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殺意のお茶会 ~松平定信は一橋治済が期待した通り、田沼意知への殺意を募らせる~ 前篇
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天明3(1783)年11月21日、この日は青天に恵まれ、屋外での茶会には正に絶好であった。
ここ一橋屋敷の庭には二紺三白の幔幕が青天の下、棚引いていた。
二紺三白は源氏の標章であり、それを幔幕にあしらうことが許されているのは将軍家とそれに僅かに家門である松江松平家に許されているのみであり、家門の頂点に立つ御三家さえも、二紺三白を幔幕にあしらうことは許されてはいなかった。
一橋家は将軍家であるので、二紺三白をあしらった幔幕を用いることが許されていた。
その幔幕を背景に一橋家の当主である治済が自ら茶を点てていた。
治済は本日の茶会の主催者として、客人である―、八代将軍吉宗の孫に当たる清水重好や松平定信の為に自ら茶を点てていたのだ。
いや、彼等だけではない、彼等に随う者たちの為にも治済は茶を点てていた。
即ち、重好には家老の本多讃岐守昌忠が、定信には留守居の日下部武右衛門が夫々、主君に随い、ここ一橋屋敷へと足を運んだ。
それ故、治済はこの本多昌忠と日下部武右衛門の為にも茶を点ててやった。
「いや、本来なれば廻し呑みするのが作法らしいが…、なれどやはり茶は熱々のを各人が思い思いに呑む、これに限るによって…」
治済はそう言うと、4人の前に湯気の立つ茶碗を置いた。
確かにそれは作法には適ってはいないのだろうが、堅苦しい、無意味な作法に囚われて呑む茶よりもこの方が断然、旨い。
「さぁ、菓子も御賞味あれ…」
治済は4人に菓子も勧めた。
「赤穂の志ほせ饅頭に薩摩のかるかん饅頭、それに福井の酒饅頭もござれば…」
治済は用意した銘菓の数々を紹介してみせた。
「福井と申さば…、越前殿はお招きせずとも宜しかったので?」
重好が思い出したかの様に治済にそう尋ねた。
越前殿とは福井藩主の松平越前守重富のことであり、治済の実兄に当たる。
つまりは重富もまた、八代将軍・吉宗の孫に当たるという訳だ。
「八代将軍・吉宗の孫同士で語合う…」
それが本日の茶会のコンセプトであり、そうであれば松平重富も呼んでやらねばならないのではと、重好は治済に尋ねていたのだ。
「いや…、越前は我が兄なれば、いつにても語合うことが出来申す…」
しかし、同じく八代将軍・吉宗の孫である清水重好や松平定信はしかし、治済の実の兄弟ではないので、
「いつにても…」
気軽に会うという訳にもゆかない。
いや、重好とは同じ御三卿同士、御城は中奥にある御三卿の詰所である御控座敷にて顔を合わせてはいたが、しかし、それとて公的なもの、噛砕いて言えば堅苦しい上辺だけの面会に過ぎず、そうではなく私的に腰を落着けて会うともなると、今日の様に茶会を催し、そこに招待するのが一番であった。
また、そもそも平日登城そのものが許されてはいない帝鑑間詰の松平定信は言うに及ばず、であった。
「それ故、八代様の孫同士で心行くまで語合うとは申しても、その中でも普段は気軽には会えぬ貴公らと心行くまで語合うべく本日の茶会を催した次第にて…」
だから普段、気軽に会える重富は敢えて招かなかったのだと、治済はそう示唆した。
「いや、貴公らが越前とも会いたかったのであらば、これはこの治済が失策と申すものにて…」
治済がそう詫びの言葉を口にしたので、これには重好は元より、定信さえも慌てさせた。
「いえ、民部卿様が御配慮、痛み入りまする…」
定信がそう感謝の言葉を口にすると、重好も「左様」と相槌を打った。
いや、治済が重富を招かなかった理由はその様な「高尚な」ものではなく、実に「庶民的な」理由からであった。
それはこの、二紺三白を、源氏の標章をあしらった幔幕にあり、重富が当主を務める福井松平家ではその二紺三白をあしらった幔幕を使用することが許されてはおらず、そのことが重富には許せず、所謂、コンプレックスとなっていた。
