6 / 10
兄弟盃
しおりを挟む
それから平蔵宣昭は親切にも金四郎をもう一つの塒とも言うべき岡場所までおぶって行き、そして二人して…、金四郎をおぶった状態で平蔵宣昭は岡場所に登楼したのであった。
これには岡場所の主人も驚かされたものだが、しかし、平蔵宣昭はこの岡場所で随分と金を落としていたので、言わば「上客」であり、主人は気を利かせて落ち着いた部屋へと通してくれ、その上、金四郎のために蒲団まで敷いてくれた。
金四郎が目覚めたのは蒲団に寝かされてから四半刻(約30分)ほど経った頃であった。
「おお、目が覚めたか…」
平蔵は盃を呷りながらそう声をかけた。
「ここは…」
呻くようにそう声を発する金四郎に対して平蔵は岡場所であることを教えてやった。
「どうしてここに…」
自分が寝かされているのか、金四郎には分からない様子であった。無理もない。そこで平蔵は自分が金四郎をここまでおぶって連れてきたことを打ち明けた。平蔵は別段、恩に着せようなどとは思わなかったが、それでも金四郎の方は恩に着た様子であった。
「済まねぇ…」
金四郎は痛む体をひきずるようにして身を起こすと、平蔵に頭を下げた。
「おいおい、まだ寝てろや…」
平蔵は金四郎を無理やり蒲団へと戻した。
それでも金四郎は眠ることなく、周囲を見回した。ここが本当に岡場所なのかと疑っている様子であった。いや、まさか金四郎もここまで自分をおぶってきてくれた、その上、蒲団に寝かしつけてくれた「本所の銕」が嘘をついているとも思えなかったが、それでも「白粉の匂い」がしないことが不思議であったのだ。
すると平蔵もそうと気付いて、「女は呼んじゃいねぇんだ…」と告げた。手前が伸した相手を尻目に女を抱くほど平蔵は生憎、悪趣味ではなかった。
「でもそれじゃあ…」
岡場所が納得するとも思えなかったが、そこは平蔵である。平蔵は女を呼びもしないのに、主人に「線香代」を弾んだのであった。部屋を貸してくれる御代であり、主人としても金さえ払ってくれれば、それで良かった。いや、それどころか女も呼ばずにただ部屋を借りるだけで「線香代」を払ってくれるとは、これには主人の方が申し訳なく思ったほどで、それならばと、酒を多めに運ばせたのであった。酒好きでもある平蔵としては何ともありがたい配慮であった。
「まぁ、細けぇことは良いじゃねぇか…」
これ以上、詳しい事情を打ち明ければ、いよいよもってこの「遊び人の金さん」が恐縮するに違いないと、そうと悟った平蔵は金四郎の疑問を封じた。平蔵は人を恐縮させる趣味も持ち合わせてはいなかったのだ。
「それよりも呑むかい…」
平蔵は金四郎の前で徳利を振って見せた。それに対して金四郎は素直に「ありがてぇ」と答えると、再び、引きずるようにして身を起こした。寝たままでは酒は呑めない。今度は平蔵も止めなかった。
「ああ。それならもう一つ、盃を…」
平蔵は思い出したようにそう言った。生憎、盃は一つしかない。
「あの…、おめぇさんさえ良けりゃその盃で…」
金四郎は恥ずかしそうにそう言った。平蔵も男である。金四郎の意図は聞かずとも分かる。
「おお、そりゃ良いや…」
平蔵は己が口をつけていた方へとその盃を金四郎に押し付けると、自ら酒を注いでやった。金四郎はそれを一気に呑み干した。口の中も切っており、酒が疵口に沁みたのか、金四郎は顔を顰めた。
「痛むか?」
平蔵が尋ねると金四郎は素直に「ああ…」と答えつつも、「でも、心地良い痛みだぜ…」とそう付け加えた。
「そうかい…」
微笑みを浮かべる平蔵に対して金四郎も平蔵がそうしたように空にした盃を平蔵に押し付けると、今度は金四郎が酒を注いだ。
それを平蔵もまた一気に呑み干したものだ。
「これで俺たち、兄弟だな…」
平蔵はそう言うと、金四郎は照れくさそうに頷いた。
「それじゃあ…、おめぇが兄貴だな…」
平蔵は金四郎にそう言い、金四郎を驚かせた。
「いや、でも俺は…」
「おめぇは俺に勝ったんだよ…」
「でも…」
「勝ったんだ、だからおめぇが兄貴なんだよ…」
平蔵はそう言うと、金四郎のそれ以上の反論を封じるかのようにもう一度、盃に酒を注ぐと、それを金四郎に押し付けた。金四郎もそんな平蔵の気持ちを汲み取り、それ以上は何も言わずに黙って盃を受け取った。
