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元禄11(1698)年3月18日、五代将軍・綱吉の麹町にある尾張藩中屋敷への御成 2
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「鶴姫殿…、何卒、頭を…」
舅の光貞は鶴姫に頭を上げるよう促した。
だが鶴姫はそれで直ぐには頭を上げず、夫である綱教からも同様に促されて漸くに頭を上げたのであった。
鶴姫はそれから舅の光貞より太刀を受け取った。本来ならば妻女の仕事であるものの、光貞の妻女である照子はここ、麹町にある上屋敷には住んではおらず、赤坂御門外にある中屋敷にて暮らしていた。
即ち、光貞と照子夫妻は別居していたわけだが、しかしこれは夫婦仲が悪いからではない。
赤坂御門外にある紀州藩中屋敷においては綱教の弟である松平内蔵頭頼職・主税頭頼方兄弟が暮らしており、照子は頼職・頼方兄弟の養育に当たるべく、夫・光貞とは別居していたのだ。
頼職も頼方もそれぞれ3万石の所領を治めてはいたものの、実際には領地経営はそれぞれの国許における現地の家臣が掌り、頼職・頼方兄弟自身は相変わらず、養母である照子の庇護下にあり、赤坂御門外にある中屋敷にて照子の手許で大事に育てられていたのだ。
それゆえ倅・綱教の嫁である鶴姫が光貞の妻女の代わりを務め、鶴姫はそれこそ、
「甲斐甲斐しく…」
舅である光貞の世話をしていたのだ。
一方、綱教の太刀を受け取ったのは鶴姫に仕える老女の廣瀬であった。
廣瀬は鶴姫がまだ大奥にて暮らしていた頃より老女として仕えており、鶴姫が綱教の許へと入輿…、嫁ぐに際して廣瀬もそれに随い、ここ紀州藩の上屋敷へと入ったのであった。
鶴姫が照子に代わって舅である光貞の世話をするのに対して、廣瀬は鶴姫に代わって綱教の世話をしていた。
さて、こうして太刀を受け取った鶴姫と廣瀬は光貞と綱教の後を歩いて奥座敷へと向かい、二人は奥座敷に設えてある刀掛にそれぞれ太刀を掛けると、廣瀬は気を利かせて一人、奥座敷より退出し、一方、鶴姫は下座に着座して上座に着座する舅・光貞と向かい合った。一方、綱教は鶴姫の斜め向かい側、つまりは光貞と鶴姫の間に、それこそ挟まれる格好で着座し、光貞にしろ綱教にしろ、実に居心地悪そうであった。
「本日の御成、ご苦労様に存じまする…」
鶴姫は舅・光貞と向かい合うなりやはり、
「三つ指を突いて…」
そう切り出した。
それに対して光貞は、「ああ…」と応えた。
「されば本日の御成、如何でござりましたか?」
鶴姫は本題に入った。
するとその問いには夫である綱教が答えた。
「可もなく不可もなし、といったところでござるよ…」
綱教がそう答えると、光貞も「如何にも…」と首肯した。
事実、今日の将軍・綱吉の尾張藩邸への御成は予定通り、恙無く終了した。
その意味では確かに、
「可もなく不可もなし…」
であった。
だが光貞は続けざま、「いや…」と声を発したかと思うと、
「尾張の親縁の出迎えを阻止出来たは重畳…」
如何にも底意地の悪そうな笑みを浮かべてそう答えた。
舅の光貞は鶴姫に頭を上げるよう促した。
だが鶴姫はそれで直ぐには頭を上げず、夫である綱教からも同様に促されて漸くに頭を上げたのであった。
鶴姫はそれから舅の光貞より太刀を受け取った。本来ならば妻女の仕事であるものの、光貞の妻女である照子はここ、麹町にある上屋敷には住んではおらず、赤坂御門外にある中屋敷にて暮らしていた。
即ち、光貞と照子夫妻は別居していたわけだが、しかしこれは夫婦仲が悪いからではない。
赤坂御門外にある紀州藩中屋敷においては綱教の弟である松平内蔵頭頼職・主税頭頼方兄弟が暮らしており、照子は頼職・頼方兄弟の養育に当たるべく、夫・光貞とは別居していたのだ。
頼職も頼方もそれぞれ3万石の所領を治めてはいたものの、実際には領地経営はそれぞれの国許における現地の家臣が掌り、頼職・頼方兄弟自身は相変わらず、養母である照子の庇護下にあり、赤坂御門外にある中屋敷にて照子の手許で大事に育てられていたのだ。
それゆえ倅・綱教の嫁である鶴姫が光貞の妻女の代わりを務め、鶴姫はそれこそ、
「甲斐甲斐しく…」
舅である光貞の世話をしていたのだ。
一方、綱教の太刀を受け取ったのは鶴姫に仕える老女の廣瀬であった。
廣瀬は鶴姫がまだ大奥にて暮らしていた頃より老女として仕えており、鶴姫が綱教の許へと入輿…、嫁ぐに際して廣瀬もそれに随い、ここ紀州藩の上屋敷へと入ったのであった。
鶴姫が照子に代わって舅である光貞の世話をするのに対して、廣瀬は鶴姫に代わって綱教の世話をしていた。
さて、こうして太刀を受け取った鶴姫と廣瀬は光貞と綱教の後を歩いて奥座敷へと向かい、二人は奥座敷に設えてある刀掛にそれぞれ太刀を掛けると、廣瀬は気を利かせて一人、奥座敷より退出し、一方、鶴姫は下座に着座して上座に着座する舅・光貞と向かい合った。一方、綱教は鶴姫の斜め向かい側、つまりは光貞と鶴姫の間に、それこそ挟まれる格好で着座し、光貞にしろ綱教にしろ、実に居心地悪そうであった。
「本日の御成、ご苦労様に存じまする…」
鶴姫は舅・光貞と向かい合うなりやはり、
「三つ指を突いて…」
そう切り出した。
それに対して光貞は、「ああ…」と応えた。
「されば本日の御成、如何でござりましたか?」
鶴姫は本題に入った。
するとその問いには夫である綱教が答えた。
「可もなく不可もなし、といったところでござるよ…」
綱教がそう答えると、光貞も「如何にも…」と首肯した。
事実、今日の将軍・綱吉の尾張藩邸への御成は予定通り、恙無く終了した。
その意味では確かに、
「可もなく不可もなし…」
であった。
だが光貞は続けざま、「いや…」と声を発したかと思うと、
「尾張の親縁の出迎えを阻止出来たは重畳…」
如何にも底意地の悪そうな笑みを浮かべてそう答えた。
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