いや、これで松江松平家も二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されていなかったならば、つまりは将軍家のみがその幔幕の使用を許されているだけならば、重富もコンプレックスとはならなかったであろう。
それと言うのも重富が当主を務める福井松平家も、松江松平家も共に越前松平の流を汲み、しかも越前松平の中では福井松平家の方が松江松平家よりも格上であった。
にもかかわらず、その松江松平家よりも格上である筈の福井松平家には二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されてはいない中で、福井松平家よりも格下の松江松平家には斯かる二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されている…、それ故、重富のコンプレックスと化していたのだ。
治済もそれは承知していたので、それ故、敢えて兄重富は招かなかったのだ。
いや、それならばそもそもその様な幔幕など張らなければ良いだけの話であったが、しかし、茶会を催すとなるど、どうしても幔幕を張りたくなるものである。
それも二紺三白という源氏の標章をあしらった幔幕を張りたくなるものであり、それはつまりは治済の自尊心、いや、虚栄心からであった。
「その代わりと申しては何でござろうが、兄・重富が息の於義丸…、いえ治好を招いており申す故…」
間もなく来るだろうと、治済は告げた。
実際、それから間もなくして重富が嫡子の松平伊豫守治好が定姫とそれに附人の笹治一學をも伴い、姿を見せた。
治好・定姫夫妻は附人の笹治一學を毛氈の手前で残し、茶会が催されている毛氈へと足を踏み入れた。
清水家老の本多昌忠と白河藩留守居の日下部武右衛門が治好・定姫夫妻を平伏して出迎える中、治好・定姫夫妻はまずは治済に挨拶した後、続いて清水重好に挨拶し、そして最後に松平定信に挨拶した。
いや、当初は定信が先に治好に深々と叩頭しようとした。
定信と治好とでは兄弟程に年齢が離れており、定信の方が治好よりも九つも上であった。
だが官位においては治好の方が定信よりも格上であり、この時点で定信が従五位下諸大夫の位にあるのに対して、治好は従四位上侍従の位にあり、従五位下諸大夫に過ぎない定信は元より、従四位下侍従の老中よりも格上であった。
そうであれば如何に年下と雖も、それこそ弟の様な存在であろうとも、定信は治好に頭を下げねばならなかった。
だがそれを治済が制し、のみならず、治好当人までもが、己に頭を下げ様とする定信を制したのであった。
「義兄上に頭を下げさせましては武家の作法に…、長幼の序に悖りまする故…」
治好はそう言って、定信が己に頭を下げようとするのを制したのであった。
実は定信と治好とは兄弟、義兄弟の間柄にあり、治好の室である定姫は定信の妹、それも同母妹であった。
そしてこれこそが、治済が重富を招かなかったもう一つの理由、真の理由であった。
これで相手が重富であれば、定信もそれこそ、
「否応無し…」
重富に頭を下げねばならなかったであろう。
それと言うのも重富だと定信の義弟という訳でもなく、それどころか重富の方が定信よりも年上であり、官位にしても従四位上左近衛権少将と従五位下諸大夫に過ぎない定信よりも遥か上の位にあり、そうであれば定信が重富に頭を下げない理屈はどこにも見当たらない。
だが定信もまた、重富と同様、いや、重富以上に自尊心の高い男であり、重富に頭を下げなければならないとなると、途中で帰ってしまうやも知れず、それでは治済としては大いに困る。
そこで重富の名代として、治好とその妻女である定姫を招いたのであった。
相手が治好なれば定信にとっては義弟、同母妹の夫君という訳で、そこには、
「長幼の序」
という別の論理が働くからだ。
そこで定信は治好にも助けられ、治好に頭を下げずに済んだのであった。
のみならず、治好の方が室である定姫と共に定信に頭を下げたのであった。
定信は元より、義弟である治好のことを好ましく思っており、それがこうして実に奥ゆかしい態度を見せたことで、愈愈もって治好が好ましく思えた。
治済もその様子を間近で目の当たりにして内心、ほくそ笑みつつ、
「さぁさぁ、治好殿と定姫殿も揃うたところでもう一杯…」
治済はそう言って茶を点てると、毛氈の外にて控えていた笹治一學にも毛氈に上がる様に勧めた。
こうして華やぎを添えた茶会はあっという間に昼の九つ半(午後1時頃)を迎え、すると治済は少し遅めの昼餉を振舞った。
それも大層、豪勢な昼餉をも振舞ったのだ。
それから四半刻(約30分程)も過ぎた頃であろうか、
「そうそう…、もうじき、本日の主賓が参られる故、お楽しみに…」
治済は昼餉を振舞いつつ、思わせぶりにそう、「スペシャルゲスト」の登場を予告したものだから、重好と定信を思わずギョッとさせたものである。
それと言うのも八代将軍・吉宗の孫と言えば今一人、誰あろう今の将軍である家治がいたからだ。
それ故、重好にしろ、定信にしろ、
「よもや…、上様がお出でに?」
咄嗟にそう思ってギョッとした次第であった。
だが実際に現れたのは将軍・家治ではなく、若年寄の田沼意知と御側御用取次の横田筑後守準松の二人であり、それ故、重好と定信は夫々、別の理由からギョッとさせられたものである。
「民部卿様…、本日は確か、八代様の孫同士で心行くまで語合うとのことでは?」
定信は意知と準松の姿を、殊に意知の姿を目の当たりにして、努めて怒りを堪えつつ、そう口火を切った。
「確かにそうだが、なれど治好殿もこうして招いた故…」
成程、治済が言う通り、治好は八代将軍・吉宗の孫ではない。
だが、八代将軍・吉宗の曾孫であり、その室・定姫は定信の同母妹であり、八代将軍・吉宗の孫であった。
そうであれば、本日の茶会の「コンセプト」には外れていない。
だが意知と準松の二人は共に、八代将軍・吉宗の血を引いてはいない。
殊に意知はどこぞの馬の骨とも分からぬ盗賊も同然の下賤なる成上がり者である意次の倅であり、その様な分際で何故に、高貴なる血筋の者が集まる茶会にノコノコと姿を見せたのかと、それが定信の怒りの原因であった。
やはり治済は定信の様子から直ぐにそうと察するや、己が予期した通りの反応を見せてくれる定信のその実に単純明快さに内心、笑いを堪えるのに苦労しつつ、
「いや、山城殿は間もなく、老中へと進まれるによって、それ故、お招き致したのだ…」
治済はそう告げて、定信を愈愈、驚愕させたものである。
いや、驚愕したのは何も定信一人に限らない、その場にいた誰もが驚いて見せ、その中には意知当人も含まれていた。
ここ一橋屋敷の庭には二紺三白の幔幕が青天の下、棚引いていた。
二紺三白は源氏の標章であり、それを幔幕にあしらうことが許されているのは将軍家とそれに僅かに家門である松江松平家に許されているのみであり、家門の頂点に立つ御三家さえも、二紺三白を幔幕にあしらうことは許されてはいなかった。
一橋家は将軍家であるので、二紺三白をあしらった幔幕を用いることが許されていた。
その幔幕を背景に一橋家の当主である治済が自ら茶を点てていた。
治済は本日の茶会の主催者として、客人である―、八代将軍吉宗の孫に当たる清水重好や松平定信の為に自ら茶を点てていたのだ。
いや、彼等だけではない、彼等に随う者たちの為にも治済は茶を点てていた。
即ち、重好には家老の本多讃岐守昌忠が、定信には留守居の日下部武右衛門が夫々、主君に随い、ここ一橋屋敷へと足を運んだ。
それ故、治済はこの本多昌忠と日下部武右衛門の為にも茶を点ててやった。
「いや、本来なれば廻し呑みするのが作法らしいが…、なれどやはり茶は熱々のを各人が思い思いに呑む、これに限るによって…」
治済はそう言うと、4人の前に湯気の立つ茶碗を置いた。
確かにそれは作法には適ってはいないのだろうが、堅苦しい、無意味な作法に囚われて呑む茶よりもこの方が断然、旨い。
「さぁ、菓子も御賞味あれ…」
治済は4人に菓子も勧めた。
「赤穂の志ほせ饅頭に薩摩のかるかん饅頭、それに福井の酒饅頭もござれば…」
治済は用意した銘菓の数々を紹介してみせた。
「福井と申さば…、越前殿はお招きせずとも宜しかったので?」
重好が思い出したかの様に治済にそう尋ねた。
越前殿とは福井藩主の松平越前守重富のことであり、治済の実兄に当たる。
つまりは重富もまた、八代将軍・吉宗の孫に当たるという訳だ。
「八代将軍・吉宗の孫同士で語合う…」
それが本日の茶会のコンセプトであり、そうであれば松平重富も呼んでやらねばならないのではと、重好は治済に尋ねていたのだ。
