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残骸の皿孔(完)

未確認墜落物体

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 砂漠の真ん中に空いた大きなクレーター。その縁にマナは足を踏み入れた。

 その身にはいつもの黒コートでは無く、ボロボロの布を身体に巻き付けている。愛用のリボルバーも今は手元には無い。その手には抜き身のカットラスが握られている。

 ここに戻るまでに何日も要したが、マナはアトラスはまだ生きていると確信していた。人の生死。その分別はマナの能力と深く関係しているからだ。あの後、直ぐに死んでいれば、マナはその死体から復活する事になっていただろう。

 ずさぁと砂が動く音が聞こえた。砂の中で何かが動く振動が足裏を伝う。

「来たわね。仕返しさせて貰うわよ」

 大きな音を立ててワームが砂から飛び出す。盛り上がった頭部には瘡蓋のような赤黒い傷跡が見て取れる。
 同時に地面から細長い腕が何本も伸びる。

 腕は一斉にマナに掴みかかる。マナは身を翻し、迫りくる手を避ける。
 地面から伸びる腕は何度させてもしつこくマナを追い回す。マナは避けながらカットラスで自らの左手の指を切り捨てた。

 キィィン!

 切り離した指が爆発する。小さな爆発が炸裂し、地面から伸びる腕を吹き飛ばした。

 ふと、背後に重苦しい気配を感じ取った。振り向くとワームが大口を開けてマナに迫ていた。腕に気を取られていたマナの背後を狙っていたのだ。

 ワームが砂をかき分けながら一直線にマナ目掛け進む。その周囲にはカッターのような刃が出鱈目に振り回されている。
 飲み込みを避けようとすれば刻まれてしまうだろう。逃げ場は無い。
 マナはカットラスを振るい首を切り落とした。

 キィィィィィィン!

 マナの身体が爆破し、衝撃波がワームを飲み込む。ワームの頭部が裂かれその肉片が弾け飛んだ。
 ワームの頭部は完全に潰れ、胴体から引き千切れた。

 残ったワームの身体がのたうち回りながら砂へと戻っていく。同時に腕も砂に潜り、何処かへ行ってしまった。

「学習しないわね」

 千切れ落ちた肉片の一つからマナが這い出た。周囲には大きな肉片がいくつか転がっている。マナの全身を使った爆破により、地上に出ていた大部分を潰せたがワームを倒しきるには至らなかった。

「止めを刺せなかったわ。本体は何処にあるのかしら。それにしても……」

 肉片の中から抜け出すとマナは自分の身体を見回した。

「これでまた、暫く裸ね」

 小さくため息をついてマナは歩き始めた。カットラスも既に無く、手ぶらだ。その足はクレーターの中心部に向かっている。

 あの時、アトラスを連れ去ったガラス頭はそこに入って行った。一見何も無いように見えるその空間だが、あの時マナは確かにここに建物があるのを垣間見たのだ。

 迷いなくマナは一直線に進む。

 そこを通過した時、見えざる境界を超えたその時、バチバチと空間に電気が走った。視界が切り替わり、見えなかったものが姿を表す。
 
 それは、クレーターの中央に落ちてきたかのように鎮座していた。平べったいバスケット帽子のような円盤型の形状をしている。外壁は熱により変色し、大きなひび割れが目立つ。

 マナが近づくと円盤の壁、その一部に穴が開きマナを迎え入れた。

「これは骨が折れるわね」

 曲線が直線のような、鈍角が鋭角のような。壁も床も触れられない。

 施設内の構造は複雑多岐を極めていた。床や壁が直線を描くことはなくインボリュート状にうねり幾つもの枝分かれと合流を描く。まるで騙し絵の世界だ。そしてその全てが白であった。

 手がかりは無く、マナはただ前に進むしかなかった。それはこれまでとなんら変わらない。アトラスと出会う前のマナの旅と同じであった。

 退屈な歩行は時間が引き延ばされたように感じる。マナは道の出口、すなわちより内部への入口の存在を確信していたがそれに繋がる手がかりは容易は見つからなかった。
 その為、時計を持たぬマナがそのフロアを発見するまでに要した時間は非常に長く感じただろう。

