風呂屋旗本・勘太郎

ご隠居

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新入り・勘太郎

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 湯屋の新入りの最初の仕事は何か、それはズバリ、木拾いである。勿論、風呂の燃料にする為である。その燃料用の木材を拾い集めるのが新入りの仕事であった。例えば、普請(ふしん)の現場に赴いて、棟梁から木材を分けて貰ったり、或いは、川の畔(ほとり)に赴いて、流木や竹を集めたり、といった具合に燃料用の木材を拾い集めるのである。だがその為には、例えば普請(ふしん)の現場より木材を分けて貰う為には、普請(ふしん)の指揮を執る棟梁(とうりょう)の機嫌を取り結ばねばならぬし、また、川の畔(ほとり)から流木や竹を集めるにしても湯屋同士の「縄張り」というものがあって、これを侵すと同業者から袋叩きの憂(う)き目に遭う。事程左様(ことほどさよう)に、木拾いという仕事も決して楽ではなかった。

 その点、勘太郎(かんたろう)は恵まれていた。勘太郎(かんたろう)は本所深川は冬木町にある葛野(かずらの)湯という湯屋の新入りで…、と言っても葛野(かずらの)湯で過ごすようになってから既に十年が経とうとしており、そろそろ後輩が欲しいところであった…、当然、木拾いに従事している訳だが、木拾いで苦労した事は一度としてなかった。他の湯屋の新入りが聞けば嘘だと思うかも知れぬが、事実であった。場所に恵まれている、というのが唯一、考えられる理由であった。それというのも葛野(かずらの)湯を構える本所深川には製材置き場である木置場があり、ここには材木問屋を始めとし、製材・原木業者が軒(のき)を連(つら)ねており、勘太郎(かんたろう)はその中の材木問屋・蛭子(えびす)屋より燃料となる材木を日々、分け与えて貰っていたのだ。

 この、本所深川の木置場に店(たな)を構える材木問屋・蛭子(えびす)屋は尾張町二丁目に店(たな)を構える両替商・蛭子(えびす)屋の支店に当たり、本店である両替商・蛭子(えびす)屋は材木問屋の他にも呉服や木綿、繰綿(くりわた)、綿打(めんうち)道具、麻芋(あさお)、下(くだ)り傘、下(くだ)り蠟燭(ろうそく)、畳表(たたみおもて)、薬種の各問屋を傘下に収める、という多角経営であって、各支店の問屋の経営は十人番頭に任されており、それ故、勘太郎(かんたろう)が燃料用の材木を貰いに行く、材木問屋・蛭子(えびす)屋の経営を任されているのも十人番頭の一人であり、実際、勘太郎(かんたろう)は経営を任されている番頭より直(じか)に、燃料用の材木を貰い受けるのであった。

 だが分からぬのはその番頭の態度であった。勘太郎(かんたろう)は材木を貰い受ける立場であり、一方、番頭は勘太郎(かんたろう)に材木を只(ただ)で分け与える立場であり、当然、番頭の方が強い立場であり、勘太郎(かんたろう)が番頭にペコペコお辞儀をしなければならぬところ、驚くべき事に番頭の方が勘太郎(かんたろう)にペコペコし、挙句(あげく)、燃料用の材木を風呂敷(ふろしき)に包んでくれる始末であった。

「勘太郎(かんたろう)坊っちゃん、木の棘(とげ)が手に刺さりましたら一大事で御座りましょうからこの通り…」

 番頭はそう言って、自ら燃料用の材木を風呂敷(ふろしき)に包み、勘太郎(かんたろう)に恭(うやうや)しく差し出すのであった。これには勘太郎(かんたろう)の方が恐縮し、一度、

「どうしてそこまで親切にしてくれるんです?本来なら俺の方が頭を下げなけりゃならねぇのに…」

 そう尋ねた事があった。勘太郎(かんたろう)と同じく、他の湯屋の新入りが普請(ふしん)の現場において棟梁(とうりょう)にペコペコしながら、或いは、川の畔(ほとり)にて他の新入りの縄張りを侵さぬよう気遣いながら、それぞれ燃料用の材木を調達しているのに自分は…、であったからだ。だがその番頭は一瞬、困った表情を浮かべたものの、それでもすぐに元の愛想の良さげな表情に戻ると、「何卒(なにとぞ)、左様な瑣末(さまつ)なる事はお気になさらずに…」とはぐらさかれてしまった。

 勘太郎(かんたろう)は蛭子(えびす)屋のその余りの厚遇ぶりに薄気味悪いものを感じたが、しかし誰に気兼ねする事なく、楽に材木を集められるのならそれに越した事はない、あまり己への厚遇ぶりの理由を突(つつ)き回して不興(ふきょう)でも買おうものならそれこそ大変…、との思いがあって、勘太郎(かんたろう)はそれ以上、番頭に尋ねる事はしなかった。すると番頭は勘太郎(かんたろう)の質問攻めから解放されてホッとした様子を覗(のぞ)かせると同時に、

