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Case5【竹房征樹】憤然と燃え上がる
前編
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学校で良い成績を出して、良い高校・大学へと進学して、一流の企業に就職してお金をひたすら稼ぐこと。そうすることが幸せに生きるということなんだと両親からずっと言われ続けてきた。物心が付いた時から毎日言われ続けていたその言葉は、いつでもどんな時も僕の脳の奥に染み付いて離れない。
何度テストで満点を取っても、母は当たり前だと鼻で笑っていた。むしろ、テストで満点が取れなかった日は、床で夕食を食べることになった。わざわざ犬用の皿まで用意して、満点が取れない子は犬以下だとでも蔑むような目でこちらを見下ろしていた。
『5』で埋め尽くされた成績表を見せても、父は当然だと笑わない。中学一年生の前期に一つだけ――体育で『4』を出した時には烈火の如く怒りだし、握った拳で僕の右の頬を強く殴りつけた。あまりの衝撃に右下の奥から二番目の歯が根だけ残してへし折れた。
それを見た母は血まみれになった僕を庇うことなく、「運動神経が足りなかったのね」と吐き捨てるように呟き、早朝に一日十キロメートルを走ることを決めさせた。それでいて、毎日六時間の勉強は据え置きだ。そこに僕の意思など介入する余地はない。そもそも、そのときの僕に意思などあったのだろうか。当時の僕にはそれが自分自身の努力不足に感じたし、それを疑問に思うことなどなかったのだ。
高校を卒業して就職し、そこで出逢い結ばれたという――至って平凡な両親は、息子に対して凝り固まった自分の理想を押し付けるように強い圧力をかけ続けた。まるで、自分達が不幸せだったと叫ぶように。自分達の人生の選択の連続全てが間違っていたと嘆くかのように。
当然、異性と交際どころかそれを匂わす行動も咎められた。
特に母親は女性を穢らわしいものと認識しているようで、テレビでニュースを読み上げるアナウンサーにすらも身が竦むような恐ろしい表情で睨みつけていた。コイツは阿婆擦れだ、清楚ぶっているがどうせ裏では偉い人に媚を売って、身体を売って出番を得ているんだなどと呪詛のように毎日毎日呪い殺すような小さな声で呟いていた。
テレビに向かって呟く自分も彼女たちと同じ女性だというのに、ありとあらゆる女性という存在に同族嫌悪というカテゴリーには入れてはいけないような、もっと悍ましい憎悪を向けていく。まるで、自分が女性であることすら否定しているようであった。
そんな母親が、女子のクラスメイトが僕の隣を歩いていたという噂を耳にしただけでまるで凶暴化したケモノのように叫びだし、僕に向かって手に持っていたマグカップを投げつけた。
小学生の頃、修学旅行のお土産で母に送った三匹の猿が可愛らしくイラストで描かれたマグカップは、中身のコーヒーをぶちまけながら放物線を描き、飛んでいく。それは僕に当たることは無かったが、壁に当たり粉々に砕け散った。
親からの不条理を顔に出すことなく、僕はモノトーンで彩られた日々に薄い笑顔を貼り付けながら過ごしていた。毎日親に言われた通りに運動をし、親に言われた通りに勉強を続けていく。 「お金が無い」という理由の為に、小さなアパートの中で自分の部屋を与えられることもなく、プライベートなども存在しなかったが、僕にとってはそれが生きていく為の箱庭だった。
必要以上にクラスメイトと干渉することも無く、両親からの指示で良い高校に進学する為の内申が目的に生徒会長に立候補し、薄い笑顔を浮かべながら多忙な日々も過ごす。日々の活動に勉強の時間が取りにくくなっていくが睡眠時間を削ればいいと言われ、僕は何も考えずにそれに従っていた。
どうせ、逆らったところで箱庭から出ることは叶わないのだから。
