カリスマ主婦の息子、異世界で王様を餌付けする。

織緒こん

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パン屋の倅が知らない話。

《閑話》パン屋の倅が知らない話。⑥

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 宰相補佐官ランバートは、宰相閣下と共にひとりのご婦人をエスコートして、議事堂の控え室に向かった。商店街と酒場の隙間に店を構える人気の占い師、サンドラである。

 まさかのパン屋の客。

 ホーパエル伯爵を裏で操る稀代の悪女、性悪な毒婦と思いきや、ちょっと気風のいい姐さんだった。猫殿を抱きしめて鯖折りしかけていたが、猫殿は嫌がっていなかった。気を許している相手と言うことだ。

 ホーパエル派の議員をひとりずつ控え室に呼び出して、宰相閣下が脅しをかける。もちろん書記官のギルバートが全て記録しているので、今後しらを切ることはできない。

 皆、はじめは占い師サンドラが宰相閣下と一緒にいることに驚き、仲間が出来たとでも思うのか一様に喜ぶ。そして、議会の日程と占い師の訪問の因果関係を詰問され始めると、だんだん宰相閣下が言いたいことを理解し始める。

「まさか、国の大事だいじを占いで決めてなどいないでしょうね?」

 薄く微笑む宰相閣下はとても美しいが、背中が寒くなる類の美しさだ。ランバートはその笑顔が自分に向いていないことを幸せに思った。

「アタシはアンタに『自分の信じた道を行け』とは言ったけど、悪巧みの片棒を担げとは言ってないよ。『お天道様が見ている』って、散々言ってやったろう」

 サンドラ女史は腕を組んで仁王立ちになった。

「悪巧みはしていないようですが、いい歳をした男が占いにのめり込んで、実の娘をまつりごとの駒にしようと画策するのはいただけませんね」

 追い詰めるように宰相閣下が言葉を重ねる。

「元老院議員が占いで政⋯⋯そんな優柔不断な人に、議員が務まりますかね? どうですか? あなたはまだ議員を続けたいですか?」

 ランバートは襟元からうなじを伝って、氷のカケラを放り込まれたような錯覚に陥った。

『私がこの醜聞をばら撒いたら、あなたは議員を辞職に追い込まれるでしょうね』

 副音声が聞こえる!

 ランバートは背中がヒヤリとしたが、宰相閣下の視線をまともに受けている議員は、今にも失神しそうな青黒い顔で、はくはくと浅い呼吸を繰り返す。

 それを十七人ほど繰り返しながら、ランバートは『この国、マジでよく傾かなかったな』と心底震え上がった。結構な人数だからだ。

 派閥の人数としてはまぁ、普通だろうが、占いに傾倒した議員だと考えると異常な多さだ。

 先代には大変不敬で申し訳ないが、リュシフォード陛下に代替わりして本当に良かった。

 人数を重ねるごとにサンドラの眉間に刻まれるシワも深くなり、彼女はむずかしい表情カオをして言った。

「閣下様、なんか、おかしかないかい?」

 閣下に様をつけるのは変だが、彼女の独特の言い回しなのだろう。

占い師アタシが言うのもなんだけど、大の男がこんなに占いにハマるかい? 会ったことないお人もいるし⋯⋯奥方には贔屓にしてもらってるけどサ」

 確かにおかしい。

 十八人目に呼び入れたホーパエル伯爵は、イゾルデ嬢と造作はあまり似ていなかった。その茫洋としたその眼差しが、猫殿が初めてまみ得たときの令嬢とそっくりだったことは、彼らが知る由もないが。

「おお、宰相閣下。あなたもサンドラに占ってもらうのですかな」

 茫洋とした眼差しでニコニコ笑う姿は、宰相閣下の薄寒うすらさむい眼差しとは違う恐ろしさがあった。

「ねぇ、閣下様。アタシの知ってる伯爵様じゃないよ」

「⋯⋯別人ですか?」

「おんなじお人だよ。でも、こんなんじゃなかった。もっと、ちゃんと人間だったわよ」

 サンドラが一歩後ずさった。

「イヴァンジェリンが押す占い師ですからな」

 誰だ?

 ランバートは声を抑えて、控える文官に何事か指示を出した。

「イヴァンジェリンは私の良き理解者で、いろいろ素晴らしい提案をしてくれるのです。それでも私が迷ったときは、サンドラに道を示してもらうよう、イヴァンジェリンが進言してくれたのですよ」

 蕩々とイヴァンジェリンとやらのを語る。ホーパエル伯爵が打ち出した政策のいくつかが、イヴァンジェリンと一緒に考えたものだと言い出した。

「⋯⋯伯爵、イゾルデ嬢と陛下の婚姻を進めようとしたのは、そのイヴァンジェリンが勧めたからですか?」

「そうなのです! イヴァンジェリンが言うことは間違い無いのですが、やはり可愛い娘は幸せになって欲しいではないですか。少し迷ってサンドラに助言を求めたのですよ」

 議会の開催時間が迫ってきた。しかし、熱を帯びてきたホーパエル伯爵のイヴァンジェリン賛辞は終わらない。

 どうしたものかと閣下とランバートが苦虫を噛み潰したとき、使いにやった文官が戻ってきて、ランバートにそっと帳面を差し出した。

 ーーイヴァンジェリンは父の乳母です。

 美しい文字で簡潔に、質問の答えが記してあった。ランバートは念のため別室に待機していたイゾルデ嬢に、イヴァンジェリンという名に心当たりがあるのか確認しに行かせたのだった。

 宰相閣下は自身の補佐官からその帳面を受け取って内容を確認すると、目まぐるしく脳を動かした。とは言え、そこまで難しい推理でも無い。小さな子どもがばぁやに甘えるように、いい大人になっても乳母の言いなりなのか。

「ホーパエル伯爵は、乳母殿を信頼しておいでなのだな?」

「イヴァンジェリンは、私が子どもの頃から私のためにならないことは言わないのですよ。いい妻も選んでくれたし、お陰で美しい娘も授かった。可愛い娘を汚れた王に娶せるのは気が進まないが、イヴァンジェリンがその方がいいというのだ。イゾルデが王の子どもを産んで私が権勢を手にすれば、イゾルデを蔑ろにする者はいないだろう、と。私が権勢を手にすれば、私の政策はより意見が通りやすくなり、民も幸福になれるとイヴァンジェリンが言ってくれたのだ!」

「ちょっと待っとくれよ⋯⋯アタシはこんな狂人を相手にしてたのかい⁈」

 息継ぎもせぬ勢いで蕩々と語る姿は、かつてのイゾルデ嬢に通じるものがあったが、それを知る者はそこにはいない。猫殿が見ればなんと言っただろうか。

 サンドラはすっかり気圧されて、ホーパエル伯爵を視界に入れないよう、宰相閣下を盾にした。

「⋯⋯イヴァンジェリン殿にとって、あなたはいい子ちゃんなのだな」

 自分の言いなりになる、だ。四十も過ぎた大人の男にいう言葉では無いが、他に言いようがなかった。

「そのイヴァンジェリン殿だが、あなたのすることに口を出しすぎると、口さがない者が悪くいうやもしれませんよ」

 宰相閣下はホーパエル派の議員たちとはやり方を変えた。

「それにイヴァンジェリン殿に、伯爵は大人の男だと尊敬して欲しくはありませんか?」

「イヴァンジェリンが、私を尊敬?」

「そうです。自分の意見を言える、頼もしい大人の男だということを、見せて差し上げてはいかがですか?」

「⋯⋯頼もしい」

 ホーパエル伯爵は宰相閣下の言葉に誘導され始めた。ランバートは再び背中が寒くなった。伯爵は、乳母の次は宰相閣下の傀儡になるのではないか?

 娘を人形のように育てるように、娘の乳母に命じた男は、自らの乳母の人形だった。

「イヴァンジェリン殿も喜んでくれますよ。そうだ、今日の議題は后子ごうしの選定です。陛下の望みを受け入れる、度量の広いところを見せてはどうでしょう」

 胡散臭い笑顔で宰相閣下が提案すると、ホーパエル伯爵は嬉しそうに笑った。

「イヴァンジェリンは褒めてくれるだろうか?」

 宰相閣下は明確な返事をせず、にっこりと笑った。ランバートは自分の上司に詐欺師の才能があることを知った。

 いよいよ議会の開始時間が迫って、伯爵の秘書が伯爵を探しにきたので三人は伯爵を見送った。

「⋯⋯ひとまず、后子ごうし選定を乗り切りましょう。伯爵は病んでいます。イゾルデ嬢に良い婿を探して、さっさと隠居してもらうのがいいかもしれません。サンドラ、このことは内密に」

「当たり前じゃないか。こんな恐ろしいこと、口にする度胸はないよ」

 ランバートは宰相閣下と占い師の後ろ姿を眺めながら、なにか楽しいことがないかな、と思った。

 その後、イヴァンジェリンという老女はひっそりと拘束され、半年をかけてホーパエル伯爵は表舞台から姿を消すことになるが、それは少し先の話だ。

 その日、后子の選定はなされ、ランバートは宰相閣下に市井での結婚式はどうするのかと尋ねられた。そうして宰相府の文官は、ここしばらくで一番楽しい仕事を請け負った。

 后子内定の公布や披露目の夜会の準備に追われる中、商店街の酒場での結婚祝いの準備は、ただ楽しいものだった。ランバートはホーパエル伯爵の毒気を払うように、城の厨房で働く見習いたちと連れ立って肉屋の倅を訪ねたのだった。
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