23 / 119
御側御用取次の稲葉正明は将軍・家治に対して田安賢丸定信が田安家の後継者に相応しいかどうか、田安家老より意見を聴取することを勧める。
しおりを挟む
さて家治はやはり平伏する溜間詰の3人―、松平肥後守容清と、それに松平隠岐守定靜とその養嗣子の中務大輔定國、その3人の真後ろ、板敷の廊下にて控える「取持」役の意次に、頭を上げる様、命じた。
御側御用取次が取持を担った時に較べて面会人との距離があるので、家治の声は畢竟、大きいものとなる。
それに対して、溜間詰と意次はやはりと言うべきか、家治のその命に対しても唯一人を除いて、
「形だけ…」
頭を上げるに止めた。家治のその将軍としての権威を重んじてのことであった。
だがそれとは正反対に、唯一人、溜間詰の松平定國だけは堂々と、それもさも当然といった態度で頭を上げて家治と向合ったのだ。
どうやら定國は未だ将軍家である田安家の一員であるとの意識が抜け切れてはいない様子であった。
成程、これなら叔父上が定國を田安家から追出したいと考えられたのも無理はあるまいと、家治は今の定國の態度を目の当たりにして、
「つくづく…」
そう思った。
定國は今以て知らぬであろうが、伊豫松山松平家へと、当主・定靜の養嗣子として迎えられたのは偏に、田安家の当時の当主にしてその始祖である宗武の意向による。
「この宗武には治察なる嫡子がおりまするが、なれど治察は元来、蒲柳の質にて、この宗武が跡目を継がずして先立つことが考えられ、また仮に跡目を継いだとしても、嫡子を生さぬままやはり、夭逝せしことも充分に考えられ、その場合には治察が弟…、この宗武が庶子の豊丸めが跡目を…、田安家の跡目を継ぐことと相成りましょうが、なれど豊丸めはこれまた元来、愚かにて、とても三卿筆頭たる田安家を治めるだけの器量はなく…」
家治は宗武がまだ存命の頃より、それも定國が豊丸なる幼名を名乗っていた頃よりそんな相談を持掛けられていたのだ。
尤も、家治はそれで直ぐに、「はい、そうですか」と応じた訳ではない。
豊丸定國も今はまだ愚かに見えるだけで、時が経てば必ずや叔父上と同じく大成するだろうと、家治はそう宗武を宥めたものである。
だが宗武は家治の心遣いには感謝しつつも、豊丸定國へのその「評価」を変えることはせず、再三、家治に豊丸定國を何処ぞの大名家へと縁組させて欲しい、要は田安家から追出して欲しいと、そう懇請したのであった。
それで家治も遂に折れ、当時、
「然るべき…」
養嗣子を望んでいた伊豫松山松平家の当主・定靜との縁組を調えさせたのであった。
無論、定國当人は今でもこのことを知らぬ。
さて、その定國は家治の将軍としての権威など、お構いなしとばかり、一人、完全に、それも開き直るかの如く頭を上げて家治と向合うや、
「これまた…」
否、今度は家治の将軍としての権威を踏み躙るかの如く、家治に勧められるのを待たずに勝手に話し始めた。即ち、
「只今、溜間における閣議にて、田安賢丸定信めを白河松平家へと養嗣子に出すことで衆議一決致しましてござりまする…」
家治にそう報告した。
家治は定國のその態度を目の当たりにして、
「やはり…、叔父上の評価は正しかったな…」
定國にはとても田安家を治められる器量はなかったなと、そう思い知らされたものである。
それはそうと、家治また、老中が上申しなかったのも、これで頷けた。
これが一般政務に関する事柄であれば、老中が溜間詰に代わって将軍に上申したであろうが、しかし御三卿の事柄ともなると、完全に一般政務の範囲を超えており、溜間詰より自ら、将軍へと上申して貰うより外にはない。
家治は同時に、この案件が定國発案であるとも、直ぐに気付いた。
「定國め…、このままでは賢丸に田安家を継がれてしまうと、それが気に入らずに斯様なる提案を致したに相違あるまいて…」
家治はそうと気付くや、定國の愚かさ、浅ましさに、
「沸々…」
怒りが沸上がり、定國を怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた。
これで余人が、殊に養父の定靜の姿がなくば、家治は定國を一喝、大喝していたところであろう。
だが今は養父・定靜の外に、容清やそれに意次の姿までがこの場にあり、その様な中で家治が定國を一喝、大喝しようものなら、定國当人の面目は元より、その養父の定靜の面目まで潰れることになる。
家治としては定國の面目など、どうなろうとも知ったことではなかったが、しかし定靜の面目まで潰してしまうのは本意ではない。