これには岡場所の主人も驚かされたものだが、しかし、平蔵宣昭はこの岡場所で随分と金を落としていたので、言わば「上客」であり、主人は気を利かせて落ち着いた部屋へと通してくれ、その上、金四郎のために蒲団まで敷いてくれた。
金四郎が目覚めたのは蒲団に寝かされてから四半刻(約30分)ほど経った頃であった。
「おお、目が覚めたか…」
平蔵は盃を呷りながらそう声をかけた。
「ここは…」
呻くようにそう声を発する金四郎に対して平蔵は岡場所であることを教えてやった。
「どうしてここに…」
自分が寝かされているのか、金四郎には分からない様子であった。無理もない。そこで平蔵は自分が金四郎をここまでおぶって連れてきたことを打ち明けた。平蔵は別段、恩に着せようなどとは思わなかったが、それでも金四郎の方は恩に着た様子であった。
「済まねぇ…」
金四郎は痛む体をひきずるようにして身を起こすと、平蔵に頭を下げた。
「おいおい、まだ寝てろや…」
平蔵は金四郎を無理やり蒲団へと戻した。
それでも金四郎は眠ることなく、周囲を見回した。ここが本当に岡場所なのかと疑っている様子であった。いや、まさか金四郎もここまで自分をおぶってきてくれた、その上、蒲団に寝かしつけてくれた「本所の銕」が嘘をついているとも思えなかったが、それでも「白粉の匂い」がしないことが不思議であったのだ。
すると平蔵もそうと気付いて、「女は呼んじゃいねぇんだ…」と告げた。手前が伸した相手を尻目に女を抱くほど平蔵は生憎、悪趣味ではなかった。
「でもそれじゃあ…」
岡場所が納得するとも思えなかったが、そこは平蔵である。平蔵は女を呼びもしないのに、主人に「線香代」を弾んだのであった。部屋を貸してくれる御代であり、主人としても金さえ払ってくれれば、それで良かった。いや、それどころか女も呼ばずにただ部屋を借りるだけで「線香代」を払ってくれるとは、これには主人の方が申し訳なく思ったほどで、それならばと、酒を多めに運ばせたのであった。酒好きでもある平蔵としては何ともありがたい配慮であった。
「まぁ、細けぇことは良いじゃねぇか…」
これ以上、詳しい事情を打ち明ければ、いよいよもってこの「遊び人の金さん」が恐縮するに違いないと、そうと悟った平蔵は金四郎の疑問を封じた。平蔵は人を恐縮させる趣味も持ち合わせてはいなかったのだ。
「それよりも呑むかい…」
平蔵は金四郎の前で徳利を振って見せた。それに対して金四郎は素直に「ありがてぇ」と答えると、再び、引きずるようにして身を起こした。寝たままでは酒は呑めない。今度は平蔵も止めなかった。
「ああ。それならもう一つ、盃を…」
平蔵は思い出したようにそう言った。生憎、盃は一つしかない。
「あの…、おめぇさんさえ良けりゃその盃で…」
金四郎は恥ずかしそうにそう言った。平蔵も男である。金四郎の意図は聞かずとも分かる。
「おお、そりゃ良いや…」
平蔵は己が口をつけていた方へとその盃を金四郎に押し付けると、自ら酒を注いでやった。金四郎はそれを一気に呑み干した。口の中も切っており、酒が疵口に沁みたのか、金四郎は顔を顰めた。
「痛むか?」
平蔵が尋ねると金四郎は素直に「ああ…」と答えつつも、「でも、心地良い痛みだぜ…」とそう付け加えた。
「そうかい…」
微笑みを浮かべる平蔵に対して金四郎も平蔵がそうしたように空にした盃を平蔵に押し付けると、今度は金四郎が酒を注いだ。
それを平蔵もまた一気に呑み干したものだ。
「これで俺たち、兄弟だな…」
平蔵はそう言うと、金四郎は照れくさそうに頷いた。
「それじゃあ…、おめぇが兄貴だな…」
平蔵は金四郎にそう言い、金四郎を驚かせた。
「いや、でも俺は…」
「おめぇは俺に勝ったんだよ…」
「でも…」
「勝ったんだ、だからおめぇが兄貴なんだよ…」
平蔵はそう言うと、金四郎のそれ以上の反論を封じるかのようにもう一度、盃に酒を注ぐと、それを金四郎に押し付けた。金四郎もそんな平蔵の気持ちを汲み取り、それ以上は何も言わずに黙って盃を受け取った。
0
あなたにおすすめの小説
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる