上 下
9 / 22
奴隷市街(完)

忘却の牢

しおりを挟む
「しくじったわね」

 ぼそりとマナは呟いた。その手首には手枷が嵌められている。
 閉ざされた狭い室内で、壁を背にして座るマナ。その目線の先は鉄格子で遮られている。

 マナは今、鉄格子の牢へ囚われていた。


 数日前。砂漠を横断中の事であった。
 マナは八本の腕を持つ異形の機械と遭遇した。一瞬の事で記憶が曖昧だが、アリクイに似た頭部が印象に残っている。
 機械は人を捉える術に特化しており、マナは碌な抵抗も出来ず、意図もたやすく捕らえられ薬で眠らされてしまったのだ。

「目が覚めたらこの様、情けないわ」

 牢は外から施錠されており、内側からどうこうできるようには見えない。幸いな事に、武器のリボルバーを含め、持ち物は没収されていなかった。人を捕らえたにしては随分と対応が杜撰に思えた。

 だが、せっかく持ち込めたリボルバーも今のマナには扱えなかった。

 マナを拘束している手枷は硬い木製の板をくり抜き手錠を埋め込んだ代物だ。その木製部分が干渉してしまう為、リボルバーが持てないのだ。

「困ったわね、ねぇ貴方なにかないの?」

 横に座っている同居人に声をかけた。しかし返事は帰ってこない。当然そのはず。彼は既に白骨化した物言わぬ屍であったのだ。

 白骨遺体は既に風化しており、囚われてから長い年月が経っていることが伺える。マナと同じくここへ囚われ、そのまま放置されたのであろう。捕らえるだけ捕らえて放置。
迷惑な話だ。人を捕らえる機械といい、この場所の目的といい、マナには分からないことだらけだ。

 鉄格子越しに見える外の風景。それは言うなれば牢獄の集団団地だった。建物の配置としては市街地の様に見えるが、全ての建物が独房のような造りとなってた。

 牢屋だらけの街には人の姿は見当たらない。せいぜい居るのは牢屋の中の白骨ぐらいだ。彼らが起き上がることさえなければ、この街は無人という事になる。

 滅んだ街。そういった場所をマナは何度も見てきた。特段珍しい事ではない。

 待っていても事態は進展しそうには無かった。

 何かないかとマナは同居人の遺体に近づいた。そして、自由に動かせる足で遺体を弄る。こういう時に素足は便利だ。指先に冷たい感触に触れた。金属だ。

「あら、いいもの持ってるじゃない」

 遺体から見つかったのはナイフだ。それも大型のもので、柄の部分には竜のレリーフが刻まれている。それなりの良品だろう。

「この場合、使える手が一つあるわね。気は進まないけど……」

 マナは両足を使ってナイフを掴むと、足裏をピタリと合わせる。ナイフの刃先が真っ直ぐ上に向くように固定したのだ。長い間放置されていたようだが刃先は鋭く錆びひとつない綺麗なものであった。

「これなら行けるわね」

 確信めいた希望を口にするマナ。その額には冷や汗が浮かんでいた。

「やっぱり自分からやるのは少し、抵抗あるわね」

 口ではそう言うものの、少しの葛藤も無くマナは次の行動を執った。
 身体を曲げ、ナイフの切っ先目目掛け、腕を押し付けたのだ。マナの手首へナイフが深々と突き刺さる。


「はぁーっ、はぁーっ、んっああああ!」

 腕を引き抜き再びナイフ突き刺す。何度も何度も刺しては抜いてを繰り返す。

 最初の数度はビクビクと身体を震わせながらであったが、マナの動きは次第に素早く坦々としたものとなった。苦悶に満ちたマナの表情も、二十回ほど突き刺した頃には余裕が戻っていた。

 やがて、パキンと乾いた音が牢屋の中で響いた。

 手首の骨が外れ、マナの左手首がぷらんと垂れる。ブラブラと手が揺れる。もう力を入れても指一つ動かなかった。

 そろそろいいだろう。

「はぁっ」

 マナは渾身の力で壁へと左手を叩きつけた。すると、皮一枚で繋がっていたマナの左手がべちゃりと壁へと張り付いた。

「これでいいわ」

 手の取れた左腕から手枷を引き抜く。支えを失った手枷がぶらんとゆれる。これで少しは自由に動ける。

 ベルトからリボルバーを引き抜き、錠前を撃ち抜いた。銃撃の衝撃、錠前の壊れた扉がゆっくりと開いた。硝煙が揺れ出るリボルバーを元のベルトに差し込むと、マナはくるりと振り向いた。
 マナの視線の先にはマナの左手が壁に張り付いたままそこにあった。

「今回は、流石に持っていけ無いわね」

 マナの左手首からは止め処なく鮮血が溢れ出ていた。垂れ流れる血液はコートを伝って地面に小さな水溜りを作っている。急ぎ止血したいところだ。

 マナは牢の外へと出た。砂漠地帯特有の荒荒しい風がマナを出迎える。

 空を覆う黒霧は相変わらずで、砂の大地は冷たく冷えていた。痛みこそあれ、脱出の開放感から腕を伸ばした。

「ありがとうね、知らない人」

 最後にナイフを遺体に返し、マナは市街の中を歩き始めた。

 まずは止血に使う布を手に入れたい所だ。この付近の建物は全てマナの閉じ込められたもの同様の作りとなっており、中には白骨化した遺体が見えるものもあった。
 どれも同じだ。捕らえられ、放置され、死んでいった被害者達。

 ふと、マナは足を止めた。その目線には牢の一つに向けられている。

 そこには一人の女が眠ったように横たわっていた。
 赤い髪が、彼女の寝息に合わせてゆっくりとゆれる。 

 女は生きていた。
しおりを挟む

処理中です...