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Case6【風間孝太郎】自分自身にできること
前編
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結局のところ、俺はやっぱりお人好しなのだと思う。あの女性が一体誰なのかわからない、場所もわからない、そもそも何をするのかさえもわからない。
「来ればわかるさ。来れば。強制はしないけれど、ね!」
先程聞いた、含みを持たせたあの言葉がどうにも頭の中に引っ掛かっている。そして、その前に見た竹房の計り知れない怒りに驚いた俺の身体を動かした、眩い太陽のようなウインクをしてみせたあの女性。先程に彼女は愛を振りまく仕事をしていると言っていた。それが一体何を指すものなのかも気になるが、それ以上に。山石さんの頭上にいる蠍の心臓も自身が光を発している星ではあるが、地球から見るとその何倍も何十倍も強い光を放っている太陽。その太陽の輝きのようを持っていたあの女性ならば、山石さんからの不条理な問いかけにもなにかヒントをくれるのではないだろうか。漠然とではあるが、そんな気がしたのだ。
正直なところ、『全く見分けの付かない本物と偽物の見分け方』なんてあまりにも抽象的すぎて同級生にも相談出来そうな内容ではないし、両親に聞いたところで笑いながら適当にはぐらかされるに決まっている。我が家の両親は、いつも慈愛に満ちた柔らかな笑みで俺を見守ってくれた母さんと、投擲術や体術などのおおよそ現代で使う必要がないようなことをレジャーの時などに教えてくれて、そして忍者の末裔の家系である風間家の心構えなど様々な事を教えてくれた父さん。二人は今まで俺の事を優しく、時に厳しく育ててくれた。自分で言うのもなんだか照れくさいが、親子三人と、つい最近までアスカを含めて理想の家庭像に近いようなものであったとは思っている。
しかし真面目なところを茶化して誤魔化すという悪癖が玉に瑕というか、とにかくこの手の話題に関してはあまり当てにならなそうであった。特に父さんなど、どうせ「ふむ、それを探すのもまた修行だな。精進しろよ」と大きく頷いて立ち去っていくに決まっている。そういうこともあって俺の身近には山石さんのあの言葉に答えられそうな人が思い当たらず、ヒントを求めてこの銀城へと来たというのが実際のところなのだ。
あの女性に聞いてヒントが得られたならばそれでいい。何も得られなければ、またもう一度、やり方を考えるだけだ。今は行動することに意味があると思い、道を再び歩くことにする。
夕方頃にその先で、と言っていた。左腕の腕時計は、そろそろ正午になる頃を示している。流石に夕方まで何も食べない訳にはいかないので、とりあえず何かを胃袋に入れていようと視界を動かす。チェーン店などで手早く済ませるのも手ではあったが、世界が滅びるまでの残り少ない食事の回数は限られている。その中で学生の小遣いの範囲内で妥協はしていられない。そんな事を考えていると、小さな洋食店が目に入った。汚れが全くないガラスの窓から見える店内には、こんな時間にも関わらず客の姿が一人も確認できない。微かに不安にはなったが、こういう時は躊躇っているうちに正解を見失うものだ。自分自身の直観を信じながら勢いのままに店に向かい、木目調のドアを開けた。
店内に入ると少し強めに入れられた冷房が、真夏の蒸し暑い街に吹く風で火照った身体を優しく癒すように冷やしていく。周りを見廻すと案の定、ランチタイムだというのに店内に客は一人もいない。これはとんでもない店を引いてしまったか……と身構えていると、おそらく店主であろう中年の男性がカウンターの隅に案内してくれた。
店内はマホガニー製のテーブルや椅子で統一され、それを照らす電球色の照明が落ち着いた雰囲気を出す、俗にいう隠れ家的な内装をしていた。BGMとして小洒落たジャズミュージックが控えめな音量で流れていて、高校生が一人で入るにはなかなか敷居が高かったのかもしれないと今更ながら考えてしまう。
ワープロで出力されたような簡素なメニューから、オムライスを店主に注文する。この店はどうやら店主一人で回しているようだった。しかし、スープとサラダが付いて値段は五百円と非常にリーズナブル。どうやら客がいないのは値段のせいではなさそうだ。逆にこの値段で誰もいないということは……と微かに胸の中で存在していた嫌な予感は徐々に強くなってくる。
