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残骸の皿孔(完)

世界地図

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 カタツムリのようなその生物は自らの事を探索者シーカーと呼んでいた。固有名詞では無く種族名のようなものらしいが、マナはこの生物をその名で呼ぶ事にした。


「まずは私が敵意を持っていないことを証明して見せましょう」

 そう言ってマナが連れられたのは箱で構成された部屋であった。その部屋には幾つもの箱が積み重なって壁や床を形成していた。

「ここには外界で手に入れたサンプルを保管しています。これらは全て我々が命を賭して手に入れた貴重なサンプルなのです」

 探索者シーカーが手にしたコンソールを操作すると壁や床の箱がパズルのように動き、その中の一つがマナの目の前へ飛び出してきた。

「その一つを進呈しましょう」

 マナが箱に触れるとシャボン玉のように消え、中に入っていた物が出てくる。黒いコートと一丁のリボルバー。リボンバーのグリップにはマナの名が確認できる。
 間違いなくマナの所有していた物であった。

「無いと思ったら、貴方が持っていたのね」

 素直にそれを受け取る。コートを羽織り、リボルバーをベルトに差し込んだ。

「私への警戒値が下がりましたね。次へ行きましょうか」

 重い殻を引きずり探索者シーカーが移動を始めた。どことなく重機の類を思わせる機敏な動きで無秩序な回廊を先導する。
 道を覚えようと画策していたマナだが、探索者シーカーが見えない道を進み始めた頃にはそれを諦めざるを得なかった。移動の最中、マナは探索者シーカーへ幾つかの質問をした。
 質問は興味本位から来る他愛のない物を選んだ。
 まずは自己紹介をしてもらおう。

「貴方、何者? 人語は喋れるようだけど、人では無いわよね?」
「我々は我々は探索者シーカー。探し求める者です」

 聞きたい事と回答に少しズレを感じたが、マナはさほど気にせず質問を続けた。

「何を探しているの?」
「我々は安息の地を探していました。半分は既に見つけてあり、もう半分も既に手の届く範囲にあります」
「安息の地ね、半分は既にというのは、ここがそうなのかしら?」
「はい、この星の大気レベル、主要生態はかつて無いほど高レベルです。馴染むとでも言えば良いのでしょうか。奇妙なことに少ないサンプルでも言語体系を履修する事が出来ました。こうして会話を成立しているのも、そのおかげです」

 マナは質問を重ね、少しずつ情報を引き出していく。探索者シーカーは一つ聞けばその回答にニ、三ほど会話のフックを提供してくれる為、質問には困られなかった。

 質問を繰り返す事でマナはようやく探索者シーカーの正体に近づく事が出来た。
 曰く、この形容し難いカタツムリ型の生き物はこの星の外から来たそうだ。つまるところ外来種エーリアンだ。
 もっとも探索者シーカーの語る星の外という概念はマナにとって馴染みの無いものであった。それもそのはずだ。今や空を見上げようとも星の輝きを拝むことは出来ない。


 天蓋を黒霧に覆われて以降、人と星との間にあった筈の繋がりは薄く頼りないものになってしまった。
 天文学などはもう千年も前に廃れ、今では御伽話と同列に扱われているものの、この大地が宇宙と呼ばれる暗がりに浮かぶ一つの球体だと言うことをマナは知識として持ち合わせていた。
 かつては空を見上げればそこにあったという星々は黒霧に遮られ、今では見る事すら叶わない。

 現在、人々と星の間を繋いだのは夜空に浮かぶ輝きでは無く、もっと悍ましく強烈なものであった。

 ”ある種の悪魔は空より落ち出ずる。彼らは宇宙より現れるのだ。それは誘われし者共”

 第Ⅳ聖典の一節にはそうある。では空を越え、黒霧を越えてこの星へ現れたというこの奇怪な生物は何者なのだろうか。人に非ず生物が人語を語ることは珍しいものの、例がない訳では無い。悪魔の落とし子である異形には人語を扱うものが多いと聞く。
 だが、星の外から来た外来種エーリアンなど見たこともなければ聞いたことも無かった。
 流石に興味を惹かれたマナがその正体を追求する。

 質問に対する探索者シーカーの返答はマナの期待する物では無かった。

「ねぇ貴方は何者なの?」
「我々は探索者シーカー。探し求める者です」
「いや、そういう事を聞きたい訳では無いわ。貴方はそもそも何なのかが知りたいのよ」
「ですから先程から述べている通り、我々は探索者シーカー。探し求める者なのです」

 似たような問答は、質問の形を変え、何度も繰り返された。長い質疑応答の間に分かった事は探索者シーカーが一つの物事に対する答えを一種類しか用意していないという事だ。同じ話題を繰り返す事に何の抵抗も持たないようだ。

 マナは単純な質問では知りたい事を知る事が出来ないと分かるや早々に質問を変えた。同じ言葉を繰り返されるのは気味が悪かったからだ。

「貴方はここで何をしているの?」

 この問いに対する探索者シーカーの答えは意外な形であった。それまでマナの質問に対しての回答は義務的にあるいは機械的なものであったが、この問いに対して探索者シーカーは饒舌に語り始めたのだ。

 それは探索者シーカーが記録しているこの星での出来事、その全てであった。

 探索者シーカーはこの地での出来事、墜落という事故から始まる物語をマナに話した。この星に降り立った彼らの受難の連続を。

「我々がこの地にたどり着き、最初に得たのは相反する二つの感情でした。希望と、そして絶望です。それに比べれば墜落による機体の損傷など取るに足らない事でした」

 そう言って、両手の指で「二」の文字を表現して見せる。そしてその一つを折り曲げる。

「希望というのはこの星の環境の事です。大気レベルは驚くほど我々の身体と馴染んでいました。防護服を用いずとも活動が可能な程です」

「そこで我々の内、一人が機外への調査に乗り出しました。計器は完璧に作動し安全を示していました。その為、彼は機能性を重視した薄型の防護服を着け外へ出ました」

「ですが想定外の事が起こりました。外へ出た仲間は数分も経たぬ内に苦しみ始めました。我々は機内に戻るよう、促しましたが、仲間はの機能を既に失っており、機内にたどり着く前に彼は死に至りました。
 その後の解析により原因は判明しました。空を覆う黒い霧です。我々にとって致命的な毒素を大気中に散布している事が分かったのです。機体の計器ですら感知できない異質の毒素をです」

「黒霧ね」

 口を挟んだマナを無視し、話は続く。マナは会話のつもりであったが、探索者シーカーは一方的に語るつもりのようだ。もしくはこの長い語りが、マナの質問への答えなのだろうか。

「これが我々に降りかかった絶望です。我々はこの毒素に立ち向かう術を持ち得ません」

 探索者シーカーは話している最中、ずっとそのままにしておいた指をたたむ。

「我々には仲間の遺体を回収する必要がありました。しかし我々が所有する防護服は全て毒素には無力でした」

「万策付き、毒素の機体への浸食に怯える日々が続きました。ですがある時、幸運な事に主要生態を発見しました」

「仲間の内二人が決死の覚悟で捕獲に臨みました。それは成功し、仲間の二人は死にましたが主要生態を捕獲する事ができました」

「捕獲した主要生態の抵抗により更に一人、機内の仲間が死ぬ事になりましたが、我々はかけがえのないサンプルを手に入れる事に成功したのです」

「防護服の開発が始まりました。主要生態の皮膚構造は毒素への耐性を持っていたからです」

「犠牲の上に手に入れた恵は最大限有効活用され、それは今でも続いています。完全な防護服は直ちに製造されました」

「仲間の死体を回収する為、一人が防護服を身に纏い外へ出ました。しかし、あるべき場所に死体は既にありませんでした。そして地中から、あの恐ろしい爬虫類が現れたのです。外で放置された死体が彼らを呼び寄せたのでしょう。彼らは機体の中に唯一残った私を執拗に狙い、今も尚、この場所に居座っているのです」

「私に残されたのは余った材料から造られた使い捨ての防護服のみでした。余りにも多くの物が短期間の内に失われてしまいました。この星の探索はその一歩を踏み出す前に、足場が崩れ去ってしまったのです。しかし、私に最大の幸運が訪れました。それがあなた達の出現です」

 
 再生機のごとく、淡々と語り続ける探索者シーカー。どうやらその物語りは現代に繋がったようだ。話は尚も続く。漏らした一言、おそらくはアトラスの事を言ったであろうその言葉にマナは不穏な考えを浮かべた。もしくはこの時点で既に確信を得ていたのかもしれない。

「新たなサンプルから得た物は多く貴重な物です。わたしは彼女に救われたと言っても過言ではありません」

 それ以降も話は続いたが、マナはあまり聞いていなかった。話の最中、マナは最低限の相づちを除き、殆ど無言を貫いた。既に聞くべきは聞き、知る事が出来た。
 マナは探索者シーカーが自分をその場所に運ぶのを邪魔しないように努めた。


 マナが、話しに反応する事が無くなったものの探索者シーカーは話す事を止めなかった。
 そうして同じ話が三度ほど繰り返された頃、ようやく目的の場所へとたどり着いた。それはドームのような大きなフロアだ。中央には実体では無いホログラムの映像が映し出されている。それは三次元的に再現された地図だ。

「これは?」

地図アトラスですよ。探していたのでしょう?」
「彼女がもたらした恵み。その中でも特に大きな二つの内一つがこれです」

 探索者シーカーは大仰に手を開く。

「彼女の脳は再生不可能な程に傷ついていました。回収できた記憶情報は断片的なものでしたが、最も重要なこの情報は無傷で入手する事が出来ました。そう、この大陸の正確な地図です」

 ホログラムが次々に地形を映し出していく。凍てつく山脈、黒い油の水海、浅瀬に沈む船であった物、そして砂漠の真ん中に空いたクレーターとその中心に在る墜落物を。マナ達が何日もかけて歩いた道のりをホログラムの映像は一瞬でシュミレートして見せた。

