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次郎吉の釈然としないものの正体

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「で、その善左衛門の野郎は遂にこの異世界に順応しなかったと?」

 次郎吉は改めてアサカにそう尋ねた。

「そうよ。前にも言った通り、この異世界では何らかの仕事に就かなくてはならないのよ。だから善左衛門も当然、何らかの仕事に就かなければならないと、案内人の源内先生にそう教えられたそうなんだけど…」

「善左衛門はそれを拒否したと?」

「拒否したというか、仕事ならば武士として政に加わりたいと…」

 次郎吉はそれを聞いて心底、呆れた。いや、源内はそれ以上に呆れたことだろう。

「そんな無茶な…」

「ええ。源内先生もそう言ったそうよ。転生者がいきなり政に加わるなど不可能だと…」

「当然だろうな」

「それよりはまず、地に足の着いた仕事をしてから後、政に加わるという夢を果たすのが筋道だろうと…」

 いや、実際には善左衛門のような狭量な男が異世界で政治に加わるなど、例え、地に足の着いた仕事をこなしたところで未来永劫不可能だろうと、次郎吉はそう思ったが、それは口にはしなかった。恐らくは源内もそう思っていたに違いない。

「だが、善左衛門は源内先生の説得に耳を貸さなかったと?」

「そればかりか、黙れ、下郎の分際でと…」

「諭す源内先生を罵ったわけか?善左衛門の野郎は…」

「ええ。それで源内先生もさすがにカッとなって…」

「当然だろうな。そんでどうした?善左衛門の野郎を殴り飛ばしたんか?」

 次郎吉が真顔でそう尋ねると、アサカは思わず苦笑した。

「源内先生はそんな野蛮人じゃないわよ」

「それじゃあいってぇ…」

「そうじゃなく、カッとなって思わず口を滑らせたのよ」

「口を滑らせた、って何を言ったんだ?」

「意知様とは大違いだって…」

「ああ…、一介の旗本に過ぎねぇ善左衛門よりも遥かにご身分の高い、大名の子息であらせられる意知様は黙ってゴミ屋として働いているというに、お前は一体、何だと…、そんな具合にか?」

「まぁ…、それをもう少し、上品な言い回しでもってね…」

「なるほど…、それでいよいよ善左衛門の野郎は激昂したってわけか?」

「そう。意知もこの異世界にいるのかと…」

「さしずめ…、目を血走らせて尋ねたわけか?善左衛門の野郎は源内先生に対して…」

「ええ、それももう一度切り刻んでやるとか…」

「そんな物騒なことを口にしたのか?善左衛門の野郎は…」

「ええ。それで源内先生もさすがに失言であったと気付いたらしくて…」

「善左衛門の野郎を何とか宥めようとしたわけか?」

「そうなのよ。それよりも地に足の着いた仕事を…、例えば、異世界案内人にならないか?とか、あるいはそれだけの技量…、剣術の技量を持っているのなら、兵士になるのも良いだろうとか…」

「それなら…、異世界案内人やら兵士やらなら、善左衛門の望む政に加わるってことには程遠いかも知れねぇが、それでも政に加わるきっかけぐらいにはなるかも知れねぇな…」

「そう。だからきっと善左衛門も落ち着いてくれるんじゃないかって…」

「源内先生はそう思ったわけだが、実際には善左衛門の野郎が落ち着くことはなかったと?」

「そう。もう聞く耳持たずって感じで…」

「それでどっかに消えた…、さしずめ市中に潜ったってわけか?善左衛門の野郎は…、意知様を探して…」

「ええ。善左衛門は意知はどこで働いているのかと、源内先生を問い詰めたらしいんだけど…」

「源内先生は口を割らず、それで善左衛門は仕方なく自力で探すことにしたと?」

「そう。ここが江戸なら善左衛門もそれこそ源内先生を拷問してでも意知様の居場所を源内先生から聞きだすところだったんでしょうけど…」

「ここ異世界ではさしもの善左衛門も勝手が違い、源内先生を拷問するわけにはいかなかったと?」

「そういうこと。それに何より、清掃員の持ち場は広く、範囲は一定していないから、どこだとは言えないのよ。そのことも善左衛門を諦めさせたんでしょうけど…、意知様の居場所を源内先生から聞きだすことについて…」

