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百鬼夜行
【百鬼夜行】Ⅳ
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暁の耳には遥見の言葉がこびりついて離れなかった。低く怒りを滲ませた遥見の声は「お前のせいだ」とはっきりと告げ、さらに「夜凪を探しに来なければ、あいつはそれなりにしあわせに生きられた」とまで言ったのだ。
それはつまり、今の夜凪を取り巻くすべての事象が、暁のせいだということを示していた。
マンションに帰ってきても、暁は眠ることもできない。遥見の言葉を何度も思い出してはベッドで寝返りを打ち続け、そのまま夜明けを迎えた。必要のなかったアラームが虚しく起床時刻に機械音を鳴らしているのをぼんやりと聞いて、暁はコーヒーだけでも飲もうとお湯を沸かし始める。自分で淹れたコーヒーはどこか味気なく、侑の淹れてくれたものが恋しくなった。
ぼんやりと朝のニュースを眺めながら、暁は『記紡コンコードビル』へ行くか行かないかを迷う。夜凪の食欲の低下や元気のなさが、本当に自分のせいだとしたら、行かない方がよいとは思うのだ。だが――。
「会いたいなあ」
遥見の言葉の意味を考えれば、暁が夜凪に会わない方がよいことは明白である。しかし、暁はどうしても夜凪に会いたかった。夜凪と他愛のない話をして、お茶を飲み、午後にはツネの庭を見て、日が暮れ行くのを見送り、夜には集く虫の声を聞いて、そうして一日を終えたい。
それが、そんなに罪なことなのか。
もちろん、あの夏の日に出会った少女のための薬のことを忘れたわけではないのけれど、そのことが夜凪を苦しめるのであればと暁は決意した。
身支度を整えた暁はもやもやとした気持ちを振り払うためにも、いっそ夜凪の元へ行ってしまおうと『記紡コンコードビル』へと足を向ける。どう転んだとしても、きっと遥見は怒るのだろうと、心のどこかで感じていた。
ビルへ行ってみると、珍しい光景に出会う。ツネに連れ出されたと思われる夜凪が午前の日差しの中、花壇で何かをしていた。
「おはよう。夜凪さん、何してるの?」
「うわ! なんだ、暁か。水やりを、頼まれて」
いたずら心が湧いてそっと背後から夜凪に声をかけてみると、飛び上がらんばかりの反応をされて、暁はたまらず噴き出してしまう。そんな暁に夜凪は少しムッとした顔で答えて、水やりを続行した。
「あー、夜凪さん。水は根っこに。葉っぱにかけたらダメ」
「そうなのか」
暁は夜凪の水やりの仕方に驚き、夜凪の手を掴んで一度やめさせる。そうして植えられている植物の根元の方へ口の部分を誘導した。重なった手の感触に小さく夜凪が体を震わせるのが伝わってきて、暁も知らず知らずの内に息を飲んでしまう。
しかし、今日の暁は夜凪の手を離さなかった。自然と暁の腕の中に収まるような形になった夜凪は戸惑いながら暁の名を呼ぶ。
「あ、暁……て、手を」
「うん」
「水やりは、いいから。手を、離してくれ」
「うん。あのね、夜凪さん。薬は……もういいよ」
考えて考えて出した答えを告げた瞬間、夜凪がものすごい力で暁を振り払った。驚いて夜凪を見つめていると、怒気をはらんだ声音で夜凪が言い放つ。
「嘘をつくな」
「いや、本当に、もう」
「もし薬が不要になったと言うなら、ここにはたどり着けない。俺には会えない」
夜凪の言う通りだった。『記紡コンコードビル』は、用事がある者にしか見えず、存在することがわからない。暁が薬を本心から希望しなくなった時点で、ここは更地にしか見えなくなり敷地に入ることも夜凪に会って話すことも、触れることもできはしないのだ。
「嘘つき!」
重ねられた夜凪の言葉に、暁の中で何かがプツリと切れる音がした。
「だったら、なんで薬を作ってくれないんだよ。俺、何かした?」
