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第3話 チハーキュへようこそ日本人さん
Chapter-23
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スターリー郊外の衛星都市、バランウィッチ。
スターリー都市中心部から50km圏にあり、レングード・スターリー線の、スターリー側の電化の終点部(厳密に言うと起点部)になる。
上りラスティナの最初の停車駅でもある。
カシャッ……カシャッ……
窓を開けて、停車しているホームの対面に停車している、都市電車を撮影する。
ホームではすでに発車ベルが鳴り響いていた。
3連接の電車に、ボギーの制御車1両が連結されている。
「────……連接の電車は見慣れないが、やっぱり日本っぽいな……ボギー車は南海の電9形に似ている」
撮影を終えた後、観察して呟いてから、克三郎は窓を閉めた。
カメラをしまい、席に座り直す。
ブレーキを緩めたふわっとした動揺の後、列車が前進を始める。流石に8両目では、ブラスト音はここまで響いてこない。3軸台車の、タタタン、タタタン、というジョイント音が聞こえてくる。
ここまで信号機がすべて色灯式だったが、バランウィッチの出発信号機は腕木式になっている。日本では馴染のない赤・黄・青の3位腕木式だった。進行現示のときには腕木は垂直になる。8号車が信号柱の横を通過したときには当然すでに停止現示に変わっている。
余談だが、鉄道における青信号、進行現示は、道路信号と違って「進んでも良い」ではなく、「とっとと進め」を意味する。運転士(機関士)は遅滞なく通過しなければならない。
「すみません、お待たせしました」
克三郎が言う。
3人がけのソファが向かい合う区分室内で、進行方向側に丈乃、ユージン、アサギリ、その対面側に珊瑚、克三郎、学が座っていて、ユージンと克三郎が正面に向かい合っている。
区分室定員を超えるため、アイリは別の車両に移動していた。
学が、ユージンが差し出した名刺を見ている。「チハーキュ帝国内務省国土庁国有鉄道総局第1広報部長」、と、ユージン・スキンブルシャンクス・クライトンの身分が書かれている。
「それで、今回日本の皆さんは、我が国の鉄道に大変興味を示されているということですが……まず、何からお話いたしましょうか?」
ユージンの方から、そう切り出した。
「そうですね……まず、確認させていただきたいのですが、貴国の国鉄の軌間、線路の幅を教えていただけますか?」
克三郎が、手振りを加えつつ質問する。
「我が国有鉄道を含めまして、我が国の標準軌間は1,067mmとなっています。この他、簡易線用に889mmが比較的多用されます。特殊軌道は他に存在しますが……」
「それより広い軌間は存在しますか?」
ユージンの答えに、克三郎が重ねて聞き返した。
「そうですね、変圧器などの輸送を行う特殊軌道線に1,524mmというところがあります。それと、これは路線ではありませんが、国鉄内では荷役所でのクレーン移動用に1,676mmの軌道を敷いているところがあります」
「日本と同じ狭軌が標準で、それより広いのがないのか……」
克三郎は、訝しげに、呟くように言う。
「俺から、聞いていいか?」
学が、克三郎に顔を向けて訊ねた。
「あ、はい」
「どうぞ、気になることがお有りでしたらなんでも」
学が言い、ユージンが、手を差し出す仕種をしつつ、視線を学に向けた。
「貴国には、ヤード・ポンド法が存在しますか?」
「やーど・ぽんど……とは?」
学の質問に、ユージンはその単語に全く聞き覚えがない、という反応をした。
「計量の単位です。地球に存在している、メートル法とは別の単位ですね」
「そのような単位系は聞いたことがありません……申し訳ない」
学が説明するが、ユージンは困惑した様子でそう言うしかできなかった。
「インチ、フィート、といった単位も聞いたことがありませんね?」
「ええと……」
学が念を押して確認すると、ユージンは、困惑した表情と口調で言う。
「いくつかの単語は、フートカ法という、この世界で “舟形遺跡” が発見される以前からの単語に似たものがありますが…………私個人としては、同じものではない、と考えます」
「サンミル中尉はどうです?」
学は、視線をアサギリに移して、問いかける。
「え? えっと、あ……」
自分に質問が回ってくると思っていなかったアサギリは、わたわたと慌てて手をばたつかせてしまうが、すぐに落ち着いて、
「そうですね、フートカ法は、少なくとも独立回復後、近代海軍を整備し始めた時点では使ってないはずです。魔学技術国で、科学同盟圏側ではない国では、今でも主流ですが……」
と、アイリがいたら思わず驚愕の表情で見てしまいそうな、真剣な表情で説明した。
「それはおかしいな」
そう、克三郎が呟くように言う。3人の視線が、そちらに向いた。
「ああ、すみません。質問の途中で……」
「いや、俺の質問の答えはもらったし、多分、同じことを考えているだろう」
克三郎が、会話を遮ってしまったことを謝罪するが、学はそう返した。
「と、言いますと?」
ユージンが、アサギリとともに克三郎と学の顔を交互に見ながら、訊ねる。
「今、クライトン部長からお聞きした軌道の広さですが、日本 ──── 地球では、基本的にそれらはヤード・ポンド法基準で決められているんです。ところが、チハーキュにはヤード・ポンド法がないのに、ヤード・ポンド法由来の軌間をそのまま使っている。例えば、1,067mmであれば、1,070mm、1,065mm、1,060mm、あるいは1,100mmや1,000mと、メートル法に基づいて、丸めるような議論はなかったのですか?」
