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トリカブト ~小笠原信喜は小石川薬園は西北側半分の中にある己の中屋敷にてトリカブトを栽培することを一橋治済に提案する~
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翌日の3月13日、天野敬登と峯岸瑞興の2人はオランダ商館医、カール・ペーテル・ツュンベリーとの面会の結果を、即ち、
「河豚毒とトリカブトの毒を掛合わせれば、遅効性の毒となる」
その結果を一橋治済へと伝えた。
但し、直接ではない。
治済は天野敬登と峯岸瑞興には一橋家上屋敷へと足を運ぶのを禁じていたからだ。
これでスマホでもあれば、態々、報告の為だけに治済の許へと足を運ばずとも、スマホ一つで事足りる。
だが生憎とこの時代、スマホの様な便利な通信機器はそれこそ、
「影も形も…」
見当たらず、直に足を運ぶ必要があった。
そこで遊佐信庭が間に立った。
即ち、天野敬登と峯岸瑞興の2人は御城へと登城すると、番医師の詰所とも言うべき医師溜に詰め、そこで同じく番意思の遊佐信庭と合流すると、件の結果を信庭に伝えたのであった。
遊佐信庭はそれを受けて、本丸書院番1番組の番士である清水平三郎時良の許へと足を運んだ。
遊佐信庭はこの清水平三郎が実の叔母―、平三郎が父、清水左兵衛時庸が実妹の岡村の手によって育てられたのだ。
遊佐信庭は養母、岡村の甥に当たる清水平三郎に天野敬登と峯岸瑞興の2人から伝え聞いた件の結果を清水平三郎へと更に伝え、そうすることで清水平三郎を一橋家上屋敷へと足を運ばせたのであった。
清水平三郎が叔母の岡村は今でも一橋家の侍女、それも老女として仕えているので、その平三郎が叔母の岡村に逢うべく一橋家へと足を運んだところで不自然ではない。
否、それを言うなら遊佐信庭とて岡村に育てられた訳だから、
「養母、岡村に逢うべく…」
その口実にて一橋家上屋敷へと足を運んだところで何ら不自然ではない。
だが今―、家基暗殺を控えた今は遊佐信庭としては一橋家上屋敷の門を潜るのは遠慮しなければならなかった。やはり治済によって禁じられていたからだ。
それと言うのも一橋家には家老の設樂貞好の目が光っていたからだ。
遊佐信庭が―、公儀表番医師の遊佐信庭が一橋家上屋敷を訪れれば、その設樂貞好の目に留まらないとも限らず、そうなれば将軍・家治へと報告されないとも、これまた限らない。
その場合、家治は遊佐信庭が一橋家上屋敷を訪れたことから、
「治済めはやはり、家基を暗殺…、それも遊佐信庭は医師であることから察しても、毒殺を…、信庭を使嗾しての毒殺を企んでいるのであろうぞ…」
そう思いを強くするに違いない。
無論、それは治済の考え過ぎというものかも知れないが、しかし治済としては今は少しでも家基暗殺計画に支障を生じさせる危険性のある事態は取除いておきたかった。
天野敬登と峯岸瑞興の2人は元より、遊佐信庭も一橋家上屋敷へと足を運ばれては、治済にしてみれば正に、
「家基暗殺計画に支障を生じさせる危険性…」
それを孕んでいたので、そこで出入りを差止めたのであった。
さて、清水平三郎は遊佐信庭からの伝言を携えて、一橋家上屋敷を訪れ、叔母の岡村に逢うと、そこで遊佐信庭からの伝言、即ち、
「河豚毒とトリカブトの毒を掛合わせれば遅効性の毒となる…」
天野敬登と峯岸瑞興の2人から治済宛のその言伝を託したのであった。
かくして岡村から治済へとその言伝が伝ったのであった。
治済はその量、及び遅効性を発揮する時間についても岡村に糺したが、
「こまでは分からない…」
それが天野敬登と峯岸瑞興の「回答」であった。
「左様か…、とりあえずは附子を何処から手に入れるかだの…」
