経験値ゼロ

神山 備

文字の大きさ
10 / 33

マイケルさんの仕事

しおりを挟む
「っと、こんなとこでムダ話してる間にちゃっちゃと書いてもらわなきゃな。えーっと……ところであなた、何てお名前でしたっけ」
ちょっと脱線しかかっていた話を元に戻すように、軽くため息をはいて、幸太郎さんがこう言った。
「月島……月島更紗です」
やだ、幸太郎さんにだけ挨拶させといて、自己紹介がまだだったわ。
「じゃぁ、月島さん。まだお時間大丈夫ですか? 大丈夫だったら、俺の方の車に乗って欲しいんですが、親父の人質として」
人質って、何? その物騒な言い方。さっきから幸太郎さんが『書け、書け』と言うところをみると、マイケルさんは作家さんか何かなのかな。
「私は……帰ります。家族が心配するんで」
それに、今日あったばかりの私になんて、人質効果なんてありませんよ。
「ねえ、更紗ちゃん、逃げてるって言ったよね。家に帰って大丈夫なの?」
そしたら、マイケルさんが、そう言って私を心配してくれた。
「ええ、マ……母とケンカしただけですから」
そう言いながらママの顔を思い浮かべる。うう、怒ってんだろうなママ。帰りたくないと言えば帰りたくないよぉ。でも、ママが騙してお見合いなんかするのが悪いんだからね。
「えっ、お母様とケンカしたけだったの? じゃぁ、急に更紗ちゃんが消えて、お母様心配してるかな。ホントいきなり連れ出しちゃってごめん、元のホテルまで送るよ」
でも、私がママとケンカしただけだと聞くと、マイケルさんは蒼くなって、土下座しそうな勢いで謝る。マイケルさんが悪いんじゃないよ。逃げたいって言ったのは私だもの。
「そうだよ、バカ親父。下手すりゃ誘拐だぞ。心配するな、月島さんは俺が送っていく。だから、親父はさっさと続きを書く!」
「ヤダ! 更紗ちゃんは僕が送って行く。更紗ちゃんのお母様に僕がちゃんと謝らなきゃ」
「何だだこねてんだよ、会社俺に投げてまでやりたかった仕事だろっ!」
私を送ると譲らないマイケルさんに、幸太郎さんはぴしっとそう言った。それにしても会社を投げてって……マイケルさんやっぱり社長さんだったんだ。それも結構大きい会社じゃないだろうか。だったらあの店長の態度も解る。
「ちょっと待ってよ。原稿ならちゃんとできてるよ。さっき、ここで書き終えたから。
更紗ちゃん、幸太郎君にそのバンタム渡して」
私はそう言われてあわててバンタムを幸太郎さんに渡した。私は行きと同じように既に待合い用の椅子に座っていたんだけど、バンタムは握ったままだった。幸太郎さんはそれを受け取るとホッとした表情になって、
「それを先に言えって。で、どうすりゃいい?」
とマイケルさんに聞いた。
「マイクロSDだとどっか行っちゃいやすいし、何が入ってるか書きにくいんで、普段はUSBメモリーに焼きなおして渡してるんだけど……」
とUSBメモリーをポケットから取り出す。
「さっき書いたからまだ、最終話は入れてないんだ」
「最終話を一旦ドキュメントにぶっ込んで、ここに落としゃいいんだろ?」
「うん、でもパソコン持って歩いてないよ」
「俺の車に乗ってるよ。OKわかった。んじゃ、親父は親御さんに捜索願いを出されない内に早く行ってこい」
すべての段取りを聞き終えると、幸太郎さんはそう言って、親指を前に立てて笑った。
「うん、ありがとう。じゃぁ、お願いね」
「じゃぁ月島さん。俺はこれで。親父を頼みます」
幸太郎さんはそう言うと、感涙もので抱きつかんばかりのマイケルさんをあっさり振り払って、とっととカラオケボックスを出て行った。
 でも、幸太郎さんが最後に言った『頼みます』ってなんだろう。幸太郎さんみたいな立派な息子さんもいて、(たぶん)すてきな奥さんもいるのに、何を私に『頼む』必要があるの?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

わんこ系婚約者の大誤算

甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。 そんなある日… 「婚約破棄して他の男と婚約!?」 そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。 その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。 小型犬から猛犬へ矯正完了!?

【完結】結婚式の隣の席

山田森湖
恋愛
親友の結婚式、隣の席に座ったのは——かつて同じ人を想っていた男性だった。 ふとした共感から始まった、ふたりの一夜とその先の関係。 「幸せになってやろう」 過去の想いを超えて、新たな恋に踏み出すラブストーリー。

処理中です...