがそれも苦ではなかった。

 強烈な睡魔が定期的に訪れる。抗えないほどの睡魔だ。
 起きていても一瞬にして意識を失ってしまい、数時間は目覚めない。
 症状が治まったのはつい昨日のことだ。
 睡魔もピタリと収まりラウラは久々に規則正しい睡眠を取る事が出来た。



「あっそうだ。先生が大事な話があるそうよ。動ける?」

 ラウラはこくりと頷いた。
 先生とは中虫壁藍一郎の事だ。この診療所で正規の診察医は彼だけだ。

「話ですか? わざわざ診察室で?」

「アタシの見立てではラウラちゃん、もう全快よ」

「喜べないですよ。うなされてた方がマシです」

「不安なのは分かるけど素直に喜びなさい」

 パンパンと美和子が手を叩く。

「さっ着替えて。下で先生が待ってるわよ」




 支度を済ませ診察室に降りる。早い時刻のせいか、待合室に患者の姿は無かった。

 診察室では丸椅子に座った藍一郎が書類と格闘していた。

「朝早くに時間に呼び出してすみません」

 作業の手を止めて藍一郎はくるりとラウラに向き直った。

「いえ。もう大丈夫ですので」

「それはよかった。では早速……瀬野さんの今後について話しましょう」

 ラウラの表情は固い。

「まず瀬野さんには妊娠の有無が確認できるまでこの病院に居てもらおうと思います」

「どうせ逃げれないんですよね」

 ぶっきらぼうにラウラは言う。
 地図にない町。虫神と呼ばれる超常の存在。そしてその虫神との性行為を行う因習。
 どこをどう切り取ってもカルトに支配された田舎町だ。ホラー映画の舞台そのものと言っても過言では無い。

 それが慶香町だ。

 映画と違うのは町の住民が理性的だった事だ。の常識との常識の違いを理解していた。
 彼女達は口では「直ぐに帰れる」と言った。
 だが現実、ラウラの帰路は絶望的だった。具体的なを見せられてはそれを取り上げられた。

 ……虫神によって。


「出来れば強引な考えは控えていただきます。いいですか瀬野さん。我々は貴方を帰らせないようにしたいのではありません。虫神を外に出す可能性があってはいけないのです」

「虫神が外に出たらどうなるんですか?」

 ごほんと咳払い。純粋な興味から出た疑問だったが、感心する発言ではなかったようだ。

「間違いなく混乱が引き起こされます。我々と虫神の双方にとって不都合な事象です。この件にはそれなり以上の防衛措置が働くことになっています」

「物騒な話ですね」

「町の方で決まりがありまして、そうそう起こることでは無いので気にしなくても大丈夫です。忘れてください。瀬野さんは避妊の効果が確認でき次第、自由に帰って頂いて大丈夫です」

「あの」

「なんですか?」

「前に月花にも聞いたのですが、とかは……」



 藍一郎は卓置きのカレンダーを取り出した。二十一日後、すなわち十月十七日に赤い丸が書いてあった。

「話を戻しますが瀬野さんの場合、十月十七日を過ぎても陰性であれば、避妊成功というわけです」

「これは正確なんですか?」

「瀬野さんの割り出しました。申し訳ないですが、これ以上日数が縮まる事はありません。ラウラさんには二十一日間、この診療所で過して頂きます。ここなら他の場所よりかは幾らか安全です」


 病室では最低限の衣食住が保証されている。病室には宿直の見張りがある。図体のでかい虫神がそう簡単には入ってこれないだろう。
 しかしラウラはもう例外を知っている。どんな小さな隙間でも入り込む虫神がいることを。


「どうでしょうか。月花は洞々亭も安全だと言ってました?」

「……確かに瀬野さんのケースではどんな設備でも完全に安心する事は出来ないでしょう。それに二十日の間は軟禁に近い状態となります。今の瀬野さんには空白の時間が一番つらいものになるとは理解しています。そこでなんですが」

 そう言って藍一郎は苦々しい笑みを浮かべた。

「実は月花さんから提案を頂いていまして」

「月花が?」

「はい。私としてもあまり推奨できる話ではないのですが……」

「あの!」

 話を続けようとする藍一郎にラウラは待ったをかけた。

「どうしましたか?」

「あの子が色々手を回してくれたのは分かりますけど……これは私の治療の話ですよ」

 蛍原ほとはら月花るか。ラウラに虫神の知識を与えた少女。ラウラは月花に保護されたと言っても良い。
 だが彼女は高校生だ。この診察室でそれもラウラの今後を決める重要な話の中でその名前が出てくることは意外だった。
 藍一郎は「それは」とぼそりと呟いた。すぐに何かを言おうとしたが思いとどまったようだ。

 喋る言葉を考えているのか目が泳いでいる。仮にも診察医が患者を目の前にしてそのような態度は如何なるものなのか。
 藍一郎の表情は分かりやすく、見ていると不安を駆り立てられた。

 言いづらそうに口を開いた。

「すみません。彼女とはなんと言いますが長い付き合いでして、その……どうも私は手玉に取られているようです。」

「……」


 情けないなぁ。
 ラウラはそう思ったが口には出さなかった。
 大の大人が女子高生に勝てないと公言したのだ。まず失望の感情がくる。
 それに「長い付き合い」と「手玉に取られている」に相関性が見出せない。知った仲なら何を言っても聞くのだろうか。

 「あははは」と笑う藍一郎だかその目は憂いていた。きっと自分の発言を後悔しているのだろう。

「それで? 月花はなんて言ったんですか?」

 ラウラはもうこれ以上、この話題を蒸し返す気にはならなかった。
 ひとまず藍一郎と月花の関係性は想像する事ができた。今はもう月花の出した提案とやらに興味は移っていた。

 話が進むことにほっとしたようで、藍一郎は柔らかな笑みを浮かべた。

 話を始める前に「月花の提案である事」「自分は推奨しない事」をもう一度ラウラに説明した。さらに「自分は面白いと思った」と余計な言葉も付け加えた。

 前置きに対して次のセリフは単純だった。だが、予想外のその言葉にラウラは驚きを隠せなかった。


「瀬野さん。この診療所で働いてみませんか?」
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