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承前 夏の人事 ~御三卿家老を巡る人事・岡部一徳の後任の清水家老として側用人の本多忠籌は北町奉行の初鹿野河内守信興を推挙す 13~
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勝手方勘定奉行から格下の公事方勘定奉行への異動、横滑りは明確に左遷とまでは言い切れないにしても、しかし、格下げの観は免れ得ない。
そこで信久は久世廣民の面子に配慮して、公事方勘定奉行へと横滑り、格下げさせるに当たり、廣民には公事方勘定奉行となっても勝手方勘定奉行と同格としてはどうかと、将軍・家斉に提案したのであった。そうすれば格下げの観が幾分かは和らぐというものである。
だがこれは久世廣民が公事方勘定奉行上座、筆頭の地位に座ることを意味しており、相役となる根岸鎮衛の上に座ることを意味していたのだ。
そしてそれは2ヶ月前の7月より、それもたった一人で公事方勘定奉行を勤めていた根岸鎮衛が謂わば「後輩」となる久世廣民に出し抜かれることを意味しており、
「それでは如何にも根岸肥前が憐れなり」
忠籌が信久のその「プラン」に猛反対したのであった。
「なればやはり、曲淵甲斐を公事方勘定奉行へと進ませるが上策でござろう?それとも、曲淵甲斐では、それも少なくとも柳生主膳よりは間違いなく公事方勘定奉行の役目を立派に勤め得るであろう曲淵甲斐が公事方勘定奉行に就いては余程にご都合が悪いことでもお有りかな?」
信久は忠籌を挑発するようにそう言った。
すると忠籌は思い当たる節でもあるのか、
「何が言いたいっ!」
そう激昂したのであった。信久のその「安っぽい」挑発に、
「うまうま…」
乗せられてしまった。
信久は「してやったり」と言わんばかりに続けた。
「されば弾正大弼は公事方勘定奉行の根岸肥前とは殊の外、懇意にて…」
「だから何だと申すのだっ!」
忠籌はいよいよもって激昂した。
「その上、都合の良いことに公事方勘定奉行は根岸肥前唯一人にて、そこで評定所での裁は弾正大弼、貴殿が懇意の根岸肥前に任せ、いや、任せるなどと、然様な上等なものではないな…、貴殿にとって都合が良い裁になるよう、肥前を使嗾し…、何しろ評定所での裁は事実上、評定所留役がこれを行い、そして評定所留役は勘定所よりの出向にて…」
これまた信久の言う通りであった。
即ち、評定所での裁き、詮議は寺社・江戸町・公事方の三奉行で構成される評定所一座による詮議にしろ、或いは評定所一座に大目付と目付を加えた五役のうち三役から各一人ずつが選れて構成される三手掛による詮議や、若しくはその五役の中から万遍なく一人ずつが選ばれて構成される五手掛による詮議にしろ、実際には勘定所よりの出向者である評定所留役が裁判官を勤める。現代で例えるならば評定所留役はさしずめ、
「最高裁判所調査官」
と言ったところであろうか。
そしてその評定所留役は勘定所よりの出向者で占められており、つまりは公事方勘定奉行の配下であった。
それゆえ公事方勘定奉行さえ、
「その気になれば…」
配下である評定所留役に命じて、
「都合が良い裁…」
それをさせることも可能であり、それゆえ評定所における裁き、詮議においては実は公事方勘定奉行の影響力が大きかった。
そしてその公事方勘定奉行はその時点では、根岸鎮衛が唯一人で勤めており、その鎮衛が側用人の本多忠籌と懇意であることは周知の事実であった。
いや、それに止まらず、鎮衛は忠籌の意を受けて、要は命じられ、忠籌の「パシリ」宜しく、配下の評定所留役に命じて、つまりは忠籌の意をそのまま伝えて、忠籌にとって都合の良い裁を出させている、というのが専らの評判であった。
だがそこへ、実務に長けた曲淵景漸が新たに公事方勘定奉行として加わればどうなるか。
もうこれまでのように鎮衛の好きには、ひいては側用人の忠籌の好きにはならないであろう。
即ち、忠籌の命を受けた鎮衛が配下の評定所留役を使って、忠籌にとって都合の良い裁きを下そうにも、相役となった曲淵景漸がそれを許さないであろう。何しろ曲淵景漸は町奉行時代には市井に生きる庶民に対しては柔軟性をもって接していたが、しかしその反面、忠籌のような権力者に対しては一転、秋霜烈日の表情を覗かせたものだからだ。
それゆえ忠籌としてはそのような己の思い通りにはならない曲淵景漸が公事方勘定奉行に加わるのを嫌って、そこで曲淵景漸の代わりに柳生久通を公事方勘定奉行に推挙したのではあるまいか。
当意即妙の才覚に欠け、その上、頼りないために町奉行から勝手方勘定奉行へと左遷させられた柳生久通であれば、必ずや根岸鎮衛の言いなりになるに違いないからだ。つまりはこれまで通り、鎮衛に忠籌自身にとって都合の良い裁を下させることが出来るというわけだ。
信久はそのことを匂わせたのであった。
すると忠籌は最早、勘弁ならぬと、将軍・家斉の御前であることも忘れて、信久に掴みかかりろうとし、一方、信久も武士の端くれとして当然、これを迎撃する姿勢を示したので、間に挟まれた格好の将軍・家斉はそれをハラハラした面持ちで眺めた。
「両名とも控えぃっ!」
忠籌と信久が、
「あわや…」
激突寸前、加納久周がそう大喝して、二人の動きを止めさせた。
「畏れ多くも上様の御前であるぞ…」
久周は今度は声を低くして、しかし、威厳に満ちた声でそう告げた。それに対して将軍・家斉はその通りだと言わんばかりに何度も頷いたものである。
信久は側用人の忠籌共々、御側御用取次の久周もまた事実上の上司に当たり、それゆえその久周から一喝、大喝を受けたところで何とも思わなかったが、しかし側用人の忠籌は違う。
側用人たる忠籌は御側御用取次を支配し、それゆえ忠籌は部下である久周に一喝、大喝されたわけで、忠籌の屈辱たるや如何ばかりであっただろうか。
いや、だがあのまま久周が事態を座視していれば、忠籌は将軍・家斉の御前において信久と「大立回り」を演じたに相違なく、そうなれば忠籌は信久共々、厳罰は免れぬであろう。とても部下である久周から一喝、大喝されたことで受けた屈辱の比ではない。
それを思えば忠籌は、そして信久もそうだが、久周に感謝すべきところであったが、しかし、生憎と忠籌はそこまで殊勝な人間ではなく、それどころか屈辱の余り、信久に続いて久周までも敵視する始末であり、実際、忠籌は久周を睨め付けた。
一方、久周も忠籌のその「視線」には勿論気づいており、
「やれやれ…」
久周は内心、苦笑しつつそう思ったものである。
それから久周は将軍・家斉の方へと体の向きを変えるや、「畏れながら…」と切り出したので、家斉はと言うと、
「条件反射的に…」
許すと、即座に久周にそう告げて、発言を許した。忠籌と信久との間に挟まれた、つまりは「バトル」に巻き込まれていた将軍・家斉としては御側御用取次の久周だけが正に、
「心のオアシス」
さしずめ精神安定剤であった。
その久周は家斉から発言の許しを得るや、「されば…」と切り出したかと思うと、
「公事方勘定奉行にはやはり、当初、津田山城が推挙せし通り、曲淵甲斐を充てましては如何でござりましょうや…」
信久の人事案に与したのであった。
久周とて人間である。決して聖人君子というわけではない。それゆえ如何に公正中立の立場を保つことを心掛けようとも、そこには自ずと限界があり、己に敵意の眼差しを向けてくる忠籌に与することなど出来なかった。
それに何より、久周もまた、信久が指摘したように忠籌が側用人という立場を利用して、公事方勘定奉行の根岸鎮衛をそれこそ、
「手足の如く…」
使っては評定所を自身に都合の良いように差配している現状に苦々しいものを感じていたのだ。いや、苦々しいなどと、そのような生易しいものではなく、重大な危機感を抱いていたのだ。
それゆえ久周としては忠籌の専横を掣肘すべく、信久の人事案に賛成したのだ。
「曲淵景漸なれば本多忠籌が専横を掣肘するにうってつけ…」
久周にはそう思えたからだ。
