【完結】20-1(ナインティーン)

木村竜史

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Case4【風間孝太郎】怒りと驚きと嘆き

前編

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『全く見分けの付かない本物と偽物の見分け方』

 あまりにも無茶苦茶な宿題を、この地球の最後の最後に持ち帰る羽目になってしまった。空を見上げると、間抜けな程に蒼い空が広がっている。無理難題を問い掛けてきたクラスメイトの頭上に煌めいていた蠍の心臓は、まだ見えない。それもそのはず。現在の時刻は午前十時三十四分。星空は太陽の光に遮られ完全に消え失せている。

 しかし、どうしたものか。

 昨夜、彼女の声を背中に受けたあの時からひたすらに考えていたのだが、当然ながら家に帰るまでの三十分程度では答えは出ることもなく、家に帰ってからも考え続けていた。頭の中に山石さんを二人思い浮かべる。全く同じ姿で、全く同じ声で俺に向かって声を掛ける。

「「ねぇ、風間くん。私がホンモノだよ。わかるよね?」」

 答えは、両方とも不正解。何故なら俺の想像する山石琴里は、実際に存在する山石琴里と百パーセント一致することはないからだ。たかだか五日程度で、彼女の全てを理解することなど出来ない。出来るわけがない。長年連れ添った夫婦が晩年で『性格の不一致』で別れることもあるのに、それはいくらなんでも無理があるだろう。そもそも、人が他人を完全に理解出来ることなど、あるはずがないというのに。

 答えのない理不尽で不毛なクイズの回答を求めて俺は山の中にある自宅から二十分ほど歩いたところにある最寄り駅から自転車と電車を乗り継いで、県内最大の都市、銀城にやってきていた。そこに答えがあるとは思えない。それでも人が多いところに行けば、なにか変化があるような気がしたのだ。
 
 駅を出て街を歩く。木々が生い茂り清流は流れていた南久我とは違い、原生林の代わりに高いビルがそびえ立ち、太陽の光をたくさんの窓ガラスが乱反射し、ビルとビルの隙間を蒸し暑い風が逃げるように駆け抜けていく。あまりの熱気に額に汗がじわりと浮かんでいく。そんな地元と正反対とも言えるコンクリートジャングルの街並みを、沢山の人が歩いていく。もうすぐ世界が終わるというのに、やはり全く変わらない日常が流れていく。本当に、普通の都会の休日というような感じだ。だが全ての終わりを感じない――というのは間違いであった。人が少ない地元よりも、人が多いだけあって人の表情も様々だ。

 スーツ姿の中年男性がスマートフォンに耳を当てながら早足で俺の横を通り抜けていく。一瞬だけ聞こえた男性の声は、忙しそうだけれどもどこか悲しそうであった。まるで、世界の滅びから逃避する為に仕事に没頭しているかのように。

 ふと横を見ると視線の先にあったファーストフード店のカウンターで、フリーターと思われる茶髪を肩の上まで伸ばした女性がレジで接客をしている。気だるげに見えたその姿に、何故か母のような優しさのようなものを感じた。

 靴のディスカウントショップの前では、若い男の店員が客を呼びせるセールの告知を喉が張り裂けそうな程に大きな声で叫んでいる。終末が近づいているからこそ欲しいものを買おう、お洒落をしようと叫び続けている。そしてその靴屋の隣にある飲食店の店員が、それに負けじと声を張り上げる。まだ十一時にもなっていない。ランチタイムですらないというのに、だ。二人はお互いというよりも、世界の終わりに抗うかのように叫んでいた。まるで敵の軍勢に雄叫びをあげる勇敢な戦士のように、自分はここにいるぞ、自分はまだ生きているぞと声を張り続けているようだった。

 歩行者天国の真ん中にパイプ椅子を展開し、その上に座るくたびれた白髪の男性。その右腕が持つのは、彼の身体よりも大きな看板。その看板には、カラフルなガールズバーの広告がでかでかと載っている。港が有名ではあるが、決してその海が綺麗とはいえないこの街の水路のように男の二つの眼は濁り切っているが、その事に誰も気づくことはない。まるで看板を持つひとつのオブジェクトのように立つ男性を、誰も見ることはない。男性も、自分自身がオブジェクトになりきっているようであった。彼の濁った瞳は、どこを見るわけでもなく虚空を見つめていた。
 
 人と人と人がドロドロの血液内で蠢く赤血球のように詰まりながらある種の規則性を持ちながら一定方向に進んでいく。俺はその人の流れに身を任せて都市のメインストリートを進んでいく。あまりの人が多さに、田舎道と同じような歩調で歩くことは出来ない。ぶつかることの無いように、気を付けながら歩いていく。