「大規模な新線建設の時に、持ち上がることはありますが、既存線への直通を考えますと……」
克三郎の解説からの質問に、ユージンは、苦笑交じりに答えた。
「なるほど……いや、そうすると、そもそも最初に1,067mm軌間がどこから出てきたのか……」
克三郎は、顎に手を当てる仕種をしつつ、呟くように言ってから、
「それも含めて、貴国の鉄道車両が我が国のそれによく似ている事も、我々の疑問なのです」
と、ユージンに視線を向け直して、そう言った。
「日本と、我が国の車両が、ですか」
「はい」
ユージンが聞き返すと、克三郎は、足元のカメラバッグに手を伸ばす。
「あ、すみません。私、ちょっとお花を摘みに行かせていただいて宜しいでしょうか?」
窓際に座っていた珊瑚がそう言い、立ち上がった。
「あ、あっと……はい」
「よっ……」
克三郎と、学が脚を避けて、その間を通って珊瑚が通路側に出た。
「すみません。失礼します」
通路側に抜けた珊瑚は、そう言って会釈してから、区分室を出ていった。
珊瑚が区分室を閉じたところで、克三郎と学が座席に座り直し、克三郎は、何葉かの写真を、テーブルの上においた。
「これは……これが日本の機関車という事ですか!?」
ギョッとした様子で、ユージンは、置かれた写真を凝視しつつ、問い質すように言う。
「その様子ですと、貴国にもこれらの形式があるということですね」
「はい……しかもC53形まで……日本との “門” が開くよりずっと以前に全廃されているはずなのに……」
克三郎の、ユージンの言葉を肯定する意味を持たせての問いかけに、ユージンは、視線を写真に釘付けにされたまま、答えた。
「C53形の全廃は、3シリンダ構造の設計の欠陥が原因ですか?」
「そ、そんな……なぜ理由まで!?」
3シリンダ機は、左右の他に、ボイラ下にも動弁機構と同軸クランクを持つ形態の蒸気機関車だ。
日本のC53形も、設計が不適切であり、クランク配置のミスによる起動不能、部品の強度不足による変形や破損、軸受過熱などが起こっていた。
この為、この当時までの日本で最速だった特急『燕』の運転開始時は、東京鉄道局管内では、スペック上大出力で速度も出しやすいC53ではなく、そのC53の登場で幹線用大型機から亜幹線用中型機に格落ちするはずだったC51形が担当した、という事もある。
これは日本の基礎技術力の低さだけが招いたものではなく、同様の機構を採用したアメリカの機関車でも起こっていた。ちなみにアメリカは、機関車の状態を常に把握できる専属の機関士を割り当てるという、アメリカらしくない “職人芸頼み” で乗り切っている。
この時、日本ではまだC53は運用されていたが、C55形、C57形、C59形といった、優秀な2シリンダ機の登場により、活躍の場はかなり狭まっていた。特に、スペックでも2シリンダ機でありながらC53を上回るC59の登場は、決定的と言えた。
一方、チハーキュでは全体的なスペックでは劣るものの、経済的に大量生産できるということで、 ──── 当然のように存在する ──── C57形の短期間大量製造で、とっとと廃車してしまった。これは、この後に説明する、日本とチハーキュの地理条件からくる鉄道事情の違いも伴っている。ボイラだけ後に言う重機の動力として地上設置されたり、特に蒸気の立ち上がりがいいボイラを使ってC52形という形式の13号機以降をでっちあげた。
このC52形はチハーキュと日本で由来に違いがあるものの、どちらも3シリンダ機の試作形式と呼べるものだが、チハーキュの13号機以降は、オリジナルとは部品の強度など参考にしつつも、全くの別物である。
──────── 話を戻そう。
「機関車以外、電車や客車類は、機関車ほどそっくりではありませんが、やはり日本の設計と共通点が見られます。我が国の政府は、これに興味があるようです」
「は、なるほど……」
克三郎の言葉に、ユージンは呼吸を整え、冷静さを取り戻してから、
「ここまで根本的な事を質問されるという想定はしていなかったので、資料が用意できていなくて申し訳ないのですが……私は広報の人間なので詳細までは断言できませんが、設計局は現在でも、 “舟形遺跡” やその関連の発掘物から情報を得ているといいます。もしかしたらそこに理由があるのかも知れません」
「なるほど……軌間1,067mmもそのあたりから出てきたもの、と考えるしかないか……」
珊瑚が出ていった後、克三郎の窓側の隣に座り直していた丈乃が呟くように言った。
「ここでも “舟形遺跡” か……」
学が腕を組んで、唸るように言う。
「これもその影響なのかも知れませんが、機関車や客車は我が国の国有鉄道のものに酷似する物が多く、それに対して、電車は我が国の私鉄に共通点が多いものになっています。これの理由もそのあたり以外に説明がつきませんか?」
手振りを加えつつ、克三郎がユージンに訊く。
「ああ、それは……確かにそれもあると思いますが、鉄道管理局の差も大きくて」
そこに話が及ぶと、ユージンは余裕を取り戻したかのように、苦笑した。
「と、言いますと?」
「国鉄の機関車や客車の多くは、レングードの中央鉄道管理局の技術部が設計しているのですが、スターリー周辺の近郊車両はスターリーの鉄道管理局が独自に設計しておりまして。もちろん基準はあるのですが……私鉄建設ブームの頃には私鉄の車両設計や製造を請け負っていた事もあって、なんというか、破天荒な設計をすることが多いです」
「なるほど、とすると、スハユニ09形、この列車の客車の1両目も……」
「ええ、あれはバイハイ戦役後の経済過熱後の不景気で、立ち行かなくなった私鉄を救済買収したときの木造客車を、鋼製化したものですな」
