聖女の兄は傭兵王の腕の中。

織緒こん

文字の大きさ
37 / 47

熱狂と再会、そして愛の言葉。

しおりを挟む
 俺が知り得た情報をちまちまと紙に書き連ねる。ヨーコちゃんがいつやって来てもいいように、事前に準備しておかねば。時間があればベランダに出て、鳩モドキにパン屑を与え、雀やメジロに似た小鳥のために果物を用意した。俺は大事な聖女様らしいので、出される食べ物は菓子や果物などの嗜好品までケチなことは言われない。

 そのうちに俺はシュウさんとふたりで馬車に乗せられた。塔を出るにあたって、ヌゥトは上機嫌で豪華な衣装を寄越してきた。彼の父親のほうき宰相やビアだる侯爵が用意した衣装より、断然センスがいい。だからといって、これっぽっちも嬉しくない。美々しい衣装に着替えた後、ベランダでギリギリまでヨーコちゃんの飛来を待った。粘った甲斐はあったが、回収したミヤビンからの手紙はまだ読めていない。

 乗せられた馬車は箱馬車じゃなかった。あれは長距離の旅などに使うものらしい。よくわからないが明るい時間に女性が使う馬車、男性が使う馬車、雨の日用、夜間用と使い分けるそうだ。意味がわからない。無駄遣いもいいところだ。

 ともかく乗せられたのは貴族の令嬢が乗るものだという、屋根の代わりに幌の付いた馬車だった。観光地にある人力車を大きくしたようなものだ。幌は畳まれていて、黒髪の聖女様を民衆の見せ物にする意図を感じる。一番後ろの座席は一段高くなっていて、俺の視界は良好だが、道行く人々からもよく見えることだろう。

 令嬢用の馬車には男性は同乗しないものらしく、ヌゥトは魔術師のローブ姿で馬に乗っている。そもそも俺の性別を間違っているし、お世話係のシュウさんは男性にカウントしないようだ。色々なことが地味に腹が立つ。

 ヌゥトは艶やかに微笑んで、民衆にアピールしている。

「エセ紳士め」
「同感でございます」

 俺はブスくれているが、シュウさんは能面のようだ。民衆は興奮して手を振ったり叫んだりしているから、俺たちが適当に喋ったことも聞こえていないだろう。存分に悪態を吐く。

「⋯⋯ねぇ、シュウさん。この人たち、俺が聖女様だと思っているんだよね?」
「そうだと思われます」

 マズイ。俺は自分が聖女だなんて一言も言っていない。けれどヌゥトが何か言ったのか、聞こえてくる熱狂的な声援は明らかに聖女を歓迎するものだ。黒髪は珍しいとはいえないわけじゃない。沿道を埋める民衆の中にだってチラホラいるのが見える。

「陛下が身罷みまかられたとの流言があるようです。そこに塔の魔術師に連れられた異国の顔立ちをした黒髪の少年が現れたのです」
「王様が亡くなったって、ご遺体を見たわけでもないだろうに。それでもそんな噂を流すってことは、自分たちで仕組んで、真実そうなったと確信しているからだろう? 馬鹿だね。ギィが民衆の前に王様を連れてきたら、どうするんだろう」

 そのときに俺は、ギィのとなりにいられるんだろうか? 王様が亡くなったと嘘を言っただけでなく、暗殺の容疑まで明るみになったとき、民衆は俺のことも宰相なりヌゥトなりの仲間だと思うだろうか。

 唇を噛み締めて俯く。シュウさんが振り向いて、きつく握った指を解いてくれた。

「ルン様」

 ごく僅かな視線の動きで、シュウさんは俺を促した。何かを見つけたようだ。彼の眼差しの先を辿って見つけたのは、詰めかける民衆の一番後ろにいた一団。むさ苦しく垢抜けないその集団は、王都の街並みには不釣り合いに泥に汚れていた。先頭に佇むのは、ギィだ。軽々と子どもを抱いている。⋯⋯あれは、スス?

 遠く離れた場所、人の顔なんて判別出来ないのに間違えるわけがない。

「ギィッ!」
「危のうございます!」

 シュウさんに身体を引かれて、無意識に立ち上がっていたことに気づいた。座席にとすんと押し止められて、伸ばした手だけがギィを求めて彷徨さまよった。民衆が俺の視線を辿たどって一斉に振り向くと、ギィは堂々と落ち着き払って目深に被っていたフードを払った。精悍な面貌が白日の元に晒されて、彼は唇を引き上げた。こんなに遠いのに、なぜ笑っているのがわかるんだろう。

 ダメじゃん。ギィが王子だってバレたらどうするのさ。

 とは言え、ギィ王子は王都の屋敷で謹慎している。定期的に王城からの使者が来て所在を確かめているらしいから、ここにいる傭兵団長とギィ王子が同一人物だと気づく人はいないだろう。もちろん影武者だ。そしてギィという愛称はありきたりらしいのだ。とりわけ同年代の男性には王子にあやかって、同じ愛称が多いとか。

 馬に乗ったヌゥトがスピードをゆるめて下がってきた。

「あれは誰かな?」

 彼は不愉快そうに言った。馬車と速度を合わせて並走しながら、俺の伸ばした手を掴む。移動する馬車と馬の不規則な振動で、危ないことこの上ない。全力で振り払って膝の上で重ねた。背筋を伸ばして涙を堪える。俺が涙を流していいのは、コイツの前じゃない。

 シュウさんとふたりで黙秘権を行使していたら、ヌゥトは全然笑っていない笑顔でギィたちのほうを見た。

「聖女様の聖蹟せいせき輝石きせきがないかと思って、暁傭兵団の借り上げ宿舎を探りに行かせたんだけどねぇ。すっかりもぬけからだったよ」

 彼らが誰だかわかっているのなら、わざわざ聞くな。ねちっこくて気持ち悪いな。

「『暁』の連中に輝石を渡したの? 保護の見返りに奪われたんだね」
「勝手に理由を捏造ねつぞうするな」
「だって君、飯炊きだったんだろう? 聖女様に労働をさせるなんてこの国の男ならあり得ないじゃないか。僕なら君を下にも置かず、真綿に包んで大切にするのに」
「気持ち悪いこと、言ってるんじゃない! 俺の恋人はギィなの‼︎」

 怖気が走って、大きな声を出す。

 いつの間にか馬車も騎馬も止まっていて、ヌゥトは大袈裟に肩をすくめた。

「なんてことだ。異世界より舞い降りたちた無垢なる聖女様を、騙して働かせているなんて!」
「最初のところで間違っているの! 俺は聖女様じゃないって、何度言ったらわかるんだ⁈」

 民衆が俺たちの口論に聞き耳を立て始めた。大歓声が止み、静かな、しかしうねりのようなさざめきが、馬車の周囲から人々を伝って沿道の端まで行き渡っていく。

「そうとも、その子は聖女様じゃない」

 朗々たる声が空気を震わせた。民衆が知らず口の中の唾を飲み込んで振り向いて、暁傭兵団の団長の威風堂々とした姿を見とめた。

「暁傭兵団、ギィだ。その子は俺のまなの君だよ」
「傭兵風情が、聖女様をまなの君だって? そんな薄汚いなりで、よくも言えたものだ」

 ギィの言葉にヌゥトが何か言っている。

 いや、ヌゥトはどうでもいい。

「シュウさん⋯⋯ま、まなの君って何?」
真名まなを明かしてもいいと思えるほど、愛しい相手を呼ぶのですよ」
「い、愛しい」

 そうかなぁとは思ったけれど! 無駄な翻訳チートはギィが口にした『まな』をきちんと『愛』という漢字に変換して俺に伝えてきた。『愛』は『あい』だろ⁈ 何でわざわざ絶妙に『真名』と掛け合わせた単語に翻訳するかな⁈

 カーッと頭に血が上った。逆上せそうだ。

「ルン様。お可愛らしいですが、ヌゥトを刺激します」
「か、可愛いって言わないで! 恥ずかしいから‼︎」

 俺の顔はたぶん真っ赤だ。シュウさん、今はそっとしておいてくれ。俺の願いは聞き届けられたけど、空気を読まないヌゥトが割り込んでくる。

「ふぅん、聖女様はそこまで誑かされているんだぁ」
「誑かされてなんかないよ!」

 ただ、恋に落ちただけだ。

「ギィのまなの君が俺と言うなら、俺のまなの君はギィだ」
「だとしても、君を盗賊にかどわかされるようなお間抜けは相応しい男とは思えないよ。そうじゃないかい、みんな?」

 なるほど、そうきたか。ヌゥトは民衆に向かって、呼びかける。愛だの恋だの言う前に、聖女様は安全な場所に保護する必要があるとアピールする。自作自演で俺を盗賊に誘拐させておいて、どの口がそれを言うかな⁈ だいたいそれを言うなら盗賊に俺を奪われた間抜けは、お前の父ちゃんだ‼︎

 しかしそれを声高に叫んでも、真偽を証明する方法がない。

「もう一度、言う。その子は聖女様じゃない。民衆諸君もその子が否定したのを聞いただろう?」
「界を越えたばかりで神殿から行方不明になっていた聖女様は、ご自分が何者なのか理解していないだけだよ」

 ヌゥトがうっすらと笑って、御者に合図を送った。止まっていた馬車が動き出す。

「ギィ!」

 また、ギィから離れてしまう。スピードが出切っていない今なら、馬車から飛び降りることができる。腰を浮かせて⋯⋯。

 ヒュッと息を飲む。

 シュウさんは、走ることができない。ヌゥトに足の腱を切られたからだ。強張った身体を座面に深く沈めて、俺は長い息を吐き出した。

「行ってください」
「ダメだよ」

 シュウさんは俺を促すけれど、小さく首を横に振る。ふたりで人混みを掻き分けて、ギィのところに辿り着くのは無理だ。

 振り返ってギィの姿を目に焼き付ける。

「ギィ、愛してるよ! 絶対に迎えに来て‼︎」

 愛してるなんて、言葉に出来ないと思ってた。でも、不思議と恥ずかしさは感じなかった。
しおりを挟む
感想 176

あなたにおすすめの小説

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

王様お許しください

nano ひにゃ
BL
魔王様に気に入られる弱小魔物。 気ままに暮らしていた所に突然魔王が城と共に現れ抱かれるようになる。 性描写は予告なく入ります、冒頭からですのでご注意ください。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

悪役令嬢の兄、閨の講義をする。

猫宮乾
BL
 ある日前世の記憶がよみがえり、自分が悪役令嬢の兄だと気づいた僕(フェルナ)。断罪してくる王太子にはなるべく近づかないで過ごすと決め、万が一に備えて語学の勉強に励んでいたら、ある日閨の講義を頼まれる。

ゲームの悪役パパに転生したけど、勇者になる息子が親離れしないので完全に詰んでる

街風
ファンタジー
「お前を追放する!」 ゲームの悪役貴族に転生したルドルフは、シナリオ通りに息子のハイネ(後に世界を救う勇者)を追放した。 しかし、前世では子煩悩な父親だったルドルフのこれまでの人生は、ゲームのシナリオに大きく影響を与えていた。旅にでるはずだった勇者は旅に出ず、悪人になる人は善人になっていた。勇者でもないただの中年ルドルフは魔人から世界を救えるのか。

義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。

竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。 あれこれめんどくさいです。 学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。 冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。 主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。 全てを知って後悔するのは…。 ☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです! ☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。 囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317

処理中です...