「――……そ、れは」
「くだらないって言ってたけど、それは夜凪さんが決めること!? 俺の問題だよね? それともほかに作れない理由があるの?」
暁は言い募りながらこんなことを言いに来たのではないと、必死に気持ちを落ち着けようと拳を握る。夜凪を責めても何もならないことはわかっていたはずだ。依頼して断られた、それだけのことなのに、自分は何をしているのだろうか。断る権利は彼にだってあるだろう。
「理由……理由は」
「いい。夜凪さん、ごめん。言わなくていい」
顔を上げた暁は、夜凪の表情を見て背筋が凍った。夜凪の視線は宙をさまよい、遠くを見つめている。まるで心がどこかに行ってしまったかのようだ。慌てて夜凪の細い肩を両手でつかんで揺すってみたが、夜凪はぼんやりとしたままだった。
「薬を、作ったら、俺もひとつ忘れる。混ぜるのが決まりだから」
「――……は? なんだよ、それ……」
「もう、忘れたくない……」
蚊の鳴くような声で言ってから、夜凪はハッとした顔つきになる。そしてしまったというように自分で自分の口をふさいだ。普段の大人っぽさとはかけ離れた、年相応、いや、もっと幼い子供じみた仕草に、暁は夜凪が実は精神的にとても追い詰められ、疲弊していることを悟った。
「つ、作る! 作るから、待ってくれ」
「夜凪さん?」
「ちゃんとする。作る。……でも忘れたくない。どうしよう、俺、作らないと!」
「ちょっと! 夜凪さん、落ち着いて!」
まったく夜凪らしくない取り乱し方に、暁は一度落ち着かせなければと 自分より細くて小さな夜凪の体を抱き込むようにする。
「ゆっくり息して。大丈夫だから」
「忘れたくない……もう一日だって、忘れたくない……」
とにかく一度木陰に移動させようと、暁は夜凪を抱えるようにして木の下まで連れて行き、かばんの中からペットボトルに入った緑茶を取り出して白く小さな手に握らせた。
夜凪の黒い瞳が驚きの色を宿すのにも構わず、暁は心からの気持ちを伝える。
「……でも、忘れちゃってもさ。また思い出を作ればいいよ! 俺が手伝ってあげる!」
夏草の匂いと、木陰に差し込む陽射しの揺らめき、夏特有の湿度の高い風が渡っていった。それは、あの日、小さな夜凪が少年の暁にかけられた言葉と寸分違わぬ言葉だ。
緑茶のペットボトルを宝物のように握りしめ、夜凪は泣き出した。何度も手の甲で目元をこすって涙を拭い、それでもあふれる涙が頬から顎を伝って落ちていく。声を抑えきれずにしゃくりあげ、まるきり子供みたいだ。暁はそんな夜凪の背中を優しくなでる。
ふと、きれいに結われていた黒髪をぐしゃぐしゃにして泣く夜凪の姿が、暁の中の遠い記憶と重なった。
そして暁はひとつの考えに行きつき、息を飲んだ。
――……あの夏の日、少女だと思っていたあの子供は、夜凪ではないのか。
だとしたら、自分はいったい何のために、夜凪をここまで追い詰め、苦しめているのだろうか。そう暁が考えた時だった。
頭上をすうっと影がよぎったかと思うと、静かに草を踏みしめる足音がひとつ、近づいてくるのが聞こえる。振り向いた暁の視線の先では、金髪碧眼の少女が、水色のワンピース姿でこちらを見つめていた。
「遥見さん……あの、これは」
「見てた。夜凪、戻ってろ」
三階から見ていたと遥見は言い、夜凪に部屋へ戻るよう指示を出す。しかし、夜凪はふるふると頭を左右に振って暁の二の腕の辺りをつかんで離さなかった。
「夜凪さん、大丈夫だから。ここは暑いし、戻ってて」
「ハル……ハル。暁にひどいことを言わないでくれ」
「わーってるって。ったく」
夜凪は何度も暁と遥見がいる方を振り返りながら『想幻庵』へと戻って行った。きっとビルに入った時点で、ツネと侑が面倒を見てくれているに違いない。その点では夜凪の心配をする必要はなかった。
「で、なに夜凪を泣かしてくれてんだ?」
「待ってください。俺も、ちょっと混乱してて」
