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綿貫家へ
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加奈子はさんざん逡巡したが、結局綿貫家への訪問を決めた。
だが、その日程を知らせるために詩織から聞いた電話番号に電話したとき、亮平の反応は暗かった。どうも、訪問を依頼したのは亮平ではなく、香織本人だったようだ。それにあの口振りと言い、詩織はかなりのことを香織から聞いているに違いない。自分には女の兄弟がいないのでそういう感覚はわからないが、女兄弟のいる友人たちは、姉妹間ではかなりつっこんだ話もすると聞いている。しかし、詩織を介してまで香織はいったい何を思い、亮平との対面を果たさせようとしたのだろう。
行くことを決めてから、行きの道中の間も加奈子はその意味を考え続けたが、その答えは出ないまま最寄り駅に着いた。
駅前でタクシーに乗り、
「この住所のところに」
と告げる。
「ああ、団地だね」
それを見ると、運転手はそう行って走り出した。住所を見ると一戸建てのようだが、団地なのかと思って乗っていると、しばらくして車は閑静な住宅街に入っていった。団地と言えばマンション形式の集合住宅を連想しがちだが、一度に分譲されるのだから、開発された新興住宅地のことも団地と呼ぶらしい。
やがて、車は目指す綿貫家の前で止まった。そこには、通常の表札のほかに、楕円形の板に花をあしらって真ん中にWATANUKIと書かれてあるウエルカムボードがあった。
夫以外知るもののいないこの地で、香織は長男の晃平を連れ、公園などで積極的に他の母親に話しかけていたと言う。みどりはその頃からのママ友だ。また市の主催するトールペイント教室に参加しているとブログに書かれてあるのも見たことがある。おそらくウエルカムボードも香織の手作りなのだろう。
インターフォンを押すと、程なくして亮平が出てきた。
「板倉さん、わざわざご足労いただいてすいません」
と亮平はそう挨拶した。そう言えば、彼からそういう風に呼ばれるのは初めてだったと加奈子は思う。別にハンドルネームや名前の方で呼ばれたい訳ではないが、何か不思議な気がした。
「本当は伺えるような立場ではないですけど」
と加奈子が言うと、
「そんなことはないですよ。実際、香織は病気してからは特にあなたに会いたがってましたから。
ただ、僕が連絡しようかと言うと、首を横に振るんですよ」
こんなことなら、僕の独断でお呼びすれば良かったかなと言いながら、亮平は加奈子を綿貫家の和室に導いた。そこにはちいさな専用の机に香織の遺影とお骨を入れた壷、位牌とともに、ろうそくが灯され、つり下げられた線香が静かに煙っていた。
「香織、板倉さんが来てくださったよ」
亮平はまるで生きている妻に言うようにそう言うと、遺影の前にきた加奈子の斜め後ろに座った。加奈子はひとしきり合掌した後、その亮平の方に向き直り、深々と頭を下げる。それに頭を下げて返した亮平は、
「ちょっとお茶の準備をしてきます」
と立ち上がった。それを見て、
「どうぞお構いなく」
と、慌てて立ち上がろうとする加奈子を亮平は、
「気にしないでください。それに、香織の好きだったお菓子があるんですよ。一緒に食べてやってくれませんか」
そう言ってやんわり制すと、台所から急須と湯呑みと桜餅を持って戻ってきた。
「香織はこの桜餅が好きでした。なんでも、香織の在所の方ではこの道明寺粉じゃなくて、薄く伸ばしたおやきに包むんです。
この方が本当に八重桜みたいだって言って」
亮平はそう言いながら加奈子に茶と菓子を勧めた。加奈子は一礼をして、桜餅に手を伸ばす。そう言えば、こうした和菓子を食べるのはいつぶりだろうか。
別に甘いものを敵視している訳ではない。加奈子もダイエットを終了してからは菓子というと、油分の少ない和菓子を口にすることが多かった。しかし、陸も瞳もそれぞれに所帯を持ってしまった今、菓子を買うのはもっぱら孫のためで、それはこういう和菓子ではなく、洋菓子が多い。