 当然だが、メインストリートを歩く人達は皆、俺の知らない人達だ。友人とたまに遊びに行ったものだが、これだけの数の人だ。他の友人や知り合いを見かけるようなことはまず無かったし、探せと言われてもまず不可能だといつも笑いながら話していた。そんなことは金色に光る砂で囲われた広大な砂漠の上に落ちた五円玉を探すようなもので、ほぼほぼ無理な話だ。

 そんな無理だと笑っているような話でも、ひょんなことからその五円玉が見つかってしまうことがあるように、不可能なんてことはないのかもしれない。ただ単に世界が終わる直前にこんなところで自分自身の運を使い果たしてしまったのかもしれない。俺が歩いている方向から逆方向から、昔見た顔が歩いてきた。

 一瞬だけ、そんな事などありえない。それは他人の空似かと思ったが、それは杞憂であった。あの姿は、あの顔は小・中学校時代にずっと同じクラスだった、竹房征樹たけふさ まさきだ。やや細い輪郭に短く揃えた短髪。少し太いフレームの眼鏡の下にある切れ長の目、すらりとした鼻。色白で細身の肉体を無地のTシャツで決めた、男の俺が言うのもなんだが――整った相貌を持った、かなりの色男だ。なお、その色男はクラスで馬鹿をやっていた俺とやはり違うタイプの人間だった。そんな男前が数年経って成長したとしても、見間違えるはずもない。

 中学でのテストはほぼ満点を取っていた秀才であったし、帰宅部ではあったがスポーツも難なくこなして更には生徒会の役員も選ばれるような文字通りの優等生であり、その上どんな時でも柔らかな笑顔を浮かべていて人当たりもよく、中学内では非公式のファンクラブのようなものまで存在するような――なんていうか、まるで漫画かアニメに出てくるような完璧超人だった。

 彼のあまりの人気に嫉妬する人間は数多くいただろうし、恥ずかしい話ではあるが俺も正直なところ、彼のことを少しだけ羨ましいと思っていた。結局、高校に進学する時に県内最大の進学校に進学してから、彼の姿を見ることも無くなり音沙汰も無くなっていた。彼とは小さいころに何度か一緒に遊んだ程度の間柄であったし、それほど親しくもない間柄だったので、こちらからも連絡を取るようなこともない。そういえばその進学校は、この街周辺に存在していた気がする。

 自分がそんな事を考えていることも露知らずに歩く竹房征樹は、こちらに気づいていないようで、だいたい二十メートル程度離れたところから、人混みの流れに従って俺がいる方向へ歩いてくる。俺もそちらの方向に向けて歩みを進めていくので、実際はお互いがかなりの勢いで近づいていくような形になっていた。俺は竹房に向かって視線を固定したまま、歩みを続けていく。だんだん近づいていくにつれて、遠くでわからなかった竹房の表情がだんだんよく見えてくる。

 俺の事に気付かず歩いてくる竹房征樹は、いつも浮かべていた柔和な笑みを捨て去っていた。若干赤く充血した眼は視界の先のあらゆるものを睨みつけ、歯をすり減らすかのように食いしばっている。まるで金剛力士像の吽形像のように、激しく燃え盛るような怒りを隠すことを放棄しながら一歩一歩何かを踏み潰すかのように力強く、歩を進めていた。

 射殺すように睨んだ視界の先に俺はいない。困惑する俺の視線に気づくことなく、竹房は俺のすぐ横を通り過ぎていく。地元、南久我に流れる虫と川と風が彩る田舎の旋律とはまた違う都会の人混みとぬるりとした空気が織り成すざわついた喧騒に似つかわしくない大型の肉食獣のような、かつての友人の変わり果てた姿を見た俺は声をかけることが出来ずに歩みを止めてしまう。どう声をかければいいのだろうか。何を言えばいいのだろうか。答えは出ることなく、彼はどんどん遠ざかっていく。俺のすぐ後ろを歩いていた壮年の女性が煩わしそうに避けていくが、それを気にする余裕など全くなかった。

 世界中のみんながみんな、俺も含めてだが全てを諦めてしまったものだと思っていた。

 だが、それは俺の馬鹿みたいな勘違いだったのだ。竹房は激しく怒っていた。それこそ周りすら見えないほどに、気づかないほどに怒り狂っていた。その怒りが向ける矛先は世界が滅びるという事実にだろうか。それとも、他の何かにだろうか。

 だんだん小さくなっていく竹房の背中を見続けていく。じっとりと汗が滲んだ白いシャツが、なんだか彼の涙のように感じた。
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