盗みから始まる異類婚姻譚

XCX

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17. 赤鬼を追って

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 リュカは全身を襲う痛みと気持ちの悪さにうなされていた。寝返りすらままならない程に体が鉛のように重い。混濁する意識の中、怒り狂った蘇芳に好き放題され、圧倒的な力で押さえつけられた恐怖がフラッシュバックする。急に息苦しくなり、呼吸が短く速くなっていくのがわかる。まるで水の中に沈んでいくような感覚だ。
 すると、ぽんぽんと背中を優しく叩かれた。心地の良い温もりに全身が包まれる。頭の中に声が響いて、ゆっくり呼吸をするよう促され、リュカは藁にも縋る気持ちで従った。声に合わせて息を吐き、吸う。何度か繰り返していると、だんだんと息苦しさが治まっていく。いい子だ、と褒められ、同時に額に柔らかな感触がする。
 誰だろう、と回らない頭で考える。下半身が蛇の母親の姿が浮かんだが、耳に届く声は低く、男のものだ。それに、あの母親は死んでもこんなことをしない。テル・メルの者ではない、絶対に。セキシかな、とぼんやり思う。目を開けて確認したかったが、接着剤でくっつけているかのように開かない。一定のリズムで背中を叩かれるのが気持ちよくて、リュカは身を委ねた。安心感に包まれ、深い眠りに落ちたのだった。
 朝、リュカは猛烈な空腹を覚えて目を覚ました。長いこと眠っていた気がして、目覚めはすっきりとしているものの、体の方は凝り固まっているようだった。寝転がったまま伸びをすれば、ばきばきと鳴る。体を起こして周囲を見渡すが、自分一人だった。夢うつつの中で聞いた声の主はいない。
 ふと、座卓に目が止まる。卓上に包みのようなものが置かれていて、リュカは近づいた。結び目を解いて、開いてみる。中から出てきたのは、手のひらサイズの木箱と円柱形の漆箱、更に大きめな木箱だった。
 リュカは、大きな木箱から開けてみることにした。中身は、双眼鏡だった。存在は知っていたが、見るのも触るのも初めてだった。小さな硝子の部分を覗きこんでみれば、卓上のものが巨大に見える。逆に反対側の大きな硝子のところから見れば、全てがミニチュアのように小さくなってしまう。

「わは、おもしろ~」

 後でたっぷり遊ぼう、とリュカは双眼鏡を脇に置いた。次は小さな木箱に手をかける。

「竜の置物だ!」

 双眼鏡の段階でリュカの心は踊っていたが、憧れの竜の置物に気分は最高潮に高まった。部屋で一人にも関わらず、大きな声ではしゃいでしまう。
 がっちりした胴体に太い尻尾、脚はたくましくて鉤爪は鋭い。大きな翼を広げて咆哮している姿だった。鱗の一枚一枚や大きな顎から覗く無数の鋭い牙まで精緻に彫られていて、今にも動き出しそうな程に躍動感に溢れている。リュカは座卓に頬をくっつけて、うっとりと置物を眺めた。
 行商人が持っていた絵巻でちらりとしか見たことがないが、絵でも十分にかっこいいのに、立体になるともっとかっこいい。一日中見続けられる、とリュカは思った。

「リュカ様!」

 竜にみとれるあまり、リュカは背後で障子が開いたことに気がつかなかった。驚きのこもった声で名前を急に呼ばれ、肩が大きくびくつく。振り返ると、セキシが目を見開いていた。

「リュカ様、お加減いかがですか?」
「大丈夫。体がなまってる感じはあるけど、他は元気」
「痛いところや違和感を感じるところもないですか?」

 平気だ、と答えた途端、少年の腹の虫が豪快に鳴いた。畳に膝をついて心配そうに顔を覗きこむセキシは一瞬目を丸くしたが、腹の音で体調に問題ないことが分かったらしく、安堵の笑みを浮かべた。自分が一週間も寝込んでいたことを告げられ驚く少年をよそに、セキシはすぐに朝食をお持ちします、と言って部屋を出た。
 そこでリュカは残りの黒い漆箱に手をつけた。箱に巻き付く赤い紐をはずし、蓋を開けるとコロコロとしたものがたくさん入っていた。一粒摘まんで、目の高さに掲げてみる。小さいそれは丸みを帯びた棘がいくつも飛び出ていて、透き通った色味をしていた。何だろうかと匂いを嗅ぐもよくわからなくて、口に入れてみるとほんのりとした上品な甘さが舌の上に広がる。そのおいしさに、リュカは感動で目を見開いた。二粒三粒と手を伸ばしたところで我に返る。もうすぐご飯だというのに、このままでは一気に平らげてしまう。長年にわたって染みついた、もったいない精神により自制したリュカは、蓋をした。卓上を片付けて、朝食が置かれるスペースを確保する。
 それ程待つこともなく、セキシによって食事が運ばれてきた。だが用意されたのはリュカとセキシの二人分だけだった。あんなことをされた後で顔を見ずに済んで安堵するも、なぜいないのかは気になる。

「蘇芳様は用事があるとかで、しばらくは一緒に食べられないとおっしゃっていました。蘇芳様がいないと寂しいですか?」
「べ、別に寂しくなんかないしっ。俺は元々セキシと一緒にご飯食べたかったんだ!それなのに何でか蘇芳も一緒に……っあっつ!」

 白い湯気の立つ卵粥をろくに冷ましもせずに慌てて口に入れたリュカは、その熱さに悶絶した。一度口に入れたものを吐き出すことは絶対にしたくなくて嚥下すれば、苦しみは倍増した。差し出された水を一気に呷る。