たった今、夜凪があの日の少女だったかもしれないということに行き当たったばかりの暁は、遥見の質問に答える余裕がない。しかし、遥見は容赦なく質問を浴びせてきた。
「何を言った? お前が何か言わなきゃ、あんな風にはならねぇ。お前が何か言ったんだろ?」
「違……わないけど、薬はいいって言いました。そしたら」
「もうお前には夜凪はいらないってことか?」
「それは違う! そうじゃないです!」
即座に否定した暁に、遥見は深いため息をつく。だが、その碧い視線は暁から外されることはなかった。
「夜凪は言ったよな? 『もう忘れたくない』と。意味はわかるか?」
「俺が、薬を頼んだら、夜凪さんがまた思い出を失うってことですよね……?」
「違ぇよ! この馬鹿!」
遥見は手こそ出さないでくれたが、大声で暁を怒鳴りつける。そうして堰を切ったように言葉を重ねた。
「夜凪がどれだけの思い出を、自分の手で切り捨ててきたと思ってんだ!」
悲痛ともいえる遥見の言葉に、暁は言葉を返すことができない。
「それが初めて『忘れたくない』って言ってんだ! お前だよ、お前! お前に会ったからだ!」
「――……え?」
「お前と過ごした思い出を、ひとつだって忘れたくないって思ってんだろうよ! それを、お前が夜凪から奪うな! この大馬鹿間抜け!」
「お、俺との――……?」
怒鳴りまくった遥見は、はたと正気に戻ったように咳ばらいをした。つい先ほど夜凪本人に「暁にひどいことを言わないでくれ」と懇願されたことを思い出したのだ。
「お、俺は、事実を言っただけだからな! とにかく、夜凪を泣かせるなよ!」
フンっと鼻を鳴らして、現れた時と同じような唐突さで遥見はビルの中へと引っ込んでいく。木陰に一人取り残された暁は、まさに茫然自失だった。夜凪の涙の意味や本当の気持ちはわかっていなかったし、そこへ遥見の怒涛の説教を受けて、何をどうしたらよいのかまったくわからない。
「どうすればよかったんだよ……どうしたら……」
ただ、あの夏の日に出会った子――夜凪――は、まだ泣いている。
まったくしあわせになどなっていなかった。
それだけは、心臓を貫かれるような痛みをもって、暁の心に刻み込まれた。
それはつまり、今の夜凪を取り巻くすべての事象が、暁のせいだということを示していた。
マンションに帰ってきても、暁は眠ることもできない。遥見の言葉を何度も思い出してはベッドで寝返りを打ち続け、そのまま夜明けを迎えた。必要のなかったアラームが虚しく起床時刻に機械音を鳴らしているのをぼんやりと聞いて、暁はコーヒーだけでも飲もうとお湯を沸かし始める。自分で淹れたコーヒーはどこか味気なく、侑の淹れてくれたものが恋しくなった。
ぼんやりと朝のニュースを眺めながら、暁は『記紡コンコードビル』へ行くか行かないかを迷う。夜凪の食欲の低下や元気のなさが、本当に自分のせいだとしたら、行かない方がよいとは思うのだ。だが――。
「会いたいなあ」
遥見の言葉の意味を考えれば、暁が夜凪に会わない方がよいことは明白である。しかし、暁はどうしても夜凪に会いたかった。夜凪と他愛のない話をして、お茶を飲み、午後にはツネの庭を見て、日が暮れ行くのを見送り、夜には集く虫の声を聞いて、そうして一日を終えたい。
それが、そんなに罪なことなのか。
もちろん、あの夏の日に出会った少女のための薬のことを忘れたわけではないのけれど、そのことが夜凪を苦しめるのであればと暁は決意した。
身支度を整えた暁はもやもやとした気持ちを振り払うためにも、いっそ夜凪の元へ行ってしまおうと『記紡コンコードビル』へと足を向ける。どう転んだとしても、きっと遥見は怒るのだろうと、心のどこかで感じていた。
ビルへ行ってみると、珍しい光景に出会う。ツネに連れ出されたと思われる夜凪が午前の日差しの中、花壇で何かをしていた。
「おはよう。夜凪さん、何してるの?」
「うわ! なんだ、暁か。水やりを、頼まれて」
いたずら心が湧いてそっと背後から夜凪に声をかけてみると、飛び上がらんばかりの反応をされて、暁はたまらず噴き出してしまう。そんな暁に夜凪は少しムッとした顔で答えて、水やりを続行した。
「あー、夜凪さん。水は根っこに。葉っぱにかけたらダメ」
「そうなのか」
暁は夜凪の水やりの仕方に驚き、夜凪の手を掴んで一度やめさせる。そうして植えられている植物の根元の方へ口の部分を誘導した。重なった手の感触に小さく夜凪が体を震わせるのが伝わってきて、暁も知らず知らずの内に息を飲んでしまう。
しかし、今日の暁は夜凪の手を離さなかった。自然と暁の腕の中に収まるような形になった夜凪は戸惑いながら暁の名を呼ぶ。
「あ、暁……て、手を」
「うん」
「水やりは、いいから。手を、離してくれ」
「うん。あのね、夜凪さん。薬は……もういいよ」
考えて考えて出した答えを告げた瞬間、夜凪がものすごい力で暁を振り払った。驚いて夜凪を見つめていると、怒気をはらんだ声音で夜凪が言い放つ。
「嘘をつくな」
「いや、本当に、もう」
「もし薬が不要になったと言うなら、ここにはたどり着けない。俺には会えない」
夜凪の言う通りだった。『記紡コンコードビル』は、用事がある者にしか見えず、存在することがわからない。暁が薬を本心から希望しなくなった時点で、ここは更地にしか見えなくなり敷地に入ることも夜凪に会って話すことも、触れることもできはしないのだ。
「嘘つき!」
重ねられた夜凪の言葉に、暁の中で何かがプツリと切れる音がした。
「だったら、なんで薬を作ってくれないんだよ。俺、何かした?」
「――……そ、れは」
「くだらないって言ってたけど、それは夜凪さんが決めること!? 俺の問題だよね? それともほかに作れない理由があるの?」
暁は言い募りながらこんなことを言いに来たのではないと、必死に気持ちを落ち着けようと拳を握る。夜凪を責めても何もならないことはわかっていたはずだ。依頼して断られた、それだけのことなのに、自分は何をしているのだろうか。断る権利は彼にだってあるだろう。
「理由……理由は」
「いい。夜凪さん、ごめん。言わなくていい」
顔を上げた暁は、夜凪の表情を見て背筋が凍った。夜凪の視線は宙をさまよい、遠くを見つめている。まるで心がどこかに行ってしまったかのようだ。慌てて夜凪の細い肩を両手でつかんで揺すってみたが、夜凪はぼんやりとしたままだった。
「薬を、作ったら、俺もひとつ忘れる。混ぜるのが決まりだから」
「――……は? なんだよ、それ……」
「もう、忘れたくない……」
蚊の鳴くような声で言ってから、夜凪はハッとした顔つきになる。そしてしまったというように自分で自分の口をふさいだ。普段の大人っぽさとはかけ離れた、年相応、いや、もっと幼い子供じみた仕草に、暁は夜凪が実は精神的にとても追い詰められ、疲弊していることを悟った。
「つ、作る! 作るから、待ってくれ」
「夜凪さん?」
「ちゃんとする。作る。……でも忘れたくない。どうしよう、俺、作らないと!」
「ちょっと! 夜凪さん、落ち着いて!」
まったく夜凪らしくない取り乱し方に、暁は一度落ち着かせなければと 自分より細くて小さな夜凪の体を抱き込むようにする。
「ゆっくり息して。大丈夫だから」
「忘れたくない……もう一日だって、忘れたくない……」
とにかく一度木陰に移動させようと、暁は夜凪を抱えるようにして木の下まで連れて行き、かばんの中からペットボトルに入った緑茶を取り出して白く小さな手に握らせた。
夜凪の黒い瞳が驚きの色を宿すのにも構わず、暁は心からの気持ちを伝える。
「……でも、忘れちゃってもさ。また思い出を作ればいいよ! 俺が手伝ってあげる!」
夏草の匂いと、木陰に差し込む陽射しの揺らめき、夏特有の湿度の高い風が渡っていった。それは、あの日、小さな夜凪が少年の暁にかけられた言葉と寸分違わぬ言葉だ。