河豚毒の入手は比較的容易だが、しかしトリカブトともなるとそうはいかず、治済は悩んだ。
そんな治済に手を差伸べたのが誰あろう、小笠原若狭守信喜であった。
小笠原信喜は今、本丸御側衆から西之丸の御側御用取次へと転身を遂げ、且つ、単なる治済の「ファン」から「共犯者」へと変貌を遂げていた。
話は去年の安永4(1775)年2月に遡る。
将軍・家治から冷遇され続けていた小笠原信喜はこの年の2月に本丸御側衆の職を辞した。
それだけならば信喜が治済の「共犯者」―、家基暗殺計画の「共犯者」へと変貌を遂げることはなかったであろう。
転機が訪れたのは11月のことであった。西之丸小姓を勤めていた息・小笠原大隅守信賢に先立たれたのだ。
先に「共犯者」に仕立てておいた西之丸御側御用取次の佐野右兵衛尉茂承よりこの、小笠原信賢病死の事実を報された治済はこれを、
「小笠原信喜を共犯者に仕立てる、またとない機会…」
そう捉えると、倅に先立たれて傷心の信喜の許へと足を運んだ。
治済は家老の設樂貞好の目を盗んで―、貞好が御城へと登城し、一橋家上屋敷を留守にしている間に、密かに上屋敷を脱出し、六番町にある小笠原信喜の屋敷へと足を運び、そこで信喜に「お悔やみ」を述べるや、
「信賢はどうやら、大納言様に苛め殺されたらしいのだ…」
そう吹込んだのだ。
無論、そんな事実はない。
だが期待していた倅に先立たれて冷静な判断力を喪失していた信喜は治済の話に飛付いた。
「そは…、真実でござりまするか…」
信喜は治済に縋る様に聞返した。
「真実ぞ…、これは西之丸御側御用取次の佐野茂承から聞いた話なのだが…」
治済はそう切出すと、
「家基は小笠原信賢のことが気に入らず、そこで自がお気に入りである、御伽の水野本次郎貞利と津田金之丞信久、それに信賢とは相役の西之丸小姓、水上織部正正信、この3人を嗾けて、信賢を苛めさせたのだ…」
信喜にそう吹込んだのだ。
治済はその上で、
「本来ならば西之丸目附が斯かる苛めを取締まるべきところ、目附の一人、田沼市左衛門意致までが家基の歓心を買おうと、苛めに加担する始末にて…、これでは外の者も、吾も、吾もとばかり、苛めの連鎖が起こり…、否、御側御用取次の佐野茂承などは苛めを止めさせようとしたのだが、これを相役の水上美濃守興正に止められ…、興正は水上正信が実父にて、倅の苛めも…、家基に嗾けられての苛めも見て見ぬフリを決込み…、否、本来なれば御側御用取次として家基を諫めねばならない立場であるにもかかわらず、だ…、それを水上興正は家基の不興を買うのを恐れて、家基を諫めるどころか、その背中を押す始末にて、無論、倅の正信には家基の歓心を買うべく、存分に小笠原信賢を甚振るが良かろうと、左様、唆す始末にて、これでは外の者も、吾も吾もと、信賢への苛めに加担せしも当然であろうぞ…、何しろ、信賢への苛めには家基の御墨付があるのだからな…、否、佐野茂承などは家基を諫めたそうだが、それが原因で茂承は遠ざけられてしもうたそうな…」
信喜にそう虚言を重ねて、信喜の心の奥底に家基に対する殺意を芽生えさせたのであった。
治済もそんな信喜の心の変化を見逃さず、
「そこでだ信喜よ、一つ、信賢の…、家基めの所為で無念の死を、早死にを遂げた、否、無理やり遂げさせられた、それこそ家基めに殺されたも同然の息・信賢が仇を取ろうではあるまいか…」
信喜にそう持掛けたのであった。
これで信喜は治済の「共犯者」へと変貌を遂げたのであった。
爾来、信喜は治済の忠実なる「共犯者」として振舞い、その手始めに西之丸御側御用取次に着任した。
これは治済の指図による。
家基暗殺計画を遂行する上では佐野茂承の外にも今一人、西之丸に、それも御側御用取次という家基の側近中の側近に「刺客」を送込めば、
「より確実に…」
家基の首級を獲れるからだ。
