風呂屋旗本・勘太郎

ご隠居

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新入り・勘太郎 2

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 江戸時代の四月は孟夏(もうか)、或いは夏初月(なつはじめづき)との異名からも察せられる通り、夏の到来であった。今日は四月の朔日(さくじつ)、即ち、一日であるが、既に夏の到来が告げられたらしく、それが証拠に勘太郎(かんたろう)は蛭子(えびす)屋より燃料用の材木を貰い受け、ここまで運んで来る最中、体中から汗が噴出し、頭からは汗が滴り落ちた程である。善之助(ぜんのすけ)が蒲団から起き出そうとしたのも当然であった。

「このまま蒲団の中に潜っていては茹蛸(ゆでだこ)になってしまうよ」

 善之助(ぜんのすけ)は微笑んだ。嘘偽りのない…、勘太郎(かんたろう)に心配かけまいとして無理に作った笑顔でない事が勘太郎(かんたろう)にも察せられ、勘太郎(かんたろう)も笑みを返すと、

「それなら縁側で休んだらどうだい?」

 そう奨めた。善之助(ぜんのすけ)も、「ああ、それが良いだろう…」とその奨めに従い、蒲団から起き出すと、縁側へと歩み寄り、そこで腰をおろした。

 一方、勘太郎(かんたろう)は箪笥(たんす)から羽織を取り出すと、縁側に腰をおろした善之助(ぜんのすけ)にそれをかけた。夏の到来を告げたとはいえ、寝間着一枚では風邪をひかぬとも限らぬ。ましてや善之助(ぜんのすけ)は病人なのである。万が一の事があってはいけない、と勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)に羽織をかけてやったのだ。

「それじゃあ、俺は風呂掃除が待ってっから、これでな」

「ああ。いつも済まないな」

 善之助(ぜんのすけ)は頭を下げた。

「頭なんて下げんなよ。兄貴だろっ」

 勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)を励ますかのように、殊更に明るい声を出した。

「それじゃあ、俺はこれで…、ああ、それから寒くなったら蒲団ん中に潜れよっ!」

 勘太郎(かんたろう)は乱暴な口調でそう命じて、善之助(ぜんのすけ)を苦笑させた。

 勘太郎(かんたろう)は風呂場に戻るなり、掃除中の十左衛門(じゅうざえもん)に加わった。燃料用の材木を貰い受け、善之助(ぜんのすけ)の様子を看(み)、そして風呂掃除に加わる、というのが勘太郎(かんたろう)の朝の日課、謂(い)わば、ルーティンというヤツであった。

 十左衛門(じゅうざえもん)は男湯の湯槽(ゆぶね)を洗っていたので、勘太郎(かんたろう)は女湯の湯槽(ゆぶね)を洗う事にした。特に決まっている訳ではなく、十左衛門(じゅうざえもん)が女湯の湯槽(ゆぶね)を洗う事もあり、その場合は当然、勘太郎(かんたろう)が男湯の湯槽(ゆぶね)を洗う事になる。兎も角、風呂屋にとっては湯槽(ゆぶね)が一番清潔にしておかなければならぬ場所であったが、同時に一番汚れる場所でもあるので、何をおいても湯槽(ゆぶね)の掃除であった。

 それにしても今時分、風呂屋が営業もせず、風呂掃除の最中とは、通常の風呂屋であれば考えられない事であった。今の刻限は朝五つ(午前8時頃)であり、風呂屋は既に営業を始めている頃であった。

 風呂屋の営業時間は明六つ(午前6時頃)から宵五つ(午後8時頃)まで、所謂(いわゆる)、「五つ仕舞い」というのが御上(おかみ)より発せられた営業時間であり、この時間外での営業は固く禁じられていた。そして明六つ(午前6時頃)と同時に客が風呂屋に雪崩(なだ)れ込む。尤も、明六つ(午前6時頃)から朝風呂を浴びに来る客筋と言えば、遊郭帰りや博打の帰りといった道楽者、或いは藪医者と相場が決まっており、明らかに堅気(かたぎ)ではないものの、それでも風呂屋にしてみれば大事な客には違いなく、それ故、風呂屋は彼ら堅気(かたぎ)でない客筋も掴むべく、明六つ(午前6時頃)より一斉に営業を始める。

