上 下
76 / 116

天明3年12月13日の「密会」 ~一橋治済、松平定信に扮して四谷大木戸にある田安家下屋敷にて佐野善左衛門に初めて逢う~

しおりを挟む
 富江とみえせた屋形船やかたぶね清水家しみずけ上屋敷かみやしき大奥おおおくめんした船着場ふなつきばへと接岸せつがんしたひるの八つ半(午後3時頃)よりすこまえ一橋ひとつばし治済はるさだ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きないれて四谷よつや大木戸おおきどにある田安たやす下屋敷しもやしきいた。

 四谷よつや大木戸おおきどにある田安たやす下屋敷しもやしき生憎あいにくと、四方しほう陸地りくちであったので、ふね仕立したてるわけにもゆかず、徒歩とほあしはこぶよりほかになく、実際じっさい治済はるさだ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きないとも一橋ひとつばし上屋敷かみやしきより徒歩とほにてここ、四谷よつや大木戸おおきど田安たやす下屋敷しもやしきへと、まさあしはこんだわけである。

 本来ほんらいならば駕籠かご使つかいたいところであったが、それは不可能ふかのうであった。

 それと言うのも大名だいみょう駕籠かごには「標章ナンバープレート」とも言うべき家紋かもんがあしらわれていたからだ。

 一橋ひとつばし治済はるさだ今日きょうは―、今日きょう佐野さの善左衛門ぜんざえもんとの「密会みっかい」においては、白河藩主しらかわはんしゅ松平まつだいら定信さだのぶとしてここ四谷よつや大木戸おおきどにある田安たやす下屋敷しもやしきへとあしはこんだわけで、かり駕籠かご使つかうとすれば―、駕籠かごにて一橋ひとつばし上屋敷かみやしきよりここ四谷よつや大木戸おおきど下屋敷しもやしきおとずれるとすれば、その駕籠かごには当然とうぜん白河しらかわ松平家まつだいらけ家紋かもんである星梅鉢ほしうめばちがあしらわれていなければならなかった。

 一橋ひとつばし治済はるさだの「権力けんりょく」をもってすれば、星梅鉢ほしうめばし家紋かもんがあしらわれた駕籠かご仕立したてるなど、造作ぞうさもない。

 だがそれで街中まちなか移動いどうするのはかんがものであった。

 なにしろ街中まちなかには、

本物ほんものの…」

 白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしん出歩であるいているやもれず、その場合ばあい、そのもの

当家とうけ家紋かもん…」

 星梅鉢ほしうめばち家紋かもんをあしらった駕籠かごれさせる危険性リスクがあった。

上屋敷かみやしきには大殿様おおとのさま殿様とのさまもおられるというに、一体いったい、あの駕籠かごには…」

 大殿様おおとのさまこと隠居いんきょ定邦さだくにか、あるいは現藩主げんはんしゅ定信さだのぶしかれない駕籠かご一体いったいだれっているのかと、そう疑惑ぎわくかせるだろう。

 それに駕籠かご付添つきそうことになる久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きない白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしんではないのだから、

当家とうけしんではないもの一体いったい何故なにゆえ当家とうけの、それも大殿様おおとのさま殿様とのさましか、おりにはなれぬ駕籠かご付従つきしたごうておるのだ…」

 そのよう疑惑ぎわくをもてさせるのは間違まちがいなく、その本物ほんもの白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしんは「職務しょくむ質問しつもん」、駕籠かご呼止よびとめ、なかあらためようとするにちがいない。

 そうなれば万事ばんじきゅうす、であろう。

 無論むろん、それで一橋ひとつばし治済はるさだばっせられることはないだろうが、しかし、

定信さだのぶふんして佐野さの善左衛門ぜんざえもん密会みっかいする…」

 ひいては佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも暗殺あんさつけしかけるという、治済はるさだのそのたくらみは完全かんぜんついえるであろう。

 いや、それなら一橋ひとつばし駕籠かご移動いどうすればなん問題もんだいないようにおもわれるやもれぬが、しかしその場合ばあい今度こんど佐野さの善左衛門ぜんざえもん疑惑ぎわくかせることになる。

 なにしろ一橋ひとつばしの、と言うよりは三卿さんきょう駕籠かごには所謂いわゆる

あおいもん…」

 それがあしらわれていたからだ。

 定信さだのぶ八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむねまごとして三卿さんきょう田安たやすまれはしたものの、しかしいま定信さだのぶ白河しらかわ松平家まつだいらけ当主とうしゅであり、

あおいもん…」

 それを着用ちゃくようすることはみとめられていなかった。

 だいの「田安贔屓たやすびいき」の佐野さの善左衛門ぜんざえもんなればその程度ていどのことは承知しょうちしているはずであり、にもかかわらず下屋敷しもやしきあおいもんがあしらわれた駕籠かごまっていたならば、かならずや疑問ぎもんおもうであろう。

 無論むろん佐野さの善左衛門ぜんざえもんがそのあおいもんがあしらわれた駕籠かごにしない可能性かのうせいもありたが―、そしておそらくはその可能性かのうせいほうたかいであろうが、しかし治済はるさだとしてはわずかでも、今回こんかいの「たくらみ」をついえさせる危険性リスクがあれば、それは回避かいひしたかった。

 それゆえ治済はるさだ駕籠かご使つかわずに、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きないとも徒歩とほにてここ四谷よつや大木戸おおきどにある田安たやす下屋敷しもやしきへとあしはこんだわけである。

 さて、治済一行はるさだいっこう下屋敷しもやしき到着とうちゃくすると、さき下屋敷しもやしきいていた物頭ものがしら金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんがこれを出迎でむかえた。

 今日きょう家老かろう戸川とがわ逵和みちとも御城えどじょう登城とじょうせず一日いちにち田安たやす上屋敷かみやしきめているということもあり、ほか家臣かしん外出がいしゅつひかえていた。

 だが物頭ものがしら金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんだけは適当てきとう口実こうじつをもうけて外出がいしゅつすることに成功せいこうした。

 いや本来ほんらいならば治済はるさだとしては金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんだけでなく、番頭ばんがしら中田なかた左兵衛さへえ用人格ようにんかくこおり奉行ぶぎょうである幸田こうだ友之助とものすけにも陪席ばいせきしてもらいたいところであった。そのほう佐野さの善左衛門ぜんざえもんをより一層いっそう

おのれ松平まつだいら定信さだのぶである…」

 そうしんませることが出来できるからだ。

 だが3人が同時どうじ外出がいしゅつすれば流石さすがほか田安家臣たやすかしんからあやしまれる危険性リスクがありたので、そこで治済はるさだ金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん一人ひとり満足まんぞくすることにした。

 いや治済一行はるさだいっこう出迎でむかえたのは金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんだけではない。この下屋敷しもやしきあずかる下屋敷しもやしき奉行ぶぎょう一人ひとり山口やまぐち傳兵衛でんべえと、それに白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしん関戸せきど杢左衛門もくざえもんまでが出迎でむかえたのであった。

 久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きない二人ふたりが「手入ていれ」をおこなった金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん山口やまぐち傳兵衛でんべえ治済一行はるさだいっこう出迎でむかえてくれるのは当然とうぜんであろう。

 ことに山口やまぐち傳兵衛でんべえはここ四谷よつや大木戸おおきどにある下屋敷しもやしきあずかる下屋敷しもやしき奉行ぶぎょうわば「管理人かんりにん」としてこの下屋敷しもやしき起居ききょしていた。

 だがそこに白河しらかわ松平家まつだいらけの、いや定信さだのぶ家臣かしん関戸せきど杢左衛門もくざえもんまでがふくまれていたのは、関戸せきど杢左衛門もくざえもんもまた、

一橋ひとつばし治済はるさだいきのかかっているもの…」

 それにほかならなかったからだ。

 関戸せきど杢左衛門もくざえもん西之丸にしのまる小姓こしょう組番ぐみばん戸川とがわ権左衛門ごんざえもん安勝やすかつ叔母おばめとっており、一橋ひとつばし治済はるさだはそこにけ、関戸せきど杢左衛門もくざえもんたいしても「手入ていれ」をおこなっていたのだ。

 戸川とがわ権左衛門ごんざえもん二人ふたり実弟じってい―、関戸せきど杢左衛門もくざえもん妻女さいじょにとっては戸川とがわ権左衛門ごんざえもんなら二人ふたりおいである戸川とがわ彦右衛門ひこえもん安崇やすたか戸川金治とがわきんじ安利やすとしなん一橋ひとつばし家臣かしんであるからだ。

 そこで治済はるさだ戸川とがわ彦右衛門ひこえもん戸川金治とがわきんじかいして、さらにはその二人ふたりにっとって叔母おばたる関戸せきど杢左衛門もくざえもん妻女さいじょをもかいして、関戸せきど杢左衛門もくざえもんへと「手入ていれ」をおこなったのである。

 治済はるさだがそうまでして関戸せきど杢左衛門もくざえもんに「手入ていれ」をおこなったのは、

関戸せきど杢左衛門もくざえもん白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしんゆえ…」

 それにきるであろう。

 治済はるさだ関戸せきど杢左衛門もくざえもんに「手入ていれ」をおこなったさいには白河しらかわ松平家まつだいらけ当主とうしゅはまだ定邦さだくにであったものの、それでもすで定信さだのぶという養嗣子ようししがおり、定信さだのぶ白河しらかわ松平家まつだいらけぐのは間違まちがいないという状況じょうきょうであった。

 そこで治済はるさだ定信さだのぶ白河しらかわ松平家まつだいらけあらた当主とうしゅとなったときそなえて、

いまのうちに一人ひとりぐらい…」

 おのれいきのかかったもの白河しらかわ松平家まつだいらけ扶植ふしょくしておこうと、そうかんがえたさいいたのが関戸せきど杢左衛門もくざえもんであったというわけだ。

なにかのおりやくつやもれぬ…」

 治済はるさだはそうかんがえて関戸せきど杢左衛門もくざえもんに「手入ていれ」をおこない、結果けっか関戸せきど杢左衛門もくざえもんかこむことに成功せいこうした。無論むろん定信さだのぶもとより、定邦さだくにをはじめとする白河しらかわ松平家まつだいらけ家中かちゅうには気付きづかれぬよう「手入ていれ」をおこなった。

 そして実際じっさい関戸せきど杢左衛門もくざえもんおおいに役立やくだった。

 関戸せきど杢左衛門もくざえもん白河しらかわ松平家まつだいらけにおいてはおお納戸なんどという役職ポストにあり、これは主君しゅくん衣服いふく調度類ちょうどるい出納すいとう管理かんりするのを職掌しょくしょうとし、それゆえ比較的ひかくてき主君しゅく側近そばちかくにつかえる役職ポストとも言えた。

 関戸せきど杢左衛門もくざえもん場合ばあい定邦さだくに定信さだのぶ二代にだいわたっておお納戸なんどとしてつかえ、治済はるさだかこまれるや、治済はるさだへと定邦さだくに、そして定信さだのぶ近況きんきょう治済はるさだへとながつづけた。

 そのなかには勿論もちろん定信さだのぶ意知おきとも殺意さついいていることもふくまれていた。

 そこで治済はるさだ本日ほんじつの「密会みっかい」、すなわち、松平まつだいら定信さだのぶふんして佐野さの善左衛門ぜんざえもんうという「密会みっかい」においても、この関戸せきど杢左衛門もくざえもんを、おお納戸なんどとしての関戸せきど杢左衛門もくざえもん利用りようすることをおもいた。

 具体的ぐたいてきには関戸せきど杢左衛門もくざえもん主君しゅくん定信さだのぶ普段ふだんけている衣服いふくや、あるいは脇差わきざしなどを勿論もちろん

定信さだのぶ気付きづかれぬよう…」

 ひそかにだが、拝借はいしゃくしてもらうことにした。

松平まつだいら定信さだのぶえんじる以上いじょうはその衣服いふくなども本物ほんものもちいたほうがより説得力せっとくりょくす…」

 治済はるさだはそうかんがえて、関戸せきど杢左衛門もくざえもん定信さだのぶ普段ふだんけているものを拝借はいしゃくさせることとしたのだ。

 それゆえ関戸せきど杢左衛門もくざえもんにも当然とうぜん本日ほんじつの「密会みっかい」の趣旨しゅしについては打明うちあけてあり、それにたいして関戸せきど杢左衛門もくざえもん協力きょうりょくすることを約束やくそくしたが、そのさい

まんいち場合ばあいはこの関戸せきど杢左衛門もくざえもんめを一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさまもとにて、お召抱めしかかえのほどを…」

 そう「交換こうかん条件じょうけん」をすことをわすれなかった。

 成程なるほど本日ほんじつの「密会みっかい」は、その結果如何けっかいかんによっては白河しらかわ松平家まつだいらけ改易かいえきになる危険性リスクはらんでおり、そうなれば白河しらかわ松平家まつだいらけ家臣かしんみな浪人ろうにん失業者しつぎょうしゃとなる。

