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天明3年12月13日の「密会」 ~一橋治済、松平定信に扮して四谷大木戸にある田安家下屋敷にて佐野善左衛門に初めて逢う~
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富江を乗せた屋形船が清水家上屋敷の大奥に面した船着場へと接岸した昼の八つ半(午後3時頃)より少し前、一橋治済は久田縫殿助と岩本喜内を連れて四谷大木戸にある田安家の下屋敷に着いた。
四谷大木戸にある田安家の下屋敷は生憎と、四方が陸地であったので、船を仕立てる訳にもゆかず、徒歩で足を運ぶより外になく、実際、治済は久田縫殿助と岩本喜内と共に一橋上屋敷より徒歩にてここ、四谷大木戸の田安家下屋敷へと、正に足を運んだ訳である。
本来ならば駕籠を使いたいところであったが、それは不可能であった。
それと言うのも大名の駕籠には「標章」とも言うべき家紋があしらわれていたからだ。
一橋治済は今日は―、今日の佐野善左衛門との「密会」においては、白河藩主・松平定信としてここ四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだ訳で、仮に駕籠を使うとすれば―、駕籠にて一橋上屋敷よりここ四谷大木戸の下屋敷を訪れるとすれば、その駕籠には当然、白河松平家の家紋である星梅鉢があしらわれていなければならなかった。
一橋治済の「権力」を以てすれば、星梅鉢の家紋があしらわれた駕籠を仕立てるなど、造作もない。
だがそれで街中を移動するのは考え物であった。
何しろ街中には、
「本物の…」
白河松平家の家臣が出歩いているやも知れず、その場合、その者に
「当家の家紋…」
星梅鉢の家紋をあしらった駕籠を目に触れさせる危険性があった。
「上屋敷には大殿様も殿様もおられるというに、一体、あの駕籠には…」
大殿様こと隠居の定邦か、或いは現藩主の定信しか乗れない駕籠に一体、誰が乗っているのかと、そう疑惑を抱かせるだろう。
それに駕籠に付添うことになる久田縫殿助と岩本喜内は白河松平家の家臣ではないのだから、
「当家の臣ではない者が一体、何故に当家の、それも大殿様か殿様しか、お乗りにはなれぬ駕籠に付従うておるのだ…」
その様な疑惑をも掻き立てさせるのは間違いなく、その本物の白河松平家の家臣は「職務質問」、駕籠を呼止め、中を検めようとするに違いない。
そうなれば万事休す、であろう。
無論、それで一橋治済が罰せられることはないだろうが、しかし、
「定信に扮して佐野善左衛門と密会する…」
ひいては佐野善左衛門に意知の暗殺を嗾けるという、治済のその企みは完全に潰えるであろう。
否、それなら一橋家の駕籠で移動すれば何ら問題ないように思われるやも知れぬが、しかしその場合、今度は佐野善左衛門に疑惑を抱かせることになる。
何しろ一橋家の、と言うよりは御三卿の駕籠には所謂、
「葵の御紋…」
それがあしらわれていたからだ。
定信は八代将軍・吉宗の孫として御三卿の田安家に生まれはしたものの、しかし今の定信は白河松平家の当主であり、
「葵の御紋…」
それを着用することは認められていなかった。
大の「田安贔屓」の佐野善左衛門なればその程度のことは承知している筈であり、にもかかわらず下屋敷に葵の御紋があしらわれた駕籠が停まっていたならば、必ずや疑問に思うであろう。
無論、佐野善左衛門がその葵の御紋があしらわれた駕籠を目にしない可能性もあり得たが―、そして恐らくはその可能性の方が高いであろうが、しかし治済としては僅かでも、今回の「企み」を潰えさせる危険性があれば、それは回避したかった。
それ故、治済は駕籠を使わずに、久田縫殿助と岩本喜内と共に徒歩にてここ四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだ訳である。
さて、治済一行が下屋敷に到着すると、先に下屋敷に着いていた物頭の金森五郎右衛門がこれを出迎えた。
今日は家老の戸川逵和が御城に登城せず一日、田安家上屋敷に詰めているということもあり、外の家臣も外出は控えていた。
だが物頭の金森五郎右衛門だけは適当な口実をもうけて外出することに成功した。
否、本来ならば治済としては金森五郎右衛門だけでなく、番頭の中田左兵衛や用人格の郡奉行である幸田友之助にも陪席して貰いたいところであった。その方が佐野善左衛門をより一層、
「己が松平定信である…」
そう信じ込ませることが出来るからだ。
だが3人が同時に外出すれば流石に外の田安家臣から怪しまれる危険性があり得たので、そこで治済も金森五郎右衛門一人で満足することにした。
否、治済一行を出迎えたのは金森五郎右衛門だけではない。この下屋敷を預かる下屋敷奉行の一人、山口傳兵衛と、それに白河松平家の家臣の関戸杢左衛門までが出迎えたのであった。
久田縫殿助と岩本喜内の二人が「手入」を行った金森五郎右衛門や山口傳兵衛が治済一行を出迎えてくれるのは当然であろう。
ことに山口傳兵衛はここ四谷大木戸にある下屋敷を預かる下屋敷奉行、謂わば「管理人」としてこの下屋敷で起居していた。
だがそこに白河松平家の、否、定信の家臣の関戸杢左衛門までが含まれていたのは、関戸杢左衛門もまた、
「一橋治済の息のかかっている者…」
それに外ならなかったからだ。
関戸杢左衛門は西之丸小姓組番士の戸川権左衛門安勝の叔母を娶っており、一橋治済はそこに目を付け、関戸杢左衛門に対しても「手入」を行っていたのだ。
戸川権左衛門が二人の実弟―、関戸杢左衛門が妻女にとっては戸川権左衛門と並ぶ二人の甥である戸川彦右衛門安崇と戸川金治安利は何と一橋家臣であるからだ。
そこで治済は戸川彦右衛門と戸川金治を介して、更にはその二人にっとって叔母に当たる関戸杢左衛門が妻女をも介して、関戸杢左衛門へと「手入」を行ったのである。
治済がそうまでして関戸杢左衛門に「手入」を行ったのは、
「関戸杢左衛門が白河松平家の家臣故…」
それに尽きるであろう。
治済が関戸杢左衛門に「手入」を行った際には白河松平家の当主はまだ定邦であったものの、それでも既に定信という養嗣子がおり、定信が白河松平家を継ぐのは間違いないという状況であった。
そこで治済は定信が白河松平家の新な当主となった時に備えて、
「今のうちに一人ぐらい…」
己の息のかかった者を白河松平家に扶植しておこうと、そう考えた際、目に付いたのが関戸杢左衛門であったという訳だ。
「何かの折に役に立つやも知れぬ…」
治済はそう考えて関戸杢左衛門に「手入」を行い、結果、関戸杢左衛門を囲い込むことに成功した。無論、定信は元より、定邦をはじめとする白河松平家の家中には気付かれぬよう「手入」を行った。
そして実際、関戸杢左衛門は大いに役立った。
関戸杢左衛門は白河松平家においては大納戸という役職にあり、これは主君の衣服や調度類を出納、管理するのを職掌とし、それ故、比較的、主君の側近くに仕える役職とも言えた。
関戸杢左衛門の場合、定邦・定信の二代に亘って大納戸として仕え、治済に囲い込まれるや、治済へと定邦、そして定信の近況を治済へと流し続けた。
その中には勿論、定信が意知に殺意を抱いていることも含まれていた。
そこで治済は本日の「密会」、即ち、松平定信に扮して佐野善左衛門に逢うという「密会」においても、この関戸杢左衛門を、大納戸としての関戸杢左衛門を利用することを思い付いた。
具体的には関戸杢左衛門が主君・定信が普段、身に着けている衣服や、或いは脇差などを勿論、
「定信に気付かれぬよう…」
密かにだが、拝借して貰うことにした。
「松平定信を演じる以上はその衣服なども本物を用いた方がより説得力が増す…」
治済はそう考えて、関戸杢左衛門に定信が普段、身に付けているものを拝借させることとしたのだ。
それ故、関戸杢左衛門にも当然、本日の「密会」の趣旨については打明けてあり、それに対して関戸杢左衛門も協力することを約束したが、その際、
「万が一の場合はこの関戸杢左衛門めを一橋民部卿様の許にて、お召抱えの程を…」
そう「交換条件」を出すことを忘れなかった。
成程、本日の「密会」は、その結果如何によっては白河松平家が改易になる危険性を孕んでおり、そうなれば白河松平家の家臣は皆、浪人、失業者となる。
関戸杢左衛門はそれを見越して、仮にその場合には一橋家にて雇ってくれるようにと、治済に「再就職」を頼んだのであった。
関戸杢左衛門の協力が欠かせない治済は勿論、即座に承諾した。
こうして関戸杢左衛門は治済に協力を誓い、そこで治済は既に「手入」を行っておいた田安家の家臣―、番頭の中田左兵衛らに対してこの関戸杢左衛門を引合わせたのであった。
その中には無論、ここ四谷大木戸にある下屋敷を預かる下屋敷奉行の山口傳兵衛も含まれており、関戸杢左衛門は今日は昼の四つ半(午前11時頃)に定信が普段、身に着けているものを―、それら一式を包んだ風呂敷を抱えて、ここ四谷大木戸にある屋敷の門前に着き、その際、山口傳兵衛が即座に関戸杢左衛門を邸内へと招じ入れたのであった。
さて、治済はそれまで身に着けていたものを脱捨てると、関戸杢左衛門が密かに用意してくれたそれらに着替えて定信に扮した。
治済はそれから奥座敷の上座にて佐野善左衛門を待った。
否、佐野善左衛門だけではない。
今日は定信役の治済と佐野善左衛門との間に立った新番頭の松平大膳亮忠香が佐野善左衛門を伴う手筈であった。
そして昼の八つ半(午後3時頃)を過ぎた頃であろうか、松平忠香が佐野善左衛門を伴い、ここ四谷大木戸にある下屋敷の門前に着いた。
松平忠香と佐野善左衛門の二人はやはり下屋敷奉行の山口傳兵衛によって邸内へと招じ入れられ、そこから定信役の治済が待つ奥座敷までは物頭の金森五郎右衛門が案内役を務めた。
こうして奥座敷にて治済は定信として初めて佐野善左衛門と面会を果たした。
奥座敷における「密会」の場には案内役の金森五郎右衛門とそれに関戸杢左衛門をも陪席させた。関戸杢左衛門の役は、
「白河松平家用人」
であった。ちなみに久田縫殿助と岩本喜内の二人は佐野善左衛門の目に触れさせぬよう、別間にて控えさせていた。
さて、佐野善左衛門は松平忠香と共に治済と向かい合うなり、如何にも感動した面持ちで平伏した。どうやら治済を完全に定信だと思い込んでいる様子であった。
治済は今にも噴出したいのを必死に堪えつつ、佐野善左衛門に頭を上げる様、促した。
「さればこの定信、今は三卿に非ずして、一介の大名に過ぎず、左様に畏まらずとも良い…」
治済は中々、頭を上げようとはしない佐野善左衛門に対して、実に優しげな声を掛けた。
佐野善左衛門はそれでも尚、頭を上げることを躊躇し、結果、既に頭を上げていた、隣に控える新番頭の松平忠香に促されて漸くに頭を上げた。
「本日はこの定信が招きに応じてくれて嬉しく思うぞ…」
治済が佐野善左衛門にやはりそう優しく語りかけると、佐野善左衛門も感激の余り、再び平伏しようとしたので、治済はそれを制した。
「いや…、今日はそこもとが…、政言が朝番で何よりであったぞ…」
治済はしみじみとそう言った。
新番の勤務時間もまた、朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番、昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの夕番、宵五つ(午後8時頃)から暁八つ(午前2時頃)までの宵番、そして暁八つ(午前2時頃)から朝五つ(午前8時頃)までの不寝番の4交代制、6時間勤務であり、佐野善左衛門は今日は幸いにして当番であった。
ちなみに松平忠香の様な新番頭は普段は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの当番勤務だが、3日に1度の割合で泊番、即ち、宵番と不寝番を勤める。
本番新番は6組あるので、番頭も6人おり、それ故、6人の番頭が2人、組となって3日に一度の割合で泊番を、1人が宵番、もう1人が不寝番を夫々、勤める。
4番組の番頭である松平忠香は3番組の番頭、蜷川相模守親文と常に組であり、一昨日も松平忠香は蜷川親文と共に泊番を―、蜷川親文が宵番を、続けて松平忠香が不寝番を夫々、勤めた。
「されば…、先の木下川における鷹狩りでは、さぞかし無念であったろう…、田沼めが…、若年寄の山城めが策略により、そなたの…、政言が手柄、奪われたのだからのう…」
治済のその言葉に佐野善左衛門は何度も頷いた。
「田沼の様な、どこぞの馬の骨とも分からぬ、盗賊も同然の下賤なる成上がり者めが御城にてそれこそ、我物顔にて闊歩せしうちは、我等の様な由緒正しき筋目の者が日の目を見ることはないのやも知れぬな…」
治済はさも残念そうにそう告げた。
「いや…、田沼は或いはその血筋の賤しさ故に、我等の様な筋目正しき者にひけを感じ、妬んでいるのやも知れぬな…、ことに政言は田沼から妬まれておるに違いあるまい…」
「えっ…、それがしが、でござりまするか?越中様ではのうて?」
田沼が妬むなら自分ではなく定信だろう―、佐野善左衛門はどうやらそう考えている様子であった。
成程、確かにそれが自然というものであろう。定信の方が佐野善左衛門よりも遥かに筋目正しき、それも高貴な血筋の持主だからだ。
「うむ…、田沼は如何にもこの定信が筋目も妬んでおろうが、なれどそれ以上に政言が筋目を妬んでおろうぞ…、何しろ政言は佐野越前守盛綱が嫡流…、翻って田沼は盛綱が庶流…、九郎重綱が流を汲むと聞く…、いや、正確にはその九郎重綱に下人所従として仕えし者の流を汲むに過ぎず、それ故に田沼は由緒正しき佐野越前守盛綱が筋目、正当なる嫡流の政言が羨ましゅうてならず、それが妬みへと転じて、田沼は…、その小倅の山城めは政言が手柄を横取りするなどと、斯かる嫌がらせに及んだのやも知れぬな…」
治済のその言葉に佐野善左衛門は一々、頷かされた。
治済はそれから、「ああ…」と何かを思い出したかの様な声を上げたかと思うと、
「政言などと、そなたの大事なる諱を軽々しゅう口にして相済まぬことよ…」
佐野善左衛門に謝ってみせた。無論、これもまた佐野善左衛門を取込む為の治済の策略の一環であった。
佐野善左衛門は治済が予期、期待した通りの反応を示してくれた。
「滅相もござりませぬ…、それどころか越中様におかせられましては我が諱にて、お呼び下さりまして、この政言、慶賀の至りにて…」
佐野善左衛門は定信に―、定信を演ずる治済に諱で呼ばれたことが余程に嬉しかったらしい。成程、確かに佐野善左衛門は、
「筋金入りの…」
田安贔屓と言えた。
治済はその後も定信として佐野善左衛門と暫し、歓談に興じた。
そしてそろそろ「密会」が終わりに近付くや、
「いや、今日はそなたと…、政言とこうして心行くまで語合えて、この定信、嬉しく思うぞ…」
治済はまずはそう謝意を口にした上で、
「また、次の機会にもこうして下屋敷にてこの定信と逢うてくれるか?」
次もまた逢いたいと、佐野善左衛門に語りかけたのであった。
それに対して佐野善左衛門も元より否やなどあり得様筈もなく、
「ははぁっ」
佐野善左衛門は即座に平伏してそう応じたのであった。
こうして佐野善左衛門は松平忠香と共に奥座敷より退がると、それを見計らったかの様に別間にて控えていた久田縫殿助と岩本喜内の二人が姿を見せた。
「今日はあの程度で宜しかったので?」
岩本喜内が早速、治済にそう問い掛けた。その問い掛けには、
「もっと強く…、具体的に佐野善左衛門に田沼意知の暗殺を嗾かけても良かったのではないか…」
その思いが込められていた。
治済もそうと察するや、
「いや、今日はあの程度で良いのだ…、初対面でいきなりそこまで踏込んでは、如何に田安贔屓の佐野善左衛門とて二の足を踏むであろうし、ひいては心を離れさせてしまうやも知れぬからのう…」
今はまだその段階ではないと、そう応えたのであった。
これには久田縫殿助も同感であったので、「御意…」と応えた。
治済は久田縫殿助に対して頷いて見せた上で、
「されば次は村上にも繋ぎを取らねばならぬな…」
田沼家臣、それも意知の取次役でありながら、その実、一橋治済と密かに通ずる村上半左衛門重勝の名を口にした。
四谷大木戸にある田安家の下屋敷は生憎と、四方が陸地であったので、船を仕立てる訳にもゆかず、徒歩で足を運ぶより外になく、実際、治済は久田縫殿助と岩本喜内と共に一橋上屋敷より徒歩にてここ、四谷大木戸の田安家下屋敷へと、正に足を運んだ訳である。
本来ならば駕籠を使いたいところであったが、それは不可能であった。
それと言うのも大名の駕籠には「標章」とも言うべき家紋があしらわれていたからだ。
一橋治済は今日は―、今日の佐野善左衛門との「密会」においては、白河藩主・松平定信としてここ四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだ訳で、仮に駕籠を使うとすれば―、駕籠にて一橋上屋敷よりここ四谷大木戸の下屋敷を訪れるとすれば、その駕籠には当然、白河松平家の家紋である星梅鉢があしらわれていなければならなかった。
一橋治済の「権力」を以てすれば、星梅鉢の家紋があしらわれた駕籠を仕立てるなど、造作もない。
だがそれで街中を移動するのは考え物であった。
何しろ街中には、
「本物の…」
白河松平家の家臣が出歩いているやも知れず、その場合、その者に
「当家の家紋…」
星梅鉢の家紋をあしらった駕籠を目に触れさせる危険性があった。
「上屋敷には大殿様も殿様もおられるというに、一体、あの駕籠には…」
大殿様こと隠居の定邦か、或いは現藩主の定信しか乗れない駕籠に一体、誰が乗っているのかと、そう疑惑を抱かせるだろう。
それに駕籠に付添うことになる久田縫殿助と岩本喜内は白河松平家の家臣ではないのだから、
「当家の臣ではない者が一体、何故に当家の、それも大殿様か殿様しか、お乗りにはなれぬ駕籠に付従うておるのだ…」
その様な疑惑をも掻き立てさせるのは間違いなく、その本物の白河松平家の家臣は「職務質問」、駕籠を呼止め、中を検めようとするに違いない。
そうなれば万事休す、であろう。
無論、それで一橋治済が罰せられることはないだろうが、しかし、
「定信に扮して佐野善左衛門と密会する…」
ひいては佐野善左衛門に意知の暗殺を嗾けるという、治済のその企みは完全に潰えるであろう。
否、それなら一橋家の駕籠で移動すれば何ら問題ないように思われるやも知れぬが、しかしその場合、今度は佐野善左衛門に疑惑を抱かせることになる。
何しろ一橋家の、と言うよりは御三卿の駕籠には所謂、
「葵の御紋…」
それがあしらわれていたからだ。
定信は八代将軍・吉宗の孫として御三卿の田安家に生まれはしたものの、しかし今の定信は白河松平家の当主であり、
「葵の御紋…」
それを着用することは認められていなかった。
大の「田安贔屓」の佐野善左衛門なればその程度のことは承知している筈であり、にもかかわらず下屋敷に葵の御紋があしらわれた駕籠が停まっていたならば、必ずや疑問に思うであろう。
無論、佐野善左衛門がその葵の御紋があしらわれた駕籠を目にしない可能性もあり得たが―、そして恐らくはその可能性の方が高いであろうが、しかし治済としては僅かでも、今回の「企み」を潰えさせる危険性があれば、それは回避したかった。
それ故、治済は駕籠を使わずに、久田縫殿助と岩本喜内と共に徒歩にてここ四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだ訳である。
さて、治済一行が下屋敷に到着すると、先に下屋敷に着いていた物頭の金森五郎右衛門がこれを出迎えた。
今日は家老の戸川逵和が御城に登城せず一日、田安家上屋敷に詰めているということもあり、外の家臣も外出は控えていた。
だが物頭の金森五郎右衛門だけは適当な口実をもうけて外出することに成功した。
否、本来ならば治済としては金森五郎右衛門だけでなく、番頭の中田左兵衛や用人格の郡奉行である幸田友之助にも陪席して貰いたいところであった。その方が佐野善左衛門をより一層、
「己が松平定信である…」
そう信じ込ませることが出来るからだ。
だが3人が同時に外出すれば流石に外の田安家臣から怪しまれる危険性があり得たので、そこで治済も金森五郎右衛門一人で満足することにした。
否、治済一行を出迎えたのは金森五郎右衛門だけではない。この下屋敷を預かる下屋敷奉行の一人、山口傳兵衛と、それに白河松平家の家臣の関戸杢左衛門までが出迎えたのであった。
久田縫殿助と岩本喜内の二人が「手入」を行った金森五郎右衛門や山口傳兵衛が治済一行を出迎えてくれるのは当然であろう。
ことに山口傳兵衛はここ四谷大木戸にある下屋敷を預かる下屋敷奉行、謂わば「管理人」としてこの下屋敷で起居していた。
だがそこに白河松平家の、否、定信の家臣の関戸杢左衛門までが含まれていたのは、関戸杢左衛門もまた、
「一橋治済の息のかかっている者…」
それに外ならなかったからだ。
関戸杢左衛門は西之丸小姓組番士の戸川権左衛門安勝の叔母を娶っており、一橋治済はそこに目を付け、関戸杢左衛門に対しても「手入」を行っていたのだ。
戸川権左衛門が二人の実弟―、関戸杢左衛門が妻女にとっては戸川権左衛門と並ぶ二人の甥である戸川彦右衛門安崇と戸川金治安利は何と一橋家臣であるからだ。
そこで治済は戸川彦右衛門と戸川金治を介して、更にはその二人にっとって叔母に当たる関戸杢左衛門が妻女をも介して、関戸杢左衛門へと「手入」を行ったのである。
治済がそうまでして関戸杢左衛門に「手入」を行ったのは、
「関戸杢左衛門が白河松平家の家臣故…」
それに尽きるであろう。
治済が関戸杢左衛門に「手入」を行った際には白河松平家の当主はまだ定邦であったものの、それでも既に定信という養嗣子がおり、定信が白河松平家を継ぐのは間違いないという状況であった。
そこで治済は定信が白河松平家の新な当主となった時に備えて、
「今のうちに一人ぐらい…」
己の息のかかった者を白河松平家に扶植しておこうと、そう考えた際、目に付いたのが関戸杢左衛門であったという訳だ。
「何かの折に役に立つやも知れぬ…」
治済はそう考えて関戸杢左衛門に「手入」を行い、結果、関戸杢左衛門を囲い込むことに成功した。無論、定信は元より、定邦をはじめとする白河松平家の家中には気付かれぬよう「手入」を行った。
そして実際、関戸杢左衛門は大いに役立った。
関戸杢左衛門は白河松平家においては大納戸という役職にあり、これは主君の衣服や調度類を出納、管理するのを職掌とし、それ故、比較的、主君の側近くに仕える役職とも言えた。
関戸杢左衛門の場合、定邦・定信の二代に亘って大納戸として仕え、治済に囲い込まれるや、治済へと定邦、そして定信の近況を治済へと流し続けた。
その中には勿論、定信が意知に殺意を抱いていることも含まれていた。
そこで治済は本日の「密会」、即ち、松平定信に扮して佐野善左衛門に逢うという「密会」においても、この関戸杢左衛門を、大納戸としての関戸杢左衛門を利用することを思い付いた。
具体的には関戸杢左衛門が主君・定信が普段、身に着けている衣服や、或いは脇差などを勿論、
「定信に気付かれぬよう…」
密かにだが、拝借して貰うことにした。
「松平定信を演じる以上はその衣服なども本物を用いた方がより説得力が増す…」
治済はそう考えて、関戸杢左衛門に定信が普段、身に付けているものを拝借させることとしたのだ。
それ故、関戸杢左衛門にも当然、本日の「密会」の趣旨については打明けてあり、それに対して関戸杢左衛門も協力することを約束したが、その際、
「万が一の場合はこの関戸杢左衛門めを一橋民部卿様の許にて、お召抱えの程を…」
そう「交換条件」を出すことを忘れなかった。
成程、本日の「密会」は、その結果如何によっては白河松平家が改易になる危険性を孕んでおり、そうなれば白河松平家の家臣は皆、浪人、失業者となる。
関戸杢左衛門はそれを見越して、仮にその場合には一橋家にて雇ってくれるようにと、治済に「再就職」を頼んだのであった。
関戸杢左衛門の協力が欠かせない治済は勿論、即座に承諾した。
こうして関戸杢左衛門は治済に協力を誓い、そこで治済は既に「手入」を行っておいた田安家の家臣―、番頭の中田左兵衛らに対してこの関戸杢左衛門を引合わせたのであった。
その中には無論、ここ四谷大木戸にある下屋敷を預かる下屋敷奉行の山口傳兵衛も含まれており、関戸杢左衛門は今日は昼の四つ半(午前11時頃)に定信が普段、身に着けているものを―、それら一式を包んだ風呂敷を抱えて、ここ四谷大木戸にある屋敷の門前に着き、その際、山口傳兵衛が即座に関戸杢左衛門を邸内へと招じ入れたのであった。
さて、治済はそれまで身に着けていたものを脱捨てると、関戸杢左衛門が密かに用意してくれたそれらに着替えて定信に扮した。
治済はそれから奥座敷の上座にて佐野善左衛門を待った。
否、佐野善左衛門だけではない。
今日は定信役の治済と佐野善左衛門との間に立った新番頭の松平大膳亮忠香が佐野善左衛門を伴う手筈であった。
そして昼の八つ半(午後3時頃)を過ぎた頃であろうか、松平忠香が佐野善左衛門を伴い、ここ四谷大木戸にある下屋敷の門前に着いた。
松平忠香と佐野善左衛門の二人はやはり下屋敷奉行の山口傳兵衛によって邸内へと招じ入れられ、そこから定信役の治済が待つ奥座敷までは物頭の金森五郎右衛門が案内役を務めた。
こうして奥座敷にて治済は定信として初めて佐野善左衛門と面会を果たした。
奥座敷における「密会」の場には案内役の金森五郎右衛門とそれに関戸杢左衛門をも陪席させた。関戸杢左衛門の役は、
「白河松平家用人」
であった。ちなみに久田縫殿助と岩本喜内の二人は佐野善左衛門の目に触れさせぬよう、別間にて控えさせていた。
さて、佐野善左衛門は松平忠香と共に治済と向かい合うなり、如何にも感動した面持ちで平伏した。どうやら治済を完全に定信だと思い込んでいる様子であった。
治済は今にも噴出したいのを必死に堪えつつ、佐野善左衛門に頭を上げる様、促した。
「さればこの定信、今は三卿に非ずして、一介の大名に過ぎず、左様に畏まらずとも良い…」
治済は中々、頭を上げようとはしない佐野善左衛門に対して、実に優しげな声を掛けた。
佐野善左衛門はそれでも尚、頭を上げることを躊躇し、結果、既に頭を上げていた、隣に控える新番頭の松平忠香に促されて漸くに頭を上げた。
「本日はこの定信が招きに応じてくれて嬉しく思うぞ…」
治済が佐野善左衛門にやはりそう優しく語りかけると、佐野善左衛門も感激の余り、再び平伏しようとしたので、治済はそれを制した。
「いや…、今日はそこもとが…、政言が朝番で何よりであったぞ…」
治済はしみじみとそう言った。
新番の勤務時間もまた、朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番、昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの夕番、宵五つ(午後8時頃)から暁八つ(午前2時頃)までの宵番、そして暁八つ(午前2時頃)から朝五つ(午前8時頃)までの不寝番の4交代制、6時間勤務であり、佐野善左衛門は今日は幸いにして当番であった。
ちなみに松平忠香の様な新番頭は普段は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの当番勤務だが、3日に1度の割合で泊番、即ち、宵番と不寝番を勤める。
本番新番は6組あるので、番頭も6人おり、それ故、6人の番頭が2人、組となって3日に一度の割合で泊番を、1人が宵番、もう1人が不寝番を夫々、勤める。
4番組の番頭である松平忠香は3番組の番頭、蜷川相模守親文と常に組であり、一昨日も松平忠香は蜷川親文と共に泊番を―、蜷川親文が宵番を、続けて松平忠香が不寝番を夫々、勤めた。
「されば…、先の木下川における鷹狩りでは、さぞかし無念であったろう…、田沼めが…、若年寄の山城めが策略により、そなたの…、政言が手柄、奪われたのだからのう…」
治済のその言葉に佐野善左衛門は何度も頷いた。
「田沼の様な、どこぞの馬の骨とも分からぬ、盗賊も同然の下賤なる成上がり者めが御城にてそれこそ、我物顔にて闊歩せしうちは、我等の様な由緒正しき筋目の者が日の目を見ることはないのやも知れぬな…」
治済はさも残念そうにそう告げた。
「いや…、田沼は或いはその血筋の賤しさ故に、我等の様な筋目正しき者にひけを感じ、妬んでいるのやも知れぬな…、ことに政言は田沼から妬まれておるに違いあるまい…」
「えっ…、それがしが、でござりまするか?越中様ではのうて?」
田沼が妬むなら自分ではなく定信だろう―、佐野善左衛門はどうやらそう考えている様子であった。
成程、確かにそれが自然というものであろう。定信の方が佐野善左衛門よりも遥かに筋目正しき、それも高貴な血筋の持主だからだ。
「うむ…、田沼は如何にもこの定信が筋目も妬んでおろうが、なれどそれ以上に政言が筋目を妬んでおろうぞ…、何しろ政言は佐野越前守盛綱が嫡流…、翻って田沼は盛綱が庶流…、九郎重綱が流を汲むと聞く…、いや、正確にはその九郎重綱に下人所従として仕えし者の流を汲むに過ぎず、それ故に田沼は由緒正しき佐野越前守盛綱が筋目、正当なる嫡流の政言が羨ましゅうてならず、それが妬みへと転じて、田沼は…、その小倅の山城めは政言が手柄を横取りするなどと、斯かる嫌がらせに及んだのやも知れぬな…」
治済のその言葉に佐野善左衛門は一々、頷かされた。
治済はそれから、「ああ…」と何かを思い出したかの様な声を上げたかと思うと、
「政言などと、そなたの大事なる諱を軽々しゅう口にして相済まぬことよ…」
佐野善左衛門に謝ってみせた。無論、これもまた佐野善左衛門を取込む為の治済の策略の一環であった。
佐野善左衛門は治済が予期、期待した通りの反応を示してくれた。
「滅相もござりませぬ…、それどころか越中様におかせられましては我が諱にて、お呼び下さりまして、この政言、慶賀の至りにて…」
佐野善左衛門は定信に―、定信を演ずる治済に諱で呼ばれたことが余程に嬉しかったらしい。成程、確かに佐野善左衛門は、
「筋金入りの…」
田安贔屓と言えた。
治済はその後も定信として佐野善左衛門と暫し、歓談に興じた。
そしてそろそろ「密会」が終わりに近付くや、
「いや、今日はそなたと…、政言とこうして心行くまで語合えて、この定信、嬉しく思うぞ…」
治済はまずはそう謝意を口にした上で、
「また、次の機会にもこうして下屋敷にてこの定信と逢うてくれるか?」
次もまた逢いたいと、佐野善左衛門に語りかけたのであった。
それに対して佐野善左衛門も元より否やなどあり得様筈もなく、
「ははぁっ」
佐野善左衛門は即座に平伏してそう応じたのであった。
こうして佐野善左衛門は松平忠香と共に奥座敷より退がると、それを見計らったかの様に別間にて控えていた久田縫殿助と岩本喜内の二人が姿を見せた。
「今日はあの程度で宜しかったので?」
岩本喜内が早速、治済にそう問い掛けた。その問い掛けには、
「もっと強く…、具体的に佐野善左衛門に田沼意知の暗殺を嗾かけても良かったのではないか…」
その思いが込められていた。
治済もそうと察するや、
「いや、今日はあの程度で良いのだ…、初対面でいきなりそこまで踏込んでは、如何に田安贔屓の佐野善左衛門とて二の足を踏むであろうし、ひいては心を離れさせてしまうやも知れぬからのう…」
今はまだその段階ではないと、そう応えたのであった。
これには久田縫殿助も同感であったので、「御意…」と応えた。
治済は久田縫殿助に対して頷いて見せた上で、
「されば次は村上にも繋ぎを取らねばならぬな…」
田沼家臣、それも意知の取次役でありながら、その実、一橋治済と密かに通ずる村上半左衛門重勝の名を口にした。
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