天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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一橋治済の陰謀

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面白おもしろくないのう…」

 御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家の当主、治済はるさだ近習きんじゅう岩本いわもと喜内きない正信まさのぶを相手にそうつぶやいた。

 今日、4月1日の恒例こうれい月次つきなみ御礼おんれい生憎あいにく御三卿ごさんきょうはそれこそ、

「お呼びでない…」

 というものであった。

 御三卿ごさんきょうが江戸城に登城できるのは正月元旦と11日の具足ぐそくの祝い、それに五節句ごせっく式日しきじつなどと、それに平日の登城が許されていた。

 それはやはり御三卿ごさんきょうは将軍家の家族という位置付けであることに由来ゆらいし、そこが御三家との違いであった。

 だが御三卿ごさんきょうもこと、毎月1日と15日の月次つきなみ御礼おんれいだけは登城が許されていなかった。御三卿ごさんきょうはことほど左様に、いつにても将軍と顔を合わす機会に恵まれているので、

月次つきなみ御礼おんれいぐらいは普段は平日登城など許されていない御三家を始めとする諸大名や、あるいは旗本を優先してやれ…」

 御三卿ごさんきょう月次つきなみ御礼おんれいに登城できない理由にはそのような意味がめられていた。

 いや、それ以上に、

御三卿ごさんきょうは将軍の臣下しんかではなく、家族なのだから…」

 そのような意味がめられていた。

 すなわち、月次つぎなみ御礼おんれいとは大名や旗本などが将軍との間で、

主従しゅじゅうきずなを再確認するため…」

 そのような「コンセプト」があり、裏を返すと月次つきなみ御礼おんれいに登城する大名や旗本たちは皆、将軍の家臣というわけだ。それは御三家もその例外ではなかった。つまりは御三家も将軍の家臣に過ぎないというわけだ。

 それに比して御三卿ごさんきょうはと言うと、将軍の家臣ではなく、将軍の家臣として扱われており、

「将軍の家族である以上、将軍との間で主従しゅじゅうきずなを再確認する月次つきなみ御礼おんれいにはあえて、登城する必要はあるまい…」

 御三卿ごさんきょう月次つきなみ御礼おんれいには登城できない、いや、正確に言うならば登城しない理由であり、つまり御三卿ごさんきょうがその、今日のような月次つきなみ御礼おんれいに登城しないのは御三卿ごさんきょうにとっては、

「優遇」

 であったのだ。

 それゆえ治済はるさだ月次つきなみ御礼おんれいに登城できないことをとらえて、近習きんじゅう岩本いわもと喜内きないを相手に、

面白おもしろくないのう…」

 そうつぶやいたわけでは決してない。

 治済はるさだが、「面白おもしろくないのう…」とつぶやいたのは他でもない、田沼たぬま意知おきともがつい1週間ほど前…、先月の3月24日に江戸城本丸は中奥なかおくのそれも最奥さいおう部に位置する御用之間ごようのままねかれたことを指しての、

面白おもしろくない…」

 であった。

 さて、治済はるさだにその「情報」をもたらしたのは他でもない、今、治済はるさだの相手をしている近習きんじゅう岩本いわもと喜内きないその人であった。

 岩本いわもと喜内きないおいに当たる岩本いわもと正五郎しょうごろう正倫まさともは江戸城本丸の中奥なかおくにて小納戸こなんどを勤めているので、それゆえ中奥なかおくの情報が叔父おじに当たる喜内きないへと、それこそ、

「リアルタイム」

 で伝わるのであった。

 と言っても、正五郎しょうごろうから喜内きないへとじかに伝わるわけではなく、正五郎しょうごろうの父にして喜内きない実兄じっけいに当たる岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正利まさとしかいしてであった。

 この正五郎しょうごろうの父、内膳正ないぜんのかみ正利まさとしもまた、小普請こぶしん奉行として江戸城本丸は表向おもてむきにて勤めており、それゆえ正利まさとしは我が子・正五郎しょうごろうと共にほぼ毎日、虎ノ御門内にある屋敷から勤務先である江戸城本丸へと「通勤」していたのだ。

