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3.魔術師のローブ
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素材集めに行ってから一度定休日を挟んだ数日後、霧雨の降る日のことである。
少しジメジメした空気は水妖精にとっては過ごしやすく、炎妖精にとってはあまり歓迎できないことだろう。採集済みの鱗粉にも影響がでるので、炎妖精の鱗粉は真っ先に湿度の低い場所へと避難させてある。
そろそろドルガーが来るはずだ。前回来てから、準備が出来ると告げた予定の一週間はとうに過ぎている。素材の保管には気を使っているためすぐに悪くなることはないのだが、量が多く場所を多く取っているので、できれば早めに引き取って欲しいところである。
雨が降ると商店街の石畳は酷く滑りやすくなるので、出歩く人は極端に減る。そのためか、朝から店を開けているのにも関わらず誰もやって来ない。暇だ。
「まぁ、基本的に暇でいいんだけどね」
人がいないのをいいことに、カウンターに体を預けてべったりと頬をつけた。イチノセ素材店は薄利多売の正反対を行く店だ。客が少なくても客単価が驚くほど高い――主に魔術師団長のおかげであるが――なので、一日や二日閑古鳥が鳴いた所で全然平気だ。
(今日はもう店じまいしちゃおうかしら)
霧雨程度であれば出歩く人がいてもおかしくないのだが、今日は少ないし、人が来る気配もない。もし来たとしても人間に気付かれないくらい微量の魔力を店の入口に流しておけば、他ごとをしていても気付くだろう。そう思い、入り口の扉の取っ手部分に魔力を流し込んだ。扉についている札は裏返して今日はもう営業終了したことも忘れずに示して、戸締まりもしておく。
急に出来た空き時間を有効活用できるような趣味が何もないのが悲しい。人間だった頃の趣味はなんだっけ、と考えてみたが、あの世界は魔術がなく、代わりに科学技術が発達していた。携帯電話もなければパソコンもないこの世界で、あの世界の趣味を基準にするのはわたしには合わない。
せっかくだから大掃除でもしてみようか。
結局暇が出来た所で、やることはそんなに変えられない。
客のことを気にしないでできる掃除は思ったより熱中できるもので、棚や倉庫などありとあらゆる場所を掃除した。久しぶりの大掃除で、心なしか店内が明るくなった気がする。木造の建物に合わせて店内もできるだけ木製の家具や陳列棚を使用しているのだが、こうして見れば見るほど、わたしの店は素晴らしいと思う。
トリューシカ全体に言えることだが、建物は木造建築が圧倒的に多い。自然が豊かな土地なのと、不死鳥が蘇る前に気に入った木の枝を集めるという習性があることから、一次産業の中でも林業が特に重視されている結果だ。もちろん木造ではなく石造りの家や建物もあるが、そういった建物は神聖な建造物に使われることが多く、あまり一般的ではない。
貴族街でもそれは同じだ。王族の住む城や、この国を建国した初代国王とその側に寄り添っていたという不死鳥が奉られている霊堂は石造りだが、それ以外の建物は木造が多い。そして、貴族になるとどの家にも自分の家で主に使われた建材の木を一本、目立つところに植えている。これもまた不死鳥に関わるもので、気まぐれな不死鳥が己の家の木に蘇るための巣を作ってくれるようにと準備されたものなのだ。
不死鳥が巣に選んだ木の持ち主は当然優遇される。そして不死鳥に選ばれるには少しでも良質な木を屋敷に使うべきで、家財ですら木造が好ましい。そんな意識が昔から根付いているあたり、トリューシカはとことん不死鳥が神聖視されている国である。
いつしか霧雨は本格的な雨になっていて、徐々に激しさを増していった。外はどんよりと暗く、窓にぶつかっているせいか雨音はバタバタという音がした。
こうも酷い雨だとほんの少しだがわたしの魔力も弱るから困る。不死鳥は蘇る前に自ら一度焼死する。それもあって根源の属性は炎のため、水にはやや弱い。不死鳥ほどの聖獣の力を著しく下げようとするならば、隣国の聖獣である虹蛇の力が必要なので、雨くらいで大きく何か変わることはない。そもそも聖獣は不死鳥を含めとんでもなく気まぐれで、象徴として掲げられる分には放置しているものの、人間に協力を求められても無視することが圧倒的に多いので、虹蛇に頼ってわたしを弱めようとしても、話すら聞いてくれないだろう。建国の王と初代不死鳥のように、例外もいるが。
それでも気分が下がるのには違いない。明日こそは晴れると良いのだけど、とため息をつくのと、扉に仕掛けておいた魔力が反応したのは同時だった。
(魔力が反応した? ……気配が、ないのに?)
店の扉に、誰かが手をかけている。それは間違いないのに、その誰かの気配がまったく感じられなかった。この世界の住人は例外なく魔力を持って生まれてくる。それは人間も動物も同じだ。そしてわたしはどれだけ微々たる魔力でも見つけられるだけの力はあるはずだった。だが、今店の前にいる人はわたしでも見つけられないくらい魔力の気配がない。
魔力を隠せるのは、魔力を理解しきっている者のみ。魔力の流れを、自然のものとして扱えるほどの実力者でしかあり得ない。
外はいつしか豪雨となっていた。とにかく相手に動きがなければわたしから動くことはできない。イチノセ素材店の店主アサヒは、少しだけ特別な素材の仕入れが出来るだけの、ただの平民なのだから。
警戒だけは最大限にしつつも、いたって平然を装って店内の整理整頓をする。窓から覗かれたときに不自然に見えないようにするためだ。
ドアがノックされたのは、それからしばらくしてからだった。控えめなノックの後に、扉を開けようとしたのかガタガタと扉が音を鳴らし、、施錠されていることに気がついたのだろう。再び最初より少し大きめにノックされた。
「はい、今出ますね!」
普通の客を相手するように、でもこの雨の中やって来たことにわずかな不信感と驚きを乗せた声は、うまく表現できたと思う。前世の自分に役者になれるかもと教えてあげたい。教えてあげた所で、二十歳で亡くなることには変わりないが。
扉を少しだけ開けると、隙間から真紅が見えた。王宮魔術師のローブだ。そして特筆すべきは、隙間から見えただけでも分かるくらい、そのローブにびっしり刺繍が施されていることだろう。
「王宮魔術師の方ですね? まさか雨の中いらっしゃるとは……そこだと濡れてしまうので、どうぞ中にお入りください」
警戒を解いたわけではないが、相手が王宮魔術師である以上このまま外に放置するのはまずい。深くローブを被ったその人を招き入れ扉を閉める。
店の真ん中あたりまで無言で入ってくると、その人はローブのフードをおろし、顔を露わにした。
一言で言うと、とんでもない美形だった。淡い金髪に青色の瞳は驚くほど映える。やや伏せた目元は切れ長だが、目つきが悪いというほどではない。背はわたしよりもずっと高かった。体つきはローブ越しなので確かなことはいえないが、顔立ちから察するに細身ではあるが痩せているわけではないといったところだろうか。年齢ですら若くも思えるし、案外年を取っていてもおかしくないと思える。振り幅の大きな年齢予想の中間を取るなら、ドルガーと同じくらいだろうか。
そして何より目立つのは、王宮魔術師であることを証明するローブだった。
長年の不死鳥生活で得た知識を引っ張りだす。王宮魔術師のローブは有名だ。平民にとっとは魔術師の出るおとぎ話、貴族にとっては常識としてそのローブのことは語られている。
王宮魔術師のローブは必ず真紅でなければならない。そして同じく、ローブに施される刺繍糸も金色でなければならない。まずそれが大原則だ。なぜなら、それが不死鳥を象徴する色だからである。
試験に合格した王宮魔術師見習いは、必ず王術院への入学を強制される。そこで魔術について学び、ゆくゆくは王宮魔術師団へと入り、国に認められた魔術師として名を馳せていくことになるのだ。
王術院に入学した見習いは、まずローブについて学ぶことになる。王宮魔術師のローブは、初めに袖を通した者を使用者として認識する。そして、使用者以外の者がローブに袖を通すと、自動的に魔術が発動するようになっている。ローブの縁に施されている刺繍は、その魔術を発動させるための呪文だ。ローブを着る者を縛る魔術の呪文でもある。弱い焼却の魔術だ。どれだけ弱くても、着衣したまま炎が上がれば着ている人間の命に関わる。だから魔術師はこのローブの取扱について、一番初めに、しかしどの魔術よりも徹底的に教育をされる。
ローブが手渡された後、王術院で教育される三年間はそのまま何も変わらない。変わるのは王術院を卒業してからだ。王術院を卒業したら、それ以降は新たな刺繍を施すことが許されるようになる。もちろん上官の許可は必要だし、相応の功績がなければならない。そのせいか、刺繍の多さは同時に位の高さも表していた。