「いや…、越前は我が兄なれば、いつにても語合うことが出来申す…」
しかし、同じく八代将軍・吉宗の孫である清水重好や松平定信はしかし、治済の実の兄弟ではないので、
「いつにても…」
気軽に会うという訳にもゆかない。
いや、重好とは同じ御三卿同士、御城は中奥にある御三卿の詰所である御控座敷にて顔を合わせてはいたが、しかし、それとて公的なもの、噛砕いて言えば堅苦しい上辺だけの面会に過ぎず、そうではなく私的に腰を落着けて会うともなると、今日の様に茶会を催し、そこに招待するのが一番であった。
また、そもそも平日登城そのものが許されてはいない帝鑑間詰の松平定信は言うに及ばず、であった。
「それ故、八代様の孫同士で心行くまで語合うとは申しても、その中でも普段は気軽には会えぬ貴公らと心行くまで語合うべく本日の茶会を催した次第にて…」
だから普段、気軽に会える重富は敢えて招かなかったのだと、治済はそう示唆した。
「いや、貴公らが越前とも会いたかったのであらば、これはこの治済が失策と申すものにて…」
治済がそう詫びの言葉を口にしたので、これには重好は元より、定信さえも慌てさせた。
「いえ、民部卿様が御配慮、痛み入りまする…」
定信がそう感謝の言葉を口にすると、重好も「左様」と相槌を打った。
いや、治済が重富を招かなかった理由はその様な「高尚な」ものではなく、実に「庶民的な」理由からであった。
それはこの、二紺三白を、源氏の標章をあしらった幔幕にあり、重富が当主を務める福井松平家ではその二紺三白をあしらった幔幕を使用することが許されてはおらず、そのことが重富には許せず、所謂、コンプレックスとなっていた。
いや、これで松江松平家も二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されていなかったならば、つまりは将軍家のみがその幔幕の使用を許されているだけならば、重富もコンプレックスとはならなかったであろう。
それと言うのも重富が当主を務める福井松平家も、松江松平家も共に越前松平の流を汲み、しかも越前松平の中では福井松平家の方が松江松平家よりも格上であった。
にもかかわらず、その松江松平家よりも格上である筈の福井松平家には二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されてはいない中で、福井松平家よりも格下の松江松平家には斯かる二紺三白をあしらった幔幕の使用が許されている…、それ故、重富のコンプレックスと化していたのだ。
治済もそれは承知していたので、それ故、敢えて兄重富は招かなかったのだ。
いや、それならばそもそもその様な幔幕など張らなければ良いだけの話であったが、しかし、茶会を催すとなるど、どうしても幔幕を張りたくなるものである。
それも二紺三白という源氏の標章をあしらった幔幕を張りたくなるものであり、それはつまりは治済の自尊心、いや、虚栄心からであった。
「その代わりと申しては何でござろうが、兄・重富が息の於義丸…、いえ治好を招いており申す故…」
間もなく来るだろうと、治済は告げた。
実際、それから間もなくして重富が嫡子の松平伊豫守治好が定姫とそれに附人の笹治一學をも伴い、姿を見せた。
治好・定姫夫妻は附人の笹治一學を毛氈の手前で残し、茶会が催されている毛氈へと足を踏み入れた。
清水家老の本多昌忠と白河藩留守居の日下部武右衛門が治好・定姫夫妻を平伏して出迎える中、治好・定姫夫妻はまずは治済に挨拶した後、続いて清水重好に挨拶し、そして最後に松平定信に挨拶した。
いや、当初は定信が先に治好に深々と叩頭しようとした。
定信と治好とでは兄弟程に年齢が離れており、定信の方が治好よりも九つも上であった。
だが官位においては治好の方が定信よりも格上であり、この時点で定信が従五位下諸大夫の位にあるのに対して、治好は従四位上侍従の位にあり、従五位下諸大夫に過ぎない定信は元より、従四位下侍従の老中よりも格上であった。
そうであれば如何に年下と雖も、それこそ弟の様な存在であろうとも、定信は治好に頭を下げねばならなかった。
だがそれを治済が制し、のみならず、治好当人までもが、己に頭を下げ様とする定信を制したのであった。
「義兄上に頭を下げさせましては武家の作法に…、長幼の序に悖りまする故…」
治好はそう言って、定信が己に頭を下げようとするのを制したのであった。
実は定信と治好とは兄弟、義兄弟の間柄にあり、治好の室である定姫は定信の妹、それも同母妹であった。
そしてこれこそが、治済が重富を招かなかったもう一つの理由、真の理由であった。
これで相手が重富であれば、定信もそれこそ、
「否応無し…」
重富に頭を下げねばならなかったであろう。
それと言うのも重富だと定信の義弟という訳でもなく、それどころか重富の方が定信よりも年上であり、官位にしても従四位上左近衛権少将と従五位下諸大夫に過ぎない定信よりも遥か上の位にあり、そうであれば定信が重富に頭を下げない理屈はどこにも見当たらない。
だが定信もまた、重富と同様、いや、重富以上に自尊心の高い男であり、重富に頭を下げなければならないとなると、途中で帰ってしまうやも知れず、それでは治済としては大いに困る。
そこで重富の名代として、治好とその妻女である定姫を招いたのであった。
相手が治好なれば定信にとっては義弟、同母妹の夫君という訳で、そこには、
「長幼の序」
という別の論理が働くからだ。
そこで定信は治好にも助けられ、治好に頭を下げずに済んだのであった。
のみならず、治好の方が室である定姫と共に定信に頭を下げたのであった。
定信は元より、義弟である治好のことを好ましく思っており、それがこうして実に奥ゆかしい態度を見せたことで、愈愈もって治好が好ましく思えた。
治済もその様子を間近で目の当たりにして内心、ほくそ笑みつつ、
「さぁさぁ、治好殿と定姫殿も揃うたところでもう一杯…」
治済はそう言って茶を点てると、毛氈の外にて控えていた笹治一學にも毛氈に上がる様に勧めた。
こうして華やぎを添えた茶会はあっという間に昼の九つ半(午後1時頃)を迎え、すると治済は少し遅めの昼餉を振舞った。
それも大層、豪勢な昼餉をも振舞ったのだ。
それから四半刻(約30分程)も過ぎた頃であろうか、
「そうそう…、もうじき、本日の主賓が参られる故、お楽しみに…」
治済は昼餉を振舞いつつ、思わせぶりにそう、「スペシャルゲスト」の登場を予告したものだから、重好と定信を思わずギョッとさせたものである。
それと言うのも八代将軍・吉宗の孫と言えば今一人、誰あろう今の将軍である家治がいたからだ。
それ故、重好にしろ、定信にしろ、
「よもや…、上様がお出でに?」
咄嗟にそう思ってギョッとした次第であった。
だが実際に現れたのは将軍・家治ではなく、若年寄の田沼意知と御側御用取次の横田筑後守準松の二人であり、それ故、重好と定信は夫々、別の理由からギョッとさせられたものである。
「民部卿様…、本日は確か、八代様の孫同士で心行くまで語合うとのことでは?」
定信は意知と準松の姿を、殊に意知の姿を目の当たりにして、努めて怒りを堪えつつ、そう口火を切った。
「確かにそうだが、なれど治好殿もこうして招いた故…」
成程、治済が言う通り、治好は八代将軍・吉宗の孫ではない。
だが、八代将軍・吉宗の曾孫であり、その室・定姫は定信の同母妹であり、八代将軍・吉宗の孫であった。
そうであれば、本日の茶会の「コンセプト」には外れていない。
だが意知と準松の二人は共に、八代将軍・吉宗の血を引いてはいない。
殊に意知はどこぞの馬の骨とも分からぬ盗賊も同然の下賤なる成上がり者である意次の倅であり、その様な分際で何故に、高貴なる血筋の者が集まる茶会にノコノコと姿を見せたのかと、それが定信の怒りの原因であった。
やはり治済は定信の様子から直ぐにそうと察するや、己が予期した通りの反応を見せてくれる定信のその実に単純明快さに内心、笑いを堪えるのに苦労しつつ、
「いや、山城殿は間もなく、老中へと進まれるによって、それ故、お招き致したのだ…」
治済はそう告げて、定信を愈愈、驚愕させたものである。
いや、驚愕したのは何も定信一人に限らない、その場にいた誰もが驚いて見せ、その中には意知当人も含まれていた。
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