 関戸せきど杢左衛門もくざえもんはそれを見越みこして、かりにその場合ばあいには一橋ひとつばしにてやとってくれるようにと、治済はるさだに「再就職さいしゅうしょく」をたのんだのであった。

 関戸せきど杢左衛門もくざえもん協力きょうりょくかせない治済はるさだ勿論もちろん即座そくざ承諾しょうだくした。

 こうして関戸せきど杢左衛門もくざえもん治済はるさだ協力きょうりょくちかい、そこで治済はるさだすでに「手入ていれ」をおこなっておいた田安たやす家臣かしん―、番頭ばんがしら中田なかた左兵衛さへえらにたいしてこの関戸せきど杢左衛門もくざえもん引合ひきあわせたのであった。

 そのなかには無論むろん、ここ四谷よつや大木戸おおきどにある下屋敷しもやしきあずかる下屋敷しもやしき奉行ぶぎょう山口やまぐち傳兵衛でんべえふくまれており、関戸せきど杢左衛門もくざえもん今日きょうひるの四つ半(午前11時頃)に定信さだのぶ普段ふだんけているものを―、それら一式いっしきつつんだ風呂敷ふろしきかかえて、ここ四谷よつや大木戸おおきどにある屋敷やしき門前もんぜんき、そのさい山口やまぐち傳兵衛でんべえ即座そくざ関戸せきど杢左衛門もくざえもん邸内ていないへとしょうれたのであった。

 さて、治済はるさだはそれまでけていたものを脱捨ぬぎすてると、関戸せきど杢左衛門もくざえもんひそかに用意よういしてくれたそれらに着替きがえて定信さだのぶふんした。

 治済はるさだはそれから奥座敷おくざしき上座かみざにて佐野さの善左衛門ぜんざえもんった。

 いや佐野さの善左衛門ぜんざえもんだけではない。

 今日きょう定信役さだのぶやく治済はるさだ佐野さの善左衛門ぜんざえもんとのあいだった新番頭しんばんがしら松平まつだいら大膳亮だいぜんのすけ忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもんともな手筈てはずであった。

 そしてひるの八つ半(午後3時頃)をぎたころであろうか、松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもんともない、ここ四谷よつや大木戸おおきどにある下屋敷しもやしき門前もんぜんいた。

 松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもん二人ふたりはやはり下屋敷しもやしき奉行ぶぎょう山口やまぐち傳兵衛でんべえによって邸内ていないへとしょうれられ、そこから定信役さだのぶやく治済はるさだ奥座敷おくざしきまでは物頭ものがしら金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん案内役あんないやくつとめた。

 こうして奥座敷おくざしきにて治済はるさだ定信さだのぶとしてはじめて佐野さの善左衛門ぜんざえもん面会めんかいたした。

 奥座敷おくざしきにおける「密会みっかい」のには案内役あんないやく金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんとそれに関戸せきど杢左衛門もくざえもんをも陪席ばいせきさせた。関戸せきど杢左衛門もくざえもんやくは、

白河しらかわ松平家まつだいらけ用人ようにん

 であった。ちなみに久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きない二人ふたり佐野さの善左衛門ぜんざえもんれさせぬよう、別間べつまにてひかえさせていた。

 さて、佐野さの善左衛門ぜんざえもん松平まつだいら忠香ただよしとも治済はるさだかいうなり、如何いかにも感動かんどうした面持おももちで平伏へいふくした。どうやら治済はるさだ完全かんぜん定信さだのぶだとおもんでいる様子ようすであった。

 治済はるさだいまにも噴出ふきだしたいのを必死ひっしこらえつつ、佐野さの善左衛門ぜんざえもんあたまげるよううながした。

「さればこの定信さだのぶいま三卿さんきょうあらずして、一介いっかい大名だいみょうぎず、左様さようかしこまらずともい…」

 治済はるさだ中々なかなかあたまげようとはしない佐野さの善左衛門ぜんざえもんたいして、じつやさしげなこえけた。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんはそれでもなおあたまげることを躊躇ちゅうちょし、結果けっかすであたまげていた、となりひかえる新番頭しんばんがしら松平まつだいら忠香ただよしうながされてようやくにあたまげた。

