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天明3年12月13日の「密会」 序章 ~松平定信、一橋治済に気づかれぬよう蠣殻町にある清水家の下屋敷へと潜入す 後篇~
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定信は船着場へと通ずる隠し扉を自ら、
「そっと…」
なるべく音を立てないよう開け、そして同じ様に扉を閉めた。
それから定信はゆっくりと船着場へと進んだ。
船着場には既に船が、屋形船が一艘、接岸しており、定信が近付くにつれ、中から一人の身形の良い武士が姿を見せた。清水家老の本多讃岐守昌忠である。
定信は本多昌忠の顔は見知っており、即ち、
「間違いなく、清水家老である…」
そう認識していたので、安心して屋形船へと乗込める。
だがこれが同じく清水家老でも吉川攝津守從弼だとそうはいかない。
それと言うのも定信は吉川從弼の顔は知らないからだ。
それ故、定信としても屋形船の中から吉川從弼が姿を見せても本多昌忠の時の様に、
「安心して…」
屋形船には乗込めない。
定信にしてみれば吉川從弼の顔を知らない以上、吉川從弼が、
「確かに清水家老である…」
その確証が持てなかったからだ。それどころか、
「或いは清水家老の吉川從弼を称する一橋家の臣やも知れぬ…」
定信をその様にも疑わせた。
そこで本多昌忠が自ら定信を出迎えることとし、それこそが今日の「平日登城」を相役の吉川從弼に代わって貰った理由であった。
船着場に着いた定信は本多昌忠に誘われ、屋形船へと乗込んだ。
それから定信は屋形の中に入り、定信に続いて入った本多昌忠と向かい合った。
本多昌忠は定信と向かい合うなり、
「本日はどうも…」
招待に応じてくれて感謝すると、その意味で定信に平伏して見せた。
「あっ、いや、手前こそ宮内卿様が御招きに与り…」
定信はそう謝意を口にして昌忠に頭を上げる様、促した。
感謝という点では定信こそ宮内卿様こと清水重好に感謝せねばならなかったからだ。
何しろ重好は将軍・家治と定信との「面会」を用意してくれたからだ。
「ときに…、吉川殿も参られるのであろうな?」
定信は昌忠に頭を上げさせるや、そう尋ねた。
これから暫くの間であろうが、将軍・家治の鷹狩りの度に、定信は家治と逢う予定であった。
家治が鷹狩りの帰途、清水家の下屋敷に立寄り、そこで定信とも逢う予定であるが、その際、定信は清水家老に迎えられて、それも今の様に、
「一橋治済に気付かれぬ様、密かに…」
船で迎えられて清水家の下屋敷入りを果たすという、これまた手筈になっていた。
だがその際に毎回、本多昌忠が定信を迎えに訪れる訳には参らぬ。
否、その日が―、家治の鷹狩りの日が毎回、本多昌忠が清水屋形にて留守を預かる日でもあるならば、それも良いだろう。
だが実際にはそう都合良くはいかないだろう。
今日の様に本来は本多昌忠が「平日登城」の当番、即ち、吉川從弼が留守を預かる当番であるその日に家治の鷹狩りが行われる可能性もあり得た。
その時、再び「風邪」という格好の仮病を用いて「平日登城」を吉川從弼へと代わって貰う様なことがあれば、一橋家老は元より、田安家老という地位に安住し、「孫自慢」が唯一の楽しみの戸川逵和からも疑われるであろう。
そこで吉川從弼にも定信を迎えに訪ずれる、その「当番」を果たして貰わねばならず、しかし定信は今、この段階では吉川從弼の顔を知らないので、そこで今日の家治との「密会」の場に吉川從弼も陪席させる手筈となっていた。
家治と定信との「密会」の場に吉川從弼を陪席させることで、定信に吉川從弼の顔を確と把握させる為であった。
そうすれば定信としては今度は吉川從弼が迎えに訪れても、つまりは吉川從弼が仕立てた船にも安心して乗込めるというものであった。
斯して定信は昌忠に対して、吉川從弼も来るのだろうなと、そう確かめた訳で、それに対して昌忠も「御意」と首肯した。
定信と昌忠を乗せた屋形船はそれからゆっくりと蠣殻町にある清水家の下屋敷を目指して、それも川辺に面した「清水大奥」を目指して進んだ。
そうして屋形船が「清水大奥」へと通ずる船着場に着いたのは昼の九つ半(午後1時頃)であった。
船着場には女の姿があった。清水家大奥の中年寄の富江であった。
清水家の上屋敷の大奥を差配するのが上臈年寄の薗橋ならば、下屋敷の大奥を差配するのがこの富江であった。
その富江が自ら定信を、それに昌忠をも出迎えたのは、富江の案内がなければ如何に定信と雖も大奥には、「清水大奥」には足を踏み入れることが出来ないからだ。
さて、定信は昌忠と共に「清水大奥」へと足を踏み入れると、そこには3人の女たちがいた。
大奥は所謂、「女の園」であるので、女がいても別段、不自然ではない、否、むしろそれが自然であった。
だが今の定信にとっては女の存在は極めて危険と言えた。
「この女たちの口から、この俺の存在が…、密かに清水大奥に潜入したことが一橋治済へと伝わるのではあるまいか…」
定信はズバリ、それを恐れていたのだ。
すると富江が定信が彼女たち3人の女中に向ける視線からそうと察したらしく、
「されば彼の者たちは皆、一橋民部卿様とは何の所縁もなく…」
一橋治済に定信のことが「筒抜けになる心配はないと、定信にそう「保証」した。
どうやら富江もまた、今日の「密会」の趣旨については心得ているらしい。
富江はその上で彼女たち3人の女中について、こと「身許」の確かさについて、定信に説明、紹介した。
即ち、3人の女中のうち2人は富江の姪であった。
富江は清水重好に近習番として仕える人見甚四郎思義の実妹であり、兄・甚四郎と共に長年、清水舘にて、それも上屋敷の大奥にて仕え、今では下屋敷の大奥を差配する中年寄にまで昇進を遂げた。
その間、富江は一橋治済とは些かも所縁を作らず、それは兄・人見甚四郎にしても同様で、甚四郎は妻女との間にもうけた二人の娘、美代と知香も清水大奥にて仕えさせており、その美代と知香こそが今、定信の前に控える3人の女中のうちの2人であった。
そして残る1人だが、松江なる女中であり、鷹匠として将軍・家治に仕える伊藤十右衛門政満の叔母であり、伊藤十右衛門が実弟―、伊藤十右衛門と共に松江にとってはもう一人の甥に当たる伊藤四郎左衛門政定は清水家臣、それも鷹匠の家系に相応しく鷹匠として重好の御側近くに仕えていた。
それ故、この松江もまた、甥である伊藤四郎左衛門共々、
「露程も…」
一橋治済との所縁はないと断言出来た。
否、松江の場合はそれどころか、田安家との所縁がある程であり、何と定信が最も信頼する侍女のうちの一人、杉江の実妹であったのだ。
嘗ては田安舘にて「賢丸」と名乗っていた定信の養育掛を勤めた杉江の実妹こそが松江であったのだ。
杉江はそれ故に、やはり賢丸もとい定信の養育掛を勤めた美和や瀧江と共に、白河松平家の養嗣子として迎えられた定信に付随う格好で白河松平家へと、その上屋敷の大奥へと入り、今では築地木挽町にある下屋敷の大奥にて定信の「許婚」である隼姫に仕えていた訳だ。
定信はその杉江の実妹が松江であると、富江よりそう聞かされて、心底、驚いた。
「いや…、世間とは実に狭いものよ…」
定信はしみじみとそう実感させられると同時に、それなればと、
「杉江もまた、美代や知香と同じく、いや、それ以上に一橋治済との所縁は皆無であろう…」
そう安心させられもした。
「されば私めはいったん上屋敷へと戻りまする…」
富江はそう告げ、定信の首を傾げさせた。
「そはまた何故に?」
定信は富江に尋ねた。
「無論、主・宮内卿様と御簾中様…、貞子様の御二人を迎え申上げるべく…」
富江はそう応えると、重好が下屋敷を訪れる際には必ずと言って良い程に、妻女の貞子を「同伴」することを定信に打明けた。
重好もまた定信に劣らずの「愛妻家」であり、息抜きの為に上屋敷を出て下屋敷へと参る折には必ず船を、それも定信が乗船した様な屋形船を使うそうな。
その際、重好はこれまた、
「必ず…」
妻女の貞子を伴うそうな。
貞子は重好とは違い、平日も自由に御城へと登城出来る身ではない。日々の大半を清水上屋敷の大奥にて暮らさなければならず、その意味で貞子は完全に、
「籠の鳥…」
そう表現出来た。
重好も貞子の夫として、貞子のその様な「身の上」は勿論、承知しており、それと同時にその様な「身の上」に大いに憐れみもした。
そこで重好は貞子を慰める意味もあり、息抜きと称しては貞子を連れて上屋敷を出、屋形船で下屋敷へと参るのだ。
そうすることで貞子には少しでも「外の空気」を吸わせられるからだ。
実際、川の風は貞子の心を大いに満たした。
こうして重好は息抜きと称して下屋敷へと参る際には常に妻女の貞子を伴い、屋形船を仕立てて参る訳だが、その為に屋形船を接岸させる船着場は全て大奥に面していた。
清水家にはここ蠣殻町にある下屋敷の外にも芝海手と下戸塚に夫々、下屋敷が宛がわれていた。
