【勇者】が働かない乱世で平和な異世界のお話

aruna

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第1章 P勇者誕生の日

第6話 西の貿易都市 サティ

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 ンシャリ村から歩く事約6時間。
 自然溢れる風光明媚な街道を無心で歩み続ける事で、なんとか半日で目的地である街へとたどり着いた。

 王国の西端に位置する交易都市、「サティ市」。

 ここは王国を東西南北四つの地方に分割した時に西で一番大きな都市であり、王国の中でも一際商業の盛んな都市である。
 それ故に商人の往来が絶えず、故に関所は通行料さえ払えば面倒な検問などもなく自由に出入りできる場所だ。
 そんな背景から商人の護衛や補給など多くの仕事が必要となる為、サティ市の冒険者ギルドには多くの冒険者が集まる事でも知られる。
 取り敢えずギルドに所属すれば仕事に困る事は無いから、田舎を飛び出してきた若者の職業斡旋所、及び様々な事情で流浪する者たちの駆け込み寺的な役割も同時に担っていからでもある。
 そんな訳でこのサティ市は、『軍人の東都』に対比して『商人の西都』とも言われ、経済的には王国内で最も栄えている場所だった。



「ふぅ、疲れたね☆、ちょっと一風呂浴びて、汗を流してきてもいいかな?流石にこのままギルドに交渉に行くのは僕としては不利益になる可能性があって好ましくないと思うけどネ☆」

 俺は道中ほぼノンストップでひたすら歩かされていた為に、その間ずっと到着した後の第一声をなんと発言してフエメ相手に自分の要求を通すかを考えていた、それ故に喋り方のウザさも磨きがかかっている。

 そう、歩いてきたのは俺一人だけ、フエメとそのお供であるメルは馬車で、俺一人だけその後ろを何度も置いてかれそうになりながら必死についてきてたのである。

 馬車に乗せて貰えないのは単純に、フエメが男と同乗する事を嫌っているから、だからこの扱いは恒例のものであるが、普段は俺が乗る分の馬を用立ててくれていた。

 馬を貸してくれなかったのも単純にフエメが意地悪だからだ・・・、いや、悪魔的に意地が悪いからだ。
 ただの意地悪でフルマラソン並のハードな運動をさせられた訳である。

「・・・まさか本当に徒歩でついてくるなんてね、【モンク】や【軍師】の能力補正では多分無理、やっぱり・・・」

 フエメが何か喋っているが、発汗と動悸、そして耳鳴りまで聞こえるほど困憊している俺には聞き取れ無かった。

「はぁはぁ、取り敢えず宿は取るの?流石にお馬ちゃんも日帰りはキツいだろうから先に宿を取った方がいいと思うけどネ☆」

 最初に宿を決めるのは旅の鉄則であり、野宿しない為に最初にするべき事ではあるが、これが日帰りになる可能性も決して低くは無いので確認した。

「・・・まぁいいわ、メル、宿はいつもの所で予約しておいて、私は取り敢えず積荷を消化してくるわ、犬」

 犬?。

 俺はフエメの視線の先を追い背後を見るが、何も無かった。

「お前はこの荷物を運ぶのを手伝って頂戴」

 そう言ってフエメは馬車の荷台に積められたライチの箱を下ろすように指示する。

 もしかしなくても犬とは俺の事を示していた。

 恐らく、このキテレツなキャラを演じてフエメの好感度を更に下げていったなら、呼称は犬→ゴミ→蛆虫へと変化していくに違いないが、それでもフエメの好感度を上げた先にあるものが断じてハッピーエンドでは無いと分かっているので、なんなら蛆虫になって向こうから直接危害を加えられないラインを維持して嫌われたいくらいではあるが。
 だが犬の今ではまだ俺を利用する事に抵抗は無いのだろう、ここから頻繁にハナクソをほじったり、野良犬や野良猫を可愛がったり、トイレの後に手を洗わなかったりみたいな不潔行為を繰り返して、フエメが俺を視界に入れる頻度を徐々に下げられるように努力しよう。

 逆らっても粛清されるだけ、そうなってフエメと接点を失う事の方が損なので、上手い具合にメリーさんやクロがフエメとのパイプを作る日まで、俺がこの汚れ仕事をするしか無いと嫌々ながらフエメに従った。

 そこからフエメは自慢の特産品であるライチを持参して付き合いのある商人の家、市長の家などの挨拶回りをしていった。

 田舎のプチ豪族でしかないフエメだったが、外で話を聞いていた感じだと社交界に進出する事を狙っており、その為の下準備といった所か。

 ンシャリ村とサマーディ村は王国の端の端だ、だから社交界の招待状など届くはずも無いが、急な物ではなく、例えば大商人の結婚式など儀式的なものならば招待される可能性もあるし、フエメはそれを狙って抜け目なく挨拶回りをしている訳だ。

 貴族が居なくなった今、社会の趨勢は大きく変化し、時代は巨大資本と組織を持つ商人が権勢を振るうようになった。

 故にフエメはそこで成り上がる為に多くの商人との繋がりを作り、この激動の時代に絶対的な地位を手に入れようという事だろう。

 今までは冒険者ギルドの日陰に存在した商業ギルドも王国が滅びた僅か数ヶ月で驚異的な発展を遂げたおかげで、今までは貴族の領地ごとにかかる関税や店を開くみかじめ料などで自由に動けなかった部分が解放された事により、全国の流通は一気に加速し、それに応じて人とモノ、そして金の規模が戦時という状況もあり一気に膨らんだからだ。

 だから仮に商人として成功を収め、荘園や領地を元貴族達から買い取ればそれはもう第二の貴族のような物であり、だからこそ、この時代の移り目に商売に奔走する価値は確かに他では有り得ないくらいにインフレしていると言える。

 でもまぁ、俺がフエメの立場だったら間違いなく今の地位と財産と権力で満足して、成り上がろうという考えには至らないだろうから、だからフエメも俺からすれば立派に異常者なのであった。



「終わったわよ、犬」

 大箱の中に積められた皮袋20、重量にして20キロ、それを自分用に一袋だけ残して配り終えるとフエメも流石に疲れたらしく休憩しようと宿に向かった。

 宿まで送り届けると俺は木箱を馬車に戻すように言われ、流石にこれ以上雑用を押し付けられては身が持たないと思ったので提案した。

「じゃあ、一旦別行動って事でいいカネ☆、僕も疲れたし、お風呂に入りたいシネ☆」

「ならそこの噴水でちゃっちゃと済ませてきなさい、・・・っ今の変なキャラの犬なら出来るでしょ・・・くすっ」

 そう言ってフエメは笑いを堪えるような様子で、広間の噴水を指さした。

 自分のギャグに笑ったのか、俺のキャラがツボに入り始めたのかは分からないが、笑ったフエメの顔は反則的に可愛かった。



 言い忘れていたが、フエメは10が10人、100人なら100人が振り返り、美しいと認めるほどの美貌の持ち主だ。

 故にそんなフエメに虐げられる事を人によってはご褒美だと受け入れる事も現実として多々あるし、そしてフエメの笑顔には一目で恋に落ちても不思議じゃ無いほどの魔力がある。

 ───────もし、今の俺が疲労困憊、喉もカラカラ、尿意も甚だしく、そして空の木箱を馬車を預けている馬小屋まで持っていけと言われていなかったならば、普通にその笑顔見たさにはしゃいで噴水に飛び込んでいただろう。

 つまり、フエメの可愛さは、抗い難い程に反則的なのである。

 だから俺はこいつが嫌いだ、根っこは俺と同族の筈なのに、まるでお姫様みたいな性質で、迷いも偽りも無くて、だから・・・。

 俺は無言で背を向けて歩きだした。

「・・・宿代の5万分の仕事と思えば、少しはやる気も出るかしら、犬、ここのディナーは一流シェフの料理が食べ放題よ」

「ぜ、前回は、男は馬小屋で十分とか言って無かったカネ☆」

「今回は馬1頭分の賃貸料が浮いたし、馬車を追いかける犬の必死な顔には5万の価値があったわ、だから最大級の譲歩をして、犬がこれから真面目に仕事してくれるなら、一晩の宿代くらいは出してあげる」

 俺の強行軍に5万の価値があるならそれで手を打ってくれんカネ☆、とツッコミが出そうになるが堪えた。

 半分言質のようなものなのだ、だったらここからどんなキツい労働を強いられても日当は5万、ならばどんな労働だってはい喜んでと言えるに決まってるッ。

「これで僕の最大限の労働力を引き出しておいて、後から契約交わして無いから、じゃ済まさんからネ☆、もし騙したんだとしたら君のちょっと恥ずかしい噂をこっそり流したり、死んだら墓に小便かけるくらいはしてやるカネ☆、だから絶対守ってもらうカネ☆」

「いいわ、約束しましょう、裏表なく、今日は犬の宿代を払って上げる、その代わりに犬はこれからは私に絶対服従し、舐めた態度も取らないこと、言わば主従契約ね、ギブアンドテイク、犬は今日から私を雇用主として敬う事、それでいいわ」

「ちょっと待つカネ☆条件増えてるカネ☆、そもそも僕はお嬢様の雇用人になる気は無いカネ☆」

 主従関係が結ばれたなら地雷を踏まないようにご機嫌取りをするというハードモード状態となり、今のささやかな抵抗である語尾すらも奪われてしまうだろう。
 そうなれば馬小屋で寝るより遥かに窮屈な思いをするのは間違いない。

「怠惰で無能な犬に5万も出すのだから、当然犬は労働力だけでは無く、権利、自由、尊厳、全て差し出して仕えるのは当然でしょう、それに悪いようにはしないわ」

「何を言ってるカネ☆、人の尊厳を金で買おうとするなんて間違ってるカネ☆、もしもセルフでケツの穴舐めながら公開オ〇ニーしろとか言われたら僕は迷いなく尊厳死を選ぶカネ☆」

「そんなふざけた要求を私がする訳で無いでしょう、機嫌が悪い時に顔面を貸してくれるだけでいいのよ」

「人の顔をサンドバッグにするのはやめるカネ☆、今日日きょうび暴力系ヒロインは下火どころか嫌われてるのに、理由の無い理不尽な暴力なんて時代を逆行するどころか神に挑戦するような愚行としか言えないカネ☆、もっと穏やかな気持ちで人と接するべきカネ☆」

「・・・うるさいわね」



 ──────────バチィィン。




「・・・カネ?☆」


 左の頬がじんじんと熱を持ったように傷みだす。

 俺は、フエメにビンタを受けていた。

 そのビンタは【女傑】の一撃であり、不意をつかれた俺は予備動作の無かったそれに全く反応出来ず、呆気に取られていた。

 そして殴ったフエメは、また天使のような無邪気さで、体内の膿を排出し切ったようなスッキリした笑顔で

 ─────笑っていた。

「ふぅ、やはりあなたの顔は殴り心地が良かったわ、最高の気分ね・・・。
 ・・・一日一発でいいわ、それで手を打ちましょう、その代わりにあなたには私に仕える権利をあげましょう、悪い取引じゃ無いでしょう」

「カネ☆!?、意味が分からないカネ、なんで殴ったカネ☆、そしてなんでその内容で僕が了承すると思っているカネ☆、取り敢えず殴った事は許さないからなカネ☆」

 取り敢えず俺はまた理由も無く殴られても嫌なので怒って見せた。
 このままいじめられ続ければ、エスカレートした果てにて公開オナ〇ーをさせられてもおかしくない、それほどフエメの横暴は極まっていた。

「別に許さなくてもいいわ、喜んでいる相手をぶってもつまらないもの、むしろ憎悪を感じつつも服従してくれた方が私としては嬉しいわね、こういうのSMと言うのでしょう、私がサドであなたがマゾで、丁度いい主従関係じゃない」

 それが森羅万象に通ずる宇宙の法則だとでも言うように昂然としたフエメの態度に、俺は怒りを通り越して辟易とさせられるが、げんなりしつつもぼやいた。

「僕はマゾじゃないカネ☆、非暴力主義の平和主義者なだけカネ☆、だから暴力には屈しないし、そもそも君に仕える権利なんて要らないカネ☆」

「あら?、・・・また計算ミスかしら?、ンシャリ村の田舎小僧と、サマーディ村の支配者である私の従者、この先生きていく上でどちらが得かなんて考えるまでもないし、私に仕えていれば、数年働くだけで一生暮らせるだけの金を稼ぐ事だって可能なのよ、そして主は絶世の美女、私があなたの立場なら仕えない理由を探す方が難しそうだけど」

 自分で絶世の美女とかいうあたり、フエメは自分の事を世界の中心にいる主人公とか思ってそうなくらいに自己評価が高いが、だけどそれが簡単に否定出来るほど笑える物でも無いからタチが悪い。

 確かに客観的に見れば世の大多数の人間、つまり凡人は、フエメに仕える事を己の最善と規定して、そこで思考停止し服従すると思う。
 それだけフエメは魔性であり、才色兼備で有能であり、しかもその様が天衣無縫という物語の主人公みたいな存在だからだ。
 そういう英雄の光に照らされたい、その主人公ヒロインの破天荒で劇的な人生を近くで観劇したい。
 そういう欲求も人間的な物であり、俺の中にも当然存在するが。

 だけど、そういう感情を抜きにして、俺は【勇者】を下りると決めている。

 だからフエメのその誘いは、迷惑以外のなにものでもなかった。

 ──────────とはいえ。

 普通にお断りすると、またしても疑われてしまう。

 上手いこと固辞できる落とし所と言うやつは無いだろうか。

 いや、そもそもフエメがここまで他人に入れ込み、そして引き込もうとする行為は非常に稀なものだ、それはつまり俺の正体にほぼ確信を持っているような話でもあり、簡単には断らせては貰えないだろう。

 それに俺は怠惰に見えて与えられた課題や村の問題に対しては誰よりも真摯に取り組み、最善を尽くす為に人事を尽しているという自負があるし、そんな俺がサマーディ村のフエメに靡くのは俺のプライドとしても微妙な話だ。

 おそらく、数十年後の話にはなるだろうが、それぞれの村の村長に、俺とフエメがなっているのは自然な流れだと思う。

 その時に俺がフエメの傀儡では、村人も俺の言葉に従わないどころか、ンシャリ村の衰退を招く事になるだろう。

 だからこの提案は目先の利益に囚われて未来を捨てる事になる選択でもあるのだ。

 故に、俺個人としてのメリットを見れば計り知れない程に大きいが、それでも納得するには材料不足だった。

 そもそも、仮にフエメが俺を【勇者】だと知ったとして、それで何をさせたいのか、それが分からない事も、こちらとしては判断に困る所である。

 もろもろ加味した結果、確かにフエメの提案には無視出来ないほどの魅力があったものの、到底受け入れられるものでは無いと断じて、断る事にした。

「君の提案は確かに魅力的だったカネ☆、でも男は理屈だけ生きる生き物じゃないんだカネ☆、曲げられない意地とか、捨てられない理想があるカネ☆、だから素直に断らせてもらうカネ☆」

「それはつまり・・・
 ───────私の言葉に逆らう、そう考えてもいいのかしら」

 フエメとしてはアレでも最大限の譲歩をした条件だったのだろう、それほどまでに俺の存在はフエメにとって魅力的なおもちゃとして執着が生まれていたという事だ、不本意ながら。
 だからそれを拒んだ俺に対するフエメの反応は、怒りや失望を綯い交ぜにしたような憮然とした面持ちで、最後通牒の脅しをかけるように警告して来た。

 正直、フエメを怒らせたらどうなるか、気安くナンパしたり、愛人になれと口説いた貴族がプライドの高いフエメの逆鱗に触れ、権力とか地位を超越した圧倒的な人望と、それを武器にした情報力による不正の暴露や信者を使った陰湿な隔離行為で、貴族の尊厳や名誉を尽く失墜させて追い出すというやり口を知っている俺からすれば、身の毛もよだつほどにその脅し文句は怖いが。

 だが今は俺も宣告を受けた一人前の男だ、故に家族を人質に取られない限りは王都にでも逃亡すればいいという楽観もあるし、そしてその気にればフエメの評判や名誉を逆に失墜させるような策だって一応ある。

 だからフエメの脅しは確かに怖い。

 怖いがそれでも脅しで従う俺では無かった。



「脅しで信念は曲げられないカネ☆、世の中カネとコネだシネ☆、それに君の要求を飲むには条件以前に僕の好感度が全く足りてないヨネ☆、だからもっと僕の好感度を上げるまでこの話保留という事にしておくノネ☆」

 一応保留という事にしておけば文句は言えないだろう、このキテレツなキャラで無ければ「俺の好感度を上げろ」なんて面と向かって言えるような言葉では無いが、おかげで他意を匂わせること無く直球で言う事が出来た。

 フエメはこのキャラをウザく思いつつもツボに入り始めている、故に、俺は明確に拒否の意を示したが、二度目のビンタは飛んでこなかった。

 それを好機と考え、俺は逃走する事にした。

「じゃあ今日はここで解散、僕は有能な冒険者について調べてくるカネ☆、明日情報を持って正午にギルドに集合、これでいいカネ☆」

 返事を待たずに木箱を持ってその場を立ち去る。
 フエメが引き留めようとしなかった事から鑑みるにこれが最善の落とし所で間違いない。

 とは言え俺の全財産は1000デンと、宿代どころか風呂代にも満たない。

 これで一晩過ごすのはキツイので、なんとか日雇いの仕事を探して宿代くらいは稼ぎたい所だ。

 日はもう傾いているし、取り敢えず急いで木箱を格納する為にクタクタの体に鞭打って走った。





「取り敢えず何で稼ぐかなぁ・・・」

 レベル7の【モンク】に出来るような仕事なんて雀の涙ほどだ。
 欲を言えば居酒屋や飯屋で皿洗いでもして、寝床とまかないさえ貰えれば御の字、と言った所だが、小汚い田舎小僧を雇ってくれる店は多くないだろうし、探すだけでも大変だ。
 故に体当たりの駆け込み営業は奥の手にしたい。
 とは言え酒場は冒険者たちの社交場でもあり情報が集まる場所でもある。
 理想は客として利用する事だが、それが出来ない以上は雇われるしかない。
 故に選択肢としては一等級に優れた物だろう。

 次に考えられるのはフエメの信者である元貴族や冒険者達にフエメの個人情報を売る事。
 俺はフエメとそんなに接点がある訳でも無いが、やはり隣村という間柄である以上、村同士の祭りで顔を合わせる事はあるし、噂話もそこで拾える。
 そんなフエメの面白いエピソードやら、趣味の好き嫌いや他愛ない噂話など、親衛隊を名乗る信者達に宿と食事と引き換えにして売る事は難しく無いだろう。
 ただこれはフエメの機嫌を損ねる事請け合いなので、実行する際は細心の注意と、バレた時のリスク管理を絶妙にこなす必要が出てくるので、楽して稼げる仕事ではあるものの、やはり気軽に選べる選択肢では無い。

 最悪の場合は【モンク】である事を利用して教会に保護して貰いに行く手もあるが、だが聖書の一文も知らず、信心の一すくいさえも持たない俺が【モンク】を名乗るのも、かえって怪しまれるだろう。
 偽装ライセンスは所詮偽装であり、【プリースト】以上の聖職者には見破られる代物だからだ。
 故にこれは奥の手というか、最悪【乞食】として保護して貰いに行くかと言った感じ。

 俺に知り合いとか頼りになる友人がこの街にいれば良かったのだが、残念な事に今まで街に来た事は何度かあるが田舎モンらしく、仕事が終わったら街中の観光ばかりしていた俺には仲良くなった取引先の商人の息子、みたいな存在はいない。

 顔見知りがいるとしたら俺をフエメの従者だと思って近付いてきた親衛隊関連のフエメ信者達だけ。

 もし俺が物語の主人公とかならばったり困ってる女の子を助けてそれでなんやかんや衣食住に世話をしてもらうという、ボーイミーツガール的な導入でありがちな展開で救われてもいいはずだが、残念ながら俺は孤独死が何よりも似合うくらいには寂しい男なのでそんな出会いの可能性は皆無だ。

 ・・・結局。

「消去法で考えて見ても、体当たりで居酒屋に皿洗いとして雇って貰うしかないか」

 呼び込みもキャッチも何でもやります!、だからここで働かせてください!って言って、無理矢理強引に雇わせるしかない。

 おそらく殆どの店では断られるだろうし、頑張って営業して見つけるしかない根気の勝負、しかし今の俺にはそれしかする事が無い。

 ・・・【勇者】が世界にただ一人のレアジョブだとしても、俺の価値なんて所詮こんなものだよなぁ。

 イケメンでも無ければ有能でも無く、人を感動させる芸や、楽しませる技がある訳でもない、そんな無能の俺なんて、無価値で無意味な凡人でしかない。

 【勇者】のレッテルを貼られた所で俺の根本は変わらない、だからやれやれと言った調子で底辺らしい生き方を模索していくしかないのである。



 その後、俺は営業をする前に温泉で汗を流して、フエメの家から拝借した調度品として設えてあった香水を体にかけて、数十軒の居酒屋にカチコミ営業をかけた。

 ここを断られたらもう何処行っても無駄と思えるくらい狙い目のシフトが一人空いてるという好条件、及び籠絡しやすそうな店主を見つけ、プライド全て捨てて土下座で雇って貰って、なんとか皿洗いの仕事を貰えた。

 ちなみに温泉の金は足りてなかったが、そこは詐欺師の交渉術と言う奴で【モンク】の俺の頼みを断ると不信行為として天罰が下るとか、徳を積むと商売の神様に気に入られるとか、適当に理由を付けて値引きしてもらった。
 他にはなんの取り柄も無い俺だが、こんな風に人を平気で欺ける事に関しては、多分長所と言っていい部分なのだろう。

 それと同時に無一文にはなったが、やっぱりいい風呂は肌への浸透率が良く体が潤い、疲労回復と美容効果もあり、消耗し切っていた体力も風呂に入るだけでなんとか午後の仕事を乗り切れるまでに回復させる事が出来た。
 
 おかげで今は、想像の倍以上に店が繁盛していて大変な皿洗いの仕事ではあったものの、なんとか仕事を溜め込まずに消化している。

 目論見通り、俺の選んだ居酒屋には数多くの冒険者が立ち寄っていて、今はその中から高ランクのめぼしい冒険者がいないかを品定めしている所だ。

 Aランク冒険者はほぼ最高クラスの存在であり、全体の1パーセント未満、殆どが名の通った有名人である為にそう簡単に出会えるものでは無いし、今ある予定を前倒しさせて緊急で雇うなら費用は倍かかるだろう。

 故に基本としては限りなくAに近いBランクや、Bランクの中でもパーティを組めばAに匹敵するような冒険者の中から選別するしかない。

 店の中には推定Bランクのパーティーが一組と装備からBランク相当と思われる冒険者が二人いた。
 頑張って意識を集中させれば、彼らの会話を聞き取るくらいは出来ない事も無い。

 なので上手く情報を拾って、役に立つかどうかを判断する材料を集める事、それが今出来る俺の諜報活動。
 仕事しながら別の仕事をするというのは中々骨が折れるが、皿洗いなどは慣れたもので、そこまで意識の容量を使わないのが幸いだった。

 これが接客やウェイターしながらだったらホール全体を駆け回る事になり、余所事に集中する余裕なんて無かっただろうから。

 先ずはパーティを組んでいる方の冒険者の会話に意識を傾ける。

 平均年齢は二十歳頃のバリバリの現役、男2女2のパリピ型仲良しパーティで、容姿も装備もそれなり整っている事から、陽キャのぼんぼんが時勢的な流れで趣味で冒険者をやっている、というような背景だろうか。

 選考基準は協調性やプロ意識よりも実力が優先されるが、こういう目的意識の低そうな若者は目先の金に釣られて騙されやすそうな点が高評価だ、故に、他の中年の冒険者二人よりも採用する優先度は高いだろう。

 情報だけでなく採用する事も視野にいれつつ、パリピ陽キャ達の会話を盗聴する。



「いやマジで今回の任務まじでエグかったわぁ」

「それな、3日で1ヶ月分の金稼げるからって、安易にAランクの任務とか受けるべきじゃ無かったぜ」
 
「カウカウワイバーンとかウチらなら余裕かと思いきや、ネームドモンスターって通常の十倍くらい強かったよね、ほんと死ぬかと思った~」

「まぁでもおかげでようやく、あーしらも念願のAランク装備も買えるし、Aランク昇格も見えて来たってカンジ」
 
「んじゃ景気づけに、一発いきますか」



 そう言って乾杯するとリーダー格の男はジョッキを一気飲みした。
 他のメンバーもそれに倣うように飲み干す。
 あの調子で盛り上がっていくなら閉店まで居座るか、明日は二日酔いで寝たきりとかになりそうだな。
 取り敢えずA級の実力はあるみたいなので、名前などの最低限の情報だけでも集めておいて交渉はギルドに依頼する形になるだろうか。

 しかし、ああいういかにもリア充と言った感じの、陽キャパーティーは本当に憧れる。

 俺は陽キャを演じる事も出来るし、陽キャとパーティーを組む事も多分出来るけど、俺自身中身は筋金入りの根暗クソ陰キャだから、あんな風にパリピって女子と楽しく会話するという行為が苦手というか不得手で、だから憧れこそすれ、女子の友人というものを持たない。

 まぁ仕事で年上のお姉さん(好意的解釈)を上手いこと手の平で転がしたりして値切ったり商談をまとめたりした回数なら百戦錬磨級ではあるんだが。

 ───────もしも俺が村でパーティーを組むとするのならば、回復役のメリーさんと、後方支援系のクロ、前衛にフエメとメルでパーティーを組めば、かなりバランスが良さそうだ。
 ・・・まぁ【モンク】の俺だったら要らないと言われそうだが、逆に女しかいないから雑用係の黒一点としてフエメが必要性を説いて雇いそうだな。

 なんて、ちょっとだけ村の平和の為に戦う冒険者の自分という淡い夢にうつつを抜かすと、ギリギリ保たれていた緊張の糸も解けて、今の任務対する義務感のようなものも薄れていった。

「ちょっと新入り、欠伸してないでキリキリ働きなさいよ、ほらこれ、ちゃっちゃと洗って暇ならホールの方も手伝って頂戴、こっちは一人で回してて死ぬほどキツいんだから」

 ぼけーっと、超省エネモードで仕事していたら、ウェイトレスの女の子に強めのビンタでしりを叩かれた。
 一応この店の店長の身内なので、舐めた態度を取ることが出来ず、俺は再び背筋を伸ばす。

「はい、喜んで!、うおおおおおおおおお!、めっちゃ洗うっス!、アライグマのように洗うっス!」

 本当は疲れと眠気でやる気レベル最低値くらいのダルさだったが、やる気無い時はやる気のあるフリだけすればいいと人生の経験として培っていたものがあるので、俺は熱血漢を装って暑苦しく手を動かした。

 それを見てウェイトレスの女の子、名前は確かハルカだったかな?、も満足したようにホールに戻って行った。

 ──────結局。

 やる気のあるフリだけするつもりだったのだが、ホールで手が回らなくなったハルカを見かねて、俺は皿洗いの仕事を手早く切り上げてホールも手伝う事になったのであった。




「お疲れ様ライアくん、ほんと助かったよ~、まさかたまたま今日シフトが二人も穴が空くなんて、私とルカの二人だったら絶対に回らなかったし、ライアくんが来てくれて良かった~」

「・・・まぁアンタのおかげで助かったのは間違いないし、一応感謝してあげるわ」

「うス!、こちらこそいい経験させて貰ったッス!、ただ自分、もう腹減って死にそうなんで、お礼よりまかないくれた方が嬉しいッス!」

 慇懃無礼という言葉があるけど、礼儀正しくても無礼にあたるなら、礼儀正しければ無礼でも構わないという論法だ、故にこの熱血キャラなら多少無遠慮でも愛嬌として許して貰えるだろう。
 俺は暗に礼をするなら飯を食わせろと要求した。

「ああ・・・、それなんだけどね」

 店長はバツが悪そうな表情で口ごもった。

 言わなくても察する、つまりまかないを出せなくなったから、飢えた俺を見て困っているのだ。

 そこでナルカが店長の代わりに答えた。

「悪いけど、今日の食材は全部使っちゃったの、調味料と小麦粉くらいならあるけど、まかないは作って上げられないわ」

「う、うス・・・!」

 ラストオーダーの時点で殆どのメニューは売り切れになっていたからこの展開は予想出来ていたが。

 だが夜遅くまで飲まず食わず、朝から過酷なフルマラソン超え強行軍の後に、あれこれ雑用させられた挙句、きっちり一日分の労働に等しい労働力を払って、それでたった一食の糧さえ得られないというのは、あまりにも惨くて、ひもじくて、みじめで、16歳になったばかりの社会人一年目の俺にとっては、泣きそうになるくらい理不尽な仕打ちだった。

「ちょっ、泣かないでよ・・・、こっちだって悪いと思ってるんだから」

「本当にごめんね、・・・えと、はいこれ、3人分頑張ってくれたから、給料も3人分あげるね、だから元気だして」

 そう言って店長は目を潤ませた俺に、銀貨を二枚(貨幣価値一万)握らせてくれた。
 日当一万の仕事と思えばかなり破格であり、店長の謝意と誠意を感じ取れるが、それで今日の糧が完全に得られないと知って、更に胸の奥が強く震えた。

 しかし、目尻に涙を溜めつつも、雇ってくれた店長と、そしてそのおかげで冒険者の情報も少なからず収集出来た事に対して感謝し、悔しさを無理矢理飲み込んだ。

「ま、マジ感謝っス、こんだけ貰えたら明日は腹一杯食えるし宿代も困らないし、マジ助かるッス!!」

「お礼を言うのはこっちの方だよ、ライアくん、もし仕事決まってないなら正式にうちの店員にならないかな?」

「はぁ?、ちょちょっとお姉ちゃん、何言ってんの、こんなフシンシャ雇うのなんて今日限りで良いでしょ」

「でもライアくん皿洗いも出来るし、オーダーもスムーズに取れるし、控え目に言ってナルカより優秀だから雇っておいて損は無いじゃない?、ちょうど男手も欲しいと思ってたしさ」

「確かに皿洗いは私より上手かもしれないけど、でもこんな田舎者丸出しのフシンシャ雇ったら店の評判に響くでしょ、それに・・・」

「それに?」

 ナルカはこちらを一瞥するとそっぽを向いて「なんでもない」と答えた。

「ナルカはこう言ってるけどライアくんはどうかな?、私としては大歓迎だし、是非にとは思ってるんだけど」

「気持ちはめっちゃ嬉しいッス!、自分も、働くならこういう店で働きたいと思ってたッス!、でも、今日は田舎から所要で来てるだけなんで、お話は嬉しいですけど受けられないッス!。
 でももし田舎から一人で上京する事があったら是非また働かせて貰うように頼みに来るッス!、自分、まかないと宿さえくれるなら給料とか要らないッスから、そんときはヨロシクッス!!」

「そっか、残念、あ、一応宿は、西区の川沿いの所に船乗りがよく使う一日中営業してて安い所あるからそこに泊まるといいよ」

 そして店長はそのまま店を閉めて俺たちは解散した。

 疲労は完全にピークだ、意識は朦朧とし、眠過ぎてフラフラとした足取りで、殆ど灯りの無くなった夜の街を歩いた。

 今なら固くなったパンも美味しく食べられるし、床の上でも気持ちよく寝られる。
 そんな極限状態一歩手前にまで追い詰められていたために、何処の宿に泊まるとか、今から何をするみたいな目的意識が完全にゼロの状態で、ただ静かに眠れそうな場所を探して、宛もなく彷徨する。

 居酒屋の閉店は全ての店の中で一番遅い、故に、店が閉まる頃には街の灯りも全て消える。

 そんな中で俺は店長に勧められた西区の方では無く、反対の馬を預けている馬小屋の方へと歩みを進めている。

 残念ながら、人を騙す事に長けた詐欺師の俺であっても自分の空腹を騙す事は出来なかった。
 故に、特に考えもなく、馬小屋ならニンジンとかあるのでは無いだろうかという淡い期待を抱いて、ただ何か食えるものが無いかという欲求に導かれるままにフラフラの体を動かす。

 ゾンビのような足取りで夜の街を徘徊する不審な様は警官や同心のような見回りの騎士に職質されてもおかしくないが、夜の街は完全なる静寂の中にあって、他に人はいなかった。

 ふと、見知った場所にいると気づき足を止める。

「そう言えばここ、フエメの泊まってる宿だったな、一流シェフの料理が食べ放題という事は、その残飯も・・・」

 残飯漁り、やるべきかやらざるべきか、なんて葛藤するよりも本能が、宿の裏口を探すように勝手に体を急かした。

 これが今代の勇者の姿と知ったならば、誰しもが失望、幻滅するに違いない、でも今の俺にはそんな事よりも腹を満たすことの方が優先された。

「・・・あ」

「はぐっ、はむっ、ん、ん、はぐっ、はむ・・・」

 先客がいた、は大きな皮袋に詰められていた残飯を勢いよく頬張っていた。
 その勢いたるや、一心不乱に餌にかぶりつく獣のようであり、その帝王の食事を邪魔してはいけないと思い、俺は残飯の残飯を待つ事にした。

 残飯を食っている女は、残飯漁りをしているのが似合わないような豪奢なドレスを着ていて、まるで貴族のような身なりをしていた。

 このご時世だ、没落し、身を持ち崩した貴族は星の数ほどいるだろうが、それでも騎士や冒険者になるなど、貴族としての誇りを捨てずに糧を得る方法は存在する。

 それなのに残飯漁りをしているという事は、貴族では無く高価な衣装を着ているだけの平民の女か、もしくは箱入り娘過ぎて世間に疎く、残飯漁りという選択肢しか知らないかのどちらかだ。

 どちらにしても、関わり合いにならない方が吉だし、彼女がこの先人さらいに売られて奴隷になろうが野垂れ死にしようが俺には関係の無い話、か。

 俺は空腹だったが目の前で残飯を貪る女の光景から目を背けると、静かにその場を立ち去ろうとした。

 しかし、そこで突然女が悲鳴を上げて、悶え始めた。

「んんっ!ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙っ!!」

 もしかしたら残飯の中に食べてはいけない物が入っていたのかもしれない、そう思うと残飯漁らなくて良かったという安堵と同時に、女を吐かせて救出しなければという使命感に囚われる。

 俺は見捨てる見捨てないの自己問答に数秒だけ時間を費やしたが、苦しんでいる女の姿を見るとどうしても放っておけず、即座に女の喉に指を突っ込んで吐かせた。

「おろろろろろろろろろろろろろろろろ」

 酸っぱくて臭い刺激臭が路地裏に充満するが、俺は自分の衣服が汚れる事も厭わずに、女を吐かせる事にだけ意識を集中させた。

 数分の間、そうして女を吐かせ続けると女はぐったりと憔悴したが、ここは宿の裏口という事もあり、誰かに見咎められる可能性が高かったので、俺は女を両手で抱えると一目散にその場から離脱した。

 翌朝、ゲロまみれの残飯袋を片付ける店の人には悪いが、流石に後片付けまで引き受けるほど、今日の俺には精神的にも体力的にも余裕が無かったので許して欲しい。

 俺は女を連れて井戸までやってくると、井戸水で女の口をゆすいでやり、ついでに俺も井戸水でずっとしくしくと喘いでいた胃袋を満たしてやる。

 ここまですると体と精神、どちらが限界を迎えたのかは分からないが、そこから一歩も動く気にもなれず。
 女を置いて立ち去る気力も無く、井戸に背を預けて、暫しの休息をとる事にした。

 一息ついて改めて振り返ってみると、今日という日の密度は省エネ人間の俺にはあまりにも高くて、もうこれ以上何もする気にもなれないくらい俺も憔悴し切っていた。

 なので回復した女が俺をどうするかは構わずに、俺はその場で目を瞑り、疲労による強制的な睡魔に抗う事もなく、そのまま意識を手放した。







 夜の“ 殺戮の森”、そこは野生の凶暴な魔物達が活発に活動し、弱肉強食の死の舞踏会が毎夜の如く開催される場所。

 そこで死屍累々と積み上げられた魔物達の死体の山の上で、クローディアは狩った獲物の肉を食らっていた。

「やっぱりこの剣めちゃくちゃ強いのん、どれだけ斬っても切れ味が落ちないのん、すごいのん、これなら『女王』にも勝てるのん」

 【軍師】となったクローディアは、正確に彼我の戦力を数値化し、あらかたの勝算を表す事が出来る。
 現在のクローディアがタイマンで『女王』を倒せる確率は五分と五分、故に、クローディアは単騎で『女王』と戦う為に“ 殺戮の森”に赴いていたのであった。

「───────ニオイ、感じるのん」

 僅かな違和感、それを感じ取ったクローディアは、己が狩ったデビルベアの死体の影に身を隠して、息を潜める。

 そして間もなく、そこに地を這う大きな影が伸びた。

 それはデビルベアの3倍以上の体格を持ち、悪魔の様にいかめしく恐ろしい顔をした、デビルベアのボス個体であるデモンベアであり、そしてその強さとからネームド化した最強種『女王』だった。

「・・・仲間を、食べてるのん?」

 『女王』は辺りに積み上げられたデビルベアの死体を、片っ端から貪る。

 それが『女王』の特異性、『女王』は食う事で強くなる個体であり、そして、その喰らう対象に分別は無い。

 人間も、ドラゴンも、同族も、手当り次第に喰らった果てのネームド化であり、最強種と至った道筋、故に、飢えこそが『女王』の持つ感情、生理的欲求の全てであり、それしか『女王』の頭には無かった。

「隙だらけなのん、そして、やっぱりまだ弱ってるのん、今なら背後から一撃見舞う事が出来るのん」

 クローディアは不意打ちで倒す事を目論んだ。

 今までは『女王』の皮膚を貫通する武器が無かったが、妖刀ならば容易く断ち切れるだろう。
 それに、【逃亡者】スキルと見隠しのマントの二つを持つ自分なら、夜闇に紛れて一撃離脱する事は容易い。
 極限までリスクを抑えられる自信があった故に、クローディアは『女王』に挑む事にした。

 静かに息を潜めて、殺気どころか呼吸の気配すらも感じさせずに、影のように静かに忍び寄る。

 クローディアは一太刀、女王の体を試し斬りする様に、背中を袈裟に断つ。

 『女王』の持つ鉄の毛皮と鋼の筋肉を妖刀は容易く断ち切った。

「グギャ、グォアッ」

 『女王』は不意打ちを放った刺客に対して、振り向きざまに必殺の一撃を放つが、一撃放ったクローディアは既に離脱し、『女王』の視界から外れていた。

 『女王』は慌てて辺りを見渡すが、自分を斬った何者かの姿は見当たらずに混乱する。

 『女王』を斬ったクローディアは、『女王』の意識を外れた間合いの外の死角から、二撃目を与える算段を考えた。

「この刀の与えるダメージは想像よりもずっとすごいのん、これならちまちまダメージを与えていけば確実に倒せるのん」

 安全に一撃離脱を続けていけば、こちらを補足する術を持たない『女王』は、為す術も無く倒されるだろう。
 『女王』は圧倒的なフィジカルと体力が武器であり、それ故に知性や野生的直感は逆に衰えた存在だからだ。
 故にこれは【軍師】として立てた必勝の作戦であり、背後からの女王へのダメージが確定した事により討伐の勝算は5分と5分から九分九厘間違いなく倒せるものになった。

 だから、このまま夜闇に紛れて一撃離脱を繰り返していけば、夜明けまでには『女王』を倒せるだろう。

「・・・でも、それじゃあつまらないのん」

 クローディアは見隠しのマントを脱ぎ捨てて、『女王』の眼前に自ら姿を現した。

「グギッ、グギャゴァァァァァァァァァァア!!」

 クローディアの姿を見て『女王』は咆哮し、こちらを血眼になって見据える。

 悪魔を思わせる地獄に叫喚するような物々しい咆哮に、辺りのネズミや鳥たちは一斉に逃げ出す。

 圧倒的な死と闘争の臭いニオイを漂わせる暴力の発露、それこそが『女王』の真価であり、命の形。

 それを間近で嗅ぐことで、クローディアの血は沸き立ち、自然と笑みが零れる。

「やっぱり、こっちの方が面白いのん」

 【軍師】になって幾百の魔物を倒したが、雑魚を幾ら屠っても心の中では満たされない何かが蓄積していた。

 その今日まで溜め込んだ鬱憤を晴らすように、クローディアは、己の本能に従うままに、『女王』との正面対決を望んだのである。

 『女王』が一撃を放つ、クローディアはそれを寸前で躱すが、その風圧だけで肌は切り裂かれ、少女の柔肌には痛々しい傷が刻まれた。

 しかしクローディアはその傷がむしろ愛おしいというような表情を浮かべると、更に『女王』との戦闘に没頭する。

 クローディアと『女王』は暫しの間、牽制を打ち合うような、互いの動きを見極める為の応酬を繰り返した。

 『女王』の一撃は全てが必殺技であるが、前衛経験の無い【軍師】のクローディアには妖刀を使った必殺技など当然ながら持たない。

 しかしそれでも『女王』とクローディアの戦いは互角だった、それは妖刀の持つ性質に起因する。

 その妖刀は、持つ者の技量など関係無く、ただ血を吸う為に自動で敵を斬る為に存在するもの。

 その在り方、存在意義は既に概念化していて、その妖刀は持つだけでどんな子供や老人でも往年の人斬りの技を再現出来るような、そんな技量を問わない武器だったからだ。

 その代償として、妖刀は一度握れば持ち主の生命力を吸い尽くすまで離れないが、だが持ち主の戦闘力を底上げ出来るという点に於いては唯一無二、破格の性能をしていた。

 それ故に駆け出しの【軍師】に過ぎないクローディアであっても、Aランク最強種のネームドモンスターである『女王』と互角に戦う事が出来るのであった。

 クローディアを死地へと誘う意識が自身の内から芽生えたものなのか、妖刀が意識を乗っ取っているからのか、それはクローディア自身にも分からない事だったが。

 その血を求め、強者との死闘に沸き立つ感覚は、クローディアにとって悪いものではなかった、故にクローディアは『女王』との死闘にどんどん没頭して行く。

 ひとたひ気を抜けば死ぬ、一秒判断が遅れれば死ぬ、そんなギリギリの死闘を、クローディアは己の体力が限界を迎えるまで続けた。

 気づけば辺りに生えていた木々は『女王』の一撃により根こそぎ薙ぎ払われて、僅かに穴抜けとなった空間には、覆い隠す林木が無くなり、月明かりが差し込んだ。

 夜闇に溶け込んでいた『女王』の黒い肢体と、血に濡れた妖刀の刀身が映し出され、両者はその時初めて、互いの好敵手と視線を合わせる。

 クローディアは全身から汗を吹き流し、常軌を逸した緊張感に消耗し、息を切らしていたが。

 『女王』は全身から血を流し、幾千の刀傷に体を切り裂かれてもなお、蒸気のように熱せられた息を吐きこそすれ、冷徹に、静粛に、己の獲物を見据えていた。

 『女王』は間違いなく消耗しているし、疲弊していた、それでもそれを表に出さないのは、それが『女王』が君臨する存在であるが故だ。

 『女王』は前回の討伐隊が使った卑劣な罠、大火力の地雷により、聴覚と両脚の感覚を失った、しかし、それでも『女王』はそれを他者に悟られる事無く、“ 殺戮の森”に君臨してみせた。

 それが『女王』が『女王』であるが故の気高さであり、その命が食物連鎖の頂点に立つ存在である事の証だ。

 故に『女王』は、目の前の食事ごちそうが子供だからとて、疲労しているからとて、決して侮ることは無く。

 ──────────獅子搏兎、兎を狩るのにも全力を出すという捕食者の礼儀を弁えていた。

 それは、命を浪費し、富と名誉の為だけに冒険者となり、命を軽んじている人間には決して無い、獣であるが故の命への敬意。

 それをクローディアに理解出来るはずも無ければ、この場に於いて『女王』に勝る必勝の策すら自ら手放すクローディアは弱肉強食の無法に生きる『女王』と真逆の生き方をしていた。
 両者の立場は人と獣であるが故に正反対だった。
 しかし強さの極限に至る道、その方向が重なる事でこの場に来て初めてクローディアは『女王』に対して敬意を抱き、そしてその気高さを理解した。

