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親子になる日(後編)
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ところが、そのすぐ後、行方不明だった義姉が見つかったと警察から連絡があった。殺害されたと言うので、福島の母を制して、俺と義父が身元確認に行った。正直、義父にも酷だとは思ったが、俺は写真でしか義姉を知らない。
大阪の警察署で、義父がと娘の美奈子だと確認した後、次々と明るみにでる失踪後の義姉の様子は想像を絶するものだった。映画さながらのその内容に、密葬にまで押し掛けたマスコミもいたが、幸いなことに志乃が義姉の娘だとかぎつけた者はいなかった。当の志乃が母親に縋りつくなどの態度を示さなかったためだ。いっかな幼児とは言え、たった半年あまりで己が母親を忘れるはずがない。志乃は、
「ママな、悪い男に殺されたんや。その男は捕まったけど、まだ仲間がおるかわからん。せやから辛いやろけどあんたはお母ちゃんにひっついとくんやに」
といった喜美子の言葉を素直に守り、対応に追われる喜美子に代わって美和の面倒を看ていたからだ。
そして、次々と犯罪が起こるこの世の中で、義姉の事件も少しずつ風化していった。被害者の遺族としては何年経っても風化されることを是とはできないのだが、それでもこの小さな娘のためにはそういう移ろい易い世間をありがたいとも思った。
人々の口に義姉のことが上らなくなってしばらくしてから、喜美子が妊娠していることが判った。義姉の一件で暗く沈んでいた家族の皆がそれを喜び、義姉の生まれ変わりだと思ってその誕生を待ち望んだ。
そして、出産のため喜美子が入院したとき、俺は志乃を福島の家に、美和を生方の家に預けた。福島の家に二人とも預けるのは義母の荷が重いだろうと思っただけで他意はない。
しかし、その日の夜、義母から電話がかかってきた。
「雅之さん、どないしょ。志乃が息ができんてくるしみだして……」
と、取り乱した様子で言う義母の声に、一気に血が下がる思いだった。志乃は本当に丈夫で、ウチに来てから風邪一つ引いたことがなかったし、今朝も別段体調の悪そうな様子は何もなかった。
慌てて連れて行った病院に俺も駆けつける。そこで聞いた病名に俺は首を傾げた。
「過換気症候群?」
過換気症候群というのは、体内の酸素と二酸化炭素の比率が崩れてしまって酸素過多になることによって起こる症状で、血液中の二酸化炭素の濃度が下がることによって息苦しさを覚えるのだが、脳の方は呼吸が出来ないことを異常と捉えて逆に呼吸させるように伝達を送る。そして、更に血管が収縮することになり、手足の痺れ、ひどくなると筋肉が硬直する。激しいスポーツ直後に起こる過呼吸と同じ症状だが、
「心因性ですって?」
俺と義母は原因が精神状態にあると聞いて驚いた。義姉の死がやはり堪えていたのだろうか。それにしたとしても時期的に遅いなと思いつつ、処置中に眠ってしまった志乃を抱き上げた。
「おとうちゃん……」
そっと抱き上げたつもりだったが、それで起きてしまった志乃は俺を呼んで縋るような目で見る。
「志乃、しんどかったな。もう、大丈夫やに」
俺は、そう言って志乃の頭を撫でた。
「お父ちゃん、ゴメン」
すると何故か志乃はおどおどと謝った。
「何謝っとんな。しんどかったんは志乃やろな。
けどびっくりしたに。志乃がえらい病気やったらと思て慌てたに。大したことのうて良かった」
何を怯えているのだろうと訝りながら、ポンポンと背中を叩きながらいった俺に、志乃は、
「志乃、いらん子ちゃうの?」
と聞いた。いきなり不意打ちを食らわされて、
「何でそう思うんや!」
俺は思わず声を荒げ、志乃の身体がピクリと跳ねる。
「志乃、お父ちゃんの子やないし、お父ちゃん美和だけ連れて帰った。赤ちゃん産まれたし、志乃もういらんねやろ」
ママも志乃だけ置いてパパのとこ行ったと、おずおずと言った志乃に、俺は瞠目し、
「何アホなこと言うとるんや。志乃は大事な俺らの娘やに。
志乃をこっちに連れて来たんは、赤ん坊もこっちに帰ってくるから、美和もやったらおばあちゃんが大変すぎる思たからだけやに。志乃やったらお祖母ちゃんを手伝えるやろ」
と言いながら志乃をギュッと抱きしめた。この小さな娘にとって置き去りにされたことがトラウマでない訳がない。生方の親元では志乃が気を遣うと思ってしたことだが、志乃はまた置き去りにされたと思ってしまったようだ。
「それにな、ママは志乃のこと嫌いで置いて行ったんやないに。ママは志乃を守るために置いて行ったんや。それだけは覚えとき」
そう、幼い時分のことは記憶として残らなかったとしても、義姉が命をかけて我が子を守ったことだけはどこかで覚えていて欲しい。俺はその日、志乃を生方の実家に連れて帰った。俺たちが本当の親子になったのは、その日からかも知れない。
義姉さん、志乃のことは責任持って幸せにするから。見守っとったって。
……と、思たはずやのに、なんで相手がこの男なんや。そら、義姉さんに縁(ゆかり)はあるけど、こいつ俺より年上やないか。
「志乃が幸せや言うてんねんから、それでえやないの」
と、喜美子は軽う言うけど、ホンマにそれでええんか?
