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松平定信に扮した一橋治済は更に佐野善左衛門を嗾(けしか)ける。

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「それよりもいま山城おきともめの暗殺あんさつ注力ちゅうりょくしたい…」

 治済はるさだがそうげると、久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きない同時どうじに「ははぁっ」とおうじた。

明日あすは15日…、されば月次御礼つきなみおんれいなれば村上むらかみ半左衛門はんざえもんまいるであろうぞ…」

 月次御礼つきなみおんれいをはじめとする式日しきじつには村上むらかみ半左衛門はんざえもんはここからはなさきにある田沼家たぬまけ上屋敷かみやしき脱出ぬけだし、ここ一橋ひとつばし屋敷やしきまいっては、留守るすあずかる久田ひさだ縫殿助ぬいのすけや、あるいは岩本いわもと喜内きないなどに田沼家たぬまけ内情ないじょう告口リークするのを「日課にっか」としていた。

 月次御礼つきなみおんれいをはじめとする式日しきじつにはいつもは交替こうたい御城えどじょう登城とじょうする三卿さんきょう家老かろう二人ふたりそろって登城とじょうする。

 つまりは式日しきじつにおいては家老かろう屋敷やしき留守るすにするのだ。

 ここ一橋ひとつばし屋敷やしきれいれば、式日しきじつにははやし忠篤ただあつともに、

なにかと小煩こうるさい…」

 水谷勝富みずのやかつとみ屋敷やしき留守るすにするというわけで、そこで村上むらかみ半左衛門はんざえもん水谷勝富みずのやかつとみにせずに、屋敷やしきおとずれることが出来できる。

「されば明日あす村上むらかみ半左衛門はんざえもんまいったならば、かえるまで、ここ大奥おおおくにて半左衛門はんざえもん足止あしどめしておけ…」

 治済はるさだ久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きないにそうめいじた。

 たしてその翌日よくじつの12月15日、治済はるさだ予期よきしたとおり、村上むらかみ半左衛門はんざえもん一橋ひとつばし屋敷やしきまいったので、岩本いわもと喜内きない村上むらかみ半左衛門はんざえもん大奥おおおくへと案内あんないした。

 そこで岩本いわもと喜内きない村上むらかみ半左衛門はんざえもんたいして、

上様うえさま…、主君しゅくん治済はるさだ貴殿きでんいたがっているので、主君しゅくんかえるまでここでつように…」

 治済はるさだよりの言伝ことづてたくしたものだから半左衛門はんざえもん狂喜きょうきした。

 治済はるさだ家老かろうはやし忠篤ただあつ水谷勝富みずのやかつとみとも屋敷やしき帰邸きていしたのはひるの四つ半(午前11時頃)を四半刻しはんとき(約30分)もまわったころであった。

 月次御礼つきなみおんれいは昼四つ(午前10時頃)を四半刻しはんとき(約30分)もぎたころよりはじまり、将軍しょうぐんはまずは中奥なかおく御座之間ござのまにて三卿さんきょうとの拝謁はいえつのぞむ。

 つまり治済はるさだにしてみれば最初さいしょ将軍しょうぐんえるというわけだ。

 いや、いまはそこに次期じき将軍しょうぐん家斉いえなりふくまれていた。治済はるさだ家治いえはるとそれに我子わがこである家斉いえなりった次第しだいである。

 治済はるさだはすると、もうようんだ、長居ながい無用むようとばかり下城げじょうし、そして帰邸きていおよんだのであった。それがひるの四つ半(午前11時頃)を四半刻しはんとき(約30分)もまわったころであった。

 そのまえ村上むらかみ半左衛門はんざえもんがここ一橋ひとつばし屋敷やしきもんくぐったわけで、家老かろうはやし忠篤ただあつもとより、水谷勝富みずのやかつとみさえも村上むらかみ半左衛門はんざえもん来邸らいていらず、いや、だからこそはやし忠篤ただあつ水谷勝富みずのやかつとみ、とりわけ勝富かつとみさえもあしれられぬ「大奥おおおく」にて村上むらかみ半左衛門はんざえもんたせておいたのだ。