 だがこの葛野湯(かずらのゆ)だけはそれよりも三刻(みとき・約6時間)も遅い昼九つ(正午頃)より営業を始めるのだ。堅気(かたぎ)でない者を入れてやる湯はない、との主・十左衛門(じゅうざえもん)のポリシーによるもの…、ではなく、葛野湯(かずらのゆ)が事実上、蛭子(えびす)屋の専用風呂と化していたからだ。

 江戸時代、風呂屋には留湯(とめゆ)という制度があった。これは言ってみれば貸切(かしきり)の事であり、主に奉公人を多く抱える大店が一ヶ月単位で風呂屋と結ぶ貸切(かしきり)契約で、その間、風呂屋は契約者の専用風呂と化し、他の客は当たり前だが入れぬ事になる。この留湯(とめゆ)の契約を結んでいる間は契約者は何回でも風呂に入れるのでその分、お得であり、一方の風呂屋にしてもその月は安定した収入が得られるので風呂屋にとっても都合が良かった。勿論、一ヶ月単位の現金先払いの契約である故、割引となるが、それでも風呂屋にとって損にはならなかった。

 葛野湯(かずらのゆ)はこの留湯(とめゆ)の契約を蛭子(えびす)屋との間で結んでいたのだが、驚くべきはその期間であった。通常は一ヶ月単位のその契約も、葛野湯(かずらのゆ)と蛭子(えびす)屋との間では年単位で結んでおり、これだけでもかなり異例なのだが、その契約額は更に驚きであった。何と年22両の契約であった。葛野湯(かずらのゆ)は勘太郎(かんたろう)が物心がついた頃…、即ち、十年前に出生(しゅっしょう)の秘密を打ち明けられ、その上でこの風呂屋で働く事を奨められ、それに従い、働き始めた頃より既に蛭子(えびす)屋との間で留湯(とめゆ)の契約を結んでいたので、今に至るまで蛭子(えびす)屋からはその留湯(とめゆ)の契約額として金220両がこの葛野湯(かずらのゆ)に流れ込んだ計算となる。それも低く見積もって、である。勘太郎(かんたろう)が物心がついたその頃より既に蛭子(えびす)屋との間でその留湯(とめゆ)の契約が結ばれていたという事は、それよりも前から留湯(とめゆ)の契約を結んでいたと考えるのが自然だからだ。

 それにしても年間で金22両の留湯(とめゆ)の契約とは如何(いか)にも法外であった。留湯(とめゆ)の契約額の算出根拠だが、現金湯の客を基準とする。現金湯の客とは留湯(とめゆ)と同じく、一ヶ月単位の所謂(いわゆる)、フリーパスの定期券を持つ客の事であり、このフリーパスの定期券さえあれば、留湯(とめゆ)と同じく、一日に何回でも入れる…、尤も、留湯(とめゆ)と違って貸切(かしきり)ではないので、他の客との混浴という事になるが…。そのフリーパスの定期券代であるが、一ヶ月に148文というのが公定相場であり、風呂屋が例えば、大店との間で留湯(とめゆ)の契約を結ぶ折にはこのフリーパスの定期券代である148文を基準とし、30人単位で留湯(とめゆ)の契約を結ぶのが一般的であった。即ち、一人頭148文として30人で4440文、この時代の金一両は4000文であり、風呂屋は440文を勉強して金一両にて例えば大店との間で一ヶ月間、留湯(とめゆ)の契約を結ぶのがこれまた一般的であり、年間契約だとしても金12両という事になる。否、年間契約にすれば割引率は更に高まり、場合によっては年間金11両、10両にまで下げられる事が予想される。それらの事から考えても、年間で金22両の留湯(とめゆ)の契約が如何(いか)に法外なものかが察せられるというものであろう。勿論、蛭子(えびす)屋は大店であり、それ故、奉公人の数が膨大で、通常の大店の奉公人の倍以上が風呂屋を利用するというのであれば年間で金22両の留湯(とめゆ)の契約も決して法外とは言えないであろう。年間で金22両の留湯(とめゆ)の契約と言えば、一ヶ月50人の現金湯の客に匹敵し、それ故、30人単位の利用を見込んで留湯(とめゆ)の契約を結ぶ、その通常の大店の約二倍の客、即ち、奉公人が利用するとなれば、成程、法外とは言えぬであろう。だが蛭子(えびす)屋は確かに通常の大店より沢山の奉公人を抱えているが、それでも一日の利用客、即ち、奉公人は通常の大店の奉公人とさして変わらなかった。一日に葛野湯(かずらのゆ)を利用する奉公人を蛭子(えびす)屋の方がセーブしていたからだ。

 蛭子(えびす)屋程の大店が留湯(とめゆ)の相場を知らぬとも思えぬ。なのに蛭子(えびす)屋は相場の倍に匹敵する額で、葛野湯(かずらのゆ)と留湯(とめゆ)の契約を結んでくれている。これは完全に蛭子(えびす)屋の厚意によるものとしか、勘太郎(かんたろう)には思えなかった。

 厚意といえばもう一つ、燃料用の材木にしても同じである。蛭子(えびす)屋は厚意で燃料の材木をただで供給してくれる。風呂屋の経営において最も経費がかかる項目といえばやはり燃料代、即ち、薪代であり、故に、普請の現場に赴いては棟梁(とうりょう)より材木を分けて貰ったり、或いは、川の畔(ほとり)に赴いては流木や竹を集めたり、といった具合に燃料用の材木を確保するのが風呂屋の新入りの仕事である、という事は前述した通りだが、これとて丸っきりタダという訳にはいかない。例えば棟梁(とうりょう)より材木を分けて貰うべく、棟梁(とうりょう)の機嫌を取り結ぶのに幾らか必要であり、川の畔(ほとり)で流木や竹を集めたりするにしてもその地の「顔役」に幾らか包むのが慣わしであった。その点、蛭子(えびす)屋は葛野湯(かずらのゆ)にそれこそ丸っきりタダで燃料用の材木を供給してくれるのである。これでは蛭子(えびす)屋が年間の留湯(とめゆ)の契約代金である金22両がほぼ純益となり、葛野湯(かずらのゆ)で働く勘太郎(かんたろう)としては…、勿論、主である十左衛門(じゅうざえもん)にしても…、笑いが止まらぬ話であったが、些(いささ)か度を越した蛭子(えびす)屋の厚意に、勘太郎(かんたろう)が不気味なものを感じていたのも事実であり、何故にそこまで厚意を示してくれるのか、勘太郎(かんたろう)は材木問屋・蛭子(えびす)屋を任されている番頭に対して、材木をタダで供給してくれる理由と共に一度、尋ねた事があるのだが、やはりはぐらかされてしまった。勘太郎(かんたろう)としてもあまりその事を突(つつ)いて、蛭子(えびす)屋の不興を買っては大変だとの思いから、同じくそれ以上は深く追及しなかった。

 朝の風呂掃除が終わるのが昼四つ(午前10時頃)で、それから少し遅めの朝飯となる。朝飯はいつも勘太郎(かんたろう)が燃料用の材木を分けて貰うべく、蛭子(えびす)屋に足を伸ばしている間に十左衛門(じゅうざえもん)が用意しておいてくれる。本来なら飯炊(めした)きは女房の仕事であろうが、生憎(あいにく)、十左衛門(じゅうざえもん)は女房に先立たれ、それ故、女房の代わりを…、というよりは母親の代わりを務めねばならない。今でいうところのシングルファーザーであった。

 朝飯は皆で一緒に…、と言っても十左衛門(じゅうざえもん)と善之助(ぜんのすけ)、勘太郎(かんたろう)の三人のみで、大勢で、という訳にはいかないが、それでも独り寂しく食うよりは良い。

 風呂掃除を終えると、奥座敷で寝ている善之助(ぜんのすけ)を台所へと連れて来るのが勘太郎(かんたろう)の仕事であった。

 兄貴はもう一度、眠っちまったか…、勘太郎(かんたろう)はそう思いつつ、再び、奥座敷に足を踏み入れると、予想に反して善之助(ぜんのすけ)は相変わらず縁側で日向ぼっこをしていた。四月の心地良い暑さに体の調子が良いらしい。

