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1巻

1-3

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「あーあ、ダリ、いっちゃった」

 つまらなそうにリューイが言う。新しくできたお兄ちゃんみたいなお友達と、一緒にごはんが食べたかったんだろう。ダリウス君はお仕事で一緒にいてくれるんだと、どう説明したらいいんだ? 
 いや、ダリウス君が事務的とか、そんなことはないよ。親身になってくれているし、リューイをとても大事にしている。
 ただ、あんまりベッタリしすぎて他の仕事ができなかったり、好きなときに休みが取れなかったりしたらダメじゃん。同じテーブルで食事だって、リュシー様が許したとはいえ、後で上司に怒られるかもしれないしさ。
 ごはんを食べながらそんなことをリュシー様に訴えてみた。すると、ひとつ質問をされる。

「ではどうして、ダリウスの食事も用意したの?」
「自分が仕える王子様の食べてるもの、知っておいたほうがよくない?」

 本来なら毒味だって必要なはずだ。そんなのパン屋のせがれが知るよしもないけど、前世持ちの俺はラノベが好きだったからな。小説サイトのファンタジーものなんかをよく読んだよ。

「これはこれは……」

 宰相様が何か言いかけて、チラッとリューイを見てやめた。なんか大人な内容だったのかな。

「あにうえ、きょうのよるはギョーザをつくってくださいって、エルにおねがいしてください。だいすきだけど、あんまりつくってもらえないのです」

 リューイがどえらく可愛い口調で頼む。

「ギョーザ?」

 リューイは俺の食事で育っているから、日本の料理に近いものを食べている。当然リュシー様も宰相様もそんなものは知らず、首をかしげてこっちを見た。

った小麦粉の皮ににくあんめて、でたり焼いたりする料理です。俺も好きなんですが手間がかかるので、お強請ねだりされても五回に一回しか作りません」

 スーパーで袋入りの皮を買えるわけじゃないからな。作ってもらえない理由を知らないリューイは、新しい兄上様である国家最高権力者にお強請ねだりさせるという、最強のカードを切ってきた。兄上様がどんな立場の人なのか、理解しているかは怪しいけどね。

「パン屋の仕事がなくなったから、時間に余裕があるので作れます。よし、リューイ、一緒にこねこねする?」
「する~ッ」

 リューイがにぱっと笑うと、口からパンがこぼれた。お行儀、としかって口をぬぐってやる。

「まずはいい子で食べてお昼寝をきちんとすること」
「はぁい」

 お行儀よく食事を再開して、リューイは自分の前に置かれたプレートを空にした。大人の皿より控えめにしているけど、四歳児にしては大盛りだと思う。

「こねこね、とやらは楽しいのか?」
「子どもには粘土遊びみたいなものです。食べ物で遊んじゃいけないので、お手伝いと認識させながら調理します。食育ですよ」

 リュシー様はふぅんとあいづちをうった。
 そのうちに、リューイがうとうとし始めたので、口をゆすがせて、お昼寝のために秘密基地へ押し込む。小さな子どもとの食事は戦争だ。

「世の中の男どもは、もっと細君に感謝をすべきですね」

 そう宰相様が言ったので、俺は心の底から同意する。
 それからというもの餃子ギョウザに味をしめたリュシー様は、すっかり食卓を俺たちの住まいに移した。会食とか食事しながらの会議のとき以外は、俺の作ったものを食べている。いいのか?
 ちゅうぼうの皆さんは怒らないのかなぁ。仕事取りやがってとかさ。
 たまに宰相様も来る。暇なのか?
 あと変なのが、俺とリューイとリュシー様で川の字になって眠っていること。王様の部屋じゃなくて、俺の部屋だよ。
 それも初日から。
 どうしてそうなったかというと、その日、リューイを俺の部屋のベッドで寝かしつけた後で、大人の話をした。ダイニングでリュシー様と宰相様と三人でお茶を飲みながら。
 俺はこの王城で異分子だ。王家の血縁でもないし、外戚の叔父というにも力がない。給金をもらって仕事をしているわけでもない。本当にただの居候いそうろうなんだよ。だからせめて、このマンション的に改装された空間のハウスキーピングくらいは頑張りたいと訴えたんだ。
 リューイのお披露目と教育も必要で、そこら辺のスケジュールはリュシー様にお任せする。王族の心得なんか俺に教えられるはずがない。
 翌日には家庭教師を派遣すると言われ、そこで話はお開きになり、俺も気疲れでそこそこ眠くなった。宰相様が気づいて部屋を出る。俺はリュシー様とふたりでリューイの寝顔を見に行った。

「可愛いな」
「可愛いでしょう」

 布団をはねて大の字で寝ている四歳児は、たまらなく可愛い。かけ直してやると目を覚まして、ふにゃふにゃと寝言みたいに口を動かした。
 むずがるようにしがみついてくるので、となりに寝そべって背中をトントンしてやる。そして――
 ……寝落ちした、俺が。
 寝かしつけで寝落ち。子育てあるあるだよね!


 早朝ぱかっと目を覚ましたら、目の前にイケメンのまつがあった。
 あれ?
 リュシー様とふたりで、リューイをあやすように挟んでいる。リューイもリュシー様も眠っていて、すうすうと穏やかな寝息が二重唱で聞こえてきた。
 リューイのふわふわの癖毛があごに触ってこそばゆい。リューイの髪の毛はリュシー様のあごにもかかっている。体勢的に俺とリュシー様はめっちゃ顔が近い。
 まつ、なっが!
 俺も寝ぼけているのか、目を開けたまんまの姿勢でリュシー様の銀色にけぶるまつを見つめてしまった。どれくらいそうしていたのか、また眠たくなってきてぶたが落ちる。
 すうっと眠りに落ちかけたとき、突然後頭部に手がかけられた。
 うわぁ、びっくりするじゃないか。
 閉じかけていたぶたを無理やり押し開くと、至近距離にとろりとした黄金きんいろの瞳があった。眠たげに影をまとってかげり、かんあめのように甘くうるんでいる。
 ぎゃーっ! なんだこの美形!
 カッチーンと固まった俺は、息をするのも忘れていたんだと思う。

「ちゅ」

 ふにゃっ!

「ちゅちゅっ」

 え?
 え?
 え?
 …………寝息?
 けてんのかぁーーーーいッ!
 リューイが起きるかもとか、布団がめくれて寒いだとか、そんなんまるっと無視してベッドから抜け出た俺は、足をもつれさせながらキッチンまで逃げる。
 前世の『こぐまくん』は料理男子のイメージもあって、クラスの女の子にはあんぜんぱい扱いされていた。カリスマ主婦の動画を手伝ってくれていた母さんのママ友さんたちからは、完全に坊やちゃん扱いだ。
 何が言いたいのかと言うと、俺のファーストキスがリュシー様に奪われたってことだ!!
 リュシー様、けてたな。
 よし、ノーカンだ! 夢だ、夢を見たんだ!
 まだ暗い早朝とはいえ、前日までパン屋で朝から石窯いしがまの前にいた身には余裕だ。俺は恥ずかしさといきどおりをパン種に込め、びったんびったんねくりまわした。
 思い返せばあのとき、パンに向かって全力投球なんてしてないで、リュシー様を起こして部屋に帰ってもらっておいたらよかったんだ。
 あの後しばらくして起き出したリューイが、兄上様と一緒に眠っていたのが嬉しくて大はしゃぎをし、これからも一緒に眠る約束を取り付けてしまった。
 けていたリュシー様はファーストキス……いや、あっちは違うのか? とにかくチュウ事件は覚えていないみたいだ。
 一緒に眠るのをどうやって断ったらいいんだろう。タイミング逃してもう断れねーッ。
 で、このマンションもどきの空間は、基本的に俺の生活空間だ。実はリューイには未成年王族のための自室があって、本来はそこで生活をするべきだという。居間、寝室、書斎という名の勉強部屋、サニタリーと目眩めまいがするような調度に囲まれた部屋だった。
 家庭教師の先生はそこに来るし、仕立て屋を呼んだり、これから学友と過ごすのもそっちになる。
 今は勉強の時間にそちらへ通う感じだ。これから学友に引き合わせてもらったら、昼食はリューイの自室の食堂で、ちゅうぼうで作られたものを食べることになる。
 この辺は心配していない。昼間は幼稚園に行くものと思えば、最初は泣くかもしれないがお友だちが一緒なら大丈夫だろう。
 小姓のダリ君とおばあちゃん侍女のポリーさんが控えてくれるし、こっちのマンションもどきに帰ってきたら、たくさんめてやるんだ。
 今は朝ごはんを三人で食べて、リューイとリュシー様を送り出し、お昼過ぎに帰ってきたリューイと過ごした後、夕方帰ってきたリュシー様を迎えて三人で夕ごはんを食べている。
 にゃ? なんか、おかしくね?