重好はその芝海手、下戸塚の双方の下屋敷にも妻女の貞子を連れて参ることがあるので、双方の下屋敷もまた、ここ蠣殻町にある下屋敷と同様、表向と大奥とに分かれていた。
下屋敷にて重好が貞子と共に休息する際、男のいる表向に貞子を置く訳にはゆかず、重好の指図により、表向と大奥とに仕切らせたのであった。
そして重好の「指図」はこれだけに止まらず、芝海手と下戸塚、双方の下屋敷はこれまた、
「ここ蠣殻町にある下屋敷と同様…」
屋形船を接岸させる船着場を大奥に面させたのであった。
貞子が、そしてその夫の重好にしてもそうだが、下船後、「女の園」である大奥へと直行出来る様にとの、重好の配慮からであり、ここにも重好の愛妻ぶりが見て取れた。
「さればその様な宮内卿様様が今日に限り、御簾中様をお連れあそばされずに御一人にて下屋敷へと、お運びあそばされましては、家中に疑う者があるやも知れず…」
重好の「真意」を疑う家臣がいるかも知れない―、富江のその言葉はひいては清水家臣の中にも、
「一橋治済の息がかかっている者が紛れ込んでいるやも知れず…」
その者の口から一橋治済へと伝わるやも知れぬと、それをも示唆するものであった。
定信もその示唆するところに気付くと、「よもや…」とその点を富江に糺した。
すると富江は「残念ながら…」と切出すと、
「されば…、例えば徒頭の小栗殿は…、小栗太郎左衛門正長は実弟が一橋家臣の養嗣子にて…、それに小十人頭の黒川久左衛門盛宣が甥にして、畏れ多くも上様が御側近くに御小納戸として仕え奉りし黒川内匠殿が妻女はかの、岩本内膳正殿が娘御にて…」
一橋家と所縁のある家臣の名を挙げたのであった。
「されば彼の者たちより…」
今日に限って重好は何故か一人で下屋敷へと足を運んだ…、そのことが一橋治済へと伝わるやも知れぬと、富江は定信に示唆したのであった。
これには定信も思わず唸らされた。
「徒頭や小十人頭と申さば、主君を御守り申すのが職掌ではござるまいか…」
それ故、主君が、この場合は重好が外出するともなると、当然、徒頭や小十人頭も重好の「SP」として扈従することになる。
そして、いつもは妻女の貞子を連れて下屋敷へと参る主君・重好が、今日に限って貞子を連れずに下屋敷へと参ったとなれば、成程、主君・重好の「SP」である徒頭や小十人頭はそれを疑問に思うであろうし、それが一橋治済の息がかかっている者ともなれば尚更であろう。その上で必ずや一橋治済へと「ご注進」に及ぶに違いない。
定信はその点を指摘すると、富江も頷いた。
「されば宮内卿様が御簾中様と共に屋形船にて下屋敷へと、お運びあそばされまする折には、徒頭にしろ小十人頭にしろ、流石に遠慮申付けられ…」
富江がそう告げると、定信もそれはそうだろうと思った。
これで重好が一人で外出するならば、徒頭や小十人頭が「SP」として扈従することになる。
だがそこに御簾中―、妻女の貞子がいるとなれば話は別である。
徒頭にしろ小十人頭にしろ表向の役人であるので「SP」として警護して差上げられるのは男である主君・重好のみであり、その妻女、女である貞子まで「SP」として警護して差上げる権限はなかった。
否、主君・重好が徒頭や小十人頭に妻女の貞子をも警備することを、つまりは扈従を許せば話は別だが、そうでない限り、主君・重好と妻女の貞子の外出に際して、徒頭や小十人頭がそれこそ、
「割って入る…」
その様な格好で扈従する訳にはゆかなかった。
そして徒頭や小十人頭の中に一橋治済の息のかかっている者が含まれている可能性がある以上、重好が彼等に扈従を許すとも思えなかった。
尤も、だからと言って重好・貞子夫妻が外出する際、誰も扈従しないという訳では勿論ない。
何しろ天下の将軍家である御三卿たる清水重好とその妻女の貞子である。二人だけで外出させるなど、その様な無用心極まりないことはさせられまい。
「されば普段は…、宮内卿様と御簾中様が下屋敷へと、お運びになられる際には廣敷用人が扈従を?」
定信は富江にそう尋ねた。
成程、定信がそう考えるのは自然であった。
御三卿の大奥にては男子役人である、それも役方、文官の廣敷用人が番方、武官である廣敷番頭をも兼ねていた。
それ故、御簾中様―、御三卿の正室が外出するともなると、この廣敷用人が「SP」として、即ち、廣敷番頭として御簾中様を御守り申上げるべく扈従することになる。
定信も嘗ては御三卿、田安家にて暮らしていたので、その辺りの事情には通じており、それ故にそう尋ねた訳だが、しかし、富江は案に相違して頭を振った。
「されば普段は側用人の本目権右衛門殿か、用人の大久保半之助殿が扈従を相勤めまする…」
富江のその応えに定信は首を傾げた。
「御当家にも廣敷用人はおられよう?」
定信のその問いに対して富江も「左様…」とまずは首肯し、その上で、
「されば御簾中様附廣敷用人として小早川甚五郎と上野郷右衛門がおりまするが、なれど…」
そう続けたものだから、定信も「よもや…」と応じて富江を、その通りだと言わんばかりに頷かせた。
「よもや…、その二人までもが一橋民部卿様と所縁が?」
「左様…、されば小早川甚五郎が娘は御小姓組番士であられた加藤傳右衛門殿が養女として育てられ…、この加藤傳右衛門殿、同時に養嗣子として、横尾六右衛門殿が三男を迎えられ…」
「よこお…」
定信はその苗字には聞覚えがあった。
「左様…、されば嘗て、一橋家にて用人を相勤めし横尾六右衛門昭平殿にて…」
富江の説明を受けて、定信も「ああ…」と思い出した。
否、これで例えば松平だの、酒井だの、内藤だのと、ありふれた苗字であれば定信もその存在を意識していなかったであろう。
だが「横尾」なる珍しい苗字の御蔭で定信も記憶の片隅に留めていたのだ。
「つまり…、小早川甚五郎が娘は一橋家臣の倅と共に、加藤なる小姓組番士の手許で育てられたと?」
定信がそう纏めたので、富江も頷き、
「それ故に小早川甚五郎は一橋民部卿様とは所縁があるやも知れず…」
重好もその点が気にかかり、妻女の貞子との外出時、小早川甚五郎には扈従を仰せ付けられないのだそうな。
そして同じことは上野郷右衛門こと郷右衛門猷景が甥―、実兄にして小十人組頭の上野左大夫資郷が嫡子、四郎三郎資善は一橋家臣の成田喜太郎政永が娘を娶っており、それ故、この上野郷右衛門にしてもやはり、一橋治済と所縁があり、
「一橋治済の息がかかっている…」
その危険性が考えられた。
「成程…、それにしても分からぬのは何故に宮内卿様は態々、一橋民部卿様が所縁の者を徒頭や小十人頭、或いは廣敷用人に、お取立てあそばされたので?貴殿がこの定信に対して斯様に彼等の身許を…、一橋民部卿様との所縁について一々、説明申されたからには宮内卿様も当然、そのことは把握あそばされておるのであろう?」
「左様…、いえ、強いて申上げれば順序が逆にて…」
「順序が逆とは?」
「されば…、宮内卿様が彼等を徒頭や小十人頭、廣敷用人へと、お取立てあそばされた折にはまだ、一橋民部卿様との所縁はなく…」
「まさか…、宮内卿様が彼等を徒頭や小十人頭、廣敷用人へと…、それこそ宮内卿様や御簾中様の御側近くに仕えし役職へと取立てた後に、一橋民部卿様は己の陣営に取込もうと、家臣を…、一橋家臣を介して所縁を紡いだと?」
「一橋民部卿様が胸のうちまではこの富江にも…、そして宮内卿様にも分かりかねまするが、なれどその可能性、無きにしも非ず…」
「そこで宮内卿様は御簾中様と外出…、下屋敷へと、お運びあそばされる際には用心の為に、廣敷用人には…、小早川甚五郎と上野郷右衛門には扈従を仰せ付けられず、そこで側用人と用人に扈従を?」
「左様…、されば側用人の本目殿と用人の大久保殿は一橋家との所縁がなく…、ことに大久保殿は主君・宮内卿様に対して徒頭や小十人頭、廣敷用人が揃って、その役目を拝命せし後、一橋家臣と所縁を、即ち、一橋民部卿様と所縁を持ちたることを、上申なされ…」
「成程…、大久保なる用人が調べたることであったか…」
「左様…、されば宮内卿様も大久保殿と、それに側用人の本目殿には安心して扈従を仰せ付けられると…」
「さもろう…、それが今日に限って宮内卿様が御一人にて下屋敷へと、お運びあそばされるようなことがあらば、斯かる一橋民部卿様と所縁のある徒頭や小十人頭が扈従することになりかねず…、何しろそれが徒頭や小十人頭の職掌なれば、宮内卿様とて彼等の扈従を断ることは中々に難しく、そこでいつも通り…、一橋民部卿様とは何ら所縁のない側用人や用人に扈従させるべく、御簾中様と共にこの下屋敷へと、お運びになられると…」
「左様…、いえ、それにこの富江も…」
「おお、左様でござったな…、いや、上臈の薗橋殿がおられると伺ったが?」
「如何にも…、なれど薗橋殿は此度が密会の趣旨については呑込んではおりませなんだ…」
薗橋は清水家上臈として、中年寄の己よりも格は高いが、しかし、実務には通じておらず、それ故、清水家大奥を事実上、取仕切っているのは中年寄たるこの己である…、富江の今のその言葉にはその様な「自負心」が見え隠れしていた。
こうして富江は「大奥」に定信たちを残して、定信とそれに清水家老の本多昌忠が乗船した屋形船で清水家上屋敷へと、その大奥へと向かった。上屋敷の大奥もまた、川辺に面していたからだ。
「そっと…」
なるべく音を立てないよう開け、そして同じ様に扉を閉めた。
それから定信はゆっくりと船着場へと進んだ。
船着場には既に船が、屋形船が一艘、接岸しており、定信が近付くにつれ、中から一人の身形の良い武士が姿を見せた。清水家老の本多讃岐守昌忠である。
定信は本多昌忠の顔は見知っており、即ち、
「間違いなく、清水家老である…」
そう認識していたので、安心して屋形船へと乗込める。
だがこれが同じく清水家老でも吉川攝津守從弼だとそうはいかない。
それと言うのも定信は吉川從弼の顔は知らないからだ。
それ故、定信としても屋形船の中から吉川從弼が姿を見せても本多昌忠の時の様に、
「安心して…」
屋形船には乗込めない。
定信にしてみれば吉川從弼の顔を知らない以上、吉川從弼が、
「確かに清水家老である…」
その確証が持てなかったからだ。それどころか、
「或いは清水家老の吉川從弼を称する一橋家の臣やも知れぬ…」
定信をその様にも疑わせた。
そこで本多昌忠が自ら定信を出迎えることとし、それこそが今日の「平日登城」を相役の吉川從弼に代わって貰った理由であった。
船着場に着いた定信は本多昌忠に誘われ、屋形船へと乗込んだ。
それから定信は屋形の中に入り、定信に続いて入った本多昌忠と向かい合った。
本多昌忠は定信と向かい合うなり、
「本日はどうも…」
招待に応じてくれて感謝すると、その意味で定信に平伏して見せた。
「あっ、いや、手前こそ宮内卿様が御招きに与り…」
定信はそう謝意を口にして昌忠に頭を上げる様、促した。
感謝という点では定信こそ宮内卿様こと清水重好に感謝せねばならなかったからだ。
何しろ重好は将軍・家治と定信との「面会」を用意してくれたからだ。
「ときに…、吉川殿も参られるのであろうな?」
定信は昌忠に頭を上げさせるや、そう尋ねた。
これから暫くの間であろうが、将軍・家治の鷹狩りの度に、定信は家治と逢う予定であった。
家治が鷹狩りの帰途、清水家の下屋敷に立寄り、そこで定信とも逢う予定であるが、その際、定信は清水家老に迎えられて、それも今の様に、
「一橋治済に気付かれぬ様、密かに…」
船で迎えられて清水家の下屋敷入りを果たすという、これまた手筈になっていた。
だがその際に毎回、本多昌忠が定信を迎えに訪れる訳には参らぬ。
否、その日が―、家治の鷹狩りの日が毎回、本多昌忠が清水屋形にて留守を預かる日でもあるならば、それも良いだろう。
だが実際にはそう都合良くはいかないだろう。
今日の様に本来は本多昌忠が「平日登城」の当番、即ち、吉川從弼が留守を預かる当番であるその日に家治の鷹狩りが行われる可能性もあり得た。
その時、再び「風邪」という格好の仮病を用いて「平日登城」を吉川從弼へと代わって貰う様なことがあれば、一橋家老は元より、田安家老という地位に安住し、「孫自慢」が唯一の楽しみの戸川逵和からも疑われるであろう。
そこで吉川從弼にも定信を迎えに訪ずれる、その「当番」を果たして貰わねばならず、しかし定信は今、この段階では吉川從弼の顔を知らないので、そこで今日の家治との「密会」の場に吉川從弼も陪席させる手筈となっていた。
家治と定信との「密会」の場に吉川從弼を陪席させることで、定信に吉川從弼の顔を確と把握させる為であった。
そうすれば定信としては今度は吉川從弼が迎えに訪れても、つまりは吉川從弼が仕立てた船にも安心して乗込めるというものであった。
斯して定信は昌忠に対して、吉川從弼も来るのだろうなと、そう確かめた訳で、それに対して昌忠も「御意」と首肯した。
定信と昌忠を乗せた屋形船はそれからゆっくりと蠣殻町にある清水家の下屋敷を目指して、それも川辺に面した「清水大奥」を目指して進んだ。
そうして屋形船が「清水大奥」へと通ずる船着場に着いたのは昼の九つ半(午後1時頃)であった。
船着場には女の姿があった。清水家大奥の中年寄の富江であった。
清水家の上屋敷の大奥を差配するのが上臈年寄の薗橋ならば、下屋敷の大奥を差配するのがこの富江であった。
その富江が自ら定信を、それに昌忠をも出迎えたのは、富江の案内がなければ如何に定信と雖も大奥には、「清水大奥」には足を踏み入れることが出来ないからだ。
さて、定信は昌忠と共に「清水大奥」へと足を踏み入れると、そこには3人の女たちがいた。