「桜、もう一度見せてやりたかったな」
亮平も口に運びながらそうぽつりとつぶやいた。
だが、その日程を知らせるために詩織から聞いた電話番号に電話したとき、亮平の反応は暗かった。どうも、訪問を依頼したのは亮平ではなく、香織本人だったようだ。それにあの口振りと言い、詩織はかなりのことを香織から聞いているに違いない。自分には女の兄弟がいないのでそういう感覚はわからないが、女兄弟のいる友人たちは、姉妹間ではかなりつっこんだ話もすると聞いている。しかし、詩織を介してまで香織はいったい何を思い、亮平との対面を果たさせようとしたのだろう。
行くことを決めてから、行きの道中の間も加奈子はその意味を考え続けたが、その答えは出ないまま最寄り駅に着いた。
駅前でタクシーに乗り、
「この住所のところに」
と告げる。
「ああ、団地だね」
それを見ると、運転手はそう行って走り出した。住所を見ると一戸建てのようだが、団地なのかと思って乗っていると、しばらくして車は閑静な住宅街に入っていった。団地と言えばマンション形式の集合住宅を連想しがちだが、一度に分譲されるのだから、開発された新興住宅地のことも団地と呼ぶらしい。
やがて、車は目指す綿貫家の前で止まった。そこには、通常の表札のほかに、楕円形の板に花をあしらって真ん中にWATANUKIと書かれてあるウエルカムボードがあった。
夫以外知るもののいないこの地で、香織は長男の晃平を連れ、公園などで積極的に他の母親に話しかけていたと言う。みどりはその頃からのママ友だ。また市の主催するトールペイント教室に参加しているとブログに書かれてあるのも見たことがある。おそらくウエルカムボードも香織の手作りなのだろう。
インターフォンを押すと、程なくして亮平が出てきた。
「板倉さん、わざわざご足労いただいてすいません」
と亮平はそう挨拶した。そう言えば、彼からそういう風に呼ばれるのは初めてだったと加奈子は思う。別にハンドルネームや名前の方で呼ばれたい訳ではないが、何か不思議な気がした。
「本当は伺えるような立場ではないですけど」
と加奈子が言うと、
「そんなことはないですよ。実際、香織は病気してからは特にあなたに会いたがってましたから。
ただ、僕が連絡しようかと言うと、首を横に振るんですよ」
こんなことなら、僕の独断でお呼びすれば良かったかなと言いながら、亮平は加奈子を綿貫家の和室に導いた。そこにはちいさな専用の机に香織の遺影とお骨を入れた壷、位牌とともに、ろうそくが灯され、つり下げられた線香が静かに煙っていた。
「香織、板倉さんが来てくださったよ」
亮平はまるで生きている妻に言うようにそう言うと、遺影の前にきた加奈子の斜め後ろに座った。加奈子はひとしきり合掌した後、その亮平の方に向き直り、深々と頭を下げる。それに頭を下げて返した亮平は、
「ちょっとお茶の準備をしてきます」
と立ち上がった。それを見て、
「どうぞお構いなく」
と、慌てて立ち上がろうとする加奈子を亮平は、
「気にしないでください。それに、香織の好きだったお菓子があるんですよ。一緒に食べてやってくれませんか」
そう言ってやんわり制すと、台所から急須と湯呑みと桜餅を持って戻ってきた。
「香織はこの桜餅が好きでした。なんでも、香織の在所の方ではこの道明寺粉じゃなくて、薄く伸ばしたおやきに包むんです。
この方が本当に八重桜みたいだって言って」
亮平はそう言いながら加奈子に茶と菓子を勧めた。加奈子は一礼をして、桜餅に手を伸ばす。そう言えば、こうした和菓子を食べるのはいつぶりだろうか。
別に甘いものを敵視している訳ではない。加奈子もダイエットを終了してからは菓子というと、油分の少ない和菓子を口にすることが多かった。しかし、陸も瞳もそれぞれに所帯を持ってしまった今、菓子を買うのはもっぱら孫のためで、それはこういう和菓子ではなく、洋菓子が多い。
「桜、もう一度見せてやりたかったな」
亮平も口に運びながらそうぽつりとつぶやいた。
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