天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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平蔵の推理 2

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「なれど、それは重好しげよし下手人げしゅにん首魁しゅかいと仮定しての話だな?されば仮にこれが一橋ひとつばし民部みんぶみしことなれば如何いかがあいるのだ?つまり、民部みんぶめが重好しげよしぎぬを着せるべく…」

「さればそちらはもっと簡単な話にて…」

「と申すと?」

 家治は首をかしげて平蔵に尋ねた。

「されば仮に、今、上様がおおせられた通りだとして…、一橋ひとつばし殿が清水殿にぎぬを着せるべくみしことなれば、高橋たかはし又四郎またしろうめが紫の袱紗ふくさを持ち逃げしたとの納戸なんどがしら堀内ほりうち平左衛門へいざえもんの証言は嘘ということになり申す…」

 平蔵がそう告げると、やはり治済はるさだは驚きの表情を浮かべた。

「さればその場合には高橋たかはし又四郎またしろうめにつきましても、如何いかにも清水殿が口をふさがれたように見せかけるべく、一橋ひとつばし殿は高橋たかはし又四郎またしろうめを実際に始末したものと思われまする…」

 平蔵がそんな推量すいりょう展開てんかいすると治済はるさだの表情は一転いってん、ホッとしたそれへと変わった。

「さればやはり上屋敷に…、一橋ひとつばし御門内にありし一橋ひとつばし邸にめたと申すか?高橋たかはし又四郎またしろうめの遺骸いがいを…」

 そう尋ねる家治に対して平蔵が、「御意ぎょい」と答えると、治済はるさだはいよいよもってホッとした表情を浮かべたものである。

「されば平蔵は此度こたび奥医師おくいし殺しをみしが、重好しげよしであろうとも民部みんぶであろうとも、高橋たかはし又四郎またしろうめが生存している可能性はないと申すのだな?」

まったくその可能性がないとは申し上げませぬが、なれど限りなく低いかと…」

 平蔵は慎重しんちょうしてそう答えたのだが、それは実際には生存している可能性はゼロだと言っているに等しく、治済はるさだもそれを看取かんしゅするや、治済はるさだ当人も気付かぬうちにニヤリと笑みを浮かべたものであり、平蔵はそれを見逃さなかった。

 一方、将軍・家治はそうとは気付かずに、「あい分かった」と一橋ひとつばし、清水、両上屋敷の、

あなり捜査」

 それを認めたのであった。

「それからいまひとつ、願いのが…」

 平蔵は家治に対してひくうして頼んだ。

「許す。申せ」

「ははっ。さればおそれ多くも大納言だいなごん様が最期さいごのご放鷹ほうよう…、新井あらい宿じゅくへのご放鷹ほうようしたがいし者の名簿めいぼ頂戴ちょうだいいたたく…」

 平蔵のこの願いもまた、もっともなものであった。何しろ家基いえもと最期さいご放鷹ほうよう、それに同行した者の中に家基いえもとを害した下手人げしゅにんがいるかも知れないからだ。

 そのうちの一人こそ、今回、斬殺ざんさつされた池原いけはら長仙院ちょうせんいんこと良誠よしのぶである。

 だが仮に池原いけはら良誠よしのぶ家基いえもとの死にかかわっていたとしても、池原いけはら良誠よしのぶ一人の仕業しわざとは思えなかった。必ずや共犯者がいるに違いなかった。

 それを探るためにも池原いけはら良誠よしのぶ以外の同行者をまず全員、把握はあくする必要があり、そこで平蔵はそれらの者たちの名簿めいぼを求めたのであった。

 すると今度はやはり治済はるさだ自身は意識していなかったのであろうが、ニヤリと笑みを浮かべたものであり、それを平蔵もやはり見逃さなかった。

「それと当日の日記も…」

 放鷹ほうよう…、たかりともなれば、必ず日記掛の目付めつけも従い、当日のたかりの様子を記録するのである。これは西之丸にしのまる盟主めいしゅとも言うべき次期将軍に限った話ではなく、本丸の盟主めいしゅとも言うべき征夷大将軍にも当てまる。さらに言うならたかりに限った話ではなく、つまりは将軍や次期将軍が外出する場合には、必ず目付めつけしたがい、つまりは同行して当日の行動をすべて、それもつぶさに記録しておくのであった。その役目をになうのが目付めつけの中でも日記掛を兼務けんむする目付めつけであった。

 西之丸にしのまるあるじむかえている時には、すなわち、次期将軍がそんする時にはその西之丸にしのまるにも目付めつけが置かれる。

 ただし、西之丸にしのまる目付めつけ本丸ほんまる目付めつけ、通称、十人じゅうにん目付めつけのちょうど半数の5人しか置かれず、それゆえ本丸ほんまる十人じゅうにん目付めつけのように上水じょうすいがたみちかた掛や、あるいははままわり掛、まちかた掛や評定所ひょうじょうしょ番を兼務けんむする者はいなかった。

 上水じょうすいがたみちかた掛とは江戸の上水じょうすいどう監督かんとくする掛であり、はままわり掛とは将軍家の別邸べっていとも言うべきはま御殿ごてん監督かんとくする掛、まちかた掛は江戸の町奉行と火附盗賊改方を監察かんさつする掛であり、そして評定所ひょうじょうしょ番とはその名の通り、評定所ひょうじょうしょ出廷しゅっていして審理しんり監察かんさつする掛であった。

 今日のような老中も出座しゅつざする式日しきじつともなると、所謂いわゆる十人じゅうにん目付めつけが全員そろうものの、つまりは十人の目付めつけ評定所ひょうじょうしょ審理しんりに目を光らせるものの、そうではない、評定所ひょうじょうしょ一座いちざのみで、つまりは寺社奉行・江戸南北両町奉行・公事くじ勘定かんじょう奉行の三奉行のみで審理しんりする立合たちあいにまで十人もの目付めつけが顔をそろえることはなく、評定所ひょうじょしょ番の目付めつけの出番というわけだ。もっとも、たった一人で監察かんさつさせるのは如何いかにも手薄てうすであり、そこでこと評定所ひょうじょうしょ番を兼務けんむする目付めつけは二人いた。

 そしてこれら、上水じょうすいがたみちかた掛やはままわり掛、まちかた掛や評定所ひょうじょうしょ番はいずれも幕政ばくせいの中心地とも言うべき江戸城本丸、その本丸の目付めつけのみがになえば良く、西之丸にしのまる目付めつけになう必要はなく、それゆえ西之丸にしのまる目付めつけがそれらをになう…、それらのかかり兼務けんむすることはなかった。

 ただし、勝手かって掛と日記掛、そして座敷ざしき番ととも番、ぐち番は本丸、西之丸にしのまるべつを問わない。すなわち、本丸目付めつけ勿論もちろんのこと、西之丸にしのまる目付めつけ兼務けんむする。

 勝手かって掛とは金銀出納すいとう監察かんさつする掛であり、日記掛は本丸の目付めつけと同じく、外出時における出来事、それに殿中での出来事を、

細大さいだいらさずに…」

 日記に書き留める掛であった。

 それから座敷ざしき番とは殿中でんちゅうにおける礼法れいほう監督かんとくとも番とは将軍、あるいは次期将軍が参詣さんけい、あるいは御成おなりなどの外出時における行列の監督かんとくであり、たかりの行列の監督かんとく勿論もちろんふくまれる。そしてぐち番とは消防の監督かんとくである。

 ともあれ家治はその平蔵のそれらの願いについても、「あい分かった」とこれを認め、今日中に用意することを約束すると、評定ひょうじょう監察かんさつ役として陪席ばいせきしていた目付めつけに対して今の、平蔵所望しょもう名簿めいぼと日記を開示かいじするよう命じたのであった。

 通常、西之丸にしのまる目付めつけが記録した日記やあるいは名簿めいぼたぐいは皆、西之丸にしのまるにて保管されるが、西之丸にしのまるあるじ家基いえもとうしなったことにより「閉城へいじょう」の措置そちが取られるや、それら西之丸にしのまる目付めつけが記録し、そして西之丸にしのまるにて保管されていたそれら日記や名簿めいぼなども本丸へと移され、本丸目付めつけの管理下に置かれる。すなわち、今、この評定ひょうじょうの場において監察かんさつ役として陪席ばいせきしている目付めつけの管理下に置かれているというわけで、それゆえ家治は彼ら目付めつけにその開示かいじを命じたのであった。

 それに対して目付めつけは…、十人の目付めつけ一斉いっせいに、「ははぁっ」と平伏へいふくしてこれにこたえた。

 それから家治は平蔵に対して、「他に、望みはないか?」と尋ねた。

「ははっ。されば仮に、でござりまするが、探索たんさく如何いかなる結果に終わろうとも…、いえ、此度こたび奥医師おくいし殺し、さらにはおそれ多くも大納言だいなごん様を害したてまつりし者が誰であろうとも…、それを明らかにせし上は褒美ほうびいただたく…」

 いきなり「ご褒美ほうび」を求める平蔵のその「あつかましさ」にさしもの家治も苦笑させられ、他の者たちをあきれさせた。平蔵の真横まよこに座る意知おきともさえ、「平蔵…」と思わず口をはさんだものである。

「いや、良い、良い…」

 家治は苦笑しながら、意知おきともに対してそう告げ、気にしていないことを示唆しさした。

「して、何が望みだ?」

 家治が平蔵にそう水を向けると、平蔵は「今はまだ…」と言葉をにごした。

「今は言えぬと申すか?」

 家治は真面目まじめな表情に戻ると、そう尋ねた。

御意ぎょい…、されば下手人げしゅにん首魁しゅかいを明らかにせし上で改めて、ということで…」

 平蔵がそう答えると、家治も「左様か…、良かろう」とこれを認めた。
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