 そして中奥なかおくであった出来事について、正五郎しょうごろうは虎ノ御門内にある自邸じていへと帰宅してから父・正利まさとしにそのことを語るのが習慣であり、そうしてせがれ正五郎しょうごろうより伝え聞いたその中奥なかおくの情報を書状にしたためて、ここ一橋ひとつばし邸にて近習きんじゅうとして一橋ひとつばし家、と言うよりは治済はるさだ個人につかえる弟の喜内きないへとそれこそ伝言ゲームの要領で伝えるのが日課と化していた。

 だがこと、今回の意知おきともが将軍の秘密部屋とも言うべき御用之間ごようのまへとまねかれたというその情報については中々、喜内きないの元へと伝わらず、ようやくその「情報」が喜内きないもたらされたのは昨日、3月31日のことであった。

 このことは、中々なかなか正五郎しょうごろうが父・正利まさとしに伝えられなかったことを意味する。余程よほど厳重げんじゅう緘口かんこう令がかれていたのであろう。

 それでも意知おきとも御用之間ごようのままねかれてから6日目の先月30日にして、ようやくに正五郎しょうごろうは実はと、父・正利まさとしにそう切り出して打ち明けると、それを伝え聞いた正利まさとしはその「情報」を書状にしたためて、ここ一橋ひとつばし邸にて暮らす弟・喜内きないへとその書状を届けたのがつい昨日のことであった。

 喜内きないはその書状の中身をただちに、治済はるさだに伝えようかとも思ったが、明日になれば…、すなわち、今日4月1日になれば、家老の水谷みずのや勝富かつとみ田沼たぬま意致おきむね不在ふざいとなるので、報告は今日まで持ち越したというわけだ。

 御三卿ごさんきょう家老は御三卿ごさんきょうの「お目付めつけ役」としての色彩しきさいを帯びる、

附人つけびと

 ゆえに常にやしきにて駐在ちゅうざいせねばならなかった。

 ただし、御三卿ごさんきょう家老は江戸町奉行や勘定奉行と同じく、相役あいやく…、同僚がいるので、二人してやしきめる必要はなく、交代でめれば良かった。

 そこで二人の家老のうち一人の家老がやしきめている間は、もう一人の家老は江戸城に登城して、中奥なかおくにおいては御側衆おそばしゅうと、表向おもてむきにおいては、

御城附おしろづき

 とも呼ばれる御三家の留守居るすい、あるいは、

御城使おしろづかい

 とも呼ばれるその他の大名の江戸えど留守居るすいとそれぞれ情報交換にいそしむ。ちなみにその他の大名の江戸えど留守居るすい蘇鉄之間そてつのまめていた。

 そのような御三卿ごさんきょう家老のために中奥なかおく表向おもてむき双方そうほう詰所つめしょが与えられており、中奥なかおくにおいては御小納戸おこなんど東部屋のすぐそばに、表向おもてむきにおいては菊之間きくのまの一角にそれぞれ詰所つめしょが与えられており、御三卿ごさんきょう家老はほぼ毎日、交代で江戸城に登城しては御三家やその他の大名の江戸えど留守居るすいと情報交換をすべく、それらの詰所つめしょめるのを日課としていた。

 もっとも、今日のような月次つきなみ御礼おんれい式日しきじつともなると話は別である。何しろ御三卿ごさんきょう家老も幕臣ばくしんすなわち、

「将軍の家臣…」

 すうである以上、将軍との間で主従しゅじゅうきずなを再確認できるこの、月次つきなみ御礼おんれいの「イベント」に出席できる「恩典おんてん」を有していたからだ。

 つまり御三卿ごさんきょう家老は今日のような式日しきじつには職務から解放されて、二人して江戸城に登城しては将軍への拝謁はいえつかなうのであった。つまりは主従しゅじゅうきずなが再確認できるのであった。

 それゆえその月次つきなみ御礼おんれい式日しきじつに当たる今日、4月1日は勝富かつとみ意致おきむねも江戸城に登城していて不在ふざいであったのだ。

 そこで喜内きない勝富かつとみ意致おきむね不在ふざいとなる今日を狙って、治済はるさだに伝えることにしたのだ。

 一方、主君しゅくん治済はるさだにしても、喜内きないからその報告を聞き終えるや、まずは喜内きないのこの「処置」をめそやしたものである。

 それは他でもない、治済はるさだ勝富かつとみ意致おきむねの両名に対して心底しんそこ、心を許してはいなかったからだ。

 成程なるほど勝富かつとみにしろ意致おきむねにしろ、そく豊千代とよちよ西之丸にしのまる入りの実現に向けて、つまりは豊千代とよちよの次期将軍就任に向けて随分ずいぶんと骨を折ってもらった。