刺繍の図案については、一筆書きであることが条件ではあるものの、新たな刺繍を許されたローブの持ち主が自由に決めることが出来た。幅広く目立つ刺繍をしても良いし、小さくしても良い。たいていの魔術師は出来る限り簡略化した呪文をローブに刺繍することで、魔術具がなくても魔術が発動できるようにしているらしい。
そして、目の前にいる彼のローブにはその刺繍がびっしりとされており――驚くべきことに、そのどれもが、かなり効率化されているものだった。
ローブや刺繍の糸の色についてはともかく、それ以上のことは貴族ではないと知り得ない内容だし、ローブの持ち主以外の人間が着たらどうなるかについては王術院に入学しないと教えてもらえない内容である。それをわたしが知っているのは、わたしの一つ前の代の不死鳥がよく王術院に出入りしていたからだ。五百年以上も昔の話だが、何をするにも魔術で解決できるせいか技術の発達が遅く、五百年程度では産業革命も起きないので、たぶんその頃から王術院の役割も変わってはいないだろう。
隠せなかった驚きは純粋に見目の良さと、見たこともないくらい刺繍で埋め尽くされているローブを見たからということにさせてもらおう。脳内で言い訳を完成させたわたしは、そこでようやくこれだけの土砂降りの雨だったのに、彼がまったく濡れていないのに気がついた。
「外、雨が降っていたと思うんですけど……」
「……防水の魔術を使えば濡れることもない」
じろり、とこちらに視線を向けた彼から零れたのは、見た目から予想した声より少し低めの声だった。
この世界の魔術は必ず媒介が必要で、その媒介が声を使った詠唱であったり、魔術具であったり、魔術師ならローブにその呪文を文字として刺繍していたりというものである。おそらく彼の場合はローブに刺繍しているのだろう。実用的で日常使いの良い魔術はローブに残しておくのが便利だ。これも先代からの知識である。
ともかくせっかく掃除した床が汚されるのを防げただけでもありがたい。だがわざわざこんな雨の日に、しかも見るからに高位の魔術師がわたしに何のようだろうか。
「君がアサヒで間違いないか」
「は、はい、間違いないです。……ええと、御用はなんでしょう?」
見た目が良いと純粋に思えるのは無言で立っている時だけで、口を開いてこちらを見られると、どうにも気まずさが先立った。顔が良くても、表情がとにかく乏しい。仲良くなりましょうと言うつもりはないが、少しばかり愛想よくできないのだろうか。……この様子だと無理だろう。
「ドルガーから、私の注文を受けているはずだが?」
ドルガーから、と言われて思いつくのは、魔術師団団長からの依頼物である。数拍おいて、わたしは目の前にいるこの人が魔術師団長その人であることにようやく気付いた。
「あ! し、失礼しました……お会いするのは初めてだったので、分からなくて」
「構わない。早速だが、素材を確認させていただきたい」
「かしこまりました」
少し前に気をつけねば、と思った矢先のことで思わず面食らってしまった。そそくさと倉庫にある木箱を台車に乗せて、店へと持ってくる。木箱の中にはロードリーエの葉っぱと、おまけの枝、サラマンダーの尻尾が入った紙袋などが詰められている。もう一度倉庫に戻って炎妖精の鱗粉が入った小瓶を手にし、これは瓶が割れないようにカウンターへと置いた。
「ご注文いただいた品々はこちらです。間違いがないかご確認ください。ロードリーエの枝はいつもご贔屓にしていただいているサービスなので、料金には含まれませんよ」
ニコリと取り繕ったような営業スマイルを浮かべてみたものの、魔術師団団長はわたしに見向きもせず、じっと素材を見つめていた。乏しい表情では彼が何を考えているのか分からない。とりあえずわたしは普通の平民。ただの娘。断じて不死鳥ではないと自分で自分を洗脳するかのように脳内で言い繕う。
「……これだけのものを、たった一週間で?」
(疑われてる!)