小学生の頃に一度だけ、クラスメイトの家にお邪魔させてもらったことがある。活発で友人の多かった彼はもう覚えていないだろうが――箱庭とは違う、大きな庭の平屋の家で初めて見る他人の家族というビジョンに激しい驚きを覚えていた。 彼の母親は、優しい笑みを浮かべて庭に植えられた百日紅の木の幹に括りつけられた的に向かって細い棒のようなものを投げつけている息子を優しい暖かみをもった瞳で見守っていた。
その光景は、何年経っても脳の奥にこびり付いて消えることは無かった。優しい笑みを浮かべていた友人の母は、僕を冷たい視線で見下ろす自分の母とは別の人間どころか別の人種――全く別の生態のイキモノにすら見えた。
この温かな思い出は、両親には言わなかった。今思うと、これが親に向かって僕自身が行った初めての、そして、唯一の反抗だった。
結局、箱庭から抜け出すこともなく少年時代を過ごし、県で有数の公立高校へと進学した僕は父親の転勤も兼ねて元々住んでいた南久我を出て高校のある銀城へと引っ越した。地元には私立の進学校などもあったのだが、両親曰く「将来働くようになったら、今までお前にかけたお金を返してもらう。当然それには利子が付いてるから、それで楽をさせてもらう。その為にも出費は少ない方がいいだろう?」とのことで、進路に私立高校を選ぶ権利など無かったのだ。結局箱庭を出ても、別の箱庭に移されただけだった。
歳をとって、身体が大きくなったからといって、何も変わらない。自分で何かを決定することも許されず、両親の指示が全てだった。部活も参加せずひたすらに勉強をし続ける学校生活を送るだけの田舎からやって来た男は、高校内では奇特な目で見られ続けていた。時と場合によっては深刻なイジメなどにも発展しそうなケースだったのだが、幸いにもそれは起こらなかった。
ただ、クラスでは僕は空気と同等と思われていたのか、誰とも会話をすることもなく授業中に教師から問われない限り、殆どいないものとして扱われていた。
それでも、僕は薄っぺらな笑顔を絶やすことは無かった。両親が言い続けているように、将来僕が幸せになるためには、ひたすらに勉強をし続けるしか道はないのだ。とにかく勉強をして、勉強をして、勉強をして、国立の大学に進学して一流の企業に就職する。その後も研鑽を続けて人の上に立って競争を生き抜いてようやく幸せな人生を歩めるようになる。それだけを信じて毎日を過ごしていた。
だが、知ってしまったのだ。それが叶わないということを。いくら勉学に励んでも、成績を上げることに執着しても。幸せな人生など、僕には決して来るとはないということを。
ニュースを見て、ただ愕然とする。僕の人生は一体なんだったのか。未来の幸せの為に同級生達が鮮やかに笑いながら学校生活を楽しみ、汗を流して青春を謳歌する。異性と触れ合い、恋をして愛を手に入れていく。そんな、僕の両の掌の上に乗ることのなかった光景。それらを遠目に見ながら、親の歪な期待と過干渉を全身に受け止めながら、輝かしい未来の為だと耐え忍んできた十七年間。全てが徒労に終わってしまうのか。どうにも耐えきれず、母親を問い詰めた。僕は幸せになれないならば、今までの苦悩は一体なんだったのか。毎日の勉強はなんのためにやってきたのか。大学にも、就職もできていないじゃないか。一体、なんのために生きてきたのか。教えてくれ、教えてくれよ。
母は僕の嘆きを能面のような無表情で聞いていた。僕はこの表情にいつも背中に氷柱を突き刺されるようなぞわりとした恐怖を感じていた。いつか見た、クラスメイトの母親が息子に向けていた表情とはまるで違うもの。あれが慈愛に満ちた表情ならば、僕を冷たく見るこの眼は、一体何なのか。
母は何も言わず、居間にある戸棚の引き出しから封筒を取り出し、僕に放り投げた。
「この中にある預金通帳にはね、お前が大学に行く為の学費の一部が入ってる。奨学金を使わない進学なんて認めないつもりだったから、端金だけどね」
能面のような表情は少しも崩れない。本当に表情筋が凍り付いてしまったかのようだ。
「コイツをやるからここから失せてくれ。もう私は、これからは自分の為に生きることにしたんだ。あの人も、お前も、もう、うんざりなんだ」
あまりにも身勝手な母の言葉が耳孔を伝わって僕の脳に入り込んだ瞬間、側頭部の奥で、何かが粉々に砕ける音がした。砕けたところがだんだん熱を帯びてくる。この感覚を説明できるとは思わなかったのだが、まだ頭の中で残っている冷静なところが小さな声で囁く。これは怒りだ。
僕はこの感情を理解した瞬間、決定的な何かが切れたのだろう。喉の奥から声を出し、癇癪を起こした子供のように、壁を力の限り殴りつける。安い家賃のアパートの壁は、一七歳の男の腕力になど耐えることは到底できない。大きな音ともに拳と同じだけの大きさの穴が空き、壁の内側に貼り付けられた断熱材が顔を覗かせるが、そんなことなど僕の知ったことではなかった。
驚いた表情すらせず、無表情を変えずにこちらをじっと見つめる母親を一瞥し、封筒を握りしめてそのまま廊下に向かい、靴を選ぶ。元々は白かったが、土埃などで汚れてボロボロになった運動靴だ。僕の靴はこれと高校の制服に使用していた茶色の革靴しかない。僕は運動靴を履き、ドアを開ける。昼間のこの時間は当然のことながら、父は会社に出ていて今この家にはいない。だが今の僕にはそんな事など関係なかった。僕自身の人生の中であまりにも無駄な日々を費やさせた両親など、もう二度と見たくない。両親だけでもない。全てが許せない。僕の努力を認めず、勝手に滅びる世界が。その世界を構成する森羅万象全てのものが憎く見えていく。
激しい怒りを込めてドアを開けて、力を込めて閉める。激しくフレームにぶつかる金属製の玄関ドアの立てる轟音が、祝福の鐘の音に聞こえた。今この時、竹房征樹という僕が産声を上げたのだ。それを祝う人など、この世界に誰もいない。 太陽は相変わらず間抜けに、見下ろす全てを照りつけていた。それさえも、今の僕にとっては憎らしい。うまく出ない舌打ちが、真夏の空に溶けていった。
何度テストで満点を取っても、母は当たり前だと鼻で笑っていた。むしろ、テストで満点が取れなかった日は、床で夕食を食べることになった。わざわざ犬用の皿まで用意して、満点が取れない子は犬以下だとでも蔑むような目でこちらを見下ろしていた。
『5』で埋め尽くされた成績表を見せても、父は当然だと笑わない。中学一年生の前期に一つだけ――体育で『4』を出した時には烈火の如く怒りだし、握った拳で僕の右の頬を強く殴りつけた。あまりの衝撃に右下の奥から二番目の歯が根だけ残してへし折れた。
それを見た母は血まみれになった僕を庇うことなく、「運動神経が足りなかったのね」と吐き捨てるように呟き、早朝に一日十キロメートルを走ることを決めさせた。それでいて、毎日六時間の勉強は据え置きだ。そこに僕の意思など介入する余地はない。そもそも、そのときの僕に意思などあったのだろうか。当時の僕にはそれが自分自身の努力不足に感じたし、それを疑問に思うことなどなかったのだ。
高校を卒業して就職し、そこで出逢い結ばれたという――至って平凡な両親は、息子に対して凝り固まった自分の理想を押し付けるように強い圧力をかけ続けた。まるで、自分達が不幸せだったと叫ぶように。自分達の人生の選択の連続全てが間違っていたと嘆くかのように。
当然、異性と交際どころかそれを匂わす行動も咎められた。
特に母親は女性を穢らわしいものと認識しているようで、テレビでニュースを読み上げるアナウンサーにすらも身が竦むような恐ろしい表情で睨みつけていた。コイツは阿婆擦れだ、清楚ぶっているがどうせ裏では偉い人に媚を売って、身体を売って出番を得ているんだなどと呪詛のように毎日毎日呪い殺すような小さな声で呟いていた。
テレビに向かって呟く自分も彼女たちと同じ女性だというのに、ありとあらゆる女性という存在に同族嫌悪というカテゴリーには入れてはいけないような、もっと悍ましい憎悪を向けていく。まるで、自分が女性であることすら否定しているようであった。
そんな母親が、女子のクラスメイトが僕の隣を歩いていたという噂を耳にしただけでまるで凶暴化したケモノのように叫びだし、僕に向かって手に持っていたマグカップを投げつけた。
小学生の頃、修学旅行のお土産で母に送った三匹の猿が可愛らしくイラストで描かれたマグカップは、中身のコーヒーをぶちまけながら放物線を描き、飛んでいく。それは僕に当たることは無かったが、壁に当たり粉々に砕け散った。
親からの不条理を顔に出すことなく、僕はモノトーンで彩られた日々に薄い笑顔を貼り付けながら過ごしていた。毎日親に言われた通りに運動をし、親に言われた通りに勉強を続けていく。 「お金が無い」という理由の為に、小さなアパートの中で自分の部屋を与えられることもなく、プライベートなども存在しなかったが、僕にとってはそれが生きていく為の箱庭だった。
必要以上にクラスメイトと干渉することも無く、両親からの指示で良い高校に進学する為の内申が目的に生徒会長に立候補し、薄い笑顔を浮かべながら多忙な日々も過ごす。日々の活動に勉強の時間が取りにくくなっていくが睡眠時間を削ればいいと言われ、僕は何も考えずにそれに従っていた。
どうせ、逆らったところで箱庭から出ることは叶わないのだから。
小学生の頃に一度だけ、クラスメイトの家にお邪魔させてもらったことがある。活発で友人の多かった彼はもう覚えていないだろうが――箱庭とは違う、大きな庭の平屋の家で初めて見る他人の家族というビジョンに激しい驚きを覚えていた。 彼の母親は、優しい笑みを浮かべて庭に植えられた百日紅の木の幹に括りつけられた的に向かって細い棒のようなものを投げつけている息子を優しい暖かみをもった瞳で見守っていた。
その光景は、何年経っても脳の奥にこびり付いて消えることは無かった。優しい笑みを浮かべていた友人の母は、僕を冷たい視線で見下ろす自分の母とは別の人間どころか別の人種――全く別の生態のイキモノにすら見えた。
この温かな思い出は、両親には言わなかった。今思うと、これが親に向かって僕自身が行った初めての、そして、唯一の反抗だった。
結局、箱庭から抜け出すこともなく少年時代を過ごし、県で有数の公立高校へと進学した僕は父親の転勤も兼ねて元々住んでいた南久我を出て高校のある銀城へと引っ越した。地元には私立の進学校などもあったのだが、両親曰く「将来働くようになったら、今までお前にかけたお金を返してもらう。当然それには利子が付いてるから、それで楽をさせてもらう。その為にも出費は少ない方がいいだろう?」とのことで、進路に私立高校を選ぶ権利など無かったのだ。結局箱庭を出ても、別の箱庭に移されただけだった。
歳をとって、身体が大きくなったからといって、何も変わらない。自分で何かを決定することも許されず、両親の指示が全てだった。部活も参加せずひたすらに勉強をし続ける学校生活を送るだけの田舎からやって来た男は、高校内では奇特な目で見られ続けていた。時と場合によっては深刻なイジメなどにも発展しそうなケースだったのだが、幸いにもそれは起こらなかった。
ただ、クラスでは僕は空気と同等と思われていたのか、誰とも会話をすることもなく授業中に教師から問われない限り、殆どいないものとして扱われていた。
それでも、僕は薄っぺらな笑顔を絶やすことは無かった。両親が言い続けているように、将来僕が幸せになるためには、ひたすらに勉強をし続けるしか道はないのだ。とにかく勉強をして、勉強をして、勉強をして、国立の大学に進学して一流の企業に就職する。その後も研鑽を続けて人の上に立って競争を生き抜いてようやく幸せな人生を歩めるようになる。それだけを信じて毎日を過ごしていた。
だが、知ってしまったのだ。それが叶わないということを。いくら勉学に励んでも、成績を上げることに執着しても。幸せな人生など、僕には決して来るとはないということを。
ニュースを見て、ただ愕然とする。僕の人生は一体なんだったのか。未来の幸せの為に同級生達が鮮やかに笑いながら学校生活を楽しみ、汗を流して青春を謳歌する。異性と触れ合い、恋をして愛を手に入れていく。そんな、僕の両の掌の上に乗ることのなかった光景。それらを遠目に見ながら、親の歪な期待と過干渉を全身に受け止めながら、輝かしい未来の為だと耐え忍んできた十七年間。全てが徒労に終わってしまうのか。どうにも耐えきれず、母親を問い詰めた。僕は幸せになれないならば、今までの苦悩は一体なんだったのか。毎日の勉強はなんのためにやってきたのか。大学にも、就職もできていないじゃないか。一体、なんのために生きてきたのか。教えてくれ、教えてくれよ。
母は僕の嘆きを能面のような無表情で聞いていた。僕はこの表情にいつも背中に氷柱を突き刺されるようなぞわりとした恐怖を感じていた。いつか見た、クラスメイトの母親が息子に向けていた表情とはまるで違うもの。あれが慈愛に満ちた表情ならば、僕を冷たく見るこの眼は、一体何なのか。
母は何も言わず、居間にある戸棚の引き出しから封筒を取り出し、僕に放り投げた。
「この中にある預金通帳にはね、お前が大学に行く為の学費の一部が入ってる。奨学金を使わない進学なんて認めないつもりだったから、端金だけどね」
能面のような表情は少しも崩れない。本当に表情筋が凍り付いてしまったかのようだ。
「コイツをやるからここから失せてくれ。もう私は、これからは自分の為に生きることにしたんだ。あの人も、お前も、もう、うんざりなんだ」
あまりにも身勝手な母の言葉が耳孔を伝わって僕の脳に入り込んだ瞬間、側頭部の奥で、何かが粉々に砕ける音がした。砕けたところがだんだん熱を帯びてくる。この感覚を説明できるとは思わなかったのだが、まだ頭の中で残っている冷静なところが小さな声で囁く。これは怒りだ。
僕はこの感情を理解した瞬間、決定的な何かが切れたのだろう。喉の奥から声を出し、癇癪を起こした子供のように、壁を力の限り殴りつける。安い家賃のアパートの壁は、一七歳の男の腕力になど耐えることは到底できない。大きな音ともに拳と同じだけの大きさの穴が空き、壁の内側に貼り付けられた断熱材が顔を覗かせるが、そんなことなど僕の知ったことではなかった。
驚いた表情すらせず、無表情を変えずにこちらをじっと見つめる母親を一瞥し、封筒を握りしめてそのまま廊下に向かい、靴を選ぶ。元々は白かったが、土埃などで汚れてボロボロになった運動靴だ。僕の靴はこれと高校の制服に使用していた茶色の革靴しかない。僕は運動靴を履き、ドアを開ける。昼間のこの時間は当然のことながら、父は会社に出ていて今この家にはいない。だが今の僕にはそんな事など関係なかった。僕自身の人生の中であまりにも無駄な日々を費やさせた両親など、もう二度と見たくない。両親だけでもない。全てが許せない。僕の努力を認めず、勝手に滅びる世界が。その世界を構成する森羅万象全てのものが憎く見えていく。
激しい怒りを込めてドアを開けて、力を込めて閉める。激しくフレームにぶつかる金属製の玄関ドアの立てる轟音が、祝福の鐘の音に聞こえた。今この時、竹房征樹という僕が産声を上げたのだ。それを祝う人など、この世界に誰もいない。 太陽は相変わらず間抜けに、見下ろす全てを照りつけていた。それさえも、今の僕にとっては憎らしい。うまく出ない舌打ちが、真夏の空に溶けていった。
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