「この事は…、手前共が勘太郎(かんたろう)坊っちゃんに材木を供出しております事は他の者には、決して他言してはなりませぬぞ」

 そう釘を刺す事も忘れなかった。他の…、湯屋の新入りには教えてはならぬ…、番頭はそう忠告を与えたのだ。勘太郎(かんたろう)としても己の格好の「餌場(えさば)」を他の新入りに教えるつもりは更々なかったので、即座に頷いた。するとやはり番頭はホッとした様子を覗(のぞ)かせたものであった。

 勘太郎(かんたろう)はかなり重量のあるその、燃料用の材木が包まれた風呂敷(ふろしき)を両手で担ぐと、えっちらおっちらと冬木町へと戻って行った。一度、番頭が重たそうに風呂敷を運ぶ勘太郎(かんたろう)をみかねたのか、「もし宜(よろ)しければ手前が湯屋までお運び致しましょうか?」と申し出たので、これには勘太郎(かんたろう)も「いや、そこまでして貰っては…」と謝絶した経緯があった。湯屋の新入りが、事もあろうに材木問屋を任されておる十人番頭に湯屋まで燃料用の材木を運ばせた、となればそれこそあっという間に風評となるであろう…、勘太郎(かんたろう)がその懸念を伝えた上で番頭からの申し出を謝絶したのだ。これには番頭も「あっ」と思わず声を上げ、そして己の無思慮に気付いたらしく、赤面したものであった。

 それに燃料用の材木が如何(いか)に重いとはいえ、風呂敷に包まれており、両手で運び易くなっており、何より木置場から冬木町までは、同じ本所深川の界隈(かいわい)ゆえ、それ程、離れてはおらず…、それどころか近距離であった…、良い運動であった。文句を言えば罰(ばち)が当たる、というものである。何故なら他の湯屋の新入りは遠方より苦労しながら燃料用の材木を運ぶのが常であったからだ。

 勘太郎(かんたろう)が風呂敷に包まれた燃料用の材木を抱えて湯屋に戻って来ると、丁度、主の十左衛門(じゅうざえもん)が風呂掃除をしている最中であった。

 十左衛門(じゅうざえもん)は勘太郎(かんたろう)にとっては叔父に当たる人物である。勘太郎(かんたろう)の実父は勘左衛門(かんざえもん)という人物で、実母は勘太郎(かんたろう)を産んだ後、産後の肥立ちが悪く、間もなくして亡くなり、実父の勘左衛門(かんざえもん)もその後を追うようにして流行り病で亡くなり、僅か二歳にして孤児(みなしご)となった勘太郎(かんたろう)を引き取ってくれたのが実父・勘左衛門(かんざえもん)の実弟である十左衛門(じゅうざえもん)であった。この事は勘太郎(かんたろう)が物心がついた時に十左衛門(じゅうざえもん)より教えられた事であった。その時の勘太郎(かんたろう)は既にこの葛野湯(かずらのゆ)の主・十左衛門(じゅうざえもん)の倅として育てられてきたのだが、十左衛門(じゅうざえもん)よりその事実を教えられた時の勘太郎(かんたろう)は左程、衝撃を受ける事はなかった。それどころか、

「やはりそうか…」

 そう思った程である。それというのも勘太郎(かんたろう)には善之助(ぜんのすけ)という三歳年長の兄がいるのだが、その善之助(ぜんのすけ)の態度が妙に余所余所(よそよそ)しかった…、と言うのが強すぎる表現ならば、遠慮がちであった。とても実弟に対する態度とは思えぬ程であった。それが証拠に兄弟間での通過儀礼とも言える、じゃれあったり、或いは、取っ組み合ったり、といった経験が全くなかったのだ。勿論、それは兄・善之助(ぜんのすけ)が弟・勘太郎(かんたろう)を疎(うと)んじて、という訳ではなかった。むしろ弟に対する態度とは到底、思えぬ程の丁寧さであった。そう、丁度、先程、燃料用の材木を分けてくれた材木問屋の蛭子(えびす)屋の番頭の慇懃(いんぎん)な態度に通じるものがあった。勿論、そこまで…、今にも揉み手をしかねぬ程の慇懃(いんぎん)さではないものの、それでも大分、似通っていた。それ故、勘太郎(かんたろう)は兄・善之助(ぜんのすけ)に対して別段、悪感情を持っている訳ではなかったものの、それでも兄ともう少し慣れ親しみたいと思っていた…、実兄とじゃれあったり、或いは、取っ組み合ったりといった事をしてみたいと思っていた勘太郎(かんたろう)にとって善之助(ぜんのすけ)のそのどこか距離を置いた態度にはずっと寂しい思いをさせられてきたもので、

