天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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益五郎、源太郎に啖呵を切る

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 結局、今年、天明元(1781)年の3月23日に父・銕三郎てつさぶろうの死という形で、益五郎ますごろうはこの鷲巣わしのす家をぐべく、それこそ、

「泣く泣く…」

 屋敷やしきへと帰って来たのであった。

 そして初七日しょなのかも済んだ3月の晦日みそか、31日の今日、源太郎げんたろうが改めて益五郎ますごろう縁談えんだんを申し込むべく、それも益五郎ますごろうという男を見定みさだめるべく、ここ小川丁にある鷲巣わしのす邸を昼に訪れることとなっており、実際、源太郎げんたろうは昼時に鷲巣わしのす邸を訪れたのであった。そのことは勿論、益五郎ますごろうにも家老の上野うえの左大夫さだゆうを通じて伝えられているはずであり、実際、左大夫さだゆう益五郎ますごろうに対して、今日だけは徘徊はいかいなどせずに屋敷やしきに大人しくいてくれるよう、何度も念押ねんおしをした。

 しかし、益五郎ますごろう屋敷やしき大人おとなしく待っているはずもなく、ひそかに屋敷やしきを抜け出してはあらくれ者との喧嘩けんかに明け暮れたのであった。左大夫さだゆう激怒げきどするのも当然であった。

「もう帰ったのか…」

 左大夫さだゆう激怒げきどを受け流しつつ、屋敷やしきに上がった益五郎ますごろうはぶっきらぼうな口調でそう尋ねた。すると、

「いえ、それが未だにお待ちでござる」

 との左大夫さだゆうの返事が聞かれ、これにはさしもの益五郎ますごろういささか驚き、そしてあきれたものである。てっきり約束をすっぽかされて帰ったものとばかり思っていたからだ。益五郎ますごろうもそれを期待して、あえて屋敷やしきを抜け出した面もある。

 それというのも源太郎げんたろうの娘との縁談えんだん益五郎ますごろうにはどうにも気に入らなかったからだ。親父おやじ同士の間で勝手に決められた縁談えんだん…、それが益五郎ますごろうの気に入らぬところであった。

 にもかかわらず、

「未だに俺の帰りを待ち受けているとは…」

 益五郎ますごろうは右手の指を折り曲げて、源太郎げんたろうが待っている時間を計算した。益五郎ますごろうは計算が苦手であった。するとそうと察した左大夫さだゆうが、「三刻(約6時間)以上もお待ちでござる」といまだに怒りがけない口調でそう教えた。

「そっか…」

 いかに源太郎げんたろうの娘との縁談えんだんが気に入らずとも、己のことを未だに待ち受けている源太郎げんたろうを無視し、追い返すことは益五郎ますごろうの男としての美学に反していた。

「それで野郎…、横田はどこで待ってんだ?」

「奥の座敷ざしきにて…」

(堂々と断ってやろうじゃねぇか…)

 益五郎ますごろうはそう思うとボロボロになったその格好かっこう源太郎げんたろうの待つ奥座敷おくざしきへと向かった。流石さすが左大夫さだゆうが何度も着替えるようにと忠告したものの、しかし、益五郎ますごろうはそれを無視して大股おおまたで、それもわざと大きな足音を響かせて奥座敷おくざしきへと向かったのであった。

 そして益五郎ますごろう奥座敷おくざしきの出入り口の前に立つと、両手で持って勢い良く障子しょうじを開けた。スパーンッという良い音がした。

 それに対して上座かみざにて着座ちゃくざしていた源太郎げんたろうは急に勢い良く開かれた障子しょうじの方へと目を転じると、廊下ろうかに立つボロボロの益五郎ますごろうの立ち姿が目に飛び込んで来た。

「待たせて悪かったなっ」

 益五郎ますごろうは一応だが、そうびの言葉を告げると、ペッと畳に血痰けったんいてみせた。背後に控える家老の左大夫さだゆうは今にも卒倒そっとうしそうな様子であったが、逆に源太郎げんたろうはいよいよ益五郎ますごろうという男が気に入った。

「だいぶ待ったが…、来てくれてうれしく思うぞ」

 源太郎げんたろうも立ち上がると、益五郎ますごろうの前へと歩み寄り、そして益五郎ますごろうと向かい合った。

「改めて…、横田よこた源太郎げんたろう松房としふさだ」

 源太郎げんたろう益五郎ますごろうにそう自己紹介すると、益五郎ますごろうも礼儀として、いや、己のその男としての美学から、「鷲巣わしのす益五郎ますごろうだ」と名乗りをあげた。

「そうか…、良い男ぶりだな」

 源太郎げんたろうからまさかそんなめ言葉が聞かれるとは、益五郎ますごろうはまたしても驚かされた。と同時に、父・銕三郎てつさぶろうとはまた違った意味で型破かたやぶりなところが見受けられるこの横田よこた源太郎げんたろう松房としふさなる男に益五郎ますごろうは興味を覚え始めてた。

 が、それと縁談えんだんとはまた別問題であった。

「そういうあんたも良い男だな」

 益五郎ますごろうはまずはそう返すと、「だけどそれと縁談えんだんとは別問題だぜ」と念押ねんおしするようにそう言った。

「俺の娘では不足というのか?」

 源太郎げんたろうはあえていどむような口調で尋ねた。益五郎ますごろうの答えが如何いかなるものか、それを期待してのものであった。

「あんたの娘がどんな女か、俺は知らねぇから、俺にとって不足かどうかなんてことは分からねぇ。だが、俺の娘をくれてやろう、うれしいだろうって言わんばかりのあんたの態度は気に入らねぇ」

 期待通りの答えだと、源太郎げんたろうは内心、大いに喜んだが、しかし、源太郎げんたろうはその喜びをあえてまだ表には出さずに、さらに益五郎ますごろうを試すことにした。

「俺は御側おそば御用ごよう取次とりつぎ横田よこた筑後守ちくごのかみ遠縁とおえんに当たりし者…、御側おそば御用ごよう取次とりつぎがどんなにえらいか、お前、分かるか?」

「知らねぇし、知りたいとも思わねぇ」

 源太郎げんたろう益五郎ますごろうのその答えを無視して続けた。

御側おそば御用ごよう取次とりつぎはとてもえらいんだぞ。だからな、その御側おそば御用ごよう取次とりつぎ横田よこた筑後守ちくごのかみ遠縁とおえんに当たりしこの俺の娘をめとるということはだ、立身りっしん出世が約束されたも同じこと…、どうだ?これでも俺の娘をめとりたいとは思わんか?」

 源太郎げんたろうがそう言うやいなや、益五郎ますごろう源太郎げんたろう胸倉むなぐらつかんだ。これには左大夫さだゆうあわてて益五郎ますごろうを引き離そうとしたものの、しかし、源太郎げんたろう左大夫さだゆうに対して目で制した。すると左大夫さだゆうもそうと察すると、源太郎げんたろう意図いと奈辺なへんにあるのか、そこまでは分からぬものの、それでもとりあえず成り行きに任せることにした。

 一方、益五郎ますごろう源太郎げんたろう胸倉むなぐらつかみつつ、

めんじゃねぇぞっ!?」

 まずはそうつばを飛ばし、

「女を出世の道具に使うほど、俺は落ちぶれちゃいねぇっ!」

 さらにそうつばを飛ばすと、ようやくに源太郎げんたろうから手を離した。益五郎ますごろうつばを飛ばすほどに怒鳴ったことで落ち着きを取り戻したのか、源太郎げんたろうから手を離すと、

「女を出世の道具に使いたい野郎ならごまんといるだろうぜ…、あんたの娘さんはそんな野郎にでもくれてやれ…」

 今度は静かな口調でそう言ったのであった。すると源太郎げんたろう呵呵かか大笑たいしょうしてみせた。

益五郎ますごろう殿、大いに気に入りましたぞっ!」

 源太郎げんたろう満面まんめんの笑みをたたえてそう告げたので、これには益五郎ますごろうも思わず、困惑気こんわくげな表情を浮かべつつ、「えっ…」と口にした。

益五郎ますごろう殿が心底しんてい、しかと見届けた。この上はが非でも我が娘をめとっていただくっ!」

 源太郎げんたろうはそう宣すると、疾風はやてごとくに鷲巣わしのす邸をあとにした。
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