「ああ、やっぱり」
ユージンが苦笑しながら言うと、克三郎は納得した声を出した。
「それでは、食堂車や寝台車に使われている、平滑な車体も、スターリー鉄道管理局の設計で?」
克三郎は、さらに問いかける。
「いえ、あれは軽量構造車体と言いまして、革新的ではありますが、中央局の技術開発によって開発されました」
「軽量……確かに重量は抑えられそうですが、強度は大丈夫なのですか?」
「衝突試験を行ったこともあります。問題ありません」
やや訝しげになる克三郎の再質問に、ユージンはどこか得意そうになって答えた。
「あれは確かに日本臭いが、我が国ではまだ造られてはいません……我が国も、特に鋼製車両の重量を抑えることには苦労しているのですが」
「ええと……こう言うと失礼なのですが、日本は、エボールグでいう人間族しか住んでいないと聞いております。その関係かと」
「に、人間族!?」
ユージンの言葉に、克三郎だけではなく、並んで座っていた丈乃と学まで驚愕の声を出してしまった。
「こ、この世界の住民は、みんな貴方がたのような存在ではないのですか!?」
丈乃が、克三郎を差し置いて、問い質すように言ってしまっていた。
「おや、まだ説明がなされていませんでしたか」
ユージンが、意外そうな顔をしつつ、言う。
すると、
「すみません、詳しくは帝都で説明することになっていましたので」
と、多少慌てたように、アサギリが身を乗り出して、言う。
「コホン」
アサギリはわざとらしい咳払いをしてから、その部分をざっと解説する。
「エボールグ全体で言えば、多数派なのは人間族といって、貴方がたによく似た存在です。ただ、髪や瞳の色、肌の色は異なりますが…… “特徴がないのが特徴” であり、同時に強みでもあり、特に不得手とする事がなく、集団での行動に長け、一時期は他の種族を隷属させていましたが、科学技術の開拓に開発した我が国が、ヴォルクスを中心とした国として再独立した事をきっかけに、イビム連合王国を中心とした、人間族の絶対的な支配圏は北へ大きく縮小しました」
「…………」
「…………」
旧支配者が地球人に似た存在であるということ、それに、地球とエボールグの情勢を重ね合わせてしまい、丈乃と克三郎が気まずそうな表情をする。学は、さらに複雑な感情を感じさせる顔をしていた。
「あ、ああ、大丈夫です」
流石に、空気のまずさを感じたのか、アサギリが慌てて追加の説明をする。
「今の科学同盟圏には、人間族中心の国もあります。それに、僅かですが我が国にも住んでいます。全部が全部、対立しているわけではありません」
手を軽く振りながら、そう言った。
「ただ、人間族が “特徴がないのが特徴” であるように、他のヒューマノイドには何らかしらの特徴があります。私達ヴォルクスや、猫耳のフィリシスであれば、高い聴覚と運動能力ですね。同じ運動能力でも、ヴォルクスは持久力寄り、フィリシスは瞬発力寄りです。まあ鍛え方にもよりますが」
口元で自然に笑んで、アサギリは言う。
「ここで関わってくるのは、チハーキュ主要4種族のデミ・ドワーフとダークエルフですね。科学的には完全に解明されきれていないのですが、この2種族は素材や土地に対する感覚が鋭敏で、現在の科学技術文明においても、この特性は生かされています。エンジンとか無線機の開発とかですね」
「なるほど」
納得がいった、というように、克三郎が声を出した。
「その為に鋼板の改良や、鋼材強度の活用が進んでいて、軽量車体というのも可能になった、ということですか」
「我々は、そう考えています」
ユージンが、そう答えた。
さらに、克三郎とユージンを中心に会話を続けていく。
「それと、ああ、話は変わりますが」
「ええ、どうぞ」
鉄道の主題はそのまま、別の話題に言及する。
「C51形やC57形が開発されているのに、貴国を代表するようなこの列車にC58形が使われるということは……」
「ええ、多分貴方の見立て通りかと。 ……失礼」
そう言って、ユージンは、背広の内ポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。テーブルに広げられたそれは、カムイガルド北半分の鉄道路線概略図だった。国鉄も、私鉄も書き込まれている。
「我が国の帝都・レングードは、内陸盆地に存在しており、スターリーまでにはいくつかの山岳地帯を越えることになります」
「パシフィックやミカドだと入れない?」
2ヶ所ほど存在している曲がりくねった場所を見て、克三郎が問いかける。
「ええ、物理的には通れるんですが、軌道破壊が酷いので制限しています」
パシフィックとはC51形やC57形のような、動輪の前の従台車が2軸、動輪3軸、動輪の後ろ、運転台下の従台車が1軸のタイプを示す。
ミカドは、有名なD51形のような、動輪の前に1軸、動輪4軸、運転台下が1軸のタイプだ。
C58形は、動輪の前に1軸、動輪3軸、運転台下に1軸で、プレーリーと呼ばれる。
……と、それを聞いたところで、学が、あれっ、という顔をした。ただ、そこで敢えて、話題に入っては行かなかった。
「それに、ミカドだと速度が出なさすぎます。C58なら、それでも100km/hは出ますから」
Wikipediaとかに書かれている95km/hとか85km/hあたりの数字は、後に所謂 “制動600m制限” が法定になってからの、ブレーキ力を基にした数字である。動力性能としては、それを上回る機関車が過半だ。
蒸気機関車は、ギアードロコと呼ばれる特殊な形態を除くと、動輪の大きさが他の動力車で言うギア比になる。大径の動輪は動輪外周の速度が速いため、速度が出せる。小径動輪は動輪外周の速度が少ないが、その分同じ距離の間にシリンダがより多くの工程を行うので、トルクが太くなる。
日本型蒸機の場合、旅客用は動輪径1,750mmで3軸。貨物用は1,400mmで4軸。4軸なのは、同時に動輪が線路に密着する面積を大きくする意味もある。
C58形は、本来はローカル線用の中庸な性能の中型機として設計されており、動輪径は同じ用途で使われていたタンク機関車(機関車本体のみで炭水車がないタイプ)のC10形、C11形と同じ1,520mmになっている。
また、大きい機関車がカーブを通過すると、線路にかかる横圧が大きく、線路のクリアランスの狂い(軌道破壊)が早く進行することになる。それはカーブがきつくなると大きくなる。なので、大型機関車に急カーブがぽつぽつとあるこの区間を通過させたくない、というわけだ。
そしてこれが、チハーキュでC53形がさっさと廃車された理由だ。最も重要なレングード・スターリー線で使う形式ではないため、欠陥をだましだまし運用する動機に薄いのである。沿岸部の港湾都市同士を結ぶ平坦線には大型機関車の需要もあるが、中央集権国家として、それは優先度が1段低い。
「まぁ、普通の急行列車は、次のレーリーまではC57形かC51形が担当して、ここで交換するのですが……」
ユージンは、その駅と思しき ──── カムイガルド語で書かれているため、克三郎達には読めない ──── 印を指して、言う。
蒸気機関車の場合、蒸気機関車同士でも、重さや性能特性、また、積んでいる水の容量などで、機関車交換をする事がある。
「ははぁ」
克三郎は、納得したような声をだした。
「交換の時間を惜しみましたか」
「はい」
ユージンも、唇の端を吊り上げて、片目をキラッと光らせた。
レーリー。
スターリーから南へ150kmほどの内陸にあるこの都市は、チハーキュ帝国の独立闘争が始まるまでの旧帝都だった。今でも『旧都』と呼ばれる。
現在も交通の要衝ではあるが、スターリーのような巨大都市ではない。中堅どころの地方中核都市という感じである。
人の賑わいはあり、トロリーバスなどが建設されてはいる。だが、スターリーや東京に比べると、どこか牧歌的な、のどかな雰囲気も漂っていた。
ただし、鉄道、特にラスティナの運転要員にとっては、重要な駅、あるいは、戦場、と表現しても良かった。
下り線ホームの1つでは、スターリー行きの下り急行列車が、機関車をC58形からC57形に交換している。
その反対側、ホームの上り方、列車の機関車が止まるあたりに、脚立を少しゴツくしたような櫓があり、その上で、作業服姿のフィリシスの若い男性が待機している。
日本の視察班を乗せている上りラスティナは、レーリー駅に接近する。平滑な前面2枚窓の電気式気動車3両に、1両だけ茶筒型の先頭部に無理やり貫通路つくった、機械式気動車だった付随車1両を挟んだ、4両の下りディーゼル近郊列車とすれ違いながら、レーリー駅の場内信号の横を通過する。C58形が横を通り抜けると、腕木式信号機が、腕木が水平になり、赤を現示した。
「よっ、と」
『レーリー、レーリーです。この列車は特別急行ラスティナ号レングード中央駅行きです』
列車が停車しきった瞬間、停車が放送される前に、櫓の上のフィリシスの作業員が、牽引機のC58の炭水車に飛び乗ると、炭水車上部後方の給水口の蓋を開ける。
「うぉりゃ!」
ホームの上に設けられた、スポート、と呼ばれる給水用のスタンドに、そちらにまたがっていたヴォルクスの男性作業員が、持ち上げていた給水管を、炭水車に下ろす。炭水車上のフィリシス作業員が、給水管を受け取って、炭水車の給水口に差し込んだ。
給水口にスポートの給水管が入ったと見た瞬間、ヴォルクスの作業員は出水バルブを開く。機関車留置場の給水塔から、地下の逆サイホン管を通って、大量の水が勢いよく炭水車に流れ込む。
ザァアァァァ……!!
同時に乗員も交代していた。今度はヴォルクスの主機関士と機関助士、それにフィリシスの副機関士。
特急として、機関車交換の時間を惜しみ、敢えてスターリーの時点で、C58形で出発する。本来絶対的な性能が劣る分、ダイヤを調整して近郊列車を可能な限り退かし、速度が乗った状態でC58が牽引できるようにする。
しかしその分、1両のC58の連続走行距離が長くなる。すると、水が足りない。大抵の場合、蒸気機関車は燃料よりも先に水が尽きる。
そこでそれを補うため、ここレーリーで2分40秒の停車中に12.5トンの給水を実施する事になった。
無茶振りもいいところだったが、5分あれば機関車の交換も ──── 安全を度外視すれば ──── なんとかなるところを、およそ半分で済ませろという話である。
本来あまりホームに設置することがないスポートが設けられているのも、それも標準型より大水量型であることも、ラスティナの運転のためだけに用意されたものだった。
ジリリリリリリ……
給水作業中の最中に、すでに発車ベルが鳴りはじめ、ホーム係が客車の扉を閉め始める。
「座って待ってろ、バカ!」
乗り換えたヴォルクスの主機関士が、落ち着かずに出入台からスポートを見ていると、それまでのフィリシスの主機関士が、軽く荒い声を出した。言われた主機関士が、慌てて運転席に座る。機関助士が火床を整えている。
「止めろ!」
炭水車上のフィリシスの作業員が言う。スポート上のヴォルクスの作業員がバルブを閉じ、
「ふんっ!」
と、力任せに給水管を戻す。まだ給水管内に残っていた水が、バシャバシャとホームに飛び散った。
櫓に飛び移ったフィリシスの作業員が、ベルトに差してあった白い旗をふる。
フォオォッ
汽笛を短く鳴らしてから、C58が起動し、ラスティナはレングードへ向かって出発する。
客車がホームを滑っていき、最後尾の展望車の車掌室の窓から身を乗り出している車掌と、ホーム係、給水担当のフィリシスの作業員とが、手を振りあった。
スターリー都市中心部から50km圏にあり、レングード・スターリー線の、スターリー側の電化の終点部(厳密に言うと起点部)になる。
上りラスティナの最初の停車駅でもある。
カシャッ……カシャッ……
窓を開けて、停車しているホームの対面に停車している、都市電車を撮影する。
ホームではすでに発車ベルが鳴り響いていた。
3連接の電車に、ボギーの制御車1両が連結されている。
「────……連接の電車は見慣れないが、やっぱり日本っぽいな……ボギー車は南海の電9形に似ている」
撮影を終えた後、観察して呟いてから、克三郎は窓を閉めた。
カメラをしまい、席に座り直す。
ブレーキを緩めたふわっとした動揺の後、列車が前進を始める。流石に8両目では、ブラスト音はここまで響いてこない。3軸台車の、タタタン、タタタン、というジョイント音が聞こえてくる。
ここまで信号機がすべて色灯式だったが、バランウィッチの出発信号機は腕木式になっている。日本では馴染のない赤・黄・青の3位腕木式だった。進行現示のときには腕木は垂直になる。8号車が信号柱の横を通過したときには当然すでに停止現示に変わっている。
余談だが、鉄道における青信号、進行現示は、道路信号と違って「進んでも良い」ではなく、「とっとと進め」を意味する。運転士(機関士)は遅滞なく通過しなければならない。
「すみません、お待たせしました」
克三郎が言う。
3人がけのソファが向かい合う区分室内で、進行方向側に丈乃、ユージン、アサギリ、その対面側に珊瑚、克三郎、学が座っていて、ユージンと克三郎が正面に向かい合っている。
区分室定員を超えるため、アイリは別の車両に移動していた。
学が、ユージンが差し出した名刺を見ている。「チハーキュ帝国内務省国土庁国有鉄道総局第1広報部長」、と、ユージン・スキンブルシャンクス・クライトンの身分が書かれている。
「それで、今回日本の皆さんは、我が国の鉄道に大変興味を示されているということですが……まず、何からお話いたしましょうか?」
ユージンの方から、そう切り出した。
「そうですね……まず、確認させていただきたいのですが、貴国の国鉄の軌間、線路の幅を教えていただけますか?」
克三郎が、手振りを加えつつ質問する。
「我が国有鉄道を含めまして、我が国の標準軌間は1,067mmとなっています。この他、簡易線用に889mmが比較的多用されます。特殊軌道は他に存在しますが……」
「それより広い軌間は存在しますか?」
ユージンの答えに、克三郎が重ねて聞き返した。
「そうですね、変圧器などの輸送を行う特殊軌道線に1,524mmというところがあります。それと、これは路線ではありませんが、国鉄内では荷役所でのクレーン移動用に1,676mmの軌道を敷いているところがあります」
「日本と同じ狭軌が標準で、それより広いのがないのか……」
克三郎は、訝しげに、呟くように言う。
「俺から、聞いていいか?」
学が、克三郎に顔を向けて訊ねた。
「あ、はい」
「どうぞ、気になることがお有りでしたらなんでも」
学が言い、ユージンが、手を差し出す仕種をしつつ、視線を学に向けた。
「貴国には、ヤード・ポンド法が存在しますか?」
「やーど・ぽんど……とは?」
学の質問に、ユージンはその単語に全く聞き覚えがない、という反応をした。
「計量の単位です。地球に存在している、メートル法とは別の単位ですね」
「そのような単位系は聞いたことがありません……申し訳ない」
学が説明するが、ユージンは困惑した様子でそう言うしかできなかった。
「インチ、フィート、といった単位も聞いたことがありませんね?」
「ええと……」
学が念を押して確認すると、ユージンは、困惑した表情と口調で言う。
「いくつかの単語は、フートカ法という、この世界で “舟形遺跡” が発見される以前からの単語に似たものがありますが…………私個人としては、同じものではない、と考えます」
「サンミル中尉はどうです?」
学は、視線をアサギリに移して、問いかける。
「え? えっと、あ……」
自分に質問が回ってくると思っていなかったアサギリは、わたわたと慌てて手をばたつかせてしまうが、すぐに落ち着いて、
「そうですね、フートカ法は、少なくとも独立回復後、近代海軍を整備し始めた時点では使ってないはずです。魔学技術国で、科学同盟圏側ではない国では、今でも主流ですが……」
と、アイリがいたら思わず驚愕の表情で見てしまいそうな、真剣な表情で説明した。
「それはおかしいな」
そう、克三郎が呟くように言う。3人の視線が、そちらに向いた。
「ああ、すみません。質問の途中で……」
「いや、俺の質問の答えはもらったし、多分、同じことを考えているだろう」
克三郎が、会話を遮ってしまったことを謝罪するが、学はそう返した。
「と、言いますと?」
ユージンが、アサギリとともに克三郎と学の顔を交互に見ながら、訊ねる。
「今、クライトン部長からお聞きした軌道の広さですが、日本 ──── 地球では、基本的にそれらはヤード・ポンド法基準で決められているんです。ところが、チハーキュにはヤード・ポンド法がないのに、ヤード・ポンド法由来の軌間をそのまま使っている。例えば、1,067mmであれば、1,070mm、1,065mm、1,060mm、あるいは1,100mmや1,000mと、メートル法に基づいて、丸めるような議論はなかったのですか?」
「大規模な新線建設の時に、持ち上がることはありますが、既存線への直通を考えますと……」
克三郎の解説からの質問に、ユージンは、苦笑交じりに答えた。
「なるほど……いや、そうすると、そもそも最初に1,067mm軌間がどこから出てきたのか……」
克三郎は、顎に手を当てる仕種をしつつ、呟くように言ってから、
「それも含めて、貴国の鉄道車両が我が国のそれによく似ている事も、我々の疑問なのです」
と、ユージンに視線を向け直して、そう言った。
「日本と、我が国の車両が、ですか」
「はい」
ユージンが聞き返すと、克三郎は、足元のカメラバッグに手を伸ばす。
「あ、すみません。私、ちょっとお花を摘みに行かせていただいて宜しいでしょうか?」
窓際に座っていた珊瑚がそう言い、立ち上がった。
「あ、あっと……はい」
「よっ……」
克三郎と、学が脚を避けて、その間を通って珊瑚が通路側に出た。
「すみません。失礼します」
通路側に抜けた珊瑚は、そう言って会釈してから、区分室を出ていった。
珊瑚が区分室を閉じたところで、克三郎と学が座席に座り直し、克三郎は、何葉かの写真を、テーブルの上においた。
「これは……これが日本の機関車という事ですか!?」
ギョッとした様子で、ユージンは、置かれた写真を凝視しつつ、問い質すように言う。
「その様子ですと、貴国にもこれらの形式があるということですね」
「はい……しかもC53形まで……日本との “門” が開くよりずっと以前に全廃されているはずなのに……」
克三郎の、ユージンの言葉を肯定する意味を持たせての問いかけに、ユージンは、視線を写真に釘付けにされたまま、答えた。
「C53形の全廃は、3シリンダ構造の設計の欠陥が原因ですか?」
「そ、そんな……なぜ理由まで!?」
3シリンダ機は、左右の他に、ボイラ下にも動弁機構と同軸クランクを持つ形態の蒸気機関車だ。
日本のC53形も、設計が不適切であり、クランク配置のミスによる起動不能、部品の強度不足による変形や破損、軸受過熱などが起こっていた。
この為、この当時までの日本で最速だった特急『燕』の運転開始時は、東京鉄道局管内では、スペック上大出力で速度も出しやすいC53ではなく、そのC53の登場で幹線用大型機から亜幹線用中型機に格落ちするはずだったC51形が担当した、という事もある。
これは日本の基礎技術力の低さだけが招いたものではなく、同様の機構を採用したアメリカの機関車でも起こっていた。ちなみにアメリカは、機関車の状態を常に把握できる専属の機関士を割り当てるという、アメリカらしくない “職人芸頼み” で乗り切っている。
この時、日本ではまだC53は運用されていたが、C55形、C57形、C59形といった、優秀な2シリンダ機の登場により、活躍の場はかなり狭まっていた。特に、スペックでも2シリンダ機でありながらC53を上回るC59の登場は、決定的と言えた。
一方、チハーキュでは全体的なスペックでは劣るものの、経済的に大量生産できるということで、 ──── 当然のように存在する ──── C57形の短期間大量製造で、とっとと廃車してしまった。これは、この後に説明する、日本とチハーキュの地理条件からくる鉄道事情の違いも伴っている。ボイラだけ後に言う重機の動力として地上設置されたり、特に蒸気の立ち上がりがいいボイラを使ってC52形という形式の13号機以降をでっちあげた。
このC52形はチハーキュと日本で由来に違いがあるものの、どちらも3シリンダ機の試作形式と呼べるものだが、チハーキュの13号機以降は、オリジナルとは部品の強度など参考にしつつも、全くの別物である。
──────── 話を戻そう。
「機関車以外、電車や客車類は、機関車ほどそっくりではありませんが、やはり日本の設計と共通点が見られます。我が国の政府は、これに興味があるようです」
「は、なるほど……」
克三郎の言葉に、ユージンは呼吸を整え、冷静さを取り戻してから、
「ここまで根本的な事を質問されるという想定はしていなかったので、資料が用意できていなくて申し訳ないのですが……私は広報の人間なので詳細までは断言できませんが、設計局は現在でも、 “舟形遺跡” やその関連の発掘物から情報を得ているといいます。もしかしたらそこに理由があるのかも知れません」
「なるほど……軌間1,067mmもそのあたりから出てきたもの、と考えるしかないか……」
珊瑚が出ていった後、克三郎の窓側の隣に座り直していた丈乃が呟くように言った。
「ここでも “舟形遺跡” か……」
学が腕を組んで、唸るように言う。
「これもその影響なのかも知れませんが、機関車や客車は我が国の国有鉄道のものに酷似する物が多く、それに対して、電車は我が国の私鉄に共通点が多いものになっています。これの理由もそのあたり以外に説明がつきませんか?」
手振りを加えつつ、克三郎がユージンに訊く。
「ああ、それは……確かにそれもあると思いますが、鉄道管理局の差も大きくて」
そこに話が及ぶと、ユージンは余裕を取り戻したかのように、苦笑した。
「と、言いますと?」
「国鉄の機関車や客車の多くは、レングードの中央鉄道管理局の技術部が設計しているのですが、スターリー周辺の近郊車両はスターリーの鉄道管理局が独自に設計しておりまして。もちろん基準はあるのですが……私鉄建設ブームの頃には私鉄の車両設計や製造を請け負っていた事もあって、なんというか、破天荒な設計をすることが多いです」
「なるほど、とすると、スハユニ09形、この列車の客車の1両目も……」
「ええ、あれはバイハイ戦役後の経済過熱後の不景気で、立ち行かなくなった私鉄を救済買収したときの木造客車を、鋼製化したものですな」
「ああ、やっぱり」
ユージンが苦笑しながら言うと、克三郎は納得した声を出した。
「それでは、食堂車や寝台車に使われている、平滑な車体も、スターリー鉄道管理局の設計で?」
克三郎は、さらに問いかける。