 そこで治済はるさだ村上むらかみ半左衛門はんざえもん面会めんかいおよんだ。

 村上むらかみ半左衛門はんざえもんとは久方ひさかたぶりであった。

 治済はるさだ村上むらかみ半左衛門はんざえもん手懐てなずけるにさいしては無論むろんひそかにだが半左衛門はんざえもん面会めんかいおよぶこと度々たびたびであったが、ここ数年すうねんは、こと家基いえもといやってからはじかうことはなかった。

 それが久方ひさかたぶりにったわけで、村上むらかみ半左衛門はんざえもんおおいによろこんだのも当然とうぜんであった。

 なにしろ大名だいみょう陪臣ばいしん分際ぶんざい三卿さんきょううなどとは、本来ほんらいはありないことであるからだ。

久方ひさかたぶりよのう…、いや、この治済はるさだ半左衛門はんざえもんおう、おうとはいつもおもうておったのだが、中々なかなかにその機会きかいめぐまれなくてのう…、いや、まなんだ…」

 治済はるさだ半左衛門はんざえもんに「無沙汰ぶさた」をびて半左衛門はんざえもんおおいに恐縮きょうしゅくさせた。

勿体もったいきお言葉ことば…」

 半左衛門はんざえもん感動かんどうあまり、こえふるわせた。

「おお、ちょうど昼餉ひるげ頃合故ころあいゆえ湯漬ゆづけでも…」

 治済はるさだはそうげると、真横まよこふすまかって拍手かしわでおくった。

 するとその瞬間しゅんかん、まるで「自動じどうドア」のようふすま左右さゆうひらかれたかとおもうと、これまた治済はるさだの「懐刀ふところがたな」とも言うべき侍女じじょひなかおのぞかせた。ひな両手りょうてでもってぜんかかげており、それを半左衛門はんざえもんまえくと、足早あしばやにその退がり、ふすまふたたび、「自動じどうドア」よろしくじられた。

「ささっ、遠慮えんりょなくしょくするがかろう…」

 半左衛門はんざえもん治済はるさだにそうすすめられても流石さすが躊躇ちゅうちょした。勿論もちろんどくでもはいっているのではないかと、そううたがっているわけではない。

 三卿さんきょうまえにして、たして昼餉ひるげにありついてもいものかと、それを躊躇ちゅうちょしていたのだ。

 治済はるさだ半左衛門はんざえもんのそのよう胸中きょうちゅうようかった。

 それでも治済はるさだはそのうええて、

「なに、どくなどはいってはおらぬゆえ心安こころやすしょくするがかろう…」

 そのような「冗談ジョーク」をばしてみせた。いや治済はるさだ場合ばあいけっして「冗談ジョーク」にはこえないうらみがあった。

 ともあれ半左衛門はんざえもんは、「いえ、けっして左様さようなことをうたがもうしているわけでは…」とあわてた様子ようすでそう否定ひていしてみせた。

かっておるわ。いまのはほんの戯言ざれごとぎぬわ…、半左衛門はんざえもんがこの治済はるさだ遠慮えんりょして昼餉ひるげしょくするのを躊躇ためろうておることぐらい、この治済はるさだとてからぬではない…、なれどまこと、この治済はるさだかまわず昼餉ひるげしょくするがかろう…、さっ、めぬうちに…」

 治済はるさだにそうまですすめられては、これ以上いじょう拝辞はいじかえって無礼ぶれいたるので、半左衛門はんざえもんは「それでは遠慮えんりょのう…」とはしった。

 こうして半左衛門はんざえもん昼餉ひるげけると、治済はるさだは「そうそう…」と半左衛門はんざえもんこえをかけた。

べながらでかまわぬのでいてしいことがあるのだが…、半左衛門はんざえもん佐野さの善左衛門ぜんざえもんなるおとこ聞覚ききおぼえがあるかのう…」

 治済はるさだにそうこえをかけられた半左衛門はんざえもんはそれでも一応いちおう礼儀れいぎとしてはしくと、その反芻はんすうした。半左衛門はんざえもんには聞覚ききおぼえのあるであり、やがて「ああ…」とこえげると、

「もしや、新番しんばん佐野さの善左衛門ぜんざえもんのことにて?」

 半左衛門はんざえもん治済はるさだたしかめるようたずねた。

左様さよう…、やはりぞんじておったか…」

「はぁ…、なにしろ新番しんばんであるにもかかわらず、いきなり布衣ほいやくの、それも花形はながたとももうすべき小普請こぶしんぐみ支配しはいあるいは新番頭しんばんがしらしょくのぞんだものにて…」

 意知おきともにそう陳情ちんじょうしたものだから、意知おきともも、それに陳情ちんじょう取次とりついだおのれ流石さすがあきれたことがあり、それゆえ、そのおぼえていたと、半左衛門はんざえもん治済はるさだにそう打明うちあけた。

「して、その佐野さの善左衛門ぜんざえもん如何いかがいたしましたので?」

 半左衛門はんざえもん治済はるさだ真意しんいたずいねた。

「うむ…、さればそうとおくないうちに、また佐野さの善左衛門ぜんざえもん半左衛門はんざえもんもとへと…、いや…、田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへと陳情ちんじょう出向でむかせるゆえ、そのおりには半左衛門はんざえもん佐野さの善左衛門ぜんざえもん相手あいてをしてやってはくれまいか…」

相手あいてを…、それはわたくしめが佐野さの善左衛門ぜんざえもん主君しゅくん山城やましろ取次とりつげとおおせにて?」

いや、そのぎゃくぞ…」

ぎゃく?」

左様さよう…、主君しゅくん山城やましろいたくはないと、左様さよう佐野さの善左衛門ぜんざえもんつめたく、あしらってしいのだ…」

「そはまた、如何いかに…」

 くびかしげる村上むらかみ半左衛門はんざえもんたいして、治済はるさだはその「真意しんい」を半左衛門はんざえもんに「耳打みみうち」した。

 それから治済はるさだ半左衛門はんざえもんの「密談みつだん」は一刻いっとく(約2時間)にもおよび、半左衛門はんざえもんは、

れいごとく…」

 ここ大奥おおおくより一橋ひとつばし屋敷やしき脱出ぬけだし、田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへともどった。

 それから6日後の12月21日、将軍しょうぐん家治いえはる今度こんどみなみ本所新田ほんじょしんでんへと鷹狩たかがりにおもむいたので、治済はるさだもそのわせてふたたび、松平まつだいら定信さだのぶふんして田安たやす下屋敷しもやしきにて佐野さの善左衛門ぜんざえもんった。

本日ほんじつは…、本日ほんじつ上様うえさま放鷹ほうよう扈従こしょうせし新番組しんばんぐみは1番組ばんぐみと2番組故ばんぐみゆえ、3番組ばんぐみぞくせしそなたはつぎ放鷹ほうよう扈従こしょうすることになるのう…」

 治済はるさだ善左衛門ぜんざえもんにそうかたりかけた。

 如何いかにもそのとおりであり、善左衛門ぜんざえもんは「御意ぎょい…」とおうじた。

 今日きょう鷹狩たかがりおいては新番しんばんよりは1番組ばんぐみと2番組ばんぐみ出動しゅつどう扈従こしょうしていたので、順番じゅんばんしたがえばつぎ鷹狩たかがりにおいては新番しんばんよりは3番組ばんぐみと4番組ばんぐみ扈従こしょうする予定よていであった。

いや…、今日きょうはもう、師走しわすの21日ゆえ今年ことしはもう、鷹狩たかがりはないやもれぬな…」

 たしかに、つぎ鷹狩たかがりまでは10日以上のがあった。

「だとするならばつぎ来年らいねん…、ともうしても、もう二週間にしゅうかんもないがの…、正月しょうがつ鷹狩たかがりはじめになるかのう…」

 これもまた治済はるさだの言うとおりであった。

 正月しょうがつのそれも大抵たいていは4日に鷹狩たかがりはじめ、つまりは将軍しょうぐん今年ことしはじめての鷹狩たかがりがもよおされる。

 今年ことし、天明3(1783)年も正月しょうがつ4日に鷹狩たかがりの「スポット」とも言うべき木下川きねがわほとりにて鷹狩たかがりはじめ挙行きょこうされた。

 そして鷹狩たかがりはじめすべての番方ばんかたが、つまりは大番おおばん書院番しょいんばん小姓こしょう組番ぐみばん新番しんばん小十人こじゅうにん組番ぐみばん所謂いわゆる番方ばんかた参加さんかすることになる。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんぞくする新番しんばんれいるならば本来ほんらい扈従こしょうする3番組ばんぐみと4番組ばんぐみだけではない、5番組ばんぐみや6番組ばんぐみさらには以前いぜん扈従こしょうしたばかりの1番組ばんぐみや2番組ばんぐみふたた扈従こしょうすることになる。

「されば…、鷹狩たかがりはじめともなれば、いつも以上いじょううでるともうすものであろう?」

 善左衛門ぜんざえもん治済はるさだにそうみずけられたので、「御意ぎょい」と即答そくとうした。

 一々いちいちもっともであった。番方ばんかた…、武官ぶかんであるうえ鷹狩たかがり、それも大番おおばんまでが参加さんかする鷹狩たかがりはじめともなれば、いつも以上いじょううでるというものである。

 普段ふだん鷹狩たかがりにおいては大番おおばん参加さんかすることは滅多めったにない。いや、ないと断言だんげんしてもかろう。

 だが鷹狩たかがりはじめにおいてはその大番おおばんまでが、それも上方在番かみがたざいばんによりこの江戸えど留守るすにしているくみのぞすべてのくみ参加さんかするのだ。

 つまりは鷹狩たかがりはじめ普段ふだん鷹狩たかがりよりも「参加者ギャラリー」がおおいというわけで、そんななか活躍かつやくすれば、よう獲物えもの仕留しとめられれば、将軍しょうぐんおのれ存在そんざいをアピール、印象付いんしょうづけられるというもので、それはそのまま立身出世りっしんしゅっせつながるやもれなかった。

「また、供弓ともゆみえらばれればいがのう…」

 治済はるさだはしみじみとした口調くちょうでそう言った。

 たしかに、将軍しょうぐんおのれ存在そんざいをアピールするには供弓ともゆみえらばれるのが一番いちばんであった。

 供弓ともゆみとして将軍しょうぐんぜんにて見事みごと獲物えもの仕留しとめてせればこれにまさるものはない。

 だがそう容易たやす供弓ともゆみえらばれるものではない。

 供弓ともゆみえらばれたいと、そう希望きぼうするのは佐野さの善左衛門ぜんざえもんかぎらないからだ。

 それどころか番士ばんしであればだれもがみな供弓ともゆみえらばれたいとねがうであろう。供弓ともゆみとはそれほどまでに「花形はながた」と言えた。

 さてそこで佐野さの善左衛門ぜんざえもん場合ばあいであるが、ふたた供弓ともゆみえらばれるかとわれれば、その可能性かのうせいかぎりなくひくかった。いや、それどころか「ゼロ」と言えよう。

 なにしろ前回ぜんかい前々回ぜんぜんかいの12月3日の木下川きねがわほとり鷹狩たかがりにおいて佐野さの善左衛門ぜんざえもん名誉めいよある供弓ともゆみえらばれたにもかかわらず、将軍しょうぐん家治いえはるぜんにおいて無様ぶざま醜態しゅうたいさらしたからだ。

 そのよう佐野さの善左衛門ぜんざえもんふたた供弓ともゆみえらばれるとは、それも鷹狩たかがりはじめにおける供弓ともゆみえらばれるとは到底とうていおもわれなかった。

 それは善左衛門ぜんざえもん自身じしん一番いちばん自覚じかくしているところであった。

「さればどうであろうかのう…、そなたはすすまぬであろうが、このさい山城おきともめに挨拶あいさつをしては…」

「えっ…、おん若年寄わかどしより田沼たぬまさまに?」

左様さよう…、山城おきともめは成程なるほど如何いかにも前回ぜんかい前々回ぜんぜんかい鷹狩たかがりにおいて、そなたの手柄てがら横取よこどりせし卑劣ひれつかんなれど、上様うえさま寵愛ちょうあいあついこともまた、まぎれもなき事実じじつにて…、さればこのさい山城おきともめに仁義じんぎってはどうかのう…」

供弓ともゆみへの推挙すいきょたまわりたい、と?左様さよう陳情ちんじょうせよとおおせられまするので?」

「うむ…、新番しんばんはそなたもぞんじておろうが若年寄わかどしより支配しはいなれば、供弓ともゆみ選定せんていたって若年寄わかどしより推挙すいきょがあればおおいに役立やくだつであろうぞ…」

 たしかにそのとおりであった。それも若年寄わかどしよりなかでも、

いまをときめく…」

 意知おきとも推挙すいきょがあれば…、具体的ぐたいてきには、

「3番組ばんぐみよりは佐野さの善左衛門ぜんざえもん供弓ともゆみ一人ひとりくわえてやってしい…」

 意知おきともよりそのよう推挙すいきょが3番組ばんぐみになされれば、ほぼまりと言えよう。

「どうだな…、ぜんいそげともうす…、今日きょうというわけにはまいらぬであろうが、明日あすの22日にも田沼家たぬまけおとずれてはどうかのう…」

明日あす、でござりまするか?」

左様さよう…、されば山城おきともめが對客たいきゃく…、登城とじょうまえ陳情ちんじょうきゃく相手あいてをしてやる對客たいきゃく今日きょう21日のあとは25日だけだが、下城げじょう屋敷やしきかえってから陳情ちんじょうきゃく相手あいてをしてやる逢客ほうきゃくかんしては、とくさだめはないゆえにな…、いや明日あすはそなたは当番とうばんであったのう…」

 善左衛門ぜんざえもん明日あす勤務シフトは昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの当番とうばんであったかと、治済はるさだはそれをおもすと、

「されば明日あす無理むりだのう…」

 ひとごとようにそうつぶやいた。

 たしかにそのとおりであった。

 若年寄わかどしより勤務きんむえて下城げじょうするのはどんなにはやくとも昼八つ(午後2時頃)であったからだ。そのとき善左衛門ぜんざえもんすで勤務シフトはいっており、これでは下城げじょう意知おきとも陳情ちんじょうすることは不可能ふかのうであった。

「されば明後日あさってはどうかの…、今日きょう朝番あさばん明日あす当番とうばんともなれば、明後日あさって宵番よいばんなれば…」

 宵番よいばん勤務シフトは宵五つ(午後8時頃)から翌日よくじつの暁八つ(午前2時頃)までであり、成程なるほど、それなら下城げじょう意知おきとも陳情ちんじょうすることも可能かのうであろう。

成程なるほど…、されば明後日あさっての23日にも田沼たぬまさま陳情ちんじょういたしまする…」

 善左衛門ぜんざえもん素直すなおにそうおうずると、治済はるさだも「それがい」とおうじたうえで、

「さればその翌日よくじつ…、24日にもその結果けっかかせてはくれまいかの…」

 善左衛門ぜんざえもんにそう持掛もちかけたのであった。

「えっ?24日に、でござりまするか?」

左様さよう…、23日の昼八つ(午後2時頃)か、あるいはひるの八つ半(午後3時頃)に山城おきともめに陳情ちんじょうえたそなたは宵五つ(午後8時頃)よりつとめにはいるであろう?そしてその翌24日の暁八つ(午前2時頃)までがそなたのつとめであろう…、さればそのあとでぐっすりとやすんでだな、24日の左様さよう今時分いまじぶん…、ひるの八つ半(午後3時頃)にまたここでおうではあるまいか…、陳情ちんじょう結果けっかになるでのう…」

心遣こころづかい、いたりまする…、されば厚意こういあまえまして、明々後日しあさっての24日のひるの八つ半(午後3時頃)にまた、ここで…」

 善左衛門ぜんざえもん素直すなおにそうおうじてくれたので、治済はるさだ満足気まんぞくげうなずいた。
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