喝鳶大名・内田正容

ご隠居

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鳶に憧れる男・石河貞吉

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 一月ひとつき屋敷やしきけると、自分じぶんいえではないようながする。

 いや、元々もともと自分じぶんいえだとおもったことは一度いちどとしてなかった。

 それゆえ早々そうそう退散たいさんするつもりであった。

 そんな貞吉さだきちちち石河いしこ甲斐守かいのかみ貞通さだみち出迎でむかえた。

かえったようだの…」

 貞通さだみち貞吉さだきちつめたい視線しせんそそいでそう出迎でむかえた。

 大層たいそうな、お出迎でむかえだったが、それもいたかたない。

 なにしろ貞通さだみち当主とうしゅつとめる石河いしこと言えば、家禄かろく4500石以上もの大身旗本たいしんはたもとであり、しかも貞通さだみち自身じしん留守居るすいという顕職けんしょくちゅう顕職けんしょくにあった。

 留守居るすいと言えば大名だいみょうなみ格式かくしきあたえられ、拝領はいりょう屋敷やしきもとより、次男じなん三男さんなんまでが将軍しょうぐん御目見得おめみえゆるされる。

 貞吉さだきちまさにその留守居るすいしょくにある石河いしこ貞通さだみち三男さんなんであり、本来ほんらいならば将軍しょうぐんへの御目見得おめみえゆるされるであった。

 だが貞吉さだきちいまもって将軍しょうぐんへの御目見得おめみえませてはいなかった。

 貞吉さだきちすで一昨年おととしの文化11(1814)年、かぞえで15になったので元服げんぷくませており、そうであればその翌年よくねん、つまりは去年きょねんの文化12(1815)年にも将軍しょうぐんへの御目見得おめみえませてもさそうなものを、そうはならなかったのはひとえに貞吉さだきち自身じしん原因げんいんがあった。

 貞吉さだきち旗本はたもと家柄いえがらきらい、文化10(1813)年、まだ前髪まえがみらした14のおりいえ飛出とびだし、火消ひけしの「めぐみ」にはしった。

 貞吉さだきちじつとびあこがれており、そのため武士ぶし身分みぶんてるつもりで「めぐみ」にはしったのであった。

 だがおどろいたのは「めぐみ」のかしらであった。

 いや、貞吉さだきち自身じしんがんとしておのれ身元みもとかさず、

とびになりてぇ」

 その一点張いってんばりであった。

 だが石河いしこ用人ようにん吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうが「めぐみ」をおとずれたため貞吉さだきち身元みもとがバレた。

 貞吉さだきち出奔しゅっぽんするまえ石河いしこものたちに「めぐみ」の場所ばしょについてまわり、吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうもその一人ひとりであった。

 それゆえ貞吉さだきち出奔しゅっぽんしたとあっても、家中かちゅうぐに行先ゆきさき見当けんとうき、そこであるじ貞通さだみち吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょうを「めぐみ」へと差向さしむけた次第しだいであり、そこにはあんじょう貞吉さだきち姿すがたがあった。

 だが吉岡よしおか勇之丞ゆうのじょう貞吉さだきちれてかえることはなかった。

  かりにここで貞吉さだきち無理むりやりかえったところで、貞吉さだきちのことである。またぞろ出奔しゅっぽんしては今度こんどこそ、とどかぬ、いかがわしい場所ばしょへとばたいてしまうおそれがあり、そうなっては取返とりかえしのつかないことになる危険性きけんせいがあった。

 ちち貞通さだみちはそれをおそれて、そこでしばらくのあいだ―、正確せいかくには貞吉さだきちむまで「めぐみ」であずかってもらうことにしたのだ。

 爾来じらい貞吉さだきちは「めぐみ」で居候いそうろうすることになり、日中にっちゅう普請ふしん現場げんば木屑きくずひろったりしてはたらいた。

 とび基本的きほんてき大工だいく兼業けんぎょうであり、火事かじのないとき本業ほんぎょうである大工仕事だいくしごとせいす。

 貞吉さだきちはそんなとびあこがれてみずかのぞんで普請現場ふしんげんば飛込とびこんだ。

 いや、「めぐみ」のかしらとしては大身旗本たいしんはたもと三男坊さんなんぼうにそんな真似マネをさせるつもりは毛頭もうとうなかった。なにしろ、石河家いしこけよりは過分かぶんの「保育料ほいくりょう」を頂戴ちょうだいしていたからだ。

 それゆえ、「めぐみ」のかしら貞吉さだきち愚行ぐこうには心底しんそこ、ヒヤヒヤさせられたものである。

 なにしろ貞吉さだきちちち貞通さだみちはこのときすで大名だいみょう格式かくしきあたえられている留守居るすいしょくにあり、留守居るすい三男さんなんにもしものことがあれば一大事いちだいじであった。

 だが貞吉さだきちはそんな「めぐみ」の心配しんぱい余所よそに、めいっぱい「やんちゃ」のかぎりをくした。

 つまりは「先輩せんぱい」であるとびたちから喧嘩けんか仕方しかたからわるあそびまでみっちりと仕込しこまれ、その御蔭おかげ貞吉さだきち青痣あおあざえることはなかった。

 それは一月ひとつきぶりに屋敷やしきかえった今日きょうもそうであり、貞吉さだきち一月ひとつき一回いっかい屋敷やしきかえるとの約束やくそくで「めぐみ」に居候いそうろう決込きめこみ、そのかん青痣あおあざらさずに帰省きせいしたことは一度いちどとしてなかった。

 それは去年きょねん元服げんぷくおりもそうであり、そのときなど鼻血はなぢらしながらの帰省きせいであり、これにはさしものちち貞通さだみち心底しんそこあきてたものである。

 そして元服げんぷくませるやまた、

脱兎だっとごとく…」

 出奔しゅっぽんしたのだから、これではどちらが貞吉さだきち実家じっかかったものではない。

 ともあれ今日きょうもまた、一月ひとつき一回いっかい帰省きせいたり、貞吉さだきち今日きょうもまた盛大せいだいかおあざらしての帰還きかんであった。

 ちち貞通さだみちがそんなせがれ貞吉さだきちつめたく出迎でむかえたのも当然とうぜんであった。
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