だがここで動揺してはいけない。伊達に四百年も不死鳥をやってきたわけではない。それにわたしには先代の記憶も、朝緋としての記憶もある。困ったときは笑って誤魔化せ。それはどの世界でも共通のはずだ。
「はい。独自の流通ルートなんで、お教えすることはできませんが……優秀なもので、非常に助かっております」
優秀なのはわたしではなく、トリューシカにおける不死鳥の重要度なのだが、それは心の中で付け加えるにとどめておく。
探るようにじっとりとわたしを見ていた魔術師団団長だったが、ふ、と息を吐くと、わずかに口角をあげた。ほんの少しだけではあったが、それだけで表情らしい表情になってくれたおかげで、少しだけ力が抜けた。
「そういうことにしておこう。私にとっても、便利な素材屋が店をたたむのは本意ではない」
「恐れ入ります」
下手に突かないように笑みは崩さないまま頭を下げた。再び頭を上げたころには、すっかり彼の興味は素材へと向いており、これ以上わたしを追求するつもりもなさそうだ。
とりあえず、わたしが不死鳥であるという事実は隠すことに成功してくれたらしかった。
少しジメジメした空気は水妖精にとっては過ごしやすく、炎妖精にとってはあまり歓迎できないことだろう。採集済みの鱗粉にも影響がでるので、炎妖精の鱗粉は真っ先に湿度の低い場所へと避難させてある。
そろそろドルガーが来るはずだ。前回来てから、準備が出来ると告げた予定の一週間はとうに過ぎている。素材の保管には気を使っているためすぐに悪くなることはないのだが、量が多く場所を多く取っているので、できれば早めに引き取って欲しいところである。
雨が降ると商店街の石畳は酷く滑りやすくなるので、出歩く人は極端に減る。そのためか、朝から店を開けているのにも関わらず誰もやって来ない。暇だ。
「まぁ、基本的に暇でいいんだけどね」
人がいないのをいいことに、カウンターに体を預けてべったりと頬をつけた。イチノセ素材店は薄利多売の正反対を行く店だ。客が少なくても客単価が驚くほど高い――主に魔術師団長のおかげであるが――なので、一日や二日閑古鳥が鳴いた所で全然平気だ。
(今日はもう店じまいしちゃおうかしら)
霧雨程度であれば出歩く人がいてもおかしくないのだが、今日は少ないし、人が来る気配もない。もし来たとしても人間に気付かれないくらい微量の魔力を店の入口に流しておけば、他ごとをしていても気付くだろう。そう思い、入り口の扉の取っ手部分に魔力を流し込んだ。扉についている札は裏返して今日はもう営業終了したことも忘れずに示して、戸締まりもしておく。
急に出来た空き時間を有効活用できるような趣味が何もないのが悲しい。人間だった頃の趣味はなんだっけ、と考えてみたが、あの世界は魔術がなく、代わりに科学技術が発達していた。携帯電話もなければパソコンもないこの世界で、あの世界の趣味を基準にするのはわたしには合わない。
せっかくだから大掃除でもしてみようか。
結局暇が出来た所で、やることはそんなに変えられない。
客のことを気にしないでできる掃除は思ったより熱中できるもので、棚や倉庫などありとあらゆる場所を掃除した。久しぶりの大掃除で、心なしか店内が明るくなった気がする。木造の建物に合わせて店内もできるだけ木製の家具や陳列棚を使用しているのだが、こうして見れば見るほど、わたしの店は素晴らしいと思う。
トリューシカ全体に言えることだが、建物は木造建築が圧倒的に多い。自然が豊かな土地なのと、不死鳥が蘇る前に気に入った木の枝を集めるという習性があることから、一次産業の中でも林業が特に重視されている結果だ。もちろん木造ではなく石造りの家や建物もあるが、そういった建物は神聖な建造物に使われることが多く、あまり一般的ではない。
貴族街でもそれは同じだ。王族の住む城や、この国を建国した初代国王とその側に寄り添っていたという不死鳥が奉られている霊堂は石造りだが、それ以外の建物は木造が多い。そして、貴族になるとどの家にも自分の家で主に使われた建材の木を一本、目立つところに植えている。これもまた不死鳥に関わるもので、気まぐれな不死鳥が己の家の木に蘇るための巣を作ってくれるようにと準備されたものなのだ。
不死鳥が巣に選んだ木の持ち主は当然優遇される。そして不死鳥に選ばれるには少しでも良質な木を屋敷に使うべきで、家財ですら木造が好ましい。そんな意識が昔から根付いているあたり、トリューシカはとことん不死鳥が神聖視されている国である。
いつしか霧雨は本格的な雨になっていて、徐々に激しさを増していった。外はどんよりと暗く、窓にぶつかっているせいか雨音はバタバタという音がした。
こうも酷い雨だとほんの少しだがわたしの魔力も弱るから困る。不死鳥は蘇る前に自ら一度焼死する。それもあって根源の属性は炎のため、水にはやや弱い。不死鳥ほどの聖獣の力を著しく下げようとするならば、隣国の聖獣である虹蛇の力が必要なので、雨くらいで大きく何か変わることはない。そもそも聖獣は不死鳥を含めとんでもなく気まぐれで、象徴として掲げられる分には放置しているものの、人間に協力を求められても無視することが圧倒的に多いので、虹蛇に頼ってわたしを弱めようとしても、話すら聞いてくれないだろう。建国の王と初代不死鳥のように、例外もいるが。
それでも気分が下がるのには違いない。明日こそは晴れると良いのだけど、とため息をつくのと、扉に仕掛けておいた魔力が反応したのは同時だった。
(魔力が反応した? ……気配が、ないのに?)
店の扉に、誰かが手をかけている。それは間違いないのに、その誰かの気配がまったく感じられなかった。この世界の住人は例外なく魔力を持って生まれてくる。それは人間も動物も同じだ。そしてわたしはどれだけ微々たる魔力でも見つけられるだけの力はあるはずだった。だが、今店の前にいる人はわたしでも見つけられないくらい魔力の気配がない。
魔力を隠せるのは、魔力を理解しきっている者のみ。魔力の流れを、自然のものとして扱えるほどの実力者でしかあり得ない。
外はいつしか豪雨となっていた。とにかく相手に動きがなければわたしから動くことはできない。イチノセ素材店の店主アサヒは、少しだけ特別な素材の仕入れが出来るだけの、ただの平民なのだから。
警戒だけは最大限にしつつも、いたって平然を装って店内の整理整頓をする。窓から覗かれたときに不自然に見えないようにするためだ。
ドアがノックされたのは、それからしばらくしてからだった。控えめなノックの後に、扉を開けようとしたのかガタガタと扉が音を鳴らし、、施錠されていることに気がついたのだろう。再び最初より少し大きめにノックされた。
「はい、今出ますね!」
普通の客を相手するように、でもこの雨の中やって来たことにわずかな不信感と驚きを乗せた声は、うまく表現できたと思う。前世の自分に役者になれるかもと教えてあげたい。教えてあげた所で、二十歳で亡くなることには変わりないが。
扉を少しだけ開けると、隙間から真紅が見えた。王宮魔術師のローブだ。そして特筆すべきは、隙間から見えただけでも分かるくらい、そのローブにびっしり刺繍が施されていることだろう。
「王宮魔術師の方ですね? まさか雨の中いらっしゃるとは……そこだと濡れてしまうので、どうぞ中にお入りください」
警戒を解いたわけではないが、相手が王宮魔術師である以上このまま外に放置するのはまずい。深くローブを被ったその人を招き入れ扉を閉める。
店の真ん中あたりまで無言で入ってくると、その人はローブのフードをおろし、顔を露わにした。