 勝富かつとみ意致おきむねも本来ならば御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家老として、この一橋ひとつばし家の当主である治済はるさだの、

「お目付めつけ役」

 としての性格を帯びている「附人つけびと」であった。

 それを治済はるさだがそんな勝富かつとみ意致おきむねの両名に対して、家基いえもと亡き後の次期将軍に我が子・豊千代とよちよを何としてでも擁立ようりつしたいので、

「そのための工作を…」

 治済はるさだは二人に頭を下げてまで頼んだのであった。

 それに対して勝富かつとみ意致おきむねもまさかに御三卿ごさんきょうの当主たる治済はるさだから頭を下げられるとは思いもせず、まさに、

「完全に想定外そうていがい…」

 であったので、二人は大いに戸惑とまどった。

 だがこうして御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家という、それこそ、

金看板きんかんばん

 を背負せお治済はるさだから頭を下げられては、如何いか御三卿ごさんきょう当主のお目付めつけ役としての色彩しきさいを帯びている家老とは言え、いなやはあり得なかった。

 意気いきに感じたということもあるが、それ以上に打算ださんもあった。

 すなわち、ここで豊千代とよちよの次期将軍就任に手を貸せば、

「その後の出世は思うがまま…」

 という打算ださんであった。

 二人はそのような「情」と「欲」とがからみ合い、治済はるさだの頼みを引き受けるや、役割分担することにした。

 すなわち、勝富かつとみが大奥の工作を、意致おきむね中奥なかおく表向おもてむきの工作をそれぞれになうこととしたのであった。

 この役割分担だが、水谷みずのや勝富かつとみが大奥に対して太いパイプがあるのに対して、意致おきむね中奥なかおくと表向《おもてむき》の双方そうほうに対して太いパイプがあったからだ。

 具体的に説明すると、まず水谷みずのや勝富かつとみだが、本家の水谷みずのや家の祖先に当たる左京亮さきょうのすけ勝宗かつむねの妻女・栄子しげこは何と、夫・勝宗かつむねの死後に大奥に上臈じょうろう年寄どしよりとしてまねかれたのであった。

 そのような縁があってか、今でもその縁が水谷みずのや家と大奥との間でさしずめ、

地下ちか水脈すいみゃく…」

 それを思わせるかのように流れており、水谷みずのや家は今でも年頃としごろの娘を大奥にあがらせ、大奥勤めさせており、それゆえその水谷みずのや家につらなる勝富かつとみが大奥の工作をになうことにしたわけである。

 一方、田沼たぬま意致おきむねだが、言うまでもなく、表向おもてむきにおける事実上の権力者とも言うべき老中・田沼意次のおいに当たる。意次の実弟に当たる能登守のとのかみ意誠おきのぶ嫡男ちゃくなんこそがこの意致おきむねである。

 また、伯父おじ・意次は中奥なかおくを出世の足がかりとし、今でも中奥なかおくには、

「意次シンパ」

 が多く、何より田沼家は有力な中奥なかおく役人と縁戚えんせき関係で結ばれていた。

 その一例を挙げるならばやはり何と言っても、新見しんみ家との縁であろう。

 意次・意誠おきのぶ実妹じつまいすなわち、意致おきむね叔母おば西之丸にしのまるにて小納戸こなんど頭取とうどりの重職にあった新見しんみ讃岐守さぬきのかみ正則まさのり妻女さいじょである。

 もっとも、家基いえもと薨去こうきょともない、西之丸にしのまるあるじ不在ふざいとなってしまったので、そうなると西之丸にしのまるは新たなあるじむかえるまでは、

閉城へいじょう

 の措置そちが取られ、そうなると畢竟ひっきょう西之丸にしのまるあるじであった、今は家基いえもとつかえていた役人たちも西之丸にしのまるから出て行かねばならず、ある者は本丸の同役へとスライド、異動し、またある者は別のお役へと、そしてまたある者は寄合よりあい入りを果たしたりと千差せんさ万別ばんべつであり、そんな中、正則まさのり寄合よりあい入りを果たした。

