天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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田村元長善之に対して、遅効性にして致死性のある毒の存在を尋ねた町医者で小児科医の小野西育章以への「疑惑」

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「ところで、そのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが遅効ちこう性のある、つ、致死ちし性のある毒…、毒キノコだということは一般的に広く知られていることで?」

 意知おきともは気になっていたことを尋ねた。仮に重富しげとみが弟のためにそのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを渡したのだとしたら、当然、重富しげとみにその知識が…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケが遅効ちこう性にして致死ちし性のある毒キノコだとその知識があるはずであった。

 いや、もしかしたら弟・治済はるさだにその知識があり、重富しげとみに採取を命じたか。

「いや、一般的には…、医師であったとしても、私のような本草ほんぞう学に通じていない者には…」

 善之よしゆきがそう答えたので、意知おきともも「確かに…」と思うと同時に、治済はるさだ、あるいは重富しげとみのどちらかがそのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケに関する知識があったのではとの、その己の推理を改めた。

 やはり本草ほんぞう学に通じている者の協力がなければ不可能だろうと、意知おきともは己の推理にそう軌道きどう修正しゅうせいを加えたのであった。

「ああ、でも前にも同じような問いを受けたことがありましてな…」

 善之よしゆきは思い出したようにそう告げ、意知おきともを緊張させた。

「同じような問いとは…、遅効ちこう性のある、つ、致死ちし性のある毒を教えてくれ、と?」

 意知おきともがそう尋ねると、「結果的には…」と善之よしゆきは実にふくみのある答え方をした。

「結果的には?」

 意知おきともが首をかしげてみせると、善之よしゆきは「左様さよう…」と切り出し、くわしく説明してくれた。

「されば以前にも、小野おの西育さいいく章以あきしげなる小児しょうにより相談を受けましてな…」

 善之よしゆきがその名を出すや、玄通げんつうが、「えっ、あの小野おの先生が?」と問い返した。

「存じているのか?」

 意知おきとも玄通げんつうに尋ねた。すると玄通げんつう小野おの西育さいいく章以あきしげなる小児しょうについて意知おきともに説明してくれた。

 すなわち、小野おの章以あきしげ小児しょうに専門の町医者で、日本橋は本銀町一丁目の一等地において開業していた。

「その小野先生が何ゆえ、躋寿せいじゅかんに?やはり医学を学ぶために?それも教えるために?」

 意知おきともにはこの二つしか考えられなかった。

「されば…、どちらかと申せば、教える方でござろうか…」

 善之よしゆきは何とも曖昧あいまいな答え方をした。

「と申されますと?」

 意知おきとも善之よしゆきくわしい説明をうながした。

「されば小野先生は今日のように、躋寿せいじゅかんにて実習じっしゅうが行われる…、実際に患者かんじゃ診察しんさつする日に参られては、主に小児しょうに患者かんじゃくださるので…」

 善之よしゆきにしてはめずらしく遠慮えんりょがちであった。いつもの善之よしゆきならば相手が誰であろうとも、それこそ例え、将軍であろうとも遠慮せず、

「タメ口」

 そのような口をくのではあるまいかと、そう思わせるほど御仁ごじんであるにもかかわらず、であった。そしてそんな善之よしゆきという人物を良く知る意知おきともにはそのことが不思議に思えてならなかった。

「ともあれ…、小野先生はこの躋寿せいじゅかん往診おうしんに参られると、そういうことですか?」

左様さよう…、ただし、報酬ほうしゅうでござるが…」

報酬ほうしゅう…、さればやくだいは…」

すべて、小野先生に持ち出しにて…、いや、意知おきとも殿もご存知ぞんじの通り、この躋寿せいじゅかんにての診察しんさつは一応、やくだい頂戴ちょうだいする建前たてまえにはなっており申すが、実際にはひんじゃからはやくだい頂戴ちょうだいせず…」

 善之よしゆきにそう言われて意知おきともはこの躋寿せいじゅかんでの診察しんさつを思い出した。すなわち、躋寿せいじゅかんでの診察しんさつとは、

「ティーチングホスピタル」

 それであった。要するに学ぶ医療、学ぶための医療であり、ゆえに玄通げんつうのようなまだ新米しんまいの医師が診察しんさつに当たる場合もあれば、善之よしゆきのように世話せわやく、つまりは教授がみずか診察しんさつに当たる場合もある。

 玄通げんつうのような新米しんまいの医師、さしずめ研修けんしゅう診察しんさつに当たる際には善之よしゆきのような世話せわやく監督かんとくし、逆に善之よしゆきのような世話せわやく診察しんさつに当たる場合には玄通げんつうのような新米しんまい研修けんしゅうは見学することになる。

 一方、患者かんじゃにしてみればあま居心地いごこちの良いものではないだろうが、その代わりとしてのやくだいの低額、あるいは無料であった。

 もっとも、無料での診察しんさつを望むのであれば小石川こいしかわ養生ようじょうしょがあるではないかと、そんな「ツッコミ」が入りそうであるが、しかし、いまだに小石川こいしかわ養生ようじょうしょの門をくぐることをはじと思う者が大勢おおぜいおり、そんな彼らが畢竟ひっきょう頼る先がこの躋寿せいじゅかんというわけだ。

 小石川こいしかわ養生ようじょうしょの門をくぐることはすなわち、

「己は乞食こじき同然どうぜん貧者ひんじゃ…」

 周囲しゅういに対してそう自己じこ喧伝けんでんするに等しく、見栄みえりな人間にはがた屈辱くつじょくであった。例え、それが事実であるとしてもだ。いや、事実だからこそ余計に屈辱くつじょくに思うのかも知れなかった。

 ともあれそのような見栄みえりな、それでいて金のない連中にとってはこの躋寿せいじゅかんまことにもって有難ありがたい存在であった。それと言うのもこの躋寿せいじゅかんは無料が売りの小石川こいしかわ養生ようじょうしょとは違い、あくまで有料の建前たてまえを取っていたからだ。

 それゆえ有料の建前たてまえを取る躋寿せいじゅかんに足を運んだところで、周囲しゅういからも己が、

乞食こじき同然どうぜん貧者ひんじゃ…」

 そう思われずに済むというものであり、しかも実際にはかぎりなく無料に近い低額、あるいは無料なのだから、金のない、それでいて見栄みえだけは一人いちにんまえ得手えて勝手かってな人間にはこの躋寿せいじゅかんまことにもって有難ありがたい存在とはつまりはそういう意味であった。

 そして善之よしゆきによると、この手の得手えて勝手かってな人間は意外と母親が多かったりするのだ。

 善之よしゆきいわく、己が乞食こじき同然どうぜん貧者ひんじゃと思われたくはない、さりとてやくだいもない…、そんな母親が病気の子供をこの躋寿せいじゅかんに連れて来ることが多いそうだ。

 もっともこの躋寿せいじゅかん小石川こいしかわ養生ようじょうしょのように入院にゅういん施設しせつまではととのっておらず、ゆえに入院が必要な、金のない、それでいて見栄みえだけはある患者かんじゃ否応いやおうなしに小石川こいしかわ養生ようじょうしょを頼ることになるものの、そうでない、通院つういん治療ちりょうで十分な、金のない、見栄みえだけはある患者かんじゃがこの躋寿せいじゅかんを頼り、その中でも病気の子をかかえる母親が多かったのだ。

 小野おの章以あきしげはそんな母親相手に、その病気で苦しむ子の治療ちりょうに当たることが多く、そして玄通げんつうのような新米しんまい研修けんしゅうもそれを見学することが多かったそうだ。それと言うのも患者かんじゃが大人であれば、こう言っては語弊ごへいがあるかも知れないが、

多少たしょう患者かんじゃを乱暴に扱っても、さらに言うならミスがあったところで、そうそう死にいたることはない…」

 というものだが、しかし小児しょうに、子供の場合はそうはいかない。何しろ大の大人とくらべて、子供は非常にデリケートな体つきであるかあだ。それゆえ乱暴に扱っただけで死にいたることすらあり得た。

 そこでこと、小児しょうに患者かんじゃ診察しんさつについては玄通げんつうのような新米しんまい研修けんしゅうに任されることはなく、もっぱら見学に回ることが多かったのだ。
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