一方、将軍・家斉は久周のそのような胸中など知る由もなく、
「久周が申すのであらば…」
家斉は信久の人事案に賛意を示したのであった。
すると当然と言うべきか、忠籌が抵抗したので、そこで久周は「最後の切札」を使った。
そこで信久は久世廣民の面子に配慮して、公事方勘定奉行へと横滑り、格下げさせるに当たり、廣民には公事方勘定奉行となっても勝手方勘定奉行と同格としてはどうかと、将軍・家斉に提案したのであった。そうすれば格下げの観が幾分かは和らぐというものである。
だがこれは久世廣民が公事方勘定奉行上座、筆頭の地位に座ることを意味しており、相役となる根岸鎮衛の上に座ることを意味していたのだ。
そしてそれは2ヶ月前の7月より、それもたった一人で公事方勘定奉行を勤めていた根岸鎮衛が謂わば「後輩」となる久世廣民に出し抜かれることを意味しており、
「それでは如何にも根岸肥前が憐れなり」
忠籌が信久のその「プラン」に猛反対したのであった。
「なればやはり、曲淵甲斐を公事方勘定奉行へと進ませるが上策でござろう?それとも、曲淵甲斐では、それも少なくとも柳生主膳よりは間違いなく公事方勘定奉行の役目を立派に勤め得るであろう曲淵甲斐が公事方勘定奉行に就いては余程にご都合が悪いことでもお有りかな?」
信久は忠籌を挑発するようにそう言った。
すると忠籌は思い当たる節でもあるのか、
「何が言いたいっ!」
そう激昂したのであった。信久のその「安っぽい」挑発に、
「うまうま…」
乗せられてしまった。
信久は「してやったり」と言わんばかりに続けた。
「されば弾正大弼は公事方勘定奉行の根岸肥前とは殊の外、懇意にて…」
「だから何だと申すのだっ!」
忠籌はいよいよもって激昂した。
「その上、都合の良いことに公事方勘定奉行は根岸肥前唯一人にて、そこで評定所での裁は弾正大弼、貴殿が懇意の根岸肥前に任せ、いや、任せるなどと、然様な上等なものではないな…、貴殿にとって都合が良い裁になるよう、肥前を使嗾し…、何しろ評定所での裁は事実上、評定所留役がこれを行い、そして評定所留役は勘定所よりの出向にて…」
これまた信久の言う通りであった。
即ち、評定所での裁き、詮議は寺社・江戸町・公事方の三奉行で構成される評定所一座による詮議にしろ、或いは評定所一座に大目付と目付を加えた五役のうち三役から各一人ずつが選れて構成される三手掛による詮議や、若しくはその五役の中から万遍なく一人ずつが選ばれて構成される五手掛による詮議にしろ、実際には勘定所よりの出向者である評定所留役が裁判官を勤める。現代で例えるならば評定所留役はさしずめ、
「最高裁判所調査官」
と言ったところであろうか。
そしてその評定所留役は勘定所よりの出向者で占められており、つまりは公事方勘定奉行の配下であった。
それゆえ公事方勘定奉行さえ、
「その気になれば…」
配下である評定所留役に命じて、
「都合が良い裁…」
それをさせることも可能であり、それゆえ評定所における裁き、詮議においては実は公事方勘定奉行の影響力が大きかった。
そしてその公事方勘定奉行はその時点では、根岸鎮衛が唯一人で勤めており、その鎮衛が側用人の本多忠籌と懇意であることは周知の事実であった。
いや、それに止まらず、鎮衛は忠籌の意を受けて、要は命じられ、忠籌の「パシリ」宜しく、配下の評定所留役に命じて、つまりは忠籌の意をそのまま伝えて、忠籌にとって都合の良い裁を出させている、というのが専らの評判であった。
だがそこへ、実務に長けた曲淵景漸が新たに公事方勘定奉行として加わればどうなるか。
もうこれまでのように鎮衛の好きには、ひいては側用人の忠籌の好きにはならないであろう。
即ち、忠籌の命を受けた鎮衛が配下の評定所留役を使って、忠籌にとって都合の良い裁きを下そうにも、相役となった曲淵景漸がそれを許さないであろう。何しろ曲淵景漸は町奉行時代には市井に生きる庶民に対しては柔軟性をもって接していたが、しかしその反面、忠籌のような権力者に対しては一転、秋霜烈日の表情を覗かせたものだからだ。
それゆえ忠籌としてはそのような己の思い通りにはならない曲淵景漸が公事方勘定奉行に加わるのを嫌って、そこで曲淵景漸の代わりに柳生久通を公事方勘定奉行に推挙したのではあるまいか。
当意即妙の才覚に欠け、その上、頼りないために町奉行から勝手方勘定奉行へと左遷させられた柳生久通であれば、必ずや根岸鎮衛の言いなりになるに違いないからだ。つまりはこれまで通り、鎮衛に忠籌自身にとって都合の良い裁を下させることが出来るというわけだ。
信久はそのことを匂わせたのであった。
すると忠籌は最早、勘弁ならぬと、将軍・家斉の御前であることも忘れて、信久に掴みかかりろうとし、一方、信久も武士の端くれとして当然、これを迎撃する姿勢を示したので、間に挟まれた格好の将軍・家斉はそれをハラハラした面持ちで眺めた。
「両名とも控えぃっ!」
忠籌と信久が、
「あわや…」
激突寸前、加納久周がそう大喝して、二人の動きを止めさせた。
「畏れ多くも上様の御前であるぞ…」
久周は今度は声を低くして、しかし、威厳に満ちた声でそう告げた。それに対して将軍・家斉はその通りだと言わんばかりに何度も頷いたものである。
信久は側用人の忠籌共々、御側御用取次の久周もまた事実上の上司に当たり、それゆえその久周から一喝、大喝を受けたところで何とも思わなかったが、しかし側用人の忠籌は違う。
側用人たる忠籌は御側御用取次を支配し、それゆえ忠籌は部下である久周に一喝、大喝されたわけで、忠籌の屈辱たるや如何ばかりであっただろうか。
いや、だがあのまま久周が事態を座視していれば、忠籌は将軍・家斉の御前において信久と「大立回り」を演じたに相違なく、そうなれば忠籌は信久共々、厳罰は免れぬであろう。とても部下である久周から一喝、大喝されたことで受けた屈辱の比ではない。
それを思えば忠籌は、そして信久もそうだが、久周に感謝すべきところであったが、しかし、生憎と忠籌はそこまで殊勝な人間ではなく、それどころか屈辱の余り、信久に続いて久周までも敵視する始末であり、実際、忠籌は久周を睨め付けた。
一方、久周も忠籌のその「視線」には勿論気づいており、
「やれやれ…」
久周は内心、苦笑しつつそう思ったものである。
それから久周は将軍・家斉の方へと体の向きを変えるや、「畏れながら…」と切り出したので、家斉はと言うと、
「条件反射的に…」
許すと、即座に久周にそう告げて、発言を許した。忠籌と信久との間に挟まれた、つまりは「バトル」に巻き込まれていた将軍・家斉としては御側御用取次の久周だけが正に、
「心のオアシス」
さしずめ精神安定剤であった。
その久周は家斉から発言の許しを得るや、「されば…」と切り出したかと思うと、
「公事方勘定奉行にはやはり、当初、津田山城が推挙せし通り、曲淵甲斐を充てましては如何でござりましょうや…」
信久の人事案に与したのであった。
久周とて人間である。決して聖人君子というわけではない。それゆえ如何に公正中立の立場を保つことを心掛けようとも、そこには自ずと限界があり、己に敵意の眼差しを向けてくる忠籌に与することなど出来なかった。
それに何より、久周もまた、信久が指摘したように忠籌が側用人という立場を利用して、公事方勘定奉行の根岸鎮衛をそれこそ、
「手足の如く…」
使っては評定所を自身に都合の良いように差配している現状に苦々しいものを感じていたのだ。いや、苦々しいなどと、そのような生易しいものではなく、重大な危機感を抱いていたのだ。
それゆえ久周としては忠籌の専横を掣肘すべく、信久の人事案に賛成したのだ。
「曲淵景漸なれば本多忠籌が専横を掣肘するにうってつけ…」
久周にはそう思えたからだ。
一方、将軍・家斉は久周のそのような胸中など知る由もなく、
「久周が申すのであらば…」
家斉は信久の人事案に賛意を示したのであった。
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