「光一君、志乃はな、置いてかれるのが一番嫌いなんやに。せやからどんなことがあってもしぶとう生き残ってくれや」
さっさと義姉さんのとこに行くようなことがあったら、追っかけででも連れ戻しに行くぞと俺が言うと、
「はい、肝に銘じておきます」
大事な娘を掻っ攫っていく男は、真っ赤な顔をしながら、それでも居ず前を正して俺頭を下げる。
それも余裕でムカつくと思ったのは喜美子にも内緒だ。
大阪の警察署で、義父がと娘の美奈子だと確認した後、次々と明るみにでる失踪後の義姉の様子は想像を絶するものだった。映画さながらのその内容に、密葬にまで押し掛けたマスコミもいたが、幸いなことに志乃が義姉の娘だとかぎつけた者はいなかった。当の志乃が母親に縋りつくなどの態度を示さなかったためだ。いっかな幼児とは言え、たった半年あまりで己が母親を忘れるはずがない。志乃は、
「ママな、悪い男に殺されたんや。その男は捕まったけど、まだ仲間がおるかわからん。せやから辛いやろけどあんたはお母ちゃんにひっついとくんやに」
といった喜美子の言葉を素直に守り、対応に追われる喜美子に代わって美和の面倒を看ていたからだ。
そして、次々と犯罪が起こるこの世の中で、義姉の事件も少しずつ風化していった。被害者の遺族としては何年経っても風化されることを是とはできないのだが、それでもこの小さな娘のためにはそういう移ろい易い世間をありがたいとも思った。
人々の口に義姉のことが上らなくなってしばらくしてから、喜美子が妊娠していることが判った。義姉の一件で暗く沈んでいた家族の皆がそれを喜び、義姉の生まれ変わりだと思ってその誕生を待ち望んだ。
そして、出産のため喜美子が入院したとき、俺は志乃を福島の家に、美和を生方の家に預けた。福島の家に二人とも預けるのは義母の荷が重いだろうと思っただけで他意はない。
しかし、その日の夜、義母から電話がかかってきた。
「雅之さん、どないしょ。志乃が息ができんてくるしみだして……」
と、取り乱した様子で言う義母の声に、一気に血が下がる思いだった。志乃は本当に丈夫で、ウチに来てから風邪一つ引いたことがなかったし、今朝も別段体調の悪そうな様子は何もなかった。
慌てて連れて行った病院に俺も駆けつける。そこで聞いた病名に俺は首を傾げた。
「過換気症候群?」
過換気症候群というのは、体内の酸素と二酸化炭素の比率が崩れてしまって酸素過多になることによって起こる症状で、血液中の二酸化炭素の濃度が下がることによって息苦しさを覚えるのだが、脳の方は呼吸が出来ないことを異常と捉えて逆に呼吸させるように伝達を送る。そして、更に血管が収縮することになり、手足の痺れ、ひどくなると筋肉が硬直する。激しいスポーツ直後に起こる過呼吸と同じ症状だが、
「心因性ですって?」
俺と義母は原因が精神状態にあると聞いて驚いた。義姉の死がやはり堪えていたのだろうか。それにしたとしても時期的に遅いなと思いつつ、処置中に眠ってしまった志乃を抱き上げた。
「おとうちゃん……」
そっと抱き上げたつもりだったが、それで起きてしまった志乃は俺を呼んで縋るような目で見る。
「志乃、しんどかったな。もう、大丈夫やに」
俺は、そう言って志乃の頭を撫でた。
「お父ちゃん、ゴメン」
すると何故か志乃はおどおどと謝った。
「何謝っとんな。しんどかったんは志乃やろな。
けどびっくりしたに。志乃がえらい病気やったらと思て慌てたに。大したことのうて良かった」
何を怯えているのだろうと訝りながら、ポンポンと背中を叩きながらいった俺に、志乃は、
「志乃、いらん子ちゃうの?」
と聞いた。いきなり不意打ちを食らわされて、
「何でそう思うんや!」
俺は思わず声を荒げ、志乃の身体がピクリと跳ねる。
「志乃、お父ちゃんの子やないし、お父ちゃん美和だけ連れて帰った。赤ちゃん産まれたし、志乃もういらんねやろ」
ママも志乃だけ置いてパパのとこ行ったと、おずおずと言った志乃に、俺は瞠目し、
「何アホなこと言うとるんや。志乃は大事な俺らの娘やに。
志乃をこっちに連れて来たんは、赤ん坊もこっちに帰ってくるから、美和もやったらおばあちゃんが大変すぎる思たからだけやに。志乃やったらお祖母ちゃんを手伝えるやろ」
と言いながら志乃をギュッと抱きしめた。この小さな娘にとって置き去りにされたことがトラウマでない訳がない。生方の親元では志乃が気を遣うと思ってしたことだが、志乃はまた置き去りにされたと思ってしまったようだ。
「それにな、ママは志乃のこと嫌いで置いて行ったんやないに。ママは志乃を守るために置いて行ったんや。それだけは覚えとき」
そう、幼い時分のことは記憶として残らなかったとしても、義姉が命をかけて我が子を守ったことだけはどこかで覚えていて欲しい。俺はその日、志乃を生方の実家に連れて帰った。俺たちが本当の親子になったのは、その日からかも知れない。
義姉さん、志乃のことは責任持って幸せにするから。見守っとったって。
……と、思たはずやのに、なんで相手がこの男なんや。そら、義姉さんに縁(ゆかり)はあるけど、こいつ俺より年上やないか。
「志乃が幸せや言うてんねんから、それでえやないの」
と、喜美子は軽う言うけど、ホンマにそれでええんか?
「光一君、志乃はな、置いてかれるのが一番嫌いなんやに。せやからどんなことがあってもしぶとう生き残ってくれや」
さっさと義姉さんのとこに行くようなことがあったら、追っかけででも連れ戻しに行くぞと俺が言うと、
「はい、肝に銘じておきます」
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