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樹木人の繁殖地(完)

古き樹木人

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 草原を抜け、背の高い樹木が生い茂る森へとマナはたどり着いた。周囲には黒い霧が立ち込み、視界はより一層悪くなる。

 マナの左腕は無残にも変異していた。

 狼によって植え込まれた種が発芽しているのだ。皮膚を突き破り、若葉が顔を出している。コート越しに見れば、マナの左腕は突き出した幾つもの若葉により、歪に膨らんで見えるだろう。植物の生長の代償としてマナの腕は土色に変色し、ミイラのように痩せ細っていた。
 そして、根はマナの身体の奥深くへと伸び、マナの身体の自由を少しずつ蝕んでいる。

 変異が起きたのは腕だけではない。その両足も植物の毒牙に冒されていた。

 細かい針のような葉が、足から生えている。腕と同じように植物に寄生されているのだ。
 葉は膝の下辺りまでびっしりと生え、丁度男性の体毛のようにも見えた。太腿も植物に栄養を奪われ腕同様、絞り取られたように細くなっていた。

 足に生えた針の様な植物。思い当たる原因は一つしかなかった。

 草原一面に生い茂る芝生だ。葉の表面を覆っていた液体にはきっと種子が含まれていたのだ。
 マナは芝生の中を素足で進んでいた。そしてあの鋭い葉はマナの足に小さな傷をつけていた。傷の中に種子が入り込み、マナの栄養を吸って芽吹いたと言うわけだろう。

 とんだトラップ地帯だ。マナは内心毒づく。
 腕だけならまだしも足をやられたのは致命的だった。そう遠くない内にマナの足は動かなくなってしまうだろう。そうなれば最後、マナの中に巣くう植物によって人型盆栽の出来かがりだ。

 そうなる前に、ここを抜け出さなければならない。

 しかし、集落を見つけるどころか動物すら見なくなっていた。森には黒い霧がうっすらと立ちこめている。空を覆っているものと同質のものだ。黒霧の中では人は住めない。
 集落を探すなら、少なくともこの黒い霧に覆われた森を抜けなければならない。

 マナの足が自然と速まる。焦りがそうさせるのだ。
 急がなければならない。そう思い早歩きで歩くマナだが、その足が突然止まる。それは、樹木の一つを横切ろうとした時だった。
 その樹木は突然、マナへと話しかけた。


「娘よ、何をしている」

 足を止めるなというのは無理な話だろう。木に話しかけられたのだ。
 マナは自分へと話しかけたその樹木へと向き直った。

 見ると実に奇妙な形の樹木であった。幹は下の方が膨らみ、上に向かうにつれ、細くなっている。まるで壺が地面に生えているようにも見えた。
 枝は木の頂点付近にしか無く、珊瑚のように無数に枝分かれした枝が絡まりながら伸びている。枝の先には短い葉が顎髭のように生えている。

 背の高い奇妙なその樹木は年老いた賢者を思わせる声でマナへ囁く。声は直接脳内に響いて感じられた。

「貴方は?」
「私はかつて樹木人と呼ばれた者の末裔だ。我々は自ら木と同化する事で長い寿命を得た、人間だ」

 樹木人は人間と強調して言った。見たところ、口や目と言った顔に該当するようなパーツは見当たらない。
どう見ても、ただの木にしか見えなかった。
 森に目をやると同じような形の樹木が並んでいた。他の木も人間だと言うのだろうか。

「ここは我らの安住の地だ。当然、荒らされては困る。娘よ、何しにここへ来た?」
「ここには用は無いわ、ただ通りたいだけよ」
「ならば、良いのだ。我が同胞も敵意無き者に無礼はしないであろう」

 我々は争わない。樹木人はそう言い切った。前にもそう言ったフレーズを聴いた覚えのあるマナだが、木が言うなら説得力があると思った。

「ところでお主の姿、寄生草に犯されたと見える。この森は長い、その身体では出る前に力尽きてしまうぞ」

 寄生草。樹木人はマナの身体を蝕む植物をそう読んでいるようだ。安直だが確かに分かりやすい。

「寄生草は通称だ。学名で話すことも可能だが、お主には馴染みが無いだろう」
「そうね。そのままでいいわ」

 目にあたる器官を持たない樹木人であったが、彼らは目で見える以上の事をマナから見抜いているんじゃないかと思えた。

「我ならば、寄生草の脅威を取り除く事ができる」
「何をするの?」
「我の種を埋め込むのだ。我らの種は寄生草のそれよりも強力だ。植えれば確実に寄生草を駆除できるだろう。本来は樹木人の繁殖に使われる行為だが、お主なら上手く利用できる筈だ」

 マナは樹木人をまじまじと見る。やはり見透かされているようだ。いい気はしないが話が早いのは助かる。

「草の駆除を確認した後に、貴方の種を身体から切り離せばいいのね」
「そうだ、そうすればお主の身体は寄生草から解放されるだろう」
「しかしだ、一つ条件がある」

 そういい放つ樹木人の声は弱く感じた。

「我が身体をよく見るのだ」

 言われた通りに樹木を注視する。マナは樹木人の言わんとする事をすぐに理解できた。茶色い保護色を持った巨大な虫が樹木の高い位置に張り付いていたのだ。
 虫は細長い針のような口を樹皮に差し込み、樹液をすすり取っていた。虫は人間と同じぐらいの大きさで大きな目が頭部の真横についている。規則的にぐりんぐりんと動く目はその昆虫をロボットのように無機質に感じさせた。また、尾についた生殖器らしき突起からは絶えず尿を排出しており、汚らしい。

「これは蝉と呼ばれる虫だ」
「私の知ってる蝉とは違うわね」
「当然だ、この森の蝉は独自の進化を遂げた。我ら樹木人唯一の脅威といっても差し支えない。本来は結界により弾いているのだがこの個体は我の隙をついた。結界をくぐり抜け我を餌食にしている。どうか、この蝉を引き剥がして貰いたい」
「分かったわ、お安いご用よ」

 マナは即答すると腰のベルトからリボルバーを引き抜いた。樹木人を傷つけぬように狙いを定め、引き金を引く。撃鉄は下ろされ、大口径の弾丸が蝉の背を叩く。
 放たれた弾丸は蝉の外殻へとめり込んだ。鉄板を貫く貫通力を持つ弾丸を受けたにもかかわらず蝉の外殻が破れる事は無かった。

「あら、硬いわね」

 弾丸は大きなダメージを与えたようには見えなかったが、それでも蝉は樹木人へ張り付いていた力を失い地面へと落下する。
 樹木人から剥がれた蝉は途端にその色を変え、光沢のある極彩色へと変貌した。ひっくり返り露わになった蝉の腹にはピンク色の細い触手がびっしりと生えていた。触手の先端には針がついていてこれも口と同じく樹液を吸い取る器官なのだろう。
 
 ひっくり返った蝉の六本足がせわしなく動き空を掠めた。壊れた機械のように蠢く足の動きは生理的悪寒を思わせる。羽をバタバタと動かしなんとか起き上がると大きな球のような目がマナの姿を写した。
 蝉は注射器のような口の針をマナへ突き立てる。

 蝉はマナを外敵と認識したようで、ぎっぎっと無機質な音を立て威嚇したのだ。

 羽を展開し、蝉はマナ目がけ突っ込んで来る。
 
 寄生草に体力を奪われ続けているマナにそれを回避する力は残っていなかった。マナが回避をせずとも蝉の攻撃がマナを傷つける事は無かった。

 蝉の針がマナへ当たる直前、見えない力に押しつぶされ、蝉の身体がへちゃげた。蝉は一瞬の内に押しつぶれたトマトのような無残な死骸となった。

 マナは何もしていない。樹木人だ。彼は手も触れず(そんなもの彼らには無いが)一瞬で蝉を殺した。イメージとしては念動力のようなものだろうか。いずれにせよ、彼らが強い力を持っていることは明らかだった。

「ご苦労であった、礼を言うぞ娘よ」
「今のは貴方の力ね、その力で蝉を払えなかったの?」
「蝉は食事の際に同化を行う。同化されては我は手出しできんのだ」
「よく分らないわ」
「良い、お主には関係の無いことだ。さぁ次はお主の番だ。我の種を受け取るのだ」

 マナの足下に雫状のガラス玉のようなものが落ちてくる。これが樹木人の種なのだろう。マナはそれを拾い上げると口へと含んだ。

 ごくん。

「それで良い。半日と経たずにお主を蝕む寄生草は枯れ果てるだろう」
「助かったわ、ありがとう」
「それはお互い様だ、我もお主がいなければ死んでいた。礼が不十分とさえ感じるぐらいだ」

「ならこれを読んでもらえるかしら」

 マナはそう言って持っていた本、第Ⅳ聖典を見せた。

「申し訳ないがそれは出来ない」

 樹木人は本当に申し訳なさそうに答えた。

「我々は目で物を見ない。故に目で見る以上の事を知ることが出来る。しかし、文字は目でしか見る事はできないのだ。我々に本は読めない」

 マナの見透かされていると感じたものは正しかったようだ。彼にはマナが考えていることが分かるのだ。あるいは、その本質まで。

「そう、ありがとう。私は行くわ」
「達者でな」

 マナは別れ際に礼を告げ、足を進めた。

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