天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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意知は更なる相棒として長谷川平蔵の名を口にする

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「だから、俺、探索たんさくの経験なんてないんすよ?だから相棒っつっても役に立たないと思うんすよね…」

「それは聞いた。なれど下働き程度ていどなれば、益五郎ますごろうでもつとまるであろうぞ…」

 家治は益五郎ますごろうに対して情け容赦ようしゃなく、それこそ切り捨てるようにそう言ってのけた。益五郎ますごろう流石さすがに不快感を隠せず、

「したばたらきぃっ!?」

 思わずそう聞き返していた。

「何だ?不服ふふくか?」

 家治は面白そうにそう尋ねた。実際、内心、楽しんでいた。益五郎ますごろうの反応が将軍・家治には新鮮しんせんそのものであったからだ。

「いや、別に…」

 一方、益五郎ますごろうとしては流石さすがに相手が将軍様ともなれば、りつけるわけにもゆかず、「別に…」と某女優を髣髴ほうふつとさせるがごとく、そう答えるのが精一杯せいいっぱいであった。

「良いか?益五郎ますごろうよ…、そなたは士でありながら、博打ばくちきょうじていたのだぞ?さればそれだけでも死罪はまぬがれまいて…、玄通げんつうにしてもそうだ…、なれど、意知おきともの力になれば、博打ばくちの件は水に流そうぞ…」

 家治は実に痛いところをいてくる。いや、益五郎ますごろうとしては、

「それならさっさと首でも何でもねやがれっ!」

 そうり飛ばしたい衝動しょうどうられたものの、しかし、益五郎ますごろうにとっては数少ない、

「仲間」

 である玄通げんつうが「分かりましたっ!」と応じたために、益五郎ますごろうとしてもやむなく、家治のその命令を受けることにしたのであった。それに、

探索たんさくってヤツも、おもしれぇかも知れねぇな…」

 益五郎ますごろうはそれに博打ばくち喧嘩けんかとはまた一味ひとあじ違ったおもしろさがあるのではと、そう思い直した。

 だがそれから益五郎ますごろうはあることに気付いた。

「あの…」

「何だ?」

「俺の叔父おじ…、親父の弟の方なんすけど…、その叔父おじが二人、いるんすけど、そいつら、清水邸で働いてるんすよね…」

 益五郎ますごろうがそう言うと、家治の隣に座っていた重好しげよしは、「それでは…」とうめくように声を上げたか思うと、

鷲巣わしのす利兵衛りへえ伊織いおり兄弟がその方の叔父おじであったかっ!」

 重好しげよしもまた大きな声で益五郎ますごろうにそう問いかけたので、益五郎ますごろうも、「そうっす」と大きな声で返した。

 すると治済はるさだが、「それでは公平性に疑義ぎぎが生じるではあるまいかっ!」とこれまた大きな声でった。まさしくその通りであり、益五郎ますごろうもそれを思い出して、こうして声を上げたのであった。

一橋ひとつばし殿のおっしゃる通りの話でしてね、意知おきともの…、って呼び捨てにしてもかまいません?」

 益五郎ますごろうがそう問うや、「かまわぬゆえ、さっさと先を続けろ」と当の本人とも言うべき意知おきともからそうかされたので、益五郎ますごろう意知おきともの言葉に甘えることにした。

「それじゃ…、意知おきともの相棒として大納言だいなごん様でしたっけ?その御方おかたを殺した野郎の探索たんさくに当たるってことは、つまりは今までの話の流れから察するに、一橋ひとつばし様か、あるいは清水様のどちらが下手人げしゅにんってことで、そいつを探索たんさくすることになるわけですから、そのうちの清水様につかえている親族、それも叔父おじを二人もかかえてたんじゃぁ、一橋ひとつばし様が案じられる通り、まさに公平性に疑義ぎぎってヤツが生じることになるんじゃないっすか?」

 益五郎ますごろうがその懸念けねんを家治に伝えるや、治済はるさだもその通りだと言わんばかりに深くうなずいたものである。

 だがそれに対して将軍・家治はと言うと、益五郎ますごろうのその懸念けねん一笑いっしょうしたのであった。

「それなれば案ずることはないぞ…」

「またどうして?」

 益五郎ますごろうには家治の言葉が理解できずに、そう答えると首をかしげたものである。

「されば重好しげよし民部みんぶ、この両名については本日よりそれぞれのやしきにて軟禁なんきん下に置く」

 家治の宣言に、その両隣に座る重好しげよし治済はるさだは共にギョッとしたものである。

「あの、軟禁なんきん下に置くとは…」

 治済はるさだが恐る恐る尋ねた。

「されば言葉通りの意味ぞ。明日からは二人共、しばらくの間、御城おしろ登城とじょうすることはまかりならん…、いや、その方だけでなく、その方につかえししんどもにしても同様ぞ…」

「されば全員、やしきにて蟄居ちっきょせよ、と?」

 重好しげよしが確かめるように尋ねると、家治は「左様さよう…」と即答そくとうした。

「なれど家老は…」

 御三卿ごさんきょう家老は御三家やその他の大名家の江戸えど留守るすと情報交換のために交代で江戸城に登城とじょうする必要がある…、治済はるさだがそう言おうとすると、それよりも先にそうと察した家治から、

しばらくの間、登城とじょうせずとも…、情報交換いたさずとも、左程さほど支障ししょうはあるまいて…」

 そのように言われてしまったので、治済はるさだは口をつぐんだ。

「あの…、しばらくの間とは…」

 重好しげよしが恐る恐る尋ねた。

「無論、家基いえもとを害せし下手人げしゅにんが明らかになるまでよ…」

 家基いえもとを殺害した下手人げしゅにんが分かればそれこそ、

いもづる式に…」

 奥医師おくいし池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつした下手人げしゅにんも分かるというものである。

「さればその下手人げしゅにんが明らかになるまでは、益五郎ますごろう叔父おじたち兄弟にしても清水邸にて軟禁なんきん下に置くゆえ、例えば、重好しげよしが己につかえしこなた、益五郎ますごろう叔父おじ兄弟を益五郎ますごろうの元へと差し向けて、探索たんさく手心てごころを加えてくれるよう頼むといった、その手の陳情ちんじょうは不可能と申すものにて…」

 益五郎ますごろうが案じるように、あるいは治済はるさだが「イチャモン」をつけたように、清水重好しげよしつかえる二人の叔父おじを持つ益五郎ますごろう意知おきともの相棒としてその探索たんさくに加わっても、探索たんさくの公平性に疑義ぎぎが生じることはないというわけだ。

「あるいは、奥医師おくいし池原いけはら長仙院ちょうせんいんに対してなしたのと同じく…、つまりは手の者を使つこうて、家基いえもとが死に関与かんよせし、他の者のくちふうじを図ろうと思うても、それは不可能というわけよ…」

 家治がそう答えると、意知おきともは何度もうなずいた上で、

「いや、これで探索たんさくの折にまたしても死者が出るような事態じたいだけはふせげると申すものにて…」

 意知おきとも心底しんそこ、ホッとした様子でそう答えたので、重好しげよし治済はるさだの両名をムッとさせた。「犯人扱い」されたためであろう。いや、そのうちのどちらかが一連の事件の下手人げしゅにん首魁しゅかいに違いなく、そうだとすれば重好しげよし治済はるさだ、そのうちのどちらかはムッとした演技えんぎに過ぎないというわけだ。

「されば益五郎ますごろうよ、こころやすく、意知おきともの相棒として、その探索たんさくに力をいたすが良いぞ…」

 将軍・家治からそのように言われては、益五郎ますごろうとしても協力しないわけにはゆかず、「へへぇっ」と答えたものである。

 さて、こうして益五郎ますごろう玄通げんつう意知おきともの「相棒」になることを了承りょうしょうするや、意知おきともは家治に対して、もう一人の相棒として

「されば…、いまひとり…、探索たんさく精通せいつうせし者として、長谷川はせがわ平蔵へいぞう宣以のぶためを相棒といたたく…」

 その名を挙げたのであった。すると家治は即座そくざに反応を示した。

「おお、あの長谷川平蔵か…」

 家治がそう親しみを込めてその名を口にしたので、皆を驚かせた。無論、名を挙げた意知おきとももであった。

おそれながら…、上様は長谷川はせがわ平蔵へいぞうをご存知ぞんじなので?」

 意知おきともはおずおず尋ねた。

「うむ。進物しんもつ番として中々なかなかに評判が良い男ぞ…」

 家治は長谷川平蔵をそう持ち上げてみせた。いや、それは決して家治の世辞せじではなしに、事実、評判が良かった。
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