そこで治済は本丸御側御用取次の稲葉正明を使嗾、正明より将軍・家治へと、
「今は寄合にて待命中の小笠原信喜を西之丸御側御用取次に取立てられては…」
そう進言させたのであった。
家治は成程、小笠原信喜のことが気に入らず、そこで信喜を冷遇して病気辞任へと追込んだ訳だが、しかし倅の信賢に先立たれたことは気の毒に思っていた。
そこで家治は信賢を病気辞任に追込んでしまったことへの、
「せめてもの罪滅ぼし…」
という訳でもないが、正明のその進言を聞届けて小笠原信喜をまずは西之丸の御側衆、平御側へと返咲かせたのであった。
如何に将軍・家治の力を以てしても、それまで寄合、無役であった小笠原信喜をいきなり、御側衆の筆頭である御用取次へと返咲かせるのは不可能であった。まずは平御側、次いで御用取次へ、という段階を踏まねばならず、それは治済にしても承知していた。
それが去年の12月のことであり、念願の御用取次に取立てられたのはその翌年、つまりは今年、安永5(1776)年2月のことであった。
小笠原信喜は今年の2月に御側衆の筆頭たる御用取次に着任するや、愈々、治済の為に本格的に動き出した。
まずは西之丸書院番は3番組の番頭である酒井對馬守忠美を治済の「陣営」へと引入れた。
酒井忠美が嫡子、榮之助忠宣は小笠原信喜が娘婿―、正確には信喜の末娘が榮之助と婚を約した段階に過ぎないが、それでも信喜はその所縁を頼りに酒井忠美を治済の「陣営」へと引入れるのに成功した。
否、酒井忠美とて、ただそれだけならば―、倅を介して小笠原信喜と所縁があると、それだけに過ぎないならば、如何にその信喜からの「勧誘」とは申せ、治済の「陣営」に馳せ参ずることはなかったであろう。
だが実際には、「それだけ」ではなかったのだ。
即ち、酒井忠美は去年の、それも信喜がまずは西之丸の平御側に取立てられたその翌月の閏12月に今の西之丸書院番は3番組の番頭に着任したのであるが、それまでは本丸にて小姓番頭を、それも5番組の番頭を勤めていたのだ。
それが去年の閏12月に本丸小姓組番頭から西之丸書院番頭へと異動、遷任を果たした為に、結果として今年の4月に予定されている将軍・家治の日光社参には扈従出来ないことになってしまった。
日光社参の扈従の列に西之丸役人の「出番」はなかった。それ故、酒井忠美は、
「異動がもう少し遅かったならば…、せめて日光社参の後であれば…」
本丸小姓組番頭として日光社参に扈従出来たものをと、大いに悔しがった。
事実、酒井忠美の後任として、本丸小姓組番頭に、3番組の番頭に着任した小堀河内守政弘は日光社参の扈従の列に加えられていた。
そこで小笠原信喜は酒井忠美のその「悔い」に巧みに入り込んだ。要は、
「将軍・家治は忠美が嫌いで、そこで日光社参に扈従させない為に、態々、日光社参の直前に西之丸へと、書院番頭として左遷したのだ…」
忠美にそう吹込んだのだ。
これに対して忠美もこの時、やはり判断力を喪失させており、信喜のその「虚言」を真に受けたのだ。
こうして忠美は家治への憎しみを募らせ、治済の「陣営」へと走った。
信喜は治済に成代わり、忠美以外にも日光社参に扈従出来なかった者に声をかけては治済の「陣営」へと引入れ、それが無理でも「治済ファン」、「治済シンパ」へと仕立て上げた。
その信喜が今度はトリカブトの栽培地として中屋敷を提供することを治済に持掛けたのであった。
「そなたが中屋敷、とな?」
「御意…、さればこの信喜が中屋敷は都合の良いことに小石川の薬園内にて…」
「何と…」
「具体的には芥川長春が管理せし西北側の中に…」
小石川薬園奉行は代々、岡田家と芥川家の世襲の御役であり、それも東南側半分を岡田家が、西北側半分を芥川家が夫々、奉行として管理していた。
小笠原信喜の中屋敷はその内、芥川家が管理する西北側半分、その一角にあった。
「されば芥川長春を…、今の芥川家の当主、薬園奉行の芥川長春元珍めを抱込むことが出来れば、芥川長春めにトリカブトを栽培、育成させることも可能かと…」
信喜のその提案に治済は大いに心動かされた。
「河豚毒とトリカブトの毒を掛合わせれば、遅効性の毒となる」
その結果を一橋治済へと伝えた。
但し、直接ではない。
治済は天野敬登と峯岸瑞興には一橋家上屋敷へと足を運ぶのを禁じていたからだ。
これでスマホでもあれば、態々、報告の為だけに治済の許へと足を運ばずとも、スマホ一つで事足りる。
だが生憎とこの時代、スマホの様な便利な通信機器はそれこそ、
「影も形も…」
見当たらず、直に足を運ぶ必要があった。
そこで遊佐信庭が間に立った。
即ち、天野敬登と峯岸瑞興の2人は御城へと登城すると、番医師の詰所とも言うべき医師溜に詰め、そこで同じく番意思の遊佐信庭と合流すると、件の結果を信庭に伝えたのであった。
遊佐信庭はそれを受けて、本丸書院番1番組の番士である清水平三郎時良の許へと足を運んだ。
遊佐信庭はこの清水平三郎が実の叔母―、平三郎が父、清水左兵衛時庸が実妹の岡村の手によって育てられたのだ。
遊佐信庭は養母、岡村の甥に当たる清水平三郎に天野敬登と峯岸瑞興の2人から伝え聞いた件の結果を清水平三郎へと更に伝え、そうすることで清水平三郎を一橋家上屋敷へと足を運ばせたのであった。
清水平三郎が叔母の岡村は今でも一橋家の侍女、それも老女として仕えているので、その平三郎が叔母の岡村に逢うべく一橋家へと足を運んだところで不自然ではない。
否、それを言うなら遊佐信庭とて岡村に育てられた訳だから、
「養母、岡村に逢うべく…」
その口実にて一橋家上屋敷へと足を運んだところで何ら不自然ではない。
だが今―、家基暗殺を控えた今は遊佐信庭としては一橋家上屋敷の門を潜るのは遠慮しなければならなかった。やはり治済によって禁じられていたからだ。
それと言うのも一橋家には家老の設樂貞好の目が光っていたからだ。
遊佐信庭が―、公儀表番医師の遊佐信庭が一橋家上屋敷を訪れれば、その設樂貞好の目に留まらないとも限らず、そうなれば将軍・家治へと報告されないとも、これまた限らない。
その場合、家治は遊佐信庭が一橋家上屋敷を訪れたことから、
「治済めはやはり、家基を暗殺…、それも遊佐信庭は医師であることから察しても、毒殺を…、信庭を使嗾しての毒殺を企んでいるのであろうぞ…」
そう思いを強くするに違いない。
無論、それは治済の考え過ぎというものかも知れないが、しかし治済としては今は少しでも家基暗殺計画に支障を生じさせる危険性のある事態は取除いておきたかった。
天野敬登と峯岸瑞興の2人は元より、遊佐信庭も一橋家上屋敷へと足を運ばれては、治済にしてみれば正に、
「家基暗殺計画に支障を生じさせる危険性…」
それを孕んでいたので、そこで出入りを差止めたのであった。
さて、清水平三郎は遊佐信庭からの伝言を携えて、一橋家上屋敷を訪れ、叔母の岡村に逢うと、そこで遊佐信庭からの伝言、即ち、
「河豚毒とトリカブトの毒を掛合わせれば遅効性の毒となる…」
天野敬登と峯岸瑞興の2人から治済宛のその言伝を託したのであった。
かくして岡村から治済へとその言伝が伝ったのであった。
治済はその量、及び遅効性を発揮する時間についても岡村に糺したが、
「こまでは分からない…」
それが天野敬登と峯岸瑞興の「回答」であった。
「左様か…、とりあえずは附子を何処から手に入れるかだの…」
河豚毒の入手は比較的容易だが、しかしトリカブトともなるとそうはいかず、治済は悩んだ。
そんな治済に手を差伸べたのが誰あろう、小笠原若狭守信喜であった。
小笠原信喜は今、本丸御側衆から西之丸の御側御用取次へと転身を遂げ、且つ、単なる治済の「ファン」から「共犯者」へと変貌を遂げていた。
