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大詰め ~将軍・家治、毒殺さる。4~
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表向にある檜之間は通称、
「医師溜」
であり、その名の通り、医師が詰めており、今のように夕方ともなると、宿直の医師が詰めていた。
その中には表向にて病人や怪我人が出た場合に診察、治療に当たる、つまりは表向の者を患者とする番医師こと表番医師は元より、中奥にて将軍や中奥役人の診察や治療に当たる奥医師も詰めていた。
奥医師は本来、御膳番の小納戸による差配を受ける、つまりは中奥役人の一人として数えられるので、その詰所も中奥に設けられても良さそうなところ、こと奥医師に限って言えば中奥役人の一人でありながら中奥に詰所を与えられず、ここ表向にある檜之間、通称、医師溜を詰所として与えられていたのだ。
松下左十郎は中奥にて…、御小納戸西部屋の廊下の前で岩本正五郎と別れると、時斗之間を通り抜けて中奥からここ表向へと足を踏み入れるとその足で檜之間、通称、医師溜へと向かった。
その医師溜には宿直の医師が詰めており、その中には松下左十郎の知った顔もあった。松下左十郎が御膳番の小納戸として差配している奥医師であり、相手も…、奥医師の方も勿論、主とも言うべき松下左十郎の顔を知っていたので、それまで表番医師と何やら話し込んでいた彼ら奥医師は松下左十郎の突然の登場に驚くと同時に、表番医師との雑談を打ち切るや、威儀を正して松下左十郎を出迎え、表番医師もそれに倣った。表番医師の方は奥医師とは異なり、御膳番の小納戸とは支配関係にはないものの、それでも相手が将軍に近侍する小納戸ともなればやはりここは奥医師に倣い、威儀を正して出迎えるというのが、
「利口…」
というものであり、無論、表番医師にしても松下左十郎が将軍に近侍する小納戸であることぐらい承知していた。
「これはこれは松下様…、如何なされましたので?」
奥医師の武田宗安信復が口火を切る格好で尋ねた。
成程、今、この医師溜に詰めている宿直の医師の中ではこの武田宗安が一番、格上であり、口火を切ったのも頷ける。何しろ武田宗安は奥医師であり、しかも法眼の地位にあるからだ。
武田宗安は松下左十郎に畏まりながら来意を尋ねつつ、その上、それまで己が座っていた上座から退がろうとしたので、
「その儀に及ばず…」
松下左十郎はそう答えて、己のために上座を譲ろうとした武田宗安を制すると、出入り口にて突っ立ったまま本題に入った。今の松下左十郎はさしずめ、
「1分1秒が惜しい…」
そのような心持であったからだ。
「されば先ほど、御小納戸頭取の稲葉様が見えられなかったか?」
松下左十郎は相変わらず畏まっている武田宗安に対して尋ねた。すると武田宗安は、
「お見えになられましてござりまする…」
そう即答してみえ、とりあえず松下左十郎を満足させた。
松下左十郎は更に質問を浴びせた。
「されば稲葉様は奥医師とそれに番医師を連れて行かなかったかえ?中奥へと…」
そう尋ねる松下左十郎に対して武田信復は流石に何ゆえにそのようなことを尋ねるのかと疑問に思ったらしく、顔を上げると、松下左十郎の顔を覗き見た。
そして武田宗安は松下左十郎がやはり即答を求めていると、そうと察するや、一切の疑問を封印して、その問いに答えた。
「されば奥医師よりは森法印様…、いえ、森養春院…」
法印は法眼より格上であり、ゆえに法眼の武田宗安はついいつもの癖で、法印の森養春院こと森當定に対して、
「様…」
という最高敬称をつけてしまい、しかし、武田宗安はそれからすぐにその法印である森養春院當定を始めとする奥医師を差配する御膳番の小納戸である松下左十郎を相手にしていることを思い出し、そこで、
「森養春院…」
そう呼び捨てにしたのであった。
それに対して松下左十郎はと言うと、「1分1秒が惜しい…」とは言え、武田宗安のその殊勝なる態度に内心、頷いたものである。
ともあれ松下左十郎は、「森養春院の他には?」と武田宗安に先を促した。