「いえ、あれは軽量構造車体と言いまして、革新的ではありますが、中央局の技術開発によって開発されました」
「軽量……確かに重量は抑えられそうですが、強度は大丈夫なのですか?」
「衝突試験を行ったこともあります。問題ありません」
やや訝しげになる克三郎の再質問に、ユージンはどこか得意そうになって答えた。
「あれは確かに日本臭いが、我が国ではまだ造られてはいません……我が国も、特に鋼製車両の重量を抑えることには苦労しているのですが」
「ええと……こう言うと失礼なのですが、日本は、エボールグでいう人間族しか住んでいないと聞いております。その関係かと」
「に、人間族!?」
ユージンの言葉に、克三郎だけではなく、並んで座っていた丈乃と学まで驚愕の声を出してしまった。
「こ、この世界の住民は、みんな貴方がたのような存在ではないのですか!?」
丈乃が、克三郎を差し置いて、問い質すように言ってしまっていた。
「おや、まだ説明がなされていませんでしたか」
ユージンが、意外そうな顔をしつつ、言う。
すると、
「すみません、詳しくは帝都で説明することになっていましたので」
と、多少慌てたように、アサギリが身を乗り出して、言う。
「コホン」
アサギリはわざとらしい咳払いをしてから、その部分をざっと解説する。
「エボールグ全体で言えば、多数派なのは人間族といって、貴方がたによく似た存在です。ただ、髪や瞳の色、肌の色は異なりますが…… “特徴がないのが特徴” であり、同時に強みでもあり、特に不得手とする事がなく、集団での行動に長け、一時期は他の種族を隷属させていましたが、科学技術の開拓に開発した我が国が、ヴォルクスを中心とした国として再独立した事をきっかけに、イビム連合王国を中心とした、人間族の絶対的な支配圏は北へ大きく縮小しました」
「…………」
「…………」
旧支配者が地球人に似た存在であるということ、それに、地球とエボールグの情勢を重ね合わせてしまい、丈乃と克三郎が気まずそうな表情をする。学は、さらに複雑な感情を感じさせる顔をしていた。
「あ、ああ、大丈夫です」
流石に、空気のまずさを感じたのか、アサギリが慌てて追加の説明をする。
「今の科学同盟圏には、人間族中心の国もあります。それに、僅かですが我が国にも住んでいます。全部が全部、対立しているわけではありません」
手を軽く振りながら、そう言った。
「ただ、人間族が “特徴がないのが特徴” であるように、他のヒューマノイドには何らかしらの特徴があります。私達ヴォルクスや、猫耳のフィリシスであれば、高い聴覚と運動能力ですね。同じ運動能力でも、ヴォルクスは持久力寄り、フィリシスは瞬発力寄りです。まあ鍛え方にもよりますが」
口元で自然に笑んで、アサギリは言う。
「ここで関わってくるのは、チハーキュ主要4種族のデミ・ドワーフとダークエルフですね。科学的には完全に解明されきれていないのですが、この2種族は素材や土地に対する感覚が鋭敏で、現在の科学技術文明においても、この特性は生かされています。エンジンとか無線機の開発とかですね」
「なるほど」
納得がいった、というように、克三郎が声を出した。
「その為に鋼板の改良や、鋼材強度の活用が進んでいて、軽量車体というのも可能になった、ということですか」
「我々は、そう考えています」
ユージンが、そう答えた。
さらに、克三郎とユージンを中心に会話を続けていく。
「それと、ああ、話は変わりますが」
「ええ、どうぞ」
鉄道の主題はそのまま、別の話題に言及する。
「C51形やC57形が開発されているのに、貴国を代表するようなこの列車にC58形が使われるということは……」
「ええ、多分貴方の見立て通りかと。 ……失礼」
そう言って、ユージンは、背広の内ポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。テーブルに広げられたそれは、カムイガルド北半分の鉄道路線概略図だった。国鉄も、私鉄も書き込まれている。
「我が国の帝都・レングードは、内陸盆地に存在しており、スターリーまでにはいくつかの山岳地帯を越えることになります」
「パシフィックやミカドだと入れない?」
2ヶ所ほど存在している曲がりくねった場所を見て、克三郎が問いかける。
「ええ、物理的には通れるんですが、軌道破壊が酷いので制限しています」
パシフィックとはC51形やC57形のような、動輪の前の従台車が2軸、動輪3軸、動輪の後ろ、運転台下の従台車が1軸のタイプを示す。
ミカドは、有名なD51形のような、動輪の前に1軸、動輪4軸、運転台下が1軸のタイプだ。
C58形は、動輪の前に1軸、動輪3軸、運転台下に1軸で、プレーリーと呼ばれる。
……と、それを聞いたところで、学が、あれっ、という顔をした。ただ、そこで敢えて、話題に入っては行かなかった。
「それに、ミカドだと速度が出なさすぎます。C58なら、それでも100km/hは出ますから」
Wikipediaとかに書かれている95km/hとか85km/hあたりの数字は、後に所謂 “制動600m制限” が法定になってからの、ブレーキ力を基にした数字である。動力性能としては、それを上回る機関車が過半だ。
蒸気機関車は、ギアードロコと呼ばれる特殊な形態を除くと、動輪の大きさが他の動力車で言うギア比になる。大径の動輪は動輪外周の速度が速いため、速度が出せる。小径動輪は動輪外周の速度が少ないが、その分同じ距離の間にシリンダがより多くの工程を行うので、トルクが太くなる。
日本型蒸機の場合、旅客用は動輪径1,750mmで3軸。貨物用は1,400mmで4軸。4軸なのは、同時に動輪が線路に密着する面積を大きくする意味もある。