本日ほんじつはこの定信さだのぶまねきにおうじてくれてうれしくおもうぞ…」

 治済はるさだ佐野さの善左衛門ぜんざえもんにやはりそうやさしくかたりかけると、佐野さの善左衛門ぜんざえもん感激かんげきあまり、ふたた平伏へいふくしようとしたので、治済はるさだはそれをせいした。

「いや…、今日きょうはそこもとが…、政言まさこと朝番とうばんなによりであったぞ…」

 治済はるさだはしみじみとそう言った。

 新番しんばん勤務時間タイムテーブルもまた、朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番とうばん、昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの夕番ゆうばん、宵五つ(午後8時頃)から暁八つ(午前2時頃)までの宵番よいばん、そして暁八つ(午前2時頃)から朝五つ(午前8時頃)までの不寝番ねずのばんの4交代制こうたいせい、6時間勤務じかんきんむであり、佐野さの善左衛門ぜんざえもん今日きょうさいわいにして当番とうばんであった。

 ちなみに松平まつだいら忠香ただよしよう新番頭しんばんがしら普段ふだんは朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの当番とうばん勤務きんむだが、3日に1度の割合わりあい泊番とまりばんすなわち、宵番よいばん不寝番ねずのばんつとめる。

 本番新番ほんまるしんばんは6組あるので、番頭ばんがしらも6人おり、それゆえ、6人の番頭ばんがしらが2人、ペアとなって3日に一度いちど割合わいあい泊番とまりばんを、1人が宵番よいばん、もう1人が不寝番ねずのばん夫々それぞれつとめる。

 4番組ばんぐみ番頭ばんがしらである松平まつだいら忠香ただよしは3番組ばんぐみ番頭ばんがしら蜷川にながわ相模守さがみのかみ親文ちかぶんつねペアであり、一昨日おととい松平まつだいら忠香ただよし蜷川にながわ親文ちかぶんとも泊番とまりばんを―、蜷川にながわ親文ちかぶん宵番よいばんを、つづけて松平まつだいら忠香ただよし不寝番ねずのばん夫々それぞれつとめた。

「されば…、さき木下川きねがわにおける鷹狩たかがりでは、さぞかし無念むねんであったろう…、田沼たぬまめが…、若年寄わかどしより山城おきともめが策略さくりゃくにより、そなたの…、政言まさこと手柄てがらうばわれたのだからのう…」

 治済はるさだのその言葉ことば佐野さの善左衛門ぜんざえもん何度なんどうなずいた。

田沼たぬまような、どこぞのうまほねともからぬ、盗賊とうぞく同然どうぜん下賤げせんなる成上なりあがりものめが御城えどじょうにてそれこそ、我物顔わがものがおにて闊歩かっぽせしうちは、我等われらよう由緒正ゆいしょただしき筋目すじめものることはないのやもれぬな…」

 治済はるさだはさも残念ざんねんそうにそうげた。

「いや…、田沼たぬまあるいはその血筋ちすじいやしさゆえに、我等われらよう筋目すじめただしきものにひけをかんじ、ねたんでいるのやもれぬな…、ことに政言まさこと田沼たぬまからねたまれておるにちがいあるまい…」

「えっ…、それがしが、でござりまするか?越中様えっちゅうさまではのうて?」

 田沼たぬまねたむなら自分じぶんではなく定信さだのぶだろう―、佐野さの善左衛門ぜんざえもんはどうやらそうかんがえている様子ようすであった。

 成程なるほどたしかにそれが自然しぜんというものであろう。定信さだのぶほう佐野さの善左衛門ぜんざえもんよりもはるかに筋目すじめただしき、それも高貴こうき血筋ちすじ持主もちぬしだからだ。

「うむ…、田沼たぬま如何いかにもこの定信さだのぶ筋目すじめねたんでおろうが、なれどそれ以上いじょう政言まさこと筋目すじめねたんでおろうぞ…、なにしろ政言まさこと佐野さの越前守えちぜんのかみ盛綱もりつな嫡流ちゃくりゅう…、ひるがえって田沼たぬま盛綱もりつな庶流しょりゅう…、九郎くろう重綱しげつなながれむとく…、いや、正確せいかくにはその九郎くろう重綱しげつな下人げにん所従しょじゅうとしてつかえしものながれむにぎず、それゆえ田沼たぬま由緒正ゆいしょただしき佐野さの越前守えちぜんのかみ盛綱もりつな筋目すじめ正当せいとうなる嫡流ちゃくりゅう政言まさことうらやましゅうてならず、それがねたみへとてんじて、田沼たぬまは…、その小倅こせがれ山城おきともめは政言まさこと手柄てがら横取よこどりするなどと、かるいやがらせにおよんだのやもれぬな…」

 治済さだのぶのその言葉ことば佐野さの善左衛門ぜんざえもん一々いちいちうなずかされた。

 治済はるさだはそれから、「ああ…」となにかをおもしたかのようこえげたかとおもうと、

政言まさことなどと、そなたの大事だいじなるいみな軽々かるがるしゅうくちにして相済あいすまぬことよ…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんあやまってみせた。無論むろん、これもまた佐野さの善左衛門ぜんざえもん取込とりこため治済はるさだ策略さくりゃく一環いっかんであった。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん治済はるさだ予期よき期待きたいしたとおりの反応はんのうしめしてくれた。

滅相めっそうもござりませぬ…、それどころか越中えっちゅうさまにおかせられましてはいみなにて、おくださりまして、この政言まさこと慶賀けいがいたりにて…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん定信さだのぶに―、定信さだのぶえんずる治済はるさだいみなばれたことが余程よほどうれしかったらしい。成程なるほどたしかに佐野さの善左衛門ぜんざえもんは、

筋金入すじがねいりの…」

 田安贔屓たやすびいきと言えた。

 治済はるさだはその定信さだのぶとして佐野さの善左衛門ぜんざえもんしばし、歓談かんだんきょうじた。

 そしてそろそろ「密会みっかい」がわりに近付ちかづくや、

「いや、今日きょうはそなたと…、政言まさこととこうして心行こころゆくまで語合かたりあえて、この定信さだのぶうれしくおもうぞ…」

 治済はるさだはまずはそう謝意しゃいくちにしたうえで、

「また、つぎ機会きかいにもこうして下屋敷しもやしきにてこの定信さだのぶうてくれるか?」

 つぎもまたいたいと、佐野さの善左衛門ぜんざえもんかたりかけたのであった。

 それにたいして佐野さの善左衛門ぜんざえもんもとよりいなやなどあり様筈ようはずもなく、

「ははぁっ」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん即座そくざ平伏へいふくしてそうおうじたのであった。

 こうして佐野さの善左衛門ぜんざえもん松平まつだいら忠香ただよしとも奥座敷おくざしきより退がると、それを見計みはからったかのよう別間べつまにてひかえていた久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きない二人ふたり姿すがたせた。

今日きょうはあの程度ていどよろしかったので?」

 岩本いわもと喜内きない早速さっそく治済はるさだにそうけた。そのけには、

「もっとつよく…、具体的ぐたいてき佐野さの善左衛門ぜんざえもん田沼たぬま意知おきとも暗殺あんさつけしかけてもかったのではないか…」

 そのおもいがめられていた。

 治済はるさだもそうとさっするや、

「いや、今日きょうはあの程度ていどいのだ…、初対面しょたいめんでいきなりそこまで踏込ふみこんでは、如何いか田安贔屓たやすびいき佐野さの善左衛門ぜんざえもんとてあしむであろうし、ひいてはこころはなれさせてしまうやもれぬからのう…」

 いまはまだその段階だんかいではないと、そうこたえたのであった。

 これには久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ同感どうかんであったので、「御意ぎょい…」とこたえた。

 治済はるさだ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけたいしてうなずいてせたうえで、

「さればつぎ村上むらかみにもつなぎをらねばならぬな…」

 田沼家臣たぬまかしん、それも意知おきとも取次役とりつぎやくでありながら、そのじつ一橋ひとつばし治済はるさだひそかにつうずる村上むらかみ半左衛門はんざえもん重勝しげかつくちにした。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

喝鳶大名・内田正容

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:0

紀州太平記 ~徳川綱教、天下を獲る~

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

逆転関が原殺人事件

ミステリー / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:1

若竹侍

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:234pt お気に入り:0

天明草子 ~たとえば意知が死ななかったら~

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:7

戦国薄暮期〜とある武将の三男になったので戦国時代を変えてみました

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:1

中世を駆ける~尼子家領地に転移した男~

歴史・時代 / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:2

処理中です...