大奥は所謂、「女の園」であるので、女がいても別段、不自然ではない、否、むしろそれが自然であった。
だが今の定信にとっては女の存在は極めて危険と言えた。
「この女たちの口から、この俺の存在が…、密かに清水大奥に潜入したことが一橋治済へと伝わるのではあるまいか…」
定信はズバリ、それを恐れていたのだ。
すると富江が定信が彼女たち3人の女中に向ける視線からそうと察したらしく、
「されば彼の者たちは皆、一橋民部卿様とは何の所縁もなく…」
一橋治済に定信のことが「筒抜けになる心配はないと、定信にそう「保証」した。
どうやら富江もまた、今日の「密会」の趣旨については心得ているらしい。
富江はその上で彼女たち3人の女中について、こと「身許」の確かさについて、定信に説明、紹介した。
即ち、3人の女中のうち2人は富江の姪であった。
富江は清水重好に近習番として仕える人見甚四郎思義の実妹であり、兄・甚四郎と共に長年、清水舘にて、それも上屋敷の大奥にて仕え、今では下屋敷の大奥を差配する中年寄にまで昇進を遂げた。
その間、富江は一橋治済とは些かも所縁を作らず、それは兄・人見甚四郎にしても同様で、甚四郎は妻女との間にもうけた二人の娘、美代と知香も清水大奥にて仕えさせており、その美代と知香こそが今、定信の前に控える3人の女中のうちの2人であった。
そして残る1人だが、松江なる女中であり、鷹匠として将軍・家治に仕える伊藤十右衛門政満の叔母であり、伊藤十右衛門が実弟―、伊藤十右衛門と共に松江にとってはもう一人の甥に当たる伊藤四郎左衛門政定は清水家臣、それも鷹匠の家系に相応しく鷹匠として重好の御側近くに仕えていた。
それ故、この松江もまた、甥である伊藤四郎左衛門共々、
「露程も…」
一橋治済との所縁はないと断言出来た。
否、松江の場合はそれどころか、田安家との所縁がある程であり、何と定信が最も信頼する侍女のうちの一人、杉江の実妹であったのだ。
嘗ては田安舘にて「賢丸」と名乗っていた定信の養育掛を勤めた杉江の実妹こそが松江であったのだ。
杉江はそれ故に、やはり賢丸もとい定信の養育掛を勤めた美和や瀧江と共に、白河松平家の養嗣子として迎えられた定信に付随う格好で白河松平家へと、その上屋敷の大奥へと入り、今では築地木挽町にある下屋敷の大奥にて定信の「許婚」である隼姫に仕えていた訳だ。
定信はその杉江の実妹が松江であると、富江よりそう聞かされて、心底、驚いた。
「いや…、世間とは実に狭いものよ…」
定信はしみじみとそう実感させられると同時に、それなればと、
「杉江もまた、美代や知香と同じく、いや、それ以上に一橋治済との所縁は皆無であろう…」
そう安心させられもした。
「されば私めはいったん上屋敷へと戻りまする…」
富江はそう告げ、定信の首を傾げさせた。
「そはまた何故に?」
定信は富江に尋ねた。
「無論、主・宮内卿様と御簾中様…、貞子様の御二人を迎え申上げるべく…」
富江はそう応えると、重好が下屋敷を訪れる際には必ずと言って良い程に、妻女の貞子を「同伴」することを定信に打明けた。
重好もまた定信に劣らずの「愛妻家」であり、息抜きの為に上屋敷を出て下屋敷へと参る折には必ず船を、それも定信が乗船した様な屋形船を使うそうな。
その際、重好はこれまた、
「必ず…」
妻女の貞子を伴うそうな。
貞子は重好とは違い、平日も自由に御城へと登城出来る身ではない。日々の大半を清水上屋敷の大奥にて暮らさなければならず、その意味で貞子は完全に、
「籠の鳥…」
そう表現出来た。
重好も貞子の夫として、貞子のその様な「身の上」は勿論、承知しており、それと同時にその様な「身の上」に大いに憐れみもした。
そこで重好は貞子を慰める意味もあり、息抜きと称しては貞子を連れて上屋敷を出、屋形船で下屋敷へと参るのだ。
そうすることで貞子には少しでも「外の空気」を吸わせられるからだ。
実際、川の風は貞子の心を大いに満たした。
こうして重好は息抜きと称して下屋敷へと参る際には常に妻女の貞子を伴い、屋形船を仕立てて参る訳だが、その為に屋形船を接岸させる船着場は全て大奥に面していた。
清水家にはここ蠣殻町にある下屋敷の外にも芝海手と下戸塚に夫々、下屋敷が宛がわれていた。
重好はその芝海手、下戸塚の双方の下屋敷にも妻女の貞子を連れて参ることがあるので、双方の下屋敷もまた、ここ蠣殻町にある下屋敷と同様、表向と大奥とに分かれていた。
下屋敷にて重好が貞子と共に休息する際、男のいる表向に貞子を置く訳にはゆかず、重好の指図により、表向と大奥とに仕切らせたのであった。
