55 / 197
南町奉行・牧野成賢による老中・田沼意次への追及 3
しおりを挟む
即ち、江戸城には内郭と外郭があり、田沼家の上屋敷がある神田橋御門内は内郭にあり、しかも神田橋御門は内郭と外郭とを仕切っている。
一方、池原良誠の屋敷のある愛宕下は江戸城の外郭にあるので、畢竟、江戸城の内郭にある、その神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から、江戸城の外郭にある、愛宕下にある池原良誠の屋敷に帰るには神田橋御門、その御門橋を渡る必要があるのだが、しかしこと、「最短ルート」という観点からすると、神田橋御門、その御門橋を渡ることは必ずしもその「観点」に適うものではなかった。
それよりもやはり神田橋御門と同じく、江戸城の内郭と外郭とを仕切る、呉服橋御門、その御門橋を渡る方が愛宕下にある池原良誠の屋敷へと早く着けるのだ。
具体的には神田橋御門、神田橋御門内から北町奉行所もある常盤橋御門内を濠沿い…、江戸城の内郭と外郭とを隔てる濠沿いに歩き、そして常盤橋御門内からさらに銭瓶橋を渡るとすぐのところに呉服橋御門が見えてくる。即ち、呉服橋御門内のエリアに入るということだ。
そしてこの呉服橋御門、その御門橋を渡って呉服橋御門外に出ると事件現場ともなった比丘尼橋までは一直線、具体的にはやはり江戸城の内郭と外郭とを隔てる濠沿いを真っ直ぐに歩くと、同じく江戸城の内郭と外郭とを仕切る鍛冶橋御門が見えてくると、もう目の前が比丘尼橋であった。
そして比丘尼橋を渡ってから先の愛宕下にある池原良誠の屋敷までの最短ルートはちょうど、池原良誠を斬殺した下手人が逃走したルートとなる。正確には「逆ルート」であり、即ち、比丘尼橋から土橋へと、数奇屋川岸、山城川岸を歩き、そして土橋を渡ると愛宕下であった。
正確には愛宕下へと通ずる久保ヶ原に出る。そして久保ヶ原から愛宕下にある池原良誠の屋敷まではもう目と鼻の先であり、生前、池原良誠が神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと往診に行った際…、この世で最期の往診となった…、その際には勿論、今の「逆ルート」で神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと足を運んだに違いなかった。
ちなみに比丘尼橋から土橋までの途上にもやはり、江戸城の内郭と外郭とを隔てる御門があり、数寄屋橋御門がそれであった。ゆえに数奇屋橋御門、その御門橋を渡って、江戸城の内郭から外郭へと出て、そして土橋へと辿り着く方が早いのではないかと思われるかも知れないが、時間的にはそれほどの差はない。いや、もしかしたらその方が早く着けるかも知れないが、しかし、神田橋御門から数寄屋御門へと移動するには、当たり前だが江戸城の内郭を移動することに他ならず、しかしそのルート上にはここ辰ノ口の評定所を始めとし、錚々たる大名の上屋敷、あるいは老中や若年寄に与えられる、さしずめ「公邸」とも言うべき拝領屋敷も立ち並び、数寄屋橋御門まで辿り着くにはそのような錚々たる施設をそれこそ、
「縫うようにして…」
歩かねばならず、池原良誠はそれを憚り、あえて数奇屋橋御門を使わなかったのだ。
さて、池原良誠が呉服橋御門、その御門橋を渡って江戸城の内郭から外郭へと出るには畢竟、遅くとも暮六つ(午後6時頃)前にはその、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を出る必要があった。それを過ぎると池原良誠は江戸城の内郭にさしずめ、
「閉じ込められる…」
ことになるからだ。いや、実は例外もあって、数寄屋橋御門と常盤橋御門、この二つの御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても通行が許されることがあった。
即ち、数寄屋橋御門内には南町奉行所が、常盤橋御門内には北町奉行所がそれぞれあり、町奉行所という性格上、例えば所謂、
「捕物検使出役」
即ち、犯人逮捕のために夜間に出動する必要があり、そのためこと、南町奉行所がある数寄屋橋御門と北町奉行所がある常盤橋御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても御門の通行が…、御門橋を渡って江戸城の内郭から外郭へと出ることが許されていた。
