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神山 備

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勘違い

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 呆然と自室の床に座り込んでしまっている夏海の隣で子機が鳴り響く。しかし、夏海は取る気になれなかった。そう、この電話はたぶん……
しばらくして、階下から母の声がした。
「夏海ちゃん、電話部屋に持って行ってるんでしょう? 出てくれればいいのに。飯塚さんからお電話よ」
母のそんな呑気な取次が恨めしかった。母は何時、私をかっ飛ばして武田に別れを促したのだろう。
 あの人が余計なことを言わなければ……私にも『あっちに女を作られてそれで終わり』なんて不信を植えつけるようなことを吹き込まなければ……私は康文を……待てた?

 ……止めよう。そんな母の思惑に縦しんばからめとられたのだとしても、結局飯塚さんを選べばごく普通の幸せが待っていると思って最終的に決断を下したのは、この私自身ではないか。
私の中に小夜ちんから奪い取った、元は小夜ちんの……という気持ちがどこかになければ、いくら強引な押しに弱いとは言っても、私は自分のその口で飯塚さんに断りの言葉を吐けたはずだ。

「はい……夏海です」
「今、よろしいですか」
「……」
しかし、雅彦の張りのあるひときわ大きい明るい声を聞いた途端、夏海は涙が流れて止まらなくなってしまい、彼に返事をすることができなかった。
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
雅彦は電話口の夏海が泣いていることに気づいて慌てているようだった。
「……ごめんなさい……私……このお話やっぱり受けられない……お断りします」
夏海はしゃくりあげながらやっとそれだけを告げた。こんな気持ちではとても飯塚さんとは結婚なんてできない。
「何故ですか!」
「私……好きな人がいるんです。その人を忘れようと思って飯塚さんとのお話進めていただいたんですけど、やっぱり忘れられそうにないです。そんなの、悪いでしょ」
それを聞いた雅彦の方は、やっぱり……と思っていた。でなければ、こんなに素敵な人が一人でいて見合いなどするはずはないと。
 その時雅彦が想像していた夏海の状況は、釣書にも社員旅行の写真を添付してあったし、初めて会った日も仕事の話だったから、相手は職場の上司で既に家庭を持っているといった的外れなものではあったのだが。

「夏海さん、今は駄目でも少しずつ自分の事、好きになってくれませんか」
しばらくの沈黙の後、雅彦はそう口にした。
「えっ?」
「自分の事、断ってもその方のところには行けないんでしょ?」
「……はい……」
そう、私がこの手でその道を絶った。でもなぜそれを飯塚さんが知ってるの?
「じゃぁ、自分に甘えて傷治してください。あなたは甘えられるより、甘える方が向いてると自分は、思います。でも、自分にはそんな頼り甲斐はないかな」
「飯塚さん……」
「もう、ウチの家族にはあなたを手に入れたと言っちゃいましたよ。今更断るなんて言わないでください。それに、自分はあなたを受け止めきれないような男になんて、あなたを渡したくはないですからね。結婚しましょう、良いですね。」
この人はどこまで知っているのだろうか。それでも私と一緒に居ようと言ってくれる……
「ええ、こんな私で良ければ」
 雅彦は実のところ何も知らなかったし、全然見当違いの憶測をしていたのだが。夏海もまた、雅彦は自分の過去を知った上で、それでも自分を乞ってくれているのだと勘違いしていた。
 男と女の結びつきなど、案外そんな勘違いのなせるわざなのかもしれない。
 
 翌週、雅彦は倉本家を訪れ、夏海の両親に正式に結婚の承諾を求めた。
すると、あれだけ反対した母は、夏海の父と雅彦が男同士酒を酌み交わして盛り上がる中、夏海を台所に呼んで、
「武田君の事はもういいの?」
と聞く。
「もういいのよ。康文とは終わったから」
言いたいことはいっぱいあった。しかし、雅彦がすぐ隣の部屋にいるところで声を荒げたりはできなかったし、縦しんばそうしたところで夏海は却って自分が惨めになってしまうだけのような気がした。
「そう……お母さんはあなたが幸せになってくれればそれで良いのよ」
そう言う母の顔は、どこか夏海への謝罪を感じさせた。
謝ってもらったところで何も変わらないわ。夏海は心の中で、母にそう呟いた。

 雅彦は結婚と同時に夏海に家庭に入ってほしいと言った。
実のところ、雅彦は夏海の意中の相手は彼女の上司(あるいは同僚)だと思っていたから、それから引き離したいと考えただけだった。
「今の仕事好きなんだけどな」
と渋る夏海に、
「雅彦君、何にしても最初が肝心だぞ。尻に敷かれないためには、言いたいことは言うべきだ」
少し酔いが回り始めた夏海の父が、そんな妙な援護射撃を上機嫌で雅彦に送った。
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