そして重好の「指図」はこれだけに止まらず、芝海手と下戸塚、双方の下屋敷はこれまた、
「ここ蠣殻町にある下屋敷と同様…」
屋形船を接岸させる船着場を大奥に面させたのであった。
貞子が、そしてその夫の重好にしてもそうだが、下船後、「女の園」である大奥へと直行出来る様にとの、重好の配慮からであり、ここにも重好の愛妻ぶりが見て取れた。
「さればその様な宮内卿様様が今日に限り、御簾中様をお連れあそばされずに御一人にて下屋敷へと、お運びあそばされましては、家中に疑う者があるやも知れず…」
重好の「真意」を疑う家臣がいるかも知れない―、富江のその言葉はひいては清水家臣の中にも、
「一橋治済の息がかかっている者が紛れ込んでいるやも知れず…」
その者の口から一橋治済へと伝わるやも知れぬと、それをも示唆するものであった。
定信もその示唆するところに気付くと、「よもや…」とその点を富江に糺した。
すると富江は「残念ながら…」と切出すと、
「されば…、例えば徒頭の小栗殿は…、小栗太郎左衛門正長は実弟が一橋家臣の養嗣子にて…、それに小十人頭の黒川久左衛門盛宣が甥にして、畏れ多くも上様が御側近くに御小納戸として仕え奉りし黒川内匠殿が妻女はかの、岩本内膳正殿が娘御にて…」
一橋家と所縁のある家臣の名を挙げたのであった。
「されば彼の者たちより…」
今日に限って重好は何故か一人で下屋敷へと足を運んだ…、そのことが一橋治済へと伝わるやも知れぬと、富江は定信に示唆したのであった。
これには定信も思わず唸らされた。
「徒頭や小十人頭と申さば、主君を御守り申すのが職掌ではござるまいか…」
それ故、主君が、この場合は重好が外出するともなると、当然、徒頭や小十人頭も重好の「SP」として扈従することになる。
そして、いつもは妻女の貞子を連れて下屋敷へと参る主君・重好が、今日に限って貞子を連れずに下屋敷へと参ったとなれば、成程、主君・重好の「SP」である徒頭や小十人頭はそれを疑問に思うであろうし、それが一橋治済の息がかかっている者ともなれば尚更であろう。その上で必ずや一橋治済へと「ご注進」に及ぶに違いない。
定信はその点を指摘すると、富江も頷いた。
「されば宮内卿様が御簾中様と共に屋形船にて下屋敷へと、お運びあそばされまする折には、徒頭にしろ小十人頭にしろ、流石に遠慮申付けられ…」
富江がそう告げると、定信もそれはそうだろうと思った。
これで重好が一人で外出するならば、徒頭や小十人頭が「SP」として扈従することになる。
だがそこに御簾中―、妻女の貞子がいるとなれば話は別である。
徒頭にしろ小十人頭にしろ表向の役人であるので「SP」として警護して差上げられるのは男である主君・重好のみであり、その妻女、女である貞子まで「SP」として警護して差上げる権限はなかった。
否、主君・重好が徒頭や小十人頭に妻女の貞子をも警備することを、つまりは扈従を許せば話は別だが、そうでない限り、主君・重好と妻女の貞子の外出に際して、徒頭や小十人頭がそれこそ、
「割って入る…」
その様な格好で扈従する訳にはゆかなかった。
そして徒頭や小十人頭の中に一橋治済の息のかかっている者が含まれている可能性がある以上、重好が彼等に扈従を許すとも思えなかった。
尤も、だからと言って重好・貞子夫妻が外出する際、誰も扈従しないという訳では勿論ない。
何しろ天下の将軍家である御三卿たる清水重好とその妻女の貞子である。二人だけで外出させるなど、その様な無用心極まりないことはさせられまい。
「されば普段は…、宮内卿様と御簾中様が下屋敷へと、お運びになられる際には廣敷用人が扈従を?」
定信は富江にそう尋ねた。
成程、定信がそう考えるのは自然であった。
御三卿の大奥にては男子役人である、それも役方、文官の廣敷用人が番方、武官である廣敷番頭をも兼ねていた。
それ故、御簾中様―、御三卿の正室が外出するともなると、この廣敷用人が「SP」として、即ち、廣敷番頭として御簾中様を御守り申上げるべく扈従することになる。
定信も嘗ては御三卿、田安家にて暮らしていたので、その辺りの事情には通じており、それ故にそう尋ねた訳だが、しかし、富江は案に相違して頭を振った。
「されば普段は側用人の本目権右衛門殿か、用人の大久保半之助殿が扈従を相勤めまする…」
富江のその応えに定信は首を傾げた。
「御当家にも廣敷用人はおられよう?」
定信のその問いに対して富江も「左様…」とまずは首肯し、その上で、
