天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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犯行現場の錯覚 ~長谷川玄通は品川の東海寺が家基毒殺の犯行現場でなかった可能性を指摘する~ 2

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 それから玄通げんつうは家治の方へと向き直ると、

「さればこれより下城げじょういたし、躋寿せいじゅかんに参りたく…」

 家治に対してそう願ったのであった。家治はそれに対して、「許す」と即座そくざにその申し出を許したのであった。

 すると意知おきともまでもが家治に対して、

「されば、この意知おきとも長谷川はせがわ玄通げんつう同道どうどういたたく…」

 そう願い出たのであった。これには玄通げんつう益五郎ますごろうも驚き、

「あんたまで?」

 益五郎ますごろう玄通げんつうに代わってそう尋ねた。

左様さよう…、されば玄通げんつうよ、そなた、多紀たき先生…、いや、多紀たき安元あんげんより、おそれ多くも大納言だいなごん様が摂取せっしゅされし毒…、それも遅効ちこう性のある毒につき、教授を願うのであろうが、なれど如何いかにして教授を願うつもりぞ?」

如何いかにしてって…」

 玄通げんつうまどいの表情を浮かべた。

「されば正直に申すのであろうか?己はおそれ多くも上様より、今は亡き大納言だいなごん様が死の真相の探索たんさくを命じられ、さればおそれ多くも大納言だいなごん様におかせられては遅効ちこう性のある毒を摂取せっしゅせし疑いがあるので、そこで遅効ちこう性のある、その上で致死ちし性のある毒につき、教授を願いたい…、仮に左様さよう教授きょうじゅを願いしところで、果たして多紀たき安元あんげんは信じるであろうか?そなたの話を…」

 意知おきとものその主張はあまりにもっとも過ぎ、玄通げんつうはさしずめ、

「ぐうのも出ぬほどに…」

 やりめられてしまった。確かにそのような話を多紀たき安元あんげん素直すなおに、額面がくめん通り受け取ってくれるか、それははなはだ疑問であった。かつがれていると、そう誤解される恐れの方が強いほどである。

 家治にしても意知おきともにその可能性を指摘してきされて初めてその可能性に気付き、「あっ」と言いたげな顔をした。

「さればこの意知おきともより多紀たき安元あんげんに対しまして事情を打ち明けましたる上で、尋ねましたる方が…」

 確かに、意知おきともの言葉であれば多紀たき安元あんげんも耳をかたむけるに相違そういあるまい…、そう思った家治はやはり意知おきとものこの申し出を許そうとしたその時、

「ところで、あんた、多紀たき先生のこと、知ってんの?」

 益五郎ますごろうの言葉が割り込んだ。単純な疑問ではあったが、しかし、もっともな疑問であり、家治は意知おきともの返答を待つことにした。

「ああ。多紀たき先生とは…、いや、多紀たき安元あんげんとは…」

 意知おきともは将軍・家治の手前てまえ、そう言い直すや、「先生でかまわぬ…」との家治からの苦笑まじりの言葉をたまわったので、意知おきともは家治のその厚意こういに感謝し、素直すなおにその厚意こういを受け取り、

「されば多紀たき先生とはそのそく安長あんちょう先生とも親しくさせてもらっているのだ」

 意知おきとも多紀たき親子との関係について打ち明けたのであった。それに対して益五郎ますごろうは、「そうなの」と驚いた様子を見せた。

左様さよう…、されば屋敷からも近いゆえ…」

 意知おきともがそう告げると、今度は玄通げんつうがそれに反応した。

「そういえば…、田沼様のお屋敷やしき神田かんだばし御門内にありましたね…」

 玄通げんつうがそう言ったので、意知おきともは思わず気色けしきばんだ。

「これっ、おそれ多くも上様の御前ごぜんなるぞ…」

 将軍・家治の前で、「田沼様」はあり得ない。そこは田沼と呼び捨てにする場面であり、それゆえ意知おきとも気色けしきばんだのであった。

 すると家治がまたしても、意知おきとものためを思って、「良い、良い」と玄通げんつうのその作法さほう寛恕かんじょ、笑って許してやったので、むしろ意知おきとも恐縮きょうしゅくした。

 一方、玄通げんつうはと言うと、流石さすがに己のその作法さほうに気付いたらしく、

「田沼の屋敷は神田かんだばし御門内にて…」

 玄通げんつうはそう言い直すや、

神田かんだばしを渡り、さらに昌平しょうへいばしを渡り、そして和泉いずみばし方面へと歩けば、もうそこは神田かんだ佐久間さくま町二丁目…、成程なるほど、確かに田沼屋敷やしきから近い…」

 一人合点がてんした。

佐久間さくま町の二丁目にあんの?その躋寿せいじゅかんってのは…」

「ああ。かつて司天してんだい…、天文てんもんだい跡地あとちに建てられたんだよ」

「そうなんだ…、ともあれ田沼屋敷やしき躋寿せいじゅかんは近いから、そんでがあったと、そういうこと?」

 益五郎ますごろうがまとめるようにそう言った。

「ああ。それに何かと意見交換も…」

「意見交換?」

 益五郎ますごろうは聞き返した。

「まぁ、要するにこの国の医学について、とか…」

「ああ、かくむずかしい話をしてっから、そんな…、遅効ちこう性だなんて聞き慣れねぇ、それも医師でもねぇあんたが知ってたわけだ…」

 益五郎ますごろうは納得したようにそう言った。

「まぁ、むずかしい話かどうかはかく多紀たき先生…、安元あんげん先生や、そのそく安長あんちょう先生にも何かと教えられることが多いのは確かだな」

安長あんちょう先生、ってそう言えば今さらだが、そのせがれ安長あんちょうって人も医者なの?」

 益五郎ますごろうがそう尋ねると、再び、意知おきともから玄通げんつうへとバトンタッチした。

安長あんちょう先生も医者でやはり、躋寿せいじゅかんにて我ら医師に教えをさずけて下さる…」

「そうなんだ…」

安長あんちょう先生は上様への拝謁はいえつこそ済まされてはいるものの、それでも父の安元あんげん先生のように幕府の医官いかんというわけではないから、安元あんげん先生のように登城しなくて良いんで、その分、時間があるから、実際には躋寿せいじゅかんの運営はこの安長あんちょう先生に任されているようなもんだな…」

「それじゃあその安長あんちょう先生が事実上の館長ってことか?」

「まぁな。一応、世話せわ役の肩書かたがきではあるが…」

 玄通げんつうのその説明に対して意知おきとももその通りだと言わんばかりにうなずいてみせた。どうやら意知おきとももその多紀たき親子と付き合いがあるだけに、躋寿せいじゅかんの事情に通じているようであった。

「されば多紀たき親子にも協力を求めねばなりませぬゆえ、おそれ多くも大納言だいなごん様がことを打ち明けてもよろしゅうござりまするか?」

 意知おきともは家治にそう願い出た。確かに、事情も打ち明けずに遅効ちこう性のある、つ、致死ちし性のある毒を教えろと、多紀たき親子に尋ねたところで、果たして多紀たき親子が素直すなおに答えてくれるかどうか、それは意知おきともにも何とも分からなかった。

 いや、むしろその可能性は低いように思われた。何しろ多紀たき親子…、とりわけ父・安元あんげんは医師としての信念しんねんに…、人を救うというその信念しんねんあふれた人物であり、そうであれば如何いか意知おきともからの頼みとは言え、事情も聞かずにそのような、遅効ちこう性の、それも致死ちし性のある毒を教えろと命じてみたところで、絶対に教えないだろう。いや、例え、将軍・家治からの命であっても教えないに違いない。

 そしてそく安長あんちょうにしてもそんな父・安元あんげん信念しんねんをそのまま受けいでいた。

 一方、そうとは…、多紀たき親子の性格を知らぬ御側おそば御用ごよう取次とりつぎ準松のりとしはある意味、当然過ぎる懸念けねんを示した。

「よもやその多紀あき親子が一橋ひとつばし殿と通じている可能性はありますまいな?」

 それに対して意知おきともは、準松のりとし、それに家治たちに対して多紀たき親子のその医師としての信念しんねんを説いた上で、もし仮に準松のりとしの言う通り、多紀たき親子が一橋ひとつばし治済はるさだと通じていたとしたら、

「その時には、この腹を…」

 意知おきともは己の腹をけたのであった。すると準松のりとし意知おきともがそのような覚悟かくごを示すとは流石さすが予期よきしていなかったようだ、

「いや、何もそこまで…」

 準松のりとしはたじろいだ。

 一方、家治は意知おきともに対しては腹をかける必要はないと、そうさとした上で、

「されば多紀たき親子に協力をもとむる以上、事情を打ち明けるは当然のこと…」

 家治はそう言うと、さらに、

意知おきとも眼鏡めがねを…、多紀たき親子が医師としての信念にあふれているとの、その意知おきともの人物評を信じようぞ…」

 そう付け加えて、意知おきともが望む通り、多紀たき親子に対して家基いえもとの件を打ち明けることを許したのであった。
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