「されば同じく奥医師の千賀道隆と、それに池原雲洞…」
武田宗安がそこまで…、「池原雲洞」の名まで口にした途端、「なにっ!?」と松下左十郎は声を上げた。
「あの…」
武田宗安は己が何かご機嫌でも損ねるような発言でもしたのかと、そう言わんばかりに恐る恐る松下左十郎に尋ねたものである。
それに対して松下左十郎はと言うと、今、武田宗安を萎縮させるのは得策ではないと、咄嗟にそう判断するや、
「いや、何でもない…」
まずはそう答えてみせることで武田宗安を安心させた上で、
「されば池原雲洞と申さば、あの…、一昨日の晩に斬殺されし池原長仙院の息かえ?」
確かめるようにそう尋ねた。分かってはいたことだが、それでも確かめずにはおれなかったからだ。
「左様でござりまする…」
武田宗安は恭しくそう答えた。
「何と…、父・長仙院が斬られてまだ二日しか経っておらぬと申すに…、斯かる血腥き身でもってもう、出仕に及んでおると申すか…」
現代の感覚からすれば松下左十郎のこの発言は奇異に感じるやも知れぬが、しかし、この当時の感覚からすれば松下左十郎のこの発言も当然であった。
それと言うのもこの当時は何よりも、「穢れ」を忌み嫌う傾向があり、わけても「血」は…、それも「出血」は穢れの象徴とも言えた。
そしてその穢れ…、「出血」であるが、例え、当人が血を流したわけではなくとも、近親者が血を流すような事態とも相成ればやはりそれは、
「穢れ…」
それに該当し、それゆえ将軍の住まうここ江戸城への出仕…、登城などそれこそ、
「言語道断…」
というものであった。
「いや…、それなればまず、御膳番たるこのわしに一言あって然るべきではあるまいか…」
松下左十郎は思い出したかのようにそう声を上げた。何しろ松下左十郎は奥医師を差配する御膳番の小納戸なのである。
そうであれば、池原雲洞こと池原子明がその未だ穢れた身でありながら、どうしても出仕…、江戸城に登城したければその前に差配役である御膳番の小納戸である己か、若しくはその相役…、同僚である岩本正五郎に一言あって然るべき、いや、許しを請うて然るべきところ、生憎、松下左十郎は池原雲洞よりそのような許しを請われた覚えはなかった。
それとも岩本正五郎に対して許しを請うたか…、松下左十郎がそんなことを思っていると、そうと察したらしい武田宗安が、
「されば畏れ多くも上様よりの御直々の恩命にて…」
そう答えたことから、松下左十郎を驚かせた。
「何と…、畏れ多くも上様が池原雲洞に出仕を命じたと申すか?」
松下左十郎がそう尋ねるや、武田宗安は「左様でござりまする…」とやはり恭しく首肯した上で、その経緯について詳しく語り出した。
それによると、池原雲洞こと池原子明自身は十分に、「穢れ」を意識しており、それゆえ愛宕下にある屋敷にてその身を慎んでいたところ、今日、即ち4月3日になって、将軍・家治は小納戸頭取の一人である萩原越前守雅宴を池原雲洞の元へと差し向け、今夜から出仕するようにと、家治は萩原雅宴を通じて命じたとのことであった。つまり、宿直を命じたのであった。
「上様は何ゆえに左様なことを…」
松下左十郎は首をかしげた。
「されば池原雲洞が申すところによりますと、いつまでも身を慎むよりも御城に出仕して医業に励みしことこそ、亡き父の遺志を継ぐことと相成ろう…、何より亡き父もそれを望んでいる筈と…」
武田宗安がそう答えたことから、「上様が左様なことを?」と松下左十郎は信じられない面持ちでそう尋ねたものである。
「左様で…、されば池原雲洞が森養春院や千賀道隆らと共に、稲葉様の案内にて中奥へと足を運びしその前にここで…」
池原雲洞より直々に聞いた話だと、武田宗安はそう示唆した。
それに対して松下左十郎はその示唆に気付くと、それが間違いのない事実だと確信したものである。如何に穢れた身であるとは言え、将軍・家治より出仕を…、宿直を命じられたからにはいつまでも穢れた身であることを言い訳にして屋敷にひきこもっているわけにもゆかないだろう。
その上、松下左十郎は今日は岩本正五郎共々、やはり宿直ということで、日中はこの江戸城にはいなかったので、それゆえ将軍・家治のそのような差配があったことも当然、知らない筈であった。
だが分からないのは将軍・家治が何ゆえに今日になって…、それもまるで日中、己…、松下左十郎と岩本正五郎がこの江戸城にいないのを見計らったかのようにそのような命を下したか、である。
それでも松下左十郎はとりあえずその疑問は脇に置いて、事実を確かめることを優先した。事実とは言うまでもなく、小納戸頭取の稲葉正存が誰を…、将軍・家治の治療に当たらせるべく、どの医師を中奥へと連れて行ったか、である。
「されば奥医師よりは森法印と、それに千賀道隆と池原雲洞の二人の法眼を連れて行ったと申すのだな?稲葉様は…、中奥へと…」
千賀道隆こと久頼と池原雲洞こと子明は共に法眼であり、松下左十郎は勿論、そのことを御膳番の小納戸として把握していればこそ、そのように尋ねたのであった。
それに対して武田宗安は「左様でござりまする…」と答えたのであった。
「稲葉様はさらに番医師をも連れて行ったとの話だが…」
松下左十郎が武田宗安に更にそう水を向けると、それには番医師…、表番医師の佐合益庵宗甫が答えた。
「されば野間玄琢にて…、野間玄琢成因にて…」
佐合益庵は松下左十郎のためにご丁寧にもフルネームで答えた。
それに対して松下左十郎も、野間玄琢は奥医師ではないとは言え、その名前ぐらいは聞き覚えがあり、
「野間玄琢唯一人かえ?」
そう聞き返した。
「左様で…」
「つまり…、稲葉様は都合4人の医師を連れて行ったわけだの?中奥に…」
松下左十郎が独り言のようにそう呟くと、佐合益庵は「左様で…」と繰り返し、一方、武田宗安は将軍・家治の治療をも承る奥医師として流石に堪らなくなったのであろう、
「あの…、やはり上様の御身に何か…」
武田宗安は松下左十郎に対して、
「恐る恐る…」
そのような調子で尋ねた。
それに対して松下左十郎も流石にこの問いを一蹴するわけにもゆかず、さりとて、詳らかに明かすわけにもゆかず、そこで、
「いや、少しお加減が悪いだけよ…」
そう当たり障りのない答え方をした。
すると武田宗安も松下左十郎のその答えに心底、納得したわけではなかろうが、それでもここは一応、相槌を打つに留めた。
ともあれ松下左十郎としては斬殺されたばかりの奥医師・池原長仙院良誠の息にして、同じく奥医師の雲洞子明に対して将軍・家治が早くも出仕を命じたことに疑問、いや、それを通り越して一抹の不安を覚えつつも、それでもこうして小納戸頭取の稲葉正存が医師連中を中奥へと連れて行ったことが確かめられたことで、
「上様は間違いなく、斑猫の毒を服まれたのだ…」
無理やり己をそう納得させることとした。言ってみれば主観的願望を現実と捉えることにしたわけだ。
松下左十郎としてはこの後、目付の執務室である御目付部屋へと足を運んで、真、小姓の丸毛政美と平賀貞愛の二人が宿直の目付に対して、一橋邸と清水邸、この両邸を取り囲んでいる大番組に対して急ぎ江戸城へと引き上げるようにと、そう伝えて欲しいと、言わば「メッセンジャー」の役目を依頼したのかどうか、御目付部屋を守る目付配下の徒目付に確かめたいところであった。
目付の執務室である御目付部屋が余人の入室が厳しく制限されており、直属の上司である筈の若年寄は元より、老中や更には御側御用取次の入室さえ禁じられており、奥右筆や表右筆、それに表坊主の出入りが許されている程度であり、それも無闇に出入りすることは許されない。
事程左様に目付の執務室である御目付部屋は余人の入室が厳しく制限されており、それだけに目付配下の徒目付が御目付部屋へと近付き、あまつさえ立ち入ろうとする不埒なる者がいないかどうか、厳しく目を光らせていた。
丸毛政美と平賀貞愛の場合、目付への伝言を頼まれたがために、つまりはやはり「メッセンジャー」としての役目を担っていたために例外的に御目付部屋へと近付くことが許されたのであり、それとて徒目付を通じて御目付部屋の中にて宿直を務めていた目付へとその伝言が伝えられたに過ぎず、丸毛政美と平賀貞愛の二人が自ら御目付部屋へと足を踏み入れ、直に宿直の目付に伝えたわけではなかろう。
