54 / 197
南町奉行・牧野成賢による老中・田沼意次への追及 2
しおりを挟む
さて、その紫の袱紗は再び、今度は逆の「ルート」を辿って成賢の手元へと戻されると、成賢はそれこそ、
「鬼の首を取ったよう…」
そのような心持ちになったのだろう、大上段に構えて意次を追及し始めた。
「されば主殿頭、貴殿は池原長仙院の口より、畏れ多くも今は亡き…、いや、害し奉られし大納言様、その大納言様を害し奉りしこと、しかも、主殿頭より命じられて大納言様を害し奉りしこと…、そのことが池原長仙院の口より漏れることを恐れた貴殿はそこで、まず、嫡孫の龍助が病にかかったなどと、適当な口実にて池原長仙院を神田橋御門内にありし上屋敷へと誘き寄せ、そしてその往診の帰り、貴殿の家臣が池原長仙院のあとをつけさせ、そして背後より襲わせたのであろうぞ…」
成賢のその「名推理」ならぬ「迷推理」を意次は瞑目して聞き入り、そして成賢のその「迷推理」が途切れたところで目を開けると、家治の方へと体を向けた。
「畏れながら…」
意次がそう切り出すと、家治もそうと察して、
「申し開きがあるならば許す、申すが良いぞ」
意次にそう促したのであった。それに対して意次は「ははぁっ」と平伏してまずは家治の配慮に謝意を示してから、家治に対して弁明を始めた。
「まず始めに…、確かに昨日、池原長仙院は我が屋敷に…、神田橋御門内の上屋敷に往診に参りましてござりまする…」
「うむ」
「なれど、それがしは元より、当家では池原長仙院に往診を頼みましたる覚えこれなく…」
「なに?往診を頼んだ覚えはないとな?」
「御意…」
意次が叩頭するや、「あいや、暫く」と検察官役の成賢が所謂、「異議あり」を申し立てたのだ。それに対して家治は「許す…」とその「異議あり」を認めたのであった。
「されば初めにも申し上げましたが、池原長仙院が妻女の藤江の申し立てによりますれば、昨日のそれも日中、愛宕下にありし池原長仙院の屋敷を田沼家よりの遣いと称せし者が訪れては、その時分、夫・池原長仙院はまだ、御城にて勤仕中であったがために、夫に代わりて屋敷の留守を預かりしその妻・藤江がその、田沼家よりの遣いと称せし者の応対を致しまして、その者が藤江に対して、龍助の体調が思わしくないので、池原長仙院が帰邸次第、往診をと…」
「妻女の藤江が左様に申し立てていたという話であったな…」
家治がそう引き取ってみせると、成賢は「御意」と答えた。
「意次、如何に?」
家治は意次に弁明を求めた。
「さればその田沼家よりの遣いと称する者でござりまするが、当家の名を騙りし…」
「偽物と申すのだな?」
家治が先回りしてそう尋ねたので、意次もやはり、「御意」と答えた。
意次はその上で、昨日、池原良誠が神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を訪れた時の様子についても語った。
「されば当家と致しましても、不意に池原長仙院が参りましたゆえ、大いに困惑致し…、無論、池原長仙院に致しましても当家より往診を頼まれたゆえわざわざ足を運んだにもかかわらず、当家ではこれを困惑の体で出迎えましたゆえ、やはり大いに困惑致しましたる様子…」
確かに、江戸城での勤めを終え、愛宕下にある屋敷へと帰って来るなり、妻女の藤江より、
「日中、あなたが留守の間に田沼様よりの遣いの人が来て、孫の龍助様の体調が思わしくないので、池原先生が帰り次第、往診を頼みたいと、そう頼まれましたので、田沼様のお屋敷に…」
大方、そのように告げられ、池原良誠もそれなればと、薬箱を抱えて急ぎ、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと向かったのであろう。
にもかかわらず、田沼家の者から困惑気な様子で出迎えられては、池原良誠の立場がない。いや、池原良誠の方が田沼家の者たちよりも大いに困惑したことであろう。
「それでも折角、池原長仙院が往診に参られたゆえ、そこでそれがしと愚息、それに嫁と孫の診察も頼みましてござりまする…」
「左様か…、して池原長仙院が屋敷を出たのはいつだ?」
家治が検察官役である成賢に代わって問うた。それは成賢も問おうとしていた。
「されば夕の七つ半(午後5時頃)でござりまする…、暮六つ(午後6時頃)を過ぎますれば、呉服橋御門は閉じまするゆえ…」
「おお、そうであったな…」
家治は思い出したようにそう声を上げた。いや、家治だけでなく、成賢にしても心の中で、「あっ」と思い出したように声を上げた。
それと言うのも呉服橋御門も江戸城の諸門、所謂、三十六見附の一つであり、ゆえに、暮六つ(午後6時頃)を過ぎると同時に呉服橋御門も閉じられるゆえ、その後、呉服橋御門を渡ること…、呉服橋御門を渡って、御門内と御門外を行き来することは不可能となる。
いや、田沼家の上屋敷は神田橋御門内にある。にもかかわらず、何ゆえそこで呉服橋御門が出てくるのかと言うと、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から愛宕下にある池原良誠の屋敷までの最短ルートだからだ。
「鬼の首を取ったよう…」
そのような心持ちになったのだろう、大上段に構えて意次を追及し始めた。
「されば主殿頭、貴殿は池原長仙院の口より、畏れ多くも今は亡き…、いや、害し奉られし大納言様、その大納言様を害し奉りしこと、しかも、主殿頭より命じられて大納言様を害し奉りしこと…、そのことが池原長仙院の口より漏れることを恐れた貴殿はそこで、まず、嫡孫の龍助が病にかかったなどと、適当な口実にて池原長仙院を神田橋御門内にありし上屋敷へと誘き寄せ、そしてその往診の帰り、貴殿の家臣が池原長仙院のあとをつけさせ、そして背後より襲わせたのであろうぞ…」
成賢のその「名推理」ならぬ「迷推理」を意次は瞑目して聞き入り、そして成賢のその「迷推理」が途切れたところで目を開けると、家治の方へと体を向けた。
「畏れながら…」
意次がそう切り出すと、家治もそうと察して、
「申し開きがあるならば許す、申すが良いぞ」
意次にそう促したのであった。それに対して意次は「ははぁっ」と平伏してまずは家治の配慮に謝意を示してから、家治に対して弁明を始めた。
「まず始めに…、確かに昨日、池原長仙院は我が屋敷に…、神田橋御門内の上屋敷に往診に参りましてござりまする…」
「うむ」
「なれど、それがしは元より、当家では池原長仙院に往診を頼みましたる覚えこれなく…」
「なに?往診を頼んだ覚えはないとな?」
「御意…」
意次が叩頭するや、「あいや、暫く」と検察官役の成賢が所謂、「異議あり」を申し立てたのだ。それに対して家治は「許す…」とその「異議あり」を認めたのであった。
「されば初めにも申し上げましたが、池原長仙院が妻女の藤江の申し立てによりますれば、昨日のそれも日中、愛宕下にありし池原長仙院の屋敷を田沼家よりの遣いと称せし者が訪れては、その時分、夫・池原長仙院はまだ、御城にて勤仕中であったがために、夫に代わりて屋敷の留守を預かりしその妻・藤江がその、田沼家よりの遣いと称せし者の応対を致しまして、その者が藤江に対して、龍助の体調が思わしくないので、池原長仙院が帰邸次第、往診をと…」
「妻女の藤江が左様に申し立てていたという話であったな…」
家治がそう引き取ってみせると、成賢は「御意」と答えた。
「意次、如何に?」
家治は意次に弁明を求めた。
「さればその田沼家よりの遣いと称する者でござりまするが、当家の名を騙りし…」
「偽物と申すのだな?」
家治が先回りしてそう尋ねたので、意次もやはり、「御意」と答えた。
意次はその上で、昨日、池原良誠が神田橋御門内にある田沼家の上屋敷を訪れた時の様子についても語った。
「されば当家と致しましても、不意に池原長仙院が参りましたゆえ、大いに困惑致し…、無論、池原長仙院に致しましても当家より往診を頼まれたゆえわざわざ足を運んだにもかかわらず、当家ではこれを困惑の体で出迎えましたゆえ、やはり大いに困惑致しましたる様子…」
確かに、江戸城での勤めを終え、愛宕下にある屋敷へと帰って来るなり、妻女の藤江より、
「日中、あなたが留守の間に田沼様よりの遣いの人が来て、孫の龍助様の体調が思わしくないので、池原先生が帰り次第、往診を頼みたいと、そう頼まれましたので、田沼様のお屋敷に…」
大方、そのように告げられ、池原良誠もそれなればと、薬箱を抱えて急ぎ、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷へと向かったのであろう。
にもかかわらず、田沼家の者から困惑気な様子で出迎えられては、池原良誠の立場がない。いや、池原良誠の方が田沼家の者たちよりも大いに困惑したことであろう。
「それでも折角、池原長仙院が往診に参られたゆえ、そこでそれがしと愚息、それに嫁と孫の診察も頼みましてござりまする…」
「左様か…、して池原長仙院が屋敷を出たのはいつだ?」
家治が検察官役である成賢に代わって問うた。それは成賢も問おうとしていた。
「されば夕の七つ半(午後5時頃)でござりまする…、暮六つ(午後6時頃)を過ぎますれば、呉服橋御門は閉じまするゆえ…」
「おお、そうであったな…」
家治は思い出したようにそう声を上げた。いや、家治だけでなく、成賢にしても心の中で、「あっ」と思い出したように声を上げた。
それと言うのも呉服橋御門も江戸城の諸門、所謂、三十六見附の一つであり、ゆえに、暮六つ(午後6時頃)を過ぎると同時に呉服橋御門も閉じられるゆえ、その後、呉服橋御門を渡ること…、呉服橋御門を渡って、御門内と御門外を行き来することは不可能となる。
いや、田沼家の上屋敷は神田橋御門内にある。にもかかわらず、何ゆえそこで呉服橋御門が出てくるのかと言うと、神田橋御門内にある田沼家の上屋敷から愛宕下にある池原良誠の屋敷までの最短ルートだからだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦
そしてそこから繋がる新たな近代史へ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる