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家治は家基の死に疑問を抱いた水上興正のその死に不審なものを感ずる
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「水上美濃守が小笠原若狭守に啖呵を切りましたる翌日…、即ち、3月の2日に美濃守がそれがしに対しまして、我が父・勝清に目通りをと、斯かる頼みを受けましたるゆえ、そこでそれなればと…」
「5日が対客日であることを教えてやったわけだな?興正に対して…」
「御意。また、それがしからも父・勝清に対しまして、優先的に水上美濃守に会ってもらいたいと…」
「そなたが父・勝清にもその旨伝え、面談の場を用意したわけだな?」
「御意…」
「されば親房、そなたも勝清が屋敷へと足を運び、その面談に立ち会うたわけだな?」
「御意…、されば明の六つ半(午前7時頃)に西之御丸下にござりまする父・勝清が屋敷へと足を運びまして、そこで…」
「いかさま…、その日は親房は父・勝清や興正共々、その西之丸下にありし、そなたが父・勝清が拝領屋敷より登城したわけだな?」
「御意…」
「して、西之丸下にて…、そなたが父・勝清が拝領屋敷にて、そなたが同席する中、勝清と興正が面談が執り行われたわけだな?」
「御意…」
「興正より家基がことを聞かされし勝清はさぞかし驚いたであろうな…」
「御意…、されば腰を抜かさんばかりに…、何しろ大納言様の死が実は他殺にて、それも、こともあろうに大納言様に御側御用取次として仕えし小笠原若狭守が大納言様殺害に関与している疑いがあると…、さればこの間の、大納言様がお最期のご放鷹の経緯につき、これを詳らかに説明せし上で、父・勝清に対して評定所式日にてこの問題を取り上げてくれるよう頼みましてござりまする…」
「ふむ…、されば興正は更に小笠原若狭めの背後には黒幕がおり、小笠原若狭もまた、その黒幕に操られていたことも、やはり勝清に打ち明け申したか?」
「御意…、なれど美濃守もその黒幕が果たして誰なのか、そこまでは突き止めており申さず…」
黒幕は一橋治済なのだぞ…、家治はそう叫びたい衝動に駆られ、それを必死に堪えつつ、「ふむ」とだけ答えた。
「なれど父・勝清は既にこの時…、3月5日の時点で畏れ多くも大納言様がご葬送、及びご法会の惣督を命じられておりましたるゆえ…」
「おお、そうであったな…、確か、家基が身罷りしその日に、そなたが父・勝清に命じたのであったわ…」
家治は愛息・家基が亡くなった、いや、殺された日である24日のことを今でも良く覚えていた。
「されば勝清にはその時点では到底、興正が頼みを…、評定所式日にてこの問題を取り上げてもらいたしとの興正が頼みを聞き入れてやる余裕はなかったわけだな…」
「御意…、されば父・勝清は今も申し上げましたる通り、畏れ多くも大納言様がご葬送、及びご法会の惣督を命じられておりましたるゆえ、11日の…、3月2日の評定所式日は元より、11日の式日にも出座が叶わず…」
「さもあろう…、家基が葬送や法会の準備で忙しかろうて…」
「御意。されば落ち着きし4月の評定所の式日にでもこの問題を取り上げようと…」
「勝清はそのように説得して興正に納得してもらったと?」
「御意…、尤も、美濃守がそれに…、父が説得に対しまして、心底、納得したかどうかは分かりかねまするが…」
「左様か。なれど…、2日も11日も一応、評定所そのものは行われたのではあるまいか…」
家治はその問いは御側御用取次の横田準松と稲葉正明の両名に対して発した。それと言うのも両名はこの時点…、家基が薨去した安永8(1779)年の2月24日の時点で既に今のお役である御側御用取次の地位にあったからだ。
そうであれば3月2日と11日の評定所式日に果たしていつも通り、老中も出座しての評定が行われたのか否か、その程度は覚えている筈と、家治はそう信じて疑わなかったからだ。
案の定、まず初めに正明が答えた。
「されば2日…、3月2日の式日には老中首座の松平右近将監武元と板倉佐渡守勝清を除きし老中が出座致しましてござりまする…」
「そうであった…、爺…、いや、武元はこの時、既に病であったな…」
家治は昔を思い出すかのようにそう言った。家治はかつて、老中首座の松平武元のことを、
「西之丸下の爺…」
そう呼んで、信頼していたのだ。それが家基の薨去を境に寝込むようになり、評定所の式日にも出座が叶わぬ程に衰弱していた。
「されば11日にはさらに田沼主殿頭意次が欠席…」
「されば11日には…、11日の評定所式日には松平輝高と松平康福の二人の老中が出座したのみか?」
家治が確かめるように尋ねると、正明は「御意」と即答した上で、
「されば3月2日…、評定を終えましたる後、田沼主殿頭に対して畏れ多くも大納言様がご法会…、増上寺にてのご法会、その後始末を命ぜられましたるゆえ、それに忙しく…」
「11日の評定所式日には意次までもが欠席したと申すのだな?」
「御意…」
「されば興正は何ゆえに他の老中には家基がことを打ち明けなんだか…」
家治はそう呟いた。そこには、
「せめて爺…、は体調が思わしくなく、興正が話を聞いてやるだけの余裕はないにしても、意次なれば十分に興正が話を聞いてやれただろうに…」
そのような思いが込められており、そうと察した親房は、「されば…」と切り出した。
「されば興正は父・勝清以外の老中を信じてはおらなんだ様子にて…」
「それは…、下手をすれば誰ぞに筒抜けになるやも知れぬ、と?」
「御意」
「老中の中にひ…、黒幕と…、家基を害せし黒幕と通じておる者がいるやも知れぬと、それを恐れてのことか?」
「御意。さればそれがし、美濃守より左様に聞き及びましてござりまする…、いえ、それがしも美濃守に対しまして、他の老中にも相談してはとすすめ申しましたるところ、左様に…」
「成程…、してその誰か…、老中とも通じておるやも知れぬ、家基を害せし黒幕の名は…、興正より聞き及んでおるのか?」
「いえ、そこまでは…、美濃守にも分からぬ様子にて…」
「左様か…、なれどそなたが父・勝清がことは興正も信じて、家基がことを打ち明けたと申すのだな?」
「御意…」
「にしても…、せめて余に打ち明けてくれても良さそうなものを…」
家治はそう思わずにはいられなかった。成程、興正が老中の中にも黒幕が…、一橋治済に内通している者がいるのではあるまいかと、そのように用心し、結果的に己と同じく西之丸にて御側衆の一人として家基に仕えていた本堂親房の実父にして老中の板倉勝清のみを信じて、家基のことを打ち明けたのも致し方のないことと、家治は興正のその行動を理解できなくもなかった。
だがそれならせめて家基の実父である己にだけは打ち明けてくれても良さそうなものなのにと、家治はそう思わずにはいられなかった。
するとそうと察した様子の親房が、「されば畏れ多くも上様におかせられましては、悲嘆に暮れておりましたゆえ…」と言い訳気味にそう切り出したのであった。
「何と…、余が家基が死に、悲嘆に暮れていたゆえ、それで興正も余に対して…、余に遠慮して打ち明けなかったと申すか?家基がことを…」
「御意…、されば畏れ多くも大納言様が誰かの手にかかり、それに畏れ多くも大納言様に御側御用取次として仕えし小笠原若狭守が手を貸したと思われるが…、なれど今、言えるのはそこまでであり、生憎、その黒幕が誰であるのかまでは未だ突き止めており申さず、斯かるあやふやなる状態にて畏れ多くも上様に対して大納言様がことを打ち明け、上様の宸襟を悩ましては申し訳ないと…」
「興正はそなたに左様なことを申したのか…」
「御意…」
だとしたら家治にも責任の一端があることになる。興正が家治に家基の件を打ち明けられなかったことに対して。
「されば勝清は他の老中にはこれを…、家基がことを打ち明けなんだか?」
「御意。されば美濃守より固く口止めされ申しましたるゆえ…」
「成程…」
「それに例え、美濃守より口止めされ申さずとも、余りにも事が重大ゆえ…」
「興正よりわざわざ口止めされるまでもなく、口外することなど到底、あたわず、とな?」
「御意…」
「して、興正が亡くなりし後、勝清がそのことを評定にて…、式日にでも取り上げることはなかったと?」
「…御意」
親房はそう答えると、如何にも申し訳なさそうに頭を垂れたのであった。
「いや、そなたの父の尽力には忝く思うぞ…」
家治は親房にそう労いの言葉をかけて親房を喜ばせてやった。
「それで…、忠恕にだけは打ち明けたのか?」
今の親房の打ち明け話に忠恕は一向に驚く素振りを見せなかったので、家治はもしやと、そう思って尋ねたのであった。結果は案の定であった。
「余りに重大なことゆえ…、その上、美濃守までが身罷り、それゆえ…」
「一人では抱えきれずに、そこで忠恕には打ち明けたと申すのだな?」
「御意…」
「左様であったか…」
家治にはいよいよもって水上興正の死にまでが不審に感じられた。
「5日が対客日であることを教えてやったわけだな?興正に対して…」
「御意。また、それがしからも父・勝清に対しまして、優先的に水上美濃守に会ってもらいたいと…」
「そなたが父・勝清にもその旨伝え、面談の場を用意したわけだな?」
「御意…」
「されば親房、そなたも勝清が屋敷へと足を運び、その面談に立ち会うたわけだな?」
「御意…、されば明の六つ半(午前7時頃)に西之御丸下にござりまする父・勝清が屋敷へと足を運びまして、そこで…」
「いかさま…、その日は親房は父・勝清や興正共々、その西之丸下にありし、そなたが父・勝清が拝領屋敷より登城したわけだな?」
「御意…」
「して、西之丸下にて…、そなたが父・勝清が拝領屋敷にて、そなたが同席する中、勝清と興正が面談が執り行われたわけだな?」
「御意…」
「興正より家基がことを聞かされし勝清はさぞかし驚いたであろうな…」
「御意…、されば腰を抜かさんばかりに…、何しろ大納言様の死が実は他殺にて、それも、こともあろうに大納言様に御側御用取次として仕えし小笠原若狭守が大納言様殺害に関与している疑いがあると…、さればこの間の、大納言様がお最期のご放鷹の経緯につき、これを詳らかに説明せし上で、父・勝清に対して評定所式日にてこの問題を取り上げてくれるよう頼みましてござりまする…」
「ふむ…、されば興正は更に小笠原若狭めの背後には黒幕がおり、小笠原若狭もまた、その黒幕に操られていたことも、やはり勝清に打ち明け申したか?」
「御意…、なれど美濃守もその黒幕が果たして誰なのか、そこまでは突き止めており申さず…」
黒幕は一橋治済なのだぞ…、家治はそう叫びたい衝動に駆られ、それを必死に堪えつつ、「ふむ」とだけ答えた。
「なれど父・勝清は既にこの時…、3月5日の時点で畏れ多くも大納言様がご葬送、及びご法会の惣督を命じられておりましたるゆえ…」
「おお、そうであったな…、確か、家基が身罷りしその日に、そなたが父・勝清に命じたのであったわ…」
家治は愛息・家基が亡くなった、いや、殺された日である24日のことを今でも良く覚えていた。
「されば勝清にはその時点では到底、興正が頼みを…、評定所式日にてこの問題を取り上げてもらいたしとの興正が頼みを聞き入れてやる余裕はなかったわけだな…」
「御意…、されば父・勝清は今も申し上げましたる通り、畏れ多くも大納言様がご葬送、及びご法会の惣督を命じられておりましたるゆえ、11日の…、3月2日の評定所式日は元より、11日の式日にも出座が叶わず…」
「さもあろう…、家基が葬送や法会の準備で忙しかろうて…」
「御意。されば落ち着きし4月の評定所の式日にでもこの問題を取り上げようと…」
「勝清はそのように説得して興正に納得してもらったと?」
「御意…、尤も、美濃守がそれに…、父が説得に対しまして、心底、納得したかどうかは分かりかねまするが…」
「左様か。なれど…、2日も11日も一応、評定所そのものは行われたのではあるまいか…」
家治はその問いは御側御用取次の横田準松と稲葉正明の両名に対して発した。それと言うのも両名はこの時点…、家基が薨去した安永8(1779)年の2月24日の時点で既に今のお役である御側御用取次の地位にあったからだ。
そうであれば3月2日と11日の評定所式日に果たしていつも通り、老中も出座しての評定が行われたのか否か、その程度は覚えている筈と、家治はそう信じて疑わなかったからだ。
案の定、まず初めに正明が答えた。
「されば2日…、3月2日の式日には老中首座の松平右近将監武元と板倉佐渡守勝清を除きし老中が出座致しましてござりまする…」
「そうであった…、爺…、いや、武元はこの時、既に病であったな…」
家治は昔を思い出すかのようにそう言った。家治はかつて、老中首座の松平武元のことを、
「西之丸下の爺…」
そう呼んで、信頼していたのだ。それが家基の薨去を境に寝込むようになり、評定所の式日にも出座が叶わぬ程に衰弱していた。
「されば11日にはさらに田沼主殿頭意次が欠席…」
「されば11日には…、11日の評定所式日には松平輝高と松平康福の二人の老中が出座したのみか?」
家治が確かめるように尋ねると、正明は「御意」と即答した上で、
「されば3月2日…、評定を終えましたる後、田沼主殿頭に対して畏れ多くも大納言様がご法会…、増上寺にてのご法会、その後始末を命ぜられましたるゆえ、それに忙しく…」
「11日の評定所式日には意次までもが欠席したと申すのだな?」
「御意…」
「されば興正は何ゆえに他の老中には家基がことを打ち明けなんだか…」
家治はそう呟いた。そこには、
「せめて爺…、は体調が思わしくなく、興正が話を聞いてやるだけの余裕はないにしても、意次なれば十分に興正が話を聞いてやれただろうに…」
そのような思いが込められており、そうと察した親房は、「されば…」と切り出した。
「されば興正は父・勝清以外の老中を信じてはおらなんだ様子にて…」
「それは…、下手をすれば誰ぞに筒抜けになるやも知れぬ、と?」
「御意」
「老中の中にひ…、黒幕と…、家基を害せし黒幕と通じておる者がいるやも知れぬと、それを恐れてのことか?」
「御意。さればそれがし、美濃守より左様に聞き及びましてござりまする…、いえ、それがしも美濃守に対しまして、他の老中にも相談してはとすすめ申しましたるところ、左様に…」
「成程…、してその誰か…、老中とも通じておるやも知れぬ、家基を害せし黒幕の名は…、興正より聞き及んでおるのか?」
「いえ、そこまでは…、美濃守にも分からぬ様子にて…」
「左様か…、なれどそなたが父・勝清がことは興正も信じて、家基がことを打ち明けたと申すのだな?」
「御意…」
「にしても…、せめて余に打ち明けてくれても良さそうなものを…」
家治はそう思わずにはいられなかった。成程、興正が老中の中にも黒幕が…、一橋治済に内通している者がいるのではあるまいかと、そのように用心し、結果的に己と同じく西之丸にて御側衆の一人として家基に仕えていた本堂親房の実父にして老中の板倉勝清のみを信じて、家基のことを打ち明けたのも致し方のないことと、家治は興正のその行動を理解できなくもなかった。
だがそれならせめて家基の実父である己にだけは打ち明けてくれても良さそうなものなのにと、家治はそう思わずにはいられなかった。
するとそうと察した様子の親房が、「されば畏れ多くも上様におかせられましては、悲嘆に暮れておりましたゆえ…」と言い訳気味にそう切り出したのであった。
「何と…、余が家基が死に、悲嘆に暮れていたゆえ、それで興正も余に対して…、余に遠慮して打ち明けなかったと申すか?家基がことを…」
「御意…、されば畏れ多くも大納言様が誰かの手にかかり、それに畏れ多くも大納言様に御側御用取次として仕えし小笠原若狭守が手を貸したと思われるが…、なれど今、言えるのはそこまでであり、生憎、その黒幕が誰であるのかまでは未だ突き止めており申さず、斯かるあやふやなる状態にて畏れ多くも上様に対して大納言様がことを打ち明け、上様の宸襟を悩ましては申し訳ないと…」
「興正はそなたに左様なことを申したのか…」
「御意…」
だとしたら家治にも責任の一端があることになる。興正が家治に家基の件を打ち明けられなかったことに対して。
「されば勝清は他の老中にはこれを…、家基がことを打ち明けなんだか?」
「御意。されば美濃守より固く口止めされ申しましたるゆえ…」
「成程…」
「それに例え、美濃守より口止めされ申さずとも、余りにも事が重大ゆえ…」
「興正よりわざわざ口止めされるまでもなく、口外することなど到底、あたわず、とな?」
「御意…」
「して、興正が亡くなりし後、勝清がそのことを評定にて…、式日にでも取り上げることはなかったと?」
「…御意」
親房はそう答えると、如何にも申し訳なさそうに頭を垂れたのであった。
「いや、そなたの父の尽力には忝く思うぞ…」
家治は親房にそう労いの言葉をかけて親房を喜ばせてやった。
「それで…、忠恕にだけは打ち明けたのか?」
今の親房の打ち明け話に忠恕は一向に驚く素振りを見せなかったので、家治はもしやと、そう思って尋ねたのであった。結果は案の定であった。
「余りに重大なことゆえ…、その上、美濃守までが身罷り、それゆえ…」
「一人では抱えきれずに、そこで忠恕には打ち明けたと申すのだな?」
「御意…」
「左様であったか…」
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