緑茶のペットボトルを宝物のように握りしめ、夜凪は泣き出した。何度も手の甲で目元をこすって涙を拭い、それでもあふれる涙が頬から顎を伝って落ちていく。声を抑えきれずにしゃくりあげ、まるきり子供みたいだ。暁はそんな夜凪の背中を優しくなでる。
ふと、きれいに結われていた黒髪をぐしゃぐしゃにして泣く夜凪の姿が、暁の中の遠い記憶と重なった。
そして暁はひとつの考えに行きつき、息を飲んだ。
――……あの夏の日、少女だと思っていたあの子供は、夜凪ではないのか。
だとしたら、自分はいったい何のために、夜凪をここまで追い詰め、苦しめているのだろうか。そう暁が考えた時だった。
頭上をすうっと影がよぎったかと思うと、静かに草を踏みしめる足音がひとつ、近づいてくるのが聞こえる。振り向いた暁の視線の先では、金髪碧眼の少女が、水色のワンピース姿でこちらを見つめていた。
「遥見さん……あの、これは」
「見てた。夜凪、戻ってろ」
三階から見ていたと遥見は言い、夜凪に部屋へ戻るよう指示を出す。しかし、夜凪はふるふると頭を左右に振って暁の二の腕の辺りをつかんで離さなかった。
「夜凪さん、大丈夫だから。ここは暑いし、戻ってて」
「ハル……ハル。暁にひどいことを言わないでくれ」
「わーってるって。ったく」
夜凪は何度も暁と遥見がいる方を振り返りながら『想幻庵』へと戻って行った。きっとビルに入った時点で、ツネと侑が面倒を見てくれているに違いない。その点では夜凪の心配をする必要はなかった。
「で、なに夜凪を泣かしてくれてんだ?」
「待ってください。俺も、ちょっと混乱してて」
たった今、夜凪があの日の少女だったかもしれないということに行き当たったばかりの暁は、遥見の質問に答える余裕がない。しかし、遥見は容赦なく質問を浴びせてきた。
「何を言った? お前が何か言わなきゃ、あんな風にはならねぇ。お前が何か言ったんだろ?」
「違……わないけど、薬はいいって言いました。そしたら」
「もうお前には夜凪はいらないってことか?」
「それは違う! そうじゃないです!」
即座に否定した暁に、遥見は深いため息をつく。だが、その碧い視線は暁から外されることはなかった。
「夜凪は言ったよな? 『もう忘れたくない』と。意味はわかるか?」
「俺が、薬を頼んだら、夜凪さんがまた思い出を失うってことですよね……?」
「違ぇよ! この馬鹿!」
遥見は手こそ出さないでくれたが、大声で暁を怒鳴りつける。そうして堰を切ったように言葉を重ねた。
「夜凪がどれだけの思い出を、自分の手で切り捨ててきたと思ってんだ!」
悲痛ともいえる遥見の言葉に、暁は言葉を返すことができない。
「それが初めて『忘れたくない』って言ってんだ! お前だよ、お前! お前に会ったからだ!」
「――……え?」
「お前と過ごした思い出を、ひとつだって忘れたくないって思ってんだろうよ! それを、お前が夜凪から奪うな! この大馬鹿間抜け!」
「お、俺との――……?」
怒鳴りまくった遥見は、はたと正気に戻ったように咳ばらいをした。つい先ほど夜凪本人に「暁にひどいことを言わないでくれ」と懇願されたことを思い出したのだ。
「お、俺は、事実を言っただけだからな! とにかく、夜凪を泣かせるなよ!」
フンっと鼻を鳴らして、現れた時と同じような唐突さで遥見はビルの中へと引っ込んでいく。木陰に一人取り残された暁は、まさに茫然自失だった。夜凪の涙の意味や本当の気持ちはわかっていなかったし、そこへ遥見の怒涛の説教を受けて、何をどうしたらよいのかまったくわからない。
「どうすればよかったんだよ……どうしたら……」
ただ、あの夏の日に出会った子――夜凪――は、まだ泣いている。
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