「リュシー様、俺のごはんが珍しいのはわかりますけど、ちゅうぼうの皆さんの仕事、ないがしろにしていませんか?」

 お城で働いている人たちに紹介されたわけでなし、「得体の知れない小僧に、俺たちの仕事が邪魔されている!」なんてヒソヒソされていたらどうするんだ。
 夜だってここで眠ると、リュシー様の部屋は使わないまんまだ。誰も使わない部屋を維持している侍女さんだってつまんなくない?
 てなことをたずねてみた。
 さすがにチュウは初日だけだけど、毎朝のけ顔は心臓に悪いんだ。すみやかに自室に帰っていただきたい。

王太后ははうえや城で働く皆の食事も作っている。それに昼食は打ち合わせをしながらちゅうぼうのものを食べているし、ばんさんかいやら会食も度々じゃないか」
「朝食は?」
「もともと朝はお茶だけだったから、たいして変わらない」

 んだ。

「……夜、ゆっくり眠れていますか? リューイに蹴っ飛ばされたりとか」
「大臣に指示された若い娘がいに来るのだ。本人の意思で来るんじゃないから、衛兵に突き出すのもかわいそうだし。侍女を呼んで娘を落ち着かせ、穏便に帰すのも骨が折れるんだぞ」

 そりゃ寝不足になるわ。自分の部屋で寝ろってのもこくだよな。
 仕方ない。
 しばらくは川の字は継続のようだ。



   3


 リューイに学友が紹介されて、俺はいよいよ時間が余るようになった。
 今日は天気がいいので、部屋の前で警備についている近衛このえ騎士さんに許可を取って散歩に行く。
 リューイの外出にはたくさんのお付きの人が付いてくるので事前の通達が必要だけど、おまけの俺には関係ない。部外者だから監視の人はいるものの、ふたり立っている近衛このえさんのうち、ひとりが一緒に来てくれれば問題なかった。
 出かけると言ってもお城の中庭だ。中庭というのもはばかられるほど広すぎる立派な庭は、四阿ガゼボもあって居心地がいい。バスケットに魔法瓶とクッキーを突っ込んで、ぼっちティータイムとしゃ込む。
 ……近衛このえさん、一緒に来てくれるけどお茶は付き合ってくれないんだよ。
 リューイが幼稚園、もとい勉強部屋に通うようになると、ぽっかり時間がいてしまうようになった。
 部屋の掃除をして、洗濯物の仕分けをするとやることがない。汚れた服はリューイのと俺のとリュシー様のものに分けて、ダリ君に渡す。家事の中で一番の重労働は洗濯だから、お任せしちゃうとずいぶん楽。
 お風呂の残り湯で洗おうかと思っていたのに、干すところがなかったんだ。それにリュシー様、お風呂も俺の部屋で入るから、脱いだ服もそこにあるんだよ。さすがに王様のシルクの服を浴槽にぶち込むわけにはいかないよね。縮むし。
 気づけばウォークインクロゼットの半分、リュシー様の着替えだ。典礼用とかはちゃんと王の間にあるけど、普段仕事に着ていく服は俺の部屋にある。
 俺とリューイがお風呂に入っていると、普通に参入してくるし、なんなら仕事が早く終わった日は、リューイとふたりで入ってくれる。この間は、浴槽で遊び倒してリューイがのぼせて大騒ぎした。
 俺の両親が健在だったときより、ずっとずっと、仲のいい家族だ。
 俺は四阿ガゼボでカップに魔法瓶からお茶を注ぎ、ほっとひと息つく。今朝の騒動を思い出して、ぷっと笑いが漏れた。
 朝食の皿に載った温野菜の中に、リューイの苦手なカリフラワーがあったのだ。リューイは目をうるうるとさせて俺を見て、それからリュシー様を見た。
 俺が「ひとくちだけは食べよう」って言うと、絶望した表情かおでリュシー様を見つめる。リュシー様が「今日だけだよ」と、リューイの皿から拾い上げてそれを口に入れた。途端、ぱあぁっと笑顔を輝かせたリューイと涙目で水を飲むリュシー様。
 クスクス。
 ダメ、笑いが止まらなくなりそう。リュシー様、カリフラワー嫌いなんだぁ? 兄弟で変なところが似ているな。
 陽射しは長閑のどかだしお茶は温かいし、クッキーは美味おいしく焼けた。幸せな気持ちでくつろいでいると、突然――
 ――バッシャーーッ!
 て、水?