尤も、それはあくまで町奉行所にのみ与えられた特権であり、如何に池原良誠が今を時めく田沼意次の「お気に入り」だからとは言え…、いや、今はもう「だった」と言うべきであろうか、ともあれそうだとしても、所詮は一介の奥医師に過ぎない。その池原良誠のためだけに通行を…、暮六つ(午後6時頃)が過ぎたので固く閉ざされた御門を開けさせることなど到底、許されるものではなかった。
「ところで駕籠は仕立てなかったのか?」
家治は池原良誠が徒歩で帰宅したことが気になっていた様子であった。
「無論、それがしもすすめましたが…」
「池原自身が駕籠を峻拒したわけだな?」
「御意…、なれど刻限が刻限ゆえ、提灯を持たせましてござりまする…」
成程と、益五郎は意次のその言葉を実感として頷いた。それと言うのも益五郎にしても玄通と共にその時分、まだ足下は明るかったものの、それでも賭場の代貸しが気を利かせて二人のために提灯を差し出してくれたからだ。
「それにしても…、池原は薬箱を抱えておったのであろう?さればそれに提灯まで抱えるとなると…」
家治は細かいところにまで良く気がつく。尤もそれは意次も同様であり、
「御意…、されば途中まで当家の者が池原長仙院を送りましてござりまする…」
意次はその配慮を忘れなかったのだ。家治も「成程…」と家治のその配慮に満足気に頷いた。
「尤も、繰り返しまするが、暮六つ(午後6時頃)には呉服橋御門が閉じてしまいますゆえに、途中までしか見送りでき申さず…」
意次はそう言い訳したものの、家治は意次が途中までとは言え、家臣に命じて池原良誠を送らせただけで十分であった。
「されば…、池原長仙院を見送りし三浦庄司が申しますには、池原長仙院とは奇しくも比丘尼橋にて別れたと…」
比丘尼橋にて別れたとは、因縁というより他になかった。
「惚けるのもいい加減になされぃっ!」
成賢はそう怒声を発した。それは他でもない、意次の「言い訳」に将軍・家治が頷いていたからだ。成賢はそれに、
「釘を刺すべく…」
あえて怒声を発したのだ。
だが老練な意次からすれば、成賢の怒声など、赤子の鳴き声程度にしか感じられなかった。いや、意次ならずとも、その場にいた誰もがそう感じたに違いない。それほどまでに迫力がなかった。
一方、池原良誠の屋敷のある愛宕下は江戸城の外郭にあるので、畢竟、江戸城の内郭にある、その神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から、江戸城の外郭にある、愛宕下にある池原良誠の屋敷に帰るには神田橋御門、その御門橋を渡る必要があるのだが、しかしこと、「最短ルート」という観点からすると、神田橋御門、その御門橋を渡ることは必ずしもその「観点」に適うものではなかった。
それよりもやはり神田橋御門と同じく、江戸城の内郭と外郭とを仕切る、呉服橋御門、その御門橋を渡る方が愛宕下にある池原良誠の屋敷へと早く着けるのだ。
具体的には神田橋御門、神田橋御門内から北町奉行所もある常盤橋御門内を濠沿い…、江戸城の内郭と外郭とを隔てる濠沿いに歩き、そして常盤橋御門内からさらに銭瓶橋を渡るとすぐのところに呉服橋御門が見えてくる。即ち、呉服橋御門内のエリアに入るということだ。
そしてこの呉服橋御門、その御門橋を渡って呉服橋御門外に出ると事件現場ともなった比丘尼橋までは一直線、具体的にはやはり江戸城の内郭と外郭とを隔てる濠沿いを真っ直ぐに歩くと、同じく江戸城の内郭と外郭とを仕切る鍛冶橋御門が見えてくると、もう目の前が比丘尼橋であった。
そして比丘尼橋を渡ってから先の愛宕下にある池原良誠の屋敷までの最短ルートはちょうど、池原良誠を斬殺した下手人が逃走したルートとなる。正確には「逆ルート」であり、即ち、比丘尼橋から土橋へと、数奇屋川岸、山城川岸を歩き、そして土橋を渡ると愛宕下であった。
正確には愛宕下へと通ずる久保ヶ原に出る。そして久保ヶ原から愛宕下にある池原良誠の屋敷まではもう目と鼻の先であり、生前、池原良誠が神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと往診に行った際…、この世で最期の往診となった…、その際には勿論、今の「逆ルート」で神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと足を運んだに違いなかった。
ちなみに比丘尼橋から土橋までの途上にもやはり、江戸城の内郭と外郭とを隔てる御門があり、数寄屋橋御門がそれであった。ゆえに数奇屋橋御門、その御門橋を渡って、江戸城の内郭から外郭へと出て、そして土橋へと辿り着く方が早いのではないかと思われるかも知れないが、時間的にはそれほどの差はない。いや、もしかしたらその方が早く着けるかも知れないが、しかし、神田橋御門から数寄屋御門へと移動するには、当たり前だが江戸城の内郭を移動することに他ならず、しかしそのルート上にはここ辰ノ口の評定所を始めとし、錚々たる大名の上屋敷、あるいは老中や若年寄に与えられる、さしずめ「公邸」とも言うべき拝領屋敷も立ち並び、数寄屋橋御門まで辿り着くにはそのような錚々たる施設をそれこそ、
「縫うようにして…」
歩かねばならず、池原良誠はそれを憚り、あえて数奇屋橋御門を使わなかったのだ。
さて、池原良誠が呉服橋御門、その御門橋を渡って江戸城の内郭から外郭へと出るには畢竟、遅くとも暮六つ(午後6時頃)前にはその、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を出る必要があった。それを過ぎると池原良誠は江戸城の内郭にさしずめ、
「閉じ込められる…」
ことになるからだ。いや、実は例外もあって、数寄屋橋御門と常盤橋御門、この二つの御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても通行が許されることがあった。
即ち、数寄屋橋御門内には南町奉行所が、常盤橋御門内には北町奉行所がそれぞれあり、町奉行所という性格上、例えば所謂、
「捕物検使出役」
即ち、犯人逮捕のために夜間に出動する必要があり、そのためこと、南町奉行所がある数寄屋橋御門と北町奉行所がある常盤橋御門に限っては、暮六つ(午後6時頃)を過ぎても御門の通行が…、御門橋を渡って江戸城の内郭から外郭へと出ることが許されていた。
尤も、それはあくまで町奉行所にのみ与えられた特権であり、如何に池原良誠が今を時めく田沼意次の「お気に入り」だからとは言え…、いや、今はもう「だった」と言うべきであろうか、ともあれそうだとしても、所詮は一介の奥医師に過ぎない。その池原良誠のためだけに通行を…、暮六つ(午後6時頃)が過ぎたので固く閉ざされた御門を開けさせることなど到底、許されるものではなかった。
「ところで駕籠は仕立てなかったのか?」
家治は池原良誠が徒歩で帰宅したことが気になっていた様子であった。
「無論、それがしもすすめましたが…」
「池原自身が駕籠を峻拒したわけだな?」
「御意…、なれど刻限が刻限ゆえ、提灯を持たせましてござりまする…」
成程と、益五郎は意次のその言葉を実感として頷いた。それと言うのも益五郎にしても玄通と共にその時分、まだ足下は明るかったものの、それでも賭場の代貸しが気を利かせて二人のために提灯を差し出してくれたからだ。
「それにしても…、池原は薬箱を抱えておったのであろう?さればそれに提灯まで抱えるとなると…」
家治は細かいところにまで良く気がつく。尤もそれは意次も同様であり、
「御意…、されば途中まで当家の者が池原長仙院を送りましてござりまする…」
意次はその配慮を忘れなかったのだ。家治も「成程…」と家治のその配慮に満足気に頷いた。
「尤も、繰り返しまするが、暮六つ(午後6時頃)には呉服橋御門が閉じてしまいますゆえに、途中までしか見送りでき申さず…」
意次はそう言い訳したものの、家治は意次が途中までとは言え、家臣に命じて池原良誠を送らせただけで十分であった。
「されば…、池原長仙院を見送りし三浦庄司が申しますには、池原長仙院とは奇しくも比丘尼橋にて別れたと…」
比丘尼橋にて別れたとは、因縁というより他になかった。
「惚けるのもいい加減になされぃっ!」
成賢はそう怒声を発した。それは他でもない、意次の「言い訳」に将軍・家治が頷いていたからだ。成賢はそれに、
「釘を刺すべく…」
あえて怒声を発したのだ。
だが老練な意次からすれば、成賢の怒声など、赤子の鳴き声程度にしか感じられなかった。いや、意次ならずとも、その場にいた誰もがそう感じたに違いない。それほどまでに迫力がなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
電子の帝国
Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか
明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる