天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

文字の大きさ
148 / 197

一橋豊千代の生母(母堂)のお富の方が将軍・家治の正室・倫子の毒殺に手を貸した理由について推理する

しおりを挟む
とみ…、いや、岩田いわた倫子ともこ最期さいご中年寄ちゅうどしよりであったと…」

 家治はうめくようにそうかえした。

 それに対して直熙なおひろとみ統一とういつすることを提案した上で、

「されば…、おそれ多くも上様うえさまにあらせられましては、大奥へとおわたりあそばされますことが少なく…」

 ゆえに倫子ともこ附属ふぞくしていた中年寄ちゅうどしより、もっと言うと、倫子ともこ毒見どくみ役の中年寄ちゅうどしより岩田いわたもといおとみの方だと知らないのも無理はないと、直熙なおひろは家治のことを「フォロー」して見せたのだが、しかし、かえって家治の「疵口きずぐち」を広げるだけに終わった。

 家治の「疵口きずぐち」とは他でもない、家治は愛妻あいさい気取きどっていながらその実、愛妻あいさいであったはず倫子ともこつかえる中年寄ちゅうどしよりさえ知らなかったことであり、それはひいては、

愛妻あいさい失格…」

 そう痛罵つうばされてもいたかたなしで、そのことは誰よりも家治自身が良く自覚じかくしているところであった。

「されば…、岩田いわた、いや、おとみの方が一橋ひとつばし治済はるさだ見初みそめられたのはいつ頃にて…」

 意知おきともは家治の「自己じこ嫌悪けんお」を振りはらうかのように、直熙なおひろに尋ねた。実際、意知おきともとしては今、ここで家治に自己じこ嫌悪けんおひたってもらっては困るのであった。

 一方、意知おきともより、岩田いわたもといとみ一橋ひとつばし治済はるさだより見初みそめられた時期を問われた直熙なおひろは、

「されば明和8(1771)年の7月のなかば頃であったかと…」

 そう答えたので、意知おきともうならせた。

「それは…、おそれ多くも御台みだい様がご薨去こうきょ、いや、毒殺どくさつされる一月ひとつきほど前と…」

 意知おきともは確かめるように、それも御台みだい様こと倫子ともこ死因しいんをはっきりと毒殺どくさつだと断定だんていしてそう告げた。それに対してとがてする者はだれ一人ひとりとしていなかった。

「あの…、一橋ひとつばし治済はるさだが大奥にておそれ多くも御台みだい様に中年寄ちゅうどしよりとしてつかたてまつりし岩田いわた、いえ、おとみの方を見初みそめたということは、治済はるさだは大奥に渡られたことがあると?」

 平蔵が疑問をはさんだ。どうやら平蔵は大奥を、

男子だんし禁制きんせい…」

 すなわち、将軍の他に老中や、それに今ここにいる直熙なおひろのような大奥を取りまる留守居るすいのぞいては決して立ち入れない場所と誤解ごかいしている様子であった。

「いや、おそれ多くも将軍家のご家族にてあらせられし御三卿ごさんきょうや、それに御三家の諸侯しょこうにつきても大奥に渡ることができるのだ」

 意知おきともが平蔵にそう教えると、家治も「左様さよう」と口をはさんだかと思うと、

賢丸まさまるもまだおさなき頃には良く大奥に遊びに参ったものぞ…」

 往時おうじしのぶかのようにそう言った。賢丸まさまるとは松平定信のことであり、定信は白河藩へと養嗣子ようししとして出される前はその生家せいかである御三卿ごさんきょう田安たやす家にてスクスクと育ち、その折、大奥にも度々たびたび出入でいりしていたことを家治は平蔵に、それに意知おきともにも教えたのだ。

 一方、直熙なおひろはその頃の事情を良く知っていたので家治の言葉にうなずいた。それと言うのも直熙なおひろ留守居るすいいたのは明和7(1770)年の3月のことであり、その頃は定信はまだ、生家せいかである田安たやす家にて暮らしていた。つまりは御三卿ごさんきょうの人間というわけで、それゆえ大奥にも度々たびたび出入りしては、御客おきゃく会釈あしらい大崎おおさきなどに抱いてもらっていたことを思い出した。

 ともあれ、平蔵は一橋ひとつばし治済はるさだが大奥に出入でいりできたことに合点がてんがゆくと、「もしかして…」と口にした。

「何だ?」

 家治は平蔵にその先をうながしたので、平蔵は若干じゃっかん躊躇ちゅうちょを見せつつも、「されば…」と切り出すと、

一橋ひとつばし治済はるさだはもしかして…、おそれ多くも御台みだい様に一服いっぷくりしことを条件に、おとみの方を…、その当時は岩田いわた名乗なのり、おそれ多くも御台みだい様に中年寄ちゅうどしよりとしてつかたてまつりしおとみの方を己が側妾そくしょうとして一橋ひとつばし邸へとむかえ入れることにしたのではござりますまいか…」

 そんな「推理」を口にした。そして実は意知おきともも同じ「推理」を思いえがいていた。

「されば…、おとみの方は一橋ひとつばし治済はるさだ見初みそめられたのではのうて、おとみの方から一橋ひとつばし治済はるさだへとその…」

 側妾そくしょうになりたいと「アタック」したのか…、直熙なおひろがそう示唆しさしたので、そうと察した平蔵は「恐らくは…」とこれを認めた。

 すると今度は意知おきともまでもが、「もしかして…」とまえきして口をはさんだ。

「おとみの方は一介いっかい中年寄ちゅうどしよりで終わるつもりは毛頭もうとうなく、されど大奥には高岳たかおかなどの実力者が年寄としよりとしてひかえており、のみならず、次の年寄としよりうかがう立場におりし御客おきゃく応答あしらい…、それこそ大崎おおさきなどのこれまた実力者がひかえておりますれば、自身が大奥にてこれ以上、出世できる可能性はないやも知れぬと、それで…」

 意知おきともがそこで言葉を区切くぎるや、

御三卿ごさんきょうあるいは御三家の側妾そくしょうとして一花ひとはなかそうとした、と?」

 家治がその先を引き取って見せたので、意知おきともは「御意ぎょい…」と答えると、

「さればその頃、一橋ひとつばし治済はるさだ治済はるさだで、大奥にておそれ多くも御台みだい様の毒殺どくさつに手を貸してくれそうなおく女中じょちゅうを探して大奥に渡ったのではござりますまいか…」

 そう推理を展開し、意知おきとものその推理に対して、直熙なおひろが「それは大いに考えられるな…」と意知おきともの推理に「おすみき」を与えるかのような発言をした。

「そはまた何ゆえぞ?」

 家治が直熙なおひろに対して、意知おきともの推理に「おすみき」を与えるかのような発言をした理由について尋ねた。

「されば一橋ひとつばし治済はるさだは明和8(1771)年の7月、いや、それより前の5月頃より頻繁ひんぱんに大奥に出入でいりしておりましたゆえ…」

 直熙なおひろがそう打ち明けたので、家治は目を丸くした。どうやらまったあずかり知らぬことのようであった。

 御三卿ごさんきょうや、それに御三家が大奥へと渡る折には事前じぜんに将軍に報告し、その許しを得ることになっていた。

 だが元来がんらい、大奥にそれほど、興味もなければ関心もない家治は側近そっきんより御三卿ごさんきょうあるいは御三家が例えば、

「明日、大奥に渡られしことを願い上げたてまつり…」

 そう告げられても、家治は機械的にこれを…、御三卿ごさんきょうや御三家が大奥へと立ち入ることを認めていたのだ。

 家治はそのことを思い出して、益々ますます自己じこ嫌悪けんおられた様子であった。

 だが家治自身、今は自己じこ嫌悪けんおられている場合ではないと、それに気付くや、自己じこ嫌悪けんおを振りはらうかのように、

「さればそのような…、倫子ともこの暗殺に手を貸してくれそうなおく女中じょちゅうを探していた治済はるさだに対して、このまま一介いっかい中年寄ちゅうどしより…、もそっともうさば倫子ともこ毒見どくみ役で終わりたくなかった岩田いわた、こととみ治済はるさだめに側妾そくしょうになりたいと願い出、それに対して治済はるさだめもこれはこう都合つごうとばかり、とみに対して、己が側妾そくしょうになりたくば、倫子ともこの暗殺に手を貸せと、左様さようなる条件でも持ち出したと申すのか?」

 家治は意知おきともに対してそう確かめるように尋ねた。

「恐らくは…、無論むろんかくたるあかしは何もござりませぬが、なれどその蓋然がいぜん性がかなり高いのではないかと…」

 意知おきともはあくまで慎重しんちょうな言い回しに終始しゅうしした。

「なれど…、如何いかにおとみの方が御三卿ごさんきょうや、あるいは御三家…、実際には一橋ひとつばし治済はるさだ側妾そくしょうになりたいからと申して、一橋ひとつばし治済はるさだよりかる条件を…、おそれ多くも御台みだい様の暗殺に手を貸せなどと、かる条件を持ち出されては流石さすがしりみするのではござりますまいか…、いや、先ほど、この平蔵みずからが言い出したることなれど…」

 岩田いわたもとい、とみの方から治済はるさだに対して側妾そくしょうになりたいと願い出たのではあるまいか…、つまりは「アタック」を仕掛しかけたのではあるまいかと、その可能性に最初にれたのは、わば「言い出しっぺ」は他ならぬ平蔵自身であったものの、しかし、冷静れいせいに考えてみれば、その条件…、己の側妾そくしょうにしてやる条件として、倫子ともこの暗殺、それも毒殺どくさつに手を貸せなどと、そのような条件を持ち出されては如何いかに「野心やしん」のとみと言えども、流石さすがしりみし、最悪、ご公儀こうぎに対して通報つうほうされる恐れが、

きにしもあらず」

 であり、治済はるさだもその「リスク」は承知していたものと思われ、そうであれば迂闊うかつにそのような条件を持ち出すものだろうかと、平蔵は疑問に思えたのであった。

 するとそうと察した直熙なおひろが、

あるいは、治済はるさだは相手がおとみの方なれば、決して断ることはあるまいと、分かっていたのやも知れぬ…」

 実に意外なことを言い出した。

「そはまた、何ゆえに?」

 平蔵は首をかしげた。

「さればおとみの方は申すまでもなく、岩本いわもと家の出…、岩田いわたと称して、大奥にて中年寄ちゅうどしよりとしておそれ多くも御台みだい様につかたてまつりし頃には宿元やどもと…、身元保証人は岩本いわもと正利まさとしであり、岩本いわもと正利まさとし叔父おじはやはり申すまでもなく、一橋ひとつばし家の陪臣ばいしんにて…、岩本いわもと喜内きないなる陪臣ばいしんにて、事程ことほど左様さよう岩本いわもと家は一橋ひとつばし家と太いえにしむすばれており、そうであればその岩本いわもと家のである、それも岩本いわもと正利まさとし宿元やどもととせしおとみの方なれば、仮におそれ多くも御台みだい様の暗殺に手を貸して欲しいと持ちかけたとしても、よもやご公儀こうぎ通報つうほうすることはあるまいと、自信を持っていたのではあるまいか…」

 直熙なおひろのその推理に平蔵が「成程なるほど…」と相槌あいづちを打ったことから、直熙なおひろはいよいよ調子ちょうしが乗ってきた。

「一方、おとみの方はおとみの方で大奥での出世をねらいつつも、しかし、それは無理やも知れぬとも思い、そこで御三卿ごさんきょうや御三家の側妾そくしょうになることで、もう一花ひとはなかそうとした…、いや、もしかしたらそれも仕組しくまれたものやも知れず…」

 直熙なおひろが実に思わせぶりなことを口にしたので、

「そはまた、一体いったい如何いかな意味ぞ?」

 家治が身を乗り出すようにしてそう尋ねた。

「されば一橋ひとつばし治済はるさだおそれ多くも御台みだい様…、まずは御台みだい様のお命を頂戴ちょうだいするに当たり、当初より御台みだい様に中年寄ちゅうどしよりとしてつかたてまつりしおとみの方に目をつけていたものと思われまする…」

「それは…、治済はるさだめが大奥に頻繁ひんぱん出入でいりするようになった5月頃…、明和8(1771)年の5月頃には、という意味かえ?」

 家治がそう尋ねるや、直熙なおひろは「御意ぎょい」と答えると、先を続けた。

「されば御台みだい様の暗殺、それも毒殺どくさつにつきましては…、萬壽ます姫様にも同じことが申せましょうが、毒見どくみ役の中年寄ちゅうどしよりの協力が絶対に不可欠ふかけつであり、斯様かように申し上げましては語弊ごへいがござりましょうが…」

 直熙なおひろがそこでいったん言葉を区切くぎるや、そうと察したらしい家治が、

「幸運にもその毒見どくみ役の中年寄ちゅうどしより岩本いわもと家…、一橋ひとつばし家とはゆかりのありし岩本いわもと家のであったと…」

 さきまわりしてそう答えてくれたので、直熙なおひろはホッとした様子をかべつつ、「御意ぎょい」と答えると、ふたたび先を続けた。

「されば一橋ひとつばし治済はるさだはしかし、ぐにそのおとみの方にそのような…、御台みだい様の暗殺などと、かる重大じゅうだいを持ちかけたとも思えず、まずはその人となりなどにつきて、知ろうとしたのではないかと…」

「人となり…、とみの人となり、とやらを知ろうとしたと?治済はるさだめが…」

御意ぎょい。同時におそれ多くも萬壽ます姫様に中年寄ちゅうどしよりとしてつかたてまつりし高橋たかはしの人となりなどにつきても…」

「いかさま…、倫子ともこの暗殺、それも毒殺どくさつには倫子ともこ毒見どくみ役でありしとみの協力は元より、萬壽ます毒見どくみ役でありし高橋たかはしが協力、それも黙認もくにんという協力が必要ゆえ、か?」

御意ぎょい。さればその結果、おとみの方にしろ、高橋たかはしにしろ、大奥にて出世をねろうていることが…、それも恐らくは年寄としよりになりたいとの野望やぼうがありしことに治済はるさだは気付いたのではござりますまいか…」

「だが、高橋たかはしかくとみは同時にこれ以上の出世は無理むりやも知れぬとも思っており、治済はるさだめもそれを看取かんしゅし得たために、己が側妾そくしょうにならぬかと、とみ左様さように持ちかけた、と?」

「結果的にはそうかも知れませぬが…」

 またしても直熙もりひろは実に思わせぶりなことを口にして、「結果的には?」と家治の首をかしげさせた。

御意ぎょい…、さればもしかするとおとみの方は出世を…、大奥での出世をあきらめてはいなかったのやも知れませぬ…」

「なれど実際、とみは大奥での出世をあきらめた…、と申すからには、さしずめ治済はるさだめがとみに大奥での出世をあきらめさせたと?」

御意ぎょい…、さればこれはそれがし…、この直熙なおひろめがあくまで想像そうぞう産物さんぶつにて…」

かまわぬ。申せ」

「ははっ。されば治済はるさだは…、その当時はいま嫡男ちゃくなんめぐまれてはおりませなんだ治済はるさだ側妾そくしょうを探しており、そこでおとみの方には己の側妾そくしょうとなってもらい嫡男ちゃくなんをなそうと考え、一方、高橋たかはしには仮に己が嫡男ちゃくなんれて…、まずは次期将軍として西之丸にしのまる入りを果たせしあかつきには嫡男ちゃくなん…、次期将軍づき年寄としよりとして西之丸にしのまるの大奥を、そしていよいよれて征夷大将軍として本丸ほんまる入りを果たせしあかつきには将軍づき年寄としよりとして本丸ほんまるの大奥を、それぞれ仕切しきらせようと目論もくろんだのではござりますまいか…」

 直熙なおひろのその推理に、さしもの意知おきともも思わず、「うーむ」と心の中でうなったものである。流石さすがにそこまでは考えが及ばなかったからだ。これが年の功というやつだろうと、意知おきともは思った。

 一方、家治も意知おきとも同様どうよう、その推理に心の中でうなり声を上げたものの、

「逆の可能性はなかったのか?」

 一応いちおう、そう尋ねた。すると直熙なおひろはこの問いを予期よきしていたらしく、

「されば逆とは、高橋たかはしには側妾そくしょうになってもらい…、ということでござりまするな?」

 そう確かめるように尋ね、それに対して将軍・家治がうなずいてみせるや、

「されば治済はるさだいたしましては、よりちかき者…、一橋ひとつばし家とちか家柄いえがらの者を側妾そくしょうにしようと思いましたるはずにて…」

成程なるほど…、とみ実家じっか岩本いわもと家と、高橋たかはし実家じっか平塚ひらつか家とでは、岩本いわもと家の方が平塚ひらつか家よりも一橋ひとつばし家にちかきゆえ、か?」

御意ぎょい…、されば岩本いわもと家は一橋ひとつばし家とそれこそ直接につながっていると申し上げましてもつかえ、これなくそうろう…、それに比して平塚ひらつか家はあくまでその岩本いわもと家とえにしが…、それも直接ではのうて、黒川くろかわ家を通じてつながりがあるに過ぎず…」

「それで治済はるさだはその岩本いわもと家のであるとみ側妾そくしょうにと、そしてとみとの間で嫡男ちゃくなんをなそうと、そう思えばこそ、とみには大奥にての出世はあきらめてもらうことにしたと?」

御意ぎょい…、いえ、正確には次期将軍、そして将軍の母堂ぼどうとして大奥にて思う存分ぞんぶん権勢けんせいを振るえば良いと、左様さよう口説くどいたのではござりますまいか?治済はるさだは、おとみの方に対して…」

「それでとみは納得したと申すか?」

「最終的には…」

「最終的には?」

御意ぎょい…、されば治済はるさだは今…、その当時…、明和8(1771)年時におけし大奥の状況…、人事につきても懇々こんこんさとしたのやも知れませぬ…」

「大奥の人事、とな?」

御意ぎょい…、されば大奥…、本丸ほんまるの大奥にてはおそれ多くも上様につかたてまつりし年寄としより…、所謂いわゆる、将軍づき年寄としよりとして松島まつしま高岳たかおか瀧川たきがわ梅田むめだ清橋きよはし浦田うらたひかえており、しかも皆、壮健そうけんにて…、その上、次期年寄としよりとも言うべき御客おきゃく会釈あしらいとしてもやはり大崎おおさきなど錚々そうそうたる面々めんめんひかえていると…」

「それゆえ、大奥での出世はあきらめろ、と?」

「恐らくは…」

「なれど…、確か梅田むめだは…」

 意知おきともが口をはさむや、やはり直熙なおひろはそれを予期よきしていたらしく、「左様さよう…」と答えるや、

「おとみの方の母…、父・岩本いわもと正利まさとし妻女さいじょはその梅田むめだ養女ようじょにて…」

「と言うことは、梅田むめだはおとみの方にとっては養祖母に当たるのでは?」

 意知おきともがそう応ずると、やはり直熙なおひろは「左様さよう…」と答え、

「なれど、それと大奥での出世はまた別と申すものにて…」

 そう答えたのであった。

「そは…、梅田むめだとみの養祖母だからと申して、それだけで梅田むめだとみを例えば年寄としよりに引き上げることはない、と?」

 家治がそう尋ねたので、直熙もりひろは「御意ぎょい」と答え、

「されば年寄としよりはおろか、御客おきゃく会釈あしらいに引き上げることさえもないかと…、いえ、実際のところは分かりかねまするが、なれど治済はるさだはおとみの方に対して斯様かように説明して、大奥での出世が如何いかに難しいか、それをさとらせたのではござりますまいか…」

 そう付け加えたのであった。

「それで…、とみはそれなればと、御三卿ごさんきょうあるいは御三家の側妾そくしょうとして一花ひとはなかせる道を選んだと申すか?」

あるいは治済はるさだより、己が側妾そくしょうにならぬかと、ズバリ持ちかけたのやも知れませぬ…」

「己が側妾そくしょうとして嫡男ちゃくなんをあげてくれれば、その子を必ずや次期将軍、そして将軍にえてみせるゆえ、さればそなたは次期将軍、そして将軍の生母せいぼとしてまず西之丸にしのまるいで本丸ほんまる、それぞれの大奥にて大いに権勢けんせいるえる…、とでも?」

御意ぎょい…、なれどそのためには是非ぜひとも、してのけてもらわねばならぬ仕事がある、と…」

「その仕事こそ、倫子ともこが暗殺、それも毒殺どくさつと申すのだな?」

御意ぎょい…」

「一方で高橋たかはしも…、高橋たかはしはさしずめ、出世…、とみあきらめし大奥での出世とひきかえに、倫子ともこの暗殺、それも毒殺どくさつの計画に乗ったと申すのだな?」

御意ぎょい…、されば治済はるさだ高橋たかはしに対しましては、おとみの方に対してしましたに相違そういなき説明…、現状、大奥での出世は難しいのではあるまいかと、その説明とはぎゃくの説明にて、高橋たかはしの協力をも取り付けたのではないかと…」

ぎゃくと申すからには…、さしずめ、大奥での出世は思うがまま、とでも?」

御意ぎょい…」

「なれど高橋たかはしはそのような説明…、言うなればから手形てがたを信じたと申すか?」

御意ぎょい…、何しろ、御三卿ごさんきょう一橋ひとつばし家の当主たる治済はるさだが言葉にて…」

「それで高橋たかはしもよもや治済はるさだがそのから手形てがたわたりにすることはない、と?」

御意ぎょい…、それに仮に治済はるさだがそのから手形てがたわたりにせしあかつきにはおどしの材料にすれば良い、とでも…」

「さしずめ…、治済はるさだより倫子ともこの暗殺、それも毒殺どくさつ計画を打ち明けられ、実際、それを実行に移したと、そのことをすべて、ぶちまける、とでも申しておどすと申すか?」

御意ぎょい…、それに治済はるさだ思惑おもわく通り、晴れて己にも嫡男ちゃくなんが…、おとみの方との間に嫡男ちゃくなんめぐまれ、その嫡男ちゃくなんおそれ多くも大納言だいなごん様に代わりし次期将軍として西之丸にしのまる入りを果たし、そしていで征夷大将軍として晴れて本丸ほんまる入りを果たせしあかつきには、高橋たかはしもそれにともない、まずは西之丸にしのまるの大奥、いで本丸ほんまるの大奥にて、それぞれ年寄としよりとして権勢けんせいる得るやも、と…」

「されば治済はるさだは…、明和8(1771)年の時点で高橋たかはしには家基いえもとが暗殺、毒殺どくさつ計画をも打ち明けていたと申すか?」

御意ぎょい…、いえ、あくまでこの直熙なおひろが想像の産物さんぶつにて…」

 直熙なおひろはそう付け加えることを忘れなかったが、それでも家治は、それに意知おきともも平蔵もその可能性がきわめて高いと確信かくしんした。そうでもしなければ…、何もかも秘事ひじを打ち明けないことには高橋たかはしに将軍正室の暗殺という重大犯罪に手を貸させることなど到底とうてい不可能に思えたからだ。

 そしてそれはおとみの方にもまるだろう。

 すなわち、明和8(1771)年の時点ではすでに、家基いえもとという立派な次期将軍が存在していた。

 にもかかわらず、治済はるさだはおとみの方に対して、将軍・家治の正室せいしつ倫子ともこの暗殺、それも毒殺どくさつに手を貸すこととひきかえに、己の側妾そくしょうに取り立て、その上、嫡男ちゃくなんをなしたあかつきには家基いえもとに代わる次期将軍にえてやると、そのような「オファー」をおとみの方に出したとして、その場合には、

家基いえもとという次期将軍がいるにもかかわらず、何ゆえにそのようなことが可能なのか…」

 おとみの方の立場に立てば必ずやその疑問が浮かぶはずであり、それゆえ治済はるさだ家基いえもとの暗殺まで考えていることをおとみの方に打ち明けたものと思われた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

処理中です...