「エルフィン様!」
「え? え? 何?」

 少し離れて見守ってくれていた近衛このえさんが、慌てふためいてそばに来てくれる。俺を挟んで反対側には、真っ赤なドレスの女性がおうぎで口元を隠し立っていた。彼女の後ろには真っ青な顔をしてガタガタ震える侍女さんが、バケツを持ってしゃがみ込んでいる。

「ふん、いやしい下男がいい気になって」

 女性はおうぎの向こうでニンマリ笑った。
 てか、あんた誰? 四阿ガゼボの陰に隠れて近づいたの?

「侯爵家のご令嬢です。申し訳ありません、自分は伯爵家の次男なんです」

 近衛このえさんがサッと小声で耳打ちしてくれた。
 なるほど、近衛このえさんからは『声をかけられない』『許しなく立ち去れない』『捕縛できない』と三重苦な相手なわけね。俺が王族だったら不敬罪とか傷害罪で職務をまっとうできるけど、王弟の母親の弟(平民)という宙ぶらりんな存在では、近衛このえさんの権限がどこまで許されるかわかんないんだ。
 刃物を出してくれたら、取っ捕まえたのに。

「おお、下町のあかくさいこと。アイリス、もっと水をかけてにおいを洗い流しておやりなさい」
「ひっ」

 侍女さんが中身が半分ほどになったバケツを持って立ち上がった。
 可愛い子なのに涙と鼻水とで顔がすごいことになってるよ。どう見ても命令されて仕方なく、だよね。

「ご……ごめんなさい」

 震える唇で言った侍女さんは、一歩踏み出して……こけた。
 ビシャーーッ!
 足をもつれさせた侍女さんが見事にバケツの中身を芝生しばふにぶちける。ちょっとだけ、女性のドレスにまつが散った。

「無礼者!」

 女性が持っていたおうぎで侍女さんの頬をえたのを見て、俺はとっに大声を上げる。

「無礼はあなただ!」

 スカートのすそがちょっと濡れたぐらいで何をする! 俺には頭からぶっかけといて!

「どこのお嬢様か存じませんが、立場の弱い女性を使っての嫌がらせ。無礼をすぎて下品です。俺はあなたとは面識がありません。このような暴挙に出られた理由をお聞かせ願います」
「下民ぜいがわたくしになんて口を聞きますの!?」
市井しせいの民を下民とおっしゃるか。あなたの口に入るもの、身に付けるもの、市井しせいの民の手がかかっていないものがどれほどありましょうや。それほど市井しせいの者をおいといなら、これから先、パンのひとつもお口に入れられぬことですね」

 農家さんにもなかがいさんにも謝れ!
 見た目から二十歳そこそこの小娘だろう。こちとら中身は前世と足してアラサーだ。ままに付き合ってやる義理はない!

「あなたは俺を俺と知って嫌がらせをしたのか、ただこの場にいた者が邪魔であったのか、理由をお聞かせ願います」

 奇妙な光景だろう。高位貴族の令嬢が陽射しの中で立ったまま、四阿ガゼボの作る日陰で椅子に腰掛ける平民に意見されている。
 女性は屈辱にブルブル震えながら、おうぎを振り上げて一歩踏み出した。

「エルフィン様!」

 近衛このえさんが俺の肩に触れる。
 令嬢をいさめられないので、俺におうぎを避けさせようとしたのだろう。でも、高位貴族相手にマズくない?
 バシッ。
 俺はあえておうぎを受ける。
 うおっ、脳味噌あたま揺れた! すごい力だな、おい。

