神の末裔は褥に微睡む。

織緒こん

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将軍、叛逆を決意する。

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 ジェレマイアは自身も参加したあの日の夜会を思い出していた。

 その年の社交シーズン、アリスレアは婚約者を訪ねて父と共に領地を出た。婚約者は未だ憧れのお兄さんと言った位置付けで、彼もまた、アリスレアが大人になるのを優しく見守っていた。初めての王都で婚約者にエスコートされ、夜会に臨んだ。華やかさに圧倒されて婚約者にしがみついたが、彼は笑ってダンスに誘ってくれた。

 ホールの真ん中で、軽やかに踊る妖精のような少年に、会場は笑顔になった。楽しげで可愛らしく、元気になれる踊りだった。ジェレマイアも微笑ましく思ったものだ。

 婚約者同士なら、二度三度続けて踊ってもいい。ひとしきり踊って壁際の休憩スペースに移動して、弾む息を整える。婚約者はアリスレアを椅子に座らせると、飲み物を取りにその場を離れた。 彼がアリスレアに会ったのは、それが最後だった。
 
 グラスを手に戻ってくると、そこに少年の姿はない。会場中を探し回った。家に使いを出し人を集め、城の警備兵にも協力を仰いだ。地方伯爵家の子弟が城で行方不明になるなど、警備兵にはあってはならぬことだった。広い城で迷子になったのならいい。使用人にも、それらしい子弟の保護を通達した。 それから程なく、ひとりの女官から申し出があった。

 王の寝所で幼い若さまがご恩恵をいただかれております。

 女官は歯を食いしばっていた。美しい女性であったが、涙を堪えきれず唇が歪む。額に無残な打撲痕があり、髪が少しほつれていた。止めに入ったのであろう彼女の風態が、王の無体を告げていた。決して合意ではないと。

 彼女の証言で、王の寝所にいるのがアリスレアであると判明した。彼女はアリスレアを知らなかったが、髪の毛の色と晴れ着の意匠でほぼ間違いなかった。婚約者も駆けつけた両家の父親たちも呆然とするより他なかった。

 一夜明け婚約者と父親たちは元より、女官も警備兵も憔悴仕切っていた。重苦しい空気の中、王の侍従が恭しく捧げ持ってきたのは、赤と白の体液に染まった手巾であった。

 そうしてアリスレアはそのまま城に留め置かれ、婚約者とは二度と会うことなく、二月ふたつきのちに婚姻を結んだ。王は教会の糾弾を物ともせず、伯爵の怒りを無視し、花嫁のためのドレスを誂えてゴテゴテと品なく飾り立てた。少年に無理やり女装させてご満悦の王以外は、誰もが悲劇を観ていた。

 おめでたい王は、地方貴族の美しい少年を見初め、望まぬ婚姻から救い出し、腐敗した教会を出し抜いての純愛だと思い込んでいる。教会で式を挙げた後、披露目の夜会で人々が見たのは、酒に酔ってだらしのない王と人形のように表情のない幼い少年だった。

 可哀想な伯爵子息は、婚姻から程なくして立ち直った。婚姻後に遅ればせながら開始された妃教育で自分の立場を理解すると、専門家の教えを請いながら福祉の分野に手を差し伸べたのだ。

 前々から王に不満があった軍部は、伯爵子息を巡る一連の騒動に遂に蜂起の時かと色めいた。しかし宰相から王妃の様子を聞いて思いとどまった。実のところ王は孤立無縁であるのだから、暗殺なりした方が手っ取り早い。

 しかし女神エレイヤと建国王との血の盟約によって保たれている古の約束が、それを躊躇わせていた。⋯⋯その古の約束を反故にしてまで、愚王討つべしの声があがったのだが。

 不幸な経緯で嫁した少年は、思いがけず王妃の器であった。未だ幼いながら専門家の意見をよく聞き、分からないことは素直に尋ね、任せるところは任せた。それでいて投げっぱなしにはせず、大事なところはきちんと報告を受けた。

 家臣たちは俄然張り切った。いずれ産まれる御子に未来を託すことにしたのである。王家の血を絶やして災厄を受け、民の血を流すわけにはいかない。そうしているうちに三年が経ち、王妃は賢妃として国内外に名が知れ始めた。

 その矢先、此度の騒動である。

 ジェレマイアは可憐な少年の身に起こった三年間を思い返して、軋みを上げるほど奥歯を噛んだ。

 内務卿は怒り狂った。三年間手塩にかけて育てた王妃を、捨てられたのだ。王妃としてだけでなく、民を思う優しい少年を孫のように可愛がっていた。禿頭が真っ赤になって、湯気が立つようだった。

 財務卿は暫し呆然としたのち、はらはらと涙をこぼした。王の目を盗んで孤児院の運営費を捻出するために、ドレスの宝石をいくつか外して下げ渡していただいた。「内緒です」と淡く微笑んだ姿を思い出して、いたわしさに込み上げるものを我慢できなかったのだ。

 外務卿の周囲は温度が下がったように感じた。彼は怒りが増せば増すほど、静かに微笑む男であった。外交をまるで理解していない王のせいで、部下たちがどれ程赴任先の国々で恥をかいたことか。そして王妃の賢妃ぶりが伝えられるようになって、どれ程誇らしかったことか。冷たく笑んだ瞳から、とろりと色気が滴った。

 そして軍務卿は、側に立つ一番の部下の肩を叩いた。
「いいじゃねえか、王妃様を保護出来たと思おう。あのクソ陛下、引きずり降ろしてやろうぜ」
 
 獣臭く獰猛に笑って、叛逆の言葉を口にする。上司に肩を叩かれたジェレマイアは、一度頭を振って、顔を上げた。彼もまた、獰猛な笑みを浮かべていたのだった。

 軍務卿の不敬を咎める者はなかった。誰もが同じ気持ちであった。

 女神エレイアの加護を持つ王家は、不可侵であるはずだった。女神の加護を持ってしても離れてしまった家臣の心が、王の腐った心を証明していた。

 国は滅ぶ。

 否、王家を滅ぼす。

 王を弑して国を救う道を探さねばならぬ。

 そのための第一歩は、王妃を保護することであるようだ。ジェレマイアは覚悟を決めた。
 
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