一言で言うと、とんでもない美形だった。淡い金髪に青色の瞳は驚くほど映える。やや伏せた目元は切れ長だが、目つきが悪いというほどではない。背はわたしよりもずっと高かった。体つきはローブ越しなので確かなことはいえないが、顔立ちから察するに細身ではあるが痩せているわけではないといったところだろうか。年齢ですら若くも思えるし、案外年を取っていてもおかしくないと思える。振り幅の大きな年齢予想の中間を取るなら、ドルガーと同じくらいだろうか。
そして何より目立つのは、王宮魔術師であることを証明するローブだった。
長年の不死鳥生活で得た知識を引っ張りだす。王宮魔術師のローブは有名だ。平民にとっとは魔術師の出るおとぎ話、貴族にとっては常識としてそのローブのことは語られている。
王宮魔術師のローブは必ず真紅でなければならない。そして同じく、ローブに施される刺繍糸も金色でなければならない。まずそれが大原則だ。なぜなら、それが不死鳥を象徴する色だからである。
試験に合格した王宮魔術師見習いは、必ず王術院への入学を強制される。そこで魔術について学び、ゆくゆくは王宮魔術師団へと入り、国に認められた魔術師として名を馳せていくことになるのだ。
王術院に入学した見習いは、まずローブについて学ぶことになる。王宮魔術師のローブは、初めに袖を通した者を使用者として認識する。そして、使用者以外の者がローブに袖を通すと、自動的に魔術が発動するようになっている。ローブの縁に施されている刺繍は、その魔術を発動させるための呪文だ。ローブを着る者を縛る魔術の呪文でもある。弱い焼却の魔術だ。どれだけ弱くても、着衣したまま炎が上がれば着ている人間の命に関わる。だから魔術師はこのローブの取扱について、一番初めに、しかしどの魔術よりも徹底的に教育をされる。
ローブが手渡された後、王術院で教育される三年間はそのまま何も変わらない。変わるのは王術院を卒業してからだ。王術院を卒業したら、それ以降は新たな刺繍を施すことが許されるようになる。もちろん上官の許可は必要だし、相応の功績がなければならない。そのせいか、刺繍の多さは同時に位の高さも表していた。
刺繍の図案については、一筆書きであることが条件ではあるものの、新たな刺繍を許されたローブの持ち主が自由に決めることが出来た。幅広く目立つ刺繍をしても良いし、小さくしても良い。たいていの魔術師は出来る限り簡略化した呪文をローブに刺繍することで、魔術具がなくても魔術が発動できるようにしているらしい。
そして、目の前にいる彼のローブにはその刺繍がびっしりとされており――驚くべきことに、そのどれもが、かなり効率化されているものだった。
ローブや刺繍の糸の色についてはともかく、それ以上のことは貴族ではないと知り得ない内容だし、ローブの持ち主以外の人間が着たらどうなるかについては王術院に入学しないと教えてもらえない内容である。それをわたしが知っているのは、わたしの一つ前の代の不死鳥がよく王術院に出入りしていたからだ。五百年以上も昔の話だが、何をするにも魔術で解決できるせいか技術の発達が遅く、五百年程度では産業革命も起きないので、たぶんその頃から王術院の役割も変わってはいないだろう。
隠せなかった驚きは純粋に見目の良さと、見たこともないくらい刺繍で埋め尽くされているローブを見たからということにさせてもらおう。脳内で言い訳を完成させたわたしは、そこでようやくこれだけの土砂降りの雨だったのに、彼がまったく濡れていないのに気がついた。
「外、雨が降っていたと思うんですけど……」
「……防水の魔術を使えば濡れることもない」
じろり、とこちらに視線を向けた彼から零れたのは、見た目から予想した声より少し低めの声だった。
この世界の魔術は必ず媒介が必要で、その媒介が声を使った詠唱であったり、魔術具であったり、魔術師ならローブにその呪文を文字として刺繍していたりというものである。おそらく彼の場合はローブに刺繍しているのだろう。実用的で日常使いの良い魔術はローブに残しておくのが便利だ。これも先代からの知識である。
ともかくせっかく掃除した床が汚されるのを防げただけでもありがたい。だがわざわざこんな雨の日に、しかも見るからに高位の魔術師がわたしに何のようだろうか。
「君がアサヒで間違いないか」
「は、はい、間違いないです。……ええと、御用はなんでしょう?」
見た目が良いと純粋に思えるのは無言で立っている時だけで、口を開いてこちらを見られると、どうにも気まずさが先立った。顔が良くても、表情がとにかく乏しい。仲良くなりましょうと言うつもりはないが、少しばかり愛想よくできないのだろうか。……この様子だと無理だろう。
「ドルガーから、私の注文を受けているはずだが?」
ドルガーから、と言われて思いつくのは、魔術師団団長からの依頼物である。数拍おいて、わたしは目の前にいるこの人が魔術師団長その人であることにようやく気付いた。
「あ! し、失礼しました……お会いするのは初めてだったので、分からなくて」
「構わない。早速だが、素材を確認させていただきたい」
「かしこまりました」
少し前に気をつけねば、と思った矢先のことで思わず面食らってしまった。そそくさと倉庫にある木箱を台車に乗せて、店へと持ってくる。木箱の中にはロードリーエの葉っぱと、おまけの枝、サラマンダーの尻尾が入った紙袋などが詰められている。もう一度倉庫に戻って炎妖精の鱗粉が入った小瓶を手にし、これは瓶が割れないようにカウンターへと置いた。
「ご注文いただいた品々はこちらです。間違いがないかご確認ください。ロードリーエの枝はいつもご贔屓にしていただいているサービスなので、料金には含まれませんよ」
ニコリと取り繕ったような営業スマイルを浮かべてみたものの、魔術師団団長はわたしに見向きもせず、じっと素材を見つめていた。乏しい表情では彼が何を考えているのか分からない。とりあえずわたしは普通の平民。ただの娘。断じて不死鳥ではないと自分で自分を洗脳するかのように脳内で言い繕う。
「……これだけのものを、たった一週間で?」
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だがここで動揺してはいけない。伊達に四百年も不死鳥をやってきたわけではない。それにわたしには先代の記憶も、朝緋としての記憶もある。困ったときは笑って誤魔化せ。それはどの世界でも共通のはずだ。
「はい。独自の流通ルートなんで、お教えすることはできませんが……優秀なもので、非常に助かっております」
優秀なのはわたしではなく、トリューシカにおける不死鳥の重要度なのだが、それは心の中で付け加えるにとどめておく。
探るようにじっとりとわたしを見ていた魔術師団団長だったが、ふ、と息を吐くと、わずかに口角をあげた。ほんの少しだけではあったが、それだけで表情らしい表情になってくれたおかげで、少しだけ力が抜けた。
「そういうことにしておこう。私にとっても、便利な素材屋が店をたたむのは本意ではない」
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下手に突かないように笑みは崩さないまま頭を下げた。再び頭を上げたころには、すっかり彼の興味は素材へと向いており、これ以上わたしを追求するつもりもなさそうだ。
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