けがらわしい男娼め。陛下に取り入ってお父様を追い出しただけでなく、わたくしにまでみじめな思いをさせて! お前が城に来なければ、わたくしは今頃、王妃内定のせんを受けていたのに!」

 バシバシと何度もおうぎたたきつけられる。メキッと音がして、おうぎが折れた。
 って、それはヤバい!
 折れたおうぎの先端が頬をかすめて、チリッとした痛みが走った。

「金銀の高貴なる方々に、お前のようなゴミ虫がはべるなど、あってはならないことよ!」

 げっこうする女性は、俺が流した血を見て興奮したのか、ますます強い力で破損したおうぎを振るう。腕でガードするものの、目に刺さりそうでちょっとマズい。

「さすがにこれ以上は!」

 つい近衛このえさんが手を出し、女性の手首を掴んでがした。

「慮外者め! 離しなさい!」
「お嬢様ぁ、もうおやめくださいぃぃ。お、お、王城でのこのお振る舞い、お父上様が、が、も、もっと窮地きゅうちに立たれますぅ」
「お前もうるさいわね! わたくしに逆らうと、弟に病死をうながしてやるわよ!」

 なるほど、この侍女さん、弟を人質にとられているんだ。真っ青になって口をつぐんでしまった。

「マジ最低」

 貴族のままお嬢様のはんちゅうを超えている。人の命を軽んじるなんて。この人、王妃内定のせんたまわるとか言ってなかったか? この殺人鬼が? まだ人を殺していないかもしれないけど、人の命を盾に取る時点で立派な殺人鬼だ。
 さて、どうやって収拾つけるかな。
 他に目撃者がいないと、こっちが悪者にされちゃうぞ。この中庭、休憩時間はそこそこ人がいるのに、業務時間中は誰もいないんだよね。って、仕事をしている人、発見! 庭師のおじさんが植栽の陰でがたがた震えている。
 お嬢様が近衛このえさんに意識を向けている隙に、おじさんに人を呼んでほしいとアイコンタクトを試みた。
 ……通じたよね? 逃げろ! だと思われていたらんじゃうなぁ。

「騎士が淑女に手をあげるなんて、なんて外道なんでしょう!」

 女性が金切り声を上げる。
 俺はうんざりして、近衛このえさんの手をやんわり掴んでがした。これ以上は、ホントに近衛このえさんが職を失いそうだ。

「外道? どなたが?」

 鼻で笑いそうになる。

「先程、病死をうながすとおっしゃいましたね。やまいを得て死に至るのは、自然のことわり。どれほど高名な医者も優れた薬師も、力及ばぬことがあるでしょう。それを、只人ひとの身でうながすと? あなたのほうがよっぽど外道です」

 もう、しーらね。言いたいこと言ってやる。

「お前っ!」

 もう一度、女性がおうぎかぶった。近衛このえさんが俺の頭を抱えるようにして女性に背を向ける。背中でちょうちゃくを受ける気!? 

「……騎士様!」

 うわぁ、名前知らなかった!
 そして、衝撃がない。
 近衛このえさんも疑問に思ったのか、俺の頭を抱える力が抜ける。そっと腕から抜け出して見ると、背の高い眼鏡のイケメンが、振り上げられた女性の手首を掴んでいた。

「あなたの父君は自邸で謹慎中です。ピヒナ侯爵令嬢」

 眼鏡の奥の瞳が、冷たく光っている。

「謹慎……? お父様は体調がすぐれないと」
「家族にバレたくなくて仮病ですか? それとも謹慎処分に衝撃を受けて、本当に体調不良なのですかね」

 宰相様は侯爵令嬢の手首を掴んだまま、どこかに合図をした。三人の騎士と女性がひとりやってきて、宰相様から令嬢を預かる。

「何をする、無礼者! わたくしは侯爵令嬢よ! 触るでない!」

 侯爵って臣下の爵位では最高位なんだっけ? 公爵は王族につらなるから……最高位のご令嬢がさっきから叫びまくりだねぇ。お行儀悪い。四歳児のリューイのほうがまだ空気読んでお口チャックできるよ。

「私は騒ぎを大きくしたくはないのです。静かにしてすみやかに騎士に連れられたほうが、あなたのためになりますよ」
「侯爵よりくらいのあるものなんて、数えるほどしかいないじゃない! わたくしは高貴で清らかな淑女なのよ! つまみ出すなら、そこの男娼でしょう!」
「男娼? この方が?」
「今、王城に部屋をたまわっている高位貴族の子息はいないもの。どこぞのいやしいおべっか使いが、陛下に差し出した男娼でしょう! 王城の風紀が乱れる前に、わたくしが追い出してやりますのよ」

 すごい発想だな。それで俺は水をぶっかけられたのか。水をぶちけるのは、風紀の乱れにはならないのか?

「お前もこの下民にたぶらかされましたの?」

 お前……。侯爵令嬢って、伯爵とはいえ宰相様にお前って言える身分なんだ。
 いろいろぶっ飛んだ女性で、もはや突っ込みどころがわからない。

「私は忠告しましたよ」

 宰相様がなんだか面倒臭そうに言った。ふいに近衛このえさんと三人の騎士が膝をつき、侯爵令嬢を押さえている女性(お仕着せだけど仕草が騎士っぽいな)は片手でスカートを摘んでカーテシーぽいお辞儀をした。
 その拝礼を受けるのはリュシー様だ。

「リュシー様!」
「黙りなさい、けがらわしい下民が! 陛下がけがれます!」

 まずはお辞儀しようよ、おじょーさん。我が国の国王リュシフォード陛下のなりだよ。
 俺もさっと四阿ガゼボの石畳に膝をついた。宰相様はリュシー様に場所を譲って後ろに下がる。

「ここはよい。連れていけ」
「陛下? 何を!?」

 リュシー様がひとこと言うと、膝をついていた騎士が令嬢を女性からさらって、なかばかつぐように連れていく。スカートがめくれて中のドロワーズが丸見えなんだけど、誰か教えてあげてよ。宰相様が気を遣って女性騎士(多分)を連れてきてくれたのに、その心遣いを台無しにしたのは令嬢本人だけどさ。

「怪我をしている」

 リュシー様が俺を立たせてくれる。俺がスルッと逃げると、腕の中に引き戻された。

「リュシー様、濡れるし汚れます」

 水かぶってるし、ほっぺた多分切れてるし。

「それより、この侍女さんとどこかで捕まってる彼女の弟さん、保護できないですか?」

 国王陛下の登場で、息も絶え絶えに平伏している侍女さん、俺に水かけちゃってるから、被害者である俺がとりなさなきゃダメそうだ。近衛このえさん、一緒にフォローしてくれるかなぁ。

「ルシオ、しばし外す。あの女は適当に調べろ」
「ひゃあッ」

 言うなりリュシー様は俺の膝の裏をさらって抱き上げた。

「風邪をひく、まずは湯だ。フィン、手当ては清潔にしてからだ」
「はい」

 それは正しい。が、下ろしてくれ。
 宰相様が生温い視線で手をヒラヒラ振っている。俺についていた近衛このえさんは膝をついた姿勢を続け、侍女さんは変わらず土下座スタイルのままだ。この国に土下座の概念はないから、彼女は絶望感で突っ伏しているだけなんだろうけど。

「宰相様、騎士様は助けてくれました! お説教はしないでくださいね! 侍女さんも助けてあげてください!」

 リュシー様は後ろを気にせずガンガン歩く。それに付き従う近衛このえさんが六人。侍従さんが三人。彼らが邪魔で宰相様が見えないけど、俺の要望は伝えた!
 王様ってお城の中を移動するだけで、こんなに引き連れていなきゃならないのか。

「リュシー様、仕事の途中じゃ……」
「フィンとリューイ以上に重要な案件などない」

 リューイはともかく、俺より重要なことはいっぱいあるだろう。

「……相手が小娘でよかった」

 うん、大人の男だったら殴る蹴るの暴力もあったかもね。

「あのお嬢様に、かなりイロイロ言っちゃったんだけど、リューイの不利にならないですか?」

 間違ったことは言っていないつもりでも、お嬢様の貴族的プライドは傷付けただろう。彼女の言うところの『無礼な下民』に育てられたリューイが、お城でないがしろにされるのは避けたいところだ。
 そっとしておいてくれる分にはいいが、危害を加えられては困る。