C58形は、本来はローカル線用の中庸な性能の中型機として設計されており、動輪径は同じ用途で使われていたタンク機関車(機関車本体のみで炭水車がないタイプ)のC10形、C11形と同じ1,520mmになっている。
また、大きい機関車がカーブを通過すると、線路にかかる横圧が大きく、線路のクリアランスの狂い(軌道破壊)が早く進行することになる。それはカーブがきつくなると大きくなる。なので、大型機関車に急カーブがぽつぽつとあるこの区間を通過させたくない、というわけだ。
そしてこれが、チハーキュでC53形がさっさと廃車された理由だ。最も重要なレングード・スターリー線で使う形式ではないため、欠陥をだましだまし運用する動機に薄いのである。沿岸部の港湾都市同士を結ぶ平坦線には大型機関車の需要もあるが、中央集権国家として、それは優先度が1段低い。
「まぁ、普通の急行列車は、次のレーリーまではC57形かC51形が担当して、ここで交換するのですが……」
ユージンは、その駅と思しき ──── カムイガルド語で書かれているため、克三郎達には読めない ──── 印を指して、言う。
蒸気機関車の場合、蒸気機関車同士でも、重さや性能特性、また、積んでいる水の容量などで、機関車交換をする事がある。
「ははぁ」
克三郎は、納得したような声をだした。
「交換の時間を惜しみましたか」
「はい」
ユージンも、唇の端を吊り上げて、片目をキラッと光らせた。
レーリー。
スターリーから南へ150kmほどの内陸にあるこの都市は、チハーキュ帝国の独立闘争が始まるまでの旧帝都だった。今でも『旧都』と呼ばれる。
現在も交通の要衝ではあるが、スターリーのような巨大都市ではない。中堅どころの地方中核都市という感じである。
人の賑わいはあり、トロリーバスなどが建設されてはいる。だが、スターリーや東京に比べると、どこか牧歌的な、のどかな雰囲気も漂っていた。
ただし、鉄道、特にラスティナの運転要員にとっては、重要な駅、あるいは、戦場、と表現しても良かった。
下り線ホームの1つでは、スターリー行きの下り急行列車が、機関車をC58形からC57形に交換している。
その反対側、ホームの上り方、列車の機関車が止まるあたりに、脚立を少しゴツくしたような櫓があり、その上で、作業服姿のフィリシスの若い男性が待機している。
日本の視察班を乗せている上りラスティナは、レーリー駅に接近する。平滑な前面2枚窓の電気式気動車3両に、1両だけ茶筒型の先頭部に無理やり貫通路つくった、機械式気動車だった付随車1両を挟んだ、4両の下りディーゼル近郊列車とすれ違いながら、レーリー駅の場内信号の横を通過する。C58形が横を通り抜けると、腕木式信号機が、腕木が水平になり、赤を現示した。
「よっ、と」
『レーリー、レーリーです。この列車は特別急行ラスティナ号レングード中央駅行きです』
列車が停車しきった瞬間、停車が放送される前に、櫓の上のフィリシスの作業員が、牽引機のC58の炭水車に飛び乗ると、炭水車上部後方の給水口の蓋を開ける。
「うぉりゃ!」
ホームの上に設けられた、スポート、と呼ばれる給水用のスタンドに、そちらにまたがっていたヴォルクスの男性作業員が、持ち上げていた給水管を、炭水車に下ろす。炭水車上のフィリシス作業員が、給水管を受け取って、炭水車の給水口に差し込んだ。
給水口にスポートの給水管が入ったと見た瞬間、ヴォルクスの作業員は出水バルブを開く。機関車留置場の給水塔から、地下の逆サイホン管を通って、大量の水が勢いよく炭水車に流れ込む。
ザァアァァァ……!!
同時に乗員も交代していた。今度はヴォルクスの主機関士と機関助士、それにフィリシスの副機関士。
特急として、機関車交換の時間を惜しみ、敢えてスターリーの時点で、C58形で出発する。本来絶対的な性能が劣る分、ダイヤを調整して近郊列車を可能な限り退かし、速度が乗った状態でC58が牽引できるようにする。
しかしその分、1両のC58の連続走行距離が長くなる。すると、水が足りない。大抵の場合、蒸気機関車は燃料よりも先に水が尽きる。
そこでそれを補うため、ここレーリーで2分40秒の停車中に12.5トンの給水を実施する事になった。
無茶振りもいいところだったが、5分あれば機関車の交換も ──── 安全を度外視すれば ──── なんとかなるところを、およそ半分で済ませろという話である。
本来あまりホームに設置することがないスポートが設けられているのも、それも標準型より大水量型であることも、ラスティナの運転のためだけに用意されたものだった。
ジリリリリリリ……
給水作業中の最中に、すでに発車ベルが鳴りはじめ、ホーム係が客車の扉を閉め始める。
「座って待ってろ、バカ!」
乗り換えたヴォルクスの主機関士が、落ち着かずに出入台からスポートを見ていると、それまでのフィリシスの主機関士が、軽く荒い声を出した。言われた主機関士が、慌てて運転席に座る。機関助士が火床を整えている。
「止めろ!」
炭水車上のフィリシスの作業員が言う。スポート上のヴォルクスの作業員がバルブを閉じ、
「ふんっ!」
と、力任せに給水管を戻す。まだ給水管内に残っていた水が、バシャバシャとホームに飛び散った。
櫓に飛び移ったフィリシスの作業員が、ベルトに差してあった白い旗をふる。
フォオォッ
汽笛を短く鳴らしてから、C58が起動し、ラスティナはレングードへ向かって出発する。
客車がホームを滑っていき、最後尾の展望車の車掌室の窓から身を乗り出している車掌と、ホーム係、給水担当のフィリシスの作業員とが、手を振りあった。
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