「だろうな…、だが今のところ意知様はピンピンしていなさる、ってことは幸いにも善左衛門の野郎に見つかることはなかったってわけか…」

「恐らくはそういうことでしょうね…」

「それにしても…、意知様がゴミ屋として働いていたとはな…」

 次郎吉はもう一度、そのことを思い出した。

「いえね、源内先生もさすがに意知様に清掃員として働かせるのは忍びなくて、それで源内先生が勤めていた学校で事務職…、書類仕事か、あるいは異世界案内人の仕事を紹介しようとしたらしいんだけど…」

「ってことはまさか…、意知様が自らゴミ屋の仕事を望まれたと?」

 次郎吉は目を丸くした。

「そうなのよ。まずは地に足の着いた仕事をしたい、と…。でも自分には手に職があるわけではなく、そこでゴミ屋なら何とか務まりそうだと、それで…」

「ゴミ屋として働く傍ら、勉強して公務員試験に受かり財務省に入省、そして今に至ると…」

「そう」

「だが…、どうにも納得できねぇなぁ…」

「何が?」

「いや、その…、源内先生を崇めてるあんた…、アサカの前では言い難いんだが…」

「何よ」

「善左衛門は元より、源内先生までもがこの異世界に転生したってことがさ…」

「だからそれは非業の死を遂げたからよ。さっきも言ったじゃない」

「いや、俺が言いてぇのはそういうことじゃなくってさ…」

「じゃあ何よ」

「いや、善左衛門にしろ源内先生にしろ、非業の死を遂げたとは言え、所詮は人殺しだろ?善左衛門は意知様を斬り殺したために切腹、かたや源内先生もまた大工を斬り殺したために牢屋に入れられ、そして劣悪な環境化、ろくな治療も受けられずに破傷風を悪化させて病死したってことで非業の死認定されたわけだが…、どちらにしても自業自得、いわば身から出たサビってやつだ。それが非業の死を遂げたってその一点だけでこの異世界に転生されたんじゃぁ、善左衛門や源内先生に殺された人間は堪らないんじゃねぇか?善左衛門に殺された意知様にしろ、源内先生に殺された大工にしろ、やはり非業の死を遂げたってことでこの異世界に転生したわけだから…、被害者である意知様や大工にしてみれば、善左衛門や源内先生は地獄に落ちてもらいてぇ、そう望むところじゃねぇのか?」

 またそうあるべきだろうと次郎吉はそう思った。これこそが次郎吉の釈然としないものの正体であった。

 するとアサカはそれに対して、「言いたいことは分かるけどね…」とまずは次郎吉のその釈然としないものの正体に理解を示しつつも、

「それをあんた…、次郎吉が言う資格はないわね」

 アサカはピシャリとはねつけた。

「どうして?俺は少なくとも人殺しはしてないぜ?」

 それこそが次郎吉の誇りであったが、しかし、アサカはそんな次郎吉の「誇り」さえもピシャリとはねつけた。

「確かにそうかも知れないけれど、所詮は泥棒でしょ?」

 アサカにそう言われて次郎吉はぐうの音も出なかった。確かにその通りだからだ。

「そんな人様に迷惑をかけて、最後は処刑された次郎吉も自業自得、言わば身から出たサビという点では善左衛門や源内先生とは何ら違いはないんじゃない?それに…、次郎吉は人様を殺したことはないと言うけれど、間接的には人様を殺したことがあるんじゃない?」

「間接的に、だと?」

 次郎吉は思わず問い返した。聞き捨てならなかったからだ。

「そう。あんたは…、次郎吉は主に大名屋敷ばかりを狙っていたそうじゃない…」

「ああ。それが俺様が義賊として祭り上げられる最大の要因だったわけだが…、まぁ、実際には大名屋敷は警備が手薄ってのが最大の理由…、大名屋敷ばかりを狙った最大の理由だったわけだが…」

「でも次郎吉に盗みに入られた大名屋敷にしてみればとんだ恥辱よね…」

「確かにな」

「もしかしたら責を負わされた役人も…、例えば大名屋敷の警備を担う役人…、藩士がいたかも知れない…」

「責を負わされたって…」

「そう。腹を切らされた藩士もいたかも知れない。その場合、次郎吉が間接的にその藩士に腹を切らせたことに…、死に追いやったことになる…、そうはならない?だとしたら直接に手を下した善左衛門や源内先生とは大差ない…、ううん、間接的に人を死に追いやったという点では善左衛門や源内先生よりも悪質だとは言えない?」

「いや…、それは…」

 次郎吉が反論しかけると、それをアサカが右手を挙げて制した。

「分かってる。今のは私の単なる想像に過ぎない。実際には腹を切らされた藩士なんて一人もいないでしょ」

 アサカは微笑みながらそう言ったものの、次郎吉はもしかしたらと、アサカの言う通りかも知れないとの思いを強くした。

 だとしたらアサカの言う通り、自分には少なくとも源内のことは悪く言う資格はないなと、次郎吉は思い至った。

「ところで…」

 バツが悪くなった次郎吉は話題を換えた。

「善左衛門は今でも意知様を狙っていると思うか?」

 それしか話題が見つからなかった。

「恐らくはね」

「だとしたら、迂闊に出歩いたりして大丈夫なのか?今日もカフェに顔を出したわけだが…」

「大丈夫よ」

 アサカが即答したので、「どうしてそう言い切れる?」と次郎吉は首をかしげた。

「家基様と一緒だったでしょ」

「ああ。だが、それが何だと言うんだ?」

「善左衛門は今でも武士としての意識が抜け切れていないのよ」

「そのようだが、それが?」

「だから武士として、今でも家基様のことを次期将軍として敬っているのよ…、この異世界ではもう絶対に家基様が将軍になることはないというのに…」

「それは…、家基公の手を引いて外出する意知を斬るわけにはいかない…、家基公には血を見せるわけにはいかないと?善左衛門はそう遠慮があって、意知様を斬らないと?少なくとも家基公の手を引いている意知様のことは…」

「そういうことよ」

「じゃぁ…、もしかして意知様が家基公を孤児院から引き取り、手元に置くことにしたのはてめぇの身の安全のためってか?家基公を手元に置いておけば、それ自体がてめぇの身の安全につながるから…、善左衛門の兇刃から身を守ることになるから、って…」

 次郎吉が真顔でそう言うと、アサカはやはり苦笑を浮かべた。

「それは穿ち過ぎというものよ」

「穿ち過ぎ…、ってことは意知様は心底、家基公のことを思って孤児院から引き取り、手元に置くことにしたと?」

「そう。さっき善左衛門は今でも武士としての意識が抜け切れていない、って言ったでしょ?」

「ああ。そう言ったが、もしかして意知様も、ってか?」

「そう…、勿論、意知様は善左衛門ほどにはゴリゴリに凝り固まっているわけではないのよ。武士としての意識に…」

「だが、家基公を今でも次期将軍として敬う…、その程度には武士としての意識に凝り固まっている…、と言うよりは囚われていると?意知様は…」

「そう。その意味では意知様も善左衛門も今でも武士とは言えるわね…」

「いやぁ…、それはさすがに意知様が可哀想だろう…、善左衛門のような狭量な野郎と一緒くたにされたんじゃ…、それこそ味噌と糞を一緒にするようなもんだぜ…」

 勿論、味噌が意知、糞が善左衛門で、次郎吉のその表現にアサカは苦笑を浮かべつつも、確かにと頷いた。
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