「急いで食べずとも、食事は逃げませんよ?腫れないとは思いますが、後で一応薬を塗っておきましょうね」
「うん…」

 顎を取られて、やけどした部分をまじまじと見られる。セキシは過保護だと思う。だが、今まで誰かに怪我を心配されたことなどなかったから、本音を言えば嬉しい。心がくすぐったいような感じはあるが。

「なあ、セキシ。起きたら机の上にこれが置かれてたんだけど…」

 食事を終えたリュカは、双眼鏡や竜の置物を赤鬼の青年に見せた。

「おや、素敵な贈り物ですね」
「うん。これ全部、俺宛で間違いないよね?このお菓子、ちょっと食べちゃったんだけどさ…」

 にっこりと笑うセキシに、リュカは少し恥ずかしそうにはにかむ。誰宛の贈り物なのか、完全に今更な質問だった。だが、包みを見つけた時は全く疑問を持たなかったのだ。自分の部屋に置かれているものだから、自分宛に違いないと。

「ええ、もちろん」
「…セキシが買ってくれた、のか?」

 少年は、彼の反応を見るに違うだろうなとほぼ確信していた。頭を横に振るセキシに、複雑な気持ちになる。セキシじゃないのならば、蘇芳ということになる。青藍かと思ったが、険悪な関係の蘇芳の家に届ける可能性は低い。琥珀という名の黄色い鬼も頭には浮かんだが、関わりがなさ過ぎて贈り物をしてくる理由が考えつかなくて、早々に候補から削除した。どう考えてもやっぱり蘇芳しかいなかった。

「あのさ、俺が寝てる間、一緒にいてくれたりした?背中撫でてくれたり、大丈夫って言ってくれたり…」
「いいえ、私ではないですね」
「じゃあ…」
「リュカ様が考えてるお方で間違いないと思いますよ」

 あれも蘇芳だったと知って、リュカはすっかり戸惑ってしまった。

「…何で?何で急に贈り物とか…意味わかんねーし…。謝罪のつもり、とか…?」

 優しく寄り添って寝てくれたのも謎だ。あんなに怒って無茶苦茶に俺を犯したくせに。どういうつもりなんだ。
 蘇芳の態度の急変ぶりに対する答えが知りたかったが、セキシはただ微笑むだけだった。どこか、嬉しそうですらある。

「本人に聞いてみてはどうです?」
「ええーっ、セキシ知ってるなら教えてよ」
「ふふ、駄目です。教えられません」

 リュカはセキシの腰にしがみついて、教えてくれと粘ったが、軽く受け流されてしまった。青年は不敵な笑みを浮かべたまま、御膳を持って出て行ってしまった。

「リュカ様、そんなに唇を突き出してどうしたんです?」
「セキシが教えてくれないから拗ねてんの!」
「そうでしたか。てっきり口づけをねだられているのかと思いました」

 あつあつの卵粥があたった部分に軟膏を塗られながら、リュカは憤慨する。だが、セキシはくすくすと笑うだけだった。あしらい方が上手で何も言い返せず、少年は子猿よろしくキーキーわめいて不満を訴えるしかなかった。
 温和だが意外と頑固なセキシから情報をもらえないと悟ったリュカは、諦めて蘇芳を問いただすことにした。が、赤鬼を捕まえることが全くできない。屋敷内にいる気配はあるものの、いざ駆けつけてみれば忽然と消えているのだ。明らかに自分を避けているのがわかって、カチンと頭にきた。逃げるなら意地でも捕まえてやる、と闘志に火が点く。
 とは言え、魔法でも使っているのかと思う程にどうにも捕まらない。いたずらに時間だけが過ぎ、イライラが募っていく。いたちごっこ状態で既に三日が経とうとしていた。
 すっかり心の荒んだリュカは、双眼鏡を手に敷地外の山を眺めた。双眼鏡で竜の姿を探すのが最近のもっぱらの趣味となりつつある。成果は今のところゼロだ。魑魅魍魎で溢れていると蘇芳は言うが、ここ数日で見かけたのは猪やら狐やらの獣だけだった。この件に関してもとっちめてやる、と少年は内心ご立腹だった。
 あのようなことがあった手前、青藍のことは気になるものの、さすがに池には行っていない。自分と頑なに顔を合わせようとしない蘇芳も、リュカが再び青藍に会いに行けば、どこからともなく現れるだろうと確信めいた予感があった。だが、あの仕打ちは二度とごめんだと思っていたし、無用に蘇芳と青藍を衝突させるのも嫌だった。

「ん?」

 木々の隙間から何か見えた気がして、リュカは身を乗り出した。双眼鏡を操作して、さらに拡大する。それは見覚えのある後ろ姿だった。毛先があちこちに跳ねた豊かな長い赤髪に、頭から生えた二本の黒い角。纏っている着物も見たことのある柄だ。
 ようやく見つけた。距離もそこまで離れていない。今すぐに後を追えば追いつけそうだ。
 敷地の外には出るな、と言う蘇芳の忠告など全く頭になかった。目と鼻の先にいる赤鬼を捕まえる。少年の頭の中はその思いで占められていた。
 リュカは双眼鏡を座卓に置き、急いで靴を持って部屋に戻った。落ちないように注意しつつ、欄干の上に乗り上げ、塀を見下ろす。頑張って飛べば、届かない距離ではない。リュカは意を決して、欄干から強く踏み切り、跳躍した。
 塀の先に着地することができて、リュカは思わず笑みを浮かべた。だが次の瞬間全身を何かで締めつけられ、浮遊感に見舞われた。それは錯覚などではなく、実際に塀の先から足が遠ざかっていく。

「な、なんだこれっ!?」

 リュカは、突如現れた巨大な化け物の手に捕まっていた。
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