 寄合よりあいとは家禄かろくが3千石以上の無役むやく、言わば、

「ニート」

 の旗本が就職先が見つかるまでの間、待機たいきする集まりのような組織であり、その点、正則まさのりが当主を務める新見しんみ家の家禄かろくは700石に過ぎないので、本来なれば寄合よりあい入りの資格がないものの、しかし、西之丸にしのまるにて小納戸こなんど頭取とうどりという重職を務めていた恩典おんてんとして、特に寄合よりあい入りを果たすことが許されたのであった。これを、

役寄合やくよりあい

 と言い、従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役を務めた者がこの恩典おんてんあずかることができ、正則まさのりが勤めた西之丸にしのまる小納戸こなんど頭取とうどりもまた、従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役であるので、その小納戸こなんど頭取とうどりを勤めた正則まさのりも当然に、

役寄合やくよりあい

 を果たせたというわけだ。

 ともあれ正則まさのり西之丸にしのまるにおいて小納戸こなんど頭取とうどりとして配下とも言うべき個々ここ小納戸こなんど指揮しきしていたので、西之丸にしのまる小納戸こなんどから本丸の小納戸こなんどへと、

「スライド」

 を果たすことができた者の中には今でも正則まさのりしたう者が多く、何より正則まさのりそく意致おきむねからすれば従弟いとこに当たる大炊頭おおいのかみ正徧まさゆき自身が本丸にて小姓こしょう頭取とうどりを務めていたのだ。

 田沼家はこのように中奥なかおくの実力者である新見しんみ家と縁続きになることで、中奥なかおくにおいて根を張ることに成功し、意次自身も将軍・家治より、

中奥なかおく兼帯けんたい

 を命ぜられていたので、老中という表向おもてむきの最高権力者の顔と同時に、中奥なかおく役人としての顔も持ち合わせていたのだ。

 そのような事情があって、その田沼家、ひいては意次の縁者えんじゃである意致おきむね中奥なかおく表向おもてむきの工作をにない、結果、水谷みずのや勝富かつとみによる大奥の工作とも相俟あいまって、豊千代とよちよ西之丸にしのまる入り、すなわち、次期将軍就任が内定した次第である。

 いや、実を言えば大奥の工作にしても意致おきむねができないわけではなかった。それどころか、

「大奥への食い込み…」

 という観点かんてんからすれば、意致おきむね、ひいては田沼家の方が水谷みずのや家よりもはるかに凌駕りょうがしていただろうが、しかし、意致おきむね中奥なかおく表向おもてむきの工作までになうことにしたので、とてもではないが、大奥の工作までは手が回らず、そこで大奥の工作は水谷みずのや家の勝富かつとみに任せることにしたのだ。

 もっとも、意致おきむね自身こそ大奥の工作には「ノータッチ」であったものの、しかし、事前に伯父おじ・意次に勝富かつとみの「サポート」を頼んだのであった。勝富かつとみ一人に大奥の工作を任せたのでは、

心許こころもとない…」

 誰あろう、治済はるさだがそう判断したからだ。

 大奥の工作は勝富かつとみが、中奥なかおく表向おもてむきの工作は意致おきむねがそれぞれになうことは勿論もちろん治済はるさだの耳にも入れておいた。そのように役割分担するつもりであることを、勝富かつとみ意致おきむねが二人して、治済はるさだに伝えたのであった。

 すると治済はるさだはそれを了承した上で、しかし後で、勝富かつとみが江戸城に登城し、意致おきむねやしきにて留守るすを預かっていた時をねらって、治済はるさだ意致おきむねに対して、勝富かつとみのその「力量りきりょう」を疑問視したのであった。すなわち、

「果たして、勝富かつとみ一人に大奥の工作を任せても大丈夫だいじょうぶか…」

 そんな懸念けねん治済はるさだ意致おきむねらしたのであった。

 治済はるさだはその上で、

「意次の手を借りたいので、意致おきむねより意次にそのむね、伝えて欲しい…」

 意致おきむねにそう頼んだのであった。つまりは意次に勝富かつとみの「サポート」をして欲しいと、治済はるさだは頼んでいたのだ。

 実は意致おきむねも同じ懸念けねんを抱いていたので、治済はるさだからのその頼みを即座そくざに引き受けた。

 もっとも、意致おきむねから勝富かつとみに対して、それも勝富かつとみから「サポート」を頼まれたわけでもないのに、それを…、意次の「サポート」の件を持ち出せば、勝富かつとみ機嫌きげんを大いに害することになろう。何しろそれはとりもなおさず、勝富かつとみの「実力」を不安視、疑問視するも同然だからだ。

 いや、実際に不安視、疑問視しているわけだが、しかし、それをはっきりと態度に出してしまえば、勝富かつとみ面子めんつつぶすことになる。

 そこで意致おきむねは意次に何もかも事情を打ち明けた上で、

勝富かつとみに気付かれぬよう、後方支援を…」

 そう頼んだのであった。具体的には勝富かつとみが大奥の工作に乗り出す前に、意次が大奥の年寄としよりといった実力者にかくかくしかじかと、事情を打ち明けた上で、

豊千代とよちよぎみ是非ぜひとも将軍家しょうぐんけ御養君ごようくんにして差し上げたいので、大奥のご賛同さんどうたまわりたい…、勝富かつとみからこのような陳情ちんじょうを持ちかけられたならば、快諾かいだくして欲しい…」

 意次が大奥サイドに対して事前じぜんにそう「根回ねまわし」を済ませていたからこそ、勝富かつとみの大奥の工作もうまくいったのであり、仮に意次の「根回ねまわし」がなかったならば、果たして勝富かつとみの工作がうまくいったかどうか、はなはだ疑問ではあった。無論、その事実は今でも勝富かつとみは知らず、恐らくは永遠に知ることはないだろう。

 ともあれ、そうであれば当然、治済はるさだ勝富かつとみ意致おきむねの二人に感謝すべきところであったが、しかし実際には治済はるさだはそれほど二人に感謝していなかった。それどころか、

「良いつかいっパシリであった…」

 治済はるさだは二人の働き振りをその程度にしか評価していなかったのだ。

 治済はるさだにとって、家老の二人はあくまで、そしてどこまでいっても、お目付めつけ役としての色彩しきさいが強い、

附人つけびと

 の一人にしか過ぎず、その点、勝富かつとみ意致おきむねも判断が甘かったと言うしかない。

 勝富かつとみにしろ、そして意致おきむねにしろ、治済はるさだから頭を下げられてまで豊千代とよちよ擁立ようりつを頼まれたために、二人もそれを意気いきに感ずると同時に、

「立身出世も夢ではない…」

 そう信じたからこそ、豊千代とよちよ擁立ようりつに骨を折ったにもかかわらず、治済はるさだとしてはそんな二人をはなから使い捨てにするつもりでいたのだ。

 例え、豊千代とよちよが晴れて征夷大将軍となり、その豊千代とよちよが己を将軍にしてくれたも同然の勝富かつとみ意致おきむねの二人を旗本にとっての、

「出世双六すごろくの上がり」

 とも言うべき御側おそば御用ごよう取次とりつぎえようとしても、実父である治済はるさだ自身、それを許すつもりはなかった。

 勝富かつとみにしろ意致おきむねにしろ、

「己が豊千代とよちよを将軍にしてやった…」

 そんな自負じふがあるに相違そういなく、そのような二人が例えば、御側おそば御用ごよう取次とりつぎこうものなら、

「いよいよもって図に乗るに違いない…」

 それこそが治済はるさだ恩人おんじんとも言うべき二人を使い捨てにする動機であった。

 図に乗るのは己一人で充分…、それが治済はるさだいつわらざる心境であった。

 いや、これで勝富かつとみ意致おきむねが己の縁者えんじゃであれば、多少、図に乗ったところで治済はるさだ大目おおめにも見られよう。

 だが生憎あいにく勝富かつとみにしろ意致おきむねにしろ、治済はるさだ縁者えんじゃではない。

 それに比べて、今、治済はるさだの目の前に座っている近習きんじゅう岩本いわもと喜内きないは違った。すなわち、治済はるさだ縁者えんじゃであったのだ。

 岩本いわもと喜内きないには実兄じっけいにして小普請こぶしん奉行の内膳正ないぜんのかみ正利まさとしの他に、おとみなる妹がいるのだが、このおとみこそが誰あろう、豊千代とよちよの生母なのである。つまり、治済はるさだ側妾そくしょうであり、おとみ治済はるさだとの間に豊千代とよちよをもうけたというわけだ。

 それゆえ喜内きないにとっては、そして兄の正利まさとしにしてもそうだが、豊千代とよちよおいに当たり、一方、豊千代とよちよからすれば正利まさとし喜内きない兄弟は伯父おじに当たる。

 かかる事情から治済はるさだはこと、岩本一族には気を許していたのだ。とりわけ喜内きない一橋ひとつばし家の近習きんじゅうとして、いや、治済はるさだ個人の近習きんじゅうとして、

「汚れ仕事」

 もいとわず、治済はるさだからの信頼がことほか、厚かった。

 さて、その喜内きないより意知おきともが1週間以上前、先月の3月24日に将軍・家治の命により中奥なかおくの、それも最奥さいおう部にある将軍の秘密部屋とも称される御用之間ごようのままねかれたことを伝えられた治済はるさだ喜内きないの意見を求めた。

「これをどう見る?」

「正直に申し上げましてもよろしゅうござりまするか?」

 喜内きないはわざわざそう前置まえおきした。

「許す。腹蔵ふくぞうなき意見が聞きたい」

 治済はるさだがそううながすと、「されば…」と喜内きないは切り出した。

「24日という点が気がかりにて…」

家基いえもと月命日つきめいにちゆえか?」

御意ぎょい

「まさかに…、家基いえもとが死の真相に上様が気付かれたのではあるまいの…」

「仮に上様がお気付きになられたとして、その場合には上様を…、殿をし出されるはずにて…」

 喜内きない治済はるさだのことを「上様」と呼び、治済はるさだもそれを当然のことと聞き流していた。

 それはともかく、確かに喜内きないの言う通りだと、治済はるさだは自分にそう言い聞かせた。

「されば杞憂きゆうに過ぎぬと申すか?」

「いえ、そうとも…」

「なに?」

「確かに上様は家基いえもと殿の死の真相には気付かれていないか、あるいは気付かれていてもかくたるあかしがなく、そこで意知おきともし出されたのではないかと…」

「それはつまり…、意知おきとも家基いえもとが死の真相を探らせようと…、さように申すのではあるまいの?」

まさしく…、意知おきとも雁之間がんのまづめなれど、奏者番そうじゃばんなどのお役にはいており申さず…」

探索たんさくの時間はたっぷりあると申すか?」

御意ぎょい…」

「まずいな…」

「仮に意知おきとも探索たんさくに乗り出そうとも、死の真相が暴かれることはないかと…」

「何ゆえに左様に断言できる?」

「上様の御前ごぜんにてかることを申し上げまするは気が引けまするが…」

かまわぬ。申せ」

「ははっ。されば意知おきとも所詮しょせんは大名の嫡子ちゃくしに過ぎず…」

「お坊っちゃんには何もできまいと申すのだな?」

 治済はるさだは苦笑しながら尋ねると、喜内きない如何いかにも申し訳なさそうな表情を浮かべ、「御意ぎょい」と小さな声で答えた。

 お坊っちゃんには何もできまい…、それはそのまま治済はるさだにも当てまるからだ。

「なれど、万が一のことも考えておかずばなるまいて…」

「万が一…、意知おきとも家基いえもと殿が死の真相を探り当てた場合、でござりまするか?」

「左様…」

「やはり…、ここは口をふさぎまするか?」

意知おきともの口をか?如何いか下賤げせんなる成り上がり者、それこそ盗賊の小倅こせがれとは申せ、仮にも大名が嫡子ちゃくしぞ…、しかも上様の寵愛ちょうあいも厚い、となればこの時期に意知おきともの口をふさぐのは如何いかがなものであろうかのう…」

「いえ、意知おきともではのうて…」

 喜内きないにそう示唆しさされた治済はるさだは「成程なるほど」と合点がてんがいった様子で別の人物の名を挙げた。
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