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樹木人の繁殖地(完)

新しき樹木人

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 樹木人から種子を受け取ってからというもの、マナは歩き続けていた。あれから樹木人に話しかけられる事は無かったが、見渡す限り樹木人と同じ壺のような木が生えていた。

 あの樹木人が言っていたとおり、身体に生えた草は抜け、体内へ伸びていた根の感覚も消えている。変わりにお腹の辺りで暖かいもの息遣いを感じる。樹木人の、種子は自らの芽吹きを今か今かと待ち構えていた。


 えーん、えーん。


 霧に紛れ、誰かの鳴く声が聞こえる。
 歩く度に声は大きく聞こえ、近づいているのが分かった。草は抜け、足の動きは良くなっている。マナは聞こえる声のする方へ足を向ける事にした。

 霧の中、樹木人の森を歩き続けた。

 やがてマナは一本の若い樹木人の元へたどり着いた。

 若い、と判断できたのはその樹木人の幹が他のものと比べて一回りほど小さく、樹皮も若々しく見えたからだ。他の樹木人の樹皮は濃い焦げ茶色をしていたが、この樹木人は薄く白んでいる。
 その樹木人の幹には蝉が1匹張り付いていた。泣いていると思っていた声はこの蝉の鳴き声だったようだ。

 マナは足を止め、樹木人を見上げる。すると脳内に声が響いた。

「おいアンタ。お願いだ、助けてくれ。殺されちまうよ」


 またか。

 マナはリボルバーを取り出した。蝉に狙いを定め引き金を引く。重々しい銃声が鳴り響き、蝉の甲皮へ銃弾が炸裂する。銃弾は甲皮へめり込んだが浅く、失血には至らなかったようだ。それでも衝撃により、幹へ張り付いていた力を失い、ぽろりと剥がれ落ちた。

「これでいいかしら」

 もう、樹木人に用は無かった。
 立ち去ろうとするマナだったが、樹木人は引き留めようと声を響かせる。

「待ってくれ、トドメを!」
「自分でやればいいじゃない。私の銃じゃ倒し切れないわよ」

 背を向けて歩き始めたマナの後ろで羽音が聞こえた。樹木人が声を荒げる。

「俺はまだ力が使えないんだ!」

 背後に重たい衝撃が迫る。蝉に覆い被され、マナは押し倒された。
 見た目はスカスカに見えた蝉の体だったが、意外にも重く、マナは身動きが取れなかった。

 カサカサと羽が擦れる音が耳元で聞こえる。何をする気なのかとマナは身構えるが、予想を外れ、痛みはやってこない。

 何も起きないのか。そう思ったマナだったが、ふと、違和感に気付いた。

 背中で何か動いている?
 なんと、蝉の腹に生えた触手がマナの背中に突き刺さっていたのだ。そして、先端の尖ったストロー状の口がマナの後頭部にぶずぶずと差し込まれた。

 しかし、背中を刺され、頭を貫かれたのにもかかわらず痛みは無く、出血もしなかった。それどころかまるで、幽霊に触られているかのように触手には何の感触も感じなかった。
 ただ、異物が体内に存在するという、拭うことの出来ない違和感がマナの中を圧迫していた。

「あぁダメだ、魂を吸われてしまう」

 樹木人が悲観に満ちた声で嘆く。ピンク色をした蝉の触手が脈動し、マナの中の何かを吸い取ろうとする。蝉の触手が、実体性の低いどこかあやふやな性質を持っているのは魂という、実態を伴わない存在を吸う為なのだろう。

 魂。一般に生命の源される非物質的存在として、それが実在することは知られている。曰く、生命とは肉体と魂の二つの要素が揃い始めて成立するものだという。

 魂は存在する。それは周知の事実だ。

 しかし、魂の正体を理解している者は果たしているのだろうか。
 生命、特に人間にとって魂は重要な基盤だ。ある種の魔術は魂を媒体に成立し、幾つかの武器や現象は魂を傷つける。蝉の行う捕食もその一つだ。だが、魂の正体、本質を理解してそれらを扱う者は居ない。ただ、使うだけ。
 結局の所、よく分からない物をよく分からないままに使っているにすぎないのだ。


 触手がぎゅるぎゅると音を立て膨張する。
 蝉にとって魂は栄養だった。血肉の代わりに摂取し、飢えを凌ぐそれだけのものだ。蝉は本能の赴くままにマナの魂を吸い出そうとした。

 しかし、蝉の触手が収縮と膨張のポンプ的動作をしたかと思うと、蝉はすぐに触手をマナの背中から外してしまった。

 蝉は不機嫌そうに身体を軋ませるとふわりと飛び立ちマナの元を離れた。

「何だ? 何かしたのか?」

 急にマナへの興味を失った蝉に樹木人が不思議そうに呟いた。

「私は何もしてないわ。それより来るわよ。いいの?」

 コートについた泥を払いマナは立ち上がる。背中に触れてみるも穴は空いていなさそうだ。
 その間にも樹木人の元へは蝉が迫っていた。

「何で! 何で! あぁ吸われる、助けて!」
「煩いわよ。今考えているの、頭の中を騒がせないで」
「助けてくれよ、頼む! 森の出口を教えてやるから」

 森の出口。樹木人が口に出したその言葉にマナはまぁと驚き、わざとらしく手を口に当てた。

「やっぱり、貴方も考えてる事が分かるのね。ならもう一ついいかしら?」
「集落は知らない。俺が来た時にはもう辺りには人は居なかったんだ。頼むよ、早く助けてくれ、これ以上吸われたくない。魂を失うと俺はただの木になっちまう」

