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エル・ヌーバ号(完)
幼子の自由帳
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マナが去った教会部屋でアトラスは一人で調査を進めていた。比較的血で汚れていない椅子見つけ出すと、それに腰掛けた。
着けていたガスマスクを外す。腐りかけた死体の嫌な臭いが鼻につく。それも仕方が無い。着けたままでは本は読めない。
アトラスは第Ⅳ聖典を開いた。
マナと別行動を取る一番の理由がこれだった。儀式の行われた跡に取り残された第Ⅳ聖典。この部屋で起きた事、この船の中で起きた事。それを知るためには、この第Ⅳ聖典を読む必要があるはずだ。
マナは本を読まない。これはアトラスでしか果たせない。
表紙の落書はよく見ると魔法陣に使われているものと同じ文字が書かれている。
この落書きは、魔法陣の作製者によるものなのかもしれない。ならば、何か重要な事がこの本に残されているのかもしれない。
そう思いページをめくったアトラスだが、その考えはすぐに裏切られた。
第Ⅳ聖典の中には幼稚なイラストの落書きが見え隠れしていた。
くるくるとした丸々、グネグネの緑。あちらこちらに出鱈目に引かれた線。それが何を描いているか、アトラスには分からない。きっと書いた本人にしか分からないのだろう。自分だけの世界観が楽しげに披露されている。
ちょっとした余白にひっそりと、または書かれた文字を気にせず堂々と、気の向くまま自由奔放。
「ははっ。これならマナについていった方がよかったかな」
なんて事は無い、これは自由帳だ。
落書きはクレヨンで書かれていた。これは子供が描いたものだ。幼い子供の落書き。
肩の荷が落ち、パラパラと読み流すようにページをめくる。全ページに書き込まれた落書きにより第Ⅳ聖典は既に読めた物ではなくなっている。
マナが手に入れた第Ⅳ聖典が此方であった場合、アトラスは解読に苦労する羽目になっていただろう。
そんな事を考えながら半端興味をなくして流し読みするアトラスであったが、ページをめくる手がぴたりと止まった。
合成獣が現れた。
グロテスクなその怪物は油断したアトラスの目前へと突如現れたのだ。
それと目が合う。
カラフルな多くの色彩で表現された暗い闇。
虚を突かれ、動揺したアトラスは思わず肩をびくりと振るわせた。
いや。アトラスはざわつく心を落ち着かせようと息を吐く。
何も、そんなに驚く事は無い。
それはびっしりと文字の書かれたページに書き込まれていた。つまりは絵だ。
ロバの頭、丸々としたガチョウの身体、手足はウサギ。それぞれのパーツには現実の生き物の面影を感じられる。そのバランスは不自然で、継ぎ接ぎされた着ぐるみのようにも見えた。
いや、着ぐるみと言うのは表現が可愛らしすぎる。ロバ頭のだらしなく開いた口からは長く伸びた舌垂れ下がり、そこからしたり落ちた唾液が糸を引いている。頭の下には重いそれを支えるには細長すぎる首が続く。全身を覆う毛はよく見れば剣山のごとく鋭く、間違っても撫でてはならないだろう。手足は短く、走るのには不向きだ。地面を跳ねて動くのだろうと想像できる。
だが、この頭身バランスでは上手く動けるか疑問符が浮かぶ。アンバランスな生き物。
驚くべき事に毛の一本に至るまで繊細に描かれたこの落書きは他と同じようにクレヨンで書かれていた。
これは、本当に幼子によるものなのか?
アトラスは途端に何かに見られている感覚を覚えた。本から目を離しキョロキョロと辺りを見回した。大丈夫、何も居ない。
「あーびっくりした。気持ち悪いなぁもう」
思わず独り言。
「そろそろ読むの辞めようと思ってたのに、もっと読まなきゃいけないじゃん」
再び視線を本に戻す。端にはこの絵のタイトルと思わしき覚書があった。大きく書かれた丸っこい字。間違いなく子供の書く字だ。
『New dad』
アトラスはページを一つ、めくった。次のページには幼稚な落書きが続いていた。伸びた線。ぐるぐる巻き。
あの絵は何だったんだろうか。
また、ペラペラとめくる。しかし、一ページずつ確実に、見落としが無いように。
次の絵は、直ぐに見つかった。
半分近くが余白となっているページだ。その余白に、横を向いた女のシルエットが描かれている。
魔女。そう呼ぶに相応しい姿をした女性だ。黒衣を纏い大きなつばつきのとんがり帽子を被っている。その腹は尋常では無いほど大きく膨れていた。見た限り、女の背丈の半分ほどの大きさだ。
そのあまりの重さに女は膝をつき、両手を名一杯つかって大切そうに抱えている。
『my mom, My brother』
これまでの落書きを見ていたアトラスはここで、ある事に気がついた。
適当なページを開き、落書きの一つを見る。じっと観察するとぐるぐると渦巻く線、その中に蛇頭の面影を見い出せた。小さな半円が床に散らばったコインのようにばらまかれている。これは鱗だ。まだ数が足らず、躯も描かれていないだけだ。いずれ鱗は集まり、蛇の躯となる。
そう、これは書きかけなのだ。
輪郭の無い絵。あちこちに線の一本ずつバラバラに書かれ、集まった線が一つの絵となる。子供特有の飽きっぽさか故か、それを途中辞めにしているのだ。
少しだけ開いた赤色の扉。その前並ぶ大勢の人らしき者共。地面に書かれた魔法陣に似た模様。それを運んでくる哺乳類。並んだ家族らしき絵、その半分は切り取られている。
タイトルは付いていたり、なかったり、途中まで、半分近くまで完成させて辞めていたり、とにかく自由に、気ままに落書きは続いていた。
その本質は底知れぬ不気味であり、描かれるのはどれもおぞましいものであった。
だが、読み進め関連性を見いだそうにも、アトラスには描かれた落書きの意味を読み解くことは出来なかった。ただ、完成された絵の不気味さに、分らないという未知への恐怖に、屈してしまわぬよう淡々とページをめくる。
落書きは、本の半分と少しまで描かれていた。そこより先は白紙。つまりは落書きの無い文字だけのページだ。
何か書かれていないか、最後のページまで確認してから本を閉じる。
本の背表紙、そこには名前が書かれていた。緑のクレヨンで大きく元気よく書かれたその名は、この本の所有者にして落書きという一風変わった形式の作品を造り上げた創作者。
アトラスはその名を読み上げずにはいられなかった。衝動的に呟く。
「ダフネ」
その時だった。まるで名前を呼ばれる事を待ち構えていたかのように、呼応するかのようにそれは始まった。
えーーーん。えーーーん。
それは泣き声だった。幼い少女を連想させる、耳障りな甲高い声。
幻聴ではない。はっきりと聞こえた。
驚いたアトラスが立ち上がる。勢い余って弾かれた椅子が音を立てて倒れた。
そして、肩に下げたライフルを手に取ると声の方へ向ける。
えーーーん。えーーーん。
その声は、部屋の奥。備え付けの衣装箪笥から聞こえていた。
あんな物あっただろうか。アトラスの額に汗が滲む。冷たい汗だ。
この部屋に足を踏み入れてから今まで、異様なここの有様に気を取れ、アトラスは今までそれを認識していなかった。破壊の跡が目立つこの部屋の中で、人が隠れられるような場所はそこしか無い。
いや、人でなくてもいい。何かが潜み、待ち構えるにはそこしか無い。
始めに、マナが居る内に、一人になる前に確認を行っておくべきだった。けして、無防備に挑んではならない。さもなければ不条理が牙を剥き人命などいとも容易く噛み砕かれる。好奇心を満たそうとするのならば、それ相応の準備が必要なのだ。
「あぁもう。やっちゃたなぁ、気抜きすぎだよ私」
弱音を吐き捨てる。引きつった苦笑いを浮かべ、銃を握りしめる。
「やるしかないか」
えーーーん。えーーーん。
箪笥は木造のアンティーク。相当な年代物だろうに、丁重に手入れされているようで、台輪から取っ手に至るまで美しい艶を見て取れる。その一切には血の一滴たりとも付いておらず、凄惨としか言いようのない、どこを見ても血と傷にまみれたこの部屋ではかえって異質であった。
えーーーん。えーーーん。
絶えず聞こえる泣き声。誘われるがままに、それへと近づく。
そして、アトラスはゆっくりとその扉に手をかけた。
箪笥の扉は重く、まるで鉛の様。
着けていたガスマスクを外す。腐りかけた死体の嫌な臭いが鼻につく。それも仕方が無い。着けたままでは本は読めない。
アトラスは第Ⅳ聖典を開いた。
マナと別行動を取る一番の理由がこれだった。儀式の行われた跡に取り残された第Ⅳ聖典。この部屋で起きた事、この船の中で起きた事。それを知るためには、この第Ⅳ聖典を読む必要があるはずだ。
マナは本を読まない。これはアトラスでしか果たせない。
表紙の落書はよく見ると魔法陣に使われているものと同じ文字が書かれている。
この落書きは、魔法陣の作製者によるものなのかもしれない。ならば、何か重要な事がこの本に残されているのかもしれない。
そう思いページをめくったアトラスだが、その考えはすぐに裏切られた。
第Ⅳ聖典の中には幼稚なイラストの落書きが見え隠れしていた。
くるくるとした丸々、グネグネの緑。あちらこちらに出鱈目に引かれた線。それが何を描いているか、アトラスには分からない。きっと書いた本人にしか分からないのだろう。自分だけの世界観が楽しげに披露されている。
ちょっとした余白にひっそりと、または書かれた文字を気にせず堂々と、気の向くまま自由奔放。
「ははっ。これならマナについていった方がよかったかな」
なんて事は無い、これは自由帳だ。
落書きはクレヨンで書かれていた。これは子供が描いたものだ。幼い子供の落書き。
肩の荷が落ち、パラパラと読み流すようにページをめくる。全ページに書き込まれた落書きにより第Ⅳ聖典は既に読めた物ではなくなっている。
マナが手に入れた第Ⅳ聖典が此方であった場合、アトラスは解読に苦労する羽目になっていただろう。
そんな事を考えながら半端興味をなくして流し読みするアトラスであったが、ページをめくる手がぴたりと止まった。
合成獣が現れた。
グロテスクなその怪物は油断したアトラスの目前へと突如現れたのだ。
それと目が合う。
カラフルな多くの色彩で表現された暗い闇。
虚を突かれ、動揺したアトラスは思わず肩をびくりと振るわせた。
いや。アトラスはざわつく心を落ち着かせようと息を吐く。
何も、そんなに驚く事は無い。
それはびっしりと文字の書かれたページに書き込まれていた。つまりは絵だ。
ロバの頭、丸々としたガチョウの身体、手足はウサギ。それぞれのパーツには現実の生き物の面影を感じられる。そのバランスは不自然で、継ぎ接ぎされた着ぐるみのようにも見えた。
いや、着ぐるみと言うのは表現が可愛らしすぎる。ロバ頭のだらしなく開いた口からは長く伸びた舌垂れ下がり、そこからしたり落ちた唾液が糸を引いている。頭の下には重いそれを支えるには細長すぎる首が続く。全身を覆う毛はよく見れば剣山のごとく鋭く、間違っても撫でてはならないだろう。手足は短く、走るのには不向きだ。地面を跳ねて動くのだろうと想像できる。
だが、この頭身バランスでは上手く動けるか疑問符が浮かぶ。アンバランスな生き物。
驚くべき事に毛の一本に至るまで繊細に描かれたこの落書きは他と同じようにクレヨンで書かれていた。
これは、本当に幼子によるものなのか?
アトラスは途端に何かに見られている感覚を覚えた。本から目を離しキョロキョロと辺りを見回した。大丈夫、何も居ない。
「あーびっくりした。気持ち悪いなぁもう」
思わず独り言。
「そろそろ読むの辞めようと思ってたのに、もっと読まなきゃいけないじゃん」
再び視線を本に戻す。端にはこの絵のタイトルと思わしき覚書があった。大きく書かれた丸っこい字。間違いなく子供の書く字だ。
『New dad』
アトラスはページを一つ、めくった。次のページには幼稚な落書きが続いていた。伸びた線。ぐるぐる巻き。
あの絵は何だったんだろうか。
また、ペラペラとめくる。しかし、一ページずつ確実に、見落としが無いように。
次の絵は、直ぐに見つかった。
半分近くが余白となっているページだ。その余白に、横を向いた女のシルエットが描かれている。
魔女。そう呼ぶに相応しい姿をした女性だ。黒衣を纏い大きなつばつきのとんがり帽子を被っている。その腹は尋常では無いほど大きく膨れていた。見た限り、女の背丈の半分ほどの大きさだ。
そのあまりの重さに女は膝をつき、両手を名一杯つかって大切そうに抱えている。
『my mom, My brother』
これまでの落書きを見ていたアトラスはここで、ある事に気がついた。
適当なページを開き、落書きの一つを見る。じっと観察するとぐるぐると渦巻く線、その中に蛇頭の面影を見い出せた。小さな半円が床に散らばったコインのようにばらまかれている。これは鱗だ。まだ数が足らず、躯も描かれていないだけだ。いずれ鱗は集まり、蛇の躯となる。
そう、これは書きかけなのだ。
輪郭の無い絵。あちこちに線の一本ずつバラバラに書かれ、集まった線が一つの絵となる。子供特有の飽きっぽさか故か、それを途中辞めにしているのだ。
少しだけ開いた赤色の扉。その前並ぶ大勢の人らしき者共。地面に書かれた魔法陣に似た模様。それを運んでくる哺乳類。並んだ家族らしき絵、その半分は切り取られている。
タイトルは付いていたり、なかったり、途中まで、半分近くまで完成させて辞めていたり、とにかく自由に、気ままに落書きは続いていた。
その本質は底知れぬ不気味であり、描かれるのはどれもおぞましいものであった。
だが、読み進め関連性を見いだそうにも、アトラスには描かれた落書きの意味を読み解くことは出来なかった。ただ、完成された絵の不気味さに、分らないという未知への恐怖に、屈してしまわぬよう淡々とページをめくる。
落書きは、本の半分と少しまで描かれていた。そこより先は白紙。つまりは落書きの無い文字だけのページだ。
何か書かれていないか、最後のページまで確認してから本を閉じる。
本の背表紙、そこには名前が書かれていた。緑のクレヨンで大きく元気よく書かれたその名は、この本の所有者にして落書きという一風変わった形式の作品を造り上げた創作者。
アトラスはその名を読み上げずにはいられなかった。衝動的に呟く。
「ダフネ」
その時だった。まるで名前を呼ばれる事を待ち構えていたかのように、呼応するかのようにそれは始まった。
えーーーん。えーーーん。
それは泣き声だった。幼い少女を連想させる、耳障りな甲高い声。
幻聴ではない。はっきりと聞こえた。
驚いたアトラスが立ち上がる。勢い余って弾かれた椅子が音を立てて倒れた。
そして、肩に下げたライフルを手に取ると声の方へ向ける。
えーーーん。えーーーん。
その声は、部屋の奥。備え付けの衣装箪笥から聞こえていた。
あんな物あっただろうか。アトラスの額に汗が滲む。冷たい汗だ。
この部屋に足を踏み入れてから今まで、異様なここの有様に気を取れ、アトラスは今までそれを認識していなかった。破壊の跡が目立つこの部屋の中で、人が隠れられるような場所はそこしか無い。
いや、人でなくてもいい。何かが潜み、待ち構えるにはそこしか無い。
始めに、マナが居る内に、一人になる前に確認を行っておくべきだった。けして、無防備に挑んではならない。さもなければ不条理が牙を剥き人命などいとも容易く噛み砕かれる。好奇心を満たそうとするのならば、それ相応の準備が必要なのだ。
「あぁもう。やっちゃたなぁ、気抜きすぎだよ私」
弱音を吐き捨てる。引きつった苦笑いを浮かべ、銃を握りしめる。
「やるしかないか」
えーーーん。えーーーん。
箪笥は木造のアンティーク。相当な年代物だろうに、丁重に手入れされているようで、台輪から取っ手に至るまで美しい艶を見て取れる。その一切には血の一滴たりとも付いておらず、凄惨としか言いようのない、どこを見ても血と傷にまみれたこの部屋ではかえって異質であった。
えーーーん。えーーーん。
絶えず聞こえる泣き声。誘われるがままに、それへと近づく。
そして、アトラスはゆっくりとその扉に手をかけた。
箪笥の扉は重く、まるで鉛の様。
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