天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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岳父・大橋與惣兵衛親英

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 その頃、平蔵はすで下城げじょうし、菊川きくかわ町三つ目にある自邸じていへといったん帰邸きていし、そこで肩衣かたぎぬはんばかまを脱ぎ捨ててながし姿になると、一人、自邸じていをあとにし、下谷したや和泉いずみばし通りへと足を伸ばした。岳父がくふ大橋おおはし與惣兵衛よそべえ親英ちかふさに会うためであった。

 平蔵は與惣兵衛よそべえの三女の静榮しずえめとっていた。その岳父がくふ與惣兵衛よそべえが当主を務める大橋家のやしき下谷したや和泉いずみばし通りにあったのだ。

 平蔵のやしきがある本所ほんじょ菊川きくかわ町三つ目から下谷したや和泉いずみばし通りまではまずたてかわにかかる三ツ目橋を渡り、そのたてかわ沿いをしん大橋おおはし方面へと向かって歩き、そうしてしん大橋おおはしを渡って両國りょうごくひろ小路こうじに出ると、今度は和泉いずみばし方面へと柳原やなぎはら通りを歩き、そして和泉いずみばしを渡れば、そこは下谷したやであり、岳父がくふ與惣兵衛よしべえやしきはその和泉いずみばしを渡ってぐのところにあり、この辺はかち町とも呼ばれていた。

 もっとも、平蔵が今日、こうしてわざわざ與惣兵衛よそべえやしきへと足を向けたのは何も旧交きゅうこうあたためるためではなかった。いや、それもないとは言わないが、それ以上にきたいことがあったからだ。

 岳父がくふ與惣兵衛よそべえきたいこととは他でもない、家基いえもと最期さいごたかりの様子についてであった。

 実は與惣兵衛よそべえもまた、その当時…、安永8(1779)年時において西之丸にしのまるにおいて新番しんばん組頭くみがしらとして次期将軍の家基いえもとつかえていたのだ。

 のみならず、與惣兵衛よそべえ新番しんばん組頭くみがしらとして家基いえもと最期さいごたかりに従っていたのだ。平蔵は提出を受けた名簿めいぼ…、家基いえもと最期さいごたかりにしたがった者のその名簿めいぼの中に岳父がくふ大橋おおはし與惣兵衛よそべえの名を見つけたので、こうして與惣兵衛よそべえやしきへと足を運んだというわけだ。家基いえもと最期さいごたかりにしたがった與惣兵衛よそべえなれば何か知っているやも知れぬと、そう思ってのことである。

 もっとも、仮に與惣兵衛よそべえ家基いえもと最期さいごたかりにしたがわずとも、與惣兵衛よそべえ西之丸にしのまるにて新番しんばん組頭くみがしらとして家基いえもとつかえていたことは平蔵も承知していたので、やはりその與惣兵衛よそべえなれば西之丸にしのまるの事情にくわしいに違いないと、そう思って同じく話を聞きに行ったに相違そういない。

 さて、こうして與惣兵衛よそべえやしきへと足を向けた婿むこの平蔵を岳父がくふである與惣兵衛よそべえ歓待かんたいした。

「いやぁ、ようまいられたのう…」

 與惣兵衛よそべえおく座敷ざしきにて平蔵と向かい合うや、そう歓待かんたいの言葉をかけた。

沙汰さたいたしまして、申し訳もなく…」

 そうびの言葉を述べて頭を下げようとする平蔵を岳父がくふ與惣兵衛よそべえが制した。

「して、本日はまた、何用なにようぞ?」

 與惣兵衛よそべえは平蔵にそう尋ねた。

「されば…、大納言だいなごん様がことにつきまして…」

 平蔵は声量せいりょうを落としてそう切り出すと、将軍・家治より家基いえもとの死の真相について探索たんさくするよう命じられたことを打ち明けたのであった。

 果たして與惣兵衛よそべえが信じてくれるかどうか、平蔵には自信がなかったものの、幸いにして與惣兵衛よそべえは信じてくれた。

「これは驚いたな…、して、わしに何を聞きたい?やはり…、大納言だいなごん様が最期さいごのご放鷹ほうようについて、か?」

 與惣兵衛よそべえはそうかんを働かせた。

左様さようでござります。されば義父上ちちうえもご放鷹ほうように…」

「ああ。確かに、新番しんばん組頭くみがしらとしてしたごうたわ…」

「そこで尋ね申すのですが、何か変わったことはありませなんだか?」

「いつものたかりとは、と?」

左様さよう…」

「そうよな…」

 與惣兵衛よそべえしばし、考え込む素振そぶりを見せたのち、「ああ…」と思い出したように声を上げた。

「何か、思い出されましたか?」

 平蔵は期待をめて尋ねた。

「されば…、些細ささいなことなのだが…」

 與惣兵衛よそべえはそんなまえきをした。そして、

些細ささいなこと…」

 そんなまえきに限って、

些細ささいであったためしはない…」

 というのが京都西町奉行まで務めた平蔵が父、備中守びっちゅうのかみ宣雄のぶお口癖くちぐせであり、平蔵もその父・宣雄のぶおの言葉を何度も聞かされて育ったものである。

 それゆえ平蔵はまいをただして、岳父がくふ與惣兵衛よそべえの言葉を待った。

「されば事前にたかりにしたがいし者が変わったの…」

 やはり親父おやじの言葉は正しかったと、平蔵は改めてそう思いつつ、與惣兵衛よそべえくわしい説明をうながした。

「されば大納言だいなごん様が最期さいごたかりにしたがいしりょうばん…、書院しょいんばん小姓こしょうぐみばんだが、書院しょいんばんは三番組、小姓こしょうぐみばんは二番組がそれぞれ扈従こしょうせしが、予定では書院しょいんばんは一番組が、小姓こしょうぐみばんは四番組がそれぞれ扈従こしょうせしことに…」

「それが実際には変わった…、それは直前に変わったと?」

左様さよう…」

 平蔵自身も西之丸にしのまるにて書院しょいん番士ばんしとして大納言だいなごん家基いえもとつかえていた。

 しかし平蔵は同時に、進物しんもつ番をも兼務けんむしていた。大納言だいなごん家基いえもとへとおくられる進物しんもつ、要は賄賂わいろの受け取り係であり、平蔵はその進物しんもつ番としての仕事の方がいそがしく、ゆえにたかりにまで手が回らず、西之丸にしのまるにて家基いえもとつかえる書院しょいん番士ばんしでありながら、家基いえもと最期さいごたかりについては何も知らなかったのだ。

 岳父がくふ與惣兵衛よそべえもそのことは承知しており、それゆえ平蔵が何も知らないことに一々いちいち、目くじらを立てるような真似まねはせずに平蔵の問いに対して丁寧ていねいに答える姿勢を見せてくれたのであった。そんな岳父がくふ與惣兵衛よそべえこころづかいが平蔵にはうれしく思えると同時に、申し訳なくもあった。

 さて、平蔵が如何いかたかりには「ノータッチ」とは言っても、たかり》の直前になって、したがうべきばんが変わるなど、

滅多めったになきこと…」

 平蔵にもそれぐらいは分かるというものであった。

 いや、そうは言っても絶対にあり得ないとも断言だんげん出来ず、そこで平蔵は、

いささか変…」

 そうとらえて今は脳裏のうりきざみつけておくにとどめた。

「それに目付めつけにしても変であったわ…」

「と申されますと?」

「いや、そなたも存じての通り、たかりに扈従こしょうせし目付めつけは日記掛と、それにともばんをそれぞれ兼務けんむせし者と決まっておる…」

 確かにその通りの話で、それは本丸ほんまる西之丸にしのまるとを問わない。すなわち、本丸ほんまるあるじである征夷大将軍のたかりにしろ、西之丸にしのまるあるじである次期将軍のたかりにしろ、それにしたが目付めつけは記録を取る日記掛を兼務けんむする目付めつけと、それにたかりを監督かんとくするともばん兼務けんむする目付めつけであった。

「されば実際に、大納言だいなごん様がたかりに扈従こしょうせし目付めつけは…」

 平蔵は岳父がくふ與惣兵衛よそべえにそう水を向けた。

「されば勝手かって掛を兼務けんむせし新庄しんじょう與惣右衛門よそえもん直内なおうちぐち番の小野おの次郎右衛門じろうえもん忠喜ただよしにて…」

「えっ…、勝手かって掛とぐち番が…」

 平蔵は驚きのあまり、思わず聞き返したほどである。

 それに対して與惣兵衛よそべえも平蔵の驚きに理解を示し、

「本来なれば日記掛を兼務けんむせしは小出こいで兵庫ひょうご有乗ありのりにて、一方、ともばん松平まつだいら田宮たみや恒隆つねたかにて…」

「その小出こいで兵庫ひょうご松平まつだいら田宮たみやの二人が大納言だいなごん様がご放鷹ほうよう扈従こしょうすべきところ、たかりとはまったくかかわりのなき新庄しんじょう與惣右衛門よそえもん小野おの次郎右衛門じろうえもんの二人が大納言だいなごん様がご放鷹ほうよう扈従こしょうせしことになり、されば小出こいで兵庫ひょうご松平まつだいら田宮たみやにしてみれば、横からさらわれたようなものでござろうなぁ…、大納言だいなごん様がご放鷹ほうようへの扈従こしょうというえあるお役目を…」

「確かに…、なれど上が決めたことゆえ、どうにもなるまいて…」

「上と申されますと…」

 一体、誰がたかりの直前になって家基いえもと扈従こしょう…、従うべき面子めんつを変えたのか、平蔵にはそれがずっと不思議であった。
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