 やはり樹木人は話が早い。

「分かったわ、やれるだけはやってあげるわ」


 マナは再度リボルバーを構えた。両手で狙い、引き金を引く。

 ずどんと、銃声が響き、蝉に頭部に弾丸が当たった。頭部はより硬く、弾丸は弾かれただけで終わった。二度目の銃撃だ。蝉は衝撃を予測していたのか、今度は落ち無かった。

 マナは続け様に引き金を引く。今度は蝉の甲皮を大きくへしゃげさせた。
 同時にマナの腕がだらりと下がる。射撃の反動のせいで腕力が効かなくなってきたのだ。

「おいっ」
「分かってるわよ」

 痺れる腕を持ち上げ、もう一度狙いを定める。そして引き金にかけた指に力を込める。

 その時だった。度重なる銃撃が応えたのか、それとも満腹になったのか蝉が飛び去った。

「やった! 助かった。ありがとう、アンタは最高だよ」
「どういたしまして」
「ほんと、アンタが居なけりゃ死んでたよ。あぁ、そうだ森の出口だったっけ?約束通り教えてあげるよ」

 樹木人はえらくご機嫌な様子だった。命が助かったとはいえ、感情的に感謝を述べる木は可笑しくもあり、そして少し不気味だった。前に出会った樹木人の悟りめいた態度との違いは最初に感じたこの樹木人の若さが関係しているのだろうか。


「ねぇ、その前に訊いてもいいかしら」
「あぁ、いいぞ」
「魂が何か、貴方達は知っているの?」

 マナの質問に樹木人は少しの間沈黙した。

「肉体を越える魂の進化と永遠の平穏。俺をこの体にした奴はそんな事言ってたな。意味わかんなかったけど」

 分からないのね。マナはそう言って話題を終えようとしたが、樹木人は語り口をやめなかった。

「最も、進化ってのはまぁわからんでも無い。俺みたいなちゃんちゃんにも超越的な存在に近づけたんだからな。だが、永遠の平穏。これは嘘っぱちだったな」

「長くなるならいいわよ。聞きたい事は聞けたわ」

「ははは、聞けって。俺はよ、本当に死ぬかと思ったんだぜ。これで何度目ってんだ! あのおっかねぇ蝉を俺は聞かされて無かったんだぞ。
結局のところ、俺はさ、騙されたんだよ。永遠の平穏なんてありゃしなかった。ここは戦争だよ。蝉と、俺たちの戦争だ!」

「ねぇ」

 樹木人は話を続ける。

「なぁ分かるか、一度同化した蝉を追い払う術を俺らは持たない。聞いた話だと、これも魂絡みらしいが俺はよく知らん。とにかく蝉に張り付かれたらその時点で俺らは終わりなんだ。
だからお互いを守り合い、蝉を寄せぬよう気を張りつづけてる。ずっとだ、ずっと、それこそ永遠にだ。永遠の平穏どころか永遠の闘争さ。
一瞬でも気を抜けばそのらの連中みたいに殺されちまう。最初は良かったさ、周りの奴らが守ってくれてた。でも、すぐにやられちまった。何度も言うが俺もアンタが居なけりゃ終わってた。本当に助かったよ」

 そこまで言って突然、樹木人は語りを止めた。暫くの間、沈黙が訪れる。樹木人の言葉は脳に直接響く。彼らが話しかけてこない限り、彼はただの木だ。

 死んたのか?
 突然の沈黙にマナが縁起でもない事を考えたが、杞憂だったようで樹木人は下衆じみた笑い声と共に語りを再開した。

「へへ、どうやらアンタも奴らのいう永遠の平穏に騙されたみていだな」

 樹木人はマナの中の種子に気づいたようだ。

「おおかた力も使えないない若いのをデコイに使おうって魂胆だろう。俺みたいなのをな。アンタも連中の口車に乗せられた被害者ってわけか。
どうだ、同じ被害者同士なんだ。根を張るなら隣にこないか?実はもうすぐ俺も力が使えるようになる。守ってやれるぞ」

 さっきまで泣き言を言っていた樹木人が守ってやるなど言い出した。思わずマナからため息が漏れる。

「結構よ。私は貴方みたいにはなるつもりないわよ」
「何言ってやがる。その種子を取り除くなんて出来やしない。死にでもしない限りわな」
「えぇ、そうみたいね」
「おいおい、分かってるのかよ。分かってるのなら何で…………」

 再びの沈黙。その沈黙はごく短い間であったが、次に言葉を発した樹木人は人が変わったようであった。先ほどまでの飄々とした調子は消え、震えを噛み殺し、絞り出すような声で短く言い放つ。

「北東へまっすぐ。それが最短だ」
「分かったわ。ありがとう」

 マナは変わらない調子で返し、樹木人へ背を向けた。目で見るではなく、目で見る以上に物事を知ることが出来る彼ら樹木人の能力。

 彼は気付いたのだろう。彼らが恐れるに足りる何かが、マナにはあることに。
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