 死は既に己の一寸先にある、それを体で理解させられた時、クローディアの肉体はその時初めて、死という恐怖に戦慄し震えた。

 惨たらしく生きたまま食われるくらいなら一撃で絶命した方が楽だ、なんて、そんな事を考えてしまうくらいに体は恐怖にうち震え心は強ばる。



「・・・でも、おしっこもらしても、『女王』は絶対見逃してくれないのん、だったら、殺るしかないのん」



 ───────普通の人間なら、そこで恐怖を上書きする事は出来なかっただろう。

 『女王』の放つプレッシャー、それは弱い魔物や人間を問答無用で萎縮させるものであり、それは高レベルの幻術と同義であり、よほど勇敢で、よほど強靭な精神性をしていなければ被捕食者であると理解わからせられて、ただ食われるのを待つ事しか出来ない。

 蛇に睨まれた蛙が神に祈る事しか出来ないように。

 絶対に勝てない捕食者の前には抵抗すら無意味だと、魂で理解らせられてしまうからだ。

 でもクローディアは違った、この圧倒的な強者を前にしても、死という生命にとって最大の危機が訪れても。

 理性は正常に働かず、本能が体を支配し、血潮は更に熱く滾るような、人間を超越する馬鹿げた精神性をしていたからだ。

 クローディアの瞳が炯々と輝き、『女王』を狩る、その目的に一意専心として初動を見極めようと神経を研ぎ澄ます。

 妖刀は主のその願いを叶える為に、次の一太刀に全てを懸けるように水月に構えた。

 『女王』は、その小さな挑戦者の最後の悪あがきに対して、全身全霊を懸けた一撃で応える事にした。




「んにゃあああああああああああああ!!」
「グォォォォォォォォォォォォォオア!!」



 クローディアは『女王』の一撃を間一髪見切って、その右腕を断つ。

 しかし『女王』は腕を切られても踏みとどまらずに、その大質量の巨体による突進にて、クローディアに激突する。

 吹き飛ばされたクローディアはそれで力を使い果たし、立ち上がる余力すら無かった。

 妖刀に力を吸われ尽くして、クローディアは指一本動かす体力すら残されなかったからだ。

 『女王』は勝ちを確信し、クローディアに迫ろうとした。

 しかし、『女王』も一歩も動けなかった。

 吹き飛ばされたクローディアは、いや往年の人斬りの魂を宿した妖刀は、敗北を引き分けにするが如く切り返しざまに『女王』の両膝の健を斬っていたからだ。

 そこで『女王』も、大量出血により崩れ落ちる。

 両者、戦うどころか、立ち上がる気力すら残さずに消耗していた。



 そしてその宵月の決闘のただ一人の立会人が、その決着を言い渡す。


「・・・へぇ、こんなガキがデモンベアと引き分けとはな、お前、名前はなんて言うんだ?」

 それはクローディアが刀とマントを強奪した魔族の女だった。
 しかし、装備を奪ったクローディアに対して女は、微塵の敵意も感じさせずに穏やかな調子だ。

「・・・クローディア、クロで良いのん、お姉さん、刀返したいけど返せないのん、ごめんなさいなのん」

 妖刀の呪いは力を使い果たしてもなお強力で、クローディアの手は眠っている間すらも妖刀を手放さない程に憑かれていた。

「ああ、待ってろ、今呪いを解いてやるよ」

 そう言って女はクローディアの手に聖水をかけた、それによりクローディアは一日以上手に張り付いていた妖刀を手放す事が出来た。

「なるほど、聖水で呪いが弱まるのん、勉強になったのん」

 妖刀を手放した事で呪いが解けて力を吸われていた肉体の消耗が減って少しだけ回復し、僅かに体を動かせるようになった。

「・・・その妖刀、欲しけりゃくれてやるよ」

「いいのん?、これ間違いなくSランク級の装備なのん、これに見合う対価なんて、村の全財産叩いて10年ローンを組んでも払えないのん、それでもいいのん」

 Sランクとは伝説級、国宝や聖剣に匹敵するような唯一無二の品であり、競売に出せば最低でも億は下らない品物だろう。

「まぁ元々片手で扱えて二刀流するのに丁度いいって理由だけで持ってた武器だしな、雑魚狩り専用武器で二刀流自体にも未練も無いし、欲しけりゃくれてやるよ」

「ありがとうなのん優しいお姉さん!、でもお姉さんは魔族なのにどうしてクロに優しくしてくれるのん、魔族にとって人間は敵のはずなのん」

 クローディアのその言葉に女は困惑し、暫しの思案の後に、クローディアの頭を撫でながら応えた。

「お前は見込みがあるだからな、だからセンコウトウシって奴だ、なァ、もしもお前がこの先成長して、アタシと同じくらい強くなった時に、その時にアタシと戦ってくれるかい」

 女がクローディアの強さに興味を持っているのは事実だったが真実は違う、ただその強さに利用価値があるというのもまた、真実だった。

「その時が来たら謹んでお相手するのん、最近は魔物を倒してもつまらないのん、だからお姉さんみたいな強い人と戦ってみたい気持ちはクロにもあるのん」

「ふっ、ならその時までその刀はお前に預けてやる、アタシと同じレベルに辿り着いた時に返しに来い」

「分かったのん、あともう一つお願いがあるのん」

「なんだ?、マントは流石にやれないぞ、アレが無いとアタシは人間の住処を歩けないからな」

「違うのん、もう歩く体力も無いから、出来れば村まで運んで欲しいのん、クロのおじいちゃんは村長だから、クロの恩人と言えばお礼は弾むし、『女王』を再起不能にしたって言えば、文句も言わせないのん」

「ちっ、図々しい奴だな、まぁここで放置して魔物のエサにされてもつまらねぇし、仕方ないから運んでやるよ、それより『女王』にトドメは刺さないのか」

 左前脚以外の脚が動かない『女王』は片手で必死に這いつくばっているが、片手でその巨漢を支える事は難しく、芋虫のように僅かに這うのが精一杯だった。
 今なら子供でも『女王』の命を絶つ事は容易いだろう。

「うにゅ、今回は引き分けなのん、だから今度は素手で完膚無きまで倒せるようになってからリベンジするのん、不意打ちから初めてしかも手負いの相手を倒すのはクロのポリシー的に嫌なのん、だから次は素手で勝つのん」

「そうかい、まァ、あれだけ手負いになっていれば、脅威にもならンか」

 女は瀕死の『女王』を一瞥し安全を確認すると、クロを背負ってその場を立ち去った。
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