「リューイは大丈夫。それよりも、フィンだ。リューイの披露目と一緒に立場を明確にしようと思っていたが、前倒しも考えねばならぬな」
「え、俺、表に出るの?」
「いや、乳母ナニィ話し相手コンパニオンとして侍従職とは別の独立した職務をな」
「独立……」

 今の俺、マジで居候いそうろうだからさ。家事ざんまいしてるったって、王族のプライベート空間まで入り込める人しか知りようがないし、男娼って言われてもしょうがないっちゃしょうがない。多分俺の存在は、リューイと一緒にお披露目まで内緒なんだし。
 それはきっと、王位の継承順位とかに関わってくるからだ。リュシー様は未婚だから、王弟のリューイは暫定一位に躍り出ちゃう。
 そんなことをボーッと考えているうちに浴室に着き、俺は下ろされた。結局最後まで抱き抱えられちゃったよ。
 あれ? ここどこだ?
 猫足のバスタブに大きな窓の浴室は、初めて見る。俺のために用意されている家族風呂とは違う。なんだろう、マリー・アントワネットとか入ってそうなバスタブだ。

「陛下、お待ちください」

 そんな声がして、きっちりと髪の毛をまとめた背の高い女性が現れた。キャリアウーマン的な雰囲気でキリッとしている。

「女官長」
「ご入浴はお控えください。血のめぐりがよくなりすぎて、血が止まらなくなったらいかがなさいます。たらいのお湯とお着替えをご用意いたしました。医師はすぐに参ります」

 それもそうか。濡れたまま四阿ガゼボで膝をついたから、まずはお風呂って思ったけど、言われてみれば女官長様の言うことは正しい。

「ご入浴を言い訳に、エルフィン様を……の間に連れ込むなど、わたくしの目の黒いうちは許しません」

 女官長様にされて、リュシー様がコクコクうなずく。陛下の威厳、どこ行った?
 もう一度リュシー様に抱き上げられて、部屋に運び込まれた。優美な曲線を多用した、柔らかい雰囲気の部屋だ。ファブリックを替えればどんな雰囲気にもイメチェンできそう。前世の母さんが好きそうだな。
 寝室に押し込まれて、リュシー様が追い出される。宰相様もだけど、この女官長様もリュシー様の扱いが雑だな。
 膝の高さの台が置いてあって、その上に湯気がたつたらいがあった。ベッドの配置からしてこの台、たらいを置くためだけに運び込んだっぽい。
 ついたてが置かれて、俺の姿が隠される。女官長様と一緒に侍女さんと女中さんも数人うろうろしているので助かった。下着まで水が染みているせいで、ぱだかにならなきゃならないからな。
 人の気配がするところで脱ぐのは恥ずかしいけど、待たせるのも嫌だ。ぱぱっと脱いでタオルを温かい湯につける。ちょうどいい温度だ。
 タオルはたくさんある。最初の汚れていない湯で顔をぬぐうと、固まりかけた血ががれたのか、タオルが派手に汚れた。
 ついたての向こうの入り口辺りで、時々人の気配が大きくなる。入ろうとする人を追い出すような声がした。
 この部屋、使う人がいるのかな? 急がなきゃ。
 せっかく温かいお湯を用意してもらったものの、乾いたタオルで身体を拭いて、準備されていた部屋着に着替える。余ったタオルで傷を押さえてついたての陰から出ると、入り口のところでリュシー様が女官長様にめられていた。
 なんだ、この部屋を使う人じゃなかったんだ。

「まぁま、エルフィン様。肩が寒そうですわ。たらいのお湯が冷めておりましたか?」
「いいえ、いい温度でした。この部屋、次にお使いになる方がみえたと勘違いして、ちょっと急いでしまったのです」
「ではあちらに医師が控えております。お手当てしたら、暖かくしておやすみくださいね」

 やすむって、まだ午前中……。う、女官長様の圧がすごい。はい、おとなしくします。
 寝室とつながった居間に移動する。医師とおぼしき白髪のおじいちゃんとリュシー様が、ソファに腰掛けていた。リュシー様が俺に気づき、すぐに立ち上がる。

「陛下、さっきからお行儀が悪うございます」

 女官長様の声が冷たい。
 さっき寝室に突撃してたのって、リュシー様だったんじゃ? 心配してくれたんだよな。なんだか鳩尾みぞおちの辺りが、ふんわり温かくなる。


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