「これを見てください」

 ホログラムが移動する。それは砂漠を超え、海を超え、新たな大陸が朧げながらに姿を表す。上空に描かれる黒霧が途切れ、光が差し込む。眩く大地が黄金に輝く。


「最大の関心はここのようです。見てください、大気を包むあの黒い毒に犯されていない、正常な土地です。私はこの土地の情報を持ち合わせています。そうです、この大陸の名は」

 その名を口にした時、合成機械じみたその声には、それに似つかわしく無い感情が込められていた。それは慈しみ、愛おしさに溢れ、郷愁の念を含んだ物であった。触覚の先についた目玉がうっとり歪む。

欧州ヨーロッパ!この星に残された最後の安息地。楽園に至る為の最後の試練場………」


 楽園。そのフレーズは聞き覚えがあった。アトラスから読み聞かせて貰った第Ⅳ聖典に似たような言葉があった。
 だが、少し違う。探索者シーカーの発言に奇妙な違和感をマナは覚えた。

「それもアトラスの記憶の受けおりかしら」
「いえ、違うようです。私の脳領域には何人もの記憶をインストールしています。この情報はそれのいずれかによるものでしょう。ですがこれは素晴らしいです。私の脳領域内の数多の思考が歓喜しているのを感じます。この輝かしい大陸に、必ず私の捜し物がある筈です」

 パタパタと手を動かし喜びを表現する探索者シーカー。ヒートアップするそれとは対照的にマナは冷めた目でホログラムを見ている。

「そう、そこが貴方の目的地なのね」

 マナがそっと呟いた。探索者シーカーは演説じみた語りを止め、マナヘ向けて旋回した。その背後ではホログラムの映像がより先を目指し、黄金の大地を進んでいく。

「なにか?」

 マナは質問には答えず、新たな質問を投げかける。

「貴方はアトラスをどうしたの?私の感覚が正しければアトラスはまだ生存している筈よ」

「見ますか?」
 探索者シーカーは答える。進みすぎたホログラムが見えない壁にぶつかった。映像がモザイク状に崩れてゆく。

「えぇ。お願いするわ」

 マナが頷くと探索者シーカーは再び移動を始めた。マナ達が去った後、ホログラムは役目を果たして消え、ドームは暗闇に包まれた。

 再び、回廊を進む。
 移動の最中、探索者シーカーは再び饒舌に語り始める。もはや質問の工程は挟まれない。湧き水のように溢れ出す言葉。なぜ、自分がここまで内情を話してしまうのか、探索者シーカー本人にも判らなかった。

「私が得たもう一つの大きな恵み。それは生命そのものです」

 それはマナが知りたかっていた内容であった。あれ程の傷を負ったアトラスが生きている理由、その現状を。

「この星の主要生態と私の遺伝子は非常に相性がいい。それは防護服の製造を通して理解しました。始めに手に入れた主要生態のサンプルを今の尚、運用する理由はそれです。生きている限り、生産され続ける血液。繰り返すごとに新たなパターンを見せる脳髄反応。そして、あの素晴らしき臓器。私はそれへの接続に成功しました」

「残った材料を組み合わせ、私のクローンとして借腹に……」
「もういいわ。分かっわ。十分よ」

 マナが足を止めた。探索者シーカーは自分が喋りすぎた事に気付いていないだろう。
 次の場所で、決定的な事実をマナが目撃する前に逃れようが無いほど確定させてしまった。

 マナがそっと目を閉じた。意識を集中させ、近くにあるそれらを感じ取る。
 探索者シーカーは明確に慌てた様子を見せた。

「止めてください。その力は非常に恐ろしいものです」

 マナが静かに笑った。

「あの部屋。あの箱。あそこまで近づけば気付くわ」
「私にはそれを止める術を持たない。乞う事しかできません」

 探索者シーカーがマナの正面に立つ。

「保存していたのね。鮮度を保ち、腐られないように。あらゆる生物の死体を」

 両手のヒレを合わせ祈るような、姿勢を取る。それが誰の記憶なのか、探索者シーカーには考える余裕は無かった。

「あぁだめだ。止められない。止められない。やっと見つけたのに。なぜ、なぜ?」

 最後に浮かんだ疑問を反芻する。探索者シーカーが考えるべきであったのはマナの興味の矛先だ。それが無くなればマナにとって探索者シーカーは唯の障害の一つ。あるいは……。

「ここはもう終わりよ」

 どこからか、数多に重なる金属音が聞こえてくる。次の瞬間、マナの意識は終了した。










「道標は受け取ったわ、さようなら」

 砂漠の真ん中に空いた大きなクレーター。その縁を越え、マナは果てしなく続く砂漠へ歩みを進めた。
 マナの背後に広がるクレーター。その中心部にはもう一段、新たなクレーターが生れ、深々と地面を抉っていた。
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