「兄貴、朝飯だぜ」

 勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)の背中に声をかけた。だが呼びかけても反応がなかったので勘太郎(かんたろう)は思わずドキリとしたが、それからすぐに善之助(ぜんのすけ)は振り返り、
「分かった」と返事をしてくれたので、勘太郎(かんたろう)は胸を撫で下ろしたものである。

「兄貴、朝飯、持ってこようか?」

 もしかしたら兄貴はまた体の調子が悪いのかも…、そう思った勘太郎(かんたろう)は気を利かせてそう言ったのだが、善之助(ぜんのすけ)は従弟のそんな胸中を慮(おもんぱか)ってか、

「大事ない。今日は真、体の調子が良い故にな」

 微笑みながらそう答えて、勘太郎(かんたろう)を安心させようとした。一方、勘太郎(かんたろう)もまた、そんな従兄・善之助(ぜんのすけ)の気持ちが分かるだけに、余計に心配であったが、善之助(ぜんのすけ)はそんな勘太郎(かんたろう)の心配を打ち消すが如(ごと)く、スクッと立ち上がるなり殊更にドスドスと音を立てて勘太郎(かんたろう)の元へと近付くなり、「さぁ、参ろう」と言った。勘太郎(かんたろう)としても従兄にそこまで元気な様子を印象付けられては、これに従う他はなく、
「ああ…」と頷き、二人して台所へと向かった。

 台所には既に三つの膳が並べられており、膳台の上には味噌汁に焼き魚…、焼き鮭(じゃけ)に卵焼きという献立(こんだて)であった。そして十左衛門(じゅうざえもん)はというと、丁度、茶碗にご飯をよそっているところであった。

 十左衛門(じゅうざえもん)が三人分の茶碗にご飯をよそい終え、それを三つの膳台に載せたところでタイミング良く、勘太郎(かんたろう)が善之助(ぜんのすけ)を連れて来た。

 十左衛門(じゅうざえもん)は善之助(ぜんのすけ)と勘太郎(かんたろう)を交互に見比べ、そして、「飯が出来た故、喰おう」と二人に声をかけた。すると善之助(ぜんのすけ)がすかさず、「はい」と品の良い返事をしたので、勘太郎(かんたろう)も慌てて、「おうっ」と返事をした。本来なれば従兄の善之助(ぜんのすけ)に倣(なら)い、「はい」と品良く返事を返すべきところ、勘太郎(かんたろう)はどうにもガサツで、言葉遣いを品良く、というのが苦手であった。それ故、勘太郎(かんたろう)は常々、従兄の善之助(ぜんのすけ)の品の良い言葉遣いに接して、

「よっぽど手習いを受けたんだろうな…」

 そう単純に考えていた。手習い、という点においては勘太郎(かんたろう)も幼い時分より養父たる十左衛門(じゅうざえもん)より手解(てほど)きを受け、読み書き算盤(そろばん)は一通り身につけてはいたものの、それでも言葉遣いの悪さはどうにもならず、また書の方も文字は汚かったが、しかし簡単な暗算ぐらいは出来たので、特に支障はなかった…、その点、従兄の善之助(ぜんのすけ)は言葉遣いもさることながら、書の方も中々の達筆であり、その事からも、兄貴はよっぼど手習いを受けたに違いねぇ、と勘太郎(かんたろう)に思わせた…。

 善之助(ぜんのすけ)は膳の前まで歩み寄るとこれまた美しい所作で床に腰をおろしたので、勘太郎(かんたろう)も従兄の隣へと歩み寄ると、従兄に倣(なら)って美しい所作で床に腰をおろそうとしたものの、結局うまくゆかず、いつも通りドスンと下品な音を立てて床に腰をおろした。

 十左衛門(じゅうざえもん)も膳の前についたところで、十左衛門(じゅうざえもん)の「頂きます」との掛け声に続けて、善之助(ぜんのすけ)と勘太郎(かんたろう)も「頂きます」と掛け声を合わせたところで朝飯となる。勘太郎(かんたろう)が唯一、自慢出来るとすれば今のような、食事時における箸(はし)の使い方ぐらいのものであろうか。

 勘太郎(かんたろう)は箸(はし)の使い方だけは善之助(ぜんのすけ)と同じく、美しく使えた。それは偏(ひとえ)に、養父の教育が大変に宜しかった為である。言葉遣いや立ち居振る舞いがどんなに悪(わる)かろうとも大目に見てくれた十左衛門(じゅうざえもん)もこと、箸(はし)の使い方だけは大変に厳しく、幼い時分、勘太郎(かんたろう)は箸(はし)を上手に使う事が出来ず、養父より度々、折檻(せっかん)を受けていた…、という程のものではないが、それでも利き手である右手をビシバシと、叩かれたものである。その甲斐あってか、勘太郎(かんたろう)は箸(はし)だけは従兄同様、美しく使う事が出来た。ところで従兄は箸(はし)の使い方は勿論、読み書き算盤や礼儀作法や所作に至るまで美しく、善之助(ぜんのすけ)は勘太郎(かんたろう)より遥かに十左衛門(じゅうざえもん)から厳しく躾(しつ)けられていた事が容易に分かろうというもので、勘太郎(かんたろう)は他人事ながら、従兄の善之助(ぜんのすけ)が実父に当たる十左衛門(じゅうざえもん)よりどんな手解(てほど)きを受けたのか、想像するだに身震いした。十左衛門(じゅうざえもん)は勘太郎(かんたろう)に対しては、血の繋(つな)がりがなく、どこか遠慮がちであったが、善之助(ぜんのすけ)は血の繋(つな)がった実の倅であるだけに、ここまで上達するのに遠慮なく折檻(せっかん)したに違いない。勘太郎(かんたろう)には到底、耐えられない事であり、それ故、勘太郎(かんたろう)は従兄の善之助(ぜんのすけ)の微笑に隠されているに違いない辛苦に思いを馳せる時、善之助(ぜんのすけ)を尊敬せずにはいられなかった。

 朝飯を食い終えると、片付けは善之助(ぜんのすけ)と勘太郎(かんたろう)の仕事であった。別段、決まっている訳ではなかったが、それでも勘太郎(かんたろう)が物心がついた時より二人仲良く膳部を片付けるのが日課と化していた。十左衛門(じゅうざえもん)も特に何も言わず、そっと台所を後にすると、風呂の釜炊(かまた)き場へと向かった。釜炊(かまた)き場のすぐ傍に、勘太郎(かんたろう)が置いた燃料用の材木を吟味する為である。その間、勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)と共に膳部を洗っていた。だが勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)が病弱である事を、幼い時分は知らなかったが、物心がついてそうと知るや否や、

「俺がやるから、寝てろよ」

 善之助(ぜんのすけ)を休ませようとしたが、善之助(ぜんのすけ)はやはり微笑を浮かべたまま、

「これぐらいなれば体に障る事もあるまいて、一緒に片付けようぞ」

 そう答えて勘太郎(かんたろう)の厚意を謝絶した。善之助(ぜんのすけ)はその上で、

「無為(むい)徒食(としょく)の身なれば、これぐらいの事はさせてくれ」

 そうも主張したので、勘太郎(かんたろう)としても善之助(ぜんのすけ)からそこまで強く言われては拒む訳にはゆかず、一緒に膳部を片付けるのを日課としていた。但し、もし善之助(ぜんのすけ)の体に障るような事があれば…、その兆候があっただけでも…、勘太郎(かんたろう)は有無を言わせず善之助(ぜんのすけ)を寝床へと引っ張って行くつもりであった…。

 膳部の片付けを終えると、勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)を再び奥座敷へ連れて行き、寝かしつける。甘やかし過ぎと思われるかも知れぬが、善之助(ぜんのすけ)は勘太郎にとっては恩人とも言うべき十左衛門(じゅうざえもん)の大事な倅であり、勘太郎(かんたろう)としては、十左衛門(じゅうざえもん)に対する義理立てから善之助(ぜんのすけ)を甘やかしていた、というのもあるが、それ以上に、善之助(ぜんのすけ)は勘太郎(かんたろう)よりも年上であったが…、といってもたった三歳差であるが…、善之助(ぜんのすけ)のその儚(はかな)げな面影(おもかげ)を見るにつけ、何とか力になってやりたい、といった保護欲を搔(か)き立てられるのである。俺はもしかすると頭がおかしいのか…、勘太郎(かんたろう)は時々そう思うものの、善之助(ぜんのすけ)を力になってやりたい、もっと言えば包み込んでやりたい、との感情、もとい保護欲という名の欲求が理性よりも遥かに優っており、どうにも甘やかさずにはいられなかった。