そこで家治は定國を一喝、大喝するのは何とか堪え、「相分かった…」とだけ応えた。
すると定國はこれを家治が承知したものと早合点したらしく、あからさまに喜色を浮かべたものだから、益々、家治を内心でだが、激昂させ、
「絶対に許してなるものか…」
賢丸定信を白河松平家に養子にはやるまいと、そう決意させたのであった。
家治はそれから再び、御休息之間の下段へと戻ると、そこで御側御用取次やその見習を交えて、今しがた溜間詰が、それも定國が上申した件の審議に入った。無論、家治は拒否するつもりであった。
「定國殿は大方、このままでは弟に…、賢丸君に田安家を継がれてしまう…、言うなれば乗っ取られてしまうと、それが気に入らずに斯かる提案を致したのでござりましょう…」
御側御用取次の一人、白須甲斐守政賢が家治と同じ「見立」を口にした。
ちなみに将軍の御前においては老中であろうとも呼捨てが基本であった。例えば田沼意次であれば、
「主殿頭」
その官職名にて呼捨てにするのが基本であり、その場に意次当人が控えていたとしてもだ。
だが定國の場合、御三卿の筆頭、田安家の血を引いているので、白須政賢も遠慮して、そこで諱にて、「様」よりも一段劣る「殿」という敬称を付けたのであった。御三家と御三卿に限っては将軍の御前においても「殿」という敬称を付けて呼ぶのが仕来りであるからだ。
ともあれ家治も白須政賢のその「見立」に頷くと、
「この家治としては、此度の溜間詰の閣議決定を却下する所存…」
そう断じたのであった。
するとこれにもう一人の御側御用取次である稲葉越中守正明が「待った」をかけた。
「仮にも溜間詰の閣議決定なれば、そう易々と却下あそばされますのは如何なものかと…」
簡単に却下しては溜間詰の権威を疵付けることになると、稲葉正明は家治にそう示唆した。
それに対して家治はと言うと、
「溜間詰の一人、定國の莫迦こそ、余の将軍としての権威を疵付けたではあるまいかっ!」
正明にそう反論、猛反論したいところであったが、それはグッと堪え、代わりに、
「されば如何に取計らえと申すのだ?」
そう問うた。
「ははっ…、されば今しばらく熟議を…」
「熟議と申しても、一体、何を熟議致さば良いと申すのだ?」
余としては今回の溜間詰による閣議決定、正確には定國一人の「我儘」に付合うつもりはないと、家治は正明にそう示唆した。
正明もそうと察してか、まずは「ははっ」と応じてから、
「されば家老の意見を御聞きあそばされましては如何でござりましょう…」
田安家老の意見を聴取してはどうかと、家治にそう勧めたのであった。
「家老の意見とな?」
「御意…」
「したが…、一体、家老より何を聴き出せば良いと申すのだ?」
「ははっ…、されば今の、田安家御当主、大蔵卿治察殿が舎弟、賢丸君が如何に優れた器量の持主か、それを…」
「成程…、要は賢丸が仮にだが、田安家を相続するに相応しいだけの器量があると、家老よりその言質を引出すことが出来れば、その言質を盾に、溜間詰の閣議決定を却下出来るという訳だの?却下せしところで、正当なり理由があらば溜間詰の権威も疵付かぬと…」
「御意…、幸いにも今時分はまだ、家老は詰所にて詰めております筈なれば…」
家治は「相分かった」と正明のこの提案を受容れると早速、田安家老の面会を用意する様、言い出しっぺとも言うべき正明に命じたのであった。
定員が2人の御三卿家老は今日の様な平日においては毎日交代で登城し、ここ中奥にある御三卿家老の詰所に詰め、仮に御三卿も登城し、やはり中奥にあるその詰所である御控座敷に詰めておれば、その御三卿が下城するまで、家老も詰所に居残り、そうでない場合でも昼過ぎまで詰所にて詰めていた。
今はまだ昼前であるので、御三卿家老の、田安家老の姿はある筈であった。
事実、田安家老の一人、山木筑前守正信が他家の家老と共に御三卿家老の詰所にて詰めており、御側御用取次の稲葉正明の取持により、家治は再度、御座之間にて謁見に臨んだ。
尚、今回は御側御用取次の稲葉正明の取持による面会である為に、家治と面会人たる山木正信との距離は近いものであった。
家治は山木正信に対して賢丸定信の器量について尋ねた。やや誘導尋問の嫌いはあるものの、
「仮にだが、今、治察が歿したとして、賢丸には田安家を治めるだけの器量はあるか…」
賢丸定信は田安家の次期当主に相応しいかと、山木正信に尋ねていたのだ。
これに対して山木正信は未だ健在の治察が亡くなったとの前提でのその問いに応えることに流石《さすが》に躊躇う様子を覗かせつつも、