 ようやく見つけその境界。薄いガラスの壁を破壊し、マナはそのフロアへと入った。フロアには幾つもの計器が並び、それらは全てフロア中央のテーブルに繋がれている。テーブルには人間の男性が横たわっていた。

「頼む、助けてくれ」

 男性は衣服を着ておらず、腹部を貫通する釘型の機械がテーブルと男性を繋いでいた。
 男性の身体は大きく欠損している。手足は原型を殆ど留めておらず、胴体には穴が幾つもの空いている。銀色に光る金属が失った肉の代わりに埋め込まれていて男性の体はそれ自体が棺桶のようにも見えた。
 そして、その頭は切り開かれており、取り外された脳が隣の水槽でプカプカと浮かんでいる。
 声は水槽備え付けられたスピーカーから発せられていた。

「聞こえてるはずだろう。頼むよ、助けてくれ」
 
 水槽に浮かぶ脳がマナに助けを乞う。男性に施されていたのは無脳処置だ。脳を取り除いた状態で肉体を生かし続ける技術。
 人間の脳ではカバーしきれない致命的な損傷を負った肉体を無理矢理維持するため、脳を外し代わりにより高度な伝達制御を可能とする機械へと置換したのだ。おそらくは腹部に突き刺さった機械がこの肉体の支配者なのだろう。

「赤毛の女を見なかったかしら?」
「知らない、俺は何も知らない、助けてくれ。それが無理なら殺してくれ」
「殺す? どっちを?」

 マナは横たわった男の肉体と水槽に浮かぶ脳を交互に見た。男の声が不機嫌そうにノイズを鳴らす。

「どっちもだ。もううんざりなんだよ」

 マナはズカズカと近づき水槽が浮かぶ脳へ目線を合わせる。

「貴方は何も知らないと言うけれど、自分の身に何が起きたのかぐらいは認識しているわよね」
「…………」

 マナが責め立てると男は黙り込んでしまった。

「本当に何も分からないんだ。嘘では無い。俺の体……。いま喋っているやつの下側を見てくれ」

 マナは言われた通り水槽の乗った装置を観察する。そこにはカセットテープのような機械があり、ぐるぐるとテープを巻いていた。

「俺の記憶はそこのフィルムが全てだ。巻き終われば奴に回収されちまう。そのせいで俺がなんでこんな目にあってるのかわからねぇ。それどころか、俺は自分の名前され分からなくなっちまったんだ」
「名前も?」
「あぁ、テープを抜かれるたびに俺の記憶が消えていく……もう嫌なんだよ。だから早く俺を殺してくれよ」
「奴というのが気になるわね。まぁいいわ、どちらにせよここで待っていれば向こうから来てくれるのでしょう?」
「あぁ!」



 酷くベタつく音がするのでそれが現れた事に直ぐ気付く事が出来た。
 ずるずる、ずるすると音を立ててそれがマナのいるフロアに近づいて来ていた。

 男がひどく怯えた声色を出力する。割れたガラスを乗り越えてそれが姿を現した。

「警戒は必要ありません。私は貴方を歓迎します」

 大きな巻貝を背負ったカタツムリのような姿をしている。ぐにょんと長く伸びた触覚の先には人間の眼に似た球体がくっついて、きょろきょろと動いている。巻貝から生えている胴体からは海上哺乳類のそれに似たヒレのようなものが左右にあり、その先端は五本の指に枝分かれしていた。

「それは非常に大切な物なので壊さないでください」

 カタツムリに似た生物はやけにはっきりとした声で喋る。

「あなたの機能は確認済みです。事を荒立てたくはありません」
「貴方、あの時のガラス頭ね。私は貴方に殺されていいるわ。その言い分は勝手だと思わない?」
「今のわたしには余裕があります。あなたと交渉が可能です」
「余裕……そう、まぁいいわ」

 マナは諦めたようにため息を吐いた。

「貴方が連れ去った赤毛の女はどこ? まだ生きているはずよね」
「赤毛、女。はい、了承します。ついてきてください」

 カタツムリはマナに背を向けフロアを後にする。マナは大人しくその後をついていく。
 男の声が悲痛な叫び声を上げる。

「おい、待ってくれ。俺を、俺を殺してくれ」

 マナは一度だけ振り返り男の方へ優しげな笑みを返すとカタツムリの後を追い歩き始めた。



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