 勘太郎(かんたろう)は善之助(ぜんのすけ)を寝かし付けると…、やや強引に…、釜焚(かまた)き場へと向かった。そこでは既に勘太郎(かんたろう)が持って来た燃料用の材木を吟味し終えた十左衛門(じゅうざえもん)が勘太郎(かんたろう)が来るのを待っていた。

「済まねぇ、遅くなっちまった」

 勘太郎(かんたろう)はペコリと頭を下げると、「いや、構わぬ」との十左衛門(じゅうざえもん)の答えが返ってきた。

「丁度、吟味を終えたところぞ」

 十左衛門(じゅうざえもん)はそうも付け加えた。

「それでどうだった?」

 勘太郎(かんたろう)は十左衛門(じゅうざえもん)を上目遣いに見つつ、そう尋ねた。どうだった、とは勿論、己が蛭子(えびす)屋より分け与えて貰い、運んで来たその燃料用の材木の質について、であった。

「うむ。どれも燃料用の材木としては一級品ぞ」

 十左衛門(じゅうざえもん)にそう褒められて、勘太郎(かんたろう)はホッと胸を撫で下ろすと同時に、いつも一級品の燃料用の材木をタダで分け与えてくれる蛭子(えびす)屋に感謝した。それというのも蛭子(えびす)屋はいつも十左衛門(じゅうざえもん)の眼鏡に適う、十左衛門(じゅうざえもん)の言うところの、「一級品」の燃料用の材木を分け与えてくれるからだ。

 十左衛門(じゅうざえもん)はその燃料用の材木を使って、勘太郎(かんたろう)に釜炊(かまた)きの極意を伝授した。釜焚(かまた)きの極意…、それは如何(いか)にして燃料用の材木を節約しつつ、湯を炊(た)くか、それに尽きる。燃料用の材木も無尽蔵ではない。極力、無駄を排除しつつ、客を満足させる湯加減を如何(いか)にして維持するか、それこそ釜焚(かまた)きの極意であり、木拾いの次に
任される仕事であった。勘太郎(かんたろう)は新入りの仕事である木拾いを始めてから早十年経つ。そろそろ次の仕事…、釜焚(かまた)きの仕事を覚えねばならず、それ故、十左衛門(じゅうざえもん)が正に手取り足取り、勘太郎(かんたろう)に釜炊(かまた)きのコツを教えていた。

 そしてそれが終わるのが、いよいよ葛野湯(かずらのゆ)の開店時刻である昼九つ(正午頃)の少し前で、十左衛門(じゅうざえもん)と勘太郎(かんたろう)は手分けして、残る諸々の営業準備をし、客を待ち受けるのであった。

 昼九つ(正午頃)に開店してから最初の客は蛭子(えびす)屋の主・八郎左衛門(はちろうざえもん)の母親・静(しず)であり、二人の女中を伴って店に訪れるのが日課であった。この刻限に風呂とは良い御身分であったが、静(しず)は御齢(おんとし)60歳、所謂(いわゆる)、還暦(かんれき)で、楽隠居の特権であった。その特権のお零(こぼ)れに与(あずか)る事の出来る二人の女中はラッキーと言えた。ちなみに静(しず)の亭主は…、八郎左衛門(はちろうざえもん)にとっては父親…、既に亡(な)いそうである。以前、勘太郎(かんたろう)がいつものように材木問屋の蛭子(えびす)屋から燃料用の材木を分け与えて貰った折、店(たな)を任されている番頭より耳にした話で、勘太郎(かんたろう)は思わず両親のいない己と重ね合わせてしまい、いつ亡くなったのか尋ねてみたい衝動に駆られたが、しかし勘太郎(かんたろう)は己も両親がおらず、その事について他人からあれこれ詮索(せんさく)される事も度々(たびたび)で、その度(たび)に嫌な思いをしてきており、

「俺も嫌な人間にはなりたくねぇ」

 との思いから詮索(せんさく)するのを思い止まった。

 入浴の五つ道具とも言うべき澡豆(そうとう)・蘇膏(そこう)・惇灰(じゅんかい)・楊枝(ようじ)・内衣(うちぎ)を入れた桶を両手に抱えた静(しず)と二人の女中が現れるのを、勘太郎(かんたろう)は十左衛門(じゅうざえもん)と共に女湯の入口で待ち受け、そして静(しず)らが姿を見せると、勘太郎(かんたろう)と十左衛門(じゅうざえもん)は静(しず)らに対して深々と頭(こうべ)を垂れて出迎えるのである。ちなみに澡豆(そうとう)とは豆類を原料とする洗い粉(こ)、蘇膏(そこう)とはまんさく科の落葉(らくよう)喬木(きょうぼく)である蘇合香(そごう)の樹皮から採取した樹脂を調合した皮膚を滑(なめ)らかにする皮膚の栄養となる薬品、惇灰(じゅんかい)は特殊な樹木から取れる灰汁(あく)を原料とするアルカリ性の石鹸(せっけん)、楊枝(ようじ)は説明の必要もないだろうが、歯ブラシの事で柔らかい楊柳(かわやなぎ)の木を原料としていたので楊という字が使われるようになった。そして最後の内衣(うちぎ)だが、湯上りのタオルであった。

 それにしても入口の前に並んで客を出迎える風呂屋なぞ、八百八町広しと雖(いえど)もこの葛野湯(かずらのゆ)ぐらいのものであろう。それもこれも静の倅にして、蛭子(えびす)屋の主たる八郎左衛門(はちろうざえもん)が葛野湯(かずらのゆ)の最大のスポンサーである為だ。

「頭を下げるのは当然だ…」

 勘太郎(かんたろう)はそう納得していたが、しかしどうにも納得出来かねる事が一つあった。それは静(しず)の態度であった。余りにも尊大…、どころかそれとは真逆(まぎゃく)で、静(しず)らに頭を下げる十左衛門(じゅうざえもん)と勘太郎(かんたろう)に対して、静(しず)らも返礼する始末で、これには勘太郎(かんたろう)も首を傾げるばかりで、勘太郎(かんたろう)の心中、最早、この葛野湯(かずらのゆ)と蛭子(えびす)屋との間に何かある、との予感を通り越し、確信へと変わっていたが、気にしない事にした。それ以上に気になる事があったからだ。

 勘太郎(かんたろう)が最も気になる事、それは風呂屋の営業にかかわる事で、それはズバリ、

「葛野湯(かずらのゆ)には三助(さんすけ)がいない」

 という事であった。

 三助(さんすけ)とは「流し」の男衆(おとこし)の事で、男湯にも女湯にも褌(ふんどし)一つで出入(でいり)が自由という、正に風呂屋の花形で、男なれば誰もが…、とまでは言わぬが、それでも憧れの仕事の一つではある。番台の拍子木(ひょうしぎ)の音で男客か女客かを判断し、湯を入れた桶を三つ用意する。そして客が湯から上がると、垢すりや糠袋でもって客の背中から腕にかけてをほど良く擦(こす)り、用意しておいた桶の湯をかけて洗い流すと軽く揉み解(ほぐ)し、これが済むと両手で客の背中をパンパンッ、と景気良く叩くのであるが、このパンパンッという音、湯屋中に木霊(こだま)し、如何(いか)にも景気が良さげであるものの、決して痛みを与えず、それどころか陶然(とうぜん)とさせるところに三助(さんすけ)の腕の見せ所があった。当たり前の話であるが、陶然(とうぜん)とさせるのが優れていればいる程に、祝儀の額も違ってくる。腕の良い三助(さんすけ)なれば特にその筋の…、所謂(いわゆる)、玄人(くろうと)筋である芸者衆や茶屋女、常磐津(ときわず)の師匠や囲い者…、お妾さん…、から過分の「心付け」を期待出来る。

 特に美男子で筋骨隆々な三助(さんすけ)なれば玄人(くろうと)筋からの…、芸者衆などからの…、「心付け」の額も半端ではない。一日の「心付け」だけで一ヶ月、どころか一年間、それこそ遊んで暮らせるだけの額を叩き出す三助(さんすけ)もいる程である。

 さて勘太郎(かんたろう)の場合であるが、美男子とまでは言わぬが、それでもまあまあの顔だとの自負があり、何より燃料用の材木を担ぐ明け暮れのお陰で大分(だいぶ)筋肉も発達し、

「これなら間違いなしに玄人(くろうと)の客からの祝儀が期待出来らぁ…」

 勘太郎(かんたろう)はそう自負し、養父・十左衛門(じゅうざえもん)に対して、三助(さんすけ)の仕事を…、如何(いか)にして客の背中を叩いては客を陶然(とうぜん)とさせる事が出来るのが、その技術を、「教えて貰いてぇ」と頼んだ事があるのだが、すると十左衛門(じゅうざえもん)は怖い顔をして、「左様な事、覚える必要はない」と結構な剣幕(けんまく)で叱られたものであった。

 勘太郎(かんたろう)としては早く三助(さんすけ)になって玄人(くろうと)筋…、芸者衆などの客を相手にしたい、との欲求があった。勿論、玄人(くろうと)筋の「体」と「心付け」という、正に色と欲からであったが…、勘太郎(かんたろう)も決して聖人君子ではなく、人並みに、否、人並み異常に色欲もあれば物欲もあったが…、それ以上に、

「このまま永久に蛭子(えびす)屋が破格の額で留湯(とめゆ)の契約を継続してくれるとは限らねぇ」

 との勘太郎(かんたろう)なりの心配からであった。

 留湯(とめゆ)の契約を結んでいる蛭子(えびす)屋も立派な客筋である以上、開店後、最初に現れる静(しず)を始めとし、一日の仕事を終えてから現れる蛭子(えびす)屋の主やその女房、或いは奉公人らの為にも三助(さんすけ)は不可欠であった。それ故、勘太郎(かんたろう)は客である彼ら…、蛭子(えびす)屋の一族郎党の為に、

「三助(さんすけ)の仕事を早く覚えてぇ」

 との思惑もあって、十左衛門(じゅうざえもん)に三助(さんすけ)の仕事、もとい技量を、

「教えて貰いてぇ」

 と頼んだのであった。

 だが十左衛門(じゅうざえもん)は「勘太郎(かんたろう)は三助(さんすけ)にならずとも良い」との一点張りで、決して勘太郎(かんたろう)に三助(さんすけ)の仕事を教えようとはしなかった。そこで勘太郎(かんたろう)は、

「そんならせめて、蛭子(えびす)屋さん達の為に、三助(さんすけ)を雇ったら?」

 そう提案したものの、やはり十左衛門(じゅうざえもん)から「必要ない」と一蹴(いっしゅう)されてしまった。

 事実、開店後に最初に姿を見せる蛭子(えびす)屋の主・八郎左衛門(はちろうざえもん)の実母・静(しず)を始めとし、主の八郎左衛門(はちろうざえもん)やその女房、番頭ら奉公人に至るまで、彼らは三助(さんすけ)を必要としなかった。何故なら、三助(さんすけ)が本来やるべき仕事たる、垢すりや糠袋で背中から腕にかけてをほど良く擦(こす)り、湯をかけて洗い流す、という動作を自ら行い、例のパンパンッ、という陶然(とうぜん)とさせてくれるサービスがなくとも文句も言わず、であった為だ。蛭子(えびす)屋はこの葛野湯(かずらのゆ)との間で年間、金22両という破格とも言える金額でもって留湯(とめゆ)の契約を結んでいるにもかかわらず、である。本来なれば他の風呂屋よりも上質の…、どころか最高のサービスを求める権利があるにもかかわらず、である。だのに蛭子(えびす)屋の主である八郎左衛門(はちろうざえもん)は、風呂屋なれば必ずと言って良い程に、受けられる筈のその、三助(さんすけ)のサービスを受けられずとも文句一つ言わないのである。

 これには流石の勘太郎(かんたろう)も不気味でならなかった。
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