似ている

神山 備

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潜伏

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 東京を離れた美奈子は、そのまま大阪に向かった。同じ東海地方に属する名古屋は、三重につながるかもしれないと、降りることが出来なかったのだ。そんなことを杞憂しなくても、美奈子が中西に拉致されていたことはたった一人を除いて誰も知らなかったし、その一人も美奈子が三重の出身であることを知らなかったのだが。

 とまれ、美奈子は大阪に着くと銀行を渡り歩き、何日もかけてせっせと通帳を作った。
 当時マネーロンダリングが叫ばれ始めてはいたが、時はまだバブル。転勤だと言えば、東京在住の免許証を提示しても銀行側は喜んで通帳を作成してくれた。 そして、通帳作成時に預け入れる額を世間並みにし、翌日以降通帳でATM入金すれば、当時は預け入れ上限額もなく、機械に入らないので99枚の制限はあるが、それも何回かに分ければ入金は可能だった。
 そうしたのは美奈子が結果的に中西から得た『泡銭』をすべて自分の物にしたかったからではない。むしろ逆で、見たくはなかったのだ。
 現金のまま手元に置くのはもちろんのこと、通帳にとんでもない額面があるのさえ見たくない。ならばと小分けにしただけのこと。そして、これが後に意外な効果をもたらすことになる。

 美奈子はあいりん近くの安アパートに身を潜めた。このあたりは、それこそ当時一日ワンコインで住める日払いの部屋があった。さすがに美奈子が選んだのはそんな部屋ではなかったが、金払いさえしてくれれば事情は全く問わないという点は、彼女にとっても都合の良いものだった。
 
 それから、この街に来て美奈子は程なく自分の身体に異変を感じた。妊娠していたのだ。もっとも、2ヶ月も獣同然の生活をしていたのだ。当然中西が避妊などするわけもなく、彼が正常な生殖能力を持った男子ならば妊娠しない方がおかしいといった状況だったので、美奈子は驚きもなく検査薬の判定を受け止めた。
 だが、医療機関の検査となればまた話は別。検査とは言え、他人(しかも医師は大抵が男だ)の前で足を開かなければならない。そう思うだけで足がすくんでしまう。そうしている間にも胎児は日に日に成長していく。
 それに助け船を出したのは他でもない、美奈子がいるアパートの住人、外国人不法就労者の女性たちだった。この中には母国で産んだ子を置いて日本に来た者もいて、この安アパートには似つかわしくない楚々とした女性の変化に気づき、美奈子に一人の医者を紹介した。
「ダイジョブ、センセナラゼンブウマクスル」
と言われて行った先は、築年数はどれだけだろうと思うような古びた長屋の一角。『岡本医院』の看板がなければそこが医療機関だとはわからない、所謂『しもた屋』※だ。
 現れたのは、岡本航平という初老のギラギラした禿頭の男。白衣を着ていなければ悪徳不動産業者でも通用するような顔だ。
 だが、そんな顔とは裏腹に、岡本は英語の他、ドイツ語、タガログ語、ポルトガル語を操り、バルセロナオリンピックを控えた当時、スペイン語にも手を出し始めていた。それもこれも、この日本という成金国家に夢を求めてやって来た外国人労働者のためだ。
「病は気から、完全に治る訳やないけどお国言葉で話しかけるだけで症状が軽なる患者は意外と多いんや。
つまり、無駄な医療費の節約やな」
と言う岡本に彼らが全幅の信頼をおくのは当然のことだろう。

「おまえさんな、もうちょっと早よ来(こ)な。もう中絶できる時期越えとるぞ」
岡本はエコーで美奈子の腹を探りながらそう言った。美奈子は岡本が言う中絶の言葉にビクりと肩を震わせる。
「まぁ、できんことはない。ただな、ここまで育ってまうと、出産とほとんどおんなじなんや。つまりな、結局お前さんが傷つくんや、身体はもちろん、心もや。
そんでも、経ってもうたもんはしゃーない。請け負うたるわ」
と岡本は言った。だが、美奈子は消え入りそうな声で、
「あの……産んじゃだめですか」
と返す。その言葉に岡本の方が驚いた。
「産むて、そんなカンタンに言うな。
お前さん見たとこ最近ここへ流れてきたんやろ。誰も好き好んで腹ぼてなんか雇えへん」
当惑しながら美奈子にそう意見する。
「お金なら多少はあります」
しかし、美奈子は岡本にそう返した。
「あかんあかん、子供にはな、時間も金もかかるんや。ちょっとくらいの蓄えなんか、屁のつっぱりにもならへんぞ。その内それも尽きるやろ。親子共々飢え死にする気か。悪いことは言わん、よう考え」
「だけど、そんなことしたら、私も同じ人殺しになるやないですか」
確かに、一人で子を育てるのは並大抵のことではないかもしれない。だが、ここでこの命を絶ってしまったら、自分も中西を殺めた者と同じではないか。
「そうか……誰と同じか解らんが、人殺しと呼ばれるんはええ気はせんな。
まぁ、儂は金さえもうたらどっちゃでもええがな」
岡本は美奈子の言葉にそう答えると、後はなにも聞かなかった。彼は結局大した金も取らずに美奈子を診、美奈子は翌年岡本医院で女児を出産したのだった。


 

  
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