「もしかして俺の兄貴はただの兄貴ではないのかも…」

 子供心にそんな疑惑を芽生えさせたのだ。

 それ故、十左衛門(じゅうざえもん)より出生(しゅっしょう)の秘密…、というものの程でもないが…、それを打ち明けられた勘太郎(かんたろう)は成程、と納得したものである。十左衛門(じゅうざえもん)が実の父でなければ、これまで兄と信じてきた…、否、信じさせられてきた善之助(ぜんのすけ)も実の兄に非(あら)ず、なれば善之助(ぜんのすけ)の余所余所(よそよそ)しい態度も頷ける、というものであった。

 だが勘太郎(かんたろう)は出生(しゅっしょう)の秘密を打ち明けられたからと言って、別段、ぐれようとも思わなかった。それどころか実の倅でもないのに実子同様に育ててくれた叔父・十左衛門(じゅうざえもん)に感謝した程である。また従兄の善之助(ぜんのすけ)に対しても同様に感謝した。引き取られた先で養父母や、養父母の実子から虐待される、という話はそれこそ枚挙に遑(いとま)がなかったが、幸いにも己を実子同様に可愛がってくれた十左衛門(じゅうざえもん)は勿論の事、善之助(ぜんのすけ)も己に対して距離を置いていたとはいえ、それでも丁寧に接してくれてきた事は事実であり、それ故、感謝した。

 十左衛門(じゅうざえもん)は勘太郎(かんたろう)に出生(しゅっしょう)の秘密を打ち明けた上で、

「そろそろここで見習いをしてはみぬか」

 そう誘われた。見習いとは勿論、湯屋の見習いである。勘太郎(かんたろう)としても幼い時分よりずっと将来はこの湯屋で働きたいと思っていたので、勘太郎(かんたろう)はその話に一も二もなく飛びついた。それが勘太郎(かんたろう)、十二の時であり、爾来(じらい)、十年間、二十二歳の今に至るまで、湯屋の新入りの仕事である木拾いを続けてきた。

 風呂場を掃除していた十左衛門(じゅうざえもん)に勘太郎(かんたろう)が燃料用の材木を材木問屋の蛭子(えびす)屋より調達してきた事を告げると、

「御苦労であった。さればその材木は釜炊(かまた)き場のところへ運び、それから善之助(ぜんのすけ)の様子を看(み)て参れ」

 そう命じた。勘太郎(かんたろう)は命じられた通り、風呂敷に包まれた燃料用の材木を釜炊(かまた)き場へと運ぶと、そこで包みを解いて材木を取り出し、釜のすぐ傍に置き、そして風呂敷は大事に懐にしまった。後で蛭子(えびす)屋に返さなければならないからだ。

 勘太郎(かんたろう)はそれから裏にある起居の空間である母屋に周り、奥座敷で眠っているに違いない善之助(ぜんのすけ)を見舞った。善之助(ぜんのすけ)は元来、蒲柳(ほりゅう)の質で、勘太郎(かんたろう)が幼い時分より病弱であった。勘太郎(かんたろう)が善之助(ぜんのすけ)とじゃれあったり、或いは、取っ組み合ったり、といった兄弟間での通過儀礼ともつかぬそれらをした記憶がないのはその為でもあった。

 勘太郎(かんたろう)が奥座敷に足を踏み入れると、善之助(ぜんのすけ)は珍しく蒲団より半身だけ起き出していた。

「あっ、兄貴、大丈夫かよ。起き出したりして…」

 勘太郎(かんたろう)は蒲団の傍へと近付くと、善之助(ぜんのすけ)を寝かしつけようとした。勘太郎(かんたろう)は今でも…、出生(しゅっしょう)の秘密を知った今でも、従兄の善之助(ぜんのすけ)の事を今まで通り、「兄貴」と呼んでいた。

「あっ、いや、今日は気分が優れているので、心配は要らないよ」

 善之助(ぜんのすけ)は微笑むと、寝かしつけようとする勘太郎(かんたろう)を制した。

「それに今日はとても陽気であるしな…」

 善之助(ぜんのすけ)は微笑んで見せた。それはまるで勘太郎(かんたろう)に心配をかけさせまいとして無理に笑みを浮かべているようでもあり、勘太郎(かんたろう)は余計に痛々しく感じられた。

「でも…、寝ていた方が良いんじゃねぇ?」

 尚も寝かしつけようとする勘太郎(かんたろう)に対して善之助(ぜんのすけ)は、「いや、実際に少し暑いのだ」と言い、それで勘太郎(かんたろう)は漸(ようや)くに今が四月である事に気づいた。
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