天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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南町奉行・牧野成賢による老中・田沼意次への追及 3

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 すなわち、江戸城には内郭ないかく外郭がいかくがあり、田沼家の上屋敷がある神田橋御門内は内郭ないかくにあり、しかも神田橋御門は内郭ないかく外郭がいかくとを仕切っている。

 一方、池原いけはら良誠よしのぶの屋敷のある愛宕下あたごしたは江戸城の外郭がいかくにあるので、畢竟ひっきょう、江戸城の内郭ないかくにある、その神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から、江戸城の外郭がいかくにある、愛宕下あたごしたにある池原いけはら良誠よしのぶの屋敷に帰るには神田橋御門、その御門橋を渡る必要があるのだが、しかしこと、「最短ルート」という観点からすると、神田橋御門、その御門橋を渡ることは必ずしもその「観点」にかなうものではなかった。

 それよりもやはり神田橋御門と同じく、江戸城の内郭ないかく外郭がいかくとを仕切る、呉服橋ごふくばし御門、その御門橋を渡る方が愛宕下あたごしたにある池原いけはら良誠よしのぶの屋敷へと早く着けるのだ。

 具体的には神田橋御門、神田橋御門内から北町奉行所もある常盤橋ときわばし御門内をほり沿い…、江戸城の内郭ないかく外郭がいかくとをへだてるほり沿いに歩き、そして常盤橋ときわばし御門内からさらに銭瓶ぜにがめ橋を渡るとすぐのところに呉服橋ごふくばし御門が見えてくる。すなわち、呉服橋ごふくばし御門内のエリアに入るということだ。

 そしてこの呉服橋ごふくばし御門、その御門橋を渡って呉服橋ごふくばし御門外に出ると事件現場ともなった比丘尼びくに橋までは一直線、具体的にはやはり江戸城の内郭ないかく外郭がいかくとをへだてるほり沿いをぐに歩くと、同じく江戸城の内郭ないかく外郭がいかくとを仕切しき鍛冶かじ橋御門が見えてくると、もう目の前が比丘尼びくに橋であった。

 そして比丘尼びくに橋を渡ってから先の愛宕下あたごしたにある池原いけはら良誠よしのぶの屋敷までの最短ルートはちょうど、池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつした下手人げしゅにんが逃走したルートとなる。正確には「逆ルート」であり、すなわち、比丘尼びくに橋から土橋へと、数奇屋すきや川岸、山城やましろ川岸を歩き、そして土橋を渡ると愛宕下あたごしたであった。

 正確には愛宕下あたごしたへと通ずる久保ヶ原くぼがはらに出る。そして久保ヶ原くぼがはらから愛宕下あたごしたにある池原いけはら良誠よしのぶの屋敷まではもう目と鼻の先であり、生前、池原いけはら良誠よしのぶが神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと往診おうしんに行った際…、この世で最期の往診おうしんとなった…、その際には勿論、今の「逆ルート」で神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと足を運んだに違いなかった。

 ちなみに比丘尼びくに橋から土橋までの途上にもやはり、江戸城の内郭ないかく外郭がいかくとをへだてる御門があり、数寄屋すきや橋御門がそれであった。ゆえに数奇屋すきや橋御門、その御門橋を渡って、江戸城の内郭ないかくから外郭がいかくへと出て、そして土橋へと辿たどり着く方が早いのではないかと思われるかも知れないが、時間的にはそれほどの差はない。いや、もしかしたらその方が早く着けるかも知れないが、しかし、神田橋御門から数寄屋すきやばし御門へと移動するには、当たり前だが江戸城の内郭ないかくを移動することに他ならず、しかしそのルート上にはここ辰ノ口たつのぐちの評定所を始めとし、錚々そうそうたる大名の上屋敷、あるいは老中や若年寄に与えられる、さしずめ「公邸こうてい」とも言うべき拝領はいりょう屋敷も立ち並び、数寄屋橋すきやばし御門まで辿たどり着くにはそのような錚々そうそうたる施設をそれこそ、

うようにして…」

 歩かねばならず、池原いけはら良誠よしのぶはそれをはばかり、あえて数奇屋すきや橋御門を使わなかったのだ。

 さて、池原いけはら良誠よしのぶ呉服橋ごふくばし御門、その御門橋を渡って江戸城の内郭ないかくから外郭がいかくへと出るには畢竟ひっきょう、遅くとも暮六つ(午後6時頃)前にはその、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を出る必要があった。それを過ぎると池原いけはら良誠よしのぶは江戸城の内郭ないかくにさしずめ、

「閉じ込められる…」

 ことになるからだ。いや、実は例外もあって、数寄屋橋すきやばし御門と常盤橋ときわばし御門、この二つの御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても通行が許されることがあった。

 すなわち、数寄屋橋すきやばし御門内には南町奉行所が、常盤橋ときわばし御門内には北町奉行所がそれぞれあり、町奉行所という性格上、例えば所謂いわゆる

捕物とりもの検使けんし出役しゅつやく

 すなわち、犯人逮捕のために夜間に出動する必要があり、そのためこと、南町奉行所がある数寄屋橋すきやばし御門と北町奉行所がある常盤橋ときわばし御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても御門の通行が…、御門橋を渡って江戸城の内郭ないかくから外郭がいかくへと出ることが許されていた。

 もっとも、それはあくまで町奉行所にのみ与えられた特権であり、如何いか池原いけはら良誠よしのぶが今を時めく田沼意次の「お気に入り」だからとは言え…、いや、今はもう「だった」と言うべきであろうか、ともあれそうだとしても、所詮しょせん一介いっかい奥医師おくいしに過ぎない。その池原いけはら良誠よしのぶのためだけに通行を…、暮六つ(午後6時頃)が過ぎたので固く閉ざされた御門を開けさせることなど到底、許されるものではなかった。

「ところで駕籠かご仕立したてなかったのか?」

 家治は池原いけはら良誠よしのぶが徒歩で帰宅したことが気になっていた様子であった。

「無論、それがしもすすめましたが…」

「池原自身が駕籠かご峻拒しゅんきょしたわけだな?」

御意ぎょい…、なれど刻限こくげん刻限こくげんゆえ、提灯ちょうちんを持たせましてござりまする…」

 成程なるほどと、益五郎ますごろうは意次のその言葉を実感としてうなずいた。それと言うのも益五郎ますごろうにしても玄通げんつうと共にその時分じぶん、まだ足下あしもとは明るかったものの、それでも賭場とばの代貸しが気をかせて二人のために提灯ちょうちんを差し出してくれたからだ。

「それにしても…、池原は薬箱を抱えておったのであろう?さればそれに提灯ちょうちんまで抱えるとなると…」

 家治は細かいところにまで良く気がつく。もっともそれは意次も同様であり、

御意ぎょい…、されば途中まで当家の者が池原いけはら長仙院ちょうせんいんを送りましてござりまする…」

 意次はその配慮はいりょを忘れなかったのだ。家治も「成程なるほど…」と家治のその配慮はいりょに満足気にうなずいた。

もっとも、繰り返しまするが、暮六つ(午後6時頃)には呉服橋御門が閉じてしまいますゆえに、途中までしか見送りでき申さず…」

 意次はそう言い訳したものの、家治は意次が途中までとは言え、家臣に命じて池原いけはら良誠よしのぶを送らせただけで十分であった。

「されば…、池原いけはら長仙院ちょうせんいんを見送りし三浦みうら庄司しょうじが申しますには、池原いけはら長仙院ちょうせんいんとはしくも比丘尼びくに橋にて別れたと…」

 比丘尼びくに橋にて別れたとは、因縁いんねんというより他になかった。

とぼけるのもいい加減になされぃっ!」

 成賢しげかたはそう怒声どせいを発した。それは他でもない、意次の「言い訳」に将軍・家治がうなずいていたからだ。成賢しげかたはそれに、

くぎを刺すべく…」

 あえて怒声どせいを発したのだ。

 だが老練ろうれんな意次からすれば、成賢しげかた怒声どせいなど、赤子あかごの鳴き声程度にしか感じられなかった。いや、意次ならずとも、その場にいた誰もがそう感じたに違いない。それほどまでに迫力がなかった。
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