話は去年の安永4(1775)年2月に遡る。
将軍・家治から冷遇され続けていた小笠原信喜はこの年の2月に本丸御側衆の職を辞した。
それだけならば信喜が治済の「共犯者」―、家基暗殺計画の「共犯者」へと変貌を遂げることはなかったであろう。
転機が訪れたのは11月のことであった。西之丸小姓を勤めていた息・小笠原大隅守信賢に先立たれたのだ。
先に「共犯者」に仕立てておいた西之丸御側御用取次の佐野右兵衛尉茂承よりこの、小笠原信賢病死の事実を報された治済はこれを、
「小笠原信喜を共犯者に仕立てる、またとない機会…」
そう捉えると、倅に先立たれて傷心の信喜の許へと足を運んだ。
治済は家老の設樂貞好の目を盗んで―、貞好が御城へと登城し、一橋家上屋敷を留守にしている間に、密かに上屋敷を脱出し、六番町にある小笠原信喜の屋敷へと足を運び、そこで信喜に「お悔やみ」を述べるや、
「信賢はどうやら、大納言様に苛め殺されたらしいのだ…」
そう吹込んだのだ。
無論、そんな事実はない。
だが期待していた倅に先立たれて冷静な判断力を喪失していた信喜は治済の話に飛付いた。
「そは…、真実でござりまするか…」
信喜は治済に縋る様に聞返した。
「真実ぞ…、これは西之丸御側御用取次の佐野茂承から聞いた話なのだが…」
治済はそう切出すと、
「家基は小笠原信賢のことが気に入らず、そこで自がお気に入りである、御伽の水野本次郎貞利と津田金之丞信久、それに信賢とは相役の西之丸小姓、水上織部正正信、この3人を嗾けて、信賢を苛めさせたのだ…」
信喜にそう吹込んだのだ。
治済はその上で、
「本来ならば西之丸目附が斯かる苛めを取締まるべきところ、目附の一人、田沼市左衛門意致までが家基の歓心を買おうと、苛めに加担する始末にて…、これでは外の者も、吾も、吾もとばかり、苛めの連鎖が起こり…、否、御側御用取次の佐野茂承などは苛めを止めさせようとしたのだが、これを相役の水上美濃守興正に止められ…、興正は水上正信が実父にて、倅の苛めも…、家基に嗾けられての苛めも見て見ぬフリを決込み…、否、本来なれば御側御用取次として家基を諫めねばならない立場であるにもかかわらず、だ…、それを水上興正は家基の不興を買うのを恐れて、家基を諫めるどころか、その背中を押す始末にて、無論、倅の正信には家基の歓心を買うべく、存分に小笠原信賢を甚振るが良かろうと、左様、唆す始末にて、これでは外の者も、吾も吾もと、信賢への苛めに加担せしも当然であろうぞ…、何しろ、信賢への苛めには家基の御墨付があるのだからな…、否、佐野茂承などは家基を諫めたそうだが、それが原因で茂承は遠ざけられてしもうたそうな…」
信喜にそう虚言を重ねて、信喜の心の奥底に家基に対する殺意を芽生えさせたのであった。
治済もそんな信喜の心の変化を見逃さず、
「そこでだ信喜よ、一つ、信賢の…、家基めの所為で無念の死を、早死にを遂げた、否、無理やり遂げさせられた、それこそ家基めに殺されたも同然の息・信賢が仇を取ろうではあるまいか…」
信喜にそう持掛けたのであった。
これで信喜は治済の「共犯者」へと変貌を遂げたのであった。
爾来、信喜は治済の忠実なる「共犯者」として振舞い、その手始めに西之丸御側御用取次に着任した。
これは治済の指図による。
家基暗殺計画を遂行する上では佐野茂承の外にも今一人、西之丸に、それも御側御用取次という家基の側近中の側近に「刺客」を送込めば、
「より確実に…」
家基の首級を獲れるからだ。
そこで治済は本丸御側御用取次の稲葉正明を使嗾、正明より将軍・家治へと、
「今は寄合にて待命中の小笠原信喜を西之丸御側御用取次に取立てられては…」
そう進言させたのであった。
家治は成程、小笠原信喜のことが気に入らず、そこで信喜を冷遇して病気辞任へと追込んだ訳だが、しかし倅の信賢に先立たれたことは気の毒に思っていた。
そこで家治は信賢を病気辞任に追込んでしまったことへの、
「せめてもの罪滅ぼし…」
という訳でもないが、正明のその進言を聞届けて小笠原信喜をまずは西之丸の御側衆、平御側へと返咲かせたのであった。
如何に将軍・家治の力を以てしても、それまで寄合、無役であった小笠原信喜をいきなり、御側衆の筆頭である御用取次へと返咲かせるのは不可能であった。まずは平御側、次いで御用取次へ、という段階を踏まねばならず、それは治済にしても承知していた。
それが去年の12月のことであり、念願の御用取次に取立てられたのはその翌年、つまりは今年、安永5(1776)年2月のことであった。
小笠原信喜は今年の2月に御側衆の筆頭たる御用取次に着任するや、愈々、治済の為に本格的に動き出した。
まずは西之丸書院番は3番組の番頭である酒井對馬守忠美を治済の「陣営」へと引入れた。
酒井忠美が嫡子、榮之助忠宣は小笠原信喜が娘婿―、正確には信喜の末娘が榮之助と婚を約した段階に過ぎないが、それでも信喜はその所縁を頼りに酒井忠美を治済の「陣営」へと引入れるのに成功した。
否、酒井忠美とて、ただそれだけならば―、倅を介して小笠原信喜と所縁があると、それだけに過ぎないならば、如何にその信喜からの「勧誘」とは申せ、治済の「陣営」に馳せ参ずることはなかったであろう。
だが実際には、「それだけ」ではなかったのだ。
即ち、酒井忠美は去年の、それも信喜がまずは西之丸の平御側に取立てられたその翌月の閏12月に今の西之丸書院番は3番組の番頭に着任したのであるが、それまでは本丸にて小姓番頭を、それも5番組の番頭を勤めていたのだ。
それが去年の閏12月に本丸小姓組番頭から西之丸書院番頭へと異動、遷任を果たした為に、結果として今年の4月に予定されている将軍・家治の日光社参には扈従出来ないことになってしまった。
日光社参の扈従の列に西之丸役人の「出番」はなかった。それ故、酒井忠美は、
「異動がもう少し遅かったならば…、せめて日光社参の後であれば…」
本丸小姓組番頭として日光社参に扈従出来たものをと、大いに悔しがった。
事実、酒井忠美の後任として、本丸小姓組番頭に、3番組の番頭に着任した小堀河内守政弘は日光社参の扈従の列に加えられていた。
そこで小笠原信喜は酒井忠美のその「悔い」に巧みに入り込んだ。要は、
「将軍・家治は忠美が嫌いで、そこで日光社参に扈従させない為に、態々、日光社参の直前に西之丸へと、書院番頭として左遷したのだ…」
忠美にそう吹込んだのだ。
これに対して忠美もこの時、やはり判断力を喪失させており、信喜のその「虚言」を真に受けたのだ。
こうして忠美は家治への憎しみを募らせ、治済の「陣営」へと走った。
信喜は治済に成代わり、忠美以外にも日光社参に扈従出来なかった者に声をかけては治済の「陣営」へと引入れ、それが無理でも「治済ファン」、「治済シンパ」へと仕立て上げた。
その信喜が今度はトリカブトの栽培地として中屋敷を提供することを治済に持掛けたのであった。
「そなたが中屋敷、とな?」
「御意…、さればこの信喜が中屋敷は都合の良いことに小石川の薬園内にて…」
「何と…」
「具体的には芥川長春が管理せし西北側の中に…」
小石川薬園奉行は代々、岡田家と芥川家の世襲の御役であり、それも東南側半分を岡田家が、西北側半分を芥川家が夫々、奉行として管理していた。
小笠原信喜の中屋敷はその内、芥川家が管理する西北側半分、その一角にあった。
「されば芥川長春を…、今の芥川家の当主、薬園奉行の芥川長春元珍めを抱込むことが出来れば、芥川長春めにトリカブトを栽培、育成させることも可能かと…」
信喜のその提案に治済は大いに心動かされた。
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