そうであれば、丸毛政美と平賀貞愛の二人のように目付に対して正式な用件もない松下左十郎が御目付部屋へと足を運んで、真、丸毛政美と平賀貞愛の二人の小姓より宿直の目付への言伝を預からなかったかと、徒目付にそのようなことを確かめてみようものなら、かえって徒目付に不審の念を掻き立てさせるだけであろう。
そこで松下左十郎は小姓の丸毛政美と平賀貞愛の二人より何か宿直の目付への言伝を預からなかったかと、そのことを徒目付に確かめることは諦め、その代わり、今ここにいる医師連中に対して目付の姿を見かけなかったかと、それを尋ねることにした。
それと言うのもここ医師溜は御目付部屋と近い距離にあり、そうであれば…、仮に丸毛政美と平賀貞愛の話が本当ならば、宿直の目付はそれぞれ、一橋邸、清水邸へと足を運ぶべく、御目付部屋を飛び出し、この医師溜の前の廊下を通った筈だからである。
するとやはり武田宗安が松下左十郎のその疑問に答えた。
「されば御目付殿の末吉様と堀様の御姿を…」
武田宗安が口にした「末吉様」とは末吉善左衛門利隆のことであり、一方、「堀様」とは堀帯刀秀隆のことであり、松下左十郎もそのことはすぐに分かった。
それにしても松下左十郎の前では己よりも格上の法印の地位にある森養春院當定に対しては呼び捨てにすることも厭わなかった武田宗安であるが、こと相手が目付ともなると、直属の上司に当たる…、奥医師を束ねる御膳番の小納戸である松下左十郎を前にしても、「様」という最高敬称を付けて呼ぶあたり、如何に目付が余人から恐れられた存在であるか分かろうというものである。
それはそうと、松下左十郎は今宵は末吉善左衛門と堀帯刀が宿直であったのかと、そう思うと同時に、
「これは…、幸先が良いわ…」
そうも思ったものである。それと言うのも、末吉善左衛門は昨日、一橋邸の、正確には一橋治済の監視を大番組に引き継ぐまでの間、治済を監視していた目付だからだ。のみならず、
「共犯者」
であったからだ。松下左十郎はそれまでの疑問や不安を全て忘れたかのように意気揚々、医師溜をあとにしたのであった。
「医師溜」
であり、その名の通り、医師が詰めており、今のように夕方ともなると、宿直の医師が詰めていた。
その中には表向にて病人や怪我人が出た場合に診察、治療に当たる、つまりは表向の者を患者とする番医師こと表番医師は元より、中奥にて将軍や中奥役人の診察や治療に当たる奥医師も詰めていた。
奥医師は本来、御膳番の小納戸による差配を受ける、つまりは中奥役人の一人として数えられるので、その詰所も中奥に設けられても良さそうなところ、こと奥医師に限って言えば中奥役人の一人でありながら中奥に詰所を与えられず、ここ表向にある檜之間、通称、医師溜を詰所として与えられていたのだ。
松下左十郎は中奥にて…、御小納戸西部屋の廊下の前で岩本正五郎と別れると、時斗之間を通り抜けて中奥からここ表向へと足を踏み入れるとその足で檜之間、通称、医師溜へと向かった。
その医師溜には宿直の医師が詰めており、その中には松下左十郎の知った顔もあった。松下左十郎が御膳番の小納戸として差配している奥医師であり、相手も…、奥医師の方も勿論、主とも言うべき松下左十郎の顔を知っていたので、それまで表番医師と何やら話し込んでいた彼ら奥医師は松下左十郎の突然の登場に驚くと同時に、表番医師との雑談を打ち切るや、威儀を正して松下左十郎を出迎え、表番医師もそれに倣った。表番医師の方は奥医師とは異なり、御膳番の小納戸とは支配関係にはないものの、それでも相手が将軍に近侍する小納戸ともなればやはりここは奥医師に倣い、威儀を正して出迎えるというのが、
「利口…」
というものであり、無論、表番医師にしても松下左十郎が将軍に近侍する小納戸であることぐらい承知していた。
「これはこれは松下様…、如何なされましたので?」
奥医師の武田宗安信復が口火を切る格好で尋ねた。
成程、今、この医師溜に詰めている宿直の医師の中ではこの武田宗安が一番、格上であり、口火を切ったのも頷ける。何しろ武田宗安は奥医師であり、しかも法眼の地位にあるからだ。
武田宗安は松下左十郎に畏まりながら来意を尋ねつつ、その上、それまで己が座っていた上座から退がろうとしたので、
「その儀に及ばず…」
松下左十郎はそう答えて、己のために上座を譲ろうとした武田宗安を制すると、出入り口にて突っ立ったまま本題に入った。今の松下左十郎はさしずめ、
「1分1秒が惜しい…」
そのような心持であったからだ。
「されば先ほど、御小納戸頭取の稲葉様が見えられなかったか?」
松下左十郎は相変わらず畏まっている武田宗安に対して尋ねた。すると武田宗安は、
「お見えになられましてござりまする…」
そう即答してみえ、とりあえず松下左十郎を満足させた。
松下左十郎は更に質問を浴びせた。
「されば稲葉様は奥医師とそれに番医師を連れて行かなかったかえ?中奥へと…」
そう尋ねる松下左十郎に対して武田信復は流石に何ゆえにそのようなことを尋ねるのかと疑問に思ったらしく、顔を上げると、松下左十郎の顔を覗き見た。
そして武田宗安は松下左十郎がやはり即答を求めていると、そうと察するや、一切の疑問を封印して、その問いに答えた。
「されば奥医師よりは森法印様…、いえ、森養春院…」
法印は法眼より格上であり、ゆえに法眼の武田宗安はついいつもの癖で、法印の森養春院こと森當定に対して、
「様…」
という最高敬称をつけてしまい、しかし、武田宗安はそれからすぐにその法印である森養春院當定を始めとする奥医師を差配する御膳番の小納戸である松下左十郎を相手にしていることを思い出し、そこで、
「森養春院…」
そう呼び捨てにしたのであった。
それに対して松下左十郎はと言うと、「1分1秒が惜しい…」とは言え、武田宗安のその殊勝なる態度に内心、頷いたものである。
ともあれ松下左十郎は、「森養春院の他には?」と武田宗安に先を促した。
「されば同じく奥医師の千賀道隆と、それに池原雲洞…」
武田宗安がそこまで…、「池原雲洞」の名まで口にした途端、「なにっ!?」と松下左十郎は声を上げた。
「あの…」
武田宗安は己が何かご機嫌でも損ねるような発言でもしたのかと、そう言わんばかりに恐る恐る松下左十郎に尋ねたものである。
それに対して松下左十郎はと言うと、今、武田宗安を萎縮させるのは得策ではないと、咄嗟にそう判断するや、
「いや、何でもない…」
まずはそう答えてみせることで武田宗安を安心させた上で、
「されば池原雲洞と申さば、あの…、一昨日の晩に斬殺されし池原長仙院の息かえ?」
確かめるようにそう尋ねた。分かってはいたことだが、それでも確かめずにはおれなかったからだ。
「左様でござりまする…」
武田宗安は恭しくそう答えた。
「何と…、父・長仙院が斬られてまだ二日しか経っておらぬと申すに…、斯かる血腥き身でもってもう、出仕に及んでおると申すか…」
現代の感覚からすれば松下左十郎のこの発言は奇異に感じるやも知れぬが、しかし、この当時の感覚からすれば松下左十郎のこの発言も当然であった。
それと言うのもこの当時は何よりも、「穢れ」を忌み嫌う傾向があり、わけても「血」は…、それも「出血」は穢れの象徴とも言えた。
そしてその穢れ…、「出血」であるが、例え、当人が血を流したわけではなくとも、近親者が血を流すような事態とも相成ればやはりそれは、
「穢れ…」
それに該当し、それゆえ将軍の住まうここ江戸城への出仕…、登城などそれこそ、
「言語道断…」
というものであった。
「いや…、それなればまず、御膳番たるこのわしに一言あって然るべきではあるまいか…」
松下左十郎は思い出したかのようにそう声を上げた。何しろ松下左十郎は奥医師を差配する御膳番の小納戸なのである。
そうであれば、池原雲洞こと池原子明がその未だ穢れた身でありながら、どうしても出仕…、江戸城に登城したければその前に差配役である御膳番の小納戸である己か、若しくはその相役…、同僚である岩本正五郎に一言あって然るべき、いや、許しを請うて然るべきところ、生憎、松下左十郎は池原雲洞よりそのような許しを請われた覚えはなかった。
それとも岩本正五郎に対して許しを請うたか…、松下左十郎がそんなことを思っていると、そうと察したらしい武田宗安が、
「されば畏れ多くも上様よりの御直々の恩命にて…」
そう答えたことから、松下左十郎を驚かせた。
「何と…、畏れ多くも上様が池原雲洞に出仕を命じたと申すか?」
松下左十郎がそう尋ねるや、武田宗安は「左様でござりまする…」とやはり恭しく首肯した上で、その経緯について詳しく語り出した。
それによると、池原雲洞こと池原子明自身は十分に、「穢れ」を意識しており、それゆえ愛宕下にある屋敷にてその身を慎んでいたところ、今日、即ち4月3日になって、将軍・家治は小納戸頭取の一人である萩原越前守雅宴を池原雲洞の元へと差し向け、今夜から出仕するようにと、家治は萩原雅宴を通じて命じたとのことであった。つまり、宿直を命じたのであった。
「上様は何ゆえに左様なことを…」
松下左十郎は首をかしげた。
「されば池原雲洞が申すところによりますと、いつまでも身を慎むよりも御城に出仕して医業に励みしことこそ、亡き父の遺志を継ぐことと相成ろう…、何より亡き父もそれを望んでいる筈と…」
武田宗安がそう答えたことから、「上様が左様なことを?」と松下左十郎は信じられない面持ちでそう尋ねたものである。
「左様で…、されば池原雲洞が森養春院や千賀道隆らと共に、稲葉様の案内にて中奥へと足を運びしその前にここで…」
池原雲洞より直々に聞いた話だと、武田宗安はそう示唆した。
それに対して松下左十郎はその示唆に気付くと、それが間違いのない事実だと確信したものである。如何に穢れた身であるとは言え、将軍・家治より出仕を…、宿直を命じられたからにはいつまでも穢れた身であることを言い訳にして屋敷にひきこもっているわけにもゆかないだろう。
その上、松下左十郎は今日は岩本正五郎共々、やはり宿直ということで、日中はこの江戸城にはいなかったので、それゆえ将軍・家治のそのような差配があったことも当然、知らない筈であった。
だが分からないのは将軍・家治が何ゆえに今日になって…、それもまるで日中、己…、松下左十郎と岩本正五郎がこの江戸城にいないのを見計らったかのようにそのような命を下したか、である。
それでも松下左十郎はとりあえずその疑問は脇に置いて、事実を確かめることを優先した。事実とは言うまでもなく、小納戸頭取の稲葉正存が誰を…、将軍・家治の治療に当たらせるべく、どの医師を中奥へと連れて行ったか、である。
「されば奥医師よりは森法印と、それに千賀道隆と池原雲洞の二人の法眼を連れて行ったと申すのだな?稲葉様は…、中奥へと…」
千賀道隆こと久頼と池原雲洞こと子明は共に法眼であり、松下左十郎は勿論、そのことを御膳番の小納戸として把握していればこそ、そのように尋ねたのであった。
それに対して武田宗安は「左様でござりまする…」と答えたのであった。
「稲葉様はさらに番医師をも連れて行ったとの話だが…」
松下左十郎が武田宗安に更にそう水を向けると、それには番医師…、表番医師の佐合益庵宗甫が答えた。
「されば野間玄琢にて…、野間玄琢成因にて…」
佐合益庵は松下左十郎のためにご丁寧にもフルネームで答えた。
それに対して松下左十郎も、野間玄琢は奥医師ではないとは言え、その名前ぐらいは聞き覚えがあり、
「野間玄琢唯一人かえ?」
そう聞き返した。
「左様で…」
「つまり…、稲葉様は都合4人の医師を連れて行ったわけだの?中奥に…」
松下左十郎が独り言のようにそう呟くと、佐合益庵は「左様で…」と繰り返し、一方、武田宗安は将軍・家治の治療をも承る奥医師として流石に堪らなくなったのであろう、
「あの…、やはり上様の御身に何か…」
武田宗安は松下左十郎に対して、
「恐る恐る…」
そのような調子で尋ねた。
それに対して松下左十郎も流石にこの問いを一蹴するわけにもゆかず、さりとて、詳らかに明かすわけにもゆかず、そこで、
「いや、少しお加減が悪いだけよ…」
そう当たり障りのない答え方をした。
すると武田宗安も松下左十郎のその答えに心底、納得したわけではなかろうが、それでもここは一応、相槌を打つに留めた。
ともあれ松下左十郎としては斬殺されたばかりの奥医師・池原長仙院良誠の息にして、同じく奥医師の雲洞子明に対して将軍・家治が早くも出仕を命じたことに疑問、いや、それを通り越して一抹の不安を覚えつつも、それでもこうして小納戸頭取の稲葉正存が医師連中を中奥へと連れて行ったことが確かめられたことで、
「上様は間違いなく、斑猫の毒を服まれたのだ…」
無理やり己をそう納得させることとした。言ってみれば主観的願望を現実と捉えることにしたわけだ。
松下左十郎としてはこの後、目付の執務室である御目付部屋へと足を運んで、真、小姓の丸毛政美と平賀貞愛の二人が宿直の目付に対して、一橋邸と清水邸、この両邸を取り囲んでいる大番組に対して急ぎ江戸城へと引き上げるようにと、そう伝えて欲しいと、言わば「メッセンジャー」の役目を依頼したのかどうか、御目付部屋を守る目付配下の徒目付に確かめたいところであった。
目付の執務室である御目付部屋が余人の入室が厳しく制限されており、直属の上司である筈の若年寄は元より、老中や更には御側御用取次の入室さえ禁じられており、奥右筆や表右筆、それに表坊主の出入りが許されている程度であり、それも無闇に出入りすることは許されない。
事程左様に目付の執務室である御目付部屋は余人の入室が厳しく制限されており、それだけに目付配下の徒目付が御目付部屋へと近付き、あまつさえ立ち入ろうとする不埒なる者がいないかどうか、厳しく目を光らせていた。
丸毛政美と平賀貞愛の場合、目付への伝言を頼まれたがために、つまりはやはり「メッセンジャー」としての役目を担っていたために例外的に御目付部屋へと近付くことが許されたのであり、それとて徒目付を通じて御目付部屋の中にて宿直を務めていた目付へとその伝言が伝えられたに過ぎず、丸毛政美と平賀貞愛の二人が自ら御目付部屋へと足を踏み入れ、直に宿直の目付に伝えたわけではなかろう。
そうであれば、丸毛政美と平賀貞愛の二人のように目付に対して正式な用件もない松下左十郎が御目付部屋へと足を運んで、真、丸毛政美と平賀貞愛の二人の小姓より宿直の目付への言伝を預からなかったかと、徒目付にそのようなことを確かめてみようものなら、かえって徒目付に不審の念を掻き立てさせるだけであろう。
そこで松下左十郎は小姓の丸毛政美と平賀貞愛の二人より何か宿直の目付への言伝を預からなかったかと、そのことを徒目付に確かめることは諦め、その代わり、今ここにいる医師連中に対して目付の姿を見かけなかったかと、それを尋ねることにした。
それと言うのもここ医師溜は御目付部屋と近い距離にあり、そうであれば…、仮に丸毛政美と平賀貞愛の話が本当ならば、宿直の目付はそれぞれ、一橋邸、清水邸へと足を運ぶべく、御目付部屋を飛び出し、この医師溜の前の廊下を通った筈だからである。
するとやはり武田宗安が松下左十郎のその疑問に答えた。
「されば御目付殿の末吉様と堀様の御姿を…」
武田宗安が口にした「末吉様」とは末吉善左衛門利隆のことであり、一方、「堀様」とは堀帯刀秀隆のことであり、松下左十郎もそのことはすぐに分かった。
それにしても松下左十郎の前では己よりも格上の法印の地位にある森養春院當定に対しては呼び捨てにすることも厭わなかった武田宗安であるが、こと相手が目付ともなると、直属の上司に当たる…、奥医師を束ねる御膳番の小納戸である松下左十郎を前にしても、「様」という最高敬称を付けて呼ぶあたり、如何に目付が余人から恐れられた存在であるか分かろうというものである。
それはそうと、松下左十郎は今宵は末吉善左衛門と堀帯刀が宿直であったのかと、そう思うと同時に、
「これは…、幸先が良いわ…」
そうも思ったものである。それと言うのも、末吉善左衛門は昨日、一橋邸の、正確には一橋治済の監視を大番組に引き継ぐまでの間、治済を監視していた目付だからだ。のみならず、
「共犯者」
であったからだ。松下左十郎はそれまでの疑問や不安を全て忘れたかのように意気揚々、医師溜をあとにしたのであった。
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