「されば御簾中様附廣敷用人として小早川甚五郎と上野郷右衛門がおりまするが、なれど…」
そう続けたものだから、定信も「よもや…」と応じて富江を、その通りだと言わんばかりに頷かせた。
「よもや…、その二人までもが一橋民部卿様と所縁が?」
「左様…、されば小早川甚五郎が娘は御小姓組番士であられた加藤傳右衛門殿が養女として育てられ…、この加藤傳右衛門殿、同時に養嗣子として、横尾六右衛門殿が三男を迎えられ…」
「よこお…」
定信はその苗字には聞覚えがあった。
「左様…、されば嘗て、一橋家にて用人を相勤めし横尾六右衛門昭平殿にて…」
富江の説明を受けて、定信も「ああ…」と思い出した。
否、これで例えば松平だの、酒井だの、内藤だのと、ありふれた苗字であれば定信もその存在を意識していなかったであろう。
だが「横尾」なる珍しい苗字の御蔭で定信も記憶の片隅に留めていたのだ。
「つまり…、小早川甚五郎が娘は一橋家臣の倅と共に、加藤なる小姓組番士の手許で育てられたと?」
定信がそう纏めたので、富江も頷き、
「それ故に小早川甚五郎は一橋民部卿様とは所縁があるやも知れず…」
重好もその点が気にかかり、妻女の貞子との外出時、小早川甚五郎には扈従を仰せ付けられないのだそうな。
そして同じことは上野郷右衛門こと郷右衛門猷景が甥―、実兄にして小十人組頭の上野左大夫資郷が嫡子、四郎三郎資善は一橋家臣の成田喜太郎政永が娘を娶っており、それ故、この上野郷右衛門にしてもやはり、一橋治済と所縁があり、
「一橋治済の息がかかっている…」
その危険性が考えられた。
「成程…、それにしても分からぬのは何故に宮内卿様は態々、一橋民部卿様が所縁の者を徒頭や小十人頭、或いは廣敷用人に、お取立てあそばされたので?貴殿がこの定信に対して斯様に彼等の身許を…、一橋民部卿様との所縁について一々、説明申されたからには宮内卿様も当然、そのことは把握あそばされておるのであろう?」
「左様…、いえ、強いて申上げれば順序が逆にて…」
「順序が逆とは?」
「されば…、宮内卿様が彼等を徒頭や小十人頭、廣敷用人へと、お取立てあそばされた折にはまだ、一橋民部卿様との所縁はなく…」
「まさか…、宮内卿様が彼等を徒頭や小十人頭、廣敷用人へと…、それこそ宮内卿様や御簾中様の御側近くに仕えし役職へと取立てた後に、一橋民部卿様は己の陣営に取込もうと、家臣を…、一橋家臣を介して所縁を紡いだと?」
「一橋民部卿様が胸のうちまではこの富江にも…、そして宮内卿様にも分かりかねまするが、なれどその可能性、無きにしも非ず…」
「そこで宮内卿様は御簾中様と外出…、下屋敷へと、お運びあそばされる際には用心の為に、廣敷用人には…、小早川甚五郎と上野郷右衛門には扈従を仰せ付けられず、そこで側用人と用人に扈従を?」
「左様…、されば側用人の本目殿と用人の大久保殿は一橋家との所縁がなく…、ことに大久保殿は主君・宮内卿様に対して徒頭や小十人頭、廣敷用人が揃って、その役目を拝命せし後、一橋家臣と所縁を、即ち、一橋民部卿様と所縁を持ちたることを、上申なされ…」
「成程…、大久保なる用人が調べたることであったか…」
「左様…、されば宮内卿様も大久保殿と、それに側用人の本目殿には安心して扈従を仰せ付けられると…」
「さもろう…、それが今日に限って宮内卿様が御一人にて下屋敷へと、お運びあそばされるようなことがあらば、斯かる一橋民部卿様と所縁のある徒頭や小十人頭が扈従することになりかねず…、何しろそれが徒頭や小十人頭の職掌なれば、宮内卿様とて彼等の扈従を断ることは中々に難しく、そこでいつも通り…、一橋民部卿様とは何ら所縁のない側用人や用人に扈従させるべく、御簾中様と共にこの下屋敷へと、お運びになられると…」
「左様…、いえ、それにこの富江も…」
「おお、左様でござったな…、いや、上臈の薗橋殿がおられると伺ったが?」
「如何にも…、なれど薗橋殿は此度が密会の趣旨については呑込んではおりませなんだ…」
薗橋は清水家上臈として、中年寄の己よりも格は高いが、しかし、実務には通じておらず、それ故、清水家大奥を事実上、取仕切っているのは中年寄たるこの己である…、富江の今のその言葉にはその様な「自負心」が見え隠れしていた。
こうして富江は「大奥」に定信たちを残して、定信とそれに清水家老の本多昌忠が乗船した屋形船で清水家上屋敷へと、その大奥へと向かった。上屋敷の大奥もまた、川辺に面していたからだ。
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