「ここの料理、不味いかなと思ったかい?」
慣れた手つきで両手を動かしながら、カウンターの向こうから店主が声をかけてくる。自分の心の中を読まれた気がして、一瞬ギクリとする。
「美味いからさ、そこだけは信頼してくれよな」
店主はいつの間にか頭に青いバンダナを着けていた。これが彼の料理をする時の正装なのだろう。白髪が隠れたからだろうか、先程までの少々頼りない印象だった店主は凛々しいプロの料理人へと切り替わっていた。
「いやね、実は昨日まで閉店してたんだよ。このままずっと、『終わり』まで閉めているつもりだった。でもね」
カウンターの向こうで店主はタマネギを細かく刻んでいる。店主の眼が、少しだけ涙ぐんで見えるのは、タマネギのせいか。それとも、何かを偲ぶかのようで。
「ずっと考えてたんだ。世界が終わるっていうのに、なんで人に気を遣って、電卓片手に仕入れをしてさ。ずっとずっと仕事してなきゃいけないんだ。家内も——娘もさ、とっくに『あっち』に行っちゃってさ。言うならば余生だよ余生。完全にね」
遠い目をしながら店主は話を続けていく。話を続けながらも、包丁などを動かす手は止まらない。今は温めたフライパンにバターを入れているところだった。
「だからさ、残りの時間、好きなことをして生きたっていいじゃないかってね。とりあえず、いろいろやってみたんだ。今まで出来なかったことを。――例えば、ゲームセンターに行ったりした。こんなナリでもさ。昔は大会で優勝するぐらい強かったんだよ。ホントホント」
フライパンにご飯を入れて、軽やかに振っていく。フライパンを見る限り、かなりの重量がありそうだったが、店主の動きはとても滑らかで重さを感じない。それはきっと、経験によって培われた熟練の動きなのだろう。
「その新作が出ていてさ、試しにやってみたんだけどコンピュータにすら勝てなかった。その帰り道でさ。悔しいなァ、料理でなら負けないのになァって、このキャラクターはきっとこういう味が好きだろうなァって、結局は料理のことばっかり考えてたんだよ」
気が付くと、俺の目の前にはサラダとスープが置かれていた。予め作っていたものか、それともいつの間に作っていたのか。そして次に置かれたのは、グラスになみなみと注がれたオレンジジュースだ。サラダとスープはともかく、ジュースを頼んだ覚えはない。
視線を店主に向けると、お茶目にはにかみながらサービスだと答える。バンダナを着けた姿もあって、こういう愛嬌のある表情を見ていると先程まで断然若く見えるし、何処と無く自分の父親のような笑みのようで、親近感のようなもの感じる。スープを一口啜ると、コンソメの深い味わいがした。
店主は笑いながら一瞬だけ遠くを見たがすぐに表情を元に戻し、視線をフライパンに戻しながらも話を続けていく。彼がどのような道を辿ってここまで来たのか、気になって仕方なくなってきた。次にオレンジジュースのグラスから伸びるストローに口をつけながら、耳を傾けていく。
「やっぱりね。悔しいけど。つくづく僕は料理人なんだなって思ったのさ。僕の作った料理を、誰かに食べてもらいたい。思い出の一ページに記して欲しいって。それはね、きっと凄いことなんだ。人によっては人生すら変わるかもしれないものを、僕が作れるかもしれない。人の人生を変えることのできる人なんて、なかなかいないからさ。だから『終わり』まで誰かの為に、誰かの人生に影響を与えられるようなものを作っていようって思ったのさ」
いつの間かケチャップライスが殆ど完成していて、上のオムレツに取り掛かるところだった。卵をボウルに入れ、軽やかに鮮やかに掻き混ぜている。美しさを感じる動きに、思わず見惚れてしまう。
「そう思っているうちに、いつものように仕入れをして。いつものように店を開けた。そしたら、君が来たっていうワケさ。ということで、出来たよ。お待ちどうさま、オムライス」
俺の前に置かれるオムライス。ケチャップライスの上に乗せられた、半熟に焼かれた黄色いオムレツ。そしてそれにかけられるケチャップという、まさに王道そのものというようなオムライスだ。
いただきます、と一礼をしてスプーンを手に持ち一口。炒められることによりまろやかになったケチャップの酸味と、鶏肉のジューシーな味わいの調和が、シンプルながら溜息すら出ないほどに素晴らしいものだった。ただただ、とても美味しい。本当に五百円かと驚くほどだ。
夢中でスプーンを動かし、オムライスを口に運んでいく姿を見て、店主は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。本当にこの人は、料理が好きなんだなぁと思う。
「君が、今一番やりたいことって――なんだい?」
オムライスを半分ほど食べ終えた時、店主は僕に向かって問い掛ける。『終わり』に向けて、店主がやりたい事は料理を作り続ける事だった。俺は、世界と一緒に何もかも諦めて、思考に蓋をしていた。それでも、最後に笑って『終わり』を迎える為に――
「クラスメイトから受け取った最後の宿題の答えを見つける事ですね。ずっと、ずっと考えても答えが出ないんですよ。少しでもヒントが欲しくて、この街に来たんです」
小さい声で呟く。夏の虫の声が響く星空の下、クラスメイトから受けた疑問の答えを求めている俺は、店主にどう映っているのだろうか。滑稽に見えるかもしれない。
それでも、答えが欲しかった。星々が煌めき、蠍の心臓が輝いている事を認識しているうちに山石さんに伝えたかった。
店主は目を細め、カウンターに腕を置く。どうやら話を聞いてくれる体勢をとってくれたようだった。
「へぇ、じゃあ何かの縁だ。僕で良ければ少しはアドバイスになるかもしれない。よかったら、話してみないかい?」
とにかく、何かしらの言葉が欲しかった。
「実は――」
残りのオムライスを食べながら説明をしていく。店主は俺の話に時折相槌を淹れながらコーヒーを淹れ、俺と自分の前に置いた。
時間にして、十五分も経っていないだろう。オムライスが綺麗に食べ終わる頃には、俺が山石さんと語った何回かの夜の話を簡潔に話せた、と思う。店主は時折カップの中身を口に含みながら、じっくりと俺の話を聞いていた。
「『全く見分けの付かない本物と偽物の見分け方』、かぁ。いやぁ、なかなかどうして、えらく哲学的というか、難しい話じゃあないか。うん。僕は学がないから参考になるかどうかわかんないんだけどね」
腕を組んで目を閉じ、まさに思考中という仕草をしていた店主は、ゆっくりと口を開く。数瞬後に彼の声帯を震わせて口から出てくる答えを聴き逃すまいと聴覚に神経を集中するが、出てきた言葉はあまりにも、自分自身の予想からかけ離れたものであった。
「――――ないんじゃないかな。そんなの」
全く予想できていなかった言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。青天の霹靂というのは、こういう時に使うのだろう。
「いやいや、悪い意味じゃあなくてね。何が本物で、何が偽物かなんて、決めるのは自分自身だと思うんだよね。料理だって同じようなもんでさ。例えば今作ったオムライス。美味しかっただろ?」
首を縦に降る。それは、紛れも無い自分自身の本心だ。俺の反応に、改めて店主は胸を張る。
「そりゃ自信作だからね。でもさ、人によってはこれがとんでもなく不味く感じちゃうかもしれない。それを決めるのは、誰だい?」
パズルのピースのような何かが、頭の中の型の一部に収まる感覚がした。今まで深く考え過ぎていたのか。
「そうか」
「そういうことさ。まぁ、おじさんの一意見ってことで、参考になれば、ね」
クーラーから出てくる涼しげな風が、二人の間を通り抜けていく。この話は、山石さんへの答えの重要な一部になるはずだ。あの女性に会う前に、一つ話を聞くことが出来た。美味しい食事も食べれたし、この店に来て良いことしかなかった。やはり、自分の直観を信じて良かった。
「いえ、ありがとうございました。参考になりました!」
ズボンのポケットから二つ折りの財布を出し、会計をしようとしたが、店主は右手を前に出す。
「お代は結構さ。久々に楽しいお話ができた。改めて、料理の素晴らしさ……みたいなものを実感出来た。餞別にしては少ない気がするけど、最後までこの味を、忘れないでくれればそれでいいさ」
店主の言葉に、少し目頭が熱くなる。このオムライスの味は、最後の最後まできっと忘れる事はないだろう。
「ご馳走様でした。絶対、忘れません」
「はい、行ってらっしゃい。『最後』まで、挫けるんじゃないよ」
大きく礼をし、店のドアを開けて外に出る。夏の眩し過ぎる程の陽射しが俺に容赦なく降り注ぎ、涼んだ身体を再び熱していく。早速滲み出てきた額の汗を拭い、前を見据える。腕時計を見ると、午後二時を示している。未完成のまま終わる駅ビルが、ただただ俺を見下ろしていた。
「来ればわかるさ。来れば。強制はしないけれど、ね!」
先程聞いた、含みを持たせたあの言葉がどうにも頭の中に引っ掛かっている。そして、その前に見た竹房の計り知れない怒りに驚いた俺の身体を動かした、眩い太陽のようなウインクをしてみせたあの女性。先程に彼女は愛を振りまく仕事をしていると言っていた。それが一体何を指すものなのかも気になるが、それ以上に。山石さんの頭上にいる蠍の心臓も自身が光を発している星ではあるが、地球から見るとその何倍も何十倍も強い光を放っている太陽。その太陽の輝きのようを持っていたあの女性ならば、山石さんからの不条理な問いかけにもなにかヒントをくれるのではないだろうか。漠然とではあるが、そんな気がしたのだ。
正直なところ、『全く見分けの付かない本物と偽物の見分け方』なんてあまりにも抽象的すぎて同級生にも相談出来そうな内容ではないし、両親に聞いたところで笑いながら適当にはぐらかされるに決まっている。我が家の両親は、いつも慈愛に満ちた柔らかな笑みで俺を見守ってくれた母さんと、投擲術や体術などのおおよそ現代で使う必要がないようなことをレジャーの時などに教えてくれて、そして忍者の末裔の家系である風間家の心構えなど様々な事を教えてくれた父さん。二人は今まで俺の事を優しく、時に厳しく育ててくれた。自分で言うのもなんだか照れくさいが、親子三人と、つい最近までアスカを含めて理想の家庭像に近いようなものであったとは思っている。
しかし真面目なところを茶化して誤魔化すという悪癖が玉に瑕というか、とにかくこの手の話題に関してはあまり当てにならなそうであった。特に父さんなど、どうせ「ふむ、それを探すのもまた修行だな。精進しろよ」と大きく頷いて立ち去っていくに決まっている。そういうこともあって俺の身近には山石さんのあの言葉に答えられそうな人が思い当たらず、ヒントを求めてこの銀城へと来たというのが実際のところなのだ。
あの女性に聞いてヒントが得られたならばそれでいい。何も得られなければ、またもう一度、やり方を考えるだけだ。今は行動することに意味があると思い、道を再び歩くことにする。
夕方頃にその先で、と言っていた。左腕の腕時計は、そろそろ正午になる頃を示している。流石に夕方まで何も食べない訳にはいかないので、とりあえず何かを胃袋に入れていようと視界を動かす。チェーン店などで手早く済ませるのも手ではあったが、世界が滅びるまでの残り少ない食事の回数は限られている。その中で学生の小遣いの範囲内で妥協はしていられない。そんな事を考えていると、小さな洋食店が目に入った。汚れが全くないガラスの窓から見える店内には、こんな時間にも関わらず客の姿が一人も確認できない。微かに不安にはなったが、こういう時は躊躇っているうちに正解を見失うものだ。自分自身の直観を信じながら勢いのままに店に向かい、木目調のドアを開けた。
店内に入ると少し強めに入れられた冷房が、真夏の蒸し暑い街に吹く風で火照った身体を優しく癒すように冷やしていく。周りを見廻すと案の定、ランチタイムだというのに店内に客は一人もいない。これはとんでもない店を引いてしまったか……と身構えていると、おそらく店主であろう中年の男性がカウンターの隅に案内してくれた。
店内はマホガニー製のテーブルや椅子で統一され、それを照らす電球色の照明が落ち着いた雰囲気を出す、俗にいう隠れ家的な内装をしていた。BGMとして小洒落たジャズミュージックが控えめな音量で流れていて、高校生が一人で入るにはなかなか敷居が高かったのかもしれないと今更ながら考えてしまう。
ワープロで出力されたような簡素なメニューから、オムライスを店主に注文する。この店はどうやら店主一人で回しているようだった。しかし、スープとサラダが付いて値段は五百円と非常にリーズナブル。どうやら客がいないのは値段のせいではなさそうだ。逆にこの値段で誰もいないということは……と微かに胸の中で存在していた嫌な予感は徐々に強くなってくる。
「ここの料理、不味いかなと思ったかい?」
慣れた手つきで両手を動かしながら、カウンターの向こうから店主が声をかけてくる。自分の心の中を読まれた気がして、一瞬ギクリとする。
「美味いからさ、そこだけは信頼してくれよな」
店主はいつの間にか頭に青いバンダナを着けていた。これが彼の料理をする時の正装なのだろう。白髪が隠れたからだろうか、先程までの少々頼りない印象だった店主は凛々しいプロの料理人へと切り替わっていた。
「いやね、実は昨日まで閉店してたんだよ。このままずっと、『終わり』まで閉めているつもりだった。でもね」
カウンターの向こうで店主はタマネギを細かく刻んでいる。店主の眼が、少しだけ涙ぐんで見えるのは、タマネギのせいか。それとも、何かを偲ぶかのようで。
「ずっと考えてたんだ。世界が終わるっていうのに、なんで人に気を遣って、電卓片手に仕入れをしてさ。ずっとずっと仕事してなきゃいけないんだ。家内も——娘もさ、とっくに『あっち』に行っちゃってさ。言うならば余生だよ余生。完全にね」
遠い目をしながら店主は話を続けていく。話を続けながらも、包丁などを動かす手は止まらない。今は温めたフライパンにバターを入れているところだった。
「だからさ、残りの時間、好きなことをして生きたっていいじゃないかってね。とりあえず、いろいろやってみたんだ。今まで出来なかったことを。――例えば、ゲームセンターに行ったりした。こんなナリでもさ。昔は大会で優勝するぐらい強かったんだよ。ホントホント」
フライパンにご飯を入れて、軽やかに振っていく。フライパンを見る限り、かなりの重量がありそうだったが、店主の動きはとても滑らかで重さを感じない。それはきっと、経験によって培われた熟練の動きなのだろう。
「その新作が出ていてさ、試しにやってみたんだけどコンピュータにすら勝てなかった。その帰り道でさ。悔しいなァ、料理でなら負けないのになァって、このキャラクターはきっとこういう味が好きだろうなァって、結局は料理のことばっかり考えてたんだよ」
気が付くと、俺の目の前にはサラダとスープが置かれていた。予め作っていたものか、それともいつの間に作っていたのか。そして次に置かれたのは、グラスになみなみと注がれたオレンジジュースだ。サラダとスープはともかく、ジュースを頼んだ覚えはない。
視線を店主に向けると、お茶目にはにかみながらサービスだと答える。バンダナを着けた姿もあって、こういう愛嬌のある表情を見ていると先程まで断然若く見えるし、何処と無く自分の父親のような笑みのようで、親近感のようなもの感じる。スープを一口啜ると、コンソメの深い味わいがした。
店主は笑いながら一瞬だけ遠くを見たがすぐに表情を元に戻し、視線をフライパンに戻しながらも話を続けていく。彼がどのような道を辿ってここまで来たのか、気になって仕方なくなってきた。次にオレンジジュースのグラスから伸びるストローに口をつけながら、耳を傾けていく。
「やっぱりね。悔しいけど。つくづく僕は料理人なんだなって思ったのさ。僕の作った料理を、誰かに食べてもらいたい。思い出の一ページに記して欲しいって。それはね、きっと凄いことなんだ。人によっては人生すら変わるかもしれないものを、僕が作れるかもしれない。人の人生を変えることのできる人なんて、なかなかいないからさ。だから『終わり』まで誰かの為に、誰かの人生に影響を与えられるようなものを作っていようって思ったのさ」
いつの間かケチャップライスが殆ど完成していて、上のオムレツに取り掛かるところだった。卵をボウルに入れ、軽やかに鮮やかに掻き混ぜている。美しさを感じる動きに、思わず見惚れてしまう。
「そう思っているうちに、いつものように仕入れをして。いつものように店を開けた。そしたら、君が来たっていうワケさ。ということで、出来たよ。お待ちどうさま、オムライス」
俺の前に置かれるオムライス。ケチャップライスの上に乗せられた、半熟に焼かれた黄色いオムレツ。そしてそれにかけられるケチャップという、まさに王道そのものというようなオムライスだ。
いただきます、と一礼をしてスプーンを手に持ち一口。炒められることによりまろやかになったケチャップの酸味と、鶏肉のジューシーな味わいの調和が、シンプルながら溜息すら出ないほどに素晴らしいものだった。ただただ、とても美味しい。本当に五百円かと驚くほどだ。
夢中でスプーンを動かし、オムライスを口に運んでいく姿を見て、店主は本当に嬉しそうな笑みを浮かべていた。本当にこの人は、料理が好きなんだなぁと思う。
「君が、今一番やりたいことって――なんだい?」
オムライスを半分ほど食べ終えた時、店主は僕に向かって問い掛ける。『終わり』に向けて、店主がやりたい事は料理を作り続ける事だった。俺は、世界と一緒に何もかも諦めて、思考に蓋をしていた。それでも、最後に笑って『終わり』を迎える為に――
「クラスメイトから受け取った最後の宿題の答えを見つける事ですね。ずっと、ずっと考えても答えが出ないんですよ。少しでもヒントが欲しくて、この街に来たんです」
小さい声で呟く。夏の虫の声が響く星空の下、クラスメイトから受けた疑問の答えを求めている俺は、店主にどう映っているのだろうか。滑稽に見えるかもしれない。
それでも、答えが欲しかった。星々が煌めき、蠍の心臓が輝いている事を認識しているうちに山石さんに伝えたかった。
店主は目を細め、カウンターに腕を置く。どうやら話を聞いてくれる体勢をとってくれたようだった。
「へぇ、じゃあ何かの縁だ。僕で良ければ少しはアドバイスになるかもしれない。よかったら、話してみないかい?」
とにかく、何かしらの言葉が欲しかった。
「実は――」
残りのオムライスを食べながら説明をしていく。店主は俺の話に時折相槌を淹れながらコーヒーを淹れ、俺と自分の前に置いた。
時間にして、十五分も経っていないだろう。オムライスが綺麗に食べ終わる頃には、俺が山石さんと語った何回かの夜の話を簡潔に話せた、と思う。店主は時折カップの中身を口に含みながら、じっくりと俺の話を聞いていた。
「『全く見分けの付かない本物と偽物の見分け方』、かぁ。いやぁ、なかなかどうして、えらく哲学的というか、難しい話じゃあないか。うん。僕は学がないから参考になるかどうかわかんないんだけどね」
腕を組んで目を閉じ、まさに思考中という仕草をしていた店主は、ゆっくりと口を開く。数瞬後に彼の声帯を震わせて口から出てくる答えを聴き逃すまいと聴覚に神経を集中するが、出てきた言葉はあまりにも、自分自身の予想からかけ離れたものであった。
「――――ないんじゃないかな。そんなの」
全く予想できていなかった言葉に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまう。青天の霹靂というのは、こういう時に使うのだろう。
「いやいや、悪い意味じゃあなくてね。何が本物で、何が偽物かなんて、決めるのは自分自身だと思うんだよね。料理だって同じようなもんでさ。例えば今作ったオムライス。美味しかっただろ?」
首を縦に降る。それは、紛れも無い自分自身の本心だ。俺の反応に、改めて店主は胸を張る。
「そりゃ自信作だからね。でもさ、人によってはこれがとんでもなく不味く感じちゃうかもしれない。それを決めるのは、誰だい?」
パズルのピースのような何かが、頭の中の型の一部に収まる感覚がした。今まで深く考え過ぎていたのか。
「そうか」
「そういうことさ。まぁ、おじさんの一意見ってことで、参考になれば、ね」
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「いえ、ありがとうございました。参考になりました!」
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「お代は結構さ。久々に楽しいお話ができた。改めて、料理の素晴らしさ……みたいなものを実感出来た。餞別にしては少ない気がするけど、最後までこの味を、忘れないでくれればそれでいいさ」
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「ご馳走様でした。絶対、忘れません」
「はい、行ってらっしゃい。『最後』まで、挫けるんじゃないよ」
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