「賢丸君におかせられては必ずや、田安家を立派に治められるだけの御器量かと…」
そう応え、家治を満足させたのであった。
さて、その日の昼過ぎ、一橋家老の設樂兵庫頭貞好は下城するなり、治済に面会を求めた。今日の中奥における情報を治済に伝える為であった。
御三卿家老は単に御三卿の監視役に非ずして、中奥にて情報収集にも努め、それを御三卿に伝えることも大事な任務としていた。
一橋家の場合、相役の家老、田沼能登守意誠が病気がちで登城も出来ぬ有様であり、それ故、この設樂貞好が毎日、一人で登城に及び、中奥にて情報収集にも努めていた。
治済は一橋大奥にて設樂貞好と向かい合うと、その貞好より、田安家老の山木正信が将軍・家治との謁見に臨んだ一件を伝えた。
設樂貞好には僅かだが、嫉妬の色が浮かんでいた。無論、家治に面会出来た山木正信に対する嫉妬心からであった。
治済はそんな設樂貞好に対して、内心、苦笑しつつ、表面ではそれとは裏腹に驚いて見せた。
「ほう…、田安家老が上様とのう…、一体、何の用件であろうかの…」
治済は勿論、家治が何故に田安家老と面会に及んだのか、その理由を知っていた。
それと言うのも、御側御用取次の稲葉正明とは密かに通じていたからだ。
無論、貞好はそうとは知らずに、「さぁ…」と首を傾げた。
治済はそれから貞好を労い、その場より退がらせると、それを見計らって別間より兄にして越前福井藩主の松平越前守重富が顔を覗かせた。
重富は今日もまた、一橋家上屋敷を訪れては、治済の「天下獲り」の為の謀議をここ一橋大奥にて凝らしていたのだ。
「今日が山木筑前が登城の日だとすると、明日が愈々だの…」
明日はもう一人の田安家老、大屋遠江守明薫が登城日であり、そうなれば家治も賢丸定信を田安家の後継者に据えることを考え直すであろうと、重富は弟の治済にそう示唆したのだ。
すると治済も満足気に頷いた。
事実、家治は翌日、登城した田安家老の大屋遠江守明薫の「証言」により、賢丸定信に田安家を相続させることにつき、考え直さざるを得なくなった。
御側御用取次が取持を担った時に較べて面会人との距離があるので、家治の声は畢竟、大きいものとなる。
それに対して、溜間詰と意次はやはりと言うべきか、家治のその命に対しても唯一人を除いて、
「形だけ…」
頭を上げるに止めた。家治のその将軍としての権威を重んじてのことであった。
だがそれとは正反対に、唯一人、溜間詰の松平定國だけは堂々と、それもさも当然といった態度で頭を上げて家治と向合ったのだ。
どうやら定國は未だ将軍家である田安家の一員であるとの意識が抜け切れてはいない様子であった。
成程、これなら叔父上が定國を田安家から追出したいと考えられたのも無理はあるまいと、家治は今の定國の態度を目の当たりにして、
「つくづく…」
そう思った。
定國は今以て知らぬであろうが、伊豫松山松平家へと、当主・定靜の養嗣子として迎えられたのは偏に、田安家の当時の当主にしてその始祖である宗武の意向による。
「この宗武には治察なる嫡子がおりまするが、なれど治察は元来、蒲柳の質にて、この宗武が跡目を継がずして先立つことが考えられ、また仮に跡目を継いだとしても、嫡子を生さぬままやはり、夭逝せしことも充分に考えられ、その場合には治察が弟…、この宗武が庶子の豊丸めが跡目を…、田安家の跡目を継ぐことと相成りましょうが、なれど豊丸めはこれまた元来、愚かにて、とても三卿筆頭たる田安家を治めるだけの器量はなく…」
家治は宗武がまだ存命の頃より、それも定國が豊丸なる幼名を名乗っていた頃よりそんな相談を持掛けられていたのだ。
尤も、家治はそれで直ぐに、「はい、そうですか」と応じた訳ではない。
豊丸定國も今はまだ愚かに見えるだけで、時が経てば必ずや叔父上と同じく大成するだろうと、家治はそう宗武を宥めたものである。
だが宗武は家治の心遣いには感謝しつつも、豊丸定國へのその「評価」を変えることはせず、再三、家治に豊丸定國を何処ぞの大名家へと縁組させて欲しい、要は田安家から追出して欲しいと、そう懇請したのであった。
それで家治も遂に折れ、当時、
「然るべき…」
養嗣子を望んでいた伊豫松山松平家の当主・定靜との縁組を調えさせたのであった。
無論、定國当人は今でもこのことを知らぬ。
さて、その定國は家治の将軍としての権威など、お構いなしとばかり、一人、完全に、それも開き直るかの如く頭を上げて家治と向合うや、
「これまた…」
否、今度は家治の将軍としての権威を踏み躙るかの如く、家治に勧められるのを待たずに勝手に話し始めた。即ち、
「只今、溜間における閣議にて、田安賢丸定信めを白河松平家へと養嗣子に出すことで衆議一決致しましてござりまする…」
家治にそう報告した。
家治は定國のその態度を目の当たりにして、
「やはり…、叔父上の評価は正しかったな…」
定國にはとても田安家を治められる器量はなかったなと、そう思い知らされたものである。
それはそうと、家治また、老中が上申しなかったのも、これで頷けた。
これが一般政務に関する事柄であれば、老中が溜間詰に代わって将軍に上申したであろうが、しかし御三卿の事柄ともなると、完全に一般政務の範囲を超えており、溜間詰より自ら、将軍へと上申して貰うより外にはない。
家治は同時に、この案件が定國発案であるとも、直ぐに気付いた。
「定國め…、このままでは賢丸に田安家を継がれてしまうと、それが気に入らずに斯様なる提案を致したに相違あるまいて…」
家治はそうと気付くや、定國の愚かさ、浅ましさに、
「沸々…」
怒りが沸上がり、定國を怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られた。
これで余人が、殊に養父の定靜の姿がなくば、家治は定國を一喝、大喝していたところであろう。
だが今は養父・定靜の外に、容清やそれに意次の姿までがこの場にあり、その様な中で家治が定國を一喝、大喝しようものなら、定國当人の面目は元より、その養父の定靜の面目まで潰れることになる。
家治としては定國の面目など、どうなろうとも知ったことではなかったが、しかし定靜の面目まで潰してしまうのは本意ではない。
そこで家治は定國を一喝、大喝するのは何とか堪え、「相分かった…」とだけ応えた。
すると定國はこれを家治が承知したものと早合点したらしく、あからさまに喜色を浮かべたものだから、益々、家治を内心でだが、激昂させ、
「絶対に許してなるものか…」
賢丸定信を白河松平家に養子にはやるまいと、そう決意させたのであった。
家治はそれから再び、御休息之間の下段へと戻ると、そこで御側御用取次やその見習を交えて、今しがた溜間詰が、それも定國が上申した件の審議に入った。無論、家治は拒否するつもりであった。
「定國殿は大方、このままでは弟に…、賢丸君に田安家を継がれてしまう…、言うなれば乗っ取られてしまうと、それが気に入らずに斯かる提案を致したのでござりましょう…」
御側御用取次の一人、白須甲斐守政賢が家治と同じ「見立」を口にした。
ちなみに将軍の御前においては老中であろうとも呼捨てが基本であった。例えば田沼意次であれば、
「主殿頭」
その官職名にて呼捨てにするのが基本であり、その場に意次当人が控えていたとしてもだ。
だが定國の場合、御三卿の筆頭、田安家の血を引いているので、白須政賢も遠慮して、そこで諱にて、「様」よりも一段劣る「殿」という敬称を付けたのであった。御三家と御三卿に限っては将軍の御前においても「殿」という敬称を付けて呼ぶのが仕来りであるからだ。
ともあれ家治も白須政賢のその「見立」に頷くと、
「この家治としては、此度の溜間詰の閣議決定を却下する所存…」
そう断じたのであった。
するとこれにもう一人の御側御用取次である稲葉越中守正明が「待った」をかけた。
「仮にも溜間詰の閣議決定なれば、そう易々と却下あそばされますのは如何なものかと…」
簡単に却下しては溜間詰の権威を疵付けることになると、稲葉正明は家治にそう示唆した。
それに対して家治はと言うと、
「溜間詰の一人、定國の莫迦こそ、余の将軍としての権威を疵付けたではあるまいかっ!」
正明にそう反論、猛反論したいところであったが、それはグッと堪え、代わりに、
「されば如何に取計らえと申すのだ?」
そう問うた。
「ははっ…、されば今しばらく熟議を…」
「熟議と申しても、一体、何を熟議致さば良いと申すのだ?」
余としては今回の溜間詰による閣議決定、正確には定國一人の「我儘」に付合うつもりはないと、家治は正明にそう示唆した。
正明もそうと察してか、まずは「ははっ」と応じてから、
「されば家老の意見を御聞きあそばされましては如何でござりましょう…」
田安家老の意見を聴取してはどうかと、家治にそう勧めたのであった。
「家老の意見とな?」
「御意…」
「したが…、一体、家老より何を聴き出せば良いと申すのだ?」
「ははっ…、されば今の、田安家御当主、大蔵卿治察殿が舎弟、賢丸君が如何に優れた器量の持主か、それを…」
「成程…、要は賢丸が仮にだが、田安家を相続するに相応しいだけの器量があると、家老よりその言質を引出すことが出来れば、その言質を盾に、溜間詰の閣議決定を却下出来るという訳だの?却下せしところで、正当なり理由があらば溜間詰の権威も疵付かぬと…」
「御意…、幸いにも今時分はまだ、家老は詰所にて詰めております筈なれば…」
家治は「相分かった」と正明のこの提案を受容れると早速、田安家老の面会を用意する様、言い出しっぺとも言うべき正明に命じたのであった。
定員が2人の御三卿家老は今日の様な平日においては毎日交代で登城し、ここ中奥にある御三卿家老の詰所に詰め、仮に御三卿も登城し、やはり中奥にあるその詰所である御控座敷に詰めておれば、その御三卿が下城するまで、家老も詰所に居残り、そうでない場合でも昼過ぎまで詰所にて詰めていた。
今はまだ昼前であるので、御三卿家老の、田安家老の姿はある筈であった。
事実、田安家老の一人、山木筑前守正信が他家の家老と共に御三卿家老の詰所にて詰めており、御側御用取次の稲葉正明の取持により、家治は再度、御座之間にて謁見に臨んだ。
尚、今回は御側御用取次の稲葉正明の取持による面会である為に、家治と面会人たる山木正信との距離は近いものであった。
家治は山木正信に対して賢丸定信の器量について尋ねた。やや誘導尋問の嫌いはあるものの、
「仮にだが、今、治察が歿したとして、賢丸には田安家を治めるだけの器量はあるか…」
賢丸定信は田安家の次期当主に相応しいかと、山木正信に尋ねていたのだ。
これに対して山木正信は未だ健在の治察が亡くなったとの前提でのその問いに応えることに流石《さすが》に躊躇う様子を覗かせつつも、
「賢丸君におかせられては必ずや、田安家を立派に治められるだけの御器量かと…」
そう応え、家治を満足させたのであった。
さて、その日の昼過ぎ、一橋家老の設樂兵庫頭貞好は下城するなり、治済に面会を求めた。今日の中奥における情報を治済に伝える為であった。
御三卿家老は単に御三卿の監視役に非ずして、中奥にて情報収集にも努め、それを御三卿に伝えることも大事な任務としていた。
一橋家の場合、相役の家老、田沼能登守意誠が病気がちで登城も出来ぬ有様であり、それ故、この設樂貞好が毎日、一人で登城に及び、中奥にて情報収集にも努めていた。
治済は一橋大奥にて設樂貞好と向かい合うと、その貞好より、田安家老の山木正信が将軍・家治との謁見に臨んだ一件を伝えた。
設樂貞好には僅かだが、嫉妬の色が浮かんでいた。無論、家治に面会出来た山木正信に対する嫉妬心からであった。
治済はそんな設樂貞好に対して、内心、苦笑しつつ、表面ではそれとは裏腹に驚いて見せた。
「ほう…、田安家老が上様とのう…、一体、何の用件であろうかの…」
治済は勿論、家治が何故に田安家老と面会に及んだのか、その理由を知っていた。
それと言うのも、御側御用取次の稲葉正明とは密かに通じていたからだ。
無論、貞好はそうとは知らずに、「さぁ…」と首を傾げた。
治済はそれから貞好を労い、その場より退がらせると、それを見計らって別間より兄にして越前福井藩主の松平越前守重富が顔を覗かせた。
重富は今日もまた、一橋家上屋敷を訪れては、治済の「天下獲り」の為の謀議をここ一橋大奥にて凝らしていたのだ。
「今日が山木筑前が登城の日だとすると、明日が愈々だの…」
明日はもう一人の田安家老、大屋遠江守明薫が登城日であり、そうなれば家治も賢丸定信を田安家の後継者に据えることを考え直すであろうと、重富は弟の治済にそう示唆したのだ。
すると治済も満足気に頷いた。
事実、家治は翌日、登城した田安家老の大屋遠江守明薫の「証言」により、賢丸定信に田安家を相続させることにつき、考え直さざるを得なくなった。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末
松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰
第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。
本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。
2025年11月28書籍刊行。
なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる