天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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意知は御側御用取次の面子を慮る

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「でも、そんなしち面倒めんどうくせぇことをしなくたって、こっちにはおすみつきが…、俺たちの探索たんさくにはの言わずに協力しろっておすみつきがあんだから、それを見せびらかしてやれば、相手が小納戸こなんどでも喜んでかどうかは知らねぇが、それでも協力するっしょ?それに何より、意知おきとも様は今をときめく、でしたっけ?ご老中の田沼意次様のご子息しそく様なんだから、その意知おきとも様のお取調とりしらべとあれば、小納戸こなんどもそれこそ、喜んで探索たんさくに…、意知おきとも様の聞き込みに協力するんじゃね?」

 益五郎ますごろうはそう言ってしまってから、流石さすが嫌味いやみが過ぎたかと、益五郎ますごろうにしてはめずらしく…、本当にめずらしく、少しだけだが反省したものである。

意知おきともの野郎、流石さすがに怒ったか…」

 益五郎ますごろう別段べつだん、案じはしなかったものの、しかし、そう思った。

 だが益五郎ますごろうの案に相違そういして、意知おきともが怒ることはなかった。それどころか苦笑くしょうしていた。

 むしろ意知おきともの隣に座っていた平蔵が、「言葉が過ぎようぞ…」と益五郎ますごろうを注意したほどであった。

「いや、こりゃどうも、すんません…」

 益五郎ますごろう素直すなおに謝った。意知おきともなど別段べつだん、怖くはなかった益五郎ますごろうも平蔵にはある種の畏怖いふを感じたからだ。

「いや、それでもまじな話、そうした方がてっとりばやいんじゃ…」

 益五郎ますごろうがそうかえすと平蔵は表情をやわらげた。

意知おきとも様は面子めんつおもんじられているのだ…」

「メンツって?」

「申すまでもなきこと、御側おそば御用ごよう取次とりつぎ面子めんつよ…」

「どういうこと?」

 益五郎ますごろうには心底しんそこわけが分からず、首をかしげた。すると平蔵はそんな益五郎ますごろうの、ある意味、邪気じゃきさをの当たりにして苦笑くしょうさせられたものである。

 ともあれ平蔵はその「面子めんつ」の意味するところを益五郎ますごろうに教えてくれた。

「良いか?今も意知おきとも様が申された通り、御側おそば御用ごよう取次とりつぎ小納戸こなんどをもその支配しはいに置いておる。さればその御側おそば御用ごよう取次とりつぎあずかり知らぬところで、我らが勝手に小納戸こなんどより事情を…、大納言だいなごん様…、家基いえもと様が最期さいごのご放鷹ほうようの折に、ここ本丸ほんまるおく医師いし池原いけはら長仙院ちょうせんいんをも家基いえもと様にしたがわせたのか…、その当時の御膳ごぜん番…、本丸ほんまるおく医師いし差配さはいせし御膳ごぜん番の小納戸こなんどにそのわけを尋ねようものなら、きっと御側おそば御用ごよう取次とりつぎこころよく思わぬであろうぞ…」

「ああ。俺のなわりで、なに勝手かってなことしてくれてんだ、って?」

 益五郎ますごろうが確かめるように尋ねると、平蔵はいよいよもって苦笑くしょうしつつも、「その通りだ」と答えた。

「事情は分かったけど…、いや、今ふと思ったんだが、その当時…、家基いえもと様がたかりの時の御膳ごぜん番の小納戸こなんどが果たして今でもいるんだろうか…」

 その当時の御膳ごぜん番の小納戸こなんどが今でも同じく、御膳ごぜん番を兼務けんむしているかどうか、それは分からなかった。それどころか本丸ほんまる小納戸こなんどとして今でもこの本丸ほんまるにて勤めているかも分からなかった。場合によっては隠居いんきょ、あるいは死去している場合もあり得たからだ。

 益五郎ますごろうがその可能性にれるや、平蔵もそれまでの苦笑くしょうから表情を一変いっぺんくもらせたのであった。

 だがそれに対しては意外にも意知おきともがその「不安」を解消かいしょうしてくれたのであった。

「それなれば案ずることはない」

 意知おきともがそう切り出したので、平蔵は身を乗り出す格好で、「と申されますと?」と意知おきともに先をうながした。

「されば確か、御膳ごぜん番の小納戸こなんどは当時も今も吉川よしかわ殿…、吉川よしかわ一學いちがく従行よりゆき殿のはずにて…」

「よしかわ…」

 益五郎ますごろうはその苗字みょうじかえした。どこかで耳にしたことがあるような苗字みょうじだったからだ。

 すると意知おきとも益五郎ますごろうのそのような胸中きょうちゅうを察したのか、

益五郎ますごろう殿なれば、一度ぐらいは耳にいたしたであろうな…」

 そんな気になることを口にした。

「俺なら?」

 益五郎ますごろうがそう聞き返すと、意知おきともは、「左様さよう…」と答えた上で、さらに気になることを口にした。

「清水宮内くない卿様につかえし縁者えんじゃを持たれる益五郎ますごろう殿なれば…」

 意知おきともがそう補足ほそくすると意外にも益五郎ますごろうではなく、平蔵が気付いた。

「ああ…、清水宮内くない卿様のご家老の、吉川よしかわ摂津守せっつのかみ従弼よりすけ殿の…」

左様さよう…、そのそくぞ…」

 成程なるほど、と益五郎ますごろう吉川よしかわという苗字みょうじに聞き覚えがあったことに合点がてんがいった。恐らくは二人の叔父おじ、清水重好しげよしつかえる利兵衛りへえ伊織いおりの二人の叔父おじからその名を聞かされ、それで聞き覚えがあったのだろうと、益五郎ますごろう合点がてんがいった。

 それにしても気になるのは御膳ごぜん番の小納戸こなんどが清水家老のせがれということだ。

「あの…、その吉川よしかわ一學いちがくって野郎が小納戸こなんど…、それもおく医師いし差配さはいできる小納戸こなんどだった時…、もっと言えば家基いえもと様が死ぬ前、その吉川よしかわ一學いちがくの親父はすでに清水家老だったんすか?」

 益五郎ますごろうのその問いの意味は明らかであった。

「まさか…、清水重好しげよし様が家基いえもと様を殺した黒幕くろまくってことか?」

 それまで黙っていた益五郎ますごろうの「博打ばくち仲間なかま」の玄通げんつうが口をはさんだ。

「ああ…、家基いえもと様のたかりにここ本丸ほんまるで働いてる、いや、働いていた、つまりは家基いえもと様のいた西之丸にしのまるとは何の関係もねぇおく医師いしの池原が同行どうこうできたのはひとえに、おく医師いし差配さはいする立場の、その御膳ごぜん番ってのを兼務けんむしている小納戸こなんどだ。で、その御膳ごぜん番の小納戸こなんど兼務けんむしてたのが清水家老のせがれである以上、清水家の親分の重好しげよし様を疑うのは当然じゃね?」

 まさしく益五郎ますごろうの言う通りであり、一橋ひとつばし治済はるさだこそが家基いえもと殺害、さらにはそこから派生はせいしたとおぼしきおく医師いし池原いけはら良誠よしのぶ斬殺ざんさつ事件、それら一連の事件の黒幕くろまくがではないかと、そう主張した平蔵はとりわけ大いに顔をしかめたものである。

 それと言うのも益五郎ますごろうの主張は平蔵のその「かんばたらき」と矛盾むじゅんするものであったからだ。

 しかし、重好しげよしこそが黒幕くろまくではないか…、益五郎ますごろうが主張する通り、その可能性があることも、平蔵としては認めざるを得なかった。

「まずいな…」

 意知おきともは平蔵の胸中きょうちゅうおもんぱかってそうつぶやいた。

「何がまずいの?」

 益五郎ますごろうが尋ねた。

「いや…、御膳ごぜん番には相役あいやくがいるのだが…」

 意知おきともがそう言いかけたので、益五郎ますごろうが続きの言葉を引き取ってみせた。

「まさか…、相役あいやくまでもが清水家老のせがれとか?」

「いや、せがれではないが…、相役あいやく御膳ごぜん番は大久保おおくぼ半五郎はんごろう忠得ただのり殿と申して、その弟が宮内くない卿様につかえておられるのだ…」

 意知おきとものその説明に誰もが、「えっ」と驚きの声を上げ、そしてそろったものである。平蔵ですらその驚きの声を上げたほどである。

「無理もあるまい…」

 意知おきともはそんな皆の反応に理解を示しつつ、さらに解説を加えた。

「無論、大久保おおくぼ半五郎はんごろう殿も吉川よしかわ一學いちがく殿同様、その当時…、大納言だいなごん様が最期さいごのご放鷹ほうよう以前より、御膳ごぜん番の小納戸こなんどであったわ…」

「つまり…、家基いえもと様が生きてる頃から、重好しげよし様につかえる弟を持ちつつ、御膳ごぜん番の小納戸こなんどを勤めていたと…」

 益五郎ますごろうが確かめるように尋ねると、意知おきともうなずいた。

「こりゃ…、いよいよ、くせぇが…、でも、気に入らねぇな…」

 益五郎ますごろうがそうつぶやくと、平蔵はそれを己を…、一橋ひとつばし治済はるさだこそが黒幕くろまくではないかと、そう「かんばたらき」を披瀝ひれきした己をおもんぱかってのことだろうと、そう理解したらしく、平蔵